【20代語り部】若者が震災と南三陸の今を伝える

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昨年3月に南三陸町観光協会が実施した「20代語り部ガイドによる被災地バス案内」。今年の3月も開催されましたその様子と震災を伝える若者の想いをお届けします。

震災当時、中高生だった20代が震災を語る

昨年3月に企画された南三陸町観光協会主催の「20代語り部ガイドによる被災地バス案内」。昨年5月にも開催し、これまで200人程の方が参加してきました。そして迎えた今年の3月。新型コロナウイルスの影響もありバスでの案内から、昨年12月に開園したばかりの復興祈念公園を周る「まちあるき語り部」に変更し、3月7日と8日の2日間に渡って実施されました。

観光協会の通常プログラムとしても提供している「まちあるき語り部」。いくつかのコースに分かれており、選択したコースを歩きながら当時の状況を案内していくプログラムになっています。復興祈念公園コースも通常プログラムとしてありますが、今回は特別コースでのご案内。さんさん商店街を出発し、ゆっくり歩きながら震災前の情景や震災時の様子、語り部自身が体験したことを聞きながら周りました。

町を歩き、津波の恐ろしさを伝える

取材で伺った際にガイドを務めていたのは、観光協会職員の西條美幸さん。震災当時、高校1年生でした。当時、海の近くにあった町体育館で部活動をしていた最中に被災した西條さん。地震が来て即座に卓球台の下へ入り、安全を確保しました。これまで経験したことのない大きな揺れに「卓球台も大きく動き、体育館が崩れるのではないか不安だった」と当時を語ります。

揺れがおさまり、部員と共に外へ避難した西條さん。津波が来ることは分かっていたが、どこに逃げればいいかパニックになっており判断できなかったと言います。町の職員の指示に従い、海の傍にあった避難ビルへ避難。海側への避難誘導に不安もありましたが屋上まで避難した時は、安心したと当時の心境を語ります。

写真と共に当時の町の様子と自身の被災体験を語る西條美幸さん

「波が引いていくのが見え、海底が見えた」

「防潮堤や水門など、水を遮るものを越えてから水の勢いが上がった」

「さっきまで練習をしていた体育館が、波にのまれていくのを目にした」

「気づいた時には、膝下まで波が来ていて、血の気が引いた」

西條さんの口から1つ1つ語られていく被災体験に津波の恐ろしさが伝わってきます。

膝下まで津波につかりながらも、もう一段高い所へ避難し一晩過ごした西條さん。翌朝、変わり果てた町を見て、何もなくなったという喪失感とこの状況を受け入れたくないという気持ちがあったと震災直後の心境を語っていました。

「継続して多くの人に伝えていきたい」

今回開催された「20代語り部」では西條美幸さん以外にも、以前南三陸なうで紹介した観光協会職員の阿部悠斗さんがガイドを務め、2日間で16名を案内しました。参加者からは「西條さんが“いのち”の危機にあった話には、涙が出そうになった。いつ起こるか分からない災害に、心の備えをしていきたい」との声がありました。

案内後、西條美幸さんは「今回、参加者は少なかったものの当時の状況を伝え、皆さんの心に響いていることが良かった」と話しました。これまでの参加人数に比べると少なかったものの、語り部と参加者の距離が近いことから充実した時間を過ごしているようでした。

「今後も継続して多くの人に伝えていきたい」。西條美幸さんは、継続して語り部を続けていくことで防災を考えるきっかけにし、次の災害で犠牲が出ないようにしていきたいと今後に向けて意気込みます。

若き語り部が育ち、“今“を伝える

震災から9年が経ち、震災前やガレキだらけだった震災直後の面影は、今ではほとんどありません。「川の位置が同じなのに、昔の町並みが思い出せないほど町が変わった」と西條さんも語り部で口にしていました。9年の月日で町の景観は大きく変わりました。そして、その月日の中で当時、中高生だった子ども達が大人になり被災体験を伝える語り部として活動を始めています。それぞれ被災した場所、体験したことも違い、これまで歩んできた道のりも様々です。9年目を迎えた南三陸町。若き語り部が育ち、それぞれの被災体験と共に南三陸の“今”を伝えています。

3月9日に2次開園した「復興祈念公園」

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