地元高校生がレポート! 立教女学院小学校 南三陸スタディツアー2018

この記事は「志津川高校ジュニアインターンシップ」に参加した学生より寄稿頂きました。

9月10日から9月12日の3日間、南三陸町を訪れていた立教女学院小学校の6年生の皆さん32人と2日間行動を共にしました。立教女学院小学校では、4年前から毎年、スタディツアーとして6年生が南三陸町に訪れているそうです。今回は、地元志津川高校生である私たちが同行したこの2日間の事についてお伝えしたいと思います!

はじめに

私たちは志津川高校2年生です。志津川高校では毎年ジュニアインターンシップで南三陸町内の職場を3日間体験します。

その中でも、私たち3人は「南三陸まなびの里いりやど」にお邪魔させていただきました。いりやどでは宿泊業務の他に、全国各地から来る学生や社会人の研修サポート、そして南三陸町の情報発信事業をしています。私たちはその業務の一端を体験させていただきました。3日間のインターンシップ期間中にちょうど「いりやど」に滞在し、南三陸で研修を行っていた立教女学院小学校さんのスタディツアーに2日間同行させていただき、残り1日間で記事を書きました。

読者様に伝わるような記事にできればいいなぁと思い書かせていただきました。是非読んでいただけたら幸いです。

震災直後から南三陸町への支援を続けていただいた立教女学院。活動を進めていくうちに町とのつながりを深めていきました。そして、継続的に関わっていくなかで、震災からの復興と南三陸町の豊かな自然、産業が、都会で生まれ育った子どもたちの学びにつながるのではないかと考え、4年前からこのスタディツアーを開始しました。今年も6年生の全生徒(2クラス)が南三陸町をフィールドに、さまざまな経験をしながら学びを深めていきました。

ホヤについて学ぶ

9月11日、はじめは歌津地区の泊浜漁港に行き、漁業体験をしました。

紙芝居でホヤの成長過程の説明を受け、金比羅丸と高芳丸に乗って海へ出ました。漁場の見学をするときに、普段東京ではなかなかできないウミネコへの餌やりなどをして、楽しみました。

紙芝居作成者である漁師の浅野健仁さん。 子どもたちは興味津々で聞いていました。

子どもたちは、初めてホヤを見たようで、「気持ち悪―い!」「へんなのー!」という声がありましたが、港に帰ってきて実際にホヤを食べてみるとほとんどの子どもたちが、「おいしい!」とホヤのことが好きになったようです。

ここでは、ホヤの養殖が宮城県と岩手県でしか行われておらず、そのうち宮城県で全体の7割を養殖していることが分かりました。また、ホヤを食べる人が少ないため、ホヤを山に埋めているという現状が分かり、これはこれからの南三陸町が解決していくべき問題だと思いました。

入谷で農業体験と南三陸杉を使ったペンスタンド作り!

午後には入谷地区で農家をしている阿部博之さんの畑に行き、リンゴとプルーンの収穫をお手伝いしました。海と山が近くにあって一日で漁業体験も農業体験もできるのはこの町の魅力ですね。

子どもたちはとても楽しそうに収穫していて、その場でリンゴを丸かじりでおいしく頬張りました。リンゴを収穫した後は、皆でリンゴとプルーンの袋詰めの作業をお手伝い。翌日、さんさん商店街にて自分たちで袋詰めしたリンゴが販売されるということで、子どもたちはお土産で買っていくのを楽しみにしていました。

博之さんのリンゴにこの笑顔!初めて丸かじりをしたという子どもも、ちらほらいました。

その際、リンゴだけではなく旬を迎えている梨もごちそうしていただき、子どもたちは「おいしい!」「もっと食べたい!」と頬張っていました。

その後、オクトパス君のグッズを作っているYES工房さんへ!南三陸町の杉を使ったペンスタンドづくりをしました。みんな、それぞれ色を塗ったり、工夫をしたりしてそれぞれの個性が見られました。

ペンスタンドには女学院のマークと学校犬たちも!
最後にサプライズでオクトパス君が登場!!子どもたちはとても嬉しそうにふれあっていました。
オクトパス君大人気!オクトパ「チュー」で記念撮影しました

いこいの海あらとで交流!

最終日には「特別養護老人ホーム いこいの海・あらと」で入所者の方々と交流しました。

子どもたちは「未来への賛歌」「ふるさと」の2曲を、入所者の方々に披露しました。入所者の方々の中には手拍子をして歌を盛り上げてくれた方も。その後は入居者の方々と風船バレーや転がし卓球等のミニゲームをし、有意義な時間を過ごしていた様子でした。

最後のお昼は、志のやさんで海鮮丼を食べました。海鮮丼で使われている魚はとても新鮮で、子どもたちもおいしそうに食べていました。

 

子どもたちはさんさん商店街でたくさんお土産を買った後、とても満足げな表情で南三陸を後にしました。冬には、このスタディツアーの成果を保護者の前で発表するのだそうです。

森里海が密接に連環する南三陸町。立教女学院小学校の生徒が楽しそうに、そして、しっかりと学んでいる様子を見ていると、単純な観光や震災学習ではなく、豊かな自然環境を生かした体験学習旅行としての南三陸のもつ可能性の大きさを改めて実感する機会となりました。

この2日間をふりかえって

私はこの町で生まれ、この町で育ってきましたが、自分が普段、普通に生活していても知らなかったことを知ることができた2日間でした。例えば、私は入谷に住んでいますが、入谷でリンゴを作っていることを初めて知ることができました。他にも、たくさんのことを発見することができて、南三陸は本当に良い町だと再認識することができました。

普通科 2年  首藤宇輝

この2日間でたくさんの事を知ることができました。漁業体験ではホヤの養殖の仕方、農業体験ではリンゴの収穫の仕方などいろいろなことを体験して知ることができました。その他にも歌津地区入谷地区で町に貢献する様々な事が行われているということがよく分かりました。この経験を将来に生かしていけるように頑張りたいと思います。

                 情報ビジネス科 2年 菅野あゆむ

2日間通して、小学生の皆さんと町を回ってみて自分が知らなかったところに気づかされました。また、プルーンやリンゴを収穫したり初めて船に乗ったり普段できない体験もできました。さらに、特別養護老人ホームで入居者の方々と楽しくゲームができ、小学生の皆さんが、入居者のおじいさん、おばあさんの手を握ったり、声をかけたりと気遣いができていてとても感動しました。

情報ビジネス科  2年  遠藤千優

2018年9月30日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

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学びと出会い。米日の高校生が南三陸で過ごした4日間。

「TOMODACHI米日ユース交流プログラム」 で、アメリカと日本の高校生12人が南三陸町を訪れました。レジリエンス、持続可能性、コミュニティなどをテーマに視察や交流を実施。高校生たちはどんな体験をしたのでしょうか?

「TOMODACHI米日ユース交流プログラム」って?

「TOMODACHIイニシアチブ」って知っていますか? 東日本大震災後の復興支援から生まれ、公益財団法人米日カウンシルージャパンと在日米国大使館が主導する官民パートナーシップです。教育、文化交流、リーダーシップなどのさまざまなプログラムを通して、日米の次世代リーダーの育成を目指しています。

そのひとつに「TOMODACHI米日ユース交流プログラム」があります。これは、日米の高校生が双方向での交換留学を通し、異文化に対する気づきや理解を深め、社会起業家としての精神や地域コミュニティに対する社会貢献のあり方を学ぶもの。ワシントンD.C.の公立高校、東北出身のTOMODACHIプログラム経験者、神奈川県の慶応湘南藤沢高校から参加者が選ばれます。

2018年は7月14日〜8月14日に実施され、ワシントンD.C.の高校生6名、東北の高校生3名、関東の高校生3 名の合計12名が参加。東北プログラムでは南三陸町も訪問し、視察・研修を行い、地域の人々と交流を深めました。参加した高校生たちは、南三陸町で何を見て何を感じ、どんな学びや気づきを得たのでしょうか…?

「TOMODACHI米日ユース交流プログラム2018」の参加高校生たちとスタッフ・関係者のみなさん。2018年8月13日に東京で行われた発表会にて

 

南三陸町でレジリエンスと持続可能性について考える。

「TOMODACHI米日ユース交流プログラム2018」では、まず日本の高校生たちがワシントンD.C.を訪れ、約2週間滞在。その後ワシントンD.C.の高校生たちと一緒に帰国し、東京および東北で約2週間のプログラムを行いました。東北プログラムでは、気仙沼、南三陸、松島を訪問。被災地で、レジリエンス、持続可能性/自然との共生、地域社会の発展などについて学びを深めました。

南三陸町には8月6日から4日間滞在。1日目に佐藤町長から復興の道のりや「持続可能なまちづくり」について話を聞き、2日目は「海と森の持続可能性」をテーマに、戸倉地区の漁師・村岡賢一さんと、入谷地区で林業を営む佐藤太一さんを訪ねました。

「漁師の番小屋」にて、村岡さんから話を聞く参加者たち
おいしい海鮮バーベキューのお昼ごはんをいただいた後に記念撮影
南三陸町は海のイメージが強いが、林業も主要産業のひとつ。南三陸杉は国際的なFSC認証を取得している

 

3日目は、オクトパス君グッズを製作する「入谷YES工房」、生ごみから液肥やエネルギーをつくるバイオガス施設「南三陸BIO」、地域リソースを活用して持続可能なまちづくりに取り組む「Next Commons Lab南三陸」のサステナビリティ・センターを訪問・見学しました。

「入谷YES工房」の前で、オクトパス君の生みの親である阿部忠義さんと記念撮影
2015年10月に開設したバイオガス施設「南三陸BIO」
メタン発酵を行う巨大なタンクの前で

 

4日目は、終日ポータルセンターにてディスカッションやワークショップ。レジリエントで持続可能なコミュニティをつくるにはどうすればよいか…。「レジリエンス」「自然との共生」「コミュニティづくり」の3グループに分かれて、アクションプランづくりを行いました。

アイデアを出し合い真剣に話し合う高校生たち
各グループがまとめた内容をシェアし、互いにアドバイスし合った
ホワイトボードを使って案を説明。夕食直前まで話し合いは続いた

 

高校生たちが学んだこと、感じたこと。そしてこれから。

東北プログラムを終えて東京に戻った高校生たちは、2日間の準備を経て、8月13日に発表会を行いました。プログラムを通しての気づき、発見、学び、出会いなどについて、スライドや動画を使ってプレゼンテーション。南三陸町で作成に取り組んだ、「レジリエンス」「自然との共生」「コミュニティづくり」各テーマのアクションプランも発表しました。

発表会でプレゼンテーションを行う日米の高校生たち
南三陸町での活動について説明する東北の高校生(右)

発表を終えた高校生たちに話を聞きました。仙台市の高校に通う3年生の田村渓一郎さんは、「ワシントンD.C.に行ってから日本に戻ってきたことで、今までと違った目で自分の国や地元を見るようになりました。外からの視点が加わったことで、新たな気づきがたくさんありました」とのこと。同じく仙台市の高校に通う2年生の中鉢乃杏さんは、ホストファミリーとの交流やシェアハウスでの共同生活がよい経験になったようです。お二人に南三陸町の印象を聞いたところ、「食材のすばらしさ・おいしさです。特にウニや牡蠣など新鮮な海の幸は最高でした!」と口をそろえて答えました。

また「南三陸町でもっとも印象深かったのは“人”です」と答えたのは、ワシントンD.C.の高校生Carlos Ramirez(カルロス・ラミレス)さん。「今なお町は複雑な状況下にありますが、それでも人々は笑顔と希望を忘れていないことに感銘を受けました」と話しました。

左から、仙台市の高校に通う中鉢乃杏さんと田村渓一郎さん、福島県いわき市の高校生松本楓花さん、ワシントンD.C.の高校生Carlos Ramirez(カルロス・ラミレス)さん

日本側でプログラムをコーディネートしたCommon Earth株式会社の葉山志乃布さんは、次のように話します。「このプログラムは今年で6年目になりますが、復興のステージが変わるにつれて、学びのテーマやフォーカスも少しずつ変えています。今年の特徴は、『“グローバルコミュニティ”の観点からどのように社会変革を起こせるか?』ということを念頭に、プログラム後にも日米で協働してプロジェクトに取り組めるように工夫したことです。アクションプランを発表して終わりにならないように、具体的なファーストステップも考えてもらいました。これからの日米のコラボレーションが楽しみです!」

またアメリカ側のコーディネーター、Sally Schwartz(サリー・シュワルツ)さんは、「アメリカの高校生たちにとっては、東京よりも東北のことのほうが心に残っています。特に東北の人々の温かさに感動していました。オープンかつフレンドリーで、自分の感情を正直に話してくれたみなさんに感謝しています」と話しました。

事後にも交流が続くのがこのプログラムの特徴。今回南三陸町を訪れた高校生たちが、いつか再び町に来てくれますように…!

プログラム最終日、1か月を振り返り、別れを惜しむ高校生たち

 

 

「浜のお母さんたち」とこれからも。

南三陸町に移住し起業活動をおこなう「地域おこし協力隊」隊員を紹介していく連載企画。第4回は、浜のお母さんたちの手づくり缶詰で、水産資源の活用をねらう中村悦子さん。大好きな漁師さんたちに貢献したいと、この町で新たなお土産品の開発に挑戦しています。

水産物を生まれ変わらせる、“地域資源事業化支援員”

町に降った雨は豊かな森や里をめぐり、志津川湾へと流れ込みます。たっぷりと蓄えられた栄養が、世界三大漁場と言われる豊富な海産物の産地を支えています。一部国際認証を取得したカキをはじめとしたホヤ・ホタテ・ワカメなどの養殖物や、“志津川タコ”とも称されるタコや遡上するサケ。

季節に応じて様々な海の幸が水揚げされ、町内の飲食店や宿泊施設で楽しまれ、また家庭やお土産でも重宝されています。

一方で、やはり素材が良いため生食に向いており、提供方法がどうしても海鮮丼や寿司等に偏りがちであったり、常温保存できる状態でお土産として持ち帰れる加工品のバリエーションが少なかったこと、また同様の生産物をもつ近隣市町村との差別化が、町の課題のひとつとも言えます。

そんな中、東日本大震災後に大手飲料メーカーの支援を受け、漁協の女性部、いわゆる“浜のお母さんたち”によって立ち上げられたのが「おふくろの味研究会」。

市場の目の前に加工場がある

「魚市場キッチン」の屋号のもと、町の海産物を手作りで加工した缶詰の製造販売をおこなうこの団体で、事務局を務めているのが中村悦子さんです。

取り扱う海産物は様々で、町の特産品のタコや、カキ・ホヤ・ムール貝など。それぞれを、ニンニクとオリーブオイルで調味したアヒージョや、しょうゆ麹煮・水煮・トマトソース煮など、これまで無かった新しいバリエーションで展開しています。

「そのままおつまみとしても食べられるし、ちょっとしたアレンジで料理にも使えるのが特徴です」と中村さんは話します。

食材は、海産物はもちろん、ニンニクや青トウガラシなどの調味食材まで、なるべく地元産・県内産のものを使うよう強くこだわっています。しょうゆ麹も、メンバーのお母さんの手づくりだそう。

中村さんは主に、事務局としての営業・事務・経理・広報・納品・発送・取材対応・イベント対応などなど、ほとんど全ての仕事を担当。

「お母さんたちが試食を重ね考案した美味しい缶詰を、なるべく多くの方に手に取ってもらうよう頑張るのが私の仕事です」と、製造を主に担当する5人のお母さんたちと、力を合わせ邁進しています。

特に得意なのが営業だそう。

「色々な場所で取り扱ってもらえていて、町内外問わずたくさんの人が手に取ってくれることはとてもうれしいです。取り扱ってくれるというのには、南三陸や東北を応援しようという気持ちも大きいと思うので、ありがたく思います」と、自分たちのやっていることが多くの人に認められていることに、喜びを感じると語ってくれました。

町内でもさんさん商店街やみなみな屋など、いくつかの場所で目にすることができます。県外では東京のアンテナショップや、大手百貨店でも取り扱い実績があります。

また、イベント出店でも引っ張りだこ。ゴールデンウィークにはさんさん商店街で店頭販売をおこなったり、JAの朝市・登米のマラソン大会など、全国各地を飛び回り、作り手のお母さんたちと共に販売をおこなっています。

週2~3回の製造に、営業・納品・発送と、日々缶詰を作っては売って、のめまぐるしい毎日。

これまでの経験上、食品や販売の仕事は未経験だったため、試行錯誤の2年半でした。

漁師さんたちとの出会いをきっかけに

中村さんは神奈川県藤沢市の出身。以前旅行で来たことがある程度で、東北には全くゆかりのない暮らしでした。

元々海産物を食べるのは好きだったそうですが、水産系や飲食系の職歴は全くなし。そんな中村さんを移住に駆り立てたのは、漁師さんたちとの出会いでした。

震災当時は入院中で、テレビで震災の映像を1日中見るという病室での生活でした。「元気になったら東北で何かお手伝いをしたい」という想いから、知人の誘いで初めて東北へ。ガレキ撤去などのボランティアを経験しました。

南三陸へ訪れたのは数回目のボランティアでのこと。漁業のお手伝いで出会った漁師さんに強く心を打たれました。

「ボランティア中の漁師さんたちのおもてなしや、人に対するまっすぐさ、仕事にかける熱い気持ちに心を打たれ、あまりにも良い人たちだったので大好きになってしまったのです。」

それからは仕事をつづけながらも、月1回程度の頻度で南三陸に来はじめました。日々の仕事に疲れる中、週末に町を訪れるたび癒しを感じ、3回目の来町の時にはすでに「移住をしたい」という想いが膨らんできます。

偶然にも、利用していたボランティア団体の紹介で住宅を見つけ、「とりあえず来ちゃおうかな」という軽い気持ちで移住を決意。

すぐに仕事をやめ、翌日からは教習所に通い始め、免許を取った翌日には引越しを済ませました。現在の仕事でも発揮されている行動力が、中村さんの最大の長所です。

「移住に対する迷いは全くなくて、唯一不安だったのは車の運転だけでしたね」と、本当に気軽に、生活をがらっと変えてしまったようです。

大好きな漁師さんたちに貢献したい、という強い想いから、浜の仕事のお手伝いに通う日々の中、ある日「南三陸おふくろの味研究会」会長の小山れえ子さんと知り合い、事務局の仕事を紹介されました。

かくして、2016年5月、地域おこし協力隊に着任。町の海産物を販売することで、お世話になった漁師さんたちに貢献する仕事に就きました。

町にすっかり溶け込み、大好きな町でこれからも

移住をしてわずか3年。すっかり町のくらしにも慣れ、友人もたくさんできたと言い、協力隊員たちの中でも、最も町に溶け込んでいる人の1人でしょう。

「最近、ミヤマクワガタが家の前に飛んできてビックリしたんです。」

町の自然の雄大さに感動することもしばしば。化石を掘りに行ったり、釣りに行ったり、アクティブな日常を過ごしています。

「子どもの頃から自然が好きだったけど、あらためてこの町の自然は素晴らしくて、満喫しています。」

実は南三陸に来る前はフランスに行ってワインの仕事をしたいと思っていたほどのワイン好き。休日には定期的に友人たちと集まって、ワインを飲む会も開催。また日々の中でも、町のおいしい食材を使ったいろいろなおつまみを手作りしては、ワインと合わせて楽しむことを謳歌しているそう。

秋ごろからは英会話をはじめ、ワインを飲みに海外に行くのはもちろん、町を訪れる海外の方々に町の魅力を伝えることでも活躍したいと言います。

「同じ協力隊員の取り組む“南三陸ワインプロジェクト”のワインやワイナリーができるのがとても楽しみ。町のワインと魚市場キッチンの缶詰のコラボレーションを、いつか実現させたいですね。」

昔から変わらぬワイン好きと、ボランティア時代の恩義を経た海の人たちへの感謝。これらが、海産物を新たな加工品へと生まれ変わらせ販売する、中村さんの取り組みの大きな原動力でした。

「今年度で協力隊の任期は修了ですが、来年以降もこの町に住み続け、美味しい海産物を食べて、ワインを飲んで、大好きな町の人たちと笑って楽しく過ごしたいです」と輝く海を眺め語ってくれました。

「ずうずう弁おしょすぐねぇ!」歌津の歴史・文化を伝えたい。

きらめき人シリーズ第4弾は歌津地区の小野實さん。四十余年間の公職(旧歌津町職員)を終えた後、方言やことわざを調査しまとめることに没頭、自費出版しました。さらには『歌津仇討物語』も。歌津の歴史文化についてはこの方に!という小野さんに話を伺いました。

田束山(たつがねさん)ってさ・・・

「あんたはもちろん知っているだろうけど、この山名を初めて見た人は絶対読めない!」と豪快に笑いながら、南三陸歌津の霊峰『田束山』について話が始まりました。

「奥州平泉が栄華を極めた藤原三代の頃、この一帯(特に入谷地域)から金が採掘され中尊寺・金色堂の装飾や貢物として交易が盛んだった。その平泉・中尊寺の向かいにある山は『田稲山』(たばしね)と呼ばれている。稲と束・・・関わりがありそうだよな。そう、田束山は田稲山と兄弟山とされていたんだ」

もっと昔、標高512mの田束山は修験者の霊峰であり、元々【龍峯山(りゅう・ほう・ざん)】とも呼ばれていて、訓読みでは、たつ・(み)ね・やま=たつがね になるという事も話してくれました。

田束山の山頂にはお社があり、そこから東南東(=卯辰)の方角に村が開けたから「うたつ」という地名になったという説があり、さらに、歌津は、まるで龍が眠っているような地形だと教えてくれます。

「田束山は龍頭山とも言う、つまり頭だな。臥龍の尾っぽにあたるのが泊半島、その先には「おさき神社」があるんだけれども、それは御崎ではなく尾崎と書くんだ。」

「名足(なたり)という集落があるだろう!龍の右足を意味している。半島の反対側に左足(さたり)という浜もあったんだ。こうやって調べるといろいろ面白いこと分かるんだな!」

小野さんは、歌津公民館に勤めていた頃、地域住民に情報を発信する事が必要だと考え、あえてペン書きで「公民館報」を発行します。簡単明瞭でわかりやすい文章、読みやすい大きめの文字が当時の町長から大いに褒められたと笑顔で振り返っていました。歌津の歴史や文化を調べて皆さんに伝えるという役割がその頃から身についたのだと思われます。

その後、町民課長に任命され、ますます活躍の場を広げ、研究者とともに化石の発掘作業に汗をかき、貴重な『ウタツギョリュウ』を発見したり、町中から昔の生活道具などをかき集めて資料館を整備するなどの実績を積み重ね、やがて歌津町史編纂の主力メンバーとなります。

方言は大切だ!地元のことわざも残さねば。

定年退職後、来客との何気ない会話の中で気づいたのが地元言葉つまり方言。この『歌津のことば』をまとめてみることにしました。独特なイントネーションを文字であらわすのはとても難しく、発音は同じでもアクセントによって意味が異なる方言や、全く反対の意味になる言葉もあって苦労されたそうです。

それでも持ち前の探求心と、地域の先輩や家族の協力もあって『21世紀の子らのために ふるさとの味 方言とことわざ』というタイトルの冊子(164ページ)を自費出版しました。平成7年10月に300部を初版発行、友人知人に配り大変喜ばれたそうです。

冊子のあとがきには、「若年層から言葉の標準語化が進んでおり、貴重な方言やことわざが知らず知らずに置き去りにされて行くような気がしてならない。方言は、その土地、その地方の生活の歴史であり文化である。」と記載されています。歌津ことばに対する小野さんの熱い思いが感じ取れます。

*おの段、『おしょすい』とは『何となく恥ずかしい』との解釈が載っています。
一方、イラスト付きの会話では『やぁ…こっつの孫もかなりたくさんだな…』『ほんだから…や…どんぐりさ ぜんめぇつけだようだでば』とか 『何とねぇ えごだや お宅でも良嫁さん もらって…や』『なあに がらがらって バゲヅさ火箸(ひばす)入れだような女(おなご)でがす』
皆さん、声に出して読んでみましょう。それぞれどんな意味かお分かりになりますか?

伝説の『歌津仇討』も出版、フォントは自筆。

誰もが文字を理解できるのはつい最近の事です。地方に残る民話や昔話は、時には教訓めいた内容に変化したり面白おかしく誇張されながら代々語り継がれてきた口述伝承(いわゆる言い伝え)です。

歌津においても、古から伝わる武勇伝がありました。小野さんに伺うと・・・

「実家(上沢集落)の近くが舞台、原本は変体ひらがなで書かれていて読めない。この話は、オレも両親や親類から聞いたことがあるんだけれども、内容があやふやなんだよな~と長男に話したら、覚えている間に文字に起こしたら良いさ!って言ってくれて・・・」と切り出してくれました。

【歌津仇討物語・お房のよろめき】概要

350年以上前、歌津村上沢刈松辺で暮らす治左ヱ門には、村一番絶世の美女お房という妻がいた。剣の達人で塾を開いていた松岡門土(まつおかもんど)が、お房に一目惚れし、やがて恋仲になる。ある日、治左ヱ門が気仙沼に買い物に行くと知った門土が小泉付近で待ち伏せし、堀切沢で殺害する。旦那を殺したから一緒になろうとお房に打ち明けるが、それは意に反するとお房は激怒。門土は本気ではなかったのかと失望し、お房をも殺してしまう。この際、家族皆殺しを図る門土。その様子を見ていた長男重次郎と長女お筆は、かろうじて逃げきることができた。門土は、この村にはいられないと決断し、払川、入谷を通り水堺峠から北に向かって逃げて行った。やがて重次郎は剣術に励み、お筆は吹矢の技を磨きながら三年かけて門土を追いつめる。さて、結末は・・・

登場人物の感情や動きなどが詳しく描写され、まるで語り聞かせるような文章そして自筆そのままに仕上げた本は、読み手が一気に引き込まれます。

仇討・・・近代の日本では禁じられていますが、ちょっと昔の時代は黙認されていたこともあります。

ただ、一途な思いだけでは果たせないのが現実。特に親を殺された恨みを子らが晴らすことは、痛快な物語として共感を生むものだったのかも知れません。

「あの時、書けと言ってくれた長男や手伝ってくれた家族のおかげで、本として残すことができた。」と嬉しそうに語る小野さんに、次の作品はあるのか尋ねてみると、さあ~と意味深にほほ笑むだけ。

頭の中の引き出しにはたくさんのネタがあるようなので、きっとまた何か取り組むのかも知れません。

プロフィール

小野實(おのみのる)さん  昭和7年5月生まれ  歌津町上沢出身

歌津公民館職員から町民課長、公職終盤は助役として歌津地域の発展に尽力されました。誰からも頼られ、気さくに相談に応えてくれる好々爺です。