〈11月16日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は、ビジターセンターの西條千恵さんから始まり、「まちのひと」は、ビジターセンター平井和也さんで2016年11月19日にオープンしたビジターセンターについてのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは千葉のり店のたつのこのり太郎です!

オープニングコール

ビジターセンターの西條千恵さん

 

まちのひと

ビジターセンター平井和也さんで2016年11月19日にオープンしたビジターセンターについてのお話です!

今週のイチオシ

さんさん商店街でも人気ののり屋さん 千葉のり店の「たつのこのり太郎」です。

千葉のり店はなんと創業110年、さんさん商店街に店を構える海苔やさんです。高台に自家工場を持ち、手作りの商品を販売しています。たつのこのり太郎は、龍に乗ったかわいい男の子が目印の、パックに入った味付けのりです。南三陸町にある荒島の龍神様の名前をお借りして、元気なこどもたちがいっぱいの町になるようにと名付けたそうです。

パリパリの食感に、絶妙な味付けが病みつきになると評判です。リピート買いをしたり、南三陸に来た際に大量買いするお客様も多いんだとか。料金は、50枚入り税込み290円です。
これだけ人気の商品ですが、自家工場で生産できる数には限りがあります。千葉のり店では、地元のお客様に第一に買っていただきたい、というポリシーで、卸販売は行わないという方針を貫いているそうです。それだけ地域のお客様を第一に思い、南三陸に欠かせない商品を作り続けている千葉のりさん。ぜひ、南三陸にお越しの際は、おみやげに買っていってくださいね!

南三陸千葉のりオンライン店
電話番号:0226(46)3352

ボランティアで人の暖かさに触れて / 移住者 高橋愛さん

南三陸に嫁に来た方を巡って、普段の思いや生活を紹介する「嫁めぐり」。今回は、他県から移住し、南三陸町民になった方をご紹介します。静岡県熱海市出身で現在1児のママになった高橋(旧姓佐々木)愛さん(25歳)。

ボランティアを通じて南三陸に

愛さんは通っていた大学を休学し、2011年8月南三陸町にボランティアに入り、物資の仕分け作業やビラ配り、託児のボランティア活動をしていました。

一度地元に戻りますが、2012年4月に再度南三陸町へ長期ボランティアに来ました。活動を通し南三陸町の魅力や人の温かさなどを感じて南三陸町が好きになった愛さん。その後、大学を卒業して南三陸町へ就職し、移住しました。

ちょっとしたきっかけでの出会いから

旦那さまとの出会いは、お客様から紹介をされたそうです。最初は恋愛対象ではなく、頼れる素敵な大人の方という印象だったそうです。

優しい旦那様に心惹かれ、現在では結婚し可愛い男の子の子供に恵まれ、ママになりました。旦那さまとは16歳差とのこと。喧嘩することもなく、南三陸町歌津地区で家族6人、幸せに暮らしています。

息子の名前の由来は?

現在7カ月(取材当時)の優信君は3月11日生まれ。おっぴさん(曾祖父)の名前が信さんで、信という字を使いたいという旦那さんの希望で優信とつけたそうです。

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高橋優信くん

優信君、とても愛嬌の良い可愛い子で、高橋家のアイドルですね。

南三陸町での子育ては?

高橋さんが南三陸での子育てで感じることは「この町は子育て支援が手厚くて、自然に囲まれた環境でのびのび子育てができます。同居生活なので一人での子育てではなく、色々な方から手を差し伸べてもらいながらの育児がありがたい」と。

ただ震災の復興工事でトラックなどが多く、散歩することが難しいのが難点。公園も少なく、子どもを連れていきやすい場所やカフェなどがあればいいのに、と話していました。

嫁いで大変だったことは?

一番は、やはり言葉だそうです。方言を理解するのがとても大変で、とくにおっぴさんとの会話は方言が強く最初はとても大変だったそうです。それでも、現在はだいぶ慣れてきたそうです。

嫁いで驚いたことは?

子どもが生まれて親族にお披露目する「孫ぶるまい」の儀式や盛大さに一番驚いたそうです。南三陸町の言葉で「孫ぶるめ」と言って、お膳を囲んで生まれた子どもを、親族にお披露目する会の事です。

その他には、行事ごとの習わしや風習、決まり事などの多さにも驚いたそうです。

そして、なによりご近所さんのお茶飲みの訪問時間が朝の6:30だったことにも驚いたそうです。特に沿岸部は漁業をされている方が多いため、朝の活動が早めです。

南三陸にお嫁に来て良かったところは?

「本当に家族や親族やご近所さんがとても優しく素敵な方が多く、どんなことがあってもみなさんと離れたくないほど周囲の人が良いところ。」と愛さんはおっしゃっていました。

人口流出の悲しい現状もありますが、県外から南三陸が好きといって移住し、一生を共にするパートナーを見つけここで幸せに暮らしてくれている。そういった町民が増えるニュースは私達にとっても嬉しい事です。

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高橋愛さんと優信くん

世界に誇る南三陸杉であり続けるために。国際認証FSCってなんだろう?

2015年10月、国際的なFSC認証制度での森林管理認証を南三陸森林管理協議会が取得し、持続可能な林業を続けていくための大きな一歩を踏み出しました。まちづくりを考える上で欠かせないこの話題。そもそもFSCってなに?町にとってどんな魅力になるの?中心人物にインタビューしました。

そもそもFSCって?

FSCはForest Stewardship Council(森林管理協議会)の略。責任ある森林管理を世界に普及させることを目的とする非営利団体で、国際的な森林認証制度を運営しています。

地球上の森林が今、急速に失われているのはご存知でしょうか。FSCのホームページには”2015年の国連食糧農業機関(FAO)の報告によると、1990~2015年の間に約1億2900万haの森林が失われており、これは2.5秒ごとにサッカー場一面分の森林が減少していることになります。“とあります。

森林の減少は、生態系の破壊、地球温暖化、土や水の劣化などにつながる大きな問題ですが、利益優先の行きすぎた無計画伐採や途上国での違法伐採などが止まることはありません。FSC認証は、将来世代の権利を損なうことなく責任ある森林管理をしている団体を後押しするものです。

先住民の権利尊重や地域社会との連携といった項目も含めた10の原則と70の基準、さらに各国の状況を考慮した約200の指標を全てクリアして初めて、責任ある森林管理をしていることが認められ、市場での付加価値となります。実際、オリンピックを始めとする国際イベントでは、FSC認証材を使用することが世界的な流れになっています。

平たく言うと、ちゃんと環境や社会に配慮して林業やってますよっていう証ってことですね。

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FSC原則と基準(第5版)紹介冊子より

取得への歩みー震災が林業のあり方を見直すきっかけに

南三陸町で初めて認証を受けたのは2015年10月。一体どのような経緯を経て、取得に至ったのでしょうか。FSC認証取得の中心人物の一人、株式会社佐久の佐藤太一さんに伺いました。

株式会社佐久 佐藤太一さん
株式会社佐久 佐藤太一さん

—まず、どういった経緯でFSC国際認証を取得したのでしょうか?

FSC取得の検討自体は震災前からありました。南三陸の林業研究グループである「南三陸山の会」として杉の強度の実験などをやっていましたが、うちも所属している林業の全国的な組織「日本林業経営者協会」にいる取得者から話を聞き、これは今後必要になるのではないかと、自分たちの地域でも取るべきだと考え始めたんです。ただ、かかるコストに対して直接利益に結びつかないことがネックで足を止めていました。コストを極力下げることは林業のとても大きな考え方です。当時はあまり重要性が認識されていなかったんですよね。

—何がきっかけで、取得に向かって行ったのでしょうか。

震災がやはり大きいと。先々の林業のことを考えたときになにが重要なのかを問い直したり、南三陸町のまちづくりを考えていったりする段階になって利益優先だったムードが変化していきました。かなり議論を重ねて、本当に森林と町の未来を考えるのであれば、1つの会社だけで取るのではなく、グループ認証という仕組みを使って「南三陸森林管理協議会」というグループで、仲間をどんどん増やそうと試みることに。最初に認証されたのは、大長林業さんの社有林、南三陸町有林、慶応義塾さんの所有林、うち佐久の社有林。計1,315haの森林です。同時に、認証された森林から産出された林産物の適切な加工・流通に対する認証も丸平木材さんが受けました。今年度は、また新たな森林も審査に加わっています。年々どんどん増やしていく予定です。

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下草が十分に育った森林

—ちなみに・・・認証を受けるためのハードルってどんなものがあるんでしょうか。

認証を受ける上で森林経営計画を立てるのが最低条件としてあって、作ってないところが多いんです。そこに結構労力が必要かもしれません。ただ、「作って」と言っても難しいのですが、FSCが話題になっていくうちに、うちも入れてよ!と言われることからはじまって、経営計画立てるの手伝うから仲間になろうよって呼びかけることもできるようになりました。そうやって森林を守ってくスタイルが地域に浸透していくことはグループ認証のメリットですね。

一方、現場はかなり戸惑いがあったかと思います。例えば、持続可能な生態系を守るために下草をあまり刈らないという方法を取り始めました。前は大祓いと言って、視認性を高めて作業を効率良く行なうために先に草を全部刈ってから作業していましたが、今はむしろ下草が充分に育つ環境を整えるように日光が入るよう間伐することで下草を伸ばして、大地を支え、虫を呼び、土を肥やしています。山に栄養が溜まる管理をすれば、川・海に流れる水の質も良くなるし、土砂崩れなどの水害防止になる。木材以外の動植物の環境を整えることを意識してるんですよね。いうのは簡単だけど実際作業してる現場は大変なんですよ、作業が進まないから。他にも安全装備や環境に配慮した道具やオイルなど試行錯誤してることはたくさん。

林業から町のカラーをつくっていく

FM認証とCOC認証伝達式(2015年11月2日)
FM認証とCOC認証伝達式(2015年11月2日)

—こうして聞いているとやはり手間がすごくかかっているんですね。手間をかけて環境や社会に責任を持つという姿勢は理想的ではありますが、見落とされがちな部分のようにも感じます。

まさにそうで。実は南三陸町でもFSCの議論の前に、バイオマス産業都市構想と南三陸杉ブランドを町の価値として推していこうという流れがありました。正しい林業ができているという客観的評価がないまま、そのブランド性を語るのはどうなのかと疑問を持っていて・・・。僕は食品偽装が騒がれていた世代で、これからのブランドはしっかり内容を証明した上でやるべきだと思っています。日本はそこをすっ飛ばしていること多いと思うんですよね。現にリサーチしていると、バイオマスの施設を立てたはいいけど、エネルギー供給に対して木材の量が追いつかなくて、外国から原木を輸入して回しているところもありました。また、エネルギーのために無計画に森林伐採がされてハゲ山になっていく危険性もあるんです。木材は時間もかかるし、そう高く売れないので、ハゲ山になってからでは遅い。植林コストなんてかけられないんです。もちろん計画的な森林管理をやってなかったわけではないですが、証明できないし、今後、やらなくなる可能性もある。南三陸町もバイオマス産業都市とか言ってるけど、中身が「うそんこ」になる可能性もあるんですよ。裏付けとして計画的森林管理があって、森林があり続けないと杉のブランドなんて成立しませんから。

実は町有林がFSCに参加することになったのは、こう言う話を町長と町の職員にぶつけて納得してくれたからなんです。当たり前のことのようだけど、意識しないと気付かない部分だったのかもしれません。

—なるほど、町の取り組みを支える仕組みでもあるんですね。そういえば新しい役場は南三陸のFSC認証材を使用することに決まりましたね。

それも実は最初はFSC認証材なんて全く想定していなかったんですよ。公共建設の場合、いかにコストを下げるかという話になってしまう。僕たちがFSC認証の地元材を提案した時も最初は何言ってんだって反応もありましたが、取得者としての責任ある行為をしようと、南三陸町が大事にしていくものを見せようと話をして町長も建設課も理解し、入札の要件のうちのポイントが高い項目としてFSC認証材の使用が追加されました。今までの入札は単なる価格競争だったので本当に異例だったと思います。FSC認証を取ったからと言って、それだけどだと何の意味もないんですよね。

—今では町の特徴としてFSC認証森林があるとよく取り上げられているのを見かけますが。

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森里海をフィールドとして学ぶツアーも多数行われている

そうですね、一つの町のカラーになってきてるんじゃないかと。南三陸は分水嶺に囲まれた自然豊かな町。一次産業が基幹産業というのならば、どんな特徴があるのかって聞かれた時に資源管理をちゃんとしてます、環境と社会のことをちゃんと考えてるんですよと言える町でありたい。そうなれば自ずと商品の付加価値も高まって安心して商品開発できると思いますし、学びのフィールドとしての価値も高まって、観光や教育のために訪れる人も増えていく。山・里・海が1日2日で回れるのが南三陸の強みなので、林業だけでなく一次産業の揺るがない基盤を作って行きたいですね。

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海での学びのツアー

—戸倉の牡蠣もASC認証をとりましたね。

そうですね、より海の人たちの交流が密になりました。以前は森林組合と漁協の交流はさほどなかったんですが、震災で漁協の事務所が流された後、しばらく森林組合が事務所を貸していて同じ卓の上で議論するようになったんですね。町の総合計画や総合戦略でも、山も里も海も全部あるのがこの町のメリットの1つだからという意識も強くなってきました。今後、山と海のコラボで南三陸を表現する特産品か何かができるかもしれないなという期待感もあります。一次産業が南三陸のブランド価値を高める存在でありたいと思います。

—本日はありがとうございました。

ライターあとがき

南三陸町の魅力ってなんだろうか。まちづくりを林業の立場で見つめた先にFSC認証がありました。南三陸森林管理協議会の従来の価値観に縛られない挑戦によって、南三陸杉が世界に誇れるものであるという裏付けができました。FSC認証はゴールではなく、スタートです。南三陸の魅力は私たち一人一人の力で積み上げていくものなのだなと実感するインタビューでした。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の民泊体験学習

南三陸の「暮らし」を体験する民泊

海もあって、山もある。自然の営みに身を委ねながら、背伸びせず、穏やかな暮らしを営む。

そうした南三陸町の普段の暮らし・生活を体験できるのが「民泊体験学習」です。家事や仕事を手伝いながら、寝食を共にする。たった数日間という限られた時のなかで、まるで本当の親子のような繋がりが育まれています。

今回は、南三陸町の観光交流において、重要な役割を担う「民泊体験学習」について、南三陸町観光協会の末松知華さんに話を伺いました。

南三陸町の民泊の歴史

ー南三陸町での民泊のスタートはいつ頃だったのでしょうか?

2000年代半ばから、志津川にて県内の中学生を中心に受け入れが始まったようです。その経緯も行政主導で企画して、町民にお願いしていたというわけではなく、町民有志のみなさんが中心となって始まったとのことです。

ー住民の自発的な活動として民泊が始まったのですね。

そうなんです。他市町村で民泊をコーディネートしている方にも「南三陸町は住民が積極的でうらやましい!」という声をかけていただくことが多いんです。住民が主体的に活動に参加をしてくれていることの背景には、南三陸町の民泊の幕開けの歴史があって、それが今もなお、受け継がれているんだなと実感します。

ーそうしたなか東日本大震災で南三陸町は大きな被害を受けました。

東日本大震災は民泊家庭にも大きな被害をもたらしました。その影響もあり、震災後は一時受け入れを中止。しかし、町民の協力もあり2013年に民泊を再開しました。2校25名で再開した民泊は、中・高・大学生を中心に、2015年にはのべ499名、2016年は10月末時点でのべ1121名を受け入れており、その数は年々飛躍的に伸びています。

ー民泊家庭はどのような方々がいらっしゃるのでしょうか?

現在、50軒ほどの家庭に民泊の登録をしてもらっています。内陸部の山里にある古民家から、高台造成地に再建した家庭までさまざま。地元の老夫婦から震災後移住してきた若夫婦まで、受け入れる町民も多様になってきました。現在は、一度に120名ほどを受け入れることが可能な体制になっています。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」
(写真提供:南三陸町観光協会)

震災学習や外国人受け入れのニーズに応える

ー震災後の民泊受け入れが飛躍的に増加しているのは、なにか理由があるのでしょうか?

この増加の理由としては、民泊を通じて「震災学習」を行いたいという、教育機関や団体さんの要望の増加があげられます。地震や津波だけでなく、台風や土砂災害などどこにいても自然災害の危険があるなかで、防災減災の意識は高まっていることを実感します。

「各家庭で震災の話をしてほしい」といった要望にも、可能な限り応えられるように、家庭と学校さんなどの要望のすり合わせやマッチングも重視しています。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」
各家庭での仕事体験で南三陸での暮らしを体感(写真提供:南三陸町観光協会)

ーさらに復興支援のなかで縁の深い台湾の学生さんも民泊で訪れたことが話題になっていましたね。

そうなんです。とくにこの2年間は外国人の方の受け入れが増加しているのが大きな特徴です。昨年と今年で270名を超える方が海外から南三陸町に訪れ、民泊を経験しています。民泊を受け入れるお母さん方も慣れたもの。「言葉が通じなくてもなんか伝わってる!」って、異文化交流を楽しんでいるようですよ。

と言っても、しっかりと意思疎通を図ることも大切ですよね。そのために、今年の夏に観光協会にインターンしていた台湾の学生が制作した、日中英の指差し会話帳も各家庭に配布しています。日常会話から南三陸の紹介、トラブル時の対応など活躍しています。

外国人の受け入れという抵抗感が和らいできたこともり、南三陸町と縁の深い台湾の学生のみなさんや、宮城県内の留学生の方が「日本の暮らし体験」として利用してくださっています。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」

住民の集落を超えたつながりを生み、スキルアップにも

ー民泊を通じて、町民のみなさんに変化は見られましたか?

町民同士の横のつながりが生まれてきたなって感じています。近隣地域で住んでいても行政区が異なるために見ず知らずの関係だった家庭が、民泊の対面式などを通じて知り合い、積極的に情報交換などをしている光景がよくみられます。お別れ会のあとは、お母さんたちが集まって井戸端会議。さっそく反省会をしているみたいですよ。

ーお母さん同士で学ぶことは多そうですね!

民泊家庭のお母さんを先生に「まゆ細工を作ってみよう」という講座を民泊家庭の勉強会で開催したりと、それぞれのもつ特技をシェアして受け入れのスキルアップにも取り組んでいます。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」
対面式やお別れ会は町民の貴重な交流の場でもあります(写真提供:南三陸町観光協会)

別れるときには、まるで本当の家族のように

ー民泊を体験した子どもたちの反応はいかがですか?

訪問先の家庭のみなさんと初めて会う対面式のときには、みんな緊張で顔がこわばっているんです。だけど、1日、2日して、お別れ式のとき車から降りるときにはみんなニコニコしてて、感極まって涙を抑えきれない子たちもいます。それくらい短い時間で、濃い関係になって、本当の家族のようになっているんですね。

私ももらい泣きをこらえるのに毎回必死ですよ(笑)。

ーここで育まれた交流がずっと続いていくこともあるんですね。

台湾で地震があったときはすぐに連絡を取り合ったり、逆もしかり。昔、民泊を体験していた子どもが大人になって結婚をする際に、受け入れをした家族が披露宴に招待されたという話もあるほどです。民泊というのは、子どもにとってそれほどの一生の想い出となる、かけがえのない時間なんですね。

ーそんなすてきな民泊体験。これからの目標はありますか?

「南三陸町で民泊したい」って思ってもらいたいですね。子どもたちはもちろん、学校側の要望などもお母さんたちに伝えて満足度を高めていき、繰り返し来ていただけるような関係にしていくことが目標です。

受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」受け入れ数、3年で50倍。急成長する南三陸の「民泊体験学習」
(写真提供:南三陸町観光協会)

南三陸らしい民泊とは

海も山も豊かな南三陸町は、受け入れる家庭も個性豊か。それぞれの生業も、漁業、農業、林業、商業とさまざまです。そうした多様なくらしを体験できるフィールドが南三陸にはあります。この町に育まれてきた「おもてなし」文化、そして「よそ者」に対してオープンな風土が南三陸町の民泊を唯一無二の体験に導いてくれることでしょう。

〈11月09日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は、そば処はしもと及川満さんから始まり、「まちのひと」はコミュニティカフェCOMMONSの内海明美さんでカフェCOMMONSについてのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーはたみこのわくわく牡蠣缶パックです!

オープニングコール

そば処はしもと及川満さん

 

まちのひと

コミュニティカフェCOMMONSの内海明美さんでカフェCOMMONSについてのお話です!

今週のイチオシ

「たみこのわくわく牡蠣缶パック」シーズン到来でどんどん美味しくなってくる南三陸の牡蠣。しかし、殻付きの牡蠣をおうちで食べるのはハードルが高そうと思っていませんか?この「たみこのわくわく牡蠣缶パック」は、南三陸の戸倉地区で獲れた牡蠣が、殻付きで、缶に入って自宅に届きます。届いたら、缶ごとコンロにかけて約10分。ぷりぷりで甘みたっぷりの蒸し牡蠣が楽しめます!ひと口ほおばれば、ギュッと凝縮した牡蠣そのものの甘みと潮の味わいに、家族みんながわっと驚くはずです。

お値段は牡蠣が2kg入って、税込み4300円。なんと送料無料です。お世話になった方へのギフトとしてもおすすめです。何かと人の集まる年の瀬に大活躍ですよ!

お問い合わせ、ご注文は、たみこの海パックWebサイトをご覧ください!
電話番号:0226-46-9661

経験・知恵を未来へ紡ぐ/首藤和子さん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第6弾は、入谷地区に住む首藤和子さん。戦後を生き抜いた知恵・経験、そして出会いが生む豊かな人生に迫ります。

高野会館で過ごした震災の夜

2011年3月11日。和子さんは南三陸町志津川にある高野会館にいた。芸能発表のさなか地震が発生。屋上に避難し、足元まで水に浸りながらその場にいた300人もの人と肩を寄せ合い、耐えしのいだ。

「もうその時は恐怖もなにも感じれなくって。次の日の朝、水が引けたら、ああ生き残っていたんだなって」

町を飲み込んだ津波は内陸部にある夫・和夫さんの家まで押し寄せていた。幸い全壊は免れていたものの、家は瓦礫に埋もれていた。それからの日々、和子さん夫婦は手作業で家の修復作業を行った。

「入谷からおにぎり背負って家に通って片付けていました。うちの歴史はこのあたりでも古くて、墓を見ると、400年も前からこの辺りに和夫さんの先祖が住んでいたみたいなんです。簡単に手放すわけにはいかないっちゃ」

戦後の苦難の時代を生き抜いた技

家が半壊したくらいでへこたれない強さはその経験がなせるものなのかもしれない。時代は戦後すぐにまでさかのぼる。和子さんが小学校2年生のとき、太平洋戦争が終戦した。

「食べものも、着るものも、なんにもなくて。本当に大変でした。自分でなんでもかんでも作らなきゃいけなかった。10人兄弟だったのでなおさら」

魚を腐らせて肥料にして、4反歩ほどの畑で家族分の野菜を作った。冷蔵庫なんてもちろんないから、野菜は乾燥させるか塩漬け。味噌はもちろん醤油などの加工品も手作り。蚕から糸を紡いで着物を作って、藁で草履を編んだ。身の回りのものはすべて手作り。それが当たり前の時代だった。

保存食や郷土料理ーー。苦しい時代を耐え抜いてきた食の知恵は、便利さを手に入れると同時に薄れていってしまった。

和子さんは「地域を学ぶ昼食会」の講師役として、郷土色を伝えていく活動も行なっている。

「地域の幼稚園の子どもたちが、うちの畑さ来て、さつまいも掘りに来るんだ」

かつては当たり前のように畑があったこの町も、震災によって狭い仮設住宅や団地での生活が続き、畑に触れる機会が減ってきてしまう状況もあり、和子さんの畑での農作業が毎年恒例になっている。

経験・知恵を未来へ紡ぐ/首藤和子さん

「出会いこそが人生の醍醐味」

そんな和子さんは「旅行に行くのが楽しみでね、行きたいところをあげたらきりがないよ」と笑う。80歳近い年齢ながら、お友達と北へ南へ旅をする。そして、彼女のうちにもたくさんの国内外の旅人が訪れる。

「南三陸町で震災前に民泊をはじめたときから受け入れをやっていてね。もう何年になるんだか。震災があって少しお休みをしていたんだけどまた再開したんだ。台湾の人なんてまったく会話にならないんだけど、おもしろくて。孫が遊びに来たような感覚だっちゃ」

言葉の壁はあっても、いっしょに火をおこし、くるみを割って、餅つきしたり。いっしょに手を動かすことで心の距離は縮まり、たった2〜3日で家族のような関係になる。

「手を握って別れるときは、なんとも言えない気持ちになってな。しばらくしてから便りが届くとうれしくってなあ」と、いっしょに映った写真を見ながら懐かしむ和子さんの顔がほころぶ。

「出会いこそが人生の醍醐味。まだまだ元気でいなくちゃ」

経験・知恵を未来へ紡ぐ/首藤和子さん

「若い人に町の未来は託します!」

取材の最後に、南三陸に対する思いを聞くと、「もう十分楽しませてもらった。あと、おらは若い人に託します」とまっすぐ前を見つめて話す和子さん。

そしてしばらく間をおいて、「ひとつだけ、いろんなところに旅行に行って感じるのは、地場産品がいっぱい並んでいる道の駅みたいなのが南三陸にもあったらいいなあって。せっかくいいものがいっぱいあるんだから」

志津川に新市街地が完成したとき、和子ばあちゃんにいっぱい自慢しよう。

「ばあちゃん、おらほの町、こんなにもすてきなものいっぱいになったよ!」って。

経験・知恵を未来へ紡ぐ/首藤和子さん

〈11月2日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は、南三陸町に長期インターンに来ていた大正大学地域創生学部の学生から始まり、「まちのひと」は移住総合窓口の國枝万里さんで南三陸町に新設された移住事業についてのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは及善かまぼこ店「炙り笹」です!

オープニングコール

南三陸町に長期インターンに来ていた大正大学地域創生学部の学生

 

まちのひと

移住総合窓口の國枝万里さんで南三陸町に新設された移住事業についてのお話です!

今週のイチオシ

創業明治13年、及善かまぼこ店の新商品「炙り笹」のご紹介です。

及善かまぼこ店といえば、南三陸さんさん商店街に店を構えるかまぼこ屋さんです。その商品は農林水産大臣賞を受賞するなど、厳選した素材を使用したこだわりのかまぼこづくりで知られています。

その及善かまぼこ店から新たに発売されたのが、こちらの商品。南三陸町の海の幸を、さばいてそのまま炙り、笹かまぼこの上に載せたインパクトたっぷりの一品です。具は、たこ、ほや、ホタテの三種類。どれも南三陸を代表する海産物ですので、おみやげにもぴったりですね。

こちらの商品は、南三陸さんさん商店街またはネットショップにてお買い求めいただけます。お値段は、9枚入りで税込み1998円、15枚入りで3456円です。さんさん商店街の店舗ではバラ売りもしています。ぜひご賞味ください!

及善蒲鉾店 さんさん商店街店 TEL:0226-46-204

子育て支援センター3地区合同うんどうかい / 36NEWS

南三陸町の子育て支援センター3地区合同のうんどうかいが開催されました。歌津・志津川・戸倉の三地区合同は初めての試みです。保護者も一緒に競技に参加してこどもたちは一生懸命がんばりました。ゴール直前で止まってしまうちょっとしたハプニングも!

志津川インター開通式 / 36NEWS

三陸沿岸道路志津川ICが祝!開通しました。安倍首相は、「地域の復興創生に大きな役割を果たす」と。三滝道ICから志津川ICまで開通した区間は9.1km。地元婦人部の鮭汁のご提供も行われました。

ふらっと観光 パワースポット田束山への行者の道

標高512m、南三陸町と気仙沼市をまたがる田束山は5月下旬から6月にはつつじが咲き誇りとても綺麗な観光スポットですが、実はその他にも魅力がたくさんの、楽しめるパワースポットなのです!!今回はその魅力たっぷりな田束山をご紹介いたします。

まずは田束山の歴史を!!

田束山について詳しく書いた記事をまずはご覧ください!

気仙沼市と南三陸町をまたがり、古くから霊峰として栄え、奥州藤原氏も信仰し、この山一帯に羽黒山清水寺、田束山寂光寺、そして幌羽山金峰寺の三つの寺院を建立し、自分の第四子の本吉四郎高衡に司祭をさせたと伝えられています。そのため多数の経塚をはじめとした遺跡も発見されているんです!

つつじ咲き誇る、名峰田束山

田束山の入り口にある『払川ダム』

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田束山の入り口にある払川ダムもぜひおすすめです。

ダム好きにもおすすめ平成24年に伊里前川の洪水調節などを目的にできた比較的新しいダムです。

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車から降りて片側は田束湖が広がり、今からの季節は木々が赤や黄色に色づいて『紅葉』が楽しめます!

そしてダムの放水も綺麗でとても迫力満点です!

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『行者の道』とは?

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弘法大師が歩いた道と伝わる行者の道。

入り口まで車で行くことができます。今回5歳の息子と9歳の娘が行者の道を通り田束山の頂上(1.5㎞)を目指したところ、登山時間は1時間半程で、登頂後も走り回って体力的にまだ余裕なほどです。

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行者の道から頂上までの道のりはまるでトトロやもののけ姫のような自然豊かで神秘的な世界が広がります。

行者の道の道中には中央に穴が開いていて、樋ノ口荒沢不動尊の安置の場所と伝えられている穴滝や住んでいた大きな土クモがしばし行者を悩ませたと言われる蜘蛛滝、大きな杉の木などたくさんのパワースポットがあります。

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その他子どもたちは片手に小さな図鑑を持ち動物の足跡や、植物を調べたりしていました。

自然を感じ、たくさんの学びを得ることができました。

絶景ビュースポット田束山頂上!!

南三陸を一望でき太平洋の地平線と空のコントラストも素晴らしく、この日も多くの方がカメラ片手に登頂されていました。

麓から頂上まで車で15分程で行けるので、ぜひみなさんも四季折々に表情を変化させる田束山の絶景を楽しみにいらしてみてはいかがでしょうか?

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