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    津波被害からいち早い救助へ!「GPS付きライフジャケット」を開発

    東日本大震災の教訓を未来につなげようと、町と東京の企業が連携し「GPS付きライフジャケット」の開発が進められています。津波被害からいち早い救助へと期待がかかる取り組みの実証実験を取材しました。

    東京の企業と南三陸町が協働し開発

    津波で流された人の位置情報を把握し、いち早い救助に繋げようとGPS付きライフジャケットの開発を町と企業が協働しています。町職員の高橋一清さんの発案により、取り組みがスタートしました。

    プロジェクトの主体は東京の「ガーディアン72」。開発するGPS付きライフジャケットは、災害時に自動的に起動し72時間通信可能、さらに50キロ以上離れた場所でも位置情報を把握することができます。

    ガーディアン72の有馬朱美社長は「津波が襲ってきたときに急いで身に付けて、もし海に流されたとしてもその人がどこにいるか、どこに流されているのかが分かる。そうすることでいち早い救助につながる」と話します。

    ガーディアン72の有馬朱美社長

    実証実験を繰り返し、現場の声を反映させた商品開発

    2023年10月には1回目の実証実験が開催されました。その時は志津川湾の沖合5kmほどにいるGPS付きライフジャケットを着用したダイバーの位置情報を町役場で確認し、救助に向かうことに成功。

    さらに2024年2月には2回目の実証実験が開催されました。今回の実験では、ライフジャケットがどのような形であれば使いやすいのか、という点に着目し、より実践的な検証を実施。福祉施設などでの利用が検討されているため、2回目の実証実験には実際に福祉の現場に立ち、住民のサポートを続ける南三陸町社会福祉協議会からも数名参加し、現場の声を開発に反映させていきました。

    低体温症やがれきからも守ることを想定された全身型ライフジャケット
    高齢者施設入所者の使用を想定し、介護者と要介護者がそれぞれ着用にかかる時間を計測
    高齢者施設入所者の使用を想定し、介護者と要介護者がそれぞれ着用にかかる時間を計測

    参加者からは「ファスナーをかけるのに少し手間取ってしまった。この通常時で焦っていない状況でも手間取るので、気が動転している災害時だと難しいかもしれない。素材ももう少し伸縮性のあるものだと着せやすいと思う」などと具体的にフィードバックがされています。

    「母親と祖母を津波で亡くしているので、自分の家にあれば良かったと感じた。幼稚園や学校、高齢者などの施設に人数分あると、いざという時に使えると思う」と手応えも感じているようです。

    東日本大震災の教訓を未来へ活かす

    「国内の沿岸部にある福祉施設に40万人もの方がいらっしゃる現状があり、さらにそこで介護をしている方も5万人ほどいるとされています。そういった方々がまずは自分自身の身を守り、そして入居者を守る行動をしていくことにつながっていくことが願い。東日本大震災で被災した方々の想いが詰まってこれから先の災害に対応できるものにしていきたいと思っています」と有馬社長は決意を述べます。今回の実験を踏まえ商品開発やさらなる実証実験を繰り返し、2024年夏頃の製品化を目指しているとのこと。

    東日本大震災から13年の月日が流れ、あの時の教訓を未来へつなげる活動が続いています。

    令和5年度南三陸町二十歳の輝き式典/未来に向かって139名の心輝く

    令和6年1月7日(日)、ベイサイドアリーナ文化交流ホールにて「令和5年度南三陸町二十歳の輝き式典」が行われました。本年度の対象者は男性58名、女性81名の計139名。式典に参加した皆さんは、振り袖姿やスーツに身を包み、一生に一度の晴れ舞台を元気な姿で過ごしていました。

    139名が二十歳の門出を迎える

    令和4年4月から成人年齢が満18歳に引き下げられましたが、県内全ての市町村において、その年度で20歳になる方を対象に開催される成人の日の記念式典。南三陸町では引き下げ後から「二十歳の輝き式典」と新たな名称で、二十歳の門出を祝します。本年度対象者139名のうち、112名が式典に参加。新型コロナウイルスが5類に移行され、昨年度に続き保護者や来賓の方も参列し、小学1年生で東日本大震災を経験した我が子の成長した姿に、感慨も一入だったのではないでしょうか。

    開会にあたり、令和6年1月1日に発生した能登半島地震の犠牲者に哀悼の意を表し、黙祷が行われました。

    「連日大きな余震が続き、不安な日々を過ごす状況は、12年前に私たちが経験した日々と同じです。そのような時、全国・全世界からの支援や励ましの言葉が大きな支えになり、今日まで復興の道のりを歩んでこられました。今度は私たちが、北陸地方の方々を支えられるよう、感謝の気持ちを忘れずに、被災地に寄り添っていきたいと思います。

    今一度、我々は当たり前の生活がいかにありがたいかということを、もう一度心で噛みしめる必要があります。

    これからの長い人生の道のりにおいては、幾度となく人生の岐路に立ちます。その都度、自ら判断し、悩み、決断をしていくということになります。もしも、この先で厳しい現実に直面した際、ご家族や友人、地域の方々と過ごした日々を振り返りながら、(皆さんが持つ)無限の可能性を信じて、挑戦し続けて欲しいと思います。

    皆さんの力によって、南三陸町をさらに素晴らしい町へと導いていただけるものと、大いに期待させていただいております」

    佐藤仁町長は、北陸地方への想いを表現。そして、これからの時代を生きる若者に力強いメッセージを伝えました。

    南三陸の誇りと感謝の気持ちを胸に

    二十歳の輝き式典実行委員の皆さん

    「共に成長してきたかけがえのない仲間たち、我が子のように指導してくださった先生方、いつも近くで私たちの成長を見守って下さった地域の方々、そしてたくさんの愛情でここまで大切に育ててくれた家族、生まれ育ったふるさと南三陸町への感謝の気持ちを忘れずに、周りの人たちを笑顔にできる立派な社会人になれるよう、日々精進することを誓います」と誓いのことばを述べる阿部華さん。

    誓いのことばを述べる阿部華さん

    二十歳の抱負は、現在大学に通いながら児童相談所一時保護所に勤務している山口正泰さんが述べました。

    「教員として働きながら私を育ててくれた両親の生き様から、大人のあるべき姿を学んだ私は将来、小学校教員として働きたいと考えています。生まれた川に戻る鮭のように、いずれはこの町に戻り、空のように澄んだ瞳で温かい家庭を築き、川のように命を繋いでいくことが目標です」

    感極まって涙を浮かべながら発する言葉。その一つ一つに、たくましさや未来への希望が表れていました。

    二十歳の抱負を述べる山口正泰さん

    小・中学校時代の恩師からは、激励のビデオメッセージが贈られ、ビデオを見た二十歳の皆さんは、当時を懐かしんでいました。

    小中学校の恩師から胸熱メッセージ

    お祝いの記念品(南三陸杉を使用したスマホスタンド&コースター)を受け取る熊谷亮真さん

    「人間を大事にしているこの町は、素晴らしい未来が待っている」

    記念講演では『フロンティアを切り拓こう。~形式よりも人間を~』と題して、福島県浪江町在住の起業家 高橋大就さんが登壇。人口減少、少子高齢化、消滅可能性都市など、地方が抱える問題に切り込みながら、この社会が豊かになる考え方を話しました。

    講演を務められた高橋大就さん

    「様々なマイノリティの方がおりますが、一般的にはマイノリティの方が代表されにくい世の中です。しかし、ダイヤモンドのように、世の中的に少ないものは価値が高いです。皆さん一人一人がいろんなマイノリティを尊重することによって、若い人を尊重する社会にしていきたいです。

    ワクワクを作っていく上で大事なことは『形式よりも人間を』ということだと思っています。人は減り続ける反面、ルールは増え続け、縛られ自由が縮小しています。災害現場で、食料があるのに全員分ないから配れないという判断をした例がいくつもありました。形式重視、ルール重視、年齢重視で生きていると、地域は残っていきません。人間のためになるようルールの方を変えようということを、自分たちでやってきた地域が残っていくと思います。そういう社会がワクワクを生み、イノベーションを生み、若い人を惹きつけ、結果経済が回っていきます」

    人間を大事にすることが、今の社会に必要であると訴える高橋さん。最後に南三陸町への言葉で締めくくりました。

    「今日の式典を見ていて、南三陸町はルールよりも人間を大事にしていると感じられたので、希望を感じました。南三陸の素晴らしい文化として、圧倒的に人間を大事にしていく町ということになったら、素晴らしい未来が待っていると思います」

    熱いメッセージを送ってくれた高橋さんの言葉は、二十歳を迎えた皆さんのこれからを彩る大きな力となったことでしょう。

    講演終了後、株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長 米田幸正さんよりサプライズで贈られたバッグの抽選が行われ、くじ運高き12名が受け取りました。

    バッグを受け取るくじ運強き者たち

    移りゆく時代、変わりゆく形を牽引していく若き皆さんが、南三陸町で育ってきた誇りを胸に、養われてきた感性を信じて、心輝く未来へ向けて一歩ずつ歩んでいってほしいです。二十歳の節目を迎えられた皆さん、誠におめでとうございます。

    [記念撮影]志津川・戸倉・入谷地区(男子)
    [記念撮影]志津川・戸倉・入谷地区(女子)
    [記念撮影]歌津地区(男女)

    海への想いと学びを込めて。チーム南三陸ミネストローネ完成!

    南三陸高校の情報ビジネス科1年生の生徒が商品のデザインを担当した「チーム南三陸ミネストローネ」が12月2日(土)にさんさん商店街にて販売されました。商品開発のきっかけとなったツアーの話や参加した生徒の想いを取材しました。

    夏に行われたツアーへの参加

    今回取材するにあたり、南三陸高校へお邪魔しました。放課後に協力していただいたのは情報ビジネス科1年1組の生徒4名と担任の五十嵐先生。チーム南三陸ミネストローネが生まれるきっかけからお話を聴きました。

    放課後に協力してくれた情報ビジネス科の4名の生徒さんありがとうございました!

    「8月3〜4日に志津川湾レンジャーツアーという県内の小学生を対象にしたツアーがあって、小学5〜6年生22名が町で海の勉強をする内容でした。私たちはツアーのサポート役として参加しました」
    こちらは日本財団が開催した海と日本PROJECT inみやぎのオリジナルツアーで、南三陸町を学びのフィールドとした1泊2日のプログラムです。

    海のビジターセンターで海について学ぶ小学生ら

    「ツアー1日目は海のビジターセンターでの研修や座学、磯観察やシュノーケリングに参加し、サポートしながらも私たちも楽しく学ぶことが出来ました」「漁師さんから現場の問題についてお話を聞く時間もあって、実際に町の海で起きている現象なんだという理解にも繋がりました」

    サポート役で入りつつも、自分たちの住む町の海がフィールドということもあって、授業やニュースで聞いたことのある海の問題が町のスケールだとよりリアルに感じられたそうです。

    一緒にシュノーケリングも体験できました
    時には子どもたちの前に立ち、説明する場面も。

    ミネストローネのきっかけとデザイン

    ツアー2日目は磯焼けを学べるボードゲームと、未利用魚を使ったメニューの調理に参加。普段食卓では見ることのない魚に驚いたそうで「今回はトビウオなどを使いましたが、食べるのも捌くのも初めてでした!そうして捌いたのを佐藤将人シェフが作ってくれたスープに入れたんですけど、魚が入っているのは初めてでしたがとっても美味しかったですね」と当時の興奮度合いが伝わってきました。

    磯焼けの仕組みや対策を考えることができるボードゲーム
    シェフのアドバイスをもらいつつ自分たちで作ります

    そうなると、ここで作ったスープがチーム南三陸ミネストローネになったのか?と聞いてみたところ「いえ、実はそうではないんです」とあっさり一蹴。「でも、きっかけはありました」

    ウニの陸上養殖の現場を見学する様子

    このツアーの中で、磯焼け対策として増えすぎたウニを陸上養殖している株式会社ケーエスフーズさんを訪れ、それがチーム南三陸ミネストローネ誕生のきっかけになったとのこと。

    「ツアーが終わった後、8月下旬からパッケージデザインとパンフレットの制作をすることになり、授業の時間を使ってクラスみんなで作りました」

    パッケージ内のイラストとロゴは生徒考案
    パンフレットの内容を決めるために意見を出し合う
    どんな内容か、ポイントは何なのか、それぞれが考えたコンセプトを擦り合わせます。

    「ビジネス基礎という授業の時間を使って生徒自身がデザインしました」

    授業を担当する五十嵐先生の計らいもあり、イラストやロゴを制作することが出来ました。「あの時は楽しかったけど、テスト前で大変だったな〜」「このロゴ書いたのもうちのクラスの子なんですよ!」と楽しく誇らしげに紹介され、その時間がとても有意義なものだったことが伝わってきます。

    そうして出来上がったのがこちらのパッケージ。俳句はツアーに参加した小学生らが書いたものの中から選び、計8作品の中から4作品ずつに分け、2パターンのパッケージとなりました。

    それぞれの学びと想いが込められたチーム南三陸ミネストローネがいよいよ完成し、さんさん商店街での販売会の開催となりました。

    完売御礼!大盛況となった販売会

    実際に接客もした高校生たち

    12月2日(土)にさんさん商店街にて開催された販売会にも生徒たちは参加し、その時の様子を聞くと誰もが感慨深そうに「すごかったよね」と一言。「もうほんと、あっという間だったんです。販売用の100食と試食用のものもすぐに無くなっちゃって!追加でケーエスフーズさんから30食追加してもらったんですが、それもすぐに売り切れてしまって」「つまり完売でした。もうほんと来てくれた皆さんに感謝です」なんと、たった2〜3時間で用意していた分が完売したそうで、これには生徒も先生も驚きが隠せませんでした。

    訪れた観光客の方に自分たちの言葉で説明をします

    その中で特に印象に残っていることはないか尋ねると声を合わせて「ツアーに参加した小学生が遠くから買いに来てくれたこと!」と即答。仙台方面から保護者と一緒に来てくれたそうで「4ヶ月ぶりの再会も、足を運んで買いに来てくれたことも嬉しかった」と思わず笑みがこぼれるエピソードがありました。他にもSNSでの告知を見た町内の方や地域みらい留学の受験のため南三陸高校に来ていた中学生も来てくれたとのことです。「先輩として少しでも高校の楽しさを伝えられたら嬉しいなと思います」とすでに来年の後輩たちに頼もしい背中を見せてくれていました。

    仙台圏から足を運んでくれた小学生たちとの一枚

    ミネストローネの今後

    大盛況に終わった販売会ですが、今後どのように関わっていくのか。生徒たちの本音は「学校や町のイベントで販売する機会があればぜひやりたいです。ただ売るだけでなく、参加した自分たちだからこそ伝えられるメッセージがあるとも思うので」と、これからも積極的に関わる意志が感じられるものでした。前のめりになって町のこと、町おこしを本気で考える生徒たちの活躍が、新年も楽しみになりました。

    やる気いっぱいの彼ら彼女らが後輩に見せる背中に注目です

     

    学生と地域の方との交流の場に。中央団地芋煮&BBQ交流会

    南三陸高校の県外生徒が住む旭桜寮にて、地域住民との交流会が開催。様々な世代の方が集まり、高校生たちにとって地域の温かさと、支え合う関係性を感じられる会になりました。

    南三陸高校を応援する会の皆様

    旭桜寮は南三陸町の志津川中央団地内に建てられ、南三陸kizuna留学生として南三陸高校に入学した生徒向けの学生寮となっています。

    ▽新入生と寮を紹介した記事はこちら▽
    満開の桜が迎える“南三陸高校”の新入生たち。全国募集で集まった5名の生徒も入学!

    今回の交流会は寮生を含めた南三陸高校の生徒たちと、普段から生徒を見守る中央団地にお住まいの住民の方々を中心に、南三陸高校を応援する会と志津川中央団地自治会の皆様によって開催されました。

    中央団地の方以外にも様々な方が集まりました。

    南三陸高校を応援する会、会長の山内松吾さん(旧志津川高校時代の校長先生)は「(交流会は)1年目ということでここからがスタート。大きな流れの中で高校生の支援だけではなく、町全体が活気あふれるような空気にしたい、というのが私個人としは狙っているところです」と述べ、こうした交流会を起点に町内全体の活性化を視野にいれているとのことでした。

    退職後も生徒たちの応援の先頭に立つ山内さん

    美味しい芋煮とBBQのお振る舞い

    中央団地の方々を中心に朝から準備をしていた芋煮とBBQを食べつつ交流会が進みます。
    「大釜で作る芋煮って、家庭で作るものよりなんだか美味しく感じるよね」と話すお母さん方がいう通り、高校生たちはこの日のためにお腹を空かせてきたのか、もりもり食べていきます。

    美味い!と舌鼓を打つ佐藤仁町長
    交代しながら芋煮をよそう高校生たち

    BBQの方からは美味しそうな食欲をそそるいい匂いがしてきました。生徒たちは焼き上がった焼き鳥や芋煮を持って会場に来たばかりの住民の方の元に運ぶなど、積極的に交流しようと動いていました。住民の皆さんも、普段は登下校の様子を見るだけの生徒たちとのお喋りを楽しまれました。

    高校生も混ざって焼き台の係をしていました
    食事を挟むことで住民との交流も弾みます

    高校生と地域の方々が交流することの意義について山内さんは「大人の皆さんはなかなか仕事が忙しく、イベントのボランティアにも参加が難しい中で、こうした機会を通じて若い人と交流することで“若い人を応援しよう、応援したい”という気持ちを作ってもらうことがすごく大事かと思います。大きなアクションを起こすよりも、そういったことを大事にできる町になってほしい。そういう気持ちが高校生たちにも伝わると嬉しいです」。

    若い人を応援できる町に

    交流会の開催が町にどのような効果をもたらすのか、山内さんはこう語ります。「色んな人が参加できるような一つの秋の風物詩になったらいいんじゃないかと思っています。ちょうどこの秋の時期は町内の行事も落ち着くということもあって参加しやすいですし、ここに来ることで色々な話ができます。食材を持ち寄るなどして志津川地区以外の入谷、戸倉、歌津含めて町全体が盛り上がってほしい。その中に若い高校生たちがいることでこの町に来て良かったなと思えるような場にしていきたいです」

    クラスメイトや友達を誘って参加した高校生たち
    食事以外にも子どもが楽しめるゲームもありました

    「町の人たちも町長をはじめ一生懸命応援してくれているので、これから2年、3年と続けて良い形にしていきたいなと思っています」

    交流会を通じて高校生らと接することで地域の方が応援する気持ちを高めていく。知ること話すことで“若い人“の解像度が高まり、自然と応援したくなるような関係性になっていくでしょう。

    今年のテーマは「敗者復活!」第7回走らない大運動会

    南三陸町社会福祉協議会、結の里イベント実行委員会の皆様による「第7回走らない大運動会」が開催されました。毎年趣向を凝らした演目で話題ですが、今年は一体どうなったのか。昨年以上に笑顔が溢れた当日の様子を取材しました。

    風物詩となった7回目

    秋の風物詩、恒例行事となった「走らない大運動会」も今回で7回目を迎えます。
    新型コロナウイルスの影響で生まれた種目もバージョンアップし継投。毎年楽しみに来る方々が「覚えてる!」「前にやったからできるよね」とスムーズに参加できる工夫の中に、ちょっとした新しさを加える采配は光るものがあります。その中でも「人生は敗者復活戦!」と命題された気になる種目がありました。一体どのような内容なのでしょうか。命名者でイベント実行委員の鈴木清美さんに伺いました。

    思わず内容が気になってしまうラインナップ

    「今年の甲子園で準優勝した仙台育英高校の監督さんの名言から引用させてもらいました。我々(高齢者)にとって、人生はまだまだ楽しめるもの。負けたってどうってことない!それを今日の運動会を通して感じてもらえたらと思い名付けました」運動会のテーマも敗者復活!とし、勝ち負けよりも今日は楽しむことが大事と強調されていました。

    実行委員の鈴木さん

    楽しむことを背中で伝える開会式

    いよいよ運動会が始まります。毎年この開会式を楽しみにしている住民の方も多いのではないでしょうか。開会の挨拶で佐藤徳憲会長は「今回も開催にあたり色々な方からお手伝いをいただきました。これに感謝するとともに最後までゲームを楽しんでいきましょう」と、ついつい走ってしまわないようにと楽しむためのアドバイスも述べられました。

    怪我のないようルールを守って走らないように!も付け加えた佐藤会長

    そして、今年も会場近くのあさひ幼稚園の園児たちによる聖火の点灯式。
    果たして今年は一体何が飛び出すのか・・・

    毎年聖火のコスプレも入念に準備しています

    こちらもお決まりになりつつある激しく燃え盛る大人と高校生と園児たちによる「聖火」!
    運動会の盛り上がりに繋がる大事な儀式に大人も子どもも大笑い。これがなければ始まりません。

    ペヤング体操になんとかついていく高校生たち

    聖火のあとは昨年に続き南三陸高校の生徒と根本先生による準備体操。オリジナルのペヤング体操は新しい動きも追加されていてこちらも気合が見られます。

    準備が整い、いよいよ運動会の始まりです!

    流行りに敏感な種目たち

    前述した「人生は敗者復活戦!」は輪っかリレーのことでした。園児と参加者が縦一列に並び、先頭から渡った輪っかを最後尾まで回し、戻ってきた輪っかを先頭の方が野球のボールに見立てたポールに通してゴールとなります。

    本番の前にちょっと練習

    輪っかが落ちないように園児たちも慎重に繋いでいきます。もし途中で落としても復活できるので「敗者復活」というネーミングにも合っていました。

    野球ボールから伸びている棒に輪っかが通ったらゴール!審判は高校生が務めます。

    3種目目は新種目の「おったまげ〜のぶったまげ〜」はお玉を使ったリレーになります。先ほどの輪っかよりも落ちやすい玉をいかにスムーズに渡せるかが肝になりますね。
    こちらは人との接触を考慮しつつも、マンネリ化を防ぐために導入されたものでした。

    落とさないようにゆっくりと、お玉を上手に使って渡していく

    鈴木清美さんはこの種目に関して「園児と高齢者、誰もが参加しやすいものを毎年考えています。恒例なのかマンネリなのか、飽きないように工夫したり楽しめるのが一番ですからね。ルールもすぐに分かるようにしています」と、絶妙なバランス感覚で種目を決めているとのことでした。毎年恒例になるからこそ、人気だったものをそっくりそのままではなくどこか少しアップデートするように意識されていました。

    やったー!とゴールを喜ぶチームの皆さん

    参加するだけではない楽しみ方を

    「走らない運動会」という少し特殊な運動会ですが、参加者の中には自チームの応援席で楽しむ方もいらっしゃいます。「(自分は参加できないが)一生懸命に競技をする姿を見ると懐かしくなって、それだけで楽しいものですよ」と話すおばあさんは、チーム関係なく声援をあげ、一緒にこの空間を楽しまれていました。

    参加しない種目の時は一生懸命応援していた園児たち

    園児たちも小さな身体を一生懸命動かして「がんばれ〜!」と精一杯のエールを送る姿も。誰もが応援し合う、楽しみ合う空間を作るこの「走らない運動会」は南三陸町の秋の風物詩となりました。

    今回も大活躍だった実行委員の皆様と南三陸高校の生徒たち

     

    憧れの襷を繋いで!仙台大のランナーとマラソン教室

    11月4日(土)に松原公園にて町内の小中学生を対象にしたマラソン教室が開催されました。講師として仙台大学の陸上部の学生とコーチが参加し、子どもたちは本格的な練習と楽しく走る経験が出来ました。

    12年前からの約束

    秋の寒さが少し感じられる11月4日(土)。志津川地区の松原公園にて、小学生と中学生の部に分かれてマラソン教室が開かれました。マラソン・陸上好きな小学生12名と中学生7名が集まり、講師として仙台大学陸上部駅伝チームの大学1年生3名と川中コーチがこの日のために駆けつけました。

    川中コーチ(左)と陸上部マラソンチームの1年生3名

    このマラソン教室は南三陸町総合型地域スポーツクラブ主催で、クラブのスタッフを務めるホップキッズクラブ南三陸体操教室の阿部純子さんが仙台大とのご縁を繋いでくれました。川中コーチと阿部さんは仙台大学時代の先輩と後輩。卒業後東日本大震災をきっかけに繋がりました。「あの時、純子先生と約束したんですよ。子どもたちに陸上教える機会があれば駆けつけるよって。10年以上経ってしまったけれど、こうして開催出来て本当に嬉しいです」。川中コーチと阿部さんとの間でずっと温められていた約束が12年の時を経て果たされることになったのです。

    阿部さん(中央)と、川中コーチと大学時代の同期で現在は奈良県でスポーツクラブを運営する竹之内さん(左)も参加

    マラソン教室小学生の部

    まずは小学生の部からスタート!元気よく挨拶をして準備運動を念入りに行います。

    身体を大きく動かしてストレッチ

    ウォーミングアップとしてタグラグビーをすることに。大学生は川中コーチから「本気で追っかけていいぞ」と言われつつも「いやいや小学生が相手ですし大人気ないですよ」と余裕の表情ですが、始まってみると小学生の全力ダッシュに追い詰められる場面が多数。肌寒い気温だったのですがすでに軽く息切れするくらいには身体が温まったみたいです。

    背中につけた新聞紙を何枚取れるかを競います
    普段から遊び慣れている子どもたちがやや有利となる展開に

    ここからが本番。大学生からラダーやミニハードルを使った練習を教わり、脚の動かし方やリズム感を鍛えます。はじめてのメニューにも関わらず、1回、2回と取り組むうちにどんどん動きも良くなってきました。大学生も普段コーチから言われている指導方法を子ども達向けにアレンジしつつ、見本を見せながら楽しく教える経験値を積んでいきます。

    上に引き上げまっすぐ素早く下ろすというシンプルながら難しいハードル練習
    少しずつハードルの間隔を空けて、より走る体勢に近い状態にします

    覚えた動かし方を忘れないうちにグラウンドを周回して身体に馴染ませます。「自分のペースでいいからね!」という阿部さんと川中コーチから言われますが、1人がダッシュし始めるとあっという間にみんなで全力ダッシュ!2〜3周どころか4周目に入る子もいて、走ることがより楽しくなったのが伝わってきました。

    なんだか足が速くなったかも!と興奮する子どもたち

    集まった保護者からは「うちの子は走ることが大好きなので他のスポーツ教室には参加していませんでした。こういう機会が定期的に続いてくれると嬉しいです」と笑顔で走るお子さんを見て話してくれました。

    楽しく走る環境と仲間がいることの重要性を感じました

    マラソン教室中学生の部

    小学生の部が終わり、一息ついて中学生の部が始まりました。
    参加者は歌津中学校の生徒7名で、それぞれ部活はバラバラですが走ることを学びたい!とモチベーションがなかなか高いメンバーが集まりました。

    中学校の駅伝部にも所属する子もちらほら

    中学生のメニューはミニハードルを使った練習と、走る際の股関節の動きや足の着地を意識したトレーニングを教わります。教えてくれる大学生にアドバイスを求め質問をするなど積極的な姿勢が見えました。

    フォームを意識した練習
    大学生が中学生らに教える様子を見守る川中コーチ

    最後は大学生、川中コーチも混ざっての襷リレー対決をすることに。初めて本物の襷を見た中学生たちは歓声を上げ大興奮。そして襷を目にするだけで喜ぶ中学生を見て思わず笑みがこぼれるコーチ陣。「襷を見るだけでこんなに喜んでくれるなんてね。見るだけじゃなくて実際にこれを使って走るよ!」川中コーチや大学生から襷の掛け方や渡し方、そして混合チームを作るじゃんけんが行われいよいよ本番です。

    竹之内さんから自身のスポーツクラブで使っている襷を使わせてもらうことになり、思わず口を塞ぐほど喜んでいる中学生たち
    結び方から教えてもらいます

    手加減なし!全力疾走した襷リレー

    走る順番を決めていよいよ第1走者のスタートです。手加減無用、大学生も本気で走ります。「手を抜かずに本気で走ることで、子どもたちに“こんなに速く走れるんだ!”と思ってほしいですね。ガチンコでやることでやる気の底上げに繋がったら嬉しいですが、負けちゃったらどうしましょう」と競争することの意味を語りつつも、自身がアンカーになったことを少し不安に思う川中コーチですが、各チーム大学生と中学生が交互に走るため勝負は最後まで分かりません。

    作戦を練ってアドバイスをする川中コーチ
    大学生が走ると思わず歓声が上がるほど、その速さは圧倒的でした。

    そして待ちに待ったアンカー対決。序盤はリードしていた川中コーチでしたが最後の最後に逆転負け!しっかり本気で向き合ったことで、どのチームも全力で走る楽しさを味わうことが出来ました。最後の組がゴールするまで残りのチームみんなで応援する姿も見られ、ただ走ること以外にも大事なスポーツマンシップや相手へのリスペクトを忘れないことを学べたのだと感じました。

    残り100Mまではリードしていました
    最後の直線で抜き去った!

    いつか同じユニフォームを着て。

    今回のマラソン教室に大学生を連れて来たことについて川中コーチは「学生にとって、ほんといい経験ができました。自分が不自由なく走れる環境下で、思い切り走れる。幸せな事やありがたいという事がわかったと思います。大事な事は、継続していく事。走る事だけでなく、身体を動かす事が気持ちいいとか、楽しいってつながっていってくれれば、うれしいです」と話してくれました。普段なかなか接することのない年代と一緒に走ることや、勝ち負けを抜きにして陸上に触れる機会としてとてもいい時間になったそうです。

    お互いの健闘を讃えあう。中学生らにとって、憧れの存在になりました。

    大学生らも「初めて来ましたが今日1日での子どもたちの成長にびっくりしました。継続的に訪れたいなと思います」と話し、この後は町内で美味しい海鮮を食べるのを楽しみにしていました。

    仙台と奈良から駆けつけてくれたコーチたち。「今度は南三陸の襷を持って奈良に集合かな!」と新たな約束も。

    参加した中学生らを普段から見ている阿部さんは、偶然にも仙台大陸上部のジャージの色と中学生らが来ていたシャツが同じ色だったことに注目し「もしかしたらここから仙台大に進む子が出てくるかもしれないし、未来の後輩だと思ってこれからもぜひ一緒に練習できる機会を作れればと思います。これを機に町内にまだない陸上クラブを作ってみたいなと思うようになりました」と、自身が繋いだ襷を受け取る子どもたちの未来を作っていくことを新たな約束として刻みました。

    子どもたちにとって「やりたい」が叶う町に向かって。

    (中編)南三陸いのちめぐるまち学会第2回大会“カオスな大座談会”!

    南三陸町で進められている様々な研究の発表が行われる「南三陸いのちめぐるまち学会」の第2回が開催されました。この記事では学会当日に発表された、南三陸町を舞台に進められている各種研究発表の様子をレポートします。(全3回の2記事目)

    いのちめぐるまちのカオスな大座談会とは

    学会当日となる11月23日(木)、今年の会場であるYES工房第2工房に続々と参加者が集まり、椅子が一時足りなくなるほど大勢の方が詰めかけました。総合司会を務める南三陸いのちめぐるまち学会事務局の太齋彰浩さんはオープニングで「実は80名の予定だったのですが、大幅にオーバーしてしまって120名以上の方にご参加いただいております。大変ご不便をおかけしますがよろしくお願いします。」と満員御礼の感謝を述べました。参加者のほとんどが町外から来られた方々で、この学会や南三陸町が持つポテンシャルの高さが伺えます。

    会場内はオープニングから熱気に包まれていました

    また、学会長を務める佐藤太一さんから開催に至った経緯についてお話があり「第2回を無事に迎えることが出来ました。前回、そして学会の前身となる里海フォーラムというものがありまして、はじめは南三陸町のこれまでの活動を振り返る会、そして今ホットな話題とかを大学の先生たちに教えていただきながら交流が生まれた会となりました。その交流が生まれた結果というわけでないんですが、その後1年間いろいろなプロジェクトが南三陸町を中心に動いております。今回はそれら全部をここに集め、混沌としたカオスな大座談会としてみましたが、面白いことがどんどん出ているのでそれを地域みんなで共有したいと思っております。」と、これまでの積み重ねから生まれた各種研究についてぜひ知ってほしいという旨が伝えられました。

    町内の方々も参加。研究に協力している方もその調査結果を楽しみに聞きに訪れました

    プログラムは第4部まであり、まず第1部は「3つの研究プロジェクトをひもとく」です。ここでは3つの研究の方針や調査結果についての発表がありました。それぞれ内容を抜粋しながらご紹介します。

    S-21研究は何を目指すのか?

    吉田さんの元々の専門はプランクトン

    早速あまり見慣れない「S-21」という文字が並びました。筆者も説明を聞くまで理解できていなかったのですが、S-21とは環境省が出している研究費の環境研究総合推進費というのがあり、こういう研究をしてほしい!といった行政ニーズに研究者が答えて研究をするタイプのもので、その中のS枠21番目の研究という意味で、“生物多様性と社会経済的要因の総合評価モデルの構築と社会活動に関する研究”という研究になります。

    この中のテーマ5の代表者が吉田さん

    登壇された吉田丈人さん(東京大学大学院農学生命科学研究室教授)は「地域スケールの生物多様性と社会経済的要因からなる統合評価・シナリオ分析と社会適用」の中の森里川海を見るというテーマの研究地として南三陸町を設定し、チームを立ち上げ、南三陸町の方々に協力をもらいながら研究活動を行なっています。

    南三陸町は森里川海の研究フィールドとして様々なチームの研究者が訪れていた

    吉田さん「なぜこのような研究がされているのかといいますと、これは前回の学会でも言われていましたが日本全国で色々な生態系の状態がどんどん悪くなって生き物は少なくなっている。さらに、私たちの生活をはためかせてくれていた自然の恵みには色んな機能があるわけですけれども、その機能もどんどん失われていて、自分達の生活に影響が出始めているんじゃないかと。こういう状況をどう打破していったらいいのかということです。」

    赤色は損失の大きさが非常に強いことを表している。

    「また、こちらはSDGsでよく言われるピラミットですね。私たちの暮らしを支えてくれている社会を支えるベースとして生態系があって、生物多様性があってその上に社会とか経済があって成り立っています。これは見る人が見ると当たり前だと思いますが、世の中で当たり前かというと決してそうではない時代がずっと続いてきたと思います。つまり、経済とか社会を優先し生態系を使ってもそのうちどうにかなるだろうと。それがここにきて色々な問題が起きてきている。」

    生態系が基盤となって私たちの社会経済を支えていることを表している図

    「そうではなくてやはり生態系がベースにあって、その上で私たちの社会経済が成り立っているという認識がだいぶ広がってきていると思いますがまだまだメジャーではないかと思います。」

    「人間は環境をたくさん改変してきましたし、乱獲も含めて過剰に利用してきたり。もちろん自然を利用することで人間の生活は豊かになってきたわけですが、一方で自然が失われてしまっていて、このままで持続可能でいけるかどうかということが問題になっているわけですが、たくさん対策が打たれてきましたが一向に止まらない。そこで、社会経済を含めた間接要因といわれるところをどう考えればいいのかという学術基盤がないので、それを唯一無二で作るというのがこのS-21の大きなミッションです。」

    生物多様性や自然の恵みを悪い状態のまま放置した未来の南三陸町
    理想とする未来の志津川湾の姿

    このように社会経済を優先した結果失われつつある生態系や自然環境が今後どうなってしまうのか、それに歯止めをかけるにはどうすればいいのかに着目し、南三陸町の志津川湾保全・活用計画において理想とする志津川湾と町の姿も、国の目標と同じ様な議論がされていました。

    「このままの将来だったらどうなる、こういう世界にするためには何が必要かというのがこの計画にまとめられています。学術的には非常にチャレンジングなことだと思うんですけれども、そういうことをやろうとしています。」

    東北にネイチャーポジティブ拠点をつくる!

    続いての登壇者は2年前から本学会で発表をしている近藤倫生さん(東北大学大学院生命科学研究科教授)によるネイチャーポジティブについて。今現在、地球上では大昔に起きた恐竜の大量絶滅に匹敵するか、それよりも速いスピードで生物の絶滅が進行しているという推定が出ています。

    東北大学で進められているネイチャーポジティブについての説明

    近藤さんはこうしたデータを元に警鐘を鳴らします。「人的・人工資本は増えているが自然資本は減り続けている、これはつまり今の私たちの社会が持続的ではないということですよね。減り続け持続していない。持続させるには最低でも(グラフの上の線が)真っ平らになってないといけない。」

    持続可能性を考える中で自然の劣化は止めないといけない

    こうした世界的な課題に対し、ネイチャーポジティブ(自然再興)というミッションが2023年に閣議決定された「生物多様性国家戦略2023-2030」の中で掲げられました。

    2050年には完全回復を目指した指標

    これについて近藤さんは「ネイチャーポジティブとは、2020年を起点にして自然あるいは生物多様性を回復基調に戻しましょう、2030年の時点でちゃんと回復している状態をつくりましょうという国際的なターゲットが設定されました。つまり、今より増やそうというわけなのですが、皆さんの中には『いやいや、自然を僕らは使って生きているのにそれを増やすって。では僕らはどうやって生きていくのか。』と思われる方がいるかもしれませんね。」私たちが自然を使って生きている以上、自然を減らし使うしかありません。そこからどのように増やすのかを考えているのが近藤さん達です。

    限られた資本をどのように活かしていくべきなのか

    「減らなければいい」の一歩先の考え方とは

    「増やしながら生きるとはどういうことか。実はこれは生物や自然がどのような特徴を持っているかということをちゃんと考えることで、持続的な利用の意味がよくわかります。」そう話し、例に出したのは魚などの水産資源。魚は捕られた分減っていきますが、持続的な社会ではこれが増えもせず減りもしない社会ということです。

    成長する資本だからこそ取れる手段でもある

    「魚がずっと同じ数あり続けるということが持続的だと。捕るのになんで同じ数生き続けられるかというと、それは生物資源だからできることです。生物資源は自ら繁殖、成長し増えていく成長する資本です。銀行に預けていけば利子がつくように、その利子で生活できれば(自然資本の)元手は変わらないので持続的な利用ができるというわけですが、単に持続的であればいいよというわけでなく、食糧問題などに配慮したより多くの恵みを取り出せるように生態系を使う必要があります。」

    その方法は様々あると言われ、今回ご紹介されたのは漁獲努力量と最大漁獲量を表したグラフです。

    減らしすぎず増やしすぎずを狙っていく

    「この方法、生物資源管理学という理論が昔から提唱されています。自然が豊かな数を保ちつつ、漁獲努力(操業日数や漁師の数)を捨てないということです。」

    しかし、それでも自然利用の最適化は難しく、それには自然が持つ多機能性と利害関係者(ステークホルダー)の多さが関係してきます。では、その中でどのような努力をすべきなのか。近藤さんは自然の理解と科学技術と人々の連携が欠かせないと言います。

    利害関係者が多いため、全体への影響を考えなければならない

    南三陸で行った調査活動

    ネイチャーポジティブには欠かすことのできない3つの科学技術要素の中で環境DNAという技術が使われています。これは土や水中に残る生物のDNAを採取、分析することで生物の生息範囲や種類を把握するものです。

    養殖をすることで起きる自然の影響についての調査

    これを用い、南三陸町では牡蠣の養殖筏が生物の避難所になっているのでは?という調査結果を得ることが出来ました。湾内で起きている磯焼けという問題に対し、人工的な資本である養殖筏が自然資本である魚達の命を救っているかもしれない、という希望が持てる結果となりました。

    現地の研究者との共同研究になった
    調査結果から磯焼けの対策になるのではという考察に繋がった

    多くの調査を行う中で近藤さんや研究チームの方々と、関係団体、地元住民の方と連携しネイチャーポジティブの課題解決に向けた取り組みを進めることが出来たそうです。現地に赴いての対話や共同作業が、町内でのネイチャーポジティブについての意識を向上させることにも繋がったでしょう。

    ネイチャーポジティブを実現する東北大のプロジェクトにこれだけの団体が参加している。
    東北に拠点をつくるとした場合、人材育成も大事になってくる

    >次回!カーボンサーキュラーエコノミーとポスターセッションについて!

    (前編)自然×妖怪?南三陸いのちめぐるまち学会“前夜祭”編

    南三陸町で進められている様々な研究の発表が行われる「南三陸いのちめぐるまち学会」の第2回が開催されました。この記事では前夜祭として催されたサイエンスバーの様子をレポートします。妖怪と自然との関係性など気になるワード満載だった濃密なイベントとなりました。(全3回の1記事目)

    第1部:南三陸に大学を作ろう!作戦会議

    南三陸いのちめぐるまち学会の学会長である佐藤太一さんからの挨拶でスタート

    学会の前日となる11月22日(水)、まなびの里いりやどの研修室にて前夜祭が行われました。学会参加者や地域住民の方々が集まり、明日から始まるアカデミックな研究や課題研究についての発表を前に、ミーティングが始まりました。

    中貝宗治さんによる「大学は町を変えるか」というテーマでの講演

    まずは講師として豊岡市で市長を務めていた中貝宗治さんによる基調講演。在任中に豊岡市で行ってきた大学の誘致と町への効果についてのお話となりました。

    「人口減少が及ぼす影響として、閾値を越えた減少は文化の担い手の損失に繋がる。また、夫婦の数が減っている中での女性特化の地方創生や、地方への若者の回復率が減っているなど傾向が分かりやすい部分も見えてきました。」

    豊田市と南三陸町のグラフを比較・検証

    今や日本全国の市町村が向き合う人口減少という壁に対し、原因を特定しそれに合ったアプローチを徹底していく。「Local & Global City、地域固有のコンテンツが世界で輝く原石になり得ます。大きさ・高さ・速さではなく、深さと広がりで勝負していく。今あるものを守り、磨くことが大事です。」と町にある資源をしっかり磨いていくことが人口減少を解決に導く鍵だとしました。

    地方だからできる戦い方と諸課題への効果

    事例として、在任中に取り組まれた「芸術文化観光専門大学」設立の経緯についてご紹介されました。「元々演劇の町として永楽館の歌舞伎が文化としてありました。そこに教育や個人知に勝る集合知、専門職大学の誘致などを掛け合わせた“アーティストインレジデンス”の実現に向けて動きました。」

    世界的に有名な平田オリザさんも関わるプロジェクト

    芸術文化は強い個性の中から生まれ、多様性を受け入れる風土を育み、町の寛容性を高めるものとすることで、国内外の様々なアーティストが豊岡市を訪れ、滞在しながら制作活動ができる環境を整備しました。

    豊岡市が芸術・アートが醸成される町となった結果、熱意溢れる高校生が入学してくるようになった

    さらに、大学を地方に作ることの強みについて中貝さんは「学生が創作に集中できるようなサポート体制と広報、協賛、地域をつなぐ生活支援は小さな町だからできることです。そして、若い人がいるということで、その町を元気にすることができます。」と都市部の大学との差別化と、スケールが小さいからこそできる連携や協力体制があると話しました。

    世界に通用するおもしろさを

    中貝さんからの講話のあとは、集まった参加者同士で「南三陸に学ぶ場所を作るとしたら?」をテーマにしたワークショップが始まりました。先ほどの講義を受けた上でそれぞれのグループで異なる視点の学ぶ場所のイメージが出てきます。

    大学構想について学会の事務局を務める太齋彰浩さんからの説明
    南三陸町が示すいのちめぐるまちを牽引するために、大学を作ることで諸課題の解決を狙う

    ―学生は町内と町外でアプローチが変わる。小学校〜高校で授業に強みを持たせる、活かすことがポイントなのでは。

    中貝さん「町外から来るようでないといけない。町内の子は外に出ても良いという風土を作るべき。」

    ―いのちめぐる→生き物→食を自由に学べるという構想はどうか。

    中貝さん「山も海は日本中どこにでもある。しかし食という観点は良い。」

    近くの人とディスカッションをし、どのような学びがあれば、どういう環境が必要なのかを出し合う
    出てくる意見を嬉しそうに板書する太齋さん

    そのほか、高校に新しいコースを作る、技能実習生が学ぶ場も必要ではといった意見が並び、総括として中貝さんから「南三陸でやる意味はなんなのか。こうした事業を進める上で重要なのは、なぜそれが必要なのかを深く語ることで、そうした深く理解した人と出会うには対話が必要です。個人にとって必要ではないとされるものの中で、町にとって必要なものが無くならないように仕組みを作っておくこと。」と、南三陸町の学びの場にエールを送られました。

    終わったあとも質問するために列が途切れなかった

    第2部:サイエンスバー「妖怪と自然」

    カオスという言葉がぴったりな妖怪というテーマ

    第2部は佐藤太一会長と環境釧路自然環境事務所長の岡野隆宏さんによるサイエンスバー「妖怪と自然」先ほどとは打って変わりオカルト要素となりましたが、ここでは自然現象や地域振興から見た現在までの妖怪についての対談となりました。

    まず岡野さんから、妖怪に関心をもつようになった奄美大島での出来事として「ケンムン」という妖怪についての説明がありました。当時岡野さんは奄美大島にて「人と自然のふれあい調査」という研究をしており、その中で「五感によるふれあいアンケート」といった、住民の方々が五感それぞれで感じる地域の特色についてまとめたアンケートがありました。

    島の2地区を比較し、同じ島民でも五感に残る記憶に違いが見られた
    オカルト好きなら引き下がれない文言が並ぶ

    盆踊りの風景、肌で感じるタコの吸盤、機織りの音などその地域特有の記憶が見える結果となりましたが、岡野さんはここに「畏れ」という項目を追加し調査をしました。すると、海がある地域と海がない地域それぞれで妖怪の名前が連なりました。「最初、島民の方からこの話を聞いた時は“おもしろい話がいっぱいありますけど。それはまた続き、次回にしましょう。”と言われたもんですから何度も足を運んで見聞きしました。その中で特にケンムンに興味が湧いてきたのです。」

    江戸時代にはすでに目撃されており、書紀も残る

    ケンムンは島の色々な場所で名前を聞くほど有名な妖怪で、記録を辿ると江戸時代にまで遡りました。当時の目撃談が残るほど、多くの方が目にしたのでしょう。

    地図上の?マークがケンムンの目撃情報が寄せられた場所

    「ケンムンが目撃されたとされる場所を地図上に記し、そこから考察できたのは町の境界線で多く目撃されている、境界線の神様ともいえる存在ということでした。」一概に悪い妖怪とは言えないようで、人が自然との共生のおきてを守っている間は幸福の神、そうでなければ悪霊となるというのです。

    人々の自然への向き合い方で神様にも悪霊にもなる存在

    そして、こうした妖怪の話は人が集う場にてより拡散されたとも言います。それは寄り合いや島のお祭りなど、個人の体験(ここでいう怪談)を共有化する場所の一つが昔ながらのお祭りだったと。そうすることで畏れは広がり、目撃例も増えていったのではないかとした上で、現在はそうした寄り合いもコミュニティも希薄化する中で段々と畏れが地域間で広がることは少なくなってきました。

    古事記や日本書紀にも登場する八岐大蛇

    「昔は大きな自然現象の原因は妖怪だとされていました。ヤマタノオロチは災害を妖怪に置き換えて畏れていたなど諸説あります。ですが技術が発達する中で災害や自然現象に科学的説明がつくようになったことで、妖怪は大きな畏れから身近な怪異にスケールダウンしていきました。昔は水墨画のような怖い絵だったのが、昨今はポップなイラストになったりしていますよね。これは人々の捉え方とリンクしているのではないかと思います。」

    大昔の生物学の本とされた「本草学」内にも”在るもの”として登場した際の河童(川太郎)
    各地でキャラクターとして扱われるようになった現代の河童

    人々の生活模様が変わる中でコミュニティの変化や祭事の衰退、自然との距離が空いてしまったことによる畏れの変化。これまでの妖怪とはまた異なる畏れ、現代的な畏れとは一体なんなのでしょうか。

    オカルト談義!あなたの話聞かせてください

    太一さんが楽しみにしていた岡野さんとの対談では、民俗学的な妖怪や南三陸町での言い伝えで盛り上がりました

    岡野さんによる「妖怪と自然」の講話の後は、南三陸オカルト部会の会長も務める佐藤太一さんとの妖怪対談。講話の感想を聞きつつ、参加者に体験したことのある怪異がないか調査したところ何人かが「実は昔こんなことが・・・」と挙手。それぞれ幼少期の不思議な現象や実際に体験した心霊現象など、体験したことのない人からしたら「まさか学会に来て怖い話を聞くことになるなんて!」となるような、背筋がゾワッとする良質な体験談ばかりでした。

    参加者からも「うちの地区だとこんな話が・・・」といった形で町の妖怪がどんどん出てくる
    幼少期の恐怖体験を語る参加者

    また、参加者の1人からは「今や夜になっても明るいところばかり。畏れの原点は暗闇ではないだろうか?」という問題提起があり、それもそうだ、やってみようと一時会場は真っ暗になりました。

    暗闇や闇というのは都市部だと少なくなってきているという指摘も

    見えないからこそ感じられる恐怖や、未体験の領域に畏怖を感じることは今でもあると思います。この時間の締めくくりに岡野さんから妖怪も絶滅危惧種だということが伝えられました。「昔、妖怪の生息範囲だった自然環境は時代と共に変わり、私たちも自然がまったく未知の存在であるということはなくなりました。他者と個人の経験を共有するコミュニティも衰退しつつある中で、妖怪はもはや絶滅危惧種といえるでしょう。そこから、人と自然、共同体への関わり方の変化が見て取れます。」

    現代の妖怪はどうなっていくのか楽しみでもあるという岡野さん

    妖怪という人々にとって未知だった存在から自然を見てきた昔と、自然すらも構造がわかってきた現代において、妖怪が住む場所は残るのでしょうか。また、これまでにない畏れとして新たな妖怪が生まれることはあるのでしょうか。「妖怪」という未知の存在だった面から見た自然との関係性について学べた、とても濃密な前夜祭となりました。

    南三陸オカルト部会としても妖怪の調査をしていきたいと話す太一さん

    和やかに、しかし熱量は高い状態で前夜祭は締めくくられました。
    次回、カオスな大座談会翌日の学会の様子はこちらから!
    →https://m-now.net/?p=22158&preview=true

    FSC認証の普及で次世代につなぐ山づくり! 地域おこし協力隊 渡邉陽子さん

    令和5年7月以降、南三陸町では新たに県内外から男女3名が地域おこし協力隊に着任しました。今回は、林業の道に進んで6年。南三陸の山林管理の取り組みに惹かれ移住を決意した渡邊陽子さんを、インタビューを交えながらご紹介します。

    FSC認証取得の町。それでも残る課題。

    2015年10月、国際的な森林管理認証「FSC認証」を南三陸森林管理協議会が取得しました。FSCはForest Stewardship Council(森林管理協議会)の略。責任ある森林管理を世界に普及させることを目的とする非営利団体で、国際的な森林認証制度を運営しています。
    震災以前から、林業関係者の有志が集まり、今後日本でも森林認証の取り組みが必要になると考え、認証取得について検討されてきました。しかし、取得には至らないまま足踏み状態が続きます。震災が起こり、それまで利益優先だった競争の考え方から共に創っていく共創の考え方へと変化。町でも、自然を活かした、災害に強く安心・安全に暮らせる町づくりのビジョンを掲げ、官民共同で推進していく「南三陸町バイオマス産業都市構想」が国の認定を受けました。

    南三陸町バイオマス産業都市構想 概要図

    このような背景から、再び認証取得に動き出し、議論を重ねていきます。そして、町の未来を考え、1つの会社だけではなく、グループ認証という仕組みを使い、「南三陸森林管理協議会」として仲間を作り、FSC認証取得へと動いていきました。
    町の総面積16,340haの76.9%を森林が占める南三陸町。そのうち、認証林は公有林、私有林2,481haとなります。持続可能な林業を目指し、より適切な森林管理を積極的に追及する動きがある一方で、多くの放置山林も存在。山の働きによってもたらされる恩恵は、適切に管理することで生まれます。

    最初から最後まで見届けたい!

    より多くの方に、この考えを広めていくことが必要であると声をあげるのは、今回協力隊に着任した渡邊陽子さん。宮城県白石市出身の渡邊さんは、大学卒業まで宮城県で生活していました。大学では、水文学を専攻。水文学は、山に降った雨が、川を流れ、町へ流れ、海へ出ていくという、大きな水の流れの関係を扱っている学問で、土木に寄った学科に在籍していました。渡邊さんは、今ある資源を活かしていけるような仕事がしたいと思い、林業関係の道に進むことを決意。山の管理をする国の機関「国立研究開発法人 森林整備センター」に就職しました。愛知、兵庫、山形を転々としながら経験を積むこと6年。現場の作業は森林組合や林業事業者に依頼をし、管理の大元として働く中で、長い時間をかけて育つ木々を、最初から最後まで見届けたい、1つの場所で山づくりというのをどこかで腰を据えてやってみたいと思うようになりました。学生時代に研修で町を訪れ、FSC認証取得の取り組みなどが印象に残っており、今回所属する株式会社佐久に相談。佐久で感じていた山の課題を解決していけるよう、協力隊制度を使い転職することになりました。

    ミッションはFSC認証の継続化と普及で次世代につなげる

    協力隊の活動として掲げられているのは大きく3つ。
    ①担い手の育成・強化
    ②認証山林の拡大
    ③認証山林拡大にあたり、さらにFSCを普及していくための商品開発やイベントの企画運営
    メインとなるのは、FSC認証の継続化と普及で、個人の負担が大きかった作業を会社が事務局として行えるよう、教えてもらいながら、取り組んでいきます。「消費者への普及と併せて、山主の方にも山に関心を持ってもらえるような活動をしていきたい」と話す渡邊さん。

    今ある山の資源を整備した状態で次世代に渡したいと、熱い思いを持った渡邊さんに、力を入れて取り組みたいことや将来について伺いました。

    渡邊陽子さんにインタビュー

    FSC認証を扱うにあたり着任前後でギャップは感じた?

    「ハードルが下がりました!持続可能な林業経営や環境に配慮した山づくりというのは、FSC認証だから初めてやります!大幅に変えます!というものではなくて、これまでやられてきた丁寧な山づくりというのがそのままFSC認証につながりました。ここに来る前は認証の基準に合ったものをやらないといけないのではないかと、すごいハードルが高いものだと思っていました。ではなく、これまでやられてきた丁寧な山づくりというのが、そのままFSC認証につながったと分かり、高いと思っていたハードルがそうではなかったと気づかされました。それは、先人たちがしっかりした山づくりや山仕事をしてきたことの地続きなんだなと。なので、認証取得はこのような過程の証明であると感じます」

    特に力を入れて取り組みたいことは?

    「山主や地元の人に対してもFSC認証の普及をしていきたいです。消費者にFSC認証を知ってもらい、認証材が入ったものを使ってもらうということも、持続可能な山の管理とか環境への貢献になると思いますが、山の所有者の方がそういう認証だったりとか自分の山を管理していくというところに関心を持ってもらうことが、よりちゃんと管理された綺麗な山を次世代に残していくというところにつながっていくと思うので、ここに力を入れて取り組んでいきたいです」

    協力隊卒業後に見据える姿は?

    「普及とかの関係だと、少しでも実績としてここまでできましたっていう数値化みたいなのができるかは分かりませんが、こんな取り組みをしましたとか、そういう実績はこの3年間で残していきたいと思います。100%全てはできないかもしれませんが、残った分は今後こういう流れで達成していきますみたいなところを言えるような形で終えられるといいかなと思います」

    信念を持って挑戦する若き山人

    移住後はシェアハウスで生活しており、「いろいろ揃っていたので引っ越しはしやすかったです。ゴミ出しのルールや日常のちょっとしたことなんかを共有スペースで誰かに会うと聞けたりしますし、町に関する情報交換もできたりするので、移住した直後の生活空間としておすすめです!」と生活について移住者の目線で説明。
    今後の意気込みについて、「年配の方々が一番山を持っていて、どうするか悩んでいると思うので、地元の方が来てくれるようなイベントを仕掛けたり、地元の方に向けた説明会であったり、FSC認証に則った森林管理があるというのを、地道な普及によって少しでも山に関心を持ってもらえる地主さんを増やしていくのが、私が活動していく1歩目です!」と話していました。
    山を通じて、町の未来が作られていく大事な役割。渡邊さんがその未来に向けて引っ張っていく姿に、注目です。

    ※地域おこし協力隊

    地域おこし協力隊は、地方自治体から委嘱を受け、地域の魅力発信や特産品の開発、住民の生活支援など、さまざまな方向から地域を活性化させる活動に取り組む都市部からの移住者です。南三陸町では隊員が地域の生活になじむことができるよう、また起業・事業継承に向けたノウハウを学びながら活動に取り組めるよう、町内で活動している事業者・団体が隊員を雇用する形をとっています。今回新たに3名の隊員が加わり、2024年1月現在、町には12名の隊員が活躍しています。

    「化石」という魅力を町内外に広めたい!地域おこし協力隊菊池優さん

    今年の春以降に南三陸町に着任した地域おこし協力隊は3名。それぞれ専門分野を活かした活動を展開しています。今回は「化石」を扱う菊池優さんにスポットをあて、南三陸町の魅力の一つである化石とどのように出会い、これからどう展開していくのかについてお話しを伺いました。

    湘南の普通ボーイから古生物学の道へ

    菊池さんの出身は神奈川県茅ヶ崎市。市内でも陸側に住んでいたそうで「茅ヶ崎出身と言うとよく『湘南ボーイだね』と言われるのですが、そんなことは全然(笑)陸側なので普通ボーイでした」

    高校を卒業し、進学したのは東京都市大学の自然科学科。自然科学分野を広く学ぶなかで「古生物学」に出会いました。「大学入学時に将来の選択肢を広げたいと思い自然科学科を選び、その中で小さい頃から興味のあった古生物学を専門にする研究室に入りました。」年間2〜3回のフィールドワークで野外調査に行き、日本の化石産地に赴くような調査をするなどアクティブな研究室だったそうです。

    糞化石の調査と南三陸との出会い

    「3年次には大量絶滅後の生物についての糞の化石の調査を始めました。」糞の化石から一体何が分かるのか、そもそも糞の化石なんて分析出来るのか?と筆者は疑問に思ったわけですが菊池さんはその魅力についてこう語ります。「糞を調べることでその生き物の大まかな大きさ、何を食べていたのかを考察できます。例えば魚の鱗が見つければその生き物は魚を食べる生き物であったとか、泥の成分が混ざっていたら泥ごと食べるような食性だったとか、その生き物の生態について知ることが出来ます。」根気がいるその観察や分析調査もある意味思い出になったそうです。

    町内には貴重な地層が身近なところにある場所も。

    研究材料として中国やアメリカの標本を扱うなど、研究資料は国内外様々だったそうです。そして国内で調査に赴いた地域の一つに南三陸町がありました。菊池さんと南三陸の縁は、学部生時代の化石調査で訪れたことから始まります。

    南三陸町の化石博士たちと協力隊としてのミッション

    南三陸町の化石と聞くと有名なのが世界最古級の魚竜化石「ウタツギョリュウ」や、2015年に国内で初めて発見された嚢頭類(のうとうるい)、そして化石のプログラムに関わる「Hookes」の皆さんです

    「正直、すごいとしか言いようがありません。特に高橋直哉さんは化石発掘プログラムのインストラクターとしても、化石の魅力を子どもたちに教えるのも非常に上手だと思いました。知識も自分より詳しいんじゃないかと思うぐらいです。」学問として古生物学を修めてきた菊池さんも唸るほど、南三陸町の化石博士たちはとてつもないパワーを持っていることが分かりました。

    菊池さんお気に入りの一枚。歌津館崎のウタツギョリュウ化石

    そんな南三陸町のポテンシャルと、卒業後は学んできたことの教育普及活動に携わるという夢が重なり地域おこし協力隊としての移住を決断しました。「理想は、これまで学んできたことを伝えることでその人の人生の選択肢を増やすことです。化石を学んだ先には研究者やインストラクターなどの道があるんだよと伝えることで、少しでも将来の可能性を広げられたらと。学問を知る、または触れるきっかけを作るなかで、関わった全員ではなくともその中の1〜2人でも関心を持ってもらえたら嬉しいです。」

    菊池さんの協力隊としてのミッションは化石の観光資源化であり、その先にある町の地域活性化がゴール。これまで町内で行われてきたことをさらに加速させる人材として活動しています。着任後は所属先の南三陸町観光協会での業務として化石の広報作成や、化石発掘体験プログラム、化石の観光コンテンツ化などに携わりながら学ぶ日々を送っています。

    新年の抱負

    南三陸町に移住して約5ヶ月。菊池さんにとって初めての1人暮らしも新鮮なことがたくさんあるようで「特に車社会が新鮮です。免許は前から持っていましたが、実家にいる頃は月に1〜2回運転すれば多い方でしたから、南三陸に来てほぼ毎日運転するのは楽しいですがこれからの季節(冬季)はちょっと怖いですね・・・気をつけて運転します。それと、自炊も来年は頑張りたいなと思ってます。」

    仕事の面での抱負については「まずは一端のインストラクターになって、直哉さんや他の方々の力になることですね。これからさらに化石の魅力を町内外に広め、地域おこしに貢献したいです。また、地域おこし協力隊としてゆくゆくは化石などの観光資源を紹介できる施設を作りたいです。もしくはそのような施設に関わることですかね。」と語りました。

    町内のイベントでは子どもたち向けのブースを出店することも

    まだまだ発掘されたばかりの”化石”というコンテンツがこれからどのように磨かれていくのか、菊池さんをはじめ化石に関わる方々の今後に期待が高まります。