志津川地区の復興まちづくりにあたり、世界的に有名な建築家 隈研吾氏がデザインした『南三陸町志津川地区グランドデザイン』というものがあります。どんなデザインで、どんなふうに進められているのでしょうか?
『南三陸町志津川地区グランドデザイン』と隈研吾氏
南三陸町の入谷地区から志津川の町中を抜けて、志津川湾へと注ぎ込む八幡川。旧志津川町の中心部を南北につらなるこの川は、時には祭りなどの行事の場として、時には釣りなどのくらしの場として、時には癒しや憩いの場として、古くから町の人に愛されてきました。
八幡川の下流域周辺が、新たな志津川地区のまちづくりにおいても中心となっていきそうです。区画整理事業により、道路がどこに敷かれ、その周りにはどんな施設が配置されていくのか。住民や町役場の目線と共に、一体どういう町にしていこうか、という指針のため、『南三陸町志津川地区グランドデザイン』が作成されています。
グランドデザインを手がけたのは、世界的な建築家である隈研吾氏。近年では、新国立競技場のデザインをされたことで記憶に新しいと思います。
ちなみに同競技場デザインの最終候補となった2組は、仙台市「せんだいメディアテーク」を設計された伊東豊雄氏と、登米市「森舞台」や石巻市「北上川・運河交流館 水の洞窟」、そして南三陸町『志津川地区グランドデザイン』の隈研吾氏という、宮城にたいへん縁の深いお二方によるコンペでした。
今回はこの『志津川地区グランドデザイン』について、町復興市街地整備課の佐藤俊介さんにお話を伺ってきました。
新たなまちのイメージ『志津川地区グランドデザイン』
—まず、志津川地区グランドデザインとは、どういったものなのか教えてください。
現在、志津川地区の低地部では「区画整理事業」として嵩上げ工事が進められています。この市街地を、より魅力的かつ地域に調和した復興イメージを描こうと、「グランドデザイン」が作成されました。
—区画整理事業というと?
区画整理事業は、被災した志津川地区市街地を新たに嵩上げ・区分けを行い、土地を利用しやすいように再整備する事業です。もともとは土地の再開発における道路の線引きなどが中心となっており、その周りにどういったものを乗せるかなどは、ある程度プレーンな事業となっています。
そこで復興に向けて、新たなまちづくりを行うにあたってイメージしやすく、またより魅力的なものを乗せていこうと、『志津川地区グランドデザイン』というものを作成しました。
—なるほど、グランドデザインのテーマはなんですか?
大きなテーマとしては、「川や海との調和」そして「回遊性」というものに重点を置き、一体感を持たせた町を目指しています。民地を利用される方々にも「まちづくりルール」として、屋根の色や壁の色などの景観についても統一性を保つよう、協力をお願いしていく計画です。
「川や海との調和」と「回遊性」とは?
—「川や海との調和」と「回遊性」とは、具体的にどういったものですか?
例えば、国道45号をまたぎ市街地の中心を抜ける「しおさい通り」は海に向けてまっすぐに配置され、海への眺望が重要視されています。海や川沿いの防潮堤・河川堤の上は遊歩道として整備され、海や川を眺めながら歩いたり、周辺の施設を楽しむことができます。河川護岸の法面には部分的に階段状のブロックを使い、堤防の上から川面まで降りていけるような空間をつくるよう計画されています。
—歩いて楽しめる配置ということですね。
グランドデザインを考えるにあたっては、観光客の方々の目線と住民のみなさんの目線の双方を大事にしていこうと考えています。人々が市街地を歩くにあたって導線を意識し、商店街や道の駅が予定されている「観光・商業エリア」を起点に、対岸の「復興祈念公園エリア」や「しおさい通り」など、要所となるようなエリアを歩いて回れるよう計画されています。隈研吾氏がデザインされた「中橋」と、デザインコンペの進められている「みなと橋」の2つを通じて、観光要地や商業エリアなどを周回できるように導線がつくられています。
—交通手段はどのようになっていますか?
中心となる商店街の横にはバスターミナルの設置を計画しており、BRTや町民バス・高速バスなどでアクセスできるよう調整をしています。一般の自動車向けの大きな駐車場も併せて「道の駅」登録も目指しており、24時間使えるトイレなども検討されています。
グランドデザイン作成への経緯
—グランドデザイン作成までの経緯を教えてください
先述のとおり区画整理事業においては、道路と区画を作ることが中心であり、上に乗せるものについてはプレーンなものでした。昔の街並み・なつかしい町・自然との調和・大企業やショッピングモールの誘致など、どういう町にして行くのか。それまで、テーマとしてあがったアイデアは様々で、その筋道を決める必要があるなということでグランドデザインの作成に至りました。
—隈研吾氏は、この地域と縁があったのですか?
隈研吾氏は、隣の登米市「森舞台」や石巻市の「運河交流館」を手がけられており、地域とのご縁が多かったということと、こうした町づくりについてもお引き受けくださるということで、隈研吾氏に依頼させていただくことになりました。
作成にあたっては、志津川地区まちづくり協議会で出された意見や中間提言書も反映していただけるよう、隈先生にお願いしました。
—中間提言書を踏襲してデザインされたのですか?
中間提言書の中では『低地部の「自然・ひと・なりわいの紡ぐまち」の創出』と自然というものが意識されており、隈先生は都市的なデザインというよりも自然との調和を生かしたデザインを得意とされていますので、町民の方々の意見も盛り込まれた形になっていることと思います。
また町民のみなさんに向けての報告会も開催し、200人ほどの方にお集まりいただきました。
段階的に整備を行う中心市街地
—現在の進捗状況や、今後の予定を教えてください
まずは「さんさん商店街」については、「さんさんの日」ということで、平成29年3月3日のオープンに向け整備が進められていて、間もなく7月中くらいには工事も着工される予定です。まちづくり会社「株式会社まちづくり未来」を主導に、隈設計事務所の設計、駐車場等は町と共同によって整備していきます。
次に「しおさい通り」ですが、もともと土地を持っていた方々に、区画整理事業によって再整備し引き渡します。進出を予定されている方とデザインや整備の方向性について話し合いながら決めたまちづくりルールに基づいて建物を建てていただく、という風に進めています。こちらは商店街とは異なり、基本的には土地をお持ちの方々で小売店や飲食店を建てていただくこととなります。出店が決まっている所はまだ少数ですが、八幡側の右岸に土地を持っている方々についても左岸の区画整理地内に移れるよう事業を進めているところです。
商店街へはまちづくり会社に加盟した方々がテナントとして入り、しおさい通りへは自分の土地や店舗を持って出店する方々が入る、というのが基本的な運用となります。
—祈念公園はいかがでしょうか?
対岸の「復興祈念公園」については、概ね基本的な設計が完了し、昨年住民説明会をおこないました。今年度は詳細な設計や用地買収、可能であれば一部着工を予定していますが、まずは盛土工事などがありますので、形が見えてくるのは来年度以降になるかと思います。
祈念公園と商店街をつなぐ「中橋」は、隈先生による木を用いられたデザインです。すでに片側の橋台ができ、反対側も間もなく工事が開始される予定です。橋の本体自体は、現在使われている「八幡橋」の撤去工事を終えてからですが、撤去に約1年ほどかかりますので、今年度もう1つの橋台が完成し、来年度八幡橋の撤去をおこない、土盛をおこなってからになるかと思います。
「みなと橋」は昨年デザインコンペをおこない、応募いただいた中から2つの案に絞り込まれました。現在はコンサルタントによって、構造面や経済性など実現可能性を考慮しながら検討がおこなわれています。検討結果は再度審査員の先生方に見て頂く予定で、間もなく1案に絞り込まれると思います。
ほか河川堤防については部分的に親水空間としての階段護岸を整備する予定で、今でも徐々に建設が進められています。商店街前にも階段護岸を予定しており、商店街オープン後の概ね半年以内くらいには入れるよう頑張って工事を進めてもらっています。
—なるほど、順番に整備されていくのですね。
今後建設や完成が進んでいく順序としては上記のとおりとなりますが、全てが並行して進んでいますし、一部は段階的な開放となるかもしれません。
—楽しみですね。本日は、ありがとうございました。
新しい町へ、イメージ広がる
およそ1時間、グランドデザインや町の復興計画について、佐藤さんから伺いました。
日々進んでいく復興工事の中、かつての街並みを思い出させるわずかな痕跡もどんどん消えていき、寂しい気持ち反面、こうしたお話を伺うと新たな町にも期待が膨らみますね。
まだまだ復興半ば、1ヶ月ごとに道が変わるほどに、忙しく工事が進められています。
震災から5年が経ち未だ完成しないのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、町民や役場の方々、隈研吾先生はじめ専門家の方々みなさんなど、たくさんの人々がたくさんの意見を交わし、よりよい町の未来のために長い時間を費やしてきて、こうしてグランドデザインができあがりました。
町のみなさんも町を訪れるみなさんも、安全に楽しく町を歩き、志津川の市街地ににぎわいや豊かさが戻ってくる日も近そうです。
新しい町で、どんなくらしを送りましょうか。