南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。
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戸倉地区
撮影場所 [38.642969, 141.442686]
志津川地区
撮影場所 [38.675820, 141.448933]
歌津地区
撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
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撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
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撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
他の定点観測を見る昨年3月に南三陸町観光協会が実施した「20代語り部ガイドによる被災地バス案内」。今年の3月も開催されましたその様子と震災を伝える若者の想いをお届けします。
昨年3月に企画された南三陸町観光協会主催の「20代語り部ガイドによる被災地バス案内」。昨年5月にも開催し、これまで200人程の方が参加してきました。そして迎えた今年の3月。新型コロナウイルスの影響もありバスでの案内から、昨年12月に開園したばかりの復興祈念公園を周る「まちあるき語り部」に変更し、3月7日と8日の2日間に渡って実施されました。
観光協会の通常プログラムとしても提供している「まちあるき語り部」。いくつかのコースに分かれており、選択したコースを歩きながら当時の状況を案内していくプログラムになっています。復興祈念公園コースも通常プログラムとしてありますが、今回は特別コースでのご案内。さんさん商店街を出発し、ゆっくり歩きながら震災前の情景や震災時の様子、語り部自身が体験したことを聞きながら周りました。
取材で伺った際にガイドを務めていたのは、観光協会職員の西條美幸さん。震災当時、高校1年生でした。当時、海の近くにあった町体育館で部活動をしていた最中に被災した西條さん。地震が来て即座に卓球台の下へ入り、安全を確保しました。これまで経験したことのない大きな揺れに「卓球台も大きく動き、体育館が崩れるのではないか不安だった」と当時を語ります。
揺れがおさまり、部員と共に外へ避難した西條さん。津波が来ることは分かっていたが、どこに逃げればいいかパニックになっており判断できなかったと言います。町の職員の指示に従い、海の傍にあった避難ビルへ避難。海側への避難誘導に不安もありましたが屋上まで避難した時は、安心したと当時の心境を語ります。
「波が引いていくのが見え、海底が見えた」
「防潮堤や水門など、水を遮るものを越えてから水の勢いが上がった」
「さっきまで練習をしていた体育館が、波にのまれていくのを目にした」
「気づいた時には、膝下まで波が来ていて、血の気が引いた」
西條さんの口から1つ1つ語られていく被災体験に津波の恐ろしさが伝わってきます。
膝下まで津波につかりながらも、もう一段高い所へ避難し一晩過ごした西條さん。翌朝、変わり果てた町を見て、何もなくなったという喪失感とこの状況を受け入れたくないという気持ちがあったと震災直後の心境を語っていました。
今回開催された「20代語り部」では西條美幸さん以外にも、以前南三陸なうで紹介した観光協会職員の阿部悠斗さんがガイドを務め、2日間で16名を案内しました。参加者からは「西條さんが“いのち”の危機にあった話には、涙が出そうになった。いつ起こるか分からない災害に、心の備えをしていきたい」との声がありました。
案内後、西條美幸さんは「今回、参加者は少なかったものの当時の状況を伝え、皆さんの心に響いていることが良かった」と話しました。これまでの参加人数に比べると少なかったものの、語り部と参加者の距離が近いことから充実した時間を過ごしているようでした。
「今後も継続して多くの人に伝えていきたい」。西條美幸さんは、継続して語り部を続けていくことで防災を考えるきっかけにし、次の災害で犠牲が出ないようにしていきたいと今後に向けて意気込みます。
震災から9年が経ち、震災前やガレキだらけだった震災直後の面影は、今ではほとんどありません。「川の位置が同じなのに、昔の町並みが思い出せないほど町が変わった」と西條さんも語り部で口にしていました。9年の月日で町の景観は大きく変わりました。そして、その月日の中で当時、中高生だった子ども達が大人になり被災体験を伝える語り部として活動を始めています。それぞれ被災した場所、体験したことも違い、これまで歩んできた道のりも様々です。9年目を迎えた南三陸町。若き語り部が育ち、それぞれの被災体験と共に南三陸の“今”を伝えています。
ミシガン州立大学の社会学博士課程に在籍し、研究のため南三陸に長期滞在中のケーリー・ワードさん。ボランティアや農業支援などで、地域の人たちと交流を深めています。ケーリーさんに南三陸への想いを聞きました。
ケーリー・ワードさんが初めて南三陸を訪れたのは、2014年のこと。アメリカの大学で日本語を勉強し、5か月間の日本留学中に、東北の被災地を回りました。そして、南三陸でコミュニティ支援を行うNPO団体の代表と出会い、自分にも何かできることがあればと、活動に参加することに。以後、毎年3か月ほど南三陸に滞在し、ボランティアを行っています。2019年9月からは、大学院博士課程の研究のため、2020年8月まで1年間の予定で滞在中です。
「日本に興味をもったのは高校のときでした。授業で日本のことを学び、東北のことも知りました。東日本大震災が起こったときには、とても胸が痛みましたよ…」とケーリーさん。実は、ケーリーさんも被災の経験があるのです。出身地であるカリフォルニア州のラモナという町は、2003年と2007年に大きな山火事に見舞われました。
「自分の町が山火事で焼き尽くされ、災害復興が自分にとって大切なテーマになりました。南三陸を訪れたとき、町の状況がラモナのようで、他人事とは思えませんでした。山火事の後、ラモナのインフラは復旧しましたが、コミュニティは分断されてしまい、人々の絆は壊れ、バラバラになってしまったのです。南三陸にはラモナのようになってほしくありません。地域の人々が団結する力を高め、南三陸が町としてひとつになること。それが私の願いです」とケーリーさんは話します。
ケーリーさんはコミュニティや絆をとても大事にしています。毎年恒例のクリスマスイベントでボランティアをするほか、滞在中は農業のお手伝いも。漁師の会の催しに参加したり、英会話教室で講師を務めたりと、積極的に地域の人たちと交流しています。そのため、町ではちょっとした有名人。よく声をかけてもらうそうです。「南三陸には温かい人が多いですね。ここでの人間関係にはとても満足しています」と笑顔で話します。
大学でコミュニティ再建に必要なスキルを学んだケーリーさんは、現在 ミシガン州立大学の社会学博士課程に在籍し、被災地コミュニティの修復について研究しています。南三陸に滞在しながら、住人の人脈や人間関係を理解することで、コミュニティの関係性を改善・強化する方法を探るプロジェクトを進めています。
「絆を強くし、新たな結びつきをつくるには、コミュニティイベントを行うことが有効。このプロジェクトによって、よいつながりを作るためにはどのようなイベントが適切かを知ることができます。私の研究がコミュニティの団結に役立てられたら…。また、このプロジェクトは、南三陸と同じ問題を抱えているほかの地域にも展開できます」とケーリーさん。2020年8月までに研究データをまとめ、その結果を地域の人たちに発表する機会を設ける予定です。
「震災後の南三陸では、社会資本が高い状態、つまり住人たちが団結していました。しかし次第に下がってきた…。今は『団結したいけど、どうしたらいいかわからない』という声も聞かれます。私は、そのような町の人たちをサポートしたいと思っています」とケーリーさんは想いを語ります。たとえば、志津川だけでなく、入谷、戸倉、歌津でもコミュニティイベントを開催し、地域を越えた交流によって新しい関係を築くことを、ケーリーさんは提案しています。
「南三陸は海や山など自然と共に生きる町ですが、未来のためには『人と共に生きる町』にしなければいけないと思います。南三陸ならではのもの、それは『町の心(Heart of the town)』です。町の心とは、人の心や人の希望のこと。温かい心の人が住んでいたら、そしてみんなが団結したら、温かい町になります。南三陸がそんな町になれば、もっと多くの人がやって来るでしょう。そんな町を一緒につくっていきましょう!」
台湾の大学生25名が1月末から2週間南三陸町に滞在し、日本語の勉強と文化交流を図りました。民泊家庭とも大きな絆が生まれ、今後学生たちは「南三陸交流大使」として台湾と南三陸の架け橋となることが期待されています。
日本語の勉強と文化交流を目的に、一般社団法人南三陸町観光協会が主催の「2020南三陸町冬季日本語及び日本文化研修旅行」が1月31日から2月13日まで開催されました。台湾の大学生25名が参加。参加したのは高雄科技大学と文藻外語大学の1~4年生です。交流を通じて南三陸と台湾の架け橋になってくれることを期待して実施され、2018年度の夏・冬に続き、3回目の開催となりました。
本プログラムに参加をしていた学生は、これまでにプログラムに参加していた先輩や、観光協会で実施しているインターンシップで南三陸に滞在していた学生におすすめされて参加をした学生などがいました。
2週間の滞在は、南三陸町内での民泊。今回は町内6家庭に協力いただき、深く濃い交流を行いました。
日中は国際交流協会の日本語研修を行うほか、オクトパスくんの色塗り体験や農業体験など南三陸町内での体験活動のほか、蔵王町への研修旅行など盛りだくさんの経験をしました。
2月12日にはお世話になった民泊家庭の方を招待し、「台湾の観光事情」「台湾旧正月」「台湾のグルメ」「台湾と日本の面白い違い」「プチ中国語講座」の発表が行われました。大学で日本語を学んでいる学生だけではありませんが、発表はもちろんスライドまですべて日本語で作成されていました。
文藻外語大学日本語学科4年生のソヨウテイさんは、「クラスメイトに推薦してもらって、参加をしました。日本語を学んでいますが、日本に滞在をして文化を学んでみたいと思いました。ホームステイも、蔵王での体験も面白かったですが、オクトパスくんの色塗り体験がとてもおもしろかったですね。とても楽しい研修となりました」と笑顔で研修を振り返ります。
高尾科技大学観光管理学科1年生のヤンツーイーさん。「日本のアニメ文化が大好きで、中学生の頃から日本にハマっていたんです。その後はジャニーズ、特に嵐のファンになって、日本語はアニメやドラマから学んだんです。日本に来るのは軽井沢に家族旅行で行ったのについで2回目です。日本に長い期間滞在できて日本のことをさらに好きになったし、ホームステイでの経験は本当にすばらしいものでした。また会いに来たいし、日本でのインターンシップもやってみたいし、日本に関わる仕事もしてみたい」と将来の夢も膨らんでいるようです。
東日本大震災以降、強い絆で結ばれた南三陸町と台湾。今回研修に参加した25名の大学生は「南三陸交流大使」として任命されました。南三陸町での2週間に渡る経験をこれからどのように生かしていくのか。台湾と南三陸町の架け橋として、交流の継続と発展に貢献してくれることでしょう。
今回が3回目となる「志高まちづくり議会」が2月10日、南三陸町役場議場にて開催されました。16名の志高生が4つのグループに分かれ町に提言。本番さながらの白熱した議論が展開されました。
志津川高校は、地域連携型の中高一貫教育を実践しており、中学校からの6年間で計画的かつ継続的な指導のもと広い視野で21世紀を主体的に生きる人間の育成を目指しています。志翔学舎の活用で学力向上を、日々の授業や行事で自己肯定力の伸ばし、さらに小中学校への出前授業などを行うことで異年齢集団の中での社会性の育成を図っています。(志津川高校発行の学校案内パンフレットから引用)
普段感じている地元南三陸町について、2年生16人が「観光A」、「観光B」、「防災」、「環境」の4つのグループ毎それぞれのテーマを議場にて課題や具体案を提案、佐藤町長・最知副町長・斎藤教育長はじめ各課課長(執行部)に答弁を求めました。
観光の課題をテーマにした4名の高校生議員から以下のような提案がありました。
「南三陸町を訪れた観光客は過去最高の144万人を記録したが、冬の閑散期(10月~3月)は38%と落ち込んでいる。アンケートでは、33.6%の方が冬のイベント内容に満足していないことが分かった。冬場においても夏場水準の入込数を目標に、冬の南三陸でしかできないことを調べることにした」
そのうえで
「背景として、漁業者数が半減している現状でも、料理がおいしいという食(水産物)への期待が最も多い訪問意向を汲み、『ASC認証の牡蠣や海産物を南三陸の海上で食す(地産地消)』ことを考えた。そこで私たちの提案は『自然を生かした観光資源づくり』志津川湾で屋形船を運行する。具体的には企業版ふるさと納税を活用し、操縦者には免許取得費の一部を補助する。地域おこし協力隊も活用させたい」と提案。
町長は「確かに冬場の入込数は少ないが、平成29年度から観光協会を窓口に滞在型セミナーや民泊を充実させている。冬の食材を提供するためクーポンブックを発行し、パンフレットも配布中だ。台湾はじめ日本各地からの教育旅行も増えている。屋形船は川のイメージがあるので斬新だ」と答弁しました。
商工観光課長からは、「非常にユニークで、屋形船は東京湾でも運航されており外国人観光客にも喜ばれている。実現には様々な手続きが必要だが、町として検討してみたい」。さらに農林水産課長からは、「冬の南三陸でなければできないアイディアだ。県内外から注目され、今後南三陸の風物詩となっていければ良いと感じた。遊漁船を含めたPRも考えたい」などと、いずれも高い評価の答弁がありました。
このグループは、先に町に対し質問を行いました。
「外国人観光客は増加しているのか?台湾との国際交流が中心だが、今後それ以外の国との関わりは?」
町長から「アメリカカリフォルニア州の方がずっと交流してくれている。台湾からは教育旅行などで大勢関わってくれている。そのほか、東日本大震災を機にアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルなど数えきれないほどの世界各国から実にたくさんの支援を頂いた」との紹介があり、企画課長からは、「今年はパラリンピックが開催予定で、加美町がチリ国カヌー競技選手等のホストタウンになっている。チリといえば南三陸町との関りが深いので、事前合宿や大会終了後に高校生を中心に町民との交流ができないものかと考えている」との具体案が出されました。
改めて高校生議員が「南三陸町を訪れる外国人が少ないと感じている。アンケートを実施したいが、回答する方にとってメリットはあるのだろうかという疑問を持った。現在南三陸に訪れている外国人観光客を分析したいが、誰もが協力してくれるわけでもない。アンケートに答えたくなる仕組みが必要で、アジア諸国の方にはスマートフォンを活用できるのではと考えた」
そして「スマートフォン普及率が日本より格段に高いアジア諸国に方々にQRコードやインスタグラムを使ってアンケートを実施し、インセンティブとして志津川高校生が作成したグッズ等をプレゼントする。特に、タイ国をターゲットにして日本の四季を楽しんでもらいたいので、QRコードやインスタグラムを活用してPRしたい。」と提案しました。
町長から、「素晴らしい提案、現在インバウンドは東京・大阪・京都など限定的で、東北各地はこれからの工夫次第で伸びる可能性がある。仙台空港とタイ・バンコク国際空港間には定期就航されており、さらなる知恵を期待している」と激励が込められた答弁がありました。
このグループは4名の男子高校生で構成されています。「若手消防団が少ないと感じるが、町として防災への対策をどうとっているのか伺いたい」と力強い声で質問が行われました。
町長から「南三陸町では459名の方が消防団員として活動されているが、20代が6.8%と低く、団員の高齢化が顕著だ。高校卒業後の進路等で町を離れる若者も多い中、報酬の見直しなど処遇改善も含め、周知PRに努めている」との現状説明がありました。
グループリーダーの及川拓海さんが「町ではPRしていると聞いたが、団員募集のチラシや掲示は見たことがない」ときっぱり話すと、担当の総務課長から「公共施設を中心に、このような大型のポスターも張っているし、消防だよりとして毎戸配布している」との答弁がなされました。
続けて「消防団のことを知らない人が多いので、若者が活躍する写真等を使ったポスターカレンダーを作成し町内各所に貼る。そして消防団員を増やすため18歳の年齢制限を16歳に下げることを提案する」と訴えました。
町長から「私から逆に質問したい。提案では16歳に入団年齢を下げるとあったが、その根拠を教えてほしい」と、町議会さながらの反問権が行使され、傍聴席もざわつきました。
及川さんは「私たちは中学校の防災授業等で可搬ポンプの操作や基礎的な動きを学習している。ジュニアリーダー活動でも様々な知識や行動を身につけている。高校生になったら体力も備わるし、いざとなったら実際の現場でも存分に活躍できるのではと感じている」としっかり答えました。
総務課長から「気持ちはありがたいが、消防団員の加入年齢は国で決められている。高校生は学業が本分なので、地域の自主防災組織などで知識を学び、将来正式に団員になったらすぐ活躍できるよう励んでいただきたい」との答弁がありました。
最後のグループは、気仙沼市にお金を出してゴミ処理を頼んでいるが、南三陸町でゴミを減らすための取り組みは?という質問とともに「南三陸町ではバイオマス産業都市構想を打ち出しているが、町が考える具体策と今後の展望を聞かせてください」と切り出しました。
町長は「焼却炉が使えなくなってから、町内各地区や学校に出向きゴミの減量化を図った経緯がある。各家庭でコンポストを活用して庭先で生ゴミの処理もしていたが、震災で振り出しになった。震災後、災害に強い安心安全な町づくりとして平成25年12月にバイオマス産業都市構想を策定した。エコタウンとして展開するために資源ゴミの分別化と生ゴミの処理の協力を求めている」と答弁しました。
高校生議員から「分別の必要性は感じるが、ゴミの排出量が増加している。調査したらアミタ(株)が生ゴミの収集と活用(ガス発電や液体肥料)していることを高校生の97%が知らないことが分かった」と発表しました。
町長から「アミタ(株)や生ゴミの処理についてそれほど認知されていないことはショックだ。グループの皆さんの家庭では生ゴミを分別しているか」と逆質問すると、4人全員がしていないと答えました。そして「理解度が不足しているようだ。確かに生ゴミの分別は面倒くさいのだが、簡易性を図り協力してもらえるようにしなければならないと感じている」と答弁しました。
高校生議員から「事業所の方に町内の学校においでいただいて講話してもらうとともに、私たちも高校生らしいパンフレットを作り各所に配布したい。工夫をすることで中高生の認知度が上がると思う」との提案があり、町民の多くがゴミ問題解決に取り組めるようにと提言しました。
「それぞれのグループの発表は内容も話し方も素晴らしいと感じた。これらの提案を聞くだけでは意味がないので、どのようにしたら実現するかここに立ち会った町職員とともにしっかり検討してまいりたい。将来この中から町議会議員が誕生し、この場で活躍してもらいたいとも思う」と町長が総括しました。
閉会後は、緊張が解けたようで全員が笑顔になって記念写真に臨んでいました。
震災後、台湾との繋がりが深い南三陸町。毎年、教育旅行で多くの台湾学生がこの町を訪れています。そんな中、昨年5月にこの町を訪れた嘉義県立竹崎高級中学(日本の高校)が、志津川高校と姉妹校締結をしました。姉妹校の締結により、今後益々の交流が期待されています。
東日本大震災後、病院再建の支援をきっかけに、台湾との交流を深めている南三陸町。毎年、多くの学生がインターンや教育旅行で南三陸町を訪れています。昨年10月には、台湾台南市で開催された「和風文化祭」に郷土芸能である行山流水戸辺鹿子躍保存会が出演。また、オクトパス君の絵付け体験や南三陸みやげの販売を行いました。2日間のイベントに多くの方が来場し、会場は盛り上がりました。
台湾と南三陸、互いに親睦を深めている中、昨年5月にこの町を訪れた嘉義県立竹崎高級中学(日本の高校)。台湾中部の嘉義県に位置している中高一貫の学校になります。普通科に加え、音楽や美術、科技などの専門的なクラスもある、全校生徒980人程の学校です。
5月には、その竹崎高級中学で音楽を学んでいる30名の生徒が来町しました。台湾国内では、上位の実績があるという竹崎高級中学の楽団。町内の学校を中心に、中国楽器を使った演奏を披露しました。志津川高校では演奏披露後、野球やサッカー、弓道などの部活動体験交流を実施。同世代ということもあり生徒同士すぐに打ち解け、今でもSNS等で交流が続いていると言います。
▲2019年の来日時の演奏会の様子は上記から
帰国後、最高のおもてなしと生徒の交流に感銘を受けた竹崎高級中学の郭春松(カクシュンショウ)校長。これまでも、様々な学校と交流をしてきたが、生徒からの反響も大きいことから、姉妹校の締結を検討。志津川高校へ打診していました。
そして迎えた2月の姉妹校締結式。志津川高校で両校の校長により、調印が交わされました。はじめの挨拶で志津川高校 葛西利樹校長は「町や学校の大きな歴史となる。より一層の発展を願う」と述べました。竹崎高級中学の郭春松校長は「両校の国際交流を通して、豊かな学生を育んでいきたい。いずれはぜひ台湾に、台湾で迎える日を楽しみにしています」と挨拶をしました。
今回の姉妹校締結が、両校にとって初めての姉妹校になりました。今後は生徒会を中心にオンライン上で、交流をしていくことになっています。両校の校長も、交流を通して学生達の視野が広がることを期待。また来年には、竹崎高級中学が再び南三陸町を訪れる計画をしています。
また一つ、台湾と南三陸町の繋がりに大きな歴史が刻まれました。指定校となり、益々の学生交流が生まれることでしょう。そして、いつしか両校の生徒が南三陸と台湾、もしくは日本と台湾を繋ぐ架け橋となるかもしれません。今後の交流発展に注目です。
震災から9年を迎える南三陸町。近年、災害も絶えない日本で「災害への備え」が非常に大切になってきています。そんな中、愛知学院大学の学生達が、夏に防災タウンミーティングを町内で実施。それを基に学生達が防災グッズを考えました。
もともとゼミ活動の一環で、震災から2年後の2013年から南三陸町でのボランティア活動をはじめた愛知学院大学。それから継続的なボランティア活動を経て、3年後の2016年に大学の後援もあり、全学部対象の活動になりました。
「南三陸町と愛知学院大学を繋げる」を掲げ、「ACM(愛知学院大学 connect 南三陸町)」をボランティアチームの名前にしてこれまで活動してきました。昨年度はボランティア活動以外に、農業を体験。実際に体験して見えてきた現状と課題から、規格外ネギの活用を学生目線でアイディアを出し合いました。
今年度は「つながりの中で学ぶ」をテーマに、8月に学生19名が参加。近い将来発生すると言われている南海トラフ地震へ備えるため、防災タウンミーティングを企画。東日本大震災を経験した町民から、当時の状況やどのようにして乗り越えたか話を聞きました。
2月16日に行われた活動報告会には、夏のタウンミーティングに参加していた住民15名ほどが参加。学生は中心的に活動していた9名が、防災タウンミーティングの報告と学生達が提案する防災グッズについて説明をしました。
今回、学生達が考えた防災グッズは、普段から携帯することができるサイズを目指していました。防災ミーティング後、限られた時間の中で聞き取った情報を基に何が必要かを考え、議論を重ね、試行錯誤をしてきました。
話し合いの末、今回提案されたのが防災ポーチ。中には、風呂敷や大きな黒い袋、ライトホイッスル、個人情報カードが入っています。風呂敷や黒い袋は、骨折箇所の固定や寒さ対策など、工夫次第で様々な使い方ができることが説明されました。また個人情報カードはオリジナルデザインで、名前や持病、アレルギーの有無などが書き込めるようになっています。
この活動の引率をしている愛知学院大学 城戸裕子先生は、「実際に足を運んで、感じて学んだことを、紹介することで成長して欲しい」と話していました。報告会の最後には学生一人ひとりから感想が話され、それぞれ活動を通して変わったことを話していました。
昨年夏に初めて南三陸町を訪れたという、4年生の服部星来さんは「災害が起きてもなんとかなると思っていた。活動を通して“備え”が大事だと感じた。備えがあることで守りたい人も守ることが出来る」と災害や防災への考え方が変わったことを話しました。春からは保育士になる服部星来さん、「これからもこの活動を継続・発展して欲しい。そして、この経験を子ども達にも伝えていきたい」と意気込んでいました。
最後の挨拶で城戸先生は「まだ完成形でなく、活動を引き継いで完成を目指したい。完成したものは新入生への配布をして防災意識の向上を目指している」と挨拶しました。また「防災・減災の種をこれまでも蒔いてきたが、芽が出たところで新しい学生になっていたが、今回はその芽を少し育てることが出来た」と話しており、これまでの活動とは違う学生の成長を感じているようでした。今回提案した、防災ポーチが今後どのように完成されていくのか。また南三陸町での活動が今後どのように発展していくのか注目です。
2020年1月13日~31日、東京・銀座に「復興バー」が期間限定でオープン。1月23日は「わたす日本橋」と「南三陸ワイナリー」がコラボレーションし、訪れた人々は南三陸産の魚介とワインのマリアージュを楽しみました!
「復興バー」は、東北をはじめとする各被災地を応援するため、その地域にちなんだ飲食物を提供し、来場者に楽しく食べたり飲んだりしてもらいながら、関わりやつながりを生むという場です。マスターは日替わりで、期間中、毎日異なる趣向で開催されました。
1月23日は、南三陸とのつながりがきっかけで誕生した、東北を応援する情報発信と交流の拠点「わたす日本橋」が出店。南三陸でのワインづくりを目指す「南三陸ワイナリー」にも声をかけ、わたす日本橋の店長・新井英樹さんと南三陸ワイナリーの佐々木道彦さんがマスターを務めました。
飲食メニューは、定番のものと、その日のマスター独自のものがあり、すべて600円。チケットを購入して注文します。この日登場したわたす日本橋のオリジナルメニューは、「南三陸産 戸倉っこかきの蒸し焼き」「南三陸産 タコとホタテのアヒージョ」「南三陸産 シーフードのマリネ」など、素材を生かしつつも、わたす日本橋ならではのアレンジを利かせた逸品ばかり。第58回農林水産祭で天皇杯を受賞した「戸倉っこかき」の蒸し焼きは、早々に完売となりました。
そして南三陸ワイナリーでは、魚介類とのペアリングをイメージしてつくった辛口の白ワインや、いろいろな料理と相性のよいすっきり辛口のロゼワインなど、2019年に仕込んだワイン4種類を用意。次々と注文が入り、カウンターに立つ3人は大忙しです。そんななかでもお客さんとの会話を楽しみながら、南三陸ワイナリーのPRもしっかりしていました。
「復興バー」は、もともと石巻市にあった東日本大震災で天井まで浸水してしまった店をDIYで改装し、2011年7月にオープンしました。そんな石巻の復興バーをもっと多くの人に知ってもらうため、東日本大震災の被災地に対して顔の見える支援がしたいというメンバーが、東京・銀座での復興バー開催を計画。2013年5月に第1回を実施し、32日間でのべ約3000人が来場しました。
以来、場所を替えながら毎年夏に開催されていましたが、2019年は会場が確保できずに開催を延期。満を持して2020年1月、4年ぶりに銀座で行われることとなったのです。1月13日から31日までの開催期間中、毎日個性豊かなマスターが登場し、東北に縁のある人々や復興バーのファンのみなさんで、連日大賑わいとなりました。
1月23日も18時の開店から店内は大盛況。満席状態が続き、立ち飲みする人も出るほどでした。仲間に誘われて来店し、南三陸や東北に興味を持った人も。「お料理もワインもすごくおいしかった! 今度は現地で味わいたいです」と話していました。
無事にマスターを務め上げたわたす日本橋の店長・新井さんは、「普段 厨房の中にいるとなかなかお客さまと顔を合わせることがないので、このようなライブ感が味わえてすごく楽しかったです!」と話しました。また南三陸ワイナリーの佐々木さんは、「目の前でワインを飲んでもらい、お客さまの声を直に聞くことができて、貴重な機会となりました」と手ごたえを感じていました。
「南三陸は、東北は、おいしい。みんながつながれば、うれしい。」 わたす日本橋が掲げるキャッチフレーズのように、おいしい料理とお酒を囲んでつながりが生まれる、そんな一夜でした。