病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

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病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第三弾は、歌津地区で四代⽬の漁師を担う浅野健仁くんを紹介。子どもの頃から病と闘いながら、絵描きとしても活躍する彼の姿に迫ります。

浜にさわやかな風をもたらす四代⽬の若き漁師

ホヤ、牡蠣、わかめーー。三陸沿岸の代名詞とも呼べる高品質な海産物が、年間を通して次々と⽔揚げされる南三陸町歌津地区。そこにある稲淵(いなふち)漁港という小さな浜に、さわやかな風が吹いている。その⾵をもたらして いるのは、浅野健仁くん、22 才。第⼋健勝丸の四代目だ。

「船には小学校 4 年生くらいから乗っていました。ウニやアワビの開口と呼ばれる解禁日には⼦どもの⼿も借りて、家族総出でしたからね。でも酔ってしまって、寝込んでいたのを記憶しています」と笑いながら当時を振り返る。

この地域のウニやアワビ漁は、小船から箱メガネを使って⽔中を覗き込み、長い柄のついたカギで海底にいるウニやアワビを引っ掛けて獲る。当然、子どもが挑戦して一朝一⼣でできるものであるはずもなく、「初めて獲ることができたのは中学校にあがってから。そのときは、うれしかったですね」と目を細める。

それから10年。ウニ漁から帰ってきた彼は、万丈(ばんじょう)籠いっぱいにしていた。いっぱい獲れたね、と尋ねると「いや、まだまだ。親⽗の半分くらいですよ」と悔しがった。

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

絵描きとしてのもうひとつの顔

そんな浅野くんにはもうひとつの顔がある。それが「絵描き」。似顔絵や、船、養殖のようす、町の景色。 そこに描かれている絵からは、あたたかみがあり、やさしさがこみ上げてくる。

「絵を教えてくれたのも、祖父でした。船の絵を描くことが大好きだったんです」

彼もまた⾃分の船を描き、養殖業の流れをイラストに起こし、物産展のときにはPOPを描き、お客さんにPR している。このあたたかみのある絵に、似顔絵やイラストなど友人からの依頼も多い。

「海でおいしい海産物を育てれば、食べてくれる人がいる。絵を描けば、それを大切に見てくれる人がいる。 どこか似ているものがあるのかもしれません」

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

病とともにあった半⽣

漁師と絵描き。二足のわらじを履きながら、充実した⼈生を歩んでいるかのように見える浅野くん。しかし、 大きな苦悩を今も抱えている。それは、「トゥレット症候群」と「強迫性障害」という病気。⼩学校のときから症状が現れはじめ、日常生活に⽀障をきたすほどになったことも。学校にも思うように通えず、高校2年時に襲った東日本⼤大震災とその後の避難生活や仮設住宅暮らしのストレスなどで症状は悪化。

それでも高校卒業後、夢だった臨床工学技⼠になるために、町を離れ仙台の専⾨学校に通うことになった。初めての一⼈暮らし。その先にあるのは明るい未来のはずだった。

「しかし、緊張や慣れない生活のせいか、症状がこれまでで一番悪い状態になりました。結局、一週間ももたず、ボロボロ泣きながら地元に戻ってきたんです。⼼も体もめちゃめちゃの状態。本当に辛くて、なんで自分だけ、と思ったことも一度や二度ではなかった」

「久しぶり」のひと言が前を向く⼒に

地元に戻ってきたものの、しばらく仮設住宅に引きこもり状態だった。

秋になり、家族に「わかめの種はさみの手伝いをやらないか」と声をかけられた。気乗りしなかったものの、しぶしぶ浜へ降りていった。夢を追って地元を離れたにも関わらず、なにもせずに戻ってきた後ろめたさが、浜から彼を遠ざけていた。

しかし、浜に降りると「『たっけ、久しぶりだっちゃ!』『ずいぶんおがったこと(成⻑したね)』と浜の⼈たちが元気に声をかけてくれたんです。そのとき初めて、地元に戻ってきてよかったんだなって気づいたんです」

さらに、昼間の空いている時間は、仮設住宅のお年寄りの方々が集まる場に顔を出すように。たまたま描いていた絵が、スタッフやお年寄りの方々に好評で絵を飾ってもらった。

「⾃分の絵がこんなにも喜んでもらったことがはじめてで。素直にうれしかったんです」

養殖作業を⼀つ一つ覚えていき、できなかったことができるようになることがうれしく、楽しかった。合間をぬって描いていた絵もコンテストで入賞したり、みんなの目にとまるようになった。

「最初は海の仕事もリハビリのつもりでした。けれど、みんなに認められて浜の一員になれたような気がして。いつの間にかそれが⽣きがいになっていました」

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

親⽗を超える漁師に!そして同じ病を抱える人の力になりたい!

彼を「おかえり」と迎え入れてくれた南三陸の人たち。それが⼤きな⽀えになった。

「浜の仕事が忙しいときは地域の人がみんな集まってきて、沖に船を出しに行って、みんなでわいわい言いながら作業して。そんな⽇常がすごい幸せで。ずっとこの時間が続いていけばいいのにって思うんです」

南三陸の⼈たちの温かさが心にしみた。前に進む原動⼒になった。だから今度は⾃分の番。

「家の仕事を継ごうって思えたのも病気があったからだと思います。子どもの頃は⾃分が漁師になるなんて想像もできなかったですから。⽀えてくれた周りの人への恩返しでもあるんです」

移住者であろうと、ボランティアであろうと、観光客であろうと浅野くんは気さくな笑顔で出迎える。そんな彼の姿が励みになっている方も多いことだろう。

「今は漁師として、親⽗を超えたい。そして、同じ病を抱える人への理解の促進や、苦しんでいる人の力になれればと思っています」と⼒強く話す。

まだ夜も明け切らぬ朝4時。リアスの海へと飛び出していったその背中はやさしく、たくましく。良きも悪きも、あるがままを受け入れ、そして進んでいく南三陸の姿そのものだった。病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

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ライター 浅野 拓也
1988年埼玉県生まれ。学生時代はアフリカや中東、アジアを旅したバックパッカー。卒業後は、広告制作会社でエディター・ライター業を経験。2014年に取材でも縁のあった南三陸町に移住。南三陸をフィールドにした研修コーディネートを行うかたわら、食・暮・人をテーマにしたフリーランスのライターとして活動している。