慈恵園でミニコンサート

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入谷地区の童子下にある特別養護老人ホーム慈恵園の交流ホールにて、

8月初旬にミニコンサートが行われました。
施設を利用している約30名の方がホールに集まりました。

演奏団体は関東よりお越しの「うにかる」の皆さん。
「うにかる」の名前は“ウニが好きなカルテット”の意味からきているそうです。
(カルテットとは四重奏のこと)

代表の中村文樹(ふみき)さんより「楽しんでいってくださいね。」と
開会の挨拶がありミニコンサートが始まりました。

ヴァイオリン、ピアノ、チェロ、ヴィオラの4種類の楽器が奏でられます。
ヴィオラは、ヴァイオリンとほとんど構造が同じですが、
ヴァイオリンよりも低い音のでる楽器です。

AKB48の「会いたかった」の曲でスタート。
「皆さんに会いたかったから、この曲にしました。」とヴァイオリンの中村さん。
次の曲は、NHK連続テレビ小説でお馴染みの「あまちゃんテーマ曲」でノリノリでした。

寄り添う介護職員さんと仲良く聴く利用者さん。
盛り上がってきたところにクラシックの曲が流れて、穏やかなムードになりました。

そしてここで、南三陸町文化協会の混声合唱団「コール潮騒」が
スペシャルゲストとして登場。
うにかるの演奏に合わせて美声を響かせてくれました。

「ふるさと」や「夏の思い出」というような、皆が知っている曲では
手元の歌詞を見ながら、演奏に合わせて利用者さんも一緒に歌いました。

その後、演歌やテレビCMの曲などの演奏が行われました。
利用者さん方は有意義な時間を過ごし、終了後は微笑ましい表情で居室に戻られました。

このミニコンサートの開催に関して企画・準備をしてきた
入谷福祉仮設住宅の施設長である菊地正明さん。

「入谷福祉仮設住宅での演奏会を企画しました。
 音楽は、大勢の方と楽しみたいと思い、 共催を申し入れ、
 慈恵園さんの協力があって
 たくさんの方に集まっていただける演奏会となりよかったと思います。」

地域の施設が協力してイベントの開催をしたと聞き、地域の温かさを感じました。

(菅原)

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南三陸町総合戦略推進会議

本日は8月25日に開催された第2回南三陸町総合戦略推進会議の模様をお伝えします。

南三陸町総合戦略推進会議は
町民と識者からなる16名の委員で構成されています。
委員の中心は20代~30代前半の若年層。
男女比はほぼ半々、子育て経験を持つ女性や今後子どもを持つことを希望する女性も
複数人選出されています。

この日はまず、委員へ『南三陸町まち・ひと・しごと創生ワークショップ』で集まった意見が共有されました。
人が少なくなるであろう未来の南三陸への懸念・希望が挙げられています。
「これらの声を踏まえ、今後の町の運営について話し合ってもらいたいと思います。」


「住みたい場所を尊重するとなるとコンパクトシティは実現しづらいですね。」
「住居以外は集中させても良いのでは。」
「公共サービスも一部集約できるんじゃないでしょうか?」
「行政任せではなく、住民で対応可能な部分もあるはずです。」
「他の町にも事例がありますね。」
話すほど浮き上がってくるのは「今のままではいられない」という現実。
住民が減れば大がかりな公共・民間企業のサービスは成りたたず、
必然として住民の主体的な動きが重要になります。
会議の中で15年後の目標が示されました。
・出生率を現在の1.15から2.07に上昇させること
・転入者数・転出者数を均衡させること
この2つを達成できれば、2030年以降には
人口構造は現在の逆ピラミッド型から徐々にフラットな形になっていきます。
数は減りながらも人口構造のバランスが整い、持続可能な町に近づくのです。
「メインテーマは“子どもを産み育てやすい町”でしょうか。」
「子育てや教育の中に“町らしさ”を取り入れたいですね。
 育つ過程で町への愛着を持ってもらうことで転出抑制につながるはずです。」
では南三陸らしさとは?
住み続けている人、やむを得ず転出していった人、それぞれの理由は?
次回の会議に宿題を残し、第2回南三陸町総合戦略推進会議は閉会となりました。

この『総合戦略』は
『まち・ひと・しごと創生基本方針2015』における地方創生のための課題の一つとして
国から全国の自治体に作成が求められているものです。
南三陸では今年12月末までに『南三陸町総合戦略』を策定し
今後の具体的な取り組みのための指針としようとしています。
数十年続く人口減少・高齢化傾向に加え震災のダメージも持つ南三陸町。
条件だけ見れば厳しさばかりのようですが
「住みたいのはこの町だけ」と願う人々がいることも、また事実です。
(日比谷)

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南三陸町まち・ひと・しごと創生ワークショップ

現在、南三陸町では地方創生・官民連携推進室が中心となり
人口減少が進む中、目指すべき将来の方向性と具体的な取り組みを定める
『南三陸町総合戦略』の策定を進めています。
先日8月19日には町役場にて
『南三陸町まち・ひと・しごと創生ワークショップ』が開催されました。

大会議室には町民のほか、町内就労者・移住希望者など30名近くが集まりました。
ワークショップは町の人口ビジョンの説明から始まりました。

「この町の人口は1950年代をピークに減る一方です。
 出生数をみると2010年頃は年間100人前後でしたが2014年は62人でした。
 2040年頃には二十数人になると思われます。」
生まれる数を亡くなる人の数が上回る“自然減”も問題ですが
転入者を転出者の数が上回る“社会減”はさらに深刻。
統計開始以来、この町では一度も社会増減がプラスになったことがないそうです。
これまでも「人口減は避けられない」とは言われていましたが
データで示されると現状の厳しさがはっきりと分かります。
“出生率を上げた場合”“人口流出を抑えた場合”など
改善策を取ったパターンでも、グラフは無情に右下がりを続けます。


「あらゆる手を尽くしても2060年の人口は現在の半分になります。
 状況は非常に深刻です。
 南三陸を持続可能な町にしていくため、皆様のご意見をいただきたい。」
パイプ椅子が半円型に並べ直され、ディスカッションが始まりました。

人口減は住民一人当たりの負担増に直結します。
公共サービスだけを例にとっても医療・福祉、子育て、交通などが
成り立たない可能性があり、最悪の場合サービス自体が無くなってしまうこともありえます。
町を存続させ、少しでも暮らしやすくしていくためには何が必要なのでしょうか。
「仕事?」「住まい?」「教育?」「それも、町ならではの。」


危機的状況にある町と、そこで暮らすことを選んだ人々。
参加者たちの声には不安と希望が入り混じります。
ホワイトボードが真っ黒に埋まり、この日のワークショップはお開きとなりました。

長く続く町づくりのため、いま策定が急がれる『南三陸町総合戦略』。
人々の声はそこへどんな形で反映されるのでしょうか。
次回は第2回 南三陸町総合戦略推進会議の模様をお伝えします。
(日比谷)

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アイロンビーズでストラップ作り

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「楽しいですよ。宜しかったら一緒にストラップ作りしてみませんか~?」
声がする方に足を運ぶと「アイロンビーズ」を使ったストラップ作りが
南三陸ポータルセンターで行われていました。
参加者は、夏休み中の子どもたちや、家族連れなど約20名。

主催は「アトリエハートインハンド」を運営されている鈴木ルミ子さんです。
横浜在住で手芸作家として活動されながら、ハンドメイド品の委託販売をしています。
その収益の一部を基金として手芸材料に換えて2ヶ月に1度、
東北の被災地へ支援として届けているとお聞きしました。


アイロンビーズとは一定の温度で溶けるパイプ状のビーズです。
好きな絵の形になるようにアイロンビーズを並べアイロンをあて、
熱で溶かし接着させることでモチーフができ上がります。

クロス・ステッチ図案を参考にして作る方がいる一方で、
図案を見ないで赴くままに取りかかる方もいました。

使用するのは直径2mm程度の小さな小さなビーズ。
13×13マスの透明プレートにピンセットを使って並べていきます。
三日月を作っている様子ですが・・・。
ちょっと触っただけで、ビーズが飛び散りました。むずかしい!



ビーズをピンセットで掴みマス目にセットする作業は、集中力がいるようです。
小さな子は不慣れなピンセットに苦戦しながらも、ビーズを並べて形が整いました。


ビーズの上にクッキングシートを乗せ、アイロンをあてます。
裏面も同じようにアイロンをあてたら、少し置き、やや曲げてみて接着の強度を確認。
モチーフが出来ました! そして、ストラップの部品を取り付け完成です。
ストラップの部品の取り付けは、鈴木さんのご主人が手伝ってくれ、大助かり。

子どもたちは自分で作った「アイロンビーズストラップ」に満足そうな笑顔でした。
東北出身の鈴木さんご夫婦は、
震災直後から南三陸町の避難所となった拠点に何度も足を運ばれたそうです。
そして皆さんが楽しめるものは何かないかと考え、
エコクラフト作りや手芸などを取り入れながら支援活動をされてきたと伺いました。

ハートインハンドの手作りアートイベントが楽しみで
何度も参加しているという仮設住宅にお住まいの方がいました。
「毎回、楽しいです。本当に有難いです。
 何かを作っているとき、穏やかな気持ちになれますよ。」
心を繋ぐ手作りアートの活動を、これからも応援したいと思います。
■アトリエハートインハンド ブログ
 http://ameblo.jp/rumicchi2010/
■東北支援ハンドメイド委託ショップ アトリエハートインハンド
 https://www.facebook.com/BeiZaiDeZhiYuanHatoinhando?__mref=message
(菅原)

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『ヒサのナデシコ』プロジェクト

町内の学校では今週から2学期が始まりました。
もうすぐ9月。
たくさんの大切な命が失われた日から4年半になろうとしています。
彼や彼女がいたこと、その命を奪った大災害があったことを伝え続けるため
いまなにができるでしょうか。
今回はナデシコの苗を作り続ける遠藤水華里(ゆかり)さんにお会いしました。
(水華里さんを以前ご紹介した記事はこちら)

もともとは町内でピアノ教師をなさっていた水華里さん。
2011年、津波によって志津川地区荒砥の自宅が被災し
避難所生活を送ることとなりました。
(現在のご自宅。
波は1階まで届いたそうです。)

震災から3か月後、初めて自宅に戻った水華里さんの見たものは
ガレキの山と化した庭とピンク色の花。
ピアノの教え子の一人、ヒサヨシくんからプレゼントされたナデシコの花でした。
(写真は2015年に咲いたナデシコ)

「ヒサヨシくんは現在も行方不明です。
 まだ高校一年生で、皆を笑わせることが好きな優しい子でした。
 この花が色々な場所で咲けば、たった16だった彼のことを
 たくさんの人に知ってもらえるかもしれないと思いました。」(水華里さん)
避難所で知り合ったボランティアの方々の協力も得て
水華里さんはナデシコの苗を配り始めました。
最初は町内の知人・施設から。
ナデシコは強い植物で、株分けからの根付きも比較的容易だと言われています。
情報はインターネットやラジオ・新聞でも広まり、分けた株から更に株が分かれ、
いま『ヒサのナデシコ』は全国でその細い葉を広げています。
水華里さんのもとには各地から被災地とヒサヨシくんを想う声が届くようになりました。


この夏休み、水華里さんは島根からのお客様を迎え入れていました。
水華里さんが出雲市で講演をされた際に知り合った女性で、
もう3年も家族ぐるみのお付き合いをされています。

女性の2人のお孫さんは毎年、夏休みの自由研究として
南三陸や東北で見たものをレポートにまとめているそうです。

この日は皆でナデシコの苗作り。
水華里さんのお母さん、甥っ子・姪っ子も混ざり、
大家族のようなチームワークで苗ポットが出来ていきます。
このうちのいくつかはまた島根のどこかで咲いてくれるのでしょう。


「今もナデシコは増え続けています。
 目標は、いつか全国の『ヒサのナデシコ』を巡ること。
 ヒサヨシくんのご両親も一緒にね。」(水華里さん)
(2015年5月 ボランティアセンターにて)

■『ヒサのナデシコ』プロジェクト
facebookページ https://www.facebook.com/Hisayoshinadeshiko?fref=ts
(日比谷)

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mocomocoひつじ祭り

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8月初旬に歌津地区の寄木にある
さとうみファーム 子ども夢牧場にて「mocomocoひつじ祭り」が開催されました。
(以前さとうみファームをご紹介した記事はこちらとこちら)

主催は一般社団法人さとうみファームで、同日、
近くにある寄木海岸ではシーカヤック体験教室も行われていました。


牧場では、羊とヤギがお食事中。
暑さのあまり、日蔭で休む羊たちもいました。

人だかりを覗くと、草木染め(あかね染め)のワークショップが行われていました。
あかねとはアカネ科の植物で、「赤根」の意でその根を煮出した汁を
染料として使われています。
それをあかね染めと呼び、天然染料で染める草木染めの一つとして知られています。
大きな鍋とボウルで染料に浸し、羊毛をあかね染めしました。

その他に、麻の絞り染め、古びた衣類等を活用できる絞り染めの仕方などを
教えてもらいました。

白く見える羊毛ですが羊毛は刈り取った直後は黒い毛です。
大きなゴミを手作業で取り除き、
油分を含んでいる羊毛を、じっくり時間をかけてお湯で何度も洗うそうです。

一方小屋の中では糸つむぎが行われていました。
羊毛のダマをほぐしてブラシで整え、糸車に羊毛を少しずつ繋げていきます。
ペダルで調整しながらねじっていき、つむいだ羊毛を二本合わせてねじると
見慣れている毛糸ができました。

ウール100%の毛糸はフワフワと軽くて温かく体に優しい。
棚にはここの羊たちの毛で作られた製品が並びます。

フードコーナーではジンギスカンや焼きそばなどを焼いていて、
いい匂いに食欲がそそられます!
天気がよく、海を一望できる場所での食事はより美味しいですね。

 

このひつじ祭りは、大人も子どもも楽しめる場所です。
羊たちとの触れ合いを始め、羊毛について学べ、草木染めの貴重な体験もできました。
次回このお祭りが開かれるときは、ぜひ皆さんも子ども夢牧場に行ってみてください。

■一般社団法人さとうみファーム 子ども夢牧場 サイト
http://satoumifarm.org/

(菅原)

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荒砥の灯ろう流し

8月16日夕刻、志津川地区荒砥(あらと)の灯ろう流しにご一緒させてもらいました。


お盆の終わりに灯ろうを流す風習は、もともとこの地域の各地にあったものです。
ですが震災後、海や川が傷付けられてしまってからは
再開できているところは多くありません。

「震災の年はここでも海岸が削れてしまってねえ。
 灯ろう流しができなくて、堤防に灯ろうを並べて灯したんだよ。
 次の年からは荒砥漁港が嵩上げされて海へ灯ろうが流せるようになり、
 地元消防団・警察・青年会の協力もあって、今も続けられているんだ。」
(全慶寺 ご住職のお話)


荒砥の菩提寺・全慶寺(ぜんけいじ)の檀家は約160軒。
200以上の灯ろうに初盆・年回忌の方の名と代々のご先祖様の名が書き入れられました。
読経ののち、一つずつ海へ浮かべます。


「今日は風が少ないねえ。」
「磯の匂いがしてきたよ。」
光の列はゆっくりと伸びていきました。
海へ帰っていく御霊へ、人々は静かに手を合わせるのでした。

(日比谷)

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大大大盆踊り大会

皆さんはお盆休み、ゆっくり休めましたか?
帰省して旧友たちと騒いだよーなんて方もいるんじゃないでしょうか。
町では恒例の盆踊り大会が開かれ、筆者もちょっと顔を出してきました。
8月14日、向かったのはさんさん商店街。
BRT志津川駅の向こうにやぐらが見えます。

南三陸ふっこう青年会主催の盆踊りも今年で3回目。
2013年の大(メガ)盆踊り大会、2014年の大大(ギガ)盆踊り大会に続き
今年は題して大大大(テラ)盆踊り大会。
来年はどうするんだろう・・・ペタ?
そんな心配はさておいて、カメラを持ってお邪魔しまーす。

おお、賑わってる。
祭客は地元っ子、帰省者、移住者、ボランティアさん、海外からの研修生など
バラエティ豊かです。
青年会主催だけあって20~30代とその子ども世代が多いようですね。

あれ、以前お世話になった建設会社の方がいる。
復興事業のために他県から単身赴任で来ていると仰っていたはず。
「里帰りされないんですか?」
「仕事抜けらんなくてね~。今日なんか作業着で来ちゃったよ!」
お忙しいですね。
踊りの輪は回り、会場のあちこちから大きな笑い声が聴こえました。


筆者は途中でおいとましたのですが、facebookページの報告によると
盆踊りは終盤ひときわヒートアップしたようです。
若い人たちにこんなに賑やかにしてもらったら、
仏さまも喜んで一緒に騒いでくれるんじゃないでしょうか。
来年もまたお会いしたいですね。

■南三陸ふっこう青年会
 facebookページ https://www.facebook.com/msrfukkouseinen
(日比谷)

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「シーカヤックで遊ぼう!!」 子どもシーカヤック体験教室

夏の日差しが眩しい8月初旬。
歌津地区にある寄木湾で「第5回こどもシーカヤック体験教室」が開かれました。

カヤックとはカヌーの中の一種で、
パドル(漕ぐためのヘラ)で水を掻き前進する小舟のこと。
更にシーカヤックとはレジャー用で海使用に考慮して作られたものです。

このシーカヤック教室の主催は一般社団法人さとうみファームです。
また関東から来ているカヤック愛好家のボランティアの協力があります。
講師は栃木県にあるKAERU adventure(カエル アドベンチャー)代表の齋藤秀夫さん。
齋藤さんはカヌーの指導歴が25年で、事業の一つでカヌースクールを運営しています。

ライフジャケットを身に付けた参加者がそろいました。
今回の参加者は町内小・中学生たちで、午前の部が約20名、午後の部が25名でした。
みんなで準備体操。その後、パドルを持ち水の掻き方について話を聞きました。

今年初めての海になる子もいるのかな。
海へ入って水掻きの実践練習が始まりました!

シーカヤックに乗って海へ繰り出し、水面上を進み始めました。
コツは乗馬のイメージで体を真っ直ぐにして乗り、
腕を伸ばしてパドル操縦をすることだそうです。

波も穏やかでシーカヤック教室にとって最適な状態。
最初はぎこちない漕ぎ方だった子どもたちですが、
段々と慣れてパドルの扱い方が上達してきました。

講師の齋藤さんの後に続いて一列となり漕ぐ様は、までカルガモの親子のよう!

小さな島を一周してみんな戻ってきました。

真夏の太陽で喉がカラカラ・・・。
シーカヤックから降りて一目散に向かったのは水分補給でした。
休憩時間でも海に入って遊んでいましたよ。
結構な距離を漕いだにも関わらず、子どものパワーには驚かされます。

知人がカヤッカーだったのをきっかけにシーカヤック教室を始めたという、
さとうみファーム代表理事の金藤さんにお話を伺いました。
「震災後は海水に接することに抵抗があるという人が増えたと思います。
 子どもたちも海で遊べなくなりました。
 シーカヤック教室の開催が、子どもたちが海で遊ぶきっかけになって、嬉しいですね。」

地元のお母さんに伺いました。
 「私の子どもの頃の遊び場といえば海だったので、
 子どもたちにもそんなふうに思い出を作ってほしいです。
 この体験教室が海で遊べる機会を作ってくれました。嬉しいですね。」

子どもたちにとって、夏の楽しい思い出が一つ増えたことでしょう。

(菅原)

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フランスからのインターン生

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フランスのナントという町からオデンシアナント経営大学院1年生の
亀山まりさん(21)がインターンシップ(就業体験)として南三陸町に来ました。
学校の方針で1年生は6週間以上のインターンシップを行うことが必須科目。
亀山さんは夏休み期間を使って7週間、南三陸町役場でインターン生となりました。

被災地の復興事業と持続可能な開発に関して興味を持っていた亀山さん。
「南三陸町へ来てみないか」と誘いを受けた知人を介して
南三陸町の佐藤町長に許可をいただき役場での研修に至ったそうです。

ご両親は日本人ですが、亀山さんはフランス生まれパリ育ちです。
日本へは祖父母に会いに何度も来られていたとのこと。
彼女は語学が堪能で、フランス語、日本語を始め数種類の言語に精通しているそうです。


(1000km縦断リレーの様子)
役場ではさまざまな課で1週間ずつ研修を行い、先輩の職員と一緒に現場に出向いて
イベントの参加や見学などの体験をし、南三陸町について学んだそうです。
復興状況を体で感じて想像とは違う現状に驚かれたそうです。


(バイオガス施設の視察)
現場視察としての一例ですが、
亀山さんが持続可能な開発について興味があったので
現在建設中のバイオガス施設の見学に行ったそうです。
地域循環の町を目指す“バイオマス産業都市構想”の話を聞き、
今後町全体で取り組む“バイオガス事業”の生ゴミ分別の仕方を教わり
災害の教訓から立ち上がった持続可能な社会作りについて学びました。

亀山さんは研修中ずっと個人ブログで南三陸町の学んだことを更新していました。
震災を風化させないようにと、自分が見た南三陸町の復興の歩みを
フランス語、英語、スペイン語で世界に発信してきたそうです。
ブログは日本語の解説もあるのでどうぞご安心を。

南三陸町での研修を終えた最終日。
インターンシップ報告会が7月31日に役場の大会議室で行われました。
亀山さんは約80名の傍聴者を前に、
この7週間を振り返って学んだことや感じたことを堂々と発表しました。
日本の礼儀や言葉遣いが繊細でそれについて興味を持ったことや、
フランスと日本の教育の違い、
そして出生率から見る共働きの環境の違いなどを熱く語ってくれました。

「パリは観光地で建物を見に来るお客は多いのですが、地元の人との関わりが薄いです。
 南三陸町は建物よりも地元の人との触れ合いが多く、その人の温かさに感動しました。
 つまり「この町の宝=人」であると感じます。
 それを魅力にこの町を大好きになる人が増え、輪が広がっていくと思います。」

多くの方の縁や協力があってのこの研修。
無事に終えることが出来て安堵した様子の亀山さん。
研修後には佐藤町長から南三陸応援団・フランス支部長の任命を受けました。


 「この研修で気付いたことは、自分に合っている仕事は
 言語力を活かせる仕事ではないかということです。
 南三陸町で見て体験して学んだことをこれからもたくさんの人に語りたいです。
 一人前になったら第二の故郷の南三陸町に恩返しをしたいです。」

 ■亀山さんブログ https://7weeksintohoku.wordpress.com/

(菅原)

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