復興のシンボル歌津迎賓館 鍵 にて音楽イベント開催

歌津平成の森敷地内にある集会所『南三陸歌津迎賓館「鍵」』で音楽イベントが開催されました。イベントの様子とともに、前方後円墳の形をした、この不思議な竪穴式集会所についてご紹介します。

南三陸町歌津地域の多目的総合施設「平成の森」

歌津の高台に位置する「平成の森」は、アリーナ・トレーニングルーム・宿泊施設・レストランなどなど、季節を問わず様々な用途で使える、多目的総合施設です。

敷地内には町役場歌津支所や図書館なども併設されているほか、ナイター施設を備えた野球場では毎年、楽天イーグルスのイースタン公式戦も開催されています。日帰り可能な温浴施設も備わっており、観光やボランティアでお越しの際もご利用いただけます。

東日本大震災時には避難所として機能し、現在でも大規模な仮設住宅が残っている場所でもあります。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

歌津迎賓館「鍵」

平成の森野球場のはじっこに、集会所として建設されたのが『南三陸歌津迎賓館「鍵」』です。

見慣れぬその形は、さながら「前方後円墳」のよう。そして、入り口から地中へと掘りこまれたそのつくりはまさに「竪穴式住居」の様相です。小学校の教科書のおさらいができますね。覚えていますか?

立派な木の柱に土壁、中央には囲炉裏を構え、壁には絵師・香川大介さんによる阿吽の獅子の絵が描かれます。地元伊里前の契約会が伝える獅子舞を描いたものだそう。

この迎賓館「鍵」は、歌津地区の震災復興のシンボルとして、たくさんの方々のご支援やボランティアにより2012年5月に完成しました。以後、地域の方の集会所として様々な用途で活用されています。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

復興応援グループ「チーム日光」

震災直後、避難所や仮設住宅への移転によりコミュニティが分断される中、地域の人々が団結する必要がある、そのためには皆が集まる共有の場が必要である、という地元の方々の強い思いを形にするべく、「鍵」を建設するプロジェクトが立ち上がりました。

プロジェクトの中核グループは、栃木県の方を中心に結成された復興応援グループ「チーム日光」。震災直後に立ち上がり、石巻市や南三陸町を中心にご活躍されてきました。「鍵」はチーム日光のみなさんにより、2011年から制作されました。

たくさんの募金や作業ボランティアの方々によって、わずか1年ほどで完成し、地元の方々へ引き渡されました。

その独特な形状や建築方式には、シンボリックかつ低予算であり、また日本古来の伝統的な作りである竪穴式の建築に加え、寄合の場としてふさわしい円形を取り入れた前方後円墳の形状、また間伐材の利用や太陽光発電の利用などの自然環境への配慮もなされています。

日本の住居の「原点」に立ち返り、原点に返ってもう一度ここから再出発しよう、という想いが込められているそうです。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

keys session vol.1

2016年4月24日に「鍵」で音楽やアートを中心にしたイベントが開催されました。題して「keys session vol.1」。

地元の方々を中心に、楽器演奏・歌のほか、DJや詩の朗読・ライブペインティング、さらには来場者誰でも参加OKの即興演奏など、多岐にわたる方々の出演や催しがありました。

一見怪しげな雰囲気ながら、豊かな自然に囲まれた歌津平成の森の立地と、丸太や土壁でつくられた「鍵」の雰囲気、ライブペインティングで参加される「Kemono gallery」の小野寺達也さんの明かり、そして出演者の奏でる心地よい音楽に、とても心地良い空気が流れます。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

「TATEHAMA DIAL HOUSE」千葉和人さん

主催されるのは地元館浜出身の千葉和人さん。音楽を愛し、被災しながらもプライベート音楽スタジオ「TATEHAMA DIAL HOUSE」を建て、地域の方々と音楽活動を楽しみます。

「この町で楽しく暮らしていきたい、そのためのきっかけにしたい」と今回のイベント開催に踏み切ったそう。会場として「鍵」を選択したのには、音楽という“ものづくり”をおこなう千葉さんの精神と、DIY精神の極みとも言うべきこの竪穴式集会所に、共鳴するものを感じたからといいます。千葉さんが運営する「TATEHAMA DIAL HOUSE」も、「楽しい場所が無ければ自分でつくればいい」というまさにDIY精神によるもの。

「町内は若者が楽しめるスペースが少ないので、希望が持てる場所になれば、うれしいですね」と、このイベントにかける想いを語ってくださいました。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

楽しい場所が無ければつくればいい

「ものづくりを突きつめる者にとって、あの建物で表現ができることはとても贅沢でありがたいことだと思います。その価値を発信していくとともに、あの場所に関わった方々の思いをつないでいきたいです。そしてその輪が広がっていけばいいなと思います。今後もあの場所で手作りのイベントを継続していきたいと思います」と、今後の抱負についても語ってくださった千葉さん。

これまで5年間、たくさんの方々のご支援に支えられ復興の歩みを進められた私たち南三陸町民は、決して感謝の思いを忘れはしません。

また今後、ますますの町の復興や発展へ向けてその歩みを止めることなく、これまでご支援いただいたみなさまへ精一杯の恩返しができるよう、楽しく豊かに暮らしていける町としていく責務があります。

「楽しい場所が無ければつくればいい」と町の輝かしい未来へと万進される千葉さんから、復興への希望の光や心強さを感じるイベントでした。

復興のシンボル『歌津迎賓館「鍵」』にて音楽イベント開催

入谷に桃源郷を!花見山感謝祭開催

「入谷の里に“桃源郷”を」。そんな20年来の地域の方々の思いが、いよいよ形になり始めています。花あふれる豊かな里山へ。「花見山プロジェクト」の感謝祭が開催されました。

入谷「ばば山」

南三陸町入谷の中心地、中の町地区を見下ろすようにそびえたつ「ばば山」は、地域のシンボル的な山として、また古くから地元の方々の遊び場・思い出の地として愛されている場所です。

里の四季を感じられる頂上からの展望は本当に美しく、震災後からはたくさんの大学生やボランティアの方々に支えられ、遊歩道の整備やツリーハウス「ソノバシノ木」の設置などがなされてきました。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

20年前の“桃源郷構想”と「花見山プロジェクト」

今からおよそ20年前、入谷の地域づくり団体「グリーンウエーブ入谷構想促進委員会」によって、“桃源郷構想”が立ち上がりました。地区内で花の咲く木を育て、美しい景観づくりやこれによる地域の活性化、また苗木の販売による新たななりわい作りを狙ったものでした。

この“桃源郷構想”が20年の時を経て、今一度地域の方々によって立ち上がりました。想いを受け継ぎ、ボランティアなどの力を借りながら新しいスタイルで実現しようというのが「花見山プロジェクト」です。

ばば山を花あふれる地にし、新たな地域の憩いの場にしよう・新たな観光名所にしようと、実行委員会が発足しました。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

花見山プロジェクト、これまでの軌跡

2013年から、震災ボランティアと共に地域の里山を学ぶ活動として、ばば山の整備「グランマの森プロジェクト」が始まります。翌年に中腹にツリーハウス「ソノバシノ木」が完成し、農作業などの休憩所として、また地域の小学生の社会学習の場や地域イベントの会場として活用され始めました。「ばば山=グランマの森」「その場しのぎ=ソノバシノギ」など、なんともネーミングが秀逸です。

2015年には、町の「おらほのまちづくり支援事業補助金」を受け、本格的に「花見山プロジェクト」が始動。地域住民を中心に、多くの企業・大学・団体等のご支援を受けながら、山の整備や植樹などが進められてきました。

頂上のビュースポットに東屋があればなー、という地域住民の声に応える形で、これまでのボランティアや無農薬ササニシキ・トウキの栽培・情報発信などでご支援をいただいていたNTTdocomoさんは、東屋を建設してくださいました。地権者の方から提供された地産のクリの木による柱や解体された古民家から出たスレート屋根、地域の職人さんによる施工により建てられた東屋は、今後地域住民や観光に来られる方々の憩いの場となることでしょう。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

 

花見山感謝祭

4月29日、東屋の除幕式とともに、花見山感謝祭が開催されました。

前日の大雨がかろうじて止み、風が強く寒いながらも好天に恵まれた中、プロジェクトに関わった地域の多くの方々や、東屋・苗木の寄贈などでご支援くださったNTTdocomoさん・東北電力さんなどが集まりました。

「海が印象強い南三陸町ですが、こうして山の名所ができることで、ますます海から山めぐる町へ」と祝辞を述べたのは町長。地域の人々により手入れされた里山が観光名所として整備されることで、町の取り組む森・山・海・里が連環する循環型社会へと、より近づいていくことでしょう。

関係者や来賓らによる東屋テープカットもおこなわれ、盛大なセレモニーとなりました。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

地産品を味わう軽食会

セレモニー後には、入谷の地産品が用いられた軽食が振る舞われました。

農業を営む女性らによる「ビーンズくらぶ」提供のおにぎりや、農業体験などを行う農業法人「農工房」提供の薬膳トウキスープ、また、ばば山で収穫されたタラッポ(タラの芽)の天ぷらなど、地域の人により生産された、地域の産物や旬の味覚を存分に味わえるメニューです。

これだけ美味しいものがつくられる入谷という里の力強さを、改めて感じます。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

地域内外をつなぐ協働の場

オープンセレモニーの中でプロジェクト協力への感謝状を贈られたNTTdocomo東北支社の山田さんは「たくさんのご縁をいただきこちらこそありがとう」と、また東北電力株式会社気仙沼営業所の太田さんは「参加できたことを誇りに思う」とそれぞれ述べられました。プロジェクト自体がすでに、地域の方々と地域外の方々をつなぐ架け橋として大きな意味を持ち始めています。

こうした地域を越えた協働の姿が、美しい花見山として花開き形になる日も遠くないでしょう。

美しい花見山を眺めに、また頂上からの展望を楽しみに、そして、ぜひ植樹やプロジェクトへの参加にいらしてくださいね。

入谷に“桃源郷”を!花見山感謝祭開催

南三陸町公式ブログ 南三陸なうリニューアルオープンしました

南三陸町の公式ブログの南三陸なうは、2012年12月3日より約800件の記事を更新しています。この度、より見やすくより多くの方に復興に向けて歩みを進める、南三陸町の”いま”を伝えるためリニューアルを行いました。

新しい南三陸なうも、どうぞ応援よろしくお願いします!

変更点を下記に記載しましたので、ご確認ください。

ドメインの変更

ドメインがwww.minamisanriku-now.blogspot.jpからwww.m-now.netに変更となりました。お気に入りやリンクバナーのURLの変更をお願い致します。
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デザイン/カテゴリの変更

ホームページのデザインすべてが新しくなりました。閲覧数順の人気ランキングや、最新記事などをひと目で見られるようになっています。そして、記事のカテゴリが増えました。
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南三陸なうのロゴが出来ました!

NOW!をモチーフにロゴが制作されました。Nの色は「海」Oは「森」Wは「里」そして、!は町を包む太陽の色が表現されています。そして、Oの部分は南三陸なうを通して笑顔になってほしい思いが込められています。

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南三陸なうのSNSもオープンです

南三陸なうのツイッターアカウントとフェイスブックページもオープンしました。記事更新のお知らせやSNSだけの情報も発信していきますので、ぜひフォローしてください!

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みなさんぽ特設ページ

南三陸町公式ラジオ番組「みなさんぽ」の最新情報をみなさんぽ特設ページにて公開しています。

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南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2

地域資源を活かし循環させる南三陸町の取り組みを紹介するシンポジウムと現場を訪問するツアー、「南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~」が、4月9、10日に開催されました。今回は、二日目にあたるツアーのご紹介をします。南三陸町は、平成26年3月、経済性が確保された一貫システムを構築し、地域の特色を活かしたバイオマス産業を軸とした環境にやさしく災害に強いまち・むらづくりを目指す『バイオマス産業都市』に選定されました。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
南三陸町バイオマス産業都市構想の全体イメージ http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/index.cfm/8,6273,45,html

南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~ツアー訪問先

  1. 後藤清広氏より「海のはなし」+質問タイム(ホテル観洋にて)
  2. 阿部博之氏より「里のはなし」(南三陸BIOにて)
  3. 櫛田豊久氏より「循環のはなし」(南三陸BIOにて)
  4. 佐藤太一氏より「森のはなし」(FSC認証林にて)
  5. 志津川中学校より志津川の町を眺める

津波を経験した漁師さんが国際認証ASCを目指した理由

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
宮城県漁協志津川支所戸倉出張所牡蠣部会長 後藤清広さん

4月10日、ツアーは南三陸町志津川湾を臨むホテル観洋からスタートしました。前日二部の登壇者でもあった宮城県漁協志津川支所戸倉出張所牡蠣部会長 後藤清広さんのお話は、東日本大震災の時の様子からはじまりました。窓の外で穏やかに広がる海は、震災直後、底が見え、歩いて渡れるくらい水がひいていたそうです。

「大津波は、沖までぎっしり浮かんでいた牡蠣の養殖筏も全て流れ、牡蠣の幼生もいなくなってしまったと思い、漁業を再開できるとは思っていませんでした。しかし、ある日、泳いでいる無数の幼生を見つけたのです」と後藤さん。

そして、戸倉出張所牡蠣部会は、水産庁の復興支援事業『がんばる漁業』を導入し、共同で漁業を再開ししました。現在は、3年の事業期間が終了し、個人事業に戻っています。がんばる漁業が終了したあと、戸倉地区の牡蠣漁師さんたちが選んだのは、牡蠣イカダの量を震災前の1/3に減らし、より質のよい牡蠣を育てる道でした。今年(2016年)、3月には、『責任ある養殖業』であることを認証するASC養殖場認証を日本国内初で取得しました。ASC認証には厳しい制約もあるけれど、それが『津波を忘れない』ことにつながるのではないかと、申請を決めたということです。

多大な被害をもたらした津波ですが、視点を変え、そこから教訓を得るということも生きてゆく上では必要なことなのかもしれません。

旧下水処理場を再利用したバイオガス施設『南三陸BIO(ビオ)』の見学

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
家庭生ごみの資源化について説明するアミタ株式会社南三陸BIO所長の櫛田豊久さん(右から2番目)

次に訪れたのは、『南三陸町バイオマス都市構想』の中核施設の一つとなる旧下水処理場を再利用した、アミタ株式会社のバイオガス施設『南三陸BIO(ビオ)』です。南三陸町にはごみ焼却施設が無く、これまでは、85%が水分である生ごみも『燃えるごみ』として、ごみ焼却施設のある気仙沼市に処理を委託していました。灰は山形県まで運ばれ、埋められていたそうです。昨年10月にオープンしたこの施設では、南三陸町内で発生する生ごみ、衛生センター、浄化槽で処理されたし尿や汚泥を集収し、農業用の有機液肥をつくると同時に、その過程で発生するガスで発電します。約60世帯分の電気をつくることができ、施設で必要な電気はそれでまかない、余剰電気は売電されます。

南三陸町の各家庭の生ごみは、これまで燃えるごみとして出していましたが2015年10月19日より分類してごみ集積所に持っていくことになりました。

各家庭には白い水切りバケツが配布され、ごみ集積所に設置される大型(上記写真右)のポリバケツで地域の生ごみを集収し、『アミタ株式会社 南三陸BIO』に運ばれます。

町内の住宅街、旭ヶ丘団地で試験的に先行実施をした際には「細かい分別が めんどう」という声も出ていましたが、2週間後には「慣れたよ」としっかり分別され、試験期間が終わる頃には「まだ続けたい」という声が出ていたそうです。めんどうが増えた、ということではなく、そこに有益なものが生まれるという確かなものがあるからなのでしょうか。町民ひとりひとりが関わることによって、町全体の意識の高まりが生まれるのかもしれません。

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アミタ株式会社 http://www.amita-net.co.jp/strategy/recycle/minamisanriku-bio.html

農業者、阿部博之さんが想う”つくる側の責任”とは……

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
南三陸BIOの液肥を使う農家の阿部博之さん

実際に液肥を使っている農家の阿部博之さんからもお話がありました。

液肥は一反歩に散布するのに適した量が、1500円前後で販売されています。散布費用も含まれ、化学肥料と比較して約半額のコストに押さえられます。しかし、野菜や米も生き物。合う合わないということもあります。種類によっても、年によっても、散布する時期でも効果は違ってくるので、試行錯誤を重ねて、使い方を研究しなければいけないそうです。それが自然を相手にするということなのでしょう。液肥が薄く何度も散布しなければいけないのも改善したい点として挙げられていました。

阿部さんは、無農薬、有機肥料で農作物をつくろうとしています。「農薬を使うと、虫のつかない、みかけはきれいな野菜や米ができます。しかし、虫はどんどん農薬に強くなっていきます。その度に、より強い農薬を使わなくてはいけなくなるのです」と阿部さん。10年前から田んぼの生き物調査会も開催し、トンボが激減している事実も目の当たりにしている阿部さんは、「格好は悪くても、体にいい野菜をつくるのは、作る側の責任だ」と言います。

山の恵をいただき、山を守る林業者

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
株式会社佐久専務取締役の佐藤太一さん

次に、養殖の国際認証ASCと並ぶ、森林の国際認証FSCを取得した株式会社佐久の山で、専務取締役の佐藤太一さんよりお話を伺いました。FSC認証には4つの観点があるそうです。合法性、計画性、環境への配慮、労働環境の整備、どれも当たり前のように思えますが、実情は、全てがきっちり守られているところはそれほどないそうです。

案内していただいた山は適切に間伐がされており、上を見上げると枝の間から空が見えました。「木と木の隙間から光が地面を照らし、下草が生えます。下草は土に根をはり、土砂崩れを防ぎ、水を貯蔵することもできます。そうすると虫や動物の住処にも適したものになるのです。虫や動物はいろいろな物を残し、山は豊かになります。そして、山に降り注いだ雨はその栄養を湾に注ぎ、海の生き物を肥やします。また、湾の水は『やませ』(注)となって山の木を潤します」と佐藤さん。

残念なことに、近年は、全国的に木材があまり使われなくなり、伐採適齢期になっているのに、放置山林が増えているのが現状だそうです。山は人が適正に入ってこそ健康的に循環してゆきます。もっと木に注目してもらおうと、南三陸町では、「山さ、ございん」というプロジェクトを立ち上げ、機能性、デザイン性に優れた製品を開発するとともに、山の話しを伝えてゆこうとしています。

(注)『やませ』とは、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風で、濃霧を発生させる。山林の木々にとっては潤いになる反面、稲作には冷害を引き起こすこともある。

持続可能な地域づくりと個々の責任

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
高台にある志津川中学校より町を望む

今回のシンポジウムとツアーは、「持続可能な地域づくりへの挑戦」と題されたものでしたが、持続可能にするためには、その恵みを受ける者が、それぞれに責任を果たしてこそ持続可能になるものだということを再確認させられたような気がしました。

ツアーには社会人として働くのを目前に控えた環境保護に興味をもつ大学生、公共政策を学ぶ大学院生なども参加しており、興味深く話しに聞き入っていました。最後は、高台に位置する志津川中学校の震災前に撮影された青々とした水田と山の向こうに海が広がる写真の前から土色の工事現場となった志津川を眺めながら、参加者の皆さんは、新しくつくられる持続可能なまちへとそれぞれ思いを馳せていたのかもしれません。

おりしも、このイベント直後の4月14日の熊本地震が起こり、道路は寸断され、4月20日現在も、流通が滞っている状況です。防災の側面からも地域の持続可能性を考えさせられます。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

毎月恒例の福興市が、今月も盛大に開催されました。東日本大震災から約一ヶ月という早さでスタートした福興市。今回は、その舞台裏を中心にお届けします。

志津川湾ホタテまつり福興市

2016年4月24日(日)、毎月恒例の福興市が開催されました。

通算56回目となる今回のテーマは「ホタテ」。間もなく最盛期を迎えるホタテの初物が手に入る・味わえるとあって、たくさんの方にお越しいただき、大盛況に終わりました。

生ホタテや炭火焼ホタテの販売コーナーには、開会式を前に長蛇の列ができ、昼ごろに売り切れるまで、その列が絶えることはありませんでした。

身も大きくなり甘さの詰まったホタテは、このあと夏ごろまで旬となります。ちなみにお刺身で食べる場合は、横にスライスするよりも、繊維に沿って縦に切る方がおいしく味わえます。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

福興市5周年記念の餅まき

おいしい水産物の生産と販売、そして賑わいと集いのお祭りを続けることで、町の復興を後押ししアピールしていこうと。その後は、おおむね毎月1回のペースで継続され、今回で通算56回目。そして、記念すべき5周年を迎えました。

2011年4月29日・30日、未だ避難所となっていた志津川中学校を会場に、第1回目の福興市が開催されたのは東日本大震災からわずか一ヶ月半後。ようやく電気や水道の復旧がなされたものの、未だ、通常の生活がままならないという時期ではありました。そのような中、たくさんの人が集まり、ひと時の賑わいが生まれ笑顔がこぼれました。

このあたりの地域では、祝い事といえば“餅まき”。お正月のお祭りでも、夏祭りでも、新居が建った時でも、新船の入水式でも、決まって餅まきがおこなわれます。今回も、もちろん盛大な餅まきがおこなわれ、ステージ前では、お餅や商品引換券をめぐり大変盛り上がりました。この町の人たちは、餅まきにかけては本気です。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

福興市の舞台裏

こうした福興市の開催の裏には、当然主催者側の準備や片付けがあります。これまで56回にわたって開催できたのは、福興市実行委員や出店者のみなさんはもちろん、南三陸町産業振興課・南三陸町観光協会・ふっこう青年会、そして多くのボランティアの方々による、見えない部分でのご苦労の賜物でした。

5周年を機に、町の賑わいを支える裏側の様子もお届けしてみようと思います。ということで、福興市前日の会場へ、設営のお手伝いに伺いました。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

テントの設営から始まります

町内の名だたる水産加工会社の大型トラックに積まれ、会場には資材が次々と運び込まれます。さすが水産業の町とあって、さながら魚市場のごとくフォークリフトが軽快に走り、資材を各所へ振り分けて行きます。

設営に集まった出店者・ボランティアの方々は、手慣れた手つきでテントを建てて行きます。今回は約25張、普段と比べるとやや少ない方でしょうか。とはいえ、それなりに重量のあるテントを少ない人数で設営していくのは、それなりの重労働でもあります。

そんな中でも、毎月の顔なじみとなった出店者の皆さんは、今月もよろしく・頑張ろうと、笑顔であいさつを交わしながら汗を流します。お祭り当日だけでなく、準備や片付けも含め地域の皆さんが協力し合うことが、本当の意味の賑わいや集いだな、と感じます。

その後も、テーブルやイスの配布、のぼりや看板・ゴミ箱の設置など着々と準備は進み、おおよそ3時間ほどで作業は終了しました。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

NEC“TOMONI”プロジェクト

準備や片付け、そしてお祭り当日の運営には、これまでたいへん多くのボランティアの方々が関わってくださっています。

中でも、毎月のように大人数で町に訪れて下さっているのが、NEC“TOMONI”プロジェクトのみなさん。2011年7月より継続されている東北復興支援活動です。2015年11月には南三陸町と復興連携協定を締結し、南三陸応縁団の活動等を通じて引き続きご支援をくださるそうです。

今回も大型バスに乗ったたくさんの社員さんがいらっしゃり、準備・片付けから販売ブース内まで、各所いたるところでお手伝いくださいました。社名の入った白いビブスは、すでに福興市ではお馴染みの風景となっています。

私たち町民出店者やお客さんとも気さくに話していただき、また威勢の良い声で販売にも大いに貢献してくださり、たいへん助かっております。いつもありがとうございます。

5周年を迎えた福興市、舞台裏はたくさんの人に支えられていた(第56回志津川湾ホタテまつり福興市)

今後もずっと続く福興市を目指して

こうした多くのボランティアの方々のお手伝いにより、毎月大規模に開催できている福興市。裏を返せば、これだけの規模で継続していくためには、ボランティアの方々の手を借りざるを得ないのが現状となってしまっています。

福興市は出店事業者のみならず、多くの町民にとって大切な賑わいと集いの場となっています。毎月笑顔で顔を合わせ、「元気でやっているかい」「引き続き復興に向け頑張って行こう」と、地域のつながりを強くしていきます。

こうした活気あふれる場が続くことで、町の明るい復興をアピールしていきます。

南三陸町民のみなさん、ぜひ福興市のおでってーにいらしてください。地域のみんなで、地域のイベントをつくりあげていきましょう。

町外のみなさん、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。福興市のお手伝いも、当日のご来場も大歓迎で、明るい笑顔でお待ちしております。

次回の開催をお楽しみに!

〈5月4日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年5月4日

「オープニングコール」は、南三陸商工会 佐藤潤也さんからユニークな自己紹介から始まり、「まちのひと」は戸倉漁師の会松岡孝一さんから戸倉漁師の会のお話です!

そして、今週の逸品のコーナーは、佐藤潤也さんからのオススメでモアイソフト

オープニングコール

南三陸商工会佐藤潤也さん。さんさん商店街インフォメーションにいつもいるマスコット的存在の潤也さんの自己紹介からスタートでした。

南三陸町商工会佐藤潤也さん
南三陸町商工会 佐藤潤也さん
モアイソフト
緊張している佐藤さん

まちのひと

戸倉漁師の会松岡孝一さんから戸倉漁師の会のお話。

戸倉漁師の会松岡孝一さん
戸倉漁師の会松岡孝一さん

今週のイチオシ

今週の逸品は、モアイソフト!

今週の逸品は、南三陸さんさん商店街の中にある阿部茶舗で販売している「モアイソフト」です!
さんさん商店街には、チリから寄贈いただいたモアイがいます。モアイの意味は、モ=未来に・アイ=生きる、未来に生きるです。モアイが来た2013年に、モアイソフトが出来ました。ソフトクリームが濃厚で美味いんです。上に乗っているモアイゴーフレットと合わせると、食感が最高です。ぜひ南三陸においでいただき、さんさん商店街でモアイソフトはいかがでしょうか?

ご購入はさんさん商店街阿部茶舗で!

モアイソフト
モアイソフト

参考サイト

〈4月27日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年4月27日

「オープニングコール」は、南三陸町観光協会の千葉裕美さんからゴールデンウィークのイベントみなみな手づくりマルシェのご紹介から始まり、「まちのひと」は花見山プロジェクト実行委員長阿部勝善さんから花見山プロジェクトのお話です!

そして、今週の逸品のコーナーは「大漁旗の小物入れ」!

オープニングコール

南三陸町観光協会の千葉裕美さん。ゴールデンウィークのイベントみなみな手づくりマルシェのお話から始まりました。

南三陸町観光協会千葉裕美さん
南三陸町観光協会千葉裕美さん

まちのひと

花見山プロジェクト実行委員長阿部勝善さんから花見山プロジェクトのお話。

花見山プロジェクトとは・・・
宮城県・南三陸町入谷地区。20年前に「桃源郷構想」というプロジェクトがありました。
その思いを受け継ぎ、ボランティアなどの力を借りながら、新しいスタイルで整備していくのが「花見山プロジェクト」。場所は、地域から「ばば山」と親しまれる象徴的な山です。花桃・桜などの花木を植えていきます。将来は、山一面が咲き誇る花見山にし、地域の憩いの場、そして、観光スポットとして確立していきます。

花見山プロジェクト阿部勝善さん
花見山プロジェクト阿部勝善さん

今週のイチオシ

今週の逸品は、大漁旗を使ったペンポーチとプチポーチ!

みなさん大漁旗ってご存じですか?漁師が新しい船で初めて海へ出る時、親戚や漁業仲間たちから、海での安全と豊漁祈願を願って贈られる祝い旗です。色鮮やかな大漁旗を使ってペンケースとポーチにしたのがこの商品です!一つ一つ手作りで作られていて、オンリーワンのペンケースとペンポーチ。
さんさん商店街隣のポータルセンターテントの中にある「みなみな屋」オリジナル商品です!

ご購入はみなみな屋で!
南三陸へお越しの際はぜひ、おみやげに大漁旗ペンポーチ/プチポーチをセレクトしてみてはいかがでしょうか?

大漁旗ペンポーチ/大漁旗プチポーチ
大漁旗ペンポーチ/大漁旗プチポーチ

参考サイト

〈4月20日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年4月20日

「オープニングコール」は、海しょくにんの髙橋芳樹さんからわかめのご紹介、「まちのひと」は福興市実行委員長山内さんから福興市のお話です!

オープニングコール

海しょくにんの髙橋芳樹さん。旬のわかめや体験学習のお話から始まりました。

〈4月20日放送〉みなさんぽ
高橋芳樹さん(高芳丸)

まちのひと

福興市実行委員長の山内正文さん。福興市の立ち上げ当時のお話などお話いただきました!

山内正文さん
福興市実行委員長山内正文さん

今週のイチオシ

今週の逸品は、南三陸町のわかめ!南三陸町歌津の「ワカメ」の品質は全国トップクラス。葉が波に揺られて鍛えられ、肉厚で食感の良いワカメができます。また三陸地方は豊富な栄養を運んでくれる親潮が沖合に流れている事も大きな要因です。生わかめのしゃぶしゃぶなんてのも美味しいですよ!お湯にわかめをくぐらせると綺麗な緑色に変わるんです!ぜひご賞味ください!

南三陸町のわかめ
南三陸町のわかめ

参考サイト

さんさん朝市で感じた心の復興

4月17日早朝、さんさん商店街では「さんさん朝市」が開催されていました。「福興市」とはまた違った独特ののんびりした空気が流れる朝市から、町の心の復興を感じられました。

もうひとつの物産イベント「さんさん朝市」

南三陸町ではご存じのとおり「福興市」が毎月開催されていますが、2015年からはさんさん商店街にて、月2回の「さんさん朝市」も開催されています。福興市ほど大きな規模ではありませんが、生産地ならではの新鮮な海産物や採れたて野菜などを中心に、地元の生産者や商店から多数の出店で賑わいます。

謳い文句は「朝市で朝ごはん!」。物産だけでなく、朝がゆや焼き立てパン、ミニ海鮮丼の販売や、味噌汁の無料提供など、心も身体もホッとするような優しい軽食の提供もありがたいです。

名物は「おらほのラジオ体操」。宮城で最も有名なローカルタレント・本間秋彦さんの、「いづ(1)・ぬ(2)・さん(3)・す(4)」という方言全開の掛け声に合わせ、出店者・来場者みんなで朝の体操をします。

さんさん朝市で感じた心の復興

なりわいと賑わいの復興を担う地域イベント

4月14日から続く大規模な地震により、熊本・大分を中心に多数の方が被災されています。心からお見舞い申し上げます。

5年前、私たち南三陸町も大きな災害により被災をし、未だ復興道半ばです。

南三陸町は早々に復興計画を策定し、復興目標のひとつとして「なりわいと賑わいのまちづくり」を掲げました。震災の翌月には福興市を開催、同年10月に仮設魚市場の完成、翌2月に仮設商店街「さんさん商店街」のオープンと、着実にその歩みを進めて来ました。

これもひとえに国内外多くの方からのご支援のおかげですが、もうひとつは、町の人々の「なんとしても一刻も早い復興を」という強い思いによると感じます。水産業をはじめとした一次産業が基幹産業である南三陸町。生産の復旧と生産物の販売をおこなわなくては復興は進まないと、町一丸となってまさに駆け抜けるように過ごしてきました。

さんさん朝市で感じた心の復興

新しいアイデア商品の開発・販売を試す場

こうした中で、2015年から「さんさん朝市」が開催され始めます。さんさん商店街や商工会などからなる実行委員会の主催で、おおよそ月2回の頻度で開催されています。

福興市と同じく物産や飲食を中心にしたイベントではありますが、早朝の独特の雰囲気なのか、また一味違った独特の、ゆっくりとした・のんびりとした空気が漂います。

実行委員会事務局の大學さんによると、出店者の2/3ほどが、これまで他のイベントにはあまり出店してこなかった方々だそう。普段商売をやっているわけではない方や、個人の方の出店も目立ちます。大きなイベントほど在庫を抱えなくても良いことや、出店料が安価であることなどに起因しているのか、地元の方々のチャレンジの機会となっているようです。イベント出店への挑戦はもちろん、新しいアイデア商品の開発・販売を試す場としても活躍しています。

さんさん朝市で感じた心の復興

回を重ねるごとに増えているリピーター

来場者の方に伺ってみると、地元の方が多い中、チラホラと観光で町に来られた方も見られます。中にはバイクで全国を旅している旅人がたまたま訪れ、おいしい朝ごはんを食べられて喜んでいた、というエピソードもあったとのこと。

開催し始めた当初は少なかった来場者も、徐々に増えてきています。増加の秘密の1つは、リピーターが多いこと。来てみた、という人がリピーターとなり、回を重ねるごとにどんどんと増えているようです。

リピーターの中心は、さんさん商店街から徒歩圏内のところに住んでいる地元の方々。産直へ行くように採れたて野菜を求めて来られていたり、朝食を楽しみに来られていたり。イベント・お祭りというよりは、日常の中に溶け込んでいるのが感じられました。

リピーターの方々と出店者の方々も、今ではすっかり顔見知り。「名前も知らないけれど朝市で毎回会う人」という方も多いそうで、元気の良い「おはようございます」の挨拶や、はずむ会話が飛び交っていました。

さんさん朝市で感じた心の復興

朝市とさんさん商店街をけん引する阿部忠彦さん

さんさん朝市の実行委員長で、南三陸志津川福興名店街運営組合長でもある阿部忠彦氏。そのお人柄も、朝市人気の秘密の1つでしょう。

朝市で人気を博すコンロコーナー。購入した海産物などを、その場で焼いて食べることができます。季節の旬に合わせ、カキやホタテ、サンマなど、贅沢な朝食を演出します。また最近では、商店街内の各店舗からの差し入れも多いそうで、この日は佐利ミートさんのウィンナーや、及善商店さんの笹かまぼこなどが網に乗っていました。

コンロコーナーで、さながらバーのマスターのように陣取られているのが阿部氏(写真左から2番目)。

阿部氏のもとに、食材を持ったお客さんや、たくさんの人々が訪れます。朝食を食べながら近況報告をおこなったり、今後の朝市の企画が語られたり。まさに井戸端会議のその場は、小さな町ならではの、地域コミュニティの絆を強める場となっています。頼れるリーダーと気軽に話し合える場があるというのも、地域再生を早めている重要な要因の1つでしょう。

さんさん朝市で感じた心の復興

朝市に感じる“心の復興”

アドレナリンを全開に分泌し、一刻も早い復興をとがむしゃらに駆け抜けた5年に比べ、朝市の空気には町民の方々のゆとりや余裕、言い換えれば“心の復興”を感じました。

まだ眠たそうにあくびをしながら集まり、気軽に出店ができる場。新しいチャレンジができる場。買い物や朝食をとる場として日常の中に溶け込んだ場。未だ忙しく工事のおこなわれる町中と裏腹に、朝市のこの時間には、田舎らしいのんびりとした普通の暮らしを感じることができます。

住宅の再建もままならない方もまだまだ多く、復興の動きを止めてはならない現状ではありますが、私たち町民の心も少しずつ復興を遂げ、新しい未来へと歩み始めています。

さんさん朝市で感じた心の復興

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

震災の経験から地域資源と人のつながりの大切さを身を以て再認識した南三陸町では、自然の流れのように官民一体となった「森・里・海・ひとを活かしたまちづくり」がはじまっています。

南三陸町の官民一体での取組みには、国内外から熱い視線が注がれています

南三陸町は、震災復興計画の基本理念として、「『自然・人・なりわいが紡ぐ安らぎと賑わいのあるまち』への創造的復興」を、目指す3つの目標として、「安心して暮らし続けられるまちづくり」、「自然と共生するまちづくり」、「なりわいと賑わいのまちづくり」を掲げています。

これらの目標は、震災で電気、水道、道路というライフラインが寸断された経験を踏まえて生まれたものですが、 地球温暖化、エネルギー、天然資源枯渇の問題など環境に関わる問題が地球全体の課題となっている今、南三陸町の官民一体での取組みには、国内外から熱い視線が注がれています。

実際にどう実践されようとしているのか、4回のシリーズで角度を変えてご紹介していきます。

豊かな自然・人・社会を未来へつなぐシンポジウム 『南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~』の開催

4月9日・10日と桜の花が咲き乱れる南三陸町で、「豊かな自然・人・社会を未来へつなぐシンポジウム 『南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~』」と視察ツアーが開催されました。

シンポジウムには、町内外、総勢150人程が集い、専門家、実践者、地元、南三陸町から太平洋ミクロネシアのパラオ共和国まで持続可能な地域づくりへ挑む方々をゲストとして迎え、思いを交わしました。

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自然や共同体が個と結びつくあたらしい社会構造

トークリレー、『人と自然の共生から生まれる循環』とトークセッション『南三陸町から未来につなぐ』の二部で構成された一日目のシンポジウムは、コメンテーターの東北大学名誉教授石田秀輝氏の哲学的とも言える熱のこもった言葉から始まりました。

東北大学名誉教授石田秀輝氏
「現代の若者が欲している物は、もはや物質ではありません。物よりも心の豊かさの方が大切だという人がどんどん増えています。週末、自然の中で暮らし、アウトドアがおしゃれだという。家庭菜園やガーデニングがブームになり、自分でものをつくるDIYという概念も出て来ました。物物交換もする。物質的な豊かさが飽和した今、ローカルが持つ独自の個性や風土的、文化的な多様性に人々の関心が向かう時代がまさに来ています。人は一万年前からつい最近まで、圧倒的に強い自然、それと強固につながった共同体の上に個がある”アニミズム的社会構造”をベースに日々の暮らしが成り立っていましたが、近代化の中で快適性や利便性を追求した結果、個は自然や共同体から切り離され、金銭に頼る生き方が主流になってしまいました。今、必要なのは、個を共同体や自然とつなぎ合わせることであり、そのために私たちは、自然と強固に結びつく新しい社会構造、価値観をつくっていかなければならないのではないか、それにどう向き合わなければいけないのか、何をしていけばよいのか、みんなで意見を出して、考えたい」

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

私たちが次世代に伝えていかなければいけないこと

第1部トークリレー、「人と自然の共生から生まれる循環」では国、町、民間企業、それぞれの視点からのお話がありました。

口火をきったのは、環境省大臣官房審議官・中井 徳太郎氏の「『つなげよう、支えよう森里川海』プロジェクト 」と題したお話からです。

「森、里、海の連環/循環の中に私たちの暮らしがある。まさに、社会/時代の変換期を迎える今、私たちは次世代に何を伝えていかなければいけないのか。」という問いかけがありました。

「今、世界が直面している地球温暖化、生物多様性減少など環境破壊の問題、それと経済停滞、輸入、輸出など経済の問題、そして、人口減少、少子高齢化、コミュニティの崩壊など社会の問題、それらの問題を解決するためには、分断された状態でそれぞれに問題を抱えるのではなく、つながることで問題は解決していくのではないか」そのための環境省の取組み、国の後押しがあることなどをご説明いただき、そして、そのような状況の中、私たちの身近なところでできることは、自然を知り、活用し、楽しみながら地域を愛することだというヒントもいただきました。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

震災の経験を経て生まれ変わる南三陸町

佐藤仁南三陸町長の「森・里・海・ひとを活かしたまちづくり-被災自治体の挑戦-」と題したお話は、分水嶺に囲まれ、町内に降り注ぐ雨を志津川湾に注ぎ込むという特徴ある地形を持つ南三陸町が、その特質を活かせるかどうかは、町民の意識次第だということ。

震災と津波で壊滅的な被害を受けた町が、自然を知り、活用して、「森・里・海・ひと いのちがめぐるまち 南三陸」、環境にやさしく災害に強い「バイオマス産業都市」として生まれ変わろうとする町としての決意表明がありました。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

持続可能な生命基盤システムを南三陸町から世界に発信

南三陸町で再生可能エネルギー循環をサポートする事業を初めているアミタグループ代表・熊野 英介氏から、「生命基盤を持続可能にするBIOシステム」のお話がありました。アミタグループは、「自然資本および人間関係資本の工場に資する事業」を定款にあげています。それが、事業の基本だということです。それを理念だけでなく、実践されるモデルシステムを南三陸町でつくり、世界に発信していこうという思いがあります。

ゴミとして処理していたものが有益な肥料になり、ガスエネルギーになり、電気に変わる。放置していたものが、熱源になる。事業として稼動するために雇用も生まれる。それらを可能にするためには、住民一人一人の協力、意識変革が必要になります。

このシステム、サイクルが順調に稼動すれば、世界に誇れるモデルケースになるでしょう。昨年12月には、パラオ共和国コロール州から知事が視察に訪問されています。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

「パラオの現状と次世代に向けた取り組み」パラオ共和国コロール州議会議長・Eyos Rudimch氏からの報告

パラオ共和国は、南太平洋ミクロネシアに位置する小さな国です。面積は458㎢、日本でいうと福島県田村市とほぼ同面積です。パラオでは、急速に観光産業が成長したため、既存のインフラや環境が損なわれて、ゴミ処理問題は重要な課題になっています。コロール州でも、肥料やプラスチック油化にする他、海外への輸出やリサイクルしたガラスでお土産グッズをつくってもいるそうです。

何事も”言うは易し、行うは難し”。日本でも、パラオでも、現代に生きる私たちの悩みは国境を越えて共通するものがあります。やってみなければ、わからない。共に取組み、進んで行く仲間です。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

住民ひとりひとりが動き出す

第二部では、町内で実際に取組みを進めて来た代表の方々から内容紹介の後、会場に集って来ている方々も含め、意見交換がかわされました。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.1

届きにくい町民の声をまとめて町に届けている神社の禰宜であり主婦である工藤まゆみさん、個人山主が多く手が入りにくい山林を資源として活用する方法を考えている若い林業家である佐藤太一さん、成功と失敗を繰り返しながらも新しい液肥使いにチャレンジしている農業家の阿部博之さん、競争が激しい漁業者をとりまとめて、より質の良い牡蠣の南三陸ブランドづくりに取組む漁業家の後藤清広さん。立場の違う4名の方の町民としての草の根ともいえる挑戦のお話は、一人一人にやれることがあるのだということを思い出させてくれるものでした。

「社会を変えていくのに、壁になるものは何か」という問いに対して、会場では、「当事者意識」が一番多かった答えでしたが、5名の登壇者でだれもそれを出した人がいなかったのは印象的でした。

「すでに、誰もが当事者になってできることはやっている」というのが理由としてあがっていましたが、それは、誰かがやってくれるのを待つ余裕は無いということなのでしょう。特に震災後、多くのものを失ってしまった後は、当事者としての危機感は誰もが持っていたということなのかもしれません。そして、自らが動き社会を変えてきたことも、それを一つの楽しみであることを発見したのも実際に起って来たことではないでしょうか。

シンポジウムの場のように、それぞれの取組みを一同に介して聞く機会もお互いを刺激し、新しいものを生み出すきっかけになることでしょう。現地視察ツアーでは、実際にどういった活動がなされているのか、実際の施設を見学し、現場に立つ方々のお話を聞くことで、さらに理解を深めることができました。