志津川湾って、すごい!シリーズvol.4「あんな養殖、こんな養殖」

皆さまこんにちは。そろそろ覚えていただけただろうか?海研一です。豊かな志津川湾の魅力に迫る連載企画第4弾。今回は、豊穣な志津川湾を舞台に行われる養殖業を紹介します。

ワカメ養殖

2011年の東日本大震災で南三陸町の養殖は大打撃を受けた。その後、世界や日本中から沢山の支援を受け、国、県、そして宮城県漁協や漁師さんや地域の方の頑張りで、今は豊かな海の志津川湾でギンザケ、ワカメ、ホタテ、ホヤ、カキなどを食すことができるようになった。

まずはワカメ。ワカメは秋から冬にかけて発芽して成長し、春から夏にかけて成実葉(メカブ)から遊走子を放出したのち枯死流出する1年生の海藻だ。

日本で生産されているワカメの9割は養殖されたものだ。養殖のワカメは、11月中旬頃から2〜5センチの長さに切った種苗を一定間隔で縄に挟み込み、12月下旬から1月上旬ころ養殖施設を用いた本養殖を始める。成長は早く、2月頃には生わかめしゃぶしゃぶなどできる柔らかくて美味しいワカメを間引いて、その後大きくなったワカメを刈り取り、湯どうし塩蔵わかめに加工し、出荷する。ワカメの刈り取りの後はメカブ(ワカメの成実葉、胞子葉(ワカメの根元部分)などの生殖細胞が集まったところ)の刈り取りだ。あのねばねばとしたスーパーなどでパック売りされているメカブとワカメは同じものなのだ。知ってたかな?メカブについて詳しくは今後の記事をお楽しみに…

ワカメは低エネルギーで食物繊維が多く、ヨウ素を初めとしたミネラルを豊富に含みアルギン酸が大腸の動きを活発にし、ビタミン類を野菜並みに含む健康やダイエットのためにもとても良い食材なのだ。

ギンザケ養殖

次にギンザケ。志津川湾は日本でのギンザケ養殖発祥の地だ。そして今も水揚げが日本一である。

ギンザケは12月から次の年の10月頃まで山の淡水で育ち、11月に海にある養殖いけすに移動(1つのいけすに約3万匹)4月まで約1キロになり、4月から7月くらいの間に水揚げされる。水揚げされたギンザケは魚屋、お寿司屋、料亭、居酒屋で食されたり、加工工場で加工されたりしてみんなの食卓へ届く。

ギンザケは養殖だから特定の固形飼料(魚の粉、大豆、ミネラル類が含まれる)によって管理されているので、回遊魚特有のアニサキス(寄生虫(線虫))の心配がない!冷凍せずに刺身で安心して食べられる。また、ギンザケにはビタミンA、ビタミンE、多価不飽和脂肪酸(EPAやDHA)が多いので美容と健康、疲労物質も軽減されるなど栄養も豊富だ。

ホヤ養殖

ホヤは海のパイナップルとも言われ夏の味覚とされている。

ホヤって一体何者?貝なの?と思う人は多いと思う。実は貝ではない!容姿も独特、大きな突起が2つ、プラス(+)マークに見える方は海水とエサを取り込む入水孔、マイナス(—)マークは排泄や産卵のため(卵・精子)の出水孔だ。幼生の時はおたまじゃくしのように泳ぎ、付着突起で岩や貝など適当な場所に付着する(一度付着すると、一生をそこで終える)貝よりは分類上人間に近い脊索動物門・尾索動物亜門・ホヤ網に属する動物なのだ。

市場に出回っているホヤ(マボヤ)はほとんどが養殖で、2年半から3年半かけてじっくり育つ。海の中で1年目は1cm、2年で約10cm2年を過ぎると急に大きくなり2年半(3年子(3ねんこ))で出荷する。ホヤは味覚の基本要素(甘味、塩味、酸味、苦味、旨味)が揃った珍しい食材で独特の風味がある。これはマボヤ特有の不飽和アルコールによるものだ。マボヤを食べた後日本酒や水を飲んでみてくれ。グリシンやアラニンというアミノ酸とグリシン・ペダインという塩基が作用するため、甘くおいしく感じるはずだ。そしてさらに、ホヤは肝機能を高めるタウリンなどを合有し滋養強壮にも美容にも良い!南三陸のソウルフードだ。

ホタテ養殖

ホタテは冬の寒さ厳しい中、天然採苗や稚貝を県外から購入し養殖をしている。垂下養殖の垂下方法には様々な形態があるが、南三陸町は、殻の“耳”部分に2mm程度の穴をあけ、個々にテグスを通し繩に吊るす方法が主流だ。

ホタテは変わった生態で、生まれてから1年は全てオスで、2年貝以上で半分がメスへと性転換することが知られている。産卵前は、卵巣はピンク、精巣は白色に変化するため雌雄を区別することができる。産卵後は生殖巣の色が消え透明になるため再び雌雄の区別がつかなくなる。成長は、養殖では2年から3年で11cmくらいになり、春と秋によく成長し、夏と冬に一時止まる。夏に向けて成長が止まるのは高水温や産卵後の活力低下のためと言われている。また成長が止まる時に殻表にできる成長輪で年齢がわかる。

ホタテには、旨みのアミノ酸や、網膜の発育や視力低下の防止につながる、肝機能を強化するコレステロール系の胆石を溶かす、元気が出るなどの効能があるタウリンが含まれ、さらに亜鉛やカリウム、マグネシウム等のミネラルも多く含まれ、コレステロール分も少ないという低カロリーの健康食品である!と言える。

カキ養殖

冬の味覚の代表はカキ!私達の口にするカキ(真牡蠣)のほとんどが養殖によって生産される。カキの産卵時期は7〜8月、1度の産卵で5000万もの卵が放出され、これが白い煙の様に水中に出された精子と出会い受精する。採苗は、この頃に採苗器(ホタテの貝殻を縄につけたもの)を筏に吊り下げ、マガキの幼生(約3mm)を付着させることでおこなう。養殖しているカキを、海水に浸かる時間を少なくして大きくせず、真牡蠣を鍛え抵抗力を与える抑制という工程を経ながら、海中に吊り下げ1〜2年の間育成させる。収穫はカキを吊すロープの長さが、はえ縄式の場合(東北太平洋沿岸では「はえ縄式」が一般的)10mもあるのでとても重く、クレーンを使って収穫する。出荷は、滅菌海水に殻のまま23時間以上掛け流しで浄化し殺菌してから、漁師の手によって剥かれ、また滅菌海水で洗って出荷となる。震災後の南三陸町戸倉地区では震災前からの密殖をやめたことで成長が早く、牡蠣を1年で出荷できるようになった。

カキはミネラル類が豊富で、とくに亜鉛と銅を沢山含んでいる。亜鉛は新しい細胞が生まれる際に欠かせないミネラルで、成長期の子どもには欠かせない成分だ。また、ナトリウムやマグネシウム、カルシウムも豊富に含まれる。海のミルクと言われ栄養もあり美容にも良いとされる。

さらに国際環境認証であるASC認証を取得し、カキをおいしく安全に食卓に届けている。ASCについてはまたの機会に!!

人の食をとても豊かにする5つの水産物が志津川湾で養殖されている。志津川湾は、これらが養殖できる懐の深い豊かな海であることがわかるだろう。志津川湾はすごい!!

さて次回はラムサール条約の登録湿地についてお話ししよう。

第8回 南三陸子ども自然史ワークショップ 2018 in 戸倉公民館

2012年の秋から始まった「南三陸子ども自然史ワークショップ」今年は7月21日に戸倉公民館にて開催されました。大人も子どもも、家族揃って南三陸の生き物に触れ合いながら楽しく学べるワークショップが満載!南三陸町だけでなく、県内各地、特に近隣市町から多くの人たちが会場に足を運んでいました。

海藻モンスターを探せ!ちょっと不思議な生き物たち

「なんかすごい動いているよ、こんなに動いてる!」

「この気持ち悪い虫なに?」

南三陸の浅い海底から取ってきた海藻をトレイの中に入れて、藻の周りに潜んでいる小さな生き物たちをピンセットでつまんでいく。海藻にはちょっと変わった生き物たち「海藻モンスター」がたくさんくっついています。小さすぎて大人の肉眼では見えないものも、子どもたちのほうが見えることがあるそうです。「海藻モンスター」コーナースタッフのアドバイスのもと、ワークシートに自分が見つけた生き物たちのすがた・形を描いてみたり、エビ・カニ・貝…どの仲間になるのかを分類してみたりしていました。南三陸の海の中にはいろいろな種類の海藻がたくさん生えていて、まるで森のようになっている場所があります。これを「藻場」と呼んでおり、そこでは海の中の酸素を増やして栄養分を吸収することで水質を浄化しています。海藻は貝などのエサになったり、魚やエビ・カニが産卵し、赤ちゃんが育つ大切な場所でもあります。

顕微鏡をのぞくと素早く動きまわる不思議な生き物たちがいっぱい。自然と海の生き物たちに興味が湧いてくる。

世界にひとつだけ オリジナル図鑑ストラップをつくろう!

「南三陸子ども自然史ワークショップ」は沢山の子どもたちに、南三陸町に棲む生きものに興味をもってもらい、自然の豊かさを知り、そこから自然への理解がすすむ事を願い、毎年行われている南三陸町の自然などをテーマとしたワークショップです。

なかでも賑わっていたのは「図鑑ストラップ」のハンドメイドコーナー。南三陸町内で採取した花や海藻、海の生き物を解説シートと一緒にレジン(樹脂)で封入してストラップにするワークショップで、特に女の子たちに大人気でした。お気に入りの花、海藻、生き物をひとつだけ選び、紫外線で固まるレジン液につける。UVライトタイマーを当てたら2分で固まり完成!乾燥しているものならすべてできるそうです。生き物図鑑の1ページのようなストラップは、世界にひとつしかない自分だけのオリジナルストラップになりました。

ハンドメイドでお気に入りのストラップを作る子どもたちの姿は真剣そのもの。

アンモナイトのレプリカ、イヌワシのクラフトづくり

アンモナイトは南三陸でも見つけることができる身近な化石のひとつです。ではそのアンモナイトは一体どんな生き物だったのでしょうか?「アンモナイトの化石レプリカづくり」のコーナーでは、東北大学「みちのく博物学団」の学生ボランティアの方々より、北海道の北に位置するサハリン島(樺太島)と南三陸町で見つかったアンモナイト化石の説明をしてもらいました。

そして実際に、アンモナイト化石のレプリカづくりに挑戦!カラフルなプラスチック粘土の中から好きな色を選び、ポコポコ沸いている熱湯に潜らせアンモナイトの形をした型にはめ込む。そして時間を置き、冷やしてから型を抜くとプニプニとしたレプリカが完成!手作りアンモナイト化石をストラップにして持ち帰ることができました。
別部屋の「イヌワシ・クラフトづくりのコーナー」では南三陸町の鳥、イヌワシのミニチュアクラフトを作っていました。その他に可愛らしいイヌワシマントや、紙芝居、たくさんの本・資料が展示されていて、そこにいるだけでイヌワシ博士になったような気持ちになりました。

自然の魅力を伝えていく 南三陸ネイチャーセンター友の会

今回で第8回目を迎える「南三陸子ども自然史ワークショップ」を主催しているのは「南三陸ネイチャーセンター友の会」。震災により被災してしまった自然環境活用センターの再興を目指す人たちが有志で集まっている団体です。会員メンバーはそれぞれ思い思いに「南三陸の自然」を楽しみ、野鳥観察や地質調査、植生調査、ワークショップなどを行っています。

代表の鈴木卓也さんは「震災で津波があったあと、海に近づけない子どもたちのために、生き物と触れ合える場所を作りたいという想いから始めました。南三陸の自然の豊かさを体感し、そして大人になってからも誇りに思ってもらうために、これからも毎年続けていきます」と話します。この活動は、自然を愛する同志たちが大阪、岩手、東京、宮城県内など全国各地から応援に駆け付けて実施されているそうです。運営に携わるメンバーたちは、ワークショップを通して自分たちの町に棲む生き物への興味をもってもらい、好きになってもらいたい。そしてこれからも自然を大切にしていってほしいという想いのもと、活動を続けています。

筆者自身、今回のワークショップで学んだことは、私たちが日ごろ触れている豊かな自然は、決して当たり前のものではないこと。自然の豊かさのおかげで生かされていることを忘れずにいたいと思いました。

未来を創る高校生集結!東北次世代リーダーカンファレス

7月30日から、8月1日まで平成の森で「U-18 東北次世代リーダーカンファレス」が行われました。昨年に引き続き、第2回目の開催で東北から高校生26名が参加しました。仲間との交流を深めながらも、リーダーシップを学び、今何ができるか、将来なにをしたいか仲間とともに考えを深めました。

U-18リーダーカンファレスとは?

昨年からNPO法人キッズドア主催で始まったこの「U-18東北次世代リーダーカンファレス」。同世代との対話、多方面で活躍するリーダーからの講演などを通して、社会で活躍できる人材を育成することを目的としています。プログラム責任者でありながら、南三陸町教育魅力化専門官である佐藤陽さんは「東北、被災地のこれからを盛り上げるのは誰なのかと考えた時に中高生だと思った。学校だけでなく、それ以外の地域から皆が集まって将来について考える場を作りたいと去年から企画した」と話していました。社会問題は学校の問題のように答えがあるとは、限りません。社会問題と向き合い、解決する人材が今必要とされているそうです。

またプログラムを通して、普段の高校生活では得られなかった出会いが高校生を大きく成長させるとのこと。社会人や大学生、起業家との出会いや同世代の仲間と過ごすことで、一緒に活動してくれる仲間、お互い切磋琢磨する仲間を作ることも目指しているそうです。3日間の出会いや交流は、これから子ども達が将来や進路を考える上で大きなきっかけになるようです。

NPO法人キッズドア 理事長 渡辺由美子さんによる開会挨拶

東北各地から26名が集結!志津川高校からも3名の参加

今年で2回目となるこのプログラム、東北各地から26名の高校生が参加しました。南三陸町からは4名の高校生が参加。うち3名は志津川高校生で志翔学舎を利用していて、スタッフや友人に誘われて参加したと話していました。

中でも参加のきっかけで多かったのは、自ら希望して参加した高校生が多かったとのこと。去年は誰かに勧められたりして参加した高校生が多かったそうです。それを受け、佐藤陽さんは「去年の子ども達と表情が違う。自ら希望してきてくれたことが嬉しい。今年は去年より面白くなりそう」とオープニングで話していました。

自分の好きな物、興味関心のある写真や文字を切り張りして行うフューチャーコラージュ

いろんな立場で活躍するリーダーの話を聞く

リーダーシップを学ぶ、社会の課題に立ち向かう能力をつけることが目的のこのプログラム。プログラム内では、現在課題に向かって活躍している講師陣を招き、講演をしました。

今年度は参議院議員の今井絵理子さん、映画ビリギャルのモデル小林さやかさん、一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバル代表理事の竹川隆司さんの3名が子ども達に向けて講演を行いました。

なかでも子ども達は映画でヒットしたビリギャルのモデル・小林さやかさんの話を楽しみにしていたようでした。講演終了後も質問を受けたりしていました。また、今井絵理子さんは輪になって講演をしており、時より手話を混ぜながら子ども達に向けてメッセージを伝えていました。

人生経験はまったくと違う3名ですが、目標や目的は同じ。仕事を手段として、「誰かのため、人のため」に活躍されている印象を受けました。子ども達は、失敗を恐れず挑戦することの大切さ、目標をしっかり持つことの大切さなどを学んだようです。

参議院議員 今井絵理子さん
映画ビリギャルのモデル 小林さやかさん
一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバル 代表理事 竹川隆司さん

今の自分に何ができるかを考える

2日目午後からは本プログラムの目玉である、マイプロを考えるプログラム。マイプロとはマイプロジェクトの略で、身の回りの課題や問題を解決するには何をすればいいのか、自分で何ができるかプロジェクトとして考えることです。

約1日をかけて、子ども達は自分を見つめ直し今の自分に何ができるか、誰のためにするか、本当にやりたい事は何かなどスタッフと一緒に考えていました。子ども達が考えたプロジェクトは様々で、地域の問題や社会課題、また学校の課題、友人の問題などがありました。それぞれスタッフと共に、なぜ問題なのか、現状は?、プロジェクトを行うことで起こることは?など目的やテーマを明確にするところからプロジェクト作りはスタート。なかには夜遅くまでスタッフと共に考えていた子もいたそうで、時間をかけて考え抜いたようです。限られた時間の中で、マイプロを形にして最終日の発表では、達成感を感じられるマイプロジェクトを発表していました。

東北の未来を担う子ども達!

今回参加した子ども達は2期生。なかには昨年度参加した高校生、また大学生となりスッタフとして参加している子もいました。人生の中で高校生は、進路や将来で一番悩む時期かも知れません。参加者には、今の進路希望に自信がない、やりたいことが見つからないなどの悩みを抱えた高校生もいました。しかし、プログラム終了時には、その悩みも解消されたような表情でした。やみくもに勉強するのではなく、将来やりたいことを見つけて、目標設定をお世話してあげる人が高校生にとって本当は必要なのかも知れません。

たった3日間でしたが参加した高校生達は、自身の成長が実感できるほど成長していました。このプログラムに参加した子ども達が将来、地域を変えるような人材になっているかもしれません。これからどのように成長して、将来活躍するのか期待がかかります!

平成最後の夏、おどれ!!結の里で。

ほぼすべての被災者住民が仮設住宅から終の棲家に移住された平成最後の夏。志津川東団地の中心部にできた『結の里』で初めての夏祭りが開催され、暑気払いも兼ねての交流会に笑顔の輪が広がりました。

「夏まつり」は浴衣が似合いますね。

会場となった結の里駐車場には、近くの住民はもちろんかなり遠方からいらした大勢の方々が集まりました。浴衣を召した受付嬢に参加費を支払い、焼きそば・タコ焼きなど露店での引き換え券を受け取ります。ちなみに、この参加費(一人200円)は、西日本豪雨災害へ全額寄付されるそうです。

「おどれ!結の夏祭り」というキャッチフレーズのとおり、実行委員会や社会福祉協議会スタッフと、参加者の皆さん一緒に踊りましょう!という参加型のイベントです。

「もう盆踊りなんて、忘れてしまったっちゃ!」と、なかなかテントから出てくれなかったおばちゃん達も「大漁唄い込み」や「東京音頭」などの定番曲が流れると、体がウズウズしてきたのか輪に加わってくれました。特に「北海盆唄」などは、すっかり体にしみこんでいる様子。若い世代が指導を受けて踊ります。

笑顔で暑気払い!

「夏祭りといえばやはり焼きそばですよね」

実行委員会の打ち合わせで、まず初めに提案されたのが焼きそばの提供です。

猛暑でも大人気のメニューですが、作る方は汗だくになってしまいます。それでも楽しみに並んでくれる住民を前にすると、笑顔が自然に出てくるようです。

ホットプレート2台を駆使し、ウインナーやもやしを入れて焼き上げています。建物の壁にテントを建てつけて日差しを遮ってはいますが、熱気は容赦なくスタッフに襲い掛かり、汗をぬぐうタオルがびっしょり濡れてしまっていました。

大阪からも支援、「まいど~おおきに!!」

今回は、生協おおさかならびにみやぎ生協の皆さんから、ボランティア活動として大阪名物「タコ焼き」や「アイスクリーム」を振る舞いたいとの申し出がありました。

「あかんわ~、まだ熱うならん」

「もうちょっと待ってな、今つくるさかい・・・」

「凄い!本場モノの関西弁だっちゃ~」と、妙なところに感心する住民たち。

「よっしゃ~、うまいこと出来たで!まいど~おおきに!!」

仮設住宅暮らしの時期から何度も炊き出しやボランティア活動に来町している生協おおさかの皆さんたちにとっても、新たな団地でのイベントは感慨深いものがあるようです。

童心に返って・・・

みやぎ生協さんは、「ぷにょぷにょボールすくい」も出していました。金魚すくいに使う「ポイ」を使って柔らかいボールを好きなだけゲットしようと真剣な表情で挑みます。

が、「あ~、破れてしまった~」と叫び声が響き渡ります。

懐かしいね~とはしゃぐ高年齢者は、どなたも子どもの顔つきになっているようにみえました

南三陸の盆踊りと言ったら、「トコヤッサイ」だね。

炎天下での盆踊りは、さすがに命がけ?!

「盛り上がってきたところですが、熱中症も心配されるのでラスト一曲となります。」

町民誰もが知っている「トコヤッサイ」のCDを掛けようとしたら、社協職員から「私たち、準優勝だったんですよ~」と告げられました。それなら、なおさら!

7月下旬に開催された「志津川湾夏祭り・トコヤッサイコンテスト」で、並み居る強豪を押さえて見事に準優勝の栄冠を勝ち取った社協チームによる熱演に会場は大興奮です。

平成最後の夏に開催された、結の夏祭りは、参加者130名を超すほどの大盛況でした。

企画した実行委員会の皆さんが「これからも皆が楽しめる交流イベントをやるよ」と力強く宣言すれば、今回協力してくれた生協さんや臨床心理士の方々からも、「今後も支援し続けます」と心強い言葉をいただきました。

夏の海辺で音楽フェス 第3回「UTAKKO BURUME 2018」

2016年から今年で3度目を迎える音楽フェス「UTAKKO BURUME」が7月15日(日)、荒島・楽天パークにて開催されました。同時に隣のサンオーレそではま海水浴場でも海開きがおこなわれ、大勢の若者や家族連れで海岸全体が賑わっている真夏日でした。

音楽のチカラで、町・人・想いが、ひとつになる

「UTAKKO BURUME」=「うたっこぶるめ」とは、地元の言葉で「歌を振る舞う晴れ舞台」のこと。この音楽フェスは、何より南三陸に魅力を感じている地元の出身者と、町外からの移住者、南三陸町には住んでいないけれど町のことを想っている人たち、そして南三陸町が一体となり実現している音楽フェスです。

若者たちを中心に有志で活動している「南三陸音楽フェスティバル実行委員会」は、この音楽フェスを南三陸からの“お振る舞い”だと考えています。ボランティアをまとめるリーダーでもあり、実行委員長の佐藤一也さんにインタビュー。今回3回目を迎えたUTAKKO BURUMEについて「南三陸町を盛り上げたい気持ちはありましたが、自分たちだけでは実現しなかったイベントだと思います。実行委員会の運営メンバー10名のうち、半数以上が移住者なのです。私のような地元の人と、新しい移住者の人が協力してはじめてできたものなのだと思います」

もっと地域の人たちとのつながりがほしい・・・。そしてこの町をみんなで盛り上げていきたい・・・。そんな移住してきた若者たちの想いと地元の若者の想いがひとつになって、新しいイベントを創り上げることにつながったのかもしれません。

登米市から参加した二人組。お目当ては「竹森マサユキ」さん。Twitterで今回のイベント出演を知ったという

10年、20年と続いていく音楽フェスにするために

2016年に開催された初の「UTAKKO BURUME〜南三陸 ミナサンフェス〜」は、NHK仙台放送局と南三陸町の主催のもと、南三陸町総合体育館「ベイサイドアリーナ」内特設ステージで行われていました。豊富な予算のもと、有名アーティストも出演する大規模なイベントとなり大盛況に終わりました。運営を担ったのは南三陸音楽フェスティバル実行委員会と、当日ボランティアの人たち。音楽のもつパワーや魅力を実感した実行委員たちは「UTAKKO BURUME」をこのまま一度限りで終わらせたくない!と思い、「10年、20年と続け、町に音楽を定着させよう!」と決意をしました。

しかし「UTAKKO BURUME」は当初は1度きりのイベントとして行われていたため、第2回目の開催からは予算規模が10分の1以下という状態での企画・運営を行わなければなりませんでした。大幅な予算の減額。その中でフリーライブの企画をすすめていくことは容易ではないことは分かっていましたが、“小さくても続けること”を大切に、より南三陸らしい、地元色満載の音楽フェスを目指して、企画をスタートさせました。前年と比べて予算・人員ともに大幅な縮小となりましたが、ボランティアの協力、町内の40近い企業から協賛をいただくなど、町の人たちのサポートをもらいながら、なんとか開催することができました。2017年は旧志津川仮設魚市場を会場に、そして今年2018年夏、念願の海岸のそばである荒島・楽天パークにて開催されました。

写真撮影のボランティアとして参加していた小駒 梓さん(左)、藤田 葉さん(右)

若者が集まるきっかけづくりを

「南三陸町には、福興市をはじめ、よいイベントがたくさんありますが、音楽というツールを使うことによってより地元や町外の若者たちを呼び込めるのではないかと感じていました」と実行委員の井尻一典さんは話します。

しかし、今回の「UTAKKO BURUME」に集まってきた参加者たちに声をかけてみると、「竹森マサユキさんがでるってTwitterで知って観に来ました!」とSNSで好きなアーティストが出演する情報をキャッチして応援にきたファンの人たちや、「こういう機会にしかこれないから」とはるばる東京・神奈川方面からボランティアでやってきた女性カメラマンたちなど、20代でアクティブな人たちが多くみられました。

この音楽フェスをきっかけに、たくさんの若者たちが音楽を楽しむのはもちろんのこと、町の人たちと触れ合って、もっと南三陸の魅力を知ってもらえると嬉しいと思いました。

学生ボランティアも多く参加。若者が主体となってイベント運営・まちづくりをしていきます。

一緒にフェスを盛り上げてくれた出演者・出店者たち

サンプラザ中野くん、Celeina Ann(セレイナ・アン)、竹森マサユキ、中村マサトシさんなど、東北各地で活躍する有名アーティストが登場しました。その中でも印象に残ったのは、仙台で結成されたロックバンド「カラーボトル」のギターボーカル、竹森マサユキさんの言葉。

ステージMCで「このイベントのために汗を流している実行委員の人たち、本当にありがとう!」と発信。この音楽フェスが今年も継続することができたのは、1年を通して準備や資金集めに奮闘してきた実行委員会メンバーのおかげだからです。また運営メンバーからは「自分たちの力だけではどうにもならないところを、イベントの経験豊富な福興市の出店関係者の方々からアドバイスをもらいました」と言われました。ひとつの音楽フェスを実現・継続させるために実に多くの人たちが関わっています。そしてお互いに支え合い、協力し合っています。

皆の想いはひとつ「南三陸町を盛り上げていくこと」。

2019年の「UTAKKO BURUME」にはどんな面白い人たちが関わってくるのだろう。これからも音楽のチカラ・イベントのチカラで町を盛り上げていってほしいと思います。

写真提供:南三陸音楽フェスティバル実行委員会

 

2018年8月31日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ
パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

他の定点観測を見る

スポーツ×たこ焼き×お酒で市街地活性化に挑戦!

南三陸町に移住し起業活動をおこなう「地域おこし協力隊」隊員を紹介していく連載企画。第3回は、スポーツ×たこ焼き×お酒で志津川市街地の活性化をねらう、井原健児さん。これまでの経歴を活かし、子どもから大人まで誰もが楽しい、にぎわいあるまちづくりに挑戦しています。

志津川市街地ににぎわいを生み出す、“市街地活性化支援員”

志津川を流れる大きな川、毎年サケが遡上することでもおなじみの八幡川。それをまたぐ汐見橋もいよいよ開通し、国道45号・国道398号が交差する、志津川市街地の重要拠点となる大きな交差点が完成しました。週末には多くの人でにぎわうさんさん商店街も位置し、町の人も町を訪れる人も集う、活気ある市街地が再興されつつあります。

町の復興計画や、著名な建築家、隈研吾氏のグランドデザインにおいて「観光・商業エリア」と位置付けられているこのエリア。そんな一等地の交差点に、見慣れぬ木製の“箱”が置かれているのに気づきましたか?

この「トレーラーハウス」を用いて、さらなる市街地の活性化を図るため、2018年1月に地域おこし協力隊“市街地活性化支援員”に着任したのが井原健児さん。これまでの経歴で培った「お酒」と「料理」の知識とスキルに、元々の趣味であった「スポーツ」を組み合わせ、飲食店×スポーツ交流拠点“Oct-VIN369(オクトヴァン・サンリク)”としての起業を図ります。屋号の由来は、タコの「オクトパス」と、ワインのフランス語読みである「ヴァン」、に三陸の「369」を加えたもの。現在はいろいろとあって、トレーラーハウスでの営業が困難になっているとのことですが、その辺も含めていろいろなお話を伺いました。

「初めて南三陸に来た時に、町で遊ぶ子どもの姿を見かけなかったんです。復興は進んでも、町の景色として子どもが遊ぶ景色が必要だと思います」と、初めて町を訪れた時の印象を語ってくれた井原さん。他の様々な地域で見た、スケートボードやバスケットゴールなどがあるストリートスポーツ施設が目に浮かんだそう。

現在はバスケットゴールを町の方から譲っていただき入手したほか、スケボーのランプ(スケボー用の半円の斜面施設)の設計も進めているとのこと。日本ではあまり広まっていないスポーツの導入も狙っていて、最近検討しているのはテックボールというスポーツ。サッカーと卓球を混ぜたようなスポーツです。色々なスポーツが気軽に楽しめる、そんな場所づくりの実現を目指しています。

カジュアルにスポーツが楽しめる空間には、大人も子どもも大好きなファストフードがつきもの。閃いたのは、町の特産品である“志津川タコ”を活かした、たこ焼きでした。

「志津川市街地にはバス停があって高校生をたくさん見かけますよね。私が高校生の時なんて、体力は余るし、とにかくいつも腹は減ってるし、学校の帰りやバスを待ってる時にその両方を発散できる場所があったら良いかなと。スマホいじって待つより、体動かして人とコミュニケーション取る方が健全ですしね」。

一方でオトナはお酒を飲みたいもの。昼のたこ焼き営業に加え、夜は本格的なバー営業を目指します。

「町に夜お酒を飲めるお店が少なかったり、洋酒を飲めるお店も少ないですよね。本格的なお酒をカジュアルに、たこ焼きと一緒に楽しめるような、ワイワイと飲める場所をつくりたいんです」ととても楽しみな展望を描いています。映画上映やスポーツのパブリックビューイングなども計画しているそうで、楽天戦や東京オリンピックで盛り上がる景色が目に浮かびます。

まずはたこ焼き屋から営業を開始、と意気込んだものの、実は計画していたトレーラーハウスでの営業が、宮城県のルール上できないことが発覚。未だオープンが出来ず、現在はイベント時の出店などで振る舞っています。トレーラーを活かしつつ開業をする方法を模索中とのこと。

「トレーラーは無くなるかもしれない、場所や店の箱が変わってしまうかもしれない、多少時間がかかるかもしれない、でもなんとかしてやり遂げます!」と強い意志をお持ちです。

バーもストリートスポーツも、一見ハードルが高いイメージ。それを崩すような入口の場所、好きになる・興味を持つきっかけになれるような場所が、井原さんの目指す空間だそう。

「そういうことやってみたいと思っている子も少なからずいるはず。そういう人たちが集えて、仲間をつくれるような場所にもしたいんです」と、いきなりの困難に直面しながらも意気込みを見せてくれました。

様々な飲食経験を経て

井原さんは北海道小樽市の出身。父親の転勤の都合で東北各地を転々とし、秋田以外の5県は制覇済みとのこと。東日本大震災の当時は、仙台の飲食店で店長をしていました。

「ビルの高階にある店だったので、とても揺れましたし、お客さんや従業員の安全対応などに無我夢中でした。記憶にないほどですね」と当時を思い起こします。スパニッシュにフレンチ、イタリアンにメキシカンまで、様々な飲食店での勤務経験もあります。色々な料理の経験がデータとして蓄積されて、それらがミックスされたり、和風へのアレンジをしてみたり、地域の食材とマッチする工夫にも期待が膨らみます。

そんな経験から、自身の飲食店をいつかは持ってみたいという想いを抱いていたさなか、知人からとある人物を紹介されます。先にも出てきた志津川地区グランドデザインを手がけた建築家、隈研吾さんの子、隈太一さん。東京都神楽坂にて飲食店として使われていた隈研吾氏設計のトレーラーハウスを南三陸に移設し、なにか面白いことに使ってほしいという打診を受けました。

「仙台にはいろいろな飲食店がすでにあって、何をやっても被ってしまったり埋もれてしまう中、南三陸でだったら豊富な地域の食材を活かして、新しいものを生めそうと感じました。これまで暮らしてきたところも海辺が多くて、海のある町には縁があるなと言う気もして」。井原さんと南三陸の出会いでした。

何度か町へ足を運び、たこ焼きというイメージを得てからは、仙台のたこ焼き屋さんに勤め始め、バー勤務との掛け持ち修行を開始しました。どちらも朝までやっているようなお店で、1日の半分を働いて過ごすような怒涛の生活へ突入します。

「たこ焼きは作り方自体はシンプルだけど、実は奥が深くて、美味しいと喜んでもらえるような味わいにするにはいろいろな工夫が必要なんです」。

たくさん焼くことで経験値を積んだ井原さん。大きなたこ鍋(鉄板)だと場所によって火の回りも変わってきたりと技術も必要だそうで、最近ではだんだんそのコンディションも読めるようになってきました。

たこ焼きを軸に、市街地活性に向けて取り入れるのがスポーツとお酒。学生時代のサッカー部の経験や、ストリート系のカルチャーが趣味だった経験が活きます。バーでの勤務経験からお酒に関する知識も深く、「ワイン検定シルバークラス」「テキーラマエストロ」「ラムコンシェルジュ」と様々な資格も持ちます。

町に来て早半年

現在は志津川でアパート暮らしの井原さん、8月には戸倉の公営住宅へ転居の予定。下見を兼ねてドライブをよくしているそうです。

「移住前に思っていたほど不便じゃないし、今は比較的にぎやかな地区に住んでいるので楽しく暮らしています」。

仙台の街での暮らしから一転、海や山に気軽にアクセスできる環境も気に入っていて、休みの日は海水浴場でのんびりしたり、最近は田束山登山にも行ってきたとのこと。また仕事を越えて趣味でもある料理が、毎日の楽しみになっています。

町での心地よい暮らしの中でたくさんの人と知り合い、たくさんの発見を得て、どんどんやりたいことも増えてきているという一方、半年が過ぎ感じてきた悩みもあります。

「自分の中でまだよそ者感がぬぐえなくて、地域の中にもっと自分から入って行きたいと思っています。地域イベントに積極的に参加したり、すでに町内でスポーツの活動をしている人たちとコンタクトをとってみたり」。

体育会系のノリの中にいる方が性に合うという井原さん。

「見た目は少しおっかなくて、ストリート文化とかやっているようなチャラそうな人、だけどめちゃくちゃ良いお兄さん、みたいなポジションを目指したいですね。あとはイケイケの漁師さんと知り合って、仲良くなりたいです」と、確かに見た目は少しチャラそうですが、発言からは人柄の良さがにじみ出ます。町の若い子たちにとって、良いお兄さんとなってくれそうな人です。

今年度の目標をお伺いすると「まずは早く自分の思い描くスペースを始めたい」と、もどかしい気持ちを語ってくれました。

「今まで夜型の暮らしだったのが逆転して、身体がまだ慣れないですね。21:00の防災無線でスイッチが入っちゃうような。早く夜営業はじめたいですね」。

確かに、早く夜営業を始めてほしいですね。

活動に共感してくれて、一緒に空間づくりをしてくれる仲間も募集しているとのこと。

「1つスタートしたら、他にやりたいことがどんどん出てきそう。そういう時に、1人でも2人でも、一緒につくっていける相棒がほしいです」と、今後のますますの活躍も予感させてくれました。

これまで町にあまりなかった、「スポーツ交流拠点」「ファーストフード」「お酒を楽しめる場所」という3本柱で、志津川市街地のさらなる活性化を図る井原さん。町に暮らす老若男女、たくさんの人たちにとって喜ばれる空間になりそうです。

夏場は様々なイベントにたこ焼き屋さんとして出店予定だそうですので、まずは絶品たこ焼きを味わってみてください。

共感してくれた方は、ぜひ一緒に空間づくりを。みんなで楽しい町をつくっていきましょう。

人情味溢れる店主の生きがい、おおもりの食堂!

今回の取材は荒れ狂う海、震災、大病り患など、何度も死に直面する波乱万丈な人生だが、現在も毎日楽しく生かされていることに感謝していると語る渡辺清吾さん。地元民からも大人気の『おおもり食堂』を切り盛りしています。

東日本大震災で壊滅も、復活を遂げる

遠洋漁業船の乗組員だった渡辺清吾さんは、下船して陸で生きる事を決断した後、自宅の一部を改装し『焼き鳥おおもり』という居酒屋を始めました。軒先に吊るされた真っ赤な提灯が、多くの呑兵衛たちを引き寄せました。

元漁師の見事な包丁さばきによる料理の味ももちろんですが、マスターこと渡辺さんの人柄の良さに惚れたなじみの客で大賑わいでした。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の巨大津波によってマスターの自宅や居酒屋も壊滅的被害を受け、路頭に迷う事になります。避難所や仮設住宅で暮らす中、一時体調を崩し、これからどう生きるかを模索する日々だったと振り返ります。

しかし、たくさんの応援・支援があったおかげで、なんとか一念発起。原野のように変貌してしまった大森町の自宅跡に、バラック小屋を建てて『おおもり食堂』を開店させました。

震災から8ヵ月後の11月、木枯らしが保呂羽山から駆け落ちてくる晩秋の頃です。

それからは、復興工事に携わる方々やボランティアさんの空腹を満たす絶好のランチ店として、連日忙しく営業していましたが、復興事業が進むにつれ退去せざるを得なくなりました。

知人を通じ、食堂に必要な厨房設備(食器を含む)等を買い揃えて、防潮堤の海側である現在の場所に再移転したのが2014年3月。本格的な嵩上げ工事が始まり市街地が消えてゆく三度目の春、少しずつ暖かくなってきた頃だと話してくれました。

かつて「沖の須賀」と呼ばれた砂浜の海岸線、旧志津川町大森海岸には高さ8.7mもの巨大な防潮堤が完成し、新しい街がそれよりも高い位置に整備されています。

その真新しい防潮堤から魚市場方面に下りきったところに、『おおもり食堂』があります。

ホルモン直売・ハンチング帽子工房などと書かれた看板、木彫りのモアイが店先に並んでおり、毎日昼時は駐車場が満杯になるほどの人気店です。

その名の通り、大盛り料理にリピーター続出

では、店内にお邪魔してみましょう!

「オッ、いらっしゃい!!」

ちょっぴりドスの効いた低音ボイスが響き、優しい目で微笑んでいます。

四面全ての壁にマスター直筆の絵画やメッセージ色紙、ハンチング帽子などがびっしり掲げられているので、メニューを探しあぐねてしまいました。

「今日はホルモンとバラ焼きのセットがおいしいよ!」ぼそっと耳打ちしてくれます。

「エッ!これで並っすか?大盛りじゃないの???」

「おおもり食堂だからね。腹いっぱい食ってもらって午後のお仕事頑張ってもらいたいのさ」 豪快に笑うマスターのサービス精神は健在です。

ここで営業するようになってから、ボランティアや出張で町にいらした方々が訪れ、来町するたびに会いに来て下さるリピーターとなっているそうです。

さらには外国からのお客さんには、得意のギターや三味線を演奏し歓迎しています。

「音楽ってのは良いね。言葉が通じなくてもみんなで歌って笑って、楽しいよな!」

この日、東京から訪れた「日本お手玉の会」のマダム達ともすっかり意気投合のマスター。

自分のタブレットを取り出して、皆さんに何やら紹介するようです。

「こいつっしゃ、オレ獲ってきた穴子!!」

「あら~こんなに、凄いわネ~。キレイに捌くのね。今日はないの?」

「知り合いに配ったり、食べてしまってもう無くなったでば。」

どなたとでも会話が弾む気さくなマスターに、惚れてしまう方が続出するのもわかります。

退去せざるを得ない日が近づく中で・・・

皆さんが帰られた後、これからの事を聞いてみました。

「あのさ、たまたまテレビ観ていたらさ、会津若松市で80歳を超えた爺さんがラーメン屋を

開いたって映してたのっしゃ。すごいな~と思ってさ、今度話聞きに行きたいと思っている。」

瞳を輝かせ、ステキな笑顔で前向きな想いを語ってくれました。

見上げた顔を一旦おろし、店内を見渡しながら「実は…」と続けます。

この場所は期限付きの借地で、復興計画の関係でいずれ退去せざるを得ないのだそうです。

「ここを出ても、どこかで再建したいという気持ちはあるけれど、資金や自分の体調を考えると会津の爺さんのようにはなかなか。小森地区の知り合いから、こっちに来て店出したらいいさ!と言われたけど、やはり大森の『おおもり食堂』だからな」

地元に根差し地元を愛し続けるマスターは、お世話になった方々や常連さんと会えなくなるのが辛いと寂しそうに呟きつつも、閉店するまでは一生懸命に営業を続けると力強く宣言しました。

いろんな持病を抱える自称闘病家のマスターですが、毎日たくさんの方と話したり笑ったりと大好きな事をし続けるのが一番の薬なんだろうなと感じた一日でした。