人とのつながりを生んできた研究施設 / 志津川ネイチャーセンター

震災前、南三陸町の海洋資源の研究施設だった「志津川ネイチャーセンター」。意外と町民には知られていない顔を追ってみました。

志津川ネイチャーセンターって何?

「志津川ネイチャーセンター」は、正式名称を「南三陸町自然環境活用センター」と言い、1984年から東日本大震災まで運営されていた町営の施設です。センター建設当時は、水族館、漁具の展示、貸し竿、養殖試験の水槽などの設備を持ち、公民館的機能もある多目的施設として展開されていました。しかし、多目的すぎたのが災いしたのか、いつしかあまり活用されなくなっていた施設でもありました。

そこにひとつの転機が訪れたのは、1999年。元筑波大学教授であり、下田臨海実験センター長であった横浜康継氏の所長就任でした。以降、「ネイチャーセンター」という愛称で呼ばれ、全国でもまれな町営の研究施設としての展開がはじまりました。その後、徐々にネイチャーセンターを訪れる人も増えてきました。

では、センターを訪れる人は、何を目指して来ていたのでしょうか?かつての写真を見ても、どこにでもあるような施設に見えます。そこで今回は、横浜氏の研究室出身であり、南三陸自然環境活用センターの再編から携わり、「ネイチャーセンター」の骨格をつくってきたともいえる太齋彰浩氏にお話しを伺ってきました。

目指したのは、地域に密着した研究・教育施設

現在、南三陸町役場企画課に在籍する太齋氏は、横浜氏就任の翌年、2000年7月より海洋資源研究員としてセンターに赴任しました。太齋氏が、研究者として勤めていた(財)電力中央研究所での仕事に終止符を打って南三陸町への移住を決めたのは、新たなチャレンジの場がそこにあったからでした。「地域密着型の研究・教育施設、誰もが使える臨海実験所のようなものをつくりたかったのです」と太齋さん。その当時、全国を見回せば、水産試験場のような産業に直結する研究施設は公営のものは存在しましたが、自然科学系の研究施設は、大学以外はほとんどなかったそうです。なぜ地域密着型の自然科学系研究施設は存在しなかったのでしょうか?

それは、地域の理解が必要だからだと思います。自然が豊富な海は地域の人の生活も支えています。海に入るということは、漁業者の生業に影響を及ぼすことにもつながります。ダイバーがその気になれば、貴重な海産物を捕獲するのは簡単なことです。そこには、深い信頼関係が無くてはいけません。地域独自の約束ごとや人間関係もあるでしょう。複雑に絡み合うそれらの関係に足を踏み入れるのは、組織で運営される施設にとってはハードルが高いものなのかもしれません。しかし、その関係(あるいは“つながり”)を理解、尊重し、地域の協力を得られる取組みにすることで、可能性は大きく広がります。

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全国の自然科学好きが目指してくる場

「教科書に載っていることは一般的で面白くもなんともないんです。例えば、生物の勉強は細胞から入りますが、生きている生き物自体を調べた方がよっぽどおもしろい。現場で調べていると面白いものがゴロゴロ出てくる」という太齋氏の言葉を体現したとも言える事業が、「エコ・カレッジ事業」でした。目指すものは、「子どもから大人まで、誰もが『生態学・環境科学』を『フィールド体験』を通して学べる地域立単科大学」です。そのための3つの取組みとして、任期付研究員の配置、多様な教育プログラムの開発、「南三陸の海」の臨海実験施設としての整備、が進められました。

ネイチャーセンターは、「南三陸の海」の臨海実験所として、精巧な電子顕微鏡を導入するなど、研究者のニーズに答えられるだけの設備も導入してゆきました。施設の設備を自由に使えることは、研究者にとっては大きな魅力です。2001年より始まった任期付研究員の常駐は、ソフト面からネイチャーセンターの機能を支えてきました。研究員が教育プログラムに携わることで、プログラムをより充実させることができます。プログラムは、大人から子ども向け、海藻おしば講座からダイバー向け講座、初心者向けからインストラクター養成講座、数時間の磯観察から2泊3日のサイエンスキャンプまで、幅広いものになってゆき、施設の設備は、大学の卒論生、修論生にも利用され、高校生の臨海実習で活用することもありました。

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予期せぬ効果

夏に開催される科学技術振興機構(略称JST)の高校生向けサイエンスキャンプには、九州などの遠方からの参加もありました。外来研究のフィールド拠点として人が集まり交流することによって、文化の交流も起り、地域の魅力の再発見にもつながります。仙台で行われた海藻おしば出張講座でのさかなクンとの出会いが、さかなクンの南三陸町訪問のきっかけになったこともありました。

インタビューの中で、「生物の分布図は研究者の分布図」と語る太齋氏の言葉をすぐには理解できませんでしたが、意味を聞いて納得させられました。確かに、見せられた生物の分布図には、地域によって疎密がありました。では、分布図に生物が描かれていない地域には何もいないのでしょうか?

そんなことはありません。研究者が多ければ発見される生物も多くなるけれど、研究者がいないとそこに希少種が生息していても、誰もわからない。誰も調べていなければ、「何もない」ということになってしまうのです。しかし、それは言い換えれば、それまで研究者が居なかった地域には、新しい発見も沢山あるということです。ネイチャーセンターに赴任した研究員も、ウミクワガタ、カジカ、クモヒトデなどの新種、希少種をいくつも発見しました。また、ダンゴウオなど、これまで知られてはいたけれど、よく生態がわかっていなかった生き物の生き様も明らかになってきました。一般の方がダイビングを楽しめる環境もあったので、それらの生態を見るために訪れる人も増えてきます。見るだけで捕獲しないので、持続可能な形で楽しむことができました。

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そんな取組みを続けているうちに、ネイチャーセンターの利用者も増え、講座受講者を確認しただけでも、初年度のべ800人だった受講者数が、震災前には、2400人まで増えていたそうです。来館者が増えると、宿泊施設、飲食店、商業施設への経済効果や地域の活性化にもつながります。南三陸町では、教育旅行の誘致にも熱心ですが、ネイチャーセンターの取組みはまさにその布石になったといえます。

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ネイチャーセンターの今、そしてこれから

震災で施設が被災した後、町では、産業振興課のもと、「ネイチャーセンター準備室」が再建に向けて準備を進めています。また、再興を応援する町内外の有志の会「南三陸ネイチャーセンター友の会」は、施設を失った現在でも市民への自然環境の理解促進と持続可能な社会の形成に寄与することを目指し、活動を続けています。それは、ネイチャーセンターが人をつなげる場になってきたということなのかもしれません。

震災一年後の2012年3月には、震災前から海の教育プログラムで関わりのあった「NPO法人海の自然史研究所」主催の形で、「『南三陸町自然環境活用センター』を語るフォーラム」(報告書はこちらのページをご覧ください)が開催されました。そこには、研究者、大学教授、地域の教員、かつて高校生として利用した大学生、社会人など町内外のネイチャーセンターにゆかりのある人々が集い、再興の形を検討しました。

アンケートには、「これまでの12年間は、町の立場で、なければないで済む実験的な施設だったかもしれない。しかし、今、未来志向で新たなものを創っていくことを考える時、非常に魅力的な課題だと思う」という言葉もありました。町での噂を聞く限り、これまでのネイチャーセンターは、町内よりも町外での評価の方が高かったようにも見受けられますが、それは、「地域密着型の施設」に向けてまだまだ発展の可能性があるということなのかもしれません。

ネイチャーセンターが関わる子供向けの磯の観察会はすぐに定員オーバーになってしまいます。震災までの12年間の活動の中で、人を育てる重要な場をつくってきたのは確かなことでしょう。

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〈10月26日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は、南三陸町観光協会の光嶋りつえさんから始まり、「まちのひと」は海しょくにん浅野健仁さんで芋煮会についてのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは三陸道志津川インター開通です!

オープニングコール

南三陸町観光協会の光嶋りつえさん

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まちのひと

海しょくにん浅野健仁さんで芋煮会についてのお話です!

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今週のイチオシ

南三陸町民悲願である三陸沿岸道路志津川インター開通のニュースです!

今や、仙台方面や他県からのアクセス道として、また、災害時の物資輸送や、救急病院への搬送路としても人々の生活に欠かせないものとなっている三陸沿岸道路。現在登米市の三滝堂ICが終点となっていますが、これがさらに9.1km延伸し、ついに南三陸町に到達します。これにより、仙台市内から1時間30分以内で南三陸町に来れるようになります!志津川インターからさんさん商店街はたったの1km。気軽に南三陸のグルメやレジャーを楽しめるようになりますね!

インターが開通のする10月30日には、南三陸町総合体育館 ベイサイドアリーナ周辺にて、南三陸産業フェアが開催されます!旬の食材や、楽しいイベントも目白押しです。ぜひ、三陸沿岸道路を使って、より近くなった南三陸に足を運んでみてください!

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

町唯一のキャンプ場として、町内外多くの方から人気の神割崎キャンプ場。BBQや海水浴・レストランなど、日帰りでも盛んに利用されています。人気の秘密を伺ってきました!

南三陸町唯一のキャンプ場として

戸倉半島の最東端(先っぽ)、石巻市との市町境に、神割崎キャンプ場は位置します。

国道45号から国道398号に入りおおよそ20分。戸倉復興道路も完成し、アクセスもますますよくなりました。

隣接する名勝「神割崎」は、神の裁きによって割れたという伝説の残る岩の割れ目から、太平洋のダイナミックな波しぶき、そして、年二回の朝日が臨める町内屈指のビュースポットです。

町唯一のキャンプ場として多くの観光客から、またキャンプでの宿泊以外にも、BBQや海水浴などでの日帰り利用や場内の観光プラザ内にあるレストランなど、町内外たくさんの人から愛されている神割崎キャンプ場。

その人気の秘密やオススメの利用方法など、管理人の及川渉さんに伺ってきました!

キャンプ場の概要を教えてください

—なかなか広いキャンプ場ですよね?

第1~第4までのフリーサイトと、車も乗り入れできるオートサイトなど、全体で東京ドーム4つ分くらいの広さと言われています。

フリーサイトにはテントが約100張、オートサイトが20サイト、ログキャビンが3棟ありますので、かなりの人数が宿泊可能です。

—東北の人には特にですけど、東京ドーム○○個分という単位はピンと来ませんね。でもかなり広いです。

海を眺めながら散策できる遊歩道なども含まれているので、雄大な空間でのんびり過ごせるキャンプ場です。

―いつごろからあるキャンプ場なのでしょう?

昭和44年にキャンプ場として開設されました。まだ建物やちゃんとしたトイレなどはなく、テントの貸出を行う程度で、現代の“キャンプ場”という感じでは無かったようです。

観光プラザやサニタリー棟、オートキャンプ場は今から20年ほど前にでき、だんだんと今の姿に近づいてきました。

―いろいろな施設ができてきたのですね。現在ではどんなものがありますか?

テントサイトのほかには、バーベキュー広場や炊事棟、トイレやコインシャワーのあるサニタリー棟、ベンチのある東屋がいくつかあります。海水浴場の楽しめる海岸もありますし、場内の6つの岬にはそれぞれ「待妻岬」「母恋岬」「出逢い岬」など、ユニークな名前がついています。

―キャンプだけでなく、自然に触れて遊ぶにも十分な施設ですね。

もちろん駐車場もあるので車での来場も大丈夫です。

オートキャンプ場脇にはイベント広場がありますが、現在は31戸の仮設住宅が建っていて、まだ住んでいる方もいらっしゃいます。

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

場内の拠点施設、観光プラザ

―そして拠点となるここが?

管理センターとなっている観光プラザです。

キャンプ場受付、観光案内のほか、キャンプに必要な消耗品を買える売店や、キャンプ道具のレンタルも行っています。

―この中にもいろいろな部屋がありますね。

多目的ホールは一般の方への貸出(有料)もおこなっていて、会議やワークショップ、イベント、地域行事などに使われています。地元の子どもたちのよさこいサークルの練習などにも頻繁に使われていますよ。

また、海や自然をテーマにしたさまざまなグッズを取り扱うミュージアムショップもあります。

―今日はお昼ごはんもいただきました。

昼食をとれる「レストラン神割」は、食材のみならず、テーブルやランチョンマットまで地産地消にこだわっており、海を眺め潮騒を聞きながらランチをとることができます。

お弁当やオードブルの受注、ディナータイムのご宴会(要予約)もできますし、夏にはビアホールもやっています。

―「台湾風ジャジャ麺」、とってもおいしかったです。

7月に2か月間、台湾からのインターン生が3人、運営を手伝ってくれました。

主にはレストランのウェイターや調理補助をやってもらいましたが、日本語を聞くのも話すのも、読み書きもできるので、夏の繁忙期を乗り越えるのにとても助かりました。

場内の案内表示の翻訳等にも活躍してくれ、国際色豊かなキャンプ場になっていきそうです。

「台湾風ジャジャ麺」も、彼女らインターン生の発案でできた新メニューなんですよ!

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

キャンプ場の利用者は?

―どれくらいの方が利用されていますか?

平成27年は年間約5,000人(2泊以上でも1人とカウント)の方が受付されています。

それ以外にもBBQなどで日帰り利用される方や、散歩やピクニック、海あそびなどに来られる方もいらっしゃいますね。

―日帰り利用もできるのですね。

食材や道具・食器・炭など一式込みで2,000円の、「手ぶらでBBQ」プランもあります。キャビンのレンタルと合わせれば気軽に素泊まりができますね。

―どんなお客さんが多いですか?

ファミリー層や一人旅のバイカーが多いです。教育旅行や研修旅行などで利用される方も多くて、交流事業の現場にもなっています。

最近では外国の方も多く利用されるようになってきています。

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

交流事業の場として

―交流拡大のために取り組んでいることはありますか?

戸倉地区の終着点に位置しているので、戸倉地区の観光の窓口として、ここを起点に戸倉の様々なスポットを巡ってほしいと思っています。

―日帰り利用も歓迎ですか?

日帰り需要も高まっているように感じています。

広い施設を利用したイベントの開催も増えており、「水風戦大会」や、バイクイベント・車イベントなど、様々なイベントが実施されるようになってきています。

大人数を収容できる施設が戸倉地区には少ないので、そうした需要にも応えて行きたいですね。

―たしかに広い場内はイベントにピッタリですね!キャンプ場による企画もあるんですか?

自主企画として、火を見る会・バームクーヘンづくり・燻製づくり・レストランでの料理教室などもどんどん企画していく予定です。

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

神割崎キャンプ場の魅力

―ズバリ!キャンプ場の魅力は何ですか?

リアスの特徴的な地形を自然のまま活かしており、海が見える海辺のキャンプ場というところですかね。

半島の先に位置しているので、迫力ある波の音を子守唄代わりにお泊りいただけます。

―海辺のキャンプ場って少ないですもんね。自然も豊かですし!

季節によってニッコウキスゲやウミネコの幼鳥も見られ、四季折々の自然を楽しめますよ。イカ釣り漁船の漁火なども季節の風物詩です。

また東北ではめずらしいペットOKのキャンプ場なので、大事なペットも家族として一緒にお過ごしください。

―今後どんなキャンプ場になっていきますか?

「手ぶらでBBQ」に引き続き、手軽にキャンプをしてみたいという方に向けて、「手ぶらでキャンプ」も企画していこうと思っています。

―ますます使いやすいキャンプ場になりそうですね!

イベント情報や料金詳細などは、新設されたホームページをご確認ください。キャンプ場の日常をお伝えするスタッフの一言コーナーも定期的に更新しています。

―間もなくキャンプもエンドシーズンですが・・・。

キャンプ場の利用は11月末までですが、観光プラザやレストランは冬季期間も営業しています。

また10月の下旬頃には、ちょうど神割崎の割れ目から登る日の出を見ることができるんですよ!朝早くになりますので、ぜひキャンプ場を利用し、宿泊と合わせてお楽しみください。

―最後にPRを!

一般のキャンプ利用から、様々なイベントの実施まで、いろいろな用途で利用してほしいと思っています。

キャンプ場なので宿泊はもちろん、飲食の提供もできますし、自然に囲まれ周辺に民家も少ないという環境も活かし、広い敷地内で楽しい企画が実施されると良いですね。

どんなご相談にも乗りますので、まずはご連絡ください!

海辺の自然を大満喫!神割崎キャンプ場まるわかりインタビュー

いろいろな用途で使えるキャンプ場

リアス式海岸の特徴的な海岸に位置し、太平洋の雄大な海を眺められ、自然豊かで波の音がやさしいキャンプ場でした。

海辺の自然を満喫し、アウトドアを楽しめるキャンプ場ですが、最大の魅力はその用途の幅広さにありました。

広い敷地と豊富な施設に加え、柔軟な考え方でいろいろな企画やイベントを受け入れてくれるスタッフのみなさん。

町内外を問わない多くの方の、様々な交流の場として活躍しています。三陸の海岸を舞台にしたあなたのアイデアも、素敵な企画となって実現するかもしれません!

ぜひおいしいランチを食べながら、相談に行ってみては?

2016年10月26日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38°38’41” N 141°26’13” E

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2016年10月26日/戸倉地区

志津川地区

撮影場所 [38°41’12” N 141°26’34” E

2016年10月26日/志津川地区
2016年10月26日/志津川地区

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

2016年10月26日/歌津地区
2016年10月26日/歌津地区

他の定点観測を見る

南三陸町にファンクラブが!? / 南三陸応縁団インタビュー

2015年4月、震災で生まれたご縁をつなぐ交流プログラムが誕生しました。その名も「南三陸応縁団」。どのようなものなのか、産業振興課観光振興係の宮川舞さん、南三陸町観光協会の宮本隆之さんに話を聞きました。

“支援”から“協働”へシフトする中で生まれた交流プログラム

「南三陸応縁団」は、南三陸町に関わる人々と町民を結ぶ交流プログラムです。団員登録は無料。団員になると、団員向けの交流イベントや限定ツアーなどに参加することができます。また、交流イベントを含め、全国各地で開催される物産展などに「おでって」(お手伝い)として関わることも可能。さらに南三陸町では、農作業や水産加工など、通年および季節に応じてさまざまな「おでって」も募集しています。これらの情報は南三陸応縁団のウェブサイトに掲載。サイトでは南三陸町の最新情報も随時発信されています。

南三陸応縁団ウェブサイト
南三陸応縁団ウェブサイト

南三陸応縁団が生まれたきっかけは何だったのでしょうか。震災後、復興支援のボランティアで多くの人が南三陸町にやって来ましたが、時間の経過とともにボランティアの数は減少。2015年3月には南三陸町社会協議福祉会が運営する災害ボランティアセンターが縮小されました。しかし、何度も南三陸を訪れるリピーターも多数。そのような人たちとのご縁をつないでいくにはどうしたらよいか…。「福祉」「支援」から「交流」「協働」へのシフトを模索する中で生まれたのが「南三陸応縁団」です。絆が育まれる持続可能な交流を目指す、南三陸町の新たなチャレンジでした。

南三陸応縁団バッチ 引用:南三陸応縁団ウェブサイト
南三陸応縁団バッチ 引用:南三陸応縁団ウェブサイト

全国各地で「おでって」が大活躍!

2016年9月末現在の応縁団員数は約2180人。応縁団の誕生以来、ゆるやかに参加者が増えているそうです。「交流会に参加した人がお友だちを誘ってくれるというように、人のつながりで応縁団に入ってくれる人が多いですね。また、交流会などを通して団員同士の横のつながりも生まれていて、うれしく思っています」と、産業振興課観光振興係の宮川舞さんは話します。

南三陸応縁団の立ち上げに関わった産業振興課観光振興係の宮川舞さん
南三陸応縁団の立ち上げに関わった産業振興課観光振興係の宮川舞さん

全国各地で開催されるイベントでの「おでって」も好評です。「8月5日に兵庫県明石市で行われた『たこリンピック』には、4名が駆けつけてくれました。みなさん、『南三陸町にはなかなか行けないけれど、自分の地域で催しをやってくれて、おでってとして参加できるのがうれしい』とおっしゃってくださって」と宮川さん。おでってのポイントは、町民と一緒になって、南三陸町の地域振興・産業振興につながる活動に関われること。おでっての受け入れ先も増えてきており、おでってと組み合わせた独自のツアーも行われています。

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たくさんのおでってが参加したたこリンピックの様子

応縁団員ならディープな南三陸に触れられる!

南三陸でのおでってのマッチングを行うのは、南三陸町観光協会の宮本隆之さん。南三陸応縁団の事務局を務めています。「おでってさんはほぼ毎日いらっしゃいますね。やはり週末が多いのですが。事前に登録していただいた上で、朝に登録受付を行い、受け入れ先との最終的なマッチングを行います」。

宮本さんはウェブサイトでの情報発信も担当。おでってのレポートや復興に関するニュースをアップしています。「町からの情報や観光協会の情報とは差別化を図って、よりコアでディープな南三陸情報を発信するように心がけています。記事はログインしないと最後まで読めないので、団員登録しているメリットや特別感をいかに打ち出せるかがポイント。読者がどんな情報に興味があるのかを探りながら、試行錯誤中です」と宮本さんは話します。

仙台市出身で、震災後に南三陸に移住した宮本さん
仙台市出身で、震災後に南三陸に移住した宮本さん

交流イベントの企画では、開催場所によってテーマを変えるそうです。「南三陸の食は外せませんけどね(笑)」と宮本さん。「去年は“恩返し”や“おもてなし”の気持ちで交流イベントを行っていましたが、今年はよりターゲットを絞っていきたいと考えています。たとえば移住希望者向けや、企業のCSR担当者向けなど。通常の観光では味わえない交流が南三陸応縁団の魅力。応縁団に入ると色々な情報が得られることをアピールしていきたいですし、さらには、情報を受け取るだけでなく実際に南三陸に来てもらいたい。そのためにも、足を運びたくなるような新しいイベントを仕掛けていきます」と意気込みを語ります。

応縁団が持続可能なご縁・つながりを生むきっかけに

南三陸応縁団の展望、今後目指すところを、宮川さんに伺いました。「多くのボランティアの方が来てくださった町だからこそ、この応縁団のしくみを作ることができました。ただ、この形がベストかどうか、今はわかりません。いわばこれは感謝を表す公益事業なんです。目指すのは、この応援団というしくみから、町民と町外の人が直接つながる自律的な交流やネットワークが生まれていくこと。そこが私たちのチャレンジです」。

「震災から5年以上が経ち、風化が進む中、ここが正念場。震災で生まれたご縁がこの先もずっと続くよう、町民が力を合わせてがんばっています。南三陸への関わり方として応縁団というしくみがあることを、ぜひ多くの方々に知ってもらいたいですね」と宮川さんは締めくくりました。

観光とはまた違った、より深い交流・つながりができる南三陸応縁団。あなたも入団してみませんか?

インフォメーション

南三陸応縁団 団員募集中

南三陸町福祉まつり2016 手と手をつなぐ福祉の輪

2016年10月2日、ベイサイドアリーナにて本年も福祉まつりが盛大に行われました!「手と手をつなぐ福祉の輪」をテーマに、南三陸近郊の約30団体が集結!写真で振り返ります!

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晴天!ドドンと華やかなオープニング

オープン前からこの人だかり!積み重ねてきた話題性が伺えますね!オープン前からこの人だかり!積み重ねてきた話題性が伺えますね!

今年度も地元・大森創作太鼓で幕開け!晴天に、迫力ある音が抜けていく
今年度も地元・大森創作太鼓で幕開け!晴天に、迫力ある音が抜けていく

来賓を代表して、最知明広副町長よりご挨拶「福祉まつりは福祉のソフト機能を育てるもの。一緒になって安心できる町を目指したい」
来賓を代表して、最知明広副町長よりご挨拶「福祉まつりは福祉のソフト機能を育てるもの。一緒になって安心できる町を目指したい」

セレモニーの締めくくりはもちろん・・・アレです!

出ました!南三陸名物!餅まき!副町長を始めとするご来賓の面々がまきます!
出ました!南三陸名物!餅まき!副町長を始めとするご来賓の面々がまきます!

そーーーーれっ!もちが舞う!そーれもちが舞う!

ワークショップ!おもちゃの図書館!ステージ!賑わう会場内

入り口では地元のキレイどころがお出迎え!志津川中学校からのボランティアも大活躍!
入り口では地元のキレイどころがお出迎え!志津川中学校からのボランティアも大活躍!

オープン直後の会場内 ブースの周りに人だかりが・・・
オープン直後の会場内 ブースの周りに人だかりが・・・

各団体の活動紹介 町の福祉の情報やネットワークがよく分かります
各団体の活動紹介 町の福祉の情報やネットワークがよく分かります

みやぎ心のケアセンターのブースではアルコールとストレスチェックが!
みやぎ心のケアセンターのブースではアルコールとストレスチェックが!

志津川高校手芸部のブースでは水引でいろんな形を作るワークショップを開催!
志津川高校手芸部のブースでは水引でいろんな形を作るワークショップを開催!

おもちゃいっぱーい!障がいの有無にかかわらず、子どもたちがのびのーび楽しむ場に
おもちゃいっぱーい!子どもたちがのびのーび楽しむ場に

のぞみ福祉作業所の物販ブース!心がこもったお洒落なグッズが並ぶ
のぞみ福祉作業所の物販ブース!心がこもったお洒落なグッズが並ぶ

カリタス米川ベースの福祉体験!車椅子、視覚障害などの疑似体験
カリタス米川ベースの福祉体験!車椅子、視覚障害などの疑似体験

歌津つつじ苑のお兄さんたちのカッコイイはっぴ!利用者さんが大量旗から作ってくれたものなのだとか
歌津つつじ苑のお兄さんたちのカッコイイはっぴ!利用者さんが大漁旗から作ってくれたものなのだとか

ステージも華やか!コール潮騒の美しい合唱や町内の中高吹奏楽部の合同演奏、輝き劇団などなど
ステージも華やか!コール潮騒の美しい合唱や町内の中高吹奏楽部の合同演奏、輝き劇団などなど

体育館に戻ると、おや?なにやら人だかりが・・・
体育館に戻ると、おや?なにやら人だかりが・・・

南三陸町愛の手をつなぐ親の会、恒例の大人気バザーです!売り上げの半分は共同募金へ残りの半分は親の会主催のクリスマス会の開催費用になります
南三陸町愛の手をつなぐ親の会、恒例の大人気バザーです!売り上げの半分は共同募金へ残りの半分は親の会主催のクリスマス会の開催費用になります

第3回 みんなの作品展~よってみてけらいん~ も同時開催!

9月30日(金)から3日間開催された同展示会の最終日でもありました。町内の仮設集会所のサークルなどで作られた力作たち
9月30日(金)から3日間開催された同展示会の最終日でもありました。町内の仮設集会所のサークルなどで作られた力作たち

入り口には我らがオクトパス君が!かわいい〜
入り口には我らがオクトパス君が!かわいい〜

いい味出してます、川柳
いい味出してます、川柳

南方仮設にお住いの生出さんの花嫁人形 なんとも繊細で艶やかです
南方仮設にお住いの生出さんの花嫁人形 なんとも繊細で艶やかです

福祉まつりが果たす役割とは?

「ここに来るとみんなに会えるのよね」

会場内では、再会を喜ぶ人たちの声が多く聞かれました。福祉まつりは南三陸町社会福祉協議会が声かけ人となり、町内外の団体が実行委員会を組織して続けている民間のお祭り。

今年度の実行委員長は、カリタス米川ベースの千葉道生さん。横浜出身、お父さまが登米市米川出身だったことがご縁で宮城で活動するようになりました。

オープニングで挨拶をする実行委員長
オープニングで挨拶をする実行委員長

「日常のコミュニティ、人と人とのつながりがどれだけ大事だったかを被災した私たちはよく知っています。 災害時の基盤作りでもありますね。こうして顔を合わせていくうちに事業所間の連携が生まれてきてもいて、私たちもボランティアを他の団体に紹介することも増えました。何もなくてもこうして年一回、顔を見れることが、助け合うきっかけになるし、安心できる。同じような志を持つ仲間がたくさんいることはそれだけで自信になるし、そこに町民の皆さんもたくさん来て、まちづくりにつながっていく。これから世界中で必要になってくる取り組みだと思います」

実行委員長イチオシ!認知症寸劇の輝き劇団!自分たちで認知症を面白おかしく表現して身近にしていこうと試みている
実行委員長イチオシ!認知症寸劇の輝き劇団!自分たちで認知症を面白おかしく表現して身近にしていこうと試みている

親子で福祉まつりに来ていた佐藤さんは「子どもと一緒に楽しめるお祭り、目も届くし親子で来やすい。福祉と言うと高齢者が一番に思い浮かぶかもしれないが、もっと広くいろんな人に知ってもらうべきだと思う」と話していました。

その場にいた子どもたちと一緒に、想い想いに遊ぶ佐藤さんのお子さんたち
その場にいた子どもたちと一緒に、想い想いに遊ぶ佐藤さんのお子さんたち

エンディングはみんなで踊る!おすばでサンバ!

景品争奪大ゲーム大会を経て、最後は出店者もお客さんもみんなでホールに集まって・・・

おすばでサンバ!山内淳子さんがセンターで指導します!この日一番の一体感!
おすばでサンバ!山内淳子さんがセンターで指導します!この日一番の一体感!

今年も大盛況のうちに幕を閉じました。総来場者は約450人。毎年続けることにコミュニティが広がっていく福祉まつりに、来年度も期待大です!

大正大学地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ(寄稿)

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この記事は「一般社団法人南三陸研修センター」より寄稿頂きました。寄稿の依頼は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

2016年9月19日から10月29日までの41日間、今年度新設された大正大学地域創生学部の学生が地域実習を行っています。地域人としてまちの活性化を担うことを使命とする人材育成を目指すための同大学と南三陸研修センターの初の試みをご紹介します。

地域を愛し、地域を支え、日本の未来を構築する人材育成

地域創生学部が目指すのは、地域問題を解決し、これからの地域を担う人材を育成することです。学生は1年次から4年次まで都市と地方の双方で長期の地域実習に取り組みながら、都市の視点で地域活性化に貢献し、地方の視点で都市問題にアプローチできる力を習得していきます。

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町長より地域実習の「指示書」を受け取る学生

全国7つの地域に分かれて実習を行っていますが、南三陸は地域講師によるレクチャーに始まり、福興市などの地域ボランティア活動や町内事業所2か所でのインターン、ひころ秋祭りでの催し物企画など、地域と密に関わるプログラムが充実しています。

大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ
週に一度、テレビ会議を通して各地域と情報交換しながら独自の地域資源について学びを深めている

学びのフィールドとしての南三陸

大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ

山と海と里が密接につながる稀有な分水嶺という地形は、自然の循環を学ぶのに最適であり、震災の教訓やそこから生まれた活動の事例も豊富でありながら、志ある若者のアクションに協力・応援する人々がいる、多様な人と共に挑戦ができる町です。特に若い世代にとって、この町で立ち上がろうとする人々の生き様やこの地に結集する多種多様な人との出会いは、大きな学びの種となることでしょう。

また、若い世代ならではの視点で見つけた価値や想いが、地域づくりの実践を活性化させていくことや、成長に立ち会い、忘れられない体験を共有していくことで、将来的な交流人口の増大に大きく寄与するなど、町にとっても大きなメリットを生むことが想定されます。

大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ
毎日の振り返りの時間では一人一人が自分の体験や想いを共有している

町内9つの事業所でインターンシッププログラムが始動

現在、町内各事業所でのインターンシップが始まりました。2事業所を6日間ずつの合計12日間。公的・非営利団体と民間企業を1箇所ずつ、様々な立場から地域創生を考える構成となっています。

大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ
及善商店 実習の様子
大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ
南三陸研修センター 情報発信サイトのためのインタビューを行う様子
大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ
入谷にて 地元の人たちと稲刈り

続いていく関係性が生み出す新しい価値とは

地域創生学部は地域実習の後、東京に戻りそれぞれの研究課題を深め、2年次には都市部で実習、3年次には再び南三陸に戻って実習を行っていきます。その後、地域実習の枠を超えて、ともに地域創生に取り組む関係性が構築されることが期待されています。

南三陸研修センターでは「未来を創る人を育む」というビジョンを掲げ、数々の地域振興プロジェクト・大学生/新入社員研修プログラム・宿泊研修施設運営を行って参りましたが、今回のように長期の研修を受け入れるのは初めてのことです。

ここ南三陸は、人や自然とのつながりを学び、地域課題と向き合う最適のフィールド。3年後、5年後、10年後・・・もっと先まで続いていく関係性の中で、学生・大学・町民・全ての主体が学び合い、何を感じ、どんなことに取り組んでいくことになるのか、可能性は未知数です。

今まさに始まった大正大学との取り組みに、ぜひ、ご注目ください。

大正大地域創生学部 第1期生20名 南三陸町へ

 

歌津新商店街起工式 / 36NEWS

歌津地区観光交流拠点の新築工事起工式が執り行われました。設計は志津川地区と同じ隈研吾設計事務所です。隈研吾氏は「シンプルで景観に馴染むよう設計した」と語りました。南三陸スギの木造平屋建て正面にはイベント用フリースペースがあります。

南三陸町の交流人口拡大の柱は人がベース 教育旅行・インバウンド

交流人口の拡大に取り組む南三陸町。その一環として、教育旅行とインバウンドに力を入れています。震災を経験した南三陸町ならではの新しい観光・交流スタイルとは? 産業振興課長の髙橋一清さんに話を聞きました。

震災を経た南三陸の新たな観光資源とは?

―交流人口拡大のための施策にはさまざまなものがあると思いますが、特に力を入れている取り組みについてお聞かせいただけますでしょうか。

交流の要素として大きいのは、観光や教育旅行ですね。震災前、南三陸町には年間110万人もの観光客が訪れていましたが、震災後は30万人に…。ボランティアや復興支援により、一時的には80万人台まで回復しましたが、時間が経つとまた減ってしまいました。これを何とか震災前の数字に戻すのが現在の目標です。ただ、津波による被害で、観光客を受け入れる資源・施設が不足しているのが現状。そこで、交流につながる新しい観光資源を見つけながら、町の産業づくりを進めていこうとしています。

―新しい観光資源とは、具体的にどういったものでしょうか。

ひとつは、もともと南三陸にある豊かな自然の恵みです。海の幸や森林資源といった、南三陸が有する一次生産物の価値を見直し、そこにあらためて光を当てる取り組みを行っています。今年3月、戸倉のカキ養殖場が、ASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)より、環境に配慮した養殖場としての認証を受けました。ASC国際認証の取得は国内で初めてです。また、南三陸町では、FSC(Forest Stewardship Council:森林管理協議会)の国際認証も昨年取得しています。同じ自治体が養殖場と森林で国際認証をダブル取得したのは、世界でも例がないとか。このように、地域資源に関心を集めるしかけづくりを行っています。

もうひとつは、震災の語り部や防災教育プログラムなど、震災を受けたことを交流人口拡大につなげていく取り組みです。また、震災によって新たに生まれた交流やご縁も、南三陸町にとって大切な資源。その縁をつなぎ、南三陸町のファンになってもらう仕組みとして作ったのが、「南三陸応縁団」という交流プログラムです。

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観光協会語り部プログラムの様子 提供:南三陸町観光協会

南三陸ならではの教育旅行とインバウンド

―南三陸町では、震災前から教育旅行や「グリーンツーリズム」に力を入れてきたと伺っています。これは震災後も変わらないのでしょうか?

森・里・海の豊かな自然資源を生かした体験プログラムの提供という意味では変わらずですが、“想い”の部分では、震災前と震災後で同じというわけではありません。この町の人たちは、被災して命の危機を経験したことで、身近なところにある大事なものに気づき、今日生きていることの喜びというものを実感しました。震災後は、たとえ同じ内容の体験プログラムでも、伝えようとする想いやメッセージが違います。だからこそ、教育旅行のフィールドとして価値があると思うのです。教育旅行を交流人口拡大のための大切な手段ととらえ、町としても力を入れています。さらに、この教育旅行がベースとなって、最近ではインバウンドにも取り組み始めました。

―インバウンドの取り組みはどのようなものですか?

台湾の高校生を受け入れています。台湾からは多大な義援金をいただき、震災後に交流が深まりました。

町長が感謝の気持ちを伝えに台湾を訪れた際に、台湾で日本への教育旅行に対するニーズがあることがわかり、向こうの先生に来ていただいたうえで、実施が決まりました。台湾の教育旅行協議会と連携して、昨年冬から台南市の学生が教育旅行に訪れています。さらには、日本語を勉強している台湾の大学生のインターンシップも始まりました。

―教育旅行やインバウンドでやって来る学生さんたちにとって、どんな体験が一番印象に残るのでしょうか。

日本の子どもも台湾の学生も、ほとんどが民泊先での交流を挙げますね。一緒に時間を過ごすことで、緊張がほどけて打ち解けていく…。その過程が人を育てるのだと思います。特別なことをしなくても、相手を想うさりげない気遣いが子どもたちの心に響くのでしょう。一期一会、一生に一度のご縁が、彼らにとってかけがえのない思い出になっています。多くのものを失った何もない町でも、人と人との出会いが感動や学びを生むのです。だからこそ、復興に向けて交流につながる施策を積極的に推進しています。

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教育旅行で南三陸を訪れた学生さんたちの様子 提供:南三陸町観光協会

一期一会を継続的な交流に、さらには定住へ

―教育旅行やインバウンドにおいて、カギとなるのは「人」なのですね。

そうですね。もちろん、おいしい食事やさまざまな自然体験などもアピールポイントではあるのですが、やはり人とのふれあいが最も心に残るようです。幸いにも「南三陸はいい人たちばかりだ」という声を多くいただいています。私たちの生き様や、震災を経たことで生まれた新たな価値観に触れてもらうことが、みなさんにとって何かのお役に立てたら…。そしてこの町でよい思い出を作ってもらって、また来てもらいたい。そういった積み重ねが観光の振興にもつながると考えています。震災後は観光や教育旅行を大きく打ち出せませんでしたが、震災から5年が経ち、これからは前向きに取り組んでいきます。住宅事情の問題などもありますが、今後 民泊家庭を徐々に増やしていきたいですね。

―交流人口拡大に向けて、今後の展望をお聞かせください。

交流人口拡大の先にあるのは定住人口を増やすことです。交流によって町の魅力を発信し、定住につなげていこうと。そのためには、住むところや働く場所の問題がありますので、そこをクリアにしていかないといけませんが…。今後は、教育旅行を発展させ、「南三陸に住みたい人」に向けたしくみも考えていくつもりです。まずは南三陸に来て、いろいろ見て、この町のことを知ってください!

―はい! 交流によって南三陸町がどのように変わっていくのか、これからが楽しみです。お話ありがとうございました。

南三陸町の交流人口拡大の柱は人がベース 教育旅行・インバウンド

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!

2016年7月より台湾の台南・高雄の4大学からインターン生がやってきました。リャオ・ツーユンさんは8月から9月にかけて観光協会で働いていた最後の修了生。9月30日に行われた成果報告・修了式のレポートです。

ミッションは台湾向けプロモーション&受け入れ準備

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
流暢な日本語を話すリャオ・ツーユンさん 愛称は「つーちゃん」

台湾からのインターン生は総勢19名。観光協会で12名、ホテル観洋で7名を受け入れ、それぞれ1~2か月滞在していました。

そもそも、台湾とのつながりを考えるきっかけとなったのは震災で受けた大きな支援。新しい南三陸病院と総合ケアセンター南三陸の建設費の約4割である22億円ほどが台湾からの寄付だということは南三陸では有名な話ですね。

このご縁をより深めていくため、南三陸町では台湾からの修学旅行・企業研修の誘致や受け入れ体制整備を進めようとしています。

リャオさんは交換留学で福井大学に通っている4年生です。台湾の大学のホームページを見てこのプログラムに応募し、福井の大学の夏休みを利用しての滞在しました。

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
観光協会職員や民泊を受け入れた家族など2か月を共に過ごした20人ほどの人々が集まっていました

レンタルサイクルコース、指差し会話帳など エンジョイ!企画が次々と

成果報告会ではリャオさんたちが手がけたたくさんの企画が紹介されました。その一部をご紹介!

◎その1 レンタルサイクルコース

海外旅行客にとって最も大きなハードルの1つは交通手段!異国の地でレンタカーを借りるのはあまり現実的ではありません。今後、町の整備が進めば、自転車で色々な所を楽しんでもらえるのでは?というところから、リャオさんたちは町中を自転車で散策し、「シルクコース」「山散策コース(オクトパス君コース)」「入谷満喫コース」「海散策コース」「モアイ発見コース」の全5種類のコースを発案しました。

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
外から来た身(ライターは東京在住)としては観光ポイントはもちろん、自転車で駆け抜ける南三陸町の風景がとにかく気持ち良い!あっという間のサイクリングコースでしょうね

◎その2 台湾向けノベルティ(プチお土産)「まゆみくじ」

今後、台湾でプロモーション(広報活動)を行う時に配布するノベルティ(プチ土産)の企画も行いました。南三陸の伝統産業のひとつ「繭」に着目し、繭玉に南三陸にちなんだ内容の中国語のおみくじを入れて「まゆみくじ」を企画しました。

台湾人はノベルティをもらうのが大好きで、他の自治体でもペンやクリアファイル、ピンバッチなどそういったものをかなり配っているそう。せっかくなら南三陸らしいノベルティを!とリャオさんたちから提案があり実現したそうです。

◎その3 指差し会話帳

日本語と中国語が対になって掲載されていて、指を指しただけでしゃべれなくてもコミュニケーションが取れる指差し会話帳を開発!今後、中華圏からの観光客や民泊を受け入れるときには大活躍間違い無しです!民泊でお母さんたちが必要な言葉や観光客が使う言葉がピンポイントでピックアップされている使える1冊に。

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
完成した指差し帳を初めて目にした民泊のお母さん方、出来栄えに感嘆の声が上がっていました

その他にもたくさんの成果が発表され、リャオさんは「とにかくエンジョイ!」だったと笑顔で振り返りました。

観光協会総務企画部チーフ及川和人さんは「台湾の若い学生さんの目線でプロモーションの幅がぐっと広がり、台湾人の好むプレゼンテーションについてもたくさん教えていただきました。私たちが気付かないところまで考えてくれたところがありがたかったです」とコメント。

家族の温かさを知った民泊体験

リャオさんは2ヶ月の滞在中、民泊体験プログラムを通して町内にお住いの阿部高江さん(68)宅で過ごしました。台湾の自分の家族仲は良くなく、いつも部屋に引きこもって一人で過ごしていたそうです。7人家族の阿部さんの家で、お母さんの美味しい手料理を囲んでたわいもない話をする日々の中で、家族の温さを初めて知ったとリャオさんは言います。

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
阿部家での記念写真 弱さを受け止めてくれる場所

修了式ではこんな一コマがありました。

阿部さん「ツーちゃんはもうすごい優しくておとなしくて、1人で部屋にいることも多かったけど、ツーちゃん、梨むいたよーとか、ぶどう食べるー?とかって声をかけて、ね。そんなことしながら親にも兄弟にも相談できないって言って私たちと一緒に11時頃までしゃべったこともあったね。(目に涙を浮かべながら)また帰っておいで」

リャオさん「お母さん本当にたくさんのことを教えて頂いてありがとうございます。いつも部屋に引きこもっていましたけど、ちゃんと家族として愛してくれて、本当にありがとうございます。必ず帰ってきます」

阿部さん「はい、帰っておいで、いつでもいいからね、何かあったら電話ちょうだい」

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
日本のお母さんの記念写真 エンジョイ!の裏側で悩んでたこと、家族は知っていました

南三陸交流大使に任命

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
任命書を観光協会及川さんから手渡されるリャオさん

インターンはこれで終わりますが、リャオさんの活動はまだまだ続きます。これからは南三陸交流大使として、南三陸と台湾の架け橋となってくれることでしょう。

リャオさんは交換留学先の福井に戻りました。4月からはまた台湾に。

卒業後は日本語に関する仕事に就きたいと意気込みを伝えてくれました。今後の活動も応援してます!

とにかくエンジョイ!台湾インターン生リャオさんの2ヶ月間!
日本に来て自分がガラッと変わったというリャオさん、たくさんの元気と笑顔をありがとう