地域みんなの好々爺/古澤孝夫さん(92歳)

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南三陸町で元気にたくましく生きる人たち。さまざまな輝きをもつ南三陸の人たちを紹介していく新コーナー「南三陸きらめき人」。第1回は今年92歳となる古澤孝夫さん。今でも、畑作業に、趣味に、人付き合いに、と精力的な毎日を送っています。

80歳になってから独学でパソコンを勉強

「こんなもの作ったんですよ。」と渡された2冊の句集(鼓動)を拝見した。

『上げ潮も 限りとなれり 暮れがたの 橋わたりゆく 人らの見ゆる』

襖紙の表紙、優に100首以上は掲載されていると思われる冊子のページをめくりながら、「渾身の一句はどれですか?」と伺ってみた。

「全部!!みな気に入ってる!」即答だった。

絶対何かの大会で入選した句を紹介してくれると思っていたが、古澤さんにとってはどれも捨てがたい思いのたけ、心の叫びなのだろう。80歳から始めたパソコンを駆使してまとめ上げたという自作の句集を手に、満面の笑みで語ってくれた。

大正15年生まれの古澤孝夫さんは、今年9月で92歳になる。郵便局勤務の傍ら、大好きな俳句や短歌・川柳を趣味にしていた。

『上げ潮の…』は、昭和33年の作品。この挿絵(写真)から察するに、志津川の中心部を流れる八幡川の満潮の川面と「なかばし」を渡る住民の方々を眺めて詠んだものではと勝手に解釈してみた。

定年退職後、80歳になるころ息子からパソコンが贈られた。

昔からラジオなどに関心があり防府海軍通信学校を卒業されている経歴から、抵抗なく手にすることができ、操作方法さえも独学で覚えたと豪快に笑う。そのパソコンで、所属している老人クラブや地域の会合資料を自ら作成し続けている。

東日本大震災で、八幡川のそばに建っていたご自宅は流失してしまった。

しばらくは町外に暮らす三人の子供たちのお世話になったが、登米市南方に仮設住宅が整備されると、奥様と二人そちらに移られた。

もともと社交的でお世話役を買って出る性格もあり、大所帯の仮設住宅団地のリーダーになるのにさほど時間はかからなかったし、期待通りまとめあげていた。自治会運営はもちろん、趣味の活動(川柳クラブやグラウンド・ゴルフ)にもなくてはならない存在であった。

志津川に戻ってきて3年

三年前、志津川東地区に整備された造成地にご自宅を再建、庭に菜園や花壇も作り新たな生活に入りながら、馴染みの方々の帰還を待っていた。災害公営住宅や自宅再建への移転事業が完了し、ようやく隣近所の顔ぶれが分かってきた今、新たな自治会の設立が求められており、旗振り役が必要となっていた。

「古澤さん、期待されているんじゃないですか。」

「もう10年若かったら手を上げるんだけど、最近ダメだね。」

らしからぬ弱気な言葉が返ってきた。これまでの経験から、区長はじめ役員の最適任者だと自他ともに認めるのだが、本人曰く『寄る年波には勝てない』らしい。

それでも、地域コミュニティーの再構築や日常生活の課題など堰を切ったように流れ出る言葉には若々しささえ感じるので、その立場にならないとはとても残念なことだと言うと、「なり手がいないんだよネ。まだみんな落ち着いていないからな。」と呟いた。

「それでも、いろんな人に声かけて、毎月一回集会所でお茶飲み会や誕生会なんかもやっているんだよ。ゲストを呼んだりちょい呑み会やったり、50人くらい集まるようになったね。」実に嬉しそうに話してくれた。

志津川は、水と空気がうまい!

「志津川に戻られての暮らしはどうですか?」感想を伺った。

「南方(登米市仮設住宅)より、水と空気が…《一呼吸おいて》うまいね!」

奥様も大きく頷く。

「あと、いろんな人が獲れたての海産物持って来てくれんのよ。」

「ワカメ、ホタテなど、海のモノは最高だね。」

昔からの知人はもちろん、避難所や仮設住宅で仲良くなった方々と繋がり続けているのも嬉しい事だと笑顔が膨らむ。

「仮設住宅で知り合った学生さんたちが、何回も来てくれたり。それがとても嬉しい。」とも。一方、いつまでも支援に甘えるわけにはいかない、もう自主的に動かないといけないと今後の暮らし方にも言及する。

2冊の句集の他、『年譜抄』という題名の自分史と『残照』という短歌集も披露してくれた。

古文書のような家系図など手作りの宝物を手にして、「地震直後、家内が自宅から持ち出した貴重な原本があったからこそこれがある。」と、照れることなく奥様に向かって感謝とねぎらいを伝える。

そんな素敵な古澤さんだが、

「最近目が疲れるね。20分くらい画面見ていると苦しくなる。さすがに歳だな!」

「20分?!何見ているんですか?」

「将棋だね。面白いよ!」

好奇心旺盛の古澤さんは、新しい街で畑作業も、パソコンもグラウンド・ゴルフも人付き合いも楽しくこなす気さくな好々爺だ。

ご夫婦の笑顔を見ながらお茶を頂いて、このように年を重ねたいものだと感じた。

最後の赴任地、柳津郵便局時代に住んでいた地区名から『谷木一郎』というペンネームを名乗り短歌大会で入賞するほどの作品を生み出すなど、多岐にわたる才能をいかんなく発揮している。

【風にさからい 唸りて 揚がる おさな子の 凧かたむけば われもかたむく】

新しいご自宅からは、病院・公営住宅・役場そしてかつての職場である郵便局が見える。

プロフィール

*古澤孝夫(ふるさわたかお) 大正15年9月25日生まれ
防府海軍通信学校卒業 宮城県志津川高等学校卒業 宮城いきいき学園卒業
元柳津郵便局長 元行政区長 元民生児童委員 現南三陸町老人クラブ連合会会長
著書 自分史「年譜抄」 歌集「残照」 短編集「鼓動」

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