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    学生主催の「南三陸スタディツアー」で感じた“学べる町南三陸”とは(後編)

    大正大学の学生が自主的に企画・運営して実施した「南三陸スタディツアー2023~持続可能な取り組みを学ぶ旅~」。前編では全体の概略をお伝えしてきましたが後編ではそれぞれのチームがどんな活動を展開し、どんなことを感じたのかを各チーム代表に投稿いただきました。

     

    南三陸×仕事×海森=?? ~仕事班~

    南三陸でまちづくりを進めるにあたって欠かせない海や森の環境を漁業と林業の視点から学習をしました。ASC認証(養殖水産物の国際認証)FSC認証(適切な森林管理の国際認証)の両認証を果たした世界初の自治体として、どのような人たちによる想いや取り組みがこれまであったのかを、学生目線から学び、考えました。

    戸倉地区で行われている牡蠣養殖産業について、後藤清広さん、伸弥さん親子からお話を伺いました。震災前、これまで県内で一番品質が悪いとされていた牡蠣も震災をきっかけに、現在はASC認証を取得するにまでに品質の改善がありました。変化の間で起きた合意形成に苦労した話も、お聞きすることができました。なかでも「悪い物だけ見ても良い物は分からない」という言葉は印象強く、自分や現状を知るには周りからの判断や観察がものさしの1つになるのだと学びました。

    YES工房の代表理事である大森丈広さんから間伐材を利用したスプーン作り体験と木材加工をする立場としての林業を語っていただきました。体験を通して、間伐材はその辺にある石ころに似た認識でありましたが、実際に磨き、削り、なめらかにし、形になることで、価値あるものへの変化を実感することができました。大森さんは「触れることが大切である」と度々口にしており、触れることによって新たな気づきや感覚が芽生えるということを指していたのだと学びました。

    見て触れて学ぶまちが南三陸町の強みであり、今回お話を伺った3人の方は仕事に向き合う中で考え、学び続けている印象を受けました。所感にはなりますが、仕事は学びの連続であると感じました。そして、学びは生涯を通してできる遊びのようなものであり、そうしているとワクワクしますし、おのずと成長していくのではないかと考えました。仕事に対する新たな考えが生まれた活動であったと感じました。

    寄稿者・宮原咲也佳

    大正大学社会共生学部公共政策学科3年。幼少期は近所の山や川での遊びを好んでいたため、アクティブな活動に抵抗はない。南三陸町に足を運ぶのは2回目で、前回は「被災地・南三陸」として自分の目で見てみたいことから。今回は、自身が専攻している自然環境保全の視点から、「自然共生のまち・南三陸」として活動を全うした。雪や海を見て童心に戻った自身のように多くの人が自然に触れ、感動してほしいことが願いである。山梨県出身。

    過去から今、そして未来へ繋げる 〜伝統班〜

    私たちは南三陸町で脈々と受け継がれている伝統芸能に焦点を当てて活動をしました。

    ひころの里シルク館ではまゆ細工体験をしながらスタッフの田中さんに養蚕やまゆ細工の現在についてのお話を伺いました。養蚕業界の厳しい現状についてのお話とその中でも明るく希望を持って作品づくりや後継者の育成などの活動をされている姿が印象的でした。

    上山八幡宮では禰宜の工藤真弓さんに伝統芸能のキリコについてのお話を伺いました。東日本大震災の前後でキリコに対しての認識に大きな変化があったことやその変化を受けた上で現在行なっているキリコを伝える活動についてお話を聞くことができました。震災を通して多くのものを失ったことで逆に得られたものがあるというお話からは、何かが「ある」という状態は当たり前ではなく、「ない」ことが意味を持つこともあるのだと学ぶことができました。

    今回お二方のお話を聞いて、伝統を受け継いでいくことは大切であるが、形骸化してしまってはいけないのだと感じました。物事の表面だけを見るのではなくその中身にまで関心を持つことができる人間になりたいと思いました。

    寄稿者・藤枝陽菜

    大正大学表現学部表現文化学科4年、茨城県出身。最近よく感じるのは世の中はやってみたいことや行ってみたい場所で溢れている!ということ。大学1年生の時、友人に誘われ南三陸町で行われた防災がテーマのツアーに参加したことがきっかけで興味関心を持つ。震災・防災の観点から学びを得ることはもちろん、食や町並みなど行くたびに大きな変化を遂げている南三陸町を全力で楽しんでいきたい。

    人々の暮らしといのちめぐるまちに迫る…! ~生活班~

    生活班は、南三陸町の地域コミュニティを学ぶため生活に焦点を当てて活動しました。

    南三陸まなびの里いりやど館長の阿部忠義さんのお話では、入谷地区の地域性や暮らしについて学びがありました。結と呼ばれるお互いが恩を送りあう地域性があり、かつてから深い繋がりが発揮されてきたことが分かりました。

    上山八幡宮の禰宜である工藤真弓さんには、めぐりん米を中心とした町の人の繋がりについて伺いました。子どもから大人までみんなが協力して資源を循環させることで、いのちめぐるまちになっていることを実感しました。また、被災時に町の方々が集まり拠り所となっていたことは、地域コミュニティを形成するうえでとても重要であることを学びました。

    また前日の降雪がきっかけで、ひころの里で雪かきのお手伝いをさせて頂きました。作業のなかで、雪はあまり降らないものの、昔からご近所同士で一緒に雪かきをすることがあったというお話を伺えました。思いがけない交流が嬉しかったとともに、予想以上の大変さを学べた貴重な経験でした。

    寄稿者・蟻坂泰心

    大正大学社会共生学部公共政策学科3年。2年次の実習で初めて南三陸町を訪れ、行政と暮らしの両面で町に興味を持つ。約1年ぶりに訪れた今回のツアーでも、温かく接してくれる町の皆さんに感無量でした。人情あふれる実家のような安心感のあるまちは、かけがえのない私のアナザースカイ。これからも様々な人を巻き込んで関わりたいですし、個人的にも全力で観光しに来たいです!

    学生主催の「南三陸スタディツアー」で感じた“学べる町南三陸”とは(前編)

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    大正大学の学生が自主的に企画・運営して実施した「南三陸スタディツアー2023~持続可能な取り組みを学ぶ旅~」。学部も学年も異なる学生12名は、極寒の2月、雪降りしきる南三陸で、いったい何を学び、何を感じたのかに迫ります。

    防災・コミュニティ・森里海、南三陸は「学べる町」として最強の環境です。

    南三陸町は、震災復興と同時に「学べる町」としてのノウハウを蓄積し続けています。震災前からおこなわれてきた自然と共生する取り組みや、震災以降ゼロから再スタートしたコミュニティ形成を通して、座学では到底得ることの出来ない感覚的・総合的な学びを提供するまち南三陸は、教育旅行など研修旅行での訪問者が後をたちません。学生にとっては「人生の価値観」をも変えることのできる、そんな魅力的な場所なのです。今回は大正大学の学生が企画・運営して実施した3日間のスタディツアーについて、その成果と魅力をお伝えします。

    南三陸研修センター「いりやど」でのひとコマ

    「防災ってなんだろう?」

    大正大学の学生は、東京近郊の都市圏で生活する学生がほとんどです。テレビや授業などで「災害」「環境」「地域」と聞いても、津波も来ない、森も無い、隣近所との付き合いも希薄な都市部では、その言葉の本質はおろか、感覚を掴むことすら難しいのです。

    ツアー初日は、「南三陸311メモリアル」での体験学習と、バスでの解説付きの町内視察を通して、「率先避難」の大切さや、日頃の「避難計画」の重要性を学びました。

    復興祈念公園 防災対策庁舎前にて

    戸倉地区にある五十鈴神社では、小学校の屋上は危険と判断して神社避難に変更したとっさの判断力や、二次・三次避難計画の重要性、老若男女が孤立した高台で一夜を過ごした苦労に思いをはせ、「自分だったら」どう行動していただろうか、と学生なりに意見や感想を出し合いました。

    本来はメモリアルでの映像学習と祈念公園のみ訪問予定でしたが、映像内で紹介されていた五十鈴神社に「行きたい」という学生の意見から、訪問が実現しました。

    予定にはなかった五十鈴神社への訪問

    「防災を自分事化する」とは

    大災害に見舞われることの少ない都市部では、「津波」がどう怖いのか、「避難」という行為自体も、なかなか実感することができせん。そんな学生にとっては、現地を訪問することが防災の「自分事化」に繋がります。

    どんなに災害に強い都市部であっても、ひとたび首都直下地震が発生すれば、建物の倒壊や火災、帰宅困難者といったリスクに見舞われるといわれています。少なくともこのツアーに参加した学生は、自分の街でも「率先避難者」となって、ひとりでも多くの命を救える存在になれればと感じました。

    「伝えること」の難しさ

    最終日の「学習成果報告会」

    今回のツアーでは、後述のフィールドワークで学んだ事を全員の前で発表する機会を設け、質疑応答や意見の共有をおこないました。学習成果を「まとめて発表する」というプロセスを経て学びを深めることが目的ですが、3日間のツアーの成果を短い時間で人に伝えることは想像以上に難しいと感じました。

    私たちの3日間の学びは、座学では味わえない「実際に参加しないと得ることが出来ない学び」であると自負しています。これは南三陸という町自体にも、同じ事がいえるのではないでしょうか。簡単には人に伝えることの出来ない努力や苦労を、少しでも「伝えようとしてくれる町」、それが南三陸町なのではないでしょうか。これからもこのご縁を大切に、スタディツアーという形で継続訪問したいと思います。

    後編の記事では2日目に実施したフィールドワークについて、いったいどんな学びを得ることが出来たのか、3つの班に分けて具体的にご紹介していきます。

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    (寄稿者)園部豊大

    大正大学仏教学部3年、実家は真言宗豊山派の寺院、東京都出身。いま・ここ・自分をモットーに、大正大学では「鴨台観音さざえ堂御朱印浄書」等の学内活動に尽力している。中学生の時、朝ドラ「あまちゃん」がきっかけで東北沿岸部を訪れるようになり、高校時代は趣味の鉄道旅行に奔走。大学入学後は「サービスラーニング」や入試学生スタッフ等での学部や学年を超えた学びに興味を持ち、本スタディツアーでは有志団体の部長として活動。学生主体の学びを継続することで、人に「気づき」を与えられる存在になることが目標。

    2023年3月23日/定点観測

    南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

    戸倉地区

    撮影場所 [38.642969, 141.442686

    パノラマ

    志津川地区

    撮影場所 [38.675820, 141.448933

    パノラマ

    パノラマ

    パノラマ

    パノラマ

    歌津地区

    撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

    パノラマ

    他の定点観測を見る

    少年少女調査隊が海藻採集しおしば作りに挑戦!ブルーカーボン調査も実施

    町内の小中学生が、年間を通じて、町の自然や歴史について学ぶ「南三陸少年少女自然調査隊」。2月25日(土)に戸倉地区で海藻採集や海藻おしばづくりに挑戦。さらに注目を集めるブルーカーボン調査にも協力して今年度の活動を締めくくりました。

    4年目を迎えた「南三陸少年少女自然調査隊」

    「南三陸少年少女自然調査隊」は、2018年10月に志津川湾がラムサール条約湿地に登録されたことをきっかけに誕生したエコクラブです。2019年2月、志津川湾の登録を記念して、全国のラムサール条約湿地で活動する子どもたちが湿地の魅力を学ぶイベント「KODOMOラムサールin南三陸町」が開催されました。町内から9名の小学生が参加し、日本全国のラムサール条約湿地で活動する子どもたちとさまざまな体験活動を通して交流しました。

    その時にKODOMOラムサールに参加した町内の子どもたちから「もっと南三陸町の自然や文化を学びたい!」という声が上がり、2019年5月に南三陸町の自然や文化を体験しながら学ぶ「南三陸少年少女自然調査隊」が発足しました。

    これまでの活動についても「南三陸なう」で取り上げていますのでぜひご覧ください。

    子どもたちと八幡川の生物調査!身近な自然に絶滅危惧種も発見!

    自然環境や文化を体感し伝える!「南三陸少年少女自然調査隊」本年度の活動スタート!

    「南三陸少年少女自然調査隊」2021年度の活動開始!干潟調査でレッドデータブック掲載種も発見!

    これまでの4年間で行ってきた活動は内外から評価されています。2020年2月には「全国エコ活コンクール2019 壁新聞部門」で「環境大臣賞」を受賞。翌21年3月には同じく「全国エコ活コンクール2020 壁新聞部門」で「こくみん共済coop賞」を受賞。22年1月には「宮城県ストップ温暖化賞」を受賞。同年2月には環境教育・環境保全活動を促進することを目的とした「第27回コカ・コーラ環境教育賞活動普及部門」において優秀賞を受賞。そして、同年12月には、「かけがえのない地域の自然環境を守り伝える活動」として、環境省が選定し表彰する、「令和4年度気候変動アクション環境大臣表彰」を受賞しました。
    今年度の活動をまとめた壁新聞

    海藻おしばづくりに挑戦

    今年度最後の活動となった2月26日は戸倉地区の坂本海岸にて、まさに旬を迎えている春の風物詩・海藻採集を行いました。志津川湾には海藻だけでも200種類以上が生息しているとされています。その海藻は赤・茶・緑と実にカラフル。集めた海藻を使って個性豊かで華やかな海藻おしばづくりに挑戦しました。

    ※特別な許可を得て採集しています。

    戸倉地区の坂本海岸にて海藻採集を行いました ※特別な許可を得て採集しています。
    戸倉地区の坂本海岸にて海藻採集を行いました ※特別な許可を得て採集しています。
    赤・茶・緑などカラフルな海藻で自分だけのおしばづくり

    完成した海藻おしば
    完成した海藻おしば

    注目の「ブルーカーボン」について学び、調査にも協力

    さらに、地球温暖化の要因となっている二酸化炭素を吸収する役割として注目を集めている海藻。陸上の「グリーンカーボン」に対して「ブルーカーボン」と呼ばれ、豊かな藻場が広がる志津川湾も地球温暖化を食い止める重要な手段として期待されています。

    ネイチャーセンターでは志津川湾のブルーカーボン調査を実施。調査隊メンバーは阿部拓三さんのレクチャーを受けたあとに、事前に採集してきた海藻を赤・茶・緑に分類して重量を計測しました。

    ブルーカーボン調査に協力する調査隊メンバー
    ブルーカーボン調査に協力する調査隊メンバー
    ブルーカーボン調査に協力する調査隊メンバー

    南三陸の魅力を発見し、伝えていく

    「また来年も調査隊に入りたい!」
    「いろんな体験ができたし、南三陸町の魅力を知ることができれた」
    「山とか海とか川とか干潟とかさまざまな場所で活動できたことが楽しかった」

    など子どもたちも1年間の活動に大満足の様子。

    「みんなが楽しそうな顔で活動しているのを見て非常にうれしかったです。まだまだやれていないことがたくさんある。来年度も南三陸の魅力を探して、それを人に伝えられるように頑張っていきましょう」と拓三博士は子どもたちにエールを送り活動の締めくくりとなりました。

    来年度の活動は4月にメンバー募集を実施。5月から活動をスタートする予定とのこと。来年度もたくさんの調査隊メンバーの活躍に期待したいと思います。

    自然・イヌワシ・生業・暮らし・・・「共生」とは何かを考える/「共生のために走る」(パタゴニアフィルム)プレミア上映会&トークショーを実施

    2月25日(土)、南三陸町役場1階マチドマにて南三陸町を舞台としたトレイルランナーと町民の関わりを描いた「共生のために走る」(パタゴニア・フィルム)のプレミア上映が開催されました。上映後、地域住民やトレイルランナーなどを交え「共生」に想いを馳せるトークショーが開催されました。

    イヌワシの生息環境保全に向けた協働を開始

    南三陸町の「町の鳥」(シンボルバード)にも指定されているイヌワシ。日本の山の生態系の頂点に君臨するとされながら絶滅の危機に瀕しています。南三陸は日本で3番目にイヌワシの巣が発見された地域であり、入谷地区や戸倉翁倉方面につがいで確認をされていました。しかし、震災後は、その姿はほとんど確認されていません。

    「南三陸地域イヌワシ生息環境再生プロジェクト協議会」会長鈴木卓也さん

    イヌワシ減少の要因のひとつは、山が適切に管理されなくなったこと。羽を広げると2メートルほどにもなるイヌワシは、木々が生い茂っていると餌となるウサギなどを捕食することができずに暮らすことができなくなってしまいます。

    そうした状況にあって、2014年に南三陸ネイチャーセンター友の会と林業経営を行う株式会社佐久がイヌワシの生息環境の保全に向けた取り組みで協働を開始。その後パタゴニア日本支社とも協働を開始しました。

    「南三陸なう」ではこれまでもこのプロジェクトについて記事を掲載していますので過去記事もあわせてご覧ください。

    イヌワシと共生する林業へ向けた挑戦スタート

    町のシンボルが絵本に!「イヌワシの棲む山」町内の小中学校へ寄贈

    プロトレイルランナーが南三陸の火防線プロジェクトに参画

    イヌワシの生息環境の保全に向けては、林業的な側面とボランティアベースの2軸で活動が展開。

    今回上映されたフィルム「共生のために走る」では、ボランティアベースで活動している「南三陸イヌワシ火防線トレイル」にスポットが当てられています。かつて山火事の延焼防止のために整備されていた火防線を再整備することで、イヌワシの生息場所を取り戻しつつ、トレイルコースとして親しまれることも期待しています。志津川湾を取り囲む分水嶺とほぼ一致する町境約60キロを整備。

    2015年からプロジェクトに関わっているプロトレイルランナーの石川弘樹さんほかトレイルランナーが「どのように関わっていけるのか?」と自問自答しながら、地域住民との交流も図りながら、自然を尊み、楽しみ、走る姿がが描かれています。制作されたフィルムは、南三陸での上映を皮切りに全国8ヶ所で上演後、3月9日より公式Youtubeチャンネルにて公開されています。

    町役場「マチドマ」で上映会は開催された
    「簡単な道のりではないと思うが力を合わせて南三陸でイヌワシを見たい!」とエールを送った佐藤仁町長

    イヌワシと共生できるトレランコースに

    上映後のトークイベントに出演した石川さんは「トレイルランのコースとして約60キロのロングトレイルのうち9割以上を山の中を、さらに火防線として整備されている走りやすいコースというのは非常に魅力的。ランナーは自然が好きでやっている人が多いが、山のことを知らない人も多い。南三陸のコースを走ることによって、山のことや海のことを学べる場としても期待できるのではないか。さらにそれがイヌワシを戻すための活動であるというのは魅力的」と期待を込めました。

    歌津から戸倉まで約60キロの町境の火防線は2/3ほどが歩けるようになりました。2025年までの全線開通を目指しているそうです。

    一方、あまりにも多くのランナーが押しかけてしまえば環境負荷の増大につながってしまうという恐れも。今後のトレイルコースの利用について鈴木卓也さんは「オーバーユースに気をつけて、負荷をかけすぎないことが大切。整備しているコースは、国有林、県有林、民間林など多くが混在している。計山主さんの理解を得つつ、イヌワシと共生できるような山の自然の利活用の仕方を模索していきたい」と話します。

    地元の子どもたちが山で遊ぶことを当たり前にしたい

    町外からの誘客にも期待されるほか、「地元の子どもたちにも山を知ってほしい」と話すのは林業家の佐藤太一さん。

    「山の道を知ることで、避難や救助の道になる。津波が避けて通れないこの町にあって山を知ることは防災につながる。子どもたちに伝えていきたい」と話します。さらに、これまでの活動を振り返って「林業とイヌワシの保全は相入れないもので対立することが多かったと言われているが、この活動をみんなでやることによって山は本当に懐が深くて、いろんな人が共生する場。人間も生物も神様も含めて多様性が育まれる場だなと実感している」と話しました。

    「地元の子どもたちが山を自由に走り回って楽しんでいて、その上空を見上げるとイヌワシが羽ばたいている。そんな姿が南三陸町の理想の姿」と締めくくる鈴木卓也さん。残り1/3ほどとなった火防線トレイルの整備も今後とも継続して実施していく予定です。「ぜひ町民のみなさんにも参加していただいて一緒に楽しんでいければ」と話す石川さん。

    この南三陸の空を再びイヌワシが羽ばたく日を楽しみに、これからの展開を注目していきたいと思います。

     

    (後編)ネイチャーポジティブな町への第一歩。「南三陸いのちめぐるまち学会」開催

    2022年10月15日・16日に、南三陸自然環境活用センター(通称:ネイチャーセンター)にて、第1回南三陸いのちめぐるまち学会大会 いのちめぐるまちの現在(いま)とこれから -ネイチャーポジィティブで目指す豊かさ-  が初開催されました。今回の記事では第1部の様子をレポートしていきます。

    前編はこちら

    これまでの南三陸でなにが起こったのかを紐解きます

    対談③ 住民の学びで守った渚・松原海岸

    登壇者:かもめの虹色会議 工藤真弓さん(左) 南三陸ネイチャーセンター 阿部拓三さん(右)

    2018年にラムサール条約湿地に登録された志津川湾。その登録にあたりクリアした国際基準の数は9つ中5つという国内最多タイを誇ります。特徴としては、暖流と寒流がバランスよく混ざり合っていること。冷たい海を象徴する海藻のマコンブ(志津川湾が南限)と暖かい海を象徴する海藻のアラメの藻場(海藻の森)が同じ海域に共存している点が世界的に評価されました。

    そんな南三陸町で、有志で始まったのが「かもめの虹色会議」。その背景には、震災後の松原海岸が昔のような自然に還っていることを発見したものの、その場所では防潮堤が作られる県の計画が進んでいたということがありました。住んでいない人が自分たちの町の将来の絵を描くことに危機感を抱いていたという思いが根底にあり、かもめの虹色会議の発足に至ったいいます。

    なぜ松原海岸が必要なのか。どういう意味でどうしていくために必要なのかと自分たちに問うたときに、それに答える知識や言葉を持っていなかったため、南三陸ネイチャーセンター 阿部拓三さんはじめ様々な方にお声がけをして、知恵や知識をかもめの虹色会議の中で集結させていき、松原海岸を守ったと工藤さんは語りました。

    「松原海岸は湾の一番奥にある穏やかな環境で、真水と海水の境目は生物多様性が高い場所。志津川高校自然科学部のみなさんと調査したことが活用のきっかけになった」と語る阿部さん。

    住民が行政をうごかして合意形成ができた希有な事例である松原海岸を、かもめの虹色会議は今後も研究と学びの場としても活用していくとのこと。

    ディスカッション 駆け抜けた10年・なにとなにがつながったのか?

    ファシリテーター:(一社) サスティナビリティセンター 太齋彰浩さん(右)

    これまでの登壇車が一同に集い座談会が行われました。最初に、参加者の方から「震災以降、町に残る人と転出される人」について質問があり、それに対し、

    工藤真弓さんは、「土地との繋がりがポイント」と話します。土地と自分が繋がっているという意識がある人、その土地に引力を感じると便利・不便関係なく住み続ける、または戻ってくる。そのため、今後、まちで育つ子ども達が海や山などとも繋がっているという意識を育んでから外に出るということが大事だと実感していると語ります。

    そして、「雇用の面で、この町には仕事がないんだって言われるのが嫌」と話したのは佐藤克哉さん。賃金も都会に劣らないくらい出せるような、地域で根差す事業をどうつくって行けばいいのかという点を強調されていました。

    そのほかにも議論は尽きず!当日のYoutubeLIVEがアーカイブで残されているのでご視聴ください。

    濃密な学びをたっぷりと!

    1日目だけで、4部ある南三陸いのちめぐるまち学会第一回大会。今回は、1部についてお伝えしました。

    南三陸のめぐるまち構想のきっかけや背景が詳細に知ることのできる学会。参加者のみなさんからは、「実際にどういう取り組みをしてこられたのかが大変興味深かった」

    「地元の方々による街づくりへの具体的な取り組みがリアルに感じられてよかった」

    「町内の活動が一気に可視化された印象を受けました。可視化されたことで、町の力を再発見する機会となりました」

    「発表者の熱量を直に感じることができた」

    という声が寄せられています。

    全国からやってくる南三陸高校生の寮「旭桜寮」が完成

    2023年度から学校名「南三陸高校」へと校名変更する宮城県立志津川高等学校。宮城県内初となる生徒の全国募集のモデル校となり、全国からの学生の受け入れ準備を進めてきました。親元を離れ暮らすことになる学生の拠点となる学生寮「旭桜寮」が南三陸町志津川地区に整備され、2月16日(木)に竣工式が執り行われ、神事によって完成が祝われました。

    実際に入寮した生徒による寮紹介映像が完成しました!是非ご覧ください!(2023.7.8追記)

    「アイルーム南三陸」を移設整備して完成した高校寮

    入谷地区で営まれていた「アイルーム南三陸」の2階3階部分を志津川地区に移設し学生寮として整備しました。アイルーム南三陸は復興作業に携わる方々に向けて整備されたビジネスホテル。

    復興工事の終了に向かっていくことに伴い、2021年8月末に営業を終了していましたが、分割・移設し再利用することができるモジュール工法の特性を生かし、2022年2月に町と協定書を結び、高校寮完成へ動いてきました。

    「アイルーム南三陸」の2階3階部分を移設した 画像提供:南三陸町観光協会

    安心安全を優先し、生徒が快適に過ごせるよう配慮

    建設された寮は鉄骨2階建てで、1階は食堂や自習室、多目的ルーム、ランドリー室などがあり、2階はバストイレ付きの個室が24室設けらています。

    寮母・管理人が住み込み、学校との連携を図るコーディネーターも寮暮らしの生徒への食事の提供や生活面でのサポート、セキュリティ対策も施され、生徒が安全に暮らせるサポートが実施される予定です。

    高校までは徒歩25分ほど。BRT志津川中央団地駅に隣接しており、周辺には南三陸図書館(生涯学習センター内)、スーパー、薬局などもほど近く、生活していく上での利便性も高い場所です。

    個室なのでプライバシーも確保
    ユニットバス付き
    各部屋に施錠できるのでセキュリティも安心
    食事面でのサポートも充実
    食堂も広く開放的
    BRT志津川中央団地駅のすぐ裏手にありアクセスも良い

    一度しかない青春を過ごす場に

    「アイルーム南三陸」を運営していた株式会社アズ企画設計の代表取締役松本俊人さんは竣工式に出席し、「震災の復興が順調に進み弊社が経営していたホテルの再利用として、高校寮として活用できることを非常に嬉しく思う。寮の完成、全国募集がきっかけとなって南三陸地域の発展を願っている」と話しました。

    これまで町では3度にわたって県外募集の生徒向けにオープンキャンパスを実施しました。県外から5名が入試に出願。3月の一般入試に合格すれば晴れて南三陸高校生として、この旭桜寮で3年間を過ごすことになります。

    佐藤仁町長は「生まれ育った町を離れて、南三陸を選んでくれた。たった一度の青春をここで満喫してほしい。町としても全面的にバックアップするので、有意義な時間を過ごしてほしい」と話しました。

    高校生が地域の課題と向き合い 解決案を町に提案「志高まちづくり議会」

    毎年恒例となった「志高まちづくり議会」が2月15日、南三陸町役場議場にて開催されました。志津川高校2年生、12名が3つのグループに分かれ、町が抱える課題に向き合い、解決案を町に提案。高校生ならではの視点でまちづくりについて考える時間を、町長はじめ町の職員たちと共有しました。

    高校生がまちづくりに参画

    今年で6回目の実施となる「志高まちづくり議会」。志津川高校の生徒たちが「総合的な探究の時間」を通して、地域課題を見つけ、学び、考え、解決策を検討し、その成果を発表する機会として、毎年開催しています。この日は高校生議員として2年生を代表して12名、町からは町長、副町長、教育長はじめ、各課管理職員が参加しました。議会を進行する議長役も生徒が務め、緊張感漂う本番さながらの議会が繰り広げられました。

    町役場議場で行われる「まちづくり議会」。議長役も生徒が務めます。緊張の面持ち。

    まちづくり議会は、学習の成果をただ発表する場ではありません。実際に町議会が開かれる議場で生徒からは質疑や提案、それに対する町からの答弁も行われ、自分たちのまちづくりに対する思いを、直接、町に伝えることができ、議論する場でもあります。昨年はこのまちづくり議会から生徒たちが提案した「ご当地ナンバープレート」を制作する案が採用され、実現に至りました。

    走りながら南三陸の魅力を発信!ご当地ナンバープレート 志津川高校生がデザイン

    高校生ならではの視点が光るユニークな提案

    生徒たちは「教育・福祉」、「防災・環境」、「観光・産業」をテーマに3つのグループに分かれて、それぞれまちづくりへの質疑・提案を行いました。

    教育・福祉グループ「マラソンで活気あふれるまち南三陸!」

    教育・福祉グループからは町の課題として、人口減少や少子化、コロナ禍による子どもたちの体力低下などの課題が提示され、その解決策として、小中高校生をメインターゲットに、大人も参加できるマラソン大会を開催するという提案が出されました。

     

    普段何気なく眺めている南三陸町の自然や街並みを、堪能しながら走ることで、町の魅力を再発見してもらい、その魅力を町民同士で共有することで、人口の流出や移住者の呼び込みにつなげたいというのが狙いです。また、町内の子どもたちの肥満率の高さにも触れ、マラソン大会に参加してもらうことで体力の向上や健康増進にも役立てたいと話しました。

    この提案に対し、佐藤仁町長から、過去にも町内でマラソン大会が行われていたが、長く続けることで主催者側の負担になって取りやめになった経緯が答弁されました。継続に難しさがある一方、企画課長からは、「これからスポーツはコミュニケーションツールとしてまちづくりに重要な役割を持つと思う。仕組みをどう作っていくかで可能性が広がるので、引き続き意見交換をしていきたい。」と前向きな声があがりました。

    防災・環境グループ「だれでもすぐに避難できるまちづくり」

    防災・環境グループからは、災害時にだれでもすぐに避難できるまちづくりについて提案が出されました。現在、町内にある避難経路を示す掲示板がその内容や設置数において十分とは言えず、土地勘のある町民以外は分かりにくいと指摘。特に高齢者や子ども、観光客に対して、分かりやすく安全に避難できる環境や工夫が必要なのではないかと訴えました。その中で、防災意識を高めるためのゲームアプリの開発や町内を舞台とした災害シミュレーションを組み込んだ絵本の制作、さらに絵本に登場するキャラクターを避難誘導のシンボルとして活用し、誰でもどこからでも分かりやすく、避難行動がとれるアイデアなどを提案しました。

    佐藤町長は「土地勘がない人にも分かりやすいものを作ることは大切だ。一人でも多くの命を救うという意味では掲示板の役割は大きい、頂いた提案を素直に受け止めたい。」

    総務課長は、「町民向けに対しては防災マップなどを配布していたが、町外の人に対しての啓発活動は不足していた。防災アプリの開発などに力を入れて、町外の人にも避難ルートが分かるような仕組みづくりをしていきたい。」と答弁しました。

    観光・産業グループ「若者の観光客増加につながる、自然を生かしたイベントを開催したい!」

    観光・産業グループは南三陸に観光で訪れる若者が少ないことに触れ、若者が楽しめる今までにない新しいイベントが必要だと訴え、海上アスレチックの設置を提案しました。

    海上アスレチックを取り入れ、観光客の増加につながった鳥取県の事例をあげ、南三陸でやれば東北初となり、注目を集め、若者の観光客の増加につながるのではと話しました。

    海上アスレチックは空気が入った大きなフロート(浮き島)を移動していくアクティビティ。途中には滑り台やトランポリン、ブランコなど様々なアトラクションがあり、若い人や親子連れに人気。

    これを受けて、商工観光課長は、「地域の話題性をアップさせる上では、ある程度の集客効果が期待できる。ただ、設置費用や運営費にお金がかかること、そのため入場料を高く設定しなくてはならないこと、漁業者の理解が得らえるか等、総合的に判断して検討しなければならない。現在、町ではサンオーレそではま海水浴場でブルーフラッグ国際認証を目指しており、地域の資源を生かした取り組みも行っているので、高校生のみなさんにもぜひ興味を持って参加してもらいたい。」と答弁しました。

    課題を見つけ、ひとつずつ乗り越えていくのが「まちづくり」

    議会を終えてホッとしている生徒たちに、佐藤町長は、「地域が抱えている課題を高校生の視点でとらえ、斬新な提案をしてもらい、心強く思っている。課題を解決してもまた次の課題が出てくるのがまちづくりだ。町をよりよくしたいという思いは私も同じ。これからも南三陸町のまちづくりのために協力してほしい。」とメッセージが送られました。

    生徒たちからは、一同に緊張したという声が上がりましたが、「議会に出て、自分たちで調べきれてないところとかたくさんあって、学びにつながった。」「議会に来るまでは実感がなかったが、町長が自分たちの提案に耳をかたむけ、真剣に答えてくれているのを聞いて、まちづくりに参加しているという感じがした。」と話していました。

    みなさん声を揃えて「緊張しました~」

    また、マラソン大会を提案した生徒からは、「町長たちからの答弁を聞いて、実施する難しさを感じたが、可能性はあると思っている。もし、実現に向かって動いたら積極的に関わっていきたい。活気あふれる南三陸町になってほしいと思う。」と心強い声も聞かれました。

    南三陸の将来を担う、高校生たち、地域の課題と向き合いながら、これからもまちづくりに積極的にかかわっていってほしいですね。

    今回行われた、まちづくり議会の様子はYouTube LIVEでも配信されました。現在、アーカイブ映像としてどなたでもご覧いただけます。

     

    (前編)ネイチャーポジティブな町への第一歩。「南三陸いのちめぐるまち学会」開催

    2022年10月15日・16日に、南三陸自然環境活用センター(通称:ネイチャーセンター)にて、第1回南三陸いのちめぐるまち学会大会 いのちめぐるまちの現在(いま)とこれから -ネイチャーポジィティブで目指す豊かさ-  が初開催されました。今回の記事では第1部の様子をレポートしていきます。

    南三陸いのちめぐるまち学会とは?

    南三陸いのちめぐるまち学会とは、南三陸をフィールドとして、【めぐるがみえる】に関する知見を集め、持続可能な社会の実現に向けた知恵を、研究者と市民が共有するための集まりです。(引用:https://inochi-meguru.net )

    一般的な学会とは異なり、分野という垣根を超え学際的な議論をおこし、地域の社会課題にダイレクトに向き合うことで得られる【めぐるがみえる】を追求することで持続可能な社会に貢献することや知見の蓄積、交流を目的としています。

    初代学会長の佐藤太一さんは、「震災前から研究者の皆さまが町に関わって研究のフィールドに使ってくださったり、企業さんとともに新しいプロジェクトが生まれたりということが多い地域だと思っています。この特徴をさらに加速させるために、情報交換や交流をもとにさらに新しいモノが生まれたり知識を蓄積する機会となれば、ということで学会を立ち上げようという話になりました。定員60名のところ、80名超えの皆さまにお集まり頂いたこと嬉しく思います。学びの多い時間を過ごせたら幸いです」と挨拶しました。

    初代学会長 佐藤太一さん

    今回のテーマは「いのちめぐるまちの現在(いま)とこれから ネイチャーポジティブで目指す豊かさ」

    これまでの私たちの生活は自然の恵みを搾取して環境を悪化させる方向で進んできました。この現状をいかに逆転させることができるのか。企業の活動や私たちの普段の暮らし方によって、環境がよくなる方向に進むネイチャーポジィティブの状態にもっていくのはどうしたらいいのか、ということを今回の学会を通じて考えて頂きたいという願いが込められています。

    学会当日は、86名(町内45名・町外41名うち県外21名)が参加。こうした取り組みの注目度の高さが伺えました。

    学会の様子

    これまでの南三陸でなにが起こったのかを紐解きます

    対談① いのちめぐるまち前夜・めぐる里のしくみ

    登壇者:楽農家 阿部勝善さん(左) (有)山藤運輸 佐藤克哉さん(中) アミタホールディングス(株) 佐藤博之さん(右)

    「ご縁としか言いようがない」と話すのは、アミタHDの佐藤博之さん。震災直後、南三陸町にボランティアで入り活動しているなかで、今までアミタが行ってきた事業と南三陸の資源や考え方がマッチし、実現に至ったとのこと。生ごみをエネルギーに変えるバイオガス施設南三陸BIOを2015年から運営していますが、その実現には多くの壁があったといいます。そのなかでも、①液肥を農家さんがつかってくれるようになるまで ②液肥散布にあたっての課題をどう乗りこえたのか という点にフォーカスした対談が行われました。

    一点目はバイオガス発電の副産物として出てくる液体肥料の活用での話で、ほかのバイオガス施設では浄水処理を行って河川に放流してしまうことも通例となっていますが南三陸では全量町内で有効利用することを目標にしていました。そこで欠かせないのが協力してくれる農家さん。常にチャレンジを続け、新しいものが大好きな農家の阿部勝善さんが手を挙げ、試験栽培が実現。しかし、人がホースで撒いたのでは撒きむらが生じ、肥料分が均等に土に入らず作物の生育にも悪影響が出ることが分かりました。多くの農家さんに使ってもらうには、撒きむらをどうにかしなければなりませんでした。

    そこで重要な役割を果たしたのが山藤運輸の佐藤克哉さんでした。山藤運輸が液肥散布車を導入して事業に参入することで、むらなく効率的に液肥を田畑に散布することを実現。佐藤さんがこの循環の輪に加わったのは、震災時にエネルギーや食料の枯渇を体験し、地域でエネルギーが生まれることに共感したことがきっかけだったといいます。さらに、本業のドライバー職では「ありがとう」が言われることが多くない環境のなか、液肥散布を通じて直接農家さんと関係することで農家さんから感謝され、従業員がやりがいを直に感じることができる貴重な機会なっていると話しました。

    こうして課題を克服し、液肥栽培は町内各地へ波及。生ゴミ処理の副産物として生まれる液肥をすべて町内の農地に還元できている全国的にもまれな成功事例となっています。この対談を通じて佐藤博之さんは、「みなさんの思いがめぐって繋がっていることに価値があり、アピールポイントだと思う」と締めました。

    対談② いのちめぐる森と海を目指して

    登壇者:南三陸森林管理協議会 佐藤太一さん(左) 戸倉カキ部会 後藤清広さん(右)

    南三陸町戸倉地区は牡蠣養殖が震災前から盛んに行われてきました。しかし、震災前は「密植」により一年で収穫できるものが二年・三年かかるようになり、品質低下や費用の増加という悪循環をおこしていました。

    震災によって養殖施設が全て流され、ゼロからのスタートとなったとき、今までの養殖方法を刷新し、筏の数を3分の1に減らすという3分の1革命を起こしました。この革命により、生産量は2倍・生産額は1.5倍・経費4割減・労働時間4割減という好循環を生み出すことができました。そして、国内初のASC認証を取得。3分の1革命とASC認証により、子ども達に誇れる漁業となり、結果、20代の後継者が増加するに至りました。

    そして、「海だけでなく、管理の行き届いた山の存在は大きく、『山は海の恋人』というようにこれからも一緒に頑張っていきたい」と戸倉カキ部会 後藤清広さんは語りました。

    「山の財産は今後も残り続ける。だからこそ、活用し続ける必要がある」と話すのは、南三陸森林管理協議会 佐藤太一さんです。震災後に佐藤さんが南三陸に戻ってきたときには、町が既に持続可能なまちづくりを掲げ旗振りしている状況だったといいます。そのビジョンの実現に向け、町の77%の面積を占める森林の正しい資源活用や持続可能な林業を実現しなければという使命感のもと、 「森林の価値を高めている客観的な証であるFSC認証の取得に向けて動いた」と話します。

    現在は、町内の山林のうち30%弱がFSC認証を取得。

    そして、海との関係については、「『山は海の恋人』という言葉を超え、夫婦のようなものだと感じている。是非、コラボレーションしていきましょう」と語っていました。

    (後編へつづく)

    町の人の健康のために自分ができること/長田滉平さん(南三陸ながた接骨院)

    南三陸町の志津川地区で念願だった接骨院を今冬開院した長田滉平さん。地元でもある志津川に帰ってくるまでの様々な場所での経験と、町への思いをお聞きしました。

    きっかけは高校の先生の一言

    「久しぶり!なんか緊張するなぁ」午前の診療を終えた長田さんにオープンしたばかりの真新しい院内にてインタビューを行いました。

    友人や企業からのお祝いのお花。画面外にもたくさんのお花が届けられていました

    29歳の若さで南三陸ながた接骨院を開業した長田滉平さん。志津川地区出身で小学生時代から野球に明け暮れ、たくさんの友人たちと学校生活を送っていました。そんな思い出深い地元での開業について長田さんに話を伺いました。

    ―接骨院ということですが具体的にどのような職業か、簡単に教えてください

    「柔道整復師と言う国家資格を専門学校に通って取得しました。急性の怪我(骨折・脱臼・捻挫・打撲・挫傷)などはうちの得意分野になります」

    ―いつ頃からなりたいと考えていたか覚えていますか?

    「最初はスポーツトレーナーになりたいと思っていました。小学校から高校まで野球をやっていたのが一番大きくて、その影響でスポーツに携わった仕事がしたいなと。変えるきっかけをくれたのは当時の高校の担任の先生でした」

    志津川高校野球時代の長田さん(写真中央)

    「その先生から『スポーツトレーナーの国家資格取れるのも一握り、自分の開業権を持てる柔道整復師っていうのがあるんだけど目指してみないか?』って紹介されたんです。それが接骨院の先生だというのは分かっていました。ただ、国家資格が云々っていうのが分からなくて。安易な考えだけど部活動に携わったりしてみたいなと思っていました。でも、スポーツトレーナーは資格を持っていて、その上でトレーナーになっている。結果的に先生から『スポーツトレーナーになるってその学校行ったとしても、また欲しくなるよ?柔道整復師には時間もお金も掛かるけど、頑張ってみたら?』と言われたことで、合格していた学校ではなくて、資格が取れる専門学校を選ぶことにしました」

    ―合格した後にさらに受験したのですね。そちらに進んでみてどうでした?

    「やっているうちに、身体の勉強をするのが楽しくなりました。人間の身体の仕組みや解剖学、骨や筋肉の仕組みを学べるのは面白かったですね。そこから治療科になっていこうかなと、どんどん気持ちが高まっていったって感じでした」

    専門学校時代の長田さん(写真左)

    積み上げる時間と経験の先にあるもの

    ―専門学校を卒業してからはどちらで働き始めましたか?

    「資格も運よく一発で取ることが出来たので、最初は志津川の接骨院で3年働きました。働いているうちに色々勉強したくなってきたので他2院を渡り歩き、スポーツと介護について学ぶことが出来たので、結果的にそれぞれの接骨院の良い所取りをすることで本当に勉強になりました。これがどこか一つだけだったらまだ自分の院を開いてなかったと思います」

    果敢にチャレンジを続けてきた長田さんの施術は学生から高齢者まで幅広く対応できる

    この町で開院する意味

    模索しながらも探究心と好奇心を忘れずに、チャレンジを続けてきた長田さん。開業場所を志津川にしたことの意味を伺うと

    「う〜ん、家から近いからですかね。いや冗談ですよ」と笑った後に少し照れくさそうに
    「でも一択でした。地元の人たちに貢献できるようにって。それだけです」

    「飾ったあれはないけども…」と前置きをした上で「地元の人たちが好きで、海とか山の人たちが多いじゃないですか。それがなくなってくるとこの町って今と違くなるんじゃないかと。だから、その人たちがしっかり働けるように、中間じゃないですが俺みたいな職業って必要と言えば必要かなと。町の人たちの働き方を見ていたら、この町でやっていきたいなって思いました」
    自分のもつ技術を、思い入れのある故郷で生かすことを選択した長田さん。

    「他の町の方からも土地あるよと声をかけられていたけれど、どっちかって言ったら身近な人たちの方が好きだし、昔から育った町の人に貢献したいなと。町のために働いている人たちや頑張っている学生、
    おじいちゃんおばあちゃん達の健康寿命ちょっとでも上げればもっと町が活発になるかなと」

    とはいえ30歳手前で開業するというのもこの町では中々珍しいこと。そこまでの思い切った決断が出来た要因はなんだったのか。

    「自分より先に帰ってきてお店開いたり、自営で海仕事をしている友達や先輩達に刺激されましたね。それに、若いからか周りの人にとても喜ばれました。今どっちかっていうと町の中心は50~60代でその後がいないってよく言うじゃないですか、そこを何とかしないと町が終わっちゃうともね。何が良いんだろうね、何があったらみんな戻ってくるんだろうね」

    長田さんはこれからの町を見据えて何が出来るのか、刺激的な環境にいながらもそれがより良くなるように出来ることを模索していました。

    「俺はこの施設を患者さんを治したいって思いで開いたけど、片隅には町のことはありますね」

    産後のお母さんでも安心して通ってもらえるようサポートは万全に。

    奮い立たせる、支えてくれる友達の存在

    今回の開業にもたくさんの友達に力を貸してもらっていました。

    「帰ってきてこれから町で頑張りたいって友達にHPや名刺なんかも手伝ってもらいましたし、これからもそうやってみんなで頑張れたら良いですよね。町を離れて頑張っている友達にも、負けていられないっていうのも強いかな」

    学生時代のチームメイトと社会人になった今も白球を追いかける

    学生時代から今に至るまで、前を走るたくさんの背中と横に並んで走ってくれる友人に
    支えられてきた長田さん。故郷南三陸の地でどのようなプレーを魅せてくれるのか。
    町民を支える若き院長の活躍に期待したい。

    写真提供:山内秀斗さん(合同会社リトレ)、長田さん