【関係者メッセージ】多様なバックグラウンドのライターや寄稿者に支えられた12年間。

609

「南三陸なう」が紡いできた物語は取材対象となる町民の12年間の歩みだけではなく関わるライターの物語でもありました。多様なバックグラウンドを持つ多くのライターによって支えられた「南三陸なう」。これまでの関係者の方に、一区切りを迎えるにあたってメッセージをいただきました。

2024年3月をもって一区切りを迎える「南三陸なう」。

復興の足跡を描き続けてきた「南三陸なう」。2023年度末で一区切りを迎えます。

「南三陸なう」が一区切りを迎えることは上記の記事の通りとなります。

本メディアの大きな特徴は幅広い町民ライターによって記事が構成されていたことにあります。プロフェッショナルのライターから、ライター未経験の方。南三陸町出身者から、移住者、そして旅行や研修で訪れたという方まで。年代や職業も学生から主婦、そして60代の方まで。じつに多様なバックグラウンドを持つ方々に支えていただいていました。

一区切りを迎えるにあたってこれまで、活動に参画いただいたみなさんから声が届いているので紹介します。

【メッセージ①】静岡文化芸術大学 内尾太一准教授

南三陸なう、12年間お疲れ様でした。災害が相次ぐ日本において、かつての被災地の今を発信し続けるローカルメディアはとても重要で、全国に向けて範を示すことになったと思います。

私のような大学で働く研究者からすれば、南三陸なうの記事ひとつひとつが地域のことを学び知るための貴重な資料です。更新されることがなくなっても町の公式アーカイブの中に保存するなど、記録として残すことができれば素晴らしいと思います。

個人的にはライターとしても参加させて頂いたこともいい思い出です。「チリ地震津波から60年。3.11のチリの被災地を訪ねて」という前後編の記事を2020年に書かせていただきました。震災復興過程では南三陸町の方々に様々なことを教わってきたので、こちらからは遥か遠くまで及んだ津波災害の現実について情報提供できれば、という思いでした。そうした文章を面白がって載せてくれた南三陸なう編集者の浅野さんはじめ、関係者の方々には改めて感謝申し上げます。

チリ地震津波から60年。3.11のチリの被災地を訪ねて(前)【寄稿】

【メッセージ②】大正大学 客員准教授 齋藤知明

南三陸なうで「大正大学」と検索すると26件ほどの記事が出てきます。そのなかでも執筆した主体が「学生ライター」や「寄稿記事」というのが何件かあります。このことからも、大正大学の学生が南三陸だけでなく南三陸なうに多く関わらせてもらったことがわかります。

大正大学の学生は南三陸で、たくさんの活動、たくさんの喜怒哀楽を経験しました。そして、その経験や感情をぜひ南三陸町の町民のみなさまや読者のみなさまに伝えたいと思いましたし、記録としても残していければと考えていました。そこで出会ったのが南三陸なうです。大学の授業の期末レポートではなく、読者に「読んでもらえる」記事として、学生に書かせたらとてもよい学びになると考え、無理を言って寄稿させてもらえないかと頼んだこともありました。

南三陸なうに掲載された学生たちの記事は、町の方への感謝や自分たちの活動を誰かに繋いでもらいたいという感情がこもっていて、とても良い記事になっていると感じます。そこには期末レポートにはない強い思いを感じましたし、南三陸なうに掲載されることを光栄に思っているのか何度添削しても嫌な顔一つされませんでした(笑)

このように南三陸なうには、大学生に学びの機会を提供していただきました。よく、都市と地方を結ぶことが重要と聞きますが、メディアという形でそのことを実現したのが南三陸なうだと感じます。今後も新しい形でたくさんの大学生が関わる機会を提供していただけると嬉しいです。ありがとうございました!

大学生による南三陸4日間のドキュメンタリー映画 オンラインで初公開【寄稿】

【メッセージ③】ライター 鈴木清美さん

震災後、たくさんの支援活動があり、地元の方々が集まって賑わう機会(運動会や映画会、夏まつりなど)が増えました。

昔からの友人、知人とも再会でき、その様子を拙い文章ながら執筆し『南三陸なう』で発信できることに自分自身の役割と充実感を抱いていました。

最高齢92歳の古澤さんを取材して以降、地域の先輩方の生き様や人となりを紹介することも多くなりました。完成した記事をお渡しした際、恥ずかしそうに受け取り優しい笑顔で読んで下さった事が何よりうれしかった。

普段は寡黙な高齢者の皆さんから、震災後の苦労話やかつての武勇伝まで聞けた『南三陸なう』貴重で有難い時間でした。

地域みんなの好々爺/古澤孝夫さん(92歳)

【メッセージ④】ライター 小島まき子さん

2016年から「南三陸なう」に関わらせていただき、2022年12月まで60本近い記事を執筆。取材を通して南三陸の素敵な人々と出会い、町のことをより深く・さまざまな角度から知ることができました。特に思い出に残っているのは最初の記事。南三陸さんさん商店街の本設への移転にあたり、それまでの歩みを振り返るものでしたが、さんさん商店街に関わる人々の想いや奮闘ぶりには胸が熱くなりました。「南三陸なう」のおかげで生まれたご縁を大切に、これからも南三陸に関わり続けていきます!

南三陸さんさん商店街の今までとこれから。移転先でもおもてなしを!

【メッセージ⑤】ライター 安藤仁美さん

2015年から2017年にかけて、編集部として携わらせていただきました。同時期に町の公式ラジオとして放送していた「みなさんぽ」で、町の方々の声を伺いに飛び回ったのは、いい思い出です。子育て記事のライターとして、リアルをさらけ出した出産記録は、多くの方から読んだよーと声をかけていただき、同じ状況の女性たちの役に立てたのなら、こんなに嬉しいことはありません。南三陸なうを通じて、町の貴重な歩みの一場面、一場面に立ち会えたこと。本当に感謝しています。

南三陸なうは、みんなで作った、この町の宝物だと思います。12年間も続いたというのは、源泉のように掘っても掘っても絶えることない、南三陸の魅力を証明していると思います。取材や出演に快く応じてくださった方々、なうを支えてくれた方々に改めて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

第1話 決断の時は意外と早い!どこで産むか問題(前編)

【メッセージ⑥】ライター 三浦貴裕さん

私は学生時代に取材を受けた事をきっかけに、学生時代・社会人とライターとして関わらせて頂きました。学生時代南三陸を離れていた私にとっては、離れていながらも南三陸との繋がりを感じる事ができ、何より「南三陸なう」を通してたくさんの人との出会いを繋いでくれました。私が取材を受けた記事を読んで知って下さった方との出会いはもちろんの事、記事を書いた事がきっかけとなり繋がった方や自分が書いた記事を通して南三陸を知ってくれた方など1つの記事・物語から本当にたくさんの出会いを紡いでくれました。

また南三陸の歩みを人々の想いと共に色濃く描かれてきたのも「南三陸なう」の良さであり、他のウェブメディアにはない価値だと感じています。

これまで紡がれてきた物語が終えてしまうような寂しさもありますが、南三陸の物語はこれからも続いていくと思っています。これから新たに紡がれていく物語を楽しみにてしています。そしてこれまで「南三陸なう」を通して関わった皆様、お世話になった皆様ありがとうございました。

豆腐を咥えて獅子が舞い厄払い~波伝谷春祈祷~

【メッセージ⑦】ライター 松村さん

「南三陸のなう」のおかげで、人生最速で自分が暮らす「まち」「人」への愛着が湧きました。

コロナ禍で縁もゆかりもない、知り合いもいない南三陸にふらっと移住してしまいましたが、およそ2年に渡り、記事の執筆や動画の制作など情報発信業務に携わることができたおかげで、あっという間に情が湧きました。

町のイベントひとつとっても、ただ「参加する」のと「取材する」のでは、情の湧き具合が倍以上違ってきます。主催者の思いや、準備過程、訪れたお客さんの反応などを取材、時にはディープなお話を聞きながら、それを町の「魅力」としてお伝えするため、力を注いできたつもりです。

私の拙い文章や映像で町の魅力がどれだけ伝わったかは分かりませんが、いつでも笑顔で取材に快くご協力いただいた町の方々に心より感謝いたします。

ありがとうございました。

志津川高校から南三陸高校へ 今の思いをワインラベルに託して

これまでたくさんのご協力誠にありがとうございました

今回メッセージをいただいたみなさん以外にもたくさんの関係者のご協力のもと12年間にわたる南三陸なうを運営し続けることができました。

復興期においてこれだけ継続したメディアを運営しつづけた自治体は他にはありません。1500本以上の記事一つひとつが大きな財産となり今後も残っていくことでしょう。

今後の方針などについて決定したら改めてお知らせいたします。

ここまでご覧いただいた皆様、そして取材等に快く協力いただいた皆様に改めて御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。

いいね!して
南三陸を応援

フォローする