南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2

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南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2

地域資源を活かし循環させる南三陸町の取り組みを紹介するシンポジウムと現場を訪問するツアー、「南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~」が、4月9、10日に開催されました。今回は、二日目にあたるツアーのご紹介をします。南三陸町は、平成26年3月、経済性が確保された一貫システムを構築し、地域の特色を活かしたバイオマス産業を軸とした環境にやさしく災害に強いまち・むらづくりを目指す『バイオマス産業都市』に選定されました。

南三陸町の森・里・海・ひとを活かしたまちづくり vol.2
南三陸町バイオマス産業都市構想の全体イメージ http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/index.cfm/8,6273,45,html

南三陸から世界へ。~持続可能な地域づくりへの挑戦~ツアー訪問先

  1. 後藤清広氏より「海のはなし」+質問タイム(ホテル観洋にて)
  2. 阿部博之氏より「里のはなし」(南三陸BIOにて)
  3. 櫛田豊久氏より「循環のはなし」(南三陸BIOにて)
  4. 佐藤太一氏より「森のはなし」(FSC認証林にて)
  5. 志津川中学校より志津川の町を眺める

津波を経験した漁師さんが国際認証ASCを目指した理由

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宮城県漁協志津川支所戸倉出張所牡蠣部会長 後藤清広さん

4月10日、ツアーは南三陸町志津川湾を臨むホテル観洋からスタートしました。前日二部の登壇者でもあった宮城県漁協志津川支所戸倉出張所牡蠣部会長 後藤清広さんのお話は、東日本大震災の時の様子からはじまりました。窓の外で穏やかに広がる海は、震災直後、底が見え、歩いて渡れるくらい水がひいていたそうです。

「大津波は、沖までぎっしり浮かんでいた牡蠣の養殖筏も全て流れ、牡蠣の幼生もいなくなってしまったと思い、漁業を再開できるとは思っていませんでした。しかし、ある日、泳いでいる無数の幼生を見つけたのです」と後藤さん。

そして、戸倉出張所牡蠣部会は、水産庁の復興支援事業『がんばる漁業』を導入し、共同で漁業を再開ししました。現在は、3年の事業期間が終了し、個人事業に戻っています。がんばる漁業が終了したあと、戸倉地区の牡蠣漁師さんたちが選んだのは、牡蠣イカダの量を震災前の1/3に減らし、より質のよい牡蠣を育てる道でした。今年(2016年)、3月には、『責任ある養殖業』であることを認証するASC養殖場認証を日本国内初で取得しました。ASC認証には厳しい制約もあるけれど、それが『津波を忘れない』ことにつながるのではないかと、申請を決めたということです。

多大な被害をもたらした津波ですが、視点を変え、そこから教訓を得るということも生きてゆく上では必要なことなのかもしれません。

旧下水処理場を再利用したバイオガス施設『南三陸BIO(ビオ)』の見学

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家庭生ごみの資源化について説明するアミタ株式会社南三陸BIO所長の櫛田豊久さん(右から2番目)

次に訪れたのは、『南三陸町バイオマス都市構想』の中核施設の一つとなる旧下水処理場を再利用した、アミタ株式会社のバイオガス施設『南三陸BIO(ビオ)』です。南三陸町にはごみ焼却施設が無く、これまでは、85%が水分である生ごみも『燃えるごみ』として、ごみ焼却施設のある気仙沼市に処理を委託していました。灰は山形県まで運ばれ、埋められていたそうです。昨年10月にオープンしたこの施設では、南三陸町内で発生する生ごみ、衛生センター、浄化槽で処理されたし尿や汚泥を集収し、農業用の有機液肥をつくると同時に、その過程で発生するガスで発電します。約60世帯分の電気をつくることができ、施設で必要な電気はそれでまかない、余剰電気は売電されます。

南三陸町の各家庭の生ごみは、これまで燃えるごみとして出していましたが2015年10月19日より分類してごみ集積所に持っていくことになりました。

各家庭には白い水切りバケツが配布され、ごみ集積所に設置される大型(上記写真右)のポリバケツで地域の生ごみを集収し、『アミタ株式会社 南三陸BIO』に運ばれます。

町内の住宅街、旭ヶ丘団地で試験的に先行実施をした際には「細かい分別が めんどう」という声も出ていましたが、2週間後には「慣れたよ」としっかり分別され、試験期間が終わる頃には「まだ続けたい」という声が出ていたそうです。めんどうが増えた、ということではなく、そこに有益なものが生まれるという確かなものがあるからなのでしょうか。町民ひとりひとりが関わることによって、町全体の意識の高まりが生まれるのかもしれません。

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アミタ株式会社 http://www.amita-net.co.jp/strategy/recycle/minamisanriku-bio.html

農業者、阿部博之さんが想う”つくる側の責任”とは……

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南三陸BIOの液肥を使う農家の阿部博之さん

実際に液肥を使っている農家の阿部博之さんからもお話がありました。

液肥は一反歩に散布するのに適した量が、1500円前後で販売されています。散布費用も含まれ、化学肥料と比較して約半額のコストに押さえられます。しかし、野菜や米も生き物。合う合わないということもあります。種類によっても、年によっても、散布する時期でも効果は違ってくるので、試行錯誤を重ねて、使い方を研究しなければいけないそうです。それが自然を相手にするということなのでしょう。液肥が薄く何度も散布しなければいけないのも改善したい点として挙げられていました。

阿部さんは、無農薬、有機肥料で農作物をつくろうとしています。「農薬を使うと、虫のつかない、みかけはきれいな野菜や米ができます。しかし、虫はどんどん農薬に強くなっていきます。その度に、より強い農薬を使わなくてはいけなくなるのです」と阿部さん。10年前から田んぼの生き物調査会も開催し、トンボが激減している事実も目の当たりにしている阿部さんは、「格好は悪くても、体にいい野菜をつくるのは、作る側の責任だ」と言います。

山の恵をいただき、山を守る林業者

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株式会社佐久専務取締役の佐藤太一さん

次に、養殖の国際認証ASCと並ぶ、森林の国際認証FSCを取得した株式会社佐久の山で、専務取締役の佐藤太一さんよりお話を伺いました。FSC認証には4つの観点があるそうです。合法性、計画性、環境への配慮、労働環境の整備、どれも当たり前のように思えますが、実情は、全てがきっちり守られているところはそれほどないそうです。

案内していただいた山は適切に間伐がされており、上を見上げると枝の間から空が見えました。「木と木の隙間から光が地面を照らし、下草が生えます。下草は土に根をはり、土砂崩れを防ぎ、水を貯蔵することもできます。そうすると虫や動物の住処にも適したものになるのです。虫や動物はいろいろな物を残し、山は豊かになります。そして、山に降り注いだ雨はその栄養を湾に注ぎ、海の生き物を肥やします。また、湾の水は『やませ』(注)となって山の木を潤します」と佐藤さん。

残念なことに、近年は、全国的に木材があまり使われなくなり、伐採適齢期になっているのに、放置山林が増えているのが現状だそうです。山は人が適正に入ってこそ健康的に循環してゆきます。もっと木に注目してもらおうと、南三陸町では、「山さ、ございん」というプロジェクトを立ち上げ、機能性、デザイン性に優れた製品を開発するとともに、山の話しを伝えてゆこうとしています。

(注)『やませ』とは、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風で、濃霧を発生させる。山林の木々にとっては潤いになる反面、稲作には冷害を引き起こすこともある。

持続可能な地域づくりと個々の責任

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高台にある志津川中学校より町を望む

今回のシンポジウムとツアーは、「持続可能な地域づくりへの挑戦」と題されたものでしたが、持続可能にするためには、その恵みを受ける者が、それぞれに責任を果たしてこそ持続可能になるものだということを再確認させられたような気がしました。

ツアーには社会人として働くのを目前に控えた環境保護に興味をもつ大学生、公共政策を学ぶ大学院生なども参加しており、興味深く話しに聞き入っていました。最後は、高台に位置する志津川中学校の震災前に撮影された青々とした水田と山の向こうに海が広がる写真の前から土色の工事現場となった志津川を眺めながら、参加者の皆さんは、新しくつくられる持続可能なまちへとそれぞれ思いを馳せていたのかもしれません。

おりしも、このイベント直後の4月14日の熊本地震が起こり、道路は寸断され、4月20日現在も、流通が滞っている状況です。防災の側面からも地域の持続可能性を考えさせられます。

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