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    【関係者メッセージ】多様なバックグラウンドのライターや寄稿者に支えられた12年間。

    「南三陸なう」が紡いできた物語は取材対象となる町民の12年間の歩みだけではなく関わるライターの物語でもありました。多様なバックグラウンドを持つ多くのライターによって支えられた「南三陸なう」。これまでの関係者の方に、一区切りを迎えるにあたってメッセージをいただきました。

    2024年3月をもって一区切りを迎える「南三陸なう」。

    復興の足跡を描き続けてきた「南三陸なう」。2023年度末で一区切りを迎えます。

    「南三陸なう」が一区切りを迎えることは上記の記事の通りとなります。

    本メディアの大きな特徴は幅広い町民ライターによって記事が構成されていたことにあります。プロフェッショナルのライターから、ライター未経験の方。南三陸町出身者から、移住者、そして旅行や研修で訪れたという方まで。年代や職業も学生から主婦、そして60代の方まで。じつに多様なバックグラウンドを持つ方々に支えていただいていました。

    一区切りを迎えるにあたってこれまで、活動に参画いただいたみなさんから声が届いているので紹介します。

    【メッセージ①】静岡文化芸術大学 内尾太一准教授

    南三陸なう、12年間お疲れ様でした。災害が相次ぐ日本において、かつての被災地の今を発信し続けるローカルメディアはとても重要で、全国に向けて範を示すことになったと思います。

    私のような大学で働く研究者からすれば、南三陸なうの記事ひとつひとつが地域のことを学び知るための貴重な資料です。更新されることがなくなっても町の公式アーカイブの中に保存するなど、記録として残すことができれば素晴らしいと思います。

    個人的にはライターとしても参加させて頂いたこともいい思い出です。「チリ地震津波から60年。3.11のチリの被災地を訪ねて」という前後編の記事を2020年に書かせていただきました。震災復興過程では南三陸町の方々に様々なことを教わってきたので、こちらからは遥か遠くまで及んだ津波災害の現実について情報提供できれば、という思いでした。そうした文章を面白がって載せてくれた南三陸なう編集者の浅野さんはじめ、関係者の方々には改めて感謝申し上げます。

    チリ地震津波から60年。3.11のチリの被災地を訪ねて(前)【寄稿】

    【メッセージ②】大正大学 客員准教授 齋藤知明

    南三陸なうで「大正大学」と検索すると26件ほどの記事が出てきます。そのなかでも執筆した主体が「学生ライター」や「寄稿記事」というのが何件かあります。このことからも、大正大学の学生が南三陸だけでなく南三陸なうに多く関わらせてもらったことがわかります。

    大正大学の学生は南三陸で、たくさんの活動、たくさんの喜怒哀楽を経験しました。そして、その経験や感情をぜひ南三陸町の町民のみなさまや読者のみなさまに伝えたいと思いましたし、記録としても残していければと考えていました。そこで出会ったのが南三陸なうです。大学の授業の期末レポートではなく、読者に「読んでもらえる」記事として、学生に書かせたらとてもよい学びになると考え、無理を言って寄稿させてもらえないかと頼んだこともありました。

    南三陸なうに掲載された学生たちの記事は、町の方への感謝や自分たちの活動を誰かに繋いでもらいたいという感情がこもっていて、とても良い記事になっていると感じます。そこには期末レポートにはない強い思いを感じましたし、南三陸なうに掲載されることを光栄に思っているのか何度添削しても嫌な顔一つされませんでした(笑)

    このように南三陸なうには、大学生に学びの機会を提供していただきました。よく、都市と地方を結ぶことが重要と聞きますが、メディアという形でそのことを実現したのが南三陸なうだと感じます。今後も新しい形でたくさんの大学生が関わる機会を提供していただけると嬉しいです。ありがとうございました!

    大学生による南三陸4日間のドキュメンタリー映画 オンラインで初公開【寄稿】

    【メッセージ③】ライター 鈴木清美さん

    震災後、たくさんの支援活動があり、地元の方々が集まって賑わう機会(運動会や映画会、夏まつりなど)が増えました。

    昔からの友人、知人とも再会でき、その様子を拙い文章ながら執筆し『南三陸なう』で発信できることに自分自身の役割と充実感を抱いていました。

    最高齢92歳の古澤さんを取材して以降、地域の先輩方の生き様や人となりを紹介することも多くなりました。完成した記事をお渡しした際、恥ずかしそうに受け取り優しい笑顔で読んで下さった事が何よりうれしかった。

    普段は寡黙な高齢者の皆さんから、震災後の苦労話やかつての武勇伝まで聞けた『南三陸なう』貴重で有難い時間でした。

    地域みんなの好々爺/古澤孝夫さん(92歳)

    【メッセージ④】ライター 小島まき子さん

    2016年から「南三陸なう」に関わらせていただき、2022年12月まで60本近い記事を執筆。取材を通して南三陸の素敵な人々と出会い、町のことをより深く・さまざまな角度から知ることができました。特に思い出に残っているのは最初の記事。南三陸さんさん商店街の本設への移転にあたり、それまでの歩みを振り返るものでしたが、さんさん商店街に関わる人々の想いや奮闘ぶりには胸が熱くなりました。「南三陸なう」のおかげで生まれたご縁を大切に、これからも南三陸に関わり続けていきます!

    南三陸さんさん商店街の今までとこれから。移転先でもおもてなしを!

    【メッセージ⑤】ライター 安藤仁美さん

    2015年から2017年にかけて、編集部として携わらせていただきました。同時期に町の公式ラジオとして放送していた「みなさんぽ」で、町の方々の声を伺いに飛び回ったのは、いい思い出です。子育て記事のライターとして、リアルをさらけ出した出産記録は、多くの方から読んだよーと声をかけていただき、同じ状況の女性たちの役に立てたのなら、こんなに嬉しいことはありません。南三陸なうを通じて、町の貴重な歩みの一場面、一場面に立ち会えたこと。本当に感謝しています。

    南三陸なうは、みんなで作った、この町の宝物だと思います。12年間も続いたというのは、源泉のように掘っても掘っても絶えることない、南三陸の魅力を証明していると思います。取材や出演に快く応じてくださった方々、なうを支えてくれた方々に改めて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

    第1話 決断の時は意外と早い!どこで産むか問題(前編)

    【メッセージ⑥】ライター 三浦貴裕さん

    私は学生時代に取材を受けた事をきっかけに、学生時代・社会人とライターとして関わらせて頂きました。学生時代南三陸を離れていた私にとっては、離れていながらも南三陸との繋がりを感じる事ができ、何より「南三陸なう」を通してたくさんの人との出会いを繋いでくれました。私が取材を受けた記事を読んで知って下さった方との出会いはもちろんの事、記事を書いた事がきっかけとなり繋がった方や自分が書いた記事を通して南三陸を知ってくれた方など1つの記事・物語から本当にたくさんの出会いを紡いでくれました。

    また南三陸の歩みを人々の想いと共に色濃く描かれてきたのも「南三陸なう」の良さであり、他のウェブメディアにはない価値だと感じています。

    これまで紡がれてきた物語が終えてしまうような寂しさもありますが、南三陸の物語はこれからも続いていくと思っています。これから新たに紡がれていく物語を楽しみにてしています。そしてこれまで「南三陸なう」を通して関わった皆様、お世話になった皆様ありがとうございました。

    豆腐を咥えて獅子が舞い厄払い~波伝谷春祈祷~

    【メッセージ⑦】ライター 松村さん

    「南三陸のなう」のおかげで、人生最速で自分が暮らす「まち」「人」への愛着が湧きました。

    コロナ禍で縁もゆかりもない、知り合いもいない南三陸にふらっと移住してしまいましたが、およそ2年に渡り、記事の執筆や動画の制作など情報発信業務に携わることができたおかげで、あっという間に情が湧きました。

    町のイベントひとつとっても、ただ「参加する」のと「取材する」のでは、情の湧き具合が倍以上違ってきます。主催者の思いや、準備過程、訪れたお客さんの反応などを取材、時にはディープなお話を聞きながら、それを町の「魅力」としてお伝えするため、力を注いできたつもりです。

    私の拙い文章や映像で町の魅力がどれだけ伝わったかは分かりませんが、いつでも笑顔で取材に快くご協力いただいた町の方々に心より感謝いたします。

    ありがとうございました。

    志津川高校から南三陸高校へ 今の思いをワインラベルに託して

    これまでたくさんのご協力誠にありがとうございました

    今回メッセージをいただいたみなさん以外にもたくさんの関係者のご協力のもと12年間にわたる南三陸なうを運営し続けることができました。

    復興期においてこれだけ継続したメディアを運営しつづけた自治体は他にはありません。1500本以上の記事一つひとつが大きな財産となり今後も残っていくことでしょう。

    今後の方針などについて決定したら改めてお知らせいたします。

    ここまでご覧いただいた皆様、そして取材等に快く協力いただいた皆様に改めて御礼申し上げます。
    誠にありがとうございました。

    復興の足跡を描き続けてきた「南三陸なう」。2023年度末で一区切りを迎えます。

    2012年より始まった町公式メディア「南三陸なう」は2023年度をもって一区切りとなります。これまで12年間で公開した記事は約1550本。一つ一つの記事が未曾有の大震災から復興に向かう南三陸町の足跡です。公開される記事も復興のフェーズにあわせて変化。それぞれの年代で特徴的な記事を引用しながらこの12年間を振り返っていきます。

    【初期】目まぐるしく変動する復興期のアーカイブメディア

    「南三陸なう」は2012年12月、町公式ブログとしてスタートしました。

    ブログ立ち上げのご挨拶

    私たち南三陸町は、たくさんのご支援に支えられながら、一歩一歩、着実に、復興に向けて歩み始めています。このたび、そんな頑張っている復旧・復興の現場の様子を紹介するブログを立ち上げました。

    いただいたご恩に報いる、その一つの方法が、私たちが復興に向けて、様々取り組んでいる姿をお伝えすることだと考えております。

    また、町民のみなさまにもご覧いただき、町民どうし、お互いを勇気づけるきっかけにもなればと期待しています。

    南三陸町の「今」に、どうぞご注目ください!

    (南三陸町長 佐藤仁)

    当時の南三陸町は復旧期の真っ只中。復興作業のために日々町の中をトラックが行き交い、町内各地で造成工事が始まるというタイミングでした。未曾有の大震災からの復興過程を些細なことでも記事として記録。復興のアーカイブメディアとして価値を生み出していきました。

    漁協直販所オープン

    防災集団移転促進事業の着工式

    歌津寄木・韮の浜地区の造成工事(着工から6ヶ月)

    【中期】新たな町へ挑戦する人々のストーリーを追う

    2016年度より一般社団法人南三陸研修センターが受託し、WEBページも一新。2015年3月末をもってボランティアセンターが閉所するなど町の復興におけるフェーズが変化したことに伴い、復興におけるアーカイブメディアの側面を持ちつつもより南三陸の魅力や、そこに携わる人にフォーカスをあてたWEBメディアへとリニューアルしました。

    特徴的なのは「連載特集記事」として、「復興計画」「子育て」「なりわい」「人」などテーマ性をもとに連載を始めたことです。単発の記事としてではなく、連続性を持たせ、よりストーリーや背景の物語までしっかりと伝えていくメディアとなりました。

    隈研吾氏のグランドデザインで描かれる新しい町のイメージとは?

    地域子育て支援センターってどんなとこ?

    病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

    また、同時期には情報発信事業として「南三陸なう」と連動しながら、Date fmエフエム仙台において南三陸町の紹介番組「みなさんぽ」を放送。毎週水曜日12:30〜12:55というランチタイムに、ラジオパーソナリティ庄子久子さんが町のみなさんのところにお邪魔しながらさまざまなお話を伺っていきました。

    2年間続いた本番組を通じて県内多くの方に南三陸町を知っていただけたこと、たくさんのメッセージを番組宛にお寄せいただけたこと、改めてこの場で御礼申し上げます。ありがとうございました。

    この時期の南三陸町は、復興事業の完成が目白押し。高台造成地区・復興住宅の完成、三陸自動車道の開通、本設となるさんさん商店街のオープン、役場新庁舎・生涯学習センターのオープン、サンオーレそではま海水浴場のオープンなど、毎月のように町内各所でテープカットが行われるほど、復興から創世・まちづくりへと移ろいを感じる時期となりました。

    南三陸の門出!「さんさん商店街」待望の本設オープン!

    志津川ICから南三陸海岸IC開通!さんさん商店街など中心部へのアクセス向上

    南三陸町内すべての災害公営住宅が完成!! 復興事業の一つの区切り

    【後期】南三陸町に眠る資源を可視化し魅力を伝える

    2020年4月からは町公式のYoutubeチャンネルが本格運用開始。時を同じくして、世の中はコロナ禍となり観光業がメイン産業のひとつである南三陸町も大きな影響を受けました。一方、リモートワークやオンライン化が進んだこともあり、移住者は増加。地域おこし協力隊として町政に参画するメンバーも増加し、動画と連動しながら移住者の魅力や取り組みを積極的に紹介。

    さらに、民話や史跡、志津川湾の魅力、郷土芸能など南三陸町がもともと持っている価値を改めて記事として紹介することで魅力を紹介してきました。

    【福興市100回開催に向けて①】不屈の商人魂。市から福を興す/山内正文さん

    時代と共に変化してきた郷土芸能~長清水鳥囃子~

    シリーズ 入谷は民話の宝庫なり 第4景 坂の貝峠~残谷

    一本一本の記事が南三陸町の復興の足跡

    南三陸のものがたりを紡ぐWEBメディアとして2012年の立ち上げから2024年3月末までで1550本ほどの記事を公開してきました。この一つ一つの記事は、1000年に一度と言われる未曾有の大震災から、復興そして地域創生へと遂げてきた南三陸町の足跡そのものです。東日本大震災以降も数多くの災害が頻発している国内において、南三陸町の辿ってきた道のりが将来誰かのヒントになることを願っています。

    これまで記事を楽しみにしていただいた読者のみなさん、誠にありがとうございました。

    一旦公開は休止となりますが、今後のWEBページに関しての方針が決まり次第また掲載いたします。

    南三陸町はこれからも歩み続けていきます。

    ぜひ今後の南三陸町に注目いただけますと幸いです。

     

    南三陸高校のミライを考えよう!高校魅力化カイギ!

    自分達が通う高校の未来について考える授業が南三陸高校で行われました。普段なかなか意識することのない「学校と自分の未来」について、先輩と後輩がそれぞれ考えることを話し合いました。

    校名が変わった初年度の終わり。

    宮城県志津川高等学校から宮城県南三陸高等学校へと校名が変わり、はや一年が経とうとしています。
    この1年は南三陸高校にとって初めてのことだらけでした。

    満開の桜が迎える“南三陸高校”の新入生たち。全国募集で集まった5名の生徒も入学!

    南三陸高校で地域の課題解決に挑む「地域学」がスタート!地域の魅力をラップで表現したPVが完成!?

    先生や生徒、そして地域にとっても初めての挑戦だった1年を振り返り、改めて「高校魅力化」とは何なのか。生徒たちがどのような1年を過ごし、次年度をどのように過ごしたいのかを話し合う授業が3月19日(火)に南三陸高校にて開催されました。

    生徒と教職員以外にも校内の公営塾「志翔学舎」の講師の方々なども参加しました。
    佐々木さん曰く、当日までとても緊張しながら準備したとのこと。

    全体進行を務めたのは魅力化コーディネーターとして高校に配置されている佐々木翼さん。宮城県内出身で東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科を卒業。在学時代から日本各地の地域に飛び込み、コーディネーターとしてのスキルを学んでいました。

    佐々木さんの念願でもあった今回の授業の様子をお届けします。

    考えてみよう!自分の1年。

    今回の授業は「南三陸高校魅力化カイギ」と題され、「①高校魅力化という自分のまったく外側にあること ②学校(クラス)という、自分のちょっと外側にあること ③自分自身のやったこと、やりたいこと(志) という3つの視点から学校生活を考えることで、 自己実現と他者への貢献の双方を実現する方法を考えるきっかけにしてほしい」と佐々木さんは生徒に説明します。

    テストや部活、授業などが並ぶ。

    カイギがカタカナで書かれたことについて佐々木さんは「多様な意見を話し合う場として「会議」があると思うんですが 何かを決めなきゃいけない、何かを言わなきゃいけない、 ちゃんとしなきゃいけない場だとは思ってほしくなかったので カタカナの「カイギ」をにして、柔らかい雰囲気にしたかったという意図がありました。 」当日はその意図が伝わってか、多様な意見が表明できる、安全安心で前向きな明るい場になっていた気がします。

    まずはじめに考えやすい「自分の1年間」を振り返り、今年わたしが頑張ったこと、誰かと頑張れたこと、もっと頑張りたかったことをワークシートに記入していきます。

    個から他者(友人など)との繋がり、自分とその周りとの1年と「理想」としていた目標などを振り返りました。

    学校行事やテスト、部活動など身の回りのことが多く書かれています。

    この授業は1年生と2年生合同のため、グループもあえて両者が混ざるように分けられました。先輩の目線、後輩の目線をお互いが知ることも大事な要素です。

    ”最先端”の学びがある町

    1年の振り返りの後、佐々木さんから島根県での事例として島留学が紹介されました。
    島根県立隠岐島前高等学校では全国から学生を募り、これまでに200人以上の生徒を受け入れてきた実績があります。

    生徒数が減る中で出来ることを増やすには、地域との連携が不可欠と語る。

    「隠岐島前高等学校がある島根県は南三陸と同じく課題先進地域と言われていました。その町で最先端の課題に立ち向かう、最先端の学びが得られる町の高校ということを武器にしました。困難もおもしろいと思えば、人もモノも集まってくるんです。」

    困難や悩みに対して受け身ではなく「ではどうしたいのか」という思考を育てるワークへ。

    課題があることはマイナスではなく最先端の学びがあるというプラスの考え方をもとに、南三陸高校の良いところと「もっとこうしてほしい」という本音を曝け出すワークに移ります。

    本音のもったいないところ

    「ココを変えたい!こうしてもらえたら嬉しい!」の欄に生徒たちは赤裸々に想いを綴ります。

    欄からはみ出してしまうくらい想いが詰まった生徒も。

    「良いところは先生が温かいところ」「ぶっちゃけいらない校則があって、それを変えたい」「もっと町の自然を活かした取り組みがほしい」など、普段の学校生活で思い当たる節があるのか、スラスラと書いていきます。

    「なんでも言っていいんですか?」と前置きを挟んだ後に、次々と理想の学校生活が出てくる。

    「帰宅部がほしい」と書いた生徒に『なんで帰宅部が欲しいの?』という問いが投げかけられました。答えは「入りたい部活がないんです」とのこと。

    ここで『そうか、なら仕方ないね』で止めずにもう一歩踏み込んで、
    『じゃあ、どんな部活があったら入りたい?』と理想を探ると、「ダンス部があったら入りたい!K-POPとか、ヒップホップを踊ってみたい!」という本音が聞けました。

    同じ班にいた男子たちは「じゃあおれは男子バレー部がほしい!」「ドローンレース部とかあったらいいなぁ」「そもそも学校の部活に強制的に入らないといけないのが嫌だ」などなど意見が続出。
    教員やコーディネーターの問いかけ次第で、生徒たちの本音を引き出せることに繋がります。

    生徒の数だけ未来がある。

    「こうしてほしい」「ここが気に入らない」に対して、「じゃあ理想は何だろう?」と否定だけで終わらせずにそれを想起させている要因を探ること、理想を叶える上で生徒自身の「できること」は何なのかを一緒に考える時間を楽しめるか否かが今後重要になるのではと感じました。

    わたしの「マイプロジェクト」

    授業の最後は、志と取り組むプロジェクト名を考えてグループ内で発表。
    これまでの振り返りと理想を話したことで、それぞれの本音が見えるプロジェクトが完成。

    一人一人自分のマイプロジェクトを発表していく。

    初めての試みで最初の方は緊張や戸惑いが見られましたが、徐々に笑顔が増えて発表しやすい雰囲気になっていったのが印象的でした。

    楽しそうに未来と理想を語る姿は希望そのもの。

    マイプロジェクトがアクションに繋がるように、4月からの新学期が楽しみになりました。
    彼ら地域の若者の成長を町全体で応援し続けたいです。

    物怖じせずに理想とする未来へどんどん突き進んでいってほしいですね。

     

    子育ての悩みを話し合おう。みんなで子育て作戦会議しゃべりば!

    町内の子育てママとパパが集まって日々の悩みや課題をシェアできるイベントが生涯学習センターで行われました。町の職員や地域の方々も参加し、活発な意見交換となりました。

    「やってみよう!」の1回目

    今回のイベントの主催は南三陸町、共催にNPO法人ウィメンズアイと「みなはぴ」と、町内の子育てに関わる団体が中心となり南三陸町生涯学習センターで2024年1月28日(日)に開かれ約30名の方が集まりました。

    子育て現役世代以外にも教育関係者なども参加しました
    参加者は町内の子育てママとパパ。お子さんを預けて安心した気持ちで参加することができました。

    会の説明で町役場保健福祉課の及川課長から「本日は第1回目ということで、トライアルの場として1回やってみよう!というところからスタートしています。なので、皆さんが日頃感じている子育てに対しての悩みとか想いとかそういった部分をどうぞ遠慮なく今日この場でお話をしていただければと思います。」と、これを機に継続していくことや出た意見は役場に持ち帰り検討していくことが伝えられました。

    役場担当課の職員さんも参加しています

    みなはぴの活動

    南三陸子育てハッピープロジェクト、通称「みなはぴ」は昨年4月から活動を開始。町内のママ約10名を中心に子育てに関する情報発信や子育て世代向けのイベントの開催など「子育て世代のあったらいいな」の声に寄り添った活動を続けてきました。

    ▽過去の活動紹介記事▽

    子育て改革のキックオフ!ニーズ調査結果共有会

    地域で子育ての支えあい「あずかりあいっこ」トライアル運用スタート!

    インスタグラムのアカウントを9月に開設し、4ヵ月でフォロワーが300人を突破、投稿数は40以上。内容は行きやすい公園や飲食店、町内外近辺の遊び場の他、みなはぴの活動レポートやミーティングの様子などもアップしています。
    みなはぴの公式インスタグラムはこちら▽
    https://www.instagram.com/minahappy_minamisanriku

    2人のお子さんのママである末松さんは関東からの移住者でもあります

    情報発信についての報告をした末松知華さんは「遊び場や飲食店の投稿はみなはぴメンバーが実際に足を運んで取材し、子連れに優しいポイントや子ども向けのメニューなどの最新情報を載せています。私自身も普段通っている飲食店に子供椅子はあったかなど、なかなか覚えられないので思い出すために投稿を見返してから出掛ける時があります。」と投稿内容について説明し、投稿へのリアクションやシェアを通じて徐々に輪が広がっているのがとても嬉しいと取り組みの成果を語りました。

    集まって話し合う場の意味

    後半はグループに分かれて「取り組みの報告を聞いていいなと感じたこと・気になったこと」と、「町と協力して子どもが地域で楽しく育つためにこんなことが実現したらいいな」の2つをそれぞれ付箋に書いてまとめるグループワークが行われました。

    付箋1枚につき意見を1つずつ書いていきます

    今回のイベントで知ったことも踏まえ、それぞれの感想や普段から抱えていた疑問などがシートに貼られていきます。各テーブルにはみなはぴメンバーが進行役でつき、参加者が気軽に意見を出せるようサポートしていました。

    出された意見を整理したり、書かれていない感情や思いなども汲み取っていきます
    意見が発展するような声がけも大事です
    みんなで協力しながらこの場を作っていきます

    次の一歩のためのみんなの声

    グループのメンバーを2回変えてワークは終わり、各テーブルで出た意見をまとめて全体共有となりました。

    どんな意見が集まったのかの共有
    特にどのようなテーマの意見が多かったのかなど、テーブルごとに色が出ました
    どの意見にも「分かる分かる」と頷く参加者たち

    現在の支援策や取り組みの中で改善が望まれる意見もありましたが、それらに対して「ではどうすれば良いのか」を模索するワークになっていたのが印象的でした。例えば「土日に子どもを遊びに行かせる場所がほしい」という意見で終わらず、「今ある施設に自由に行けて遊べる部屋があっておもちゃを持参するだけという場所が欲しいです。雨の日や暑い日でも寒い日でも外で遊ぶのが難しい日が増えているから、そういう場所が増えると助かる。」といった、具体的で実現の可能性が高い案となって発表されていました。

    こんなことができたらいいな「室内遊び場が欲しい」
    この取り組みがいい!「ママたちが困りごとを自分たちで解決しようとみなはぴで活動していること」
    活動や支援策への感謝と、疑問点など

    その他にも、みなはぴの活動で一時預かりが始まったことで育児の選択肢が増えたことの感想や、自分と同じ子育てママたちが考えて活動してくれることが今の子育て世代のニーズに合っていることなど、活動へのポジティブな意見が書かれた付箋も数多く見られます。

    活動を進めるなかで特に大事なのはこうして集まることだと話す栗林さん

    会の終わりにNPO法人ウィメンズアイの栗林さんから「今日はこんなにたくさん集まっていただきましたが、町の中で子育てをしている人たちはたくさんいて、困りごとを抱えている人たちもいると思います。そういう人たちがこの場に出てきても良いかな、参加しようかなって思ってもらえるようにこの場を継続していけたらいいなと思います。」と感想を述べ、1人で悩まず集まって話し合える「しゃべりば」の可能性と必要性が感じられる記念すべき1回目となりました。

    かつての先生と教え子の再会などもあり、会場は終始笑顔に包まれていました
    パパとしての悩みや意見は大変貴重です。子連れでも見守ってくれる、抱擁してくれる環境がありがたいですね

    南三陸町の海鳥の不思議!第27回南三陸自然史講座

    南三陸町の海鳥に関する講座が開かれ、南三陸町出身の佐藤賢二さんによる研究結果が報告されました。普段何気なく見かける鳥たちはどこから来て、町のどこで生活しているのでしょうか。実は知らなかった「海鳥にとっての南三陸」について深く知る機会となりました。

    観測が困難な海鳥たち

    1月18日(木)に南三陸の海鳥についての講座が生涯学習センターで開催され、講師である佐藤賢二さんによって多くの興味深い情報が提供されました。実は南三陸地域での海鳥の観察は難しく、特定の場所で確実に見られるというわけではないためその存在場所は未だ不明確です。「南三陸の志津川湾海溝は暖流と寒流がぶつかることで良好な漁場となっていますが、海鳥が集まるとされる場所の特徴が南三陸町の志津川湾海溝には見られません。」生息場所や観測条件が難しいなか、佐藤さんはどのようにして研究を進めたのでしょうか。

    志津川湾で見られる海鳥を解説する佐藤さん
    この日の参加者は町内外合わせて約20名

    変化する生息区域

    講座では、主要な海鳥の種類やその特徴についても詳細に説明されました。ミズナギドリ類は比較的よく見られ、その中でもオオミズナギドリが最も一般的で年間を通じて観察されています。

    目にしたことはあるが名前までは知らなかった鳥たちが数多くいました

    アホウドリ類やウミツバメ類も南三陸で観察されるが、特にウミツバメの行動については日中の行動が不明瞭で、沖に船で出ても見つからないこともあるそうです。この点について佐藤さんは「天敵であるカモメに食べられないよう、遠くに行っているのかもしれません。また、地球温暖化の影響なのか昔は見られなかった時期、種類の鳥も南三陸町で確認することが増えました。」と説明し、鳥同士の生息範囲や行動の把握も難しいことが報告されました。

    観察のための新たな取り組み

    その後、南三陸での海鳥の観察方法についても言及され、志津川湾では海鳥が見かけにくいため餌を使用して海鳥を誘引する方法を実施。すぐに効果はでなかったが2時間もすると130羽近いアホウドリが集まってきたという報告がされました。

    餌に釣られ瞬く間に集まったアホウドリ

    「観察して分かったこととして、他の鳥(カモメなど)が餌に来るのを見て、アホウドリが集まったこと、えびせんなどはアホウドリにとってはあまり美味しくなかったこと、アホウドリはサメの肝に一番集まるが入手が困難でさらに非常に臭いので注意が必要でした。」当時を振り返り、佐藤さんは餌の有用性と扱いの難しさに苦労したと話します。

    未開拓領域の多い自然環境

    さらに、南三陸地域での海鳥の繁殖に関する問題点も議論されました。特に、ウミツバメとオオミズナギドリの営巣範囲が重なり、繁殖地の競合や環境への影響が懸念されていることが明らかに。

    「生息区域が最南、最北のものが多いがそれらがここにいる条件すら分かりきっていません。調査を進めたいのですがそれが難しい理由が多くあり、簡単に解決できるものでもありません。」

    生息分布もわかる範囲で細かく示され、昔とは異なる時期に見られることも分かりました。

    そんな中でも佐藤さんは南三陸町が秘めている可能性として次のように述べました。「南三陸町では他の海域で海鳥が集まるとされる条件とは合わなくても海鳥がいる。これには南三陸町特有の条件、例えば浅いところで暖流と寒流が交わるなどが可能性としてあります。また、海鳥の繁殖地の多くは無人島で、町内には数多くの無人島があるため繁殖地としてのポテンシャルも高いです。」

    一概にカモメといっても種類によって生息区域は大きく異なる
    素人目にはとても分かりづらいが実は多様なカモメたち

    佐藤さんが挙げた調査の難しい点としては、船が必須であること、島への上陸許可などの申請、そもそも島が岸壁のため船付場がないなどがありました。加えて、海鳥の繁殖を阻害してしまうドブネズミが椿島でも観測され、鳥以外の植生物への影響も懸念されます。そのためにも生息状況の調査が必要だと強く訴えました。

    まだまだ調査の壁が厚い状況

    多くの謎と魅力が残る南三陸の海鳥

    最後に参加者との質疑応答のセッションでは、ドブネズミが南三陸町内の海鳥の繁殖地に影響を与えている可能性や、海鳥の繁殖地がなぜ地下に作られるのかといった疑問について議論されました。これらの情報は、南三陸地域における海鳥の生態やその保護に向けた取り組みを理解する上で非常に重要なポイントで、佐藤さんらも原因と実態の究明のために少しでも多くの調査を実施したいと述べました。

    ウミネコとカモメの現状について

    研究地としてまだまだ未知の部分が多い南三陸ですが、これらが解明されたときに南三陸町として新たな魅力になることが期待されています。

    おせっかいが笑顔を作る。お母さんたちの縁側日和

    南三陸町歌津の田の浦地区では月に1度“お茶っこ会”が開かれています。縁側日和と名付けられたこの時間は、地域の方にとって大事な「役割のある憩いの場」となっていました。

    地域のお茶っこ会、縁側日和とは

    2024年3月3日(日)に南三陸町歌津の田の浦地区で開催された『縁側日和』は、所謂“地域のお茶っこ会”です。このお茶っこ会と呼ばれる活動は東日本大震災以降サードプレイス(職場や自宅とは異なる、居心地の良い第3の居場所)として多くの地域で行われるようになった活動の一例であり、当時は仮設住宅などで暮らす方々が震災前の日常を感じられるものでした。

    拠点となっている田の浦ファンクラブの事務所

    縁側日和の活動は昨年10月から始まり今回が6回目。毎月第3日曜日に開催しており、その日は道路沿いにのぼりを掲げてお知らせしています。

    特別な「何でもない時間」

    前述したとおり、いつもの縁側日和は「住み慣れた地域で暮らしたい」という参加者の意見を汲み、震災前のご近所付き合いのような活動を開催してきました。みんなで集まりご飯を食べつつ、最近の出来事や懐かしい話に花を咲かせる。何でもないその時間が、いかに大事だったかを教えてくれたのは震災でした。

    みんなで集まってご飯を食べる。シンプルだが地域にとってとても大切な時間。

    そうした日常をまた紡ぐように「おせっかい」が大好きな運営メンバーでこの活動が始まりました。

    お客さんは高校生

    今回は初めて地域の外からお客さんを招きました。声をかけられたのは昨年、全国募集で南三陸高校に入学した生徒たちです。

    南三陸の印象や好きな場所を聞かれる生徒
    手前からけんちん汁、お漬物、ハンバーグとタコ飯

    縁側日和代表の三浦日和(ひより)さんは「外から来た子たちに、この町のご飯と地域の方を知ってもらいたいと思いご招待しました。これがきっかけで高校生や町の学生が顔を出してくれるようになったら嬉しいです」と話し、この日はお母さん方お手製のタコ飯とけんちん汁、ハンバーグやお漬物が並び、料理も楽しみつつお母さん方も普段なかなか話すことのない高校生との会話を楽しみました。

    他の地域のおせっかいおばちゃんクラブの活動に影響を受けたと話す日和さん

    縁側日和がもたらす地域への効果

    震災後から南三陸町を訪れ、地域活動を研修している地域福祉研究所の本間先生は今回の縁側日和の活動の感想で「ここはただ集まるだけではなくお母さんたちが“役に立つ”場にしている。誰かの役に立っている瞬間が人が一番輝くもの。それらが楽しく生きる活力にも繋がっていると感じています。この場を作る上で年齢や特別なスキルは関係ありません。そして、お母さん方がやっていること(料理や準備など)を見ると分かる通り、特別なことじゃなくていいんです。それでも誰もが誰かの役に立てるのです。」と述べ、誰もが関われる、優しい支え合いの形がここにありました。

    無理せず誰かの役に立つ。溢れる笑顔が「また今度ね」に繋がる。

    これからもこの縁側日和では「なんかいいなぁ」と思える居場所作りが、地域の方が集まってお茶を飲む日常の延長線にある幸せとして続いていくでしょう。

    (後編)南三陸いのちめぐるまち学会、この町に研究者が集う意味は。

    南三陸町で進められている様々な研究の数々の発表が行われる「南三陸いのちめぐるまち学会」の第2回が11月23日(木)に開催されました。この記事では学会当日に発表された、南三陸町を舞台に進められている各種研究発表の後半の様子をレポートします。

    再生エネルギーの課題と南三陸の資源

    カオスな学会も後半に入りました。すでに筆者の頭の中は情報過多ですが、それ以上に南三陸という地方がこれほどまでに研究者を唸らせる土地だということに感動しています。

    前夜祭、学会前半の記事はこちらから。

    (前編)自然×妖怪?南三陸いのちめぐるまち学会“前夜祭”編

    (中編)南三陸いのちめぐるまち学会第2回大会“カオスな大座談会”!

    第1部3つ目の研究プロジェクトは宮城大学の西川真純先生による「地域と育むカーボン・サーキュラー・エコノミー拠点」について。

    西川先生は宮城大学の副学長も務め、震災後の産業復興支援や海産物由来の機能性素材の開発などを研究テーマとしている。
    こちらの研究にも様々な分野の教授陣が関わっている。

    脱炭素社会に向けた日本国内の動きとして、温室効果ガスの削減とそのために従来の化石燃料から再生可能エネルギーの転換などが政策として進んでいます。しかし、再生エネルギーが抱える課題として天候の影響を受けやすいことやその土地の景観と生態系への影響が懸念されており、地方には自然環境と経済が共存する地域社会、社会価値の創造が求められているという現状があります。

    脱炭素社会は地方の問題ではなく日本全体で取り組む課題である。
    南三陸が持つ雄大な自然は地域資源としての未来も含んでいる。

    そこで、南三陸が持つ志津川湾の藻場資源を磯焼けから回復させ、ブルーカーボン資源にしよう!というのが今回の本題になります。

    緻密な現地訪問と調査、ワークショップの実施

    まずはウニの現状を調査。磯焼けの解決には増えすぎたウニの間引きが必要なことが分かりましたが、漁師さんたちは磯焼けによって身入りが悪くなったウニを獲らないこも判明しました。そこで、磯焼けウニを養殖することで身入りを改善し商品化、ウニの加工も手作業にはある程度のスキルが必要なことやその従事者の減少への対策として作業のロボット化を進めることでコスト削減と生産性の向上に繋がります。結果として藻場は再生し、ブルーカーボン資源に近づくことができるという筋書きが出来ました。

    ウニの磯焼けは事業者と海の環境に多大な影響を及ぼしている。

    研究チームは南三陸町で3回のワークショップを開催。環境課題をテーマにのべ79名の町民が参加し、様々な意見を集めました。

    住民の意見も踏まえた未来構想を練る時間となった。

    その結果、環境ポジティブをキーワードに南三陸町のカーボン・サーキュラー・エコノミーのビジョンが見えてきました。ワークショップの際に挙がった「地域の二酸化炭素の見える化」や「関わり方の仕組み作り」という意見に対してのアンサーにもなっており、地域住民がそれぞれの立場から関わることで、持続可能な地域としてカーボンニュートラルを達成できる未来を描くことが出来ました。

    ワークショップの意見をもとにしたビジョンとターゲット。
    どのような循環が理想的かを図にしたもの。

    第2部:文系の視点を深掘りする

    続く第2部では、静岡文化芸術大学の内尾太一准教授らによる文化人類学についての講演。震災直後の4月から南三陸に入り、今日に至るまで様々なフィールドワークを行ってきました。活動を続ける中でその研究が「深さ」と「遠さ」がキーワードであることに気付いたと言います。

    内尾先生は震災後の5年間を集中的に訪れ、その震災復興の過程を追いました。

    「南三陸町で震災の歴史を調べるうちに、遠く南米のチリとの繋がりが見えてきました。イースター島から寄贈されたモアイ像のルーツを辿るべく、実際にイースター島に足を運びました。現地で見たのは、東日本大震災の翌日に、チリに津波が押し寄せ被害が出ていたことです。」

    現地で見聞きした際のメモ。海岸沿いの家屋が流失しているのが分かる航空写真。

    1960年に起きたチリ地震津波の時とは逆で、東日本大震災の津波がチリのプエルト・ビエホに襲来し、100軒近い民家が流失、幸いにも犠牲者は出ませんでした。イースター島では南三陸町に寄贈されたモアイ像を造った方にもお話しを伺い、モアイツーリズムを通じてチリと南三陸町という町外の繋がりを見出しました。

    ▷内尾先生がチリを訪問した際の寄稿記事はこちら

    チリ地震津波から60年。3.11のチリの被災地を訪ねて(前)【寄稿】

    日本国内にモアイがいる場所は約80ヶ所。その中でも南三陸のモアイは唯一無二の存在。

    南三陸から遠く離れたチリでの研究の後、最近では震災当時に三陸沖から諸外国の海に流れてしまった震災起因漂流物を調査し、それらによる生態系への影響を調査中。南三陸から始まった研究は北米までつながりました。

    南三陸からチリ、そして北米までが震災を通して繋がった。

    「南三陸を深く掘り下げるうちに、思わぬところで遠くに繋がりました。これが経験と探索の時間が跳ねる瞬間だと捉えています。この瞬間はいつも町の人との対話から生まれ、私たち(文系研究者)のやっていることは本質的には誰かとの協働作業であり、そうすることで一緒にこの町の新しい物語を紡いでいくことでもあると考えています。」

    南三陸の文化人類学―今ここから、深くー

    先ほどの内尾先生に続き山崎真帆さん(東北文化学園現代社会学部助教)と、菅原裕輝さん(大阪大学大学院人文学研究科特任教授)のお二人による発表。山崎さんは学生時代に震災後のボランティアとして南三陸に通い、現在は仙台で教鞭をとりつつ休日は南三陸で暮らしています。

    現在は移住者や移住後に家庭を持った女性などを対象とした「被災自治体への移住者」をテーマにした研究に取り組まれています。

    発表では南三陸が現在の形にまとまっていく過程に着目し、町がハマ・マチ・ヤマという3つの集落に区分していることからこれまでの暮らしや災害の現れ方を深掘っていった過程を紹介。

    南三陸の地形から見る自治体の区画変遷について。

    その中で、入谷地区(ヤマ)は志津川地区(ハマ)が災害に見舞われた際にすぐさま救助活動や炊き出しが始まったことから、古くからそうした助け合いがなされていたこと、それぞれの暮らす集落で果たす役割が歴史的にも存在していたことが語られました。

    震災前の災害でもオカ(隣接内部の市内)からの繋がりも記録されていた。
    震災からの復興で新たに創出された価値を使ったブランディング。

    「文化人類学とは“今ここで起きていること”を理解するために深く深く掘っていく作業です。掘っていく先で私が辿り着いたのが『めぐり』で、私自身住民であり研究者としてこの町に根ざした『めぐり』に参加していきたいです。」

    菅原さんの専門は科学哲学と科学技術社会論。データを使った量的研究と聞き取りなどを活用した質的な尋問社会科学研究の融合を目指した研究を進めている。

    菅原さんは「移住者の未来像」をテーマに南三陸町のビジョンと、移住者の未来像についてインタビュー調査を実施。南三陸のビジョンに共感し移住後の生活を楽しむ一面と、都会と異なる収入や生活の違いからくる「未来のなさ」を理解し、広く共有することが今後必要になると話します。

    聞き取りでも参加観察方法の「エスノグラフィ」は、生活を共にする中で得られる情報を元にしている。
    移住者が持つ「期待の社会学」についての調査。

    「移住者が持つまちづくりの未来像、価値観を共有することが大事です。自然との共生以外にも経済など社会的視点を重視させるような形でローカルなビジョンをアップデートする必要があるかもしれません。」

    移住・定住支援センターが発信する南三陸のビジョンと、それを受けて実際に移住された方のポジティブな決め手。
    同じ未来でも都会を知っているが故の不安や将来性の危惧などをどのように払拭できるのか。
    今後どのような未来予想図が描けるといいのか。

    まちと研究者の両者による未来の開拓

    会の最後は31団体のポスターセッション。2つの会場を使って企業の取り組みや研究内容を掲示します。町内からも14団体が参加しました。

    ポスターセッションの会場では、集まった方々同士の立ち話もヒートアップしていた。

    理系文系問わず、南三陸町の自然環境を題材にした様々な研究活動が行われていることが伝わってくる2日間となりました。「被災地だから」ではなく、研究対象として価値のあるフィールドだから選ばれていることが随所から感じられます。

    東京大学大学院の学生が撮影した「来訪者」としての視点から捉えた水と生き物のかかわりを表現した歌津地区の写真展
    第1部でも発表があった環境DNA調査と生態分布図。
    震災後に戸倉のカキ養殖が大きく変わったことから、従事者の意思決定による戦略が進化ゲーム論を用いることで数理的に解析ができることを示した東京工業大学の先生による図。
    南三陸町の阿部拓三先生による地球温暖化で海水温が上昇した結果、志津川湾の生態系の変化について。

    会の振り返りでは「次年度は町の中高生も参加できる時期に実施してほしい。」「町内の方にもっと知ってもらえる機会にしたい。」など、学会の波及効果を高める案や、巻き込む人の層を広げていきたいという声が挙がりました。

    振り返りでは町民と研究者がそれぞれの班で交流し、好意的な意見交換となりました。

    総評を述べた中静透さん(森林研究・整備機構理事長)は「会を通した共通テーマだったものは“対話する”、生の声を聞くことでした。発表にもあった通り、研究はひとりではなく地域や住民との共同作業ということを忘れずに、これからも南三陸町での研究活動が深まっていくことを楽しみにしています。」

    研究活動はひとりで出来るものではないということを強調されました。

    地域の未来を広げ価値を高めていく中で、地域住民と研究者の方々がより手を取り合うことが何よりも重要だということ、南三陸というフィールドの希少性や町民がまだ知らない魅力について深掘りされた学会は熱狂の渦を残したまま閉会となりました。次回はよりカオスな会になることでしょう。

    2024年3月28日/定点観測

    南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

    戸倉地区

    撮影場所 [38.642969, 141.442686

    パノラマ

    志津川地区

    撮影場所 [38.675820, 141.448933

    パノラマ

     

    パノラマ

    歌津地区

    撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

    パノラマ

    他の定点観測を見る

    南三陸から能登への架け橋へ。災害派遣の記録。

    2024年の元日に発生した石川県の能登半島地震。復興に向けた動きが始まる中、全国の自治体から応援職員が駆けつけました。南三陸町から2度能登町に派遣された職員に、現地の様子を伺いました。

    ふるさとの力になるために

    役場職員の阿部克浩さん(38歳)。南三陸町出身で東日本大震災当時は宮城県警に勤めていました。

    写真右が阿部さん

    「当時は被災地での捜索活動や被災者対応をしていました。その中で地元のために何かできないかと漠然とですが思っていました。平成23年度中に自分が受け持っていた仕事がひと段落したのを機に3年半勤めた県警を退職し地元に帰る決意を固め、平成24年の10月から町役場で働き始めました。」

    こうして南三陸町に帰ってきた阿部さんは町役場職員として復興に進むふるさとで尽力する日々を送ってきました。

    能登町への派遣

    そんな中発生した2024年1月1日の石川能登半島地震。お正月の元旦という誰もが「まさか」と思うタイミングで起きた大災害。連日映し出される現地の被害状況は、東日本大震災当時の南三陸町や三陸沿岸部と酷似しているように見えました。

    混迷しながらも前に進む能登町に全国各地の自治体から続々と職員が派遣され始め、南三陸町からも役場職員が現地に向かうことに。

    1回目の派遣が1月26日から2月2日、2回目が3月14日から21日、それぞれ2名の職員が派遣され阿部さんは2回参加しました。

    「現地では主に被災家屋の被害認定調査を行いました。1回目の時は能登町の内陸部を、2回目は内陸部と沿岸部の地域を周りました。津波の被害は無かった場所でしたが、同じエリア内でも建っている家とそうではない家が隣接している場所でした。」

    被災家屋の外観調査

    被災した家屋の被害判定は被災者からの申請を受け実施されます。現地調査をし、被害判定を役場に届ける仕事ですが、ここの被害判定によって今後受けられる補償が変わってくるため、取りこぼしのないように細かく見て回ったそうです。

    「1次調査の時は主に外観で、2次調査(再申請)の時は外観調査では分からない家屋内部の傾きや破損箇所をチェックしました。そのため、1軒につき1時間程度かかり、1日で見て回れるのは4軒前後でしたね。」

    道路がひび割れなどで寸断され、地元の職員の案内で迂回して調査に向かう。

    調査の際には住民の方とお話しすることもあり、現在は住んでおらず遠方に避難していて調査に合わせて帰ってきた方や、休日に合わせて自宅の清掃作業をする方もいたそうです。

    「母家が被災して住めないが、新しい倉庫は無事だったのでそちらに住まわれている方もいました。他には土地の特性上、瓦屋根が使われている大きな古い家が多くありましたが、瓦が地震の被害に遭って落ちてしまったりズレて雨漏りの原因になってしまうのなども見受けられました。」

    揺れで倒壊してしまった家屋。

    古い家が立ち並ぶ農村部は、南三陸町の入谷地区と風景が似ているのが印象的だったと阿部さんは言います。東日本大震災時の被害と異なるのは、被害に遭った家が点在しており、同エリア内の公費による解体の同意が得られにくいなどまだまだ課題は多く残った状態だそうです。

    倒壊した家屋とそうでない家屋が隣接して立ち並ぶ。

    南三陸町から能登町へ。

    東日本大震災を経た南三陸町だからこそ、出来ることはあるのでしょうか。

    「これは私の個人的な考えですが、商業関連の復興に南三陸町の福興市のノウハウなどが活かせるではないかと。また、能登町は基幹産業は漁業でイカが特産品です。そういったところも似ているので抱える課題も同じものがあるのではないでしょうか。産業関連のコラボやイベントを定期的に開催するノウハウや集客の仕方など、南三陸町だからこそ出来ることだと思います。」と阿部さんは能登町と南三陸町の共通点を比較しながら答えてくれました。

    南三陸町の復興の原動力とも言える福興市。町内外の方々を数多く奮い立たせてくれたあの空間は、生きる力と生きる喜びを分かち合った場だったのではないでしょうか。

    【福興市100回開催に向けて①】不屈の商人魂。市から福を興す/山内正文さん

    先の見えない暗い夜道が続いていると感じている被災地の皆様へ。
    私たちだから言えることは、諦めずに歩けば光は差すということ。
    無理なく、自分にできることをできる範囲で。

    13年前にもらった恩をそれぞれの形で、関わり方で返せるよう考えていきたいです。

    いのちめぐるまちで見つけたタネを蒔ける人材に 地域おこし協力隊 星空之介さん

    令和5年7月以降、県内外から男女3名が新たに南三陸町の地域おこし協力隊に着任しました。そのうち神奈川県から移住した星空之介さんは、南三陸町が大好き。自分の目指しているものと近い思想を持つ方が多くいるこの町で、人材の育成や新規事業のタネを見つける役割を担います。自分が目指すものの実現に向けて、この町で歩き始めた星さんにお話を伺いました。

    目指している姿を形に

    神奈川県横浜市出身の星さん。大学では保全生態学を専攻し、絶滅危惧種保存に特化して学んできました。昔からそういうことに興味があったのか尋ねると「虫も魚も触れないような幼少期でしたが、気づいたら生き物が好きになっていました(笑)」とのこと。大学卒業後は、岩手県の水産加工会社に就職。復興庁主催の復興創生インターンでお世話になった会社が行っていることに共感し、移住を決めました。そして、前職での経験も活かしながら、『人も生き物も誰しもが生きられる世界を作りたい』という自身が目指すものをより実現できる環境に身を置こうと、いのちめぐるまちを掲げる南三陸町への移住を決意したそうです。

    地域おこし協力隊として一般社団法人サスティナビリティセンターに所属し、持続可能な地域づくりに貢献できる人材育成のプログラム開発や、資源を活用した新規事業の提案などに取り組みます。

    ミッションは地域資源を活用した人材育成や新規事業導入支援

    町が掲げる将来像『森里海ひと いのちめぐるまち』の実現のため設立されたサスティナビリティセンター。これまで、研究者や地域企業などと協力関係を築きながら事業を行ってきました。持続可能な地域社会を目指すこの団体に所属し、ネイチャーポジティブな社会創出に貢献できる人材育成プログラム開発と既存施設や地域資源を活用した新規事業導入の支援を行います。いのちめぐるまちを作るための思考力(ネイチャーポジティブをちゃんと考えられるような人々)を作るために、滞在型の教育事業をすぐに動き出せる形で作っていくこと。町内にある資源やまだ活用されていないものを見える化して、ネイチャーポジティブな新規事業のタネをどんどん発掘して、立ち上げられるような状態を作るということを、『いのちめぐるまちを作る』や『教育の視点』など、自身がすごく大事だと思っている視点を入れながら、活動していきます。

    ※ネイチャーポジティブ・・・自然資本を毀損しない、自然との共生をベースとした経済・社会活動の方法にシフトし、我々の生存基盤である生態系・生物多様性を回復させること

    星空之介さんにインタビュー

    協力隊として力を入れて取り組みたいことは?

    「協力隊としてのミッションを通じて、この町にある未利用資源をどんどん活用し、外に発信していきたいです。そういうことを通じて、しっかりと森里海ひといのちめぐるまちっていうこの町が、次の世代につながっていくようなことをしていきたい。僕が思ってる協力隊のミッションを本気で1つずつ丁寧にこなしていきたいです。町の人たちにとって当たり前になっていることも、実はそれ自体が価値であるということもあるだろうし、そこにただあるものとして見るのではなく、いろんな視点を入れながら、この町がどうなったらネイチャーポジティブな町として次の世代に続いていくかということを、まずこの3年間本気で考えてみたいなと思っています」

    協力隊を卒業する頃どんな姿になっていたい?

    「町の新たなタネや新規事業を見つけるポジションにいるので、それをちゃんと蒔いていける人材になりたいと思っています。それだけでなく、この町に来て『ネイチャーポジティブってこういうことだよね』というのを、ちゃんと考えていく若い人たちが増えてくれたら面白いなと思っているので、そんな世界を一緒に作っていけるくらい成長したいです」

    南三陸の好きなところは?

    「僕、湾が好きなんです!志津川にきて思うのは、この湾の地形が好きで、来れば来るほどこの場所の空気感にめちゃめちゃハマってます(笑)。地理的特性も好きで、そこにある文化とかも面白いなと思っています。だからこそ戸倉から志津川に帰ってくるとき、対岸側の夜景とかを見ていると美しいなと。昔の人はこれを見て何を思ったんだろうとか、湾があるからここにいる人たちの生活や生業があるんだと思うと、すごい面白いと思って。それを持続的に作ろうとしている南三陸町、超面白いじゃん!というのを、いつも湾を見ながら思っています。気持ちいいのが、夜景が明るすぎなくて良い意味でローカル感というか、心地よさを与えてくれます」

    上司との関係性は?

    「ダメな時はちゃんと指摘してくれて、どうすればよいかの考えを指南してくれる存在がいるというのは、安心感と学びを与えてくれて、日々すごい思考させてもらっています。さらにその中に愛情がある。親のような、近くにいると言いにくいこともあると思いますが、ちゃんと言ってくださるのは安心感100倍ですよね(笑)。毎日学ばせてもらっています」

    目の前の一つ一つを大切に

    「南三陸町の水生昆虫をいっぱい見に行きたいです。あと山にいるクワガタやカブトムシも結構好きなんで、そっちも見に行きたいし、何よりもここには川があるじゃないですか!川の生き物も見たいなと思っています」と、プライベートでも探求心が尽きません。

    今後の意気込みとして「生き物がたくさん見れて、その中で産業が作られる世界をこの町で見ていきたい。それを目指すために、日々一個一個大切に積み上げていければなと思っています」

    自分の核となる信念を持ち続け、その心に合致した環境や考え方が存在する南三陸町で活動する星さん。ネイチャーポジティブ成長社会の実現に向けて、一歩一歩着実に歩んでいくその姿に、期待が高まります。

    ※地域おこし協力隊

    地域おこし協力隊は、地方自治体から委嘱を受け、地域の魅力発信や特産品の開発、住民の生活支援など、さまざまな方向から地域を活性化させる活動に取り組む都市部からの移住者です。南三陸町では隊員が地域の生活になじむことができるよう、また起業・事業継承に向けたノウハウを学びながら活動に取り組めるよう、町内で活動している事業者・団体が隊員を雇用する形をとっています。