人情味溢れる店主の生きがい、おおもりの食堂!

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今回の取材は荒れ狂う海、震災、大病り患など、何度も死に直面する波乱万丈な人生だが、現在も毎日楽しく生かされていることに感謝していると語る渡辺清吾さん。地元民からも大人気の『おおもり食堂』を切り盛りしています。

東日本大震災で壊滅も、復活を遂げる

遠洋漁業船の乗組員だった渡辺清吾さんは、下船して陸で生きる事を決断した後、自宅の一部を改装し『焼き鳥おおもり』という居酒屋を始めました。軒先に吊るされた真っ赤な提灯が、多くの呑兵衛たちを引き寄せました。

元漁師の見事な包丁さばきによる料理の味ももちろんですが、マスターこと渡辺さんの人柄の良さに惚れたなじみの客で大賑わいでした。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の巨大津波によってマスターの自宅や居酒屋も壊滅的被害を受け、路頭に迷う事になります。避難所や仮設住宅で暮らす中、一時体調を崩し、これからどう生きるかを模索する日々だったと振り返ります。

しかし、たくさんの応援・支援があったおかげで、なんとか一念発起。原野のように変貌してしまった大森町の自宅跡に、バラック小屋を建てて『おおもり食堂』を開店させました。

震災から8ヵ月後の11月、木枯らしが保呂羽山から駆け落ちてくる晩秋の頃です。

それからは、復興工事に携わる方々やボランティアさんの空腹を満たす絶好のランチ店として、連日忙しく営業していましたが、復興事業が進むにつれ退去せざるを得なくなりました。

知人を通じ、食堂に必要な厨房設備(食器を含む)等を買い揃えて、防潮堤の海側である現在の場所に再移転したのが2014年3月。本格的な嵩上げ工事が始まり市街地が消えてゆく三度目の春、少しずつ暖かくなってきた頃だと話してくれました。

かつて「沖の須賀」と呼ばれた砂浜の海岸線、旧志津川町大森海岸には高さ8.7mもの巨大な防潮堤が完成し、新しい街がそれよりも高い位置に整備されています。

その真新しい防潮堤から魚市場方面に下りきったところに、『おおもり食堂』があります。

ホルモン直売・ハンチング帽子工房などと書かれた看板、木彫りのモアイが店先に並んでおり、毎日昼時は駐車場が満杯になるほどの人気店です。

その名の通り、大盛り料理にリピーター続出

では、店内にお邪魔してみましょう!

「オッ、いらっしゃい!!」

ちょっぴりドスの効いた低音ボイスが響き、優しい目で微笑んでいます。

四面全ての壁にマスター直筆の絵画やメッセージ色紙、ハンチング帽子などがびっしり掲げられているので、メニューを探しあぐねてしまいました。

「今日はホルモンとバラ焼きのセットがおいしいよ!」ぼそっと耳打ちしてくれます。

「エッ!これで並っすか?大盛りじゃないの???」

「おおもり食堂だからね。腹いっぱい食ってもらって午後のお仕事頑張ってもらいたいのさ」 豪快に笑うマスターのサービス精神は健在です。

ここで営業するようになってから、ボランティアや出張で町にいらした方々が訪れ、来町するたびに会いに来て下さるリピーターとなっているそうです。

さらには外国からのお客さんには、得意のギターや三味線を演奏し歓迎しています。

「音楽ってのは良いね。言葉が通じなくてもみんなで歌って笑って、楽しいよな!」

この日、東京から訪れた「日本お手玉の会」のマダム達ともすっかり意気投合のマスター。

自分のタブレットを取り出して、皆さんに何やら紹介するようです。

「こいつっしゃ、オレ獲ってきた穴子!!」

「あら~こんなに、凄いわネ~。キレイに捌くのね。今日はないの?」

「知り合いに配ったり、食べてしまってもう無くなったでば。」

どなたとでも会話が弾む気さくなマスターに、惚れてしまう方が続出するのもわかります。

退去せざるを得ない日が近づく中で・・・

皆さんが帰られた後、これからの事を聞いてみました。

「あのさ、たまたまテレビ観ていたらさ、会津若松市で80歳を超えた爺さんがラーメン屋を

開いたって映してたのっしゃ。すごいな~と思ってさ、今度話聞きに行きたいと思っている。」

瞳を輝かせ、ステキな笑顔で前向きな想いを語ってくれました。

見上げた顔を一旦おろし、店内を見渡しながら「実は…」と続けます。

この場所は期限付きの借地で、復興計画の関係でいずれ退去せざるを得ないのだそうです。

「ここを出ても、どこかで再建したいという気持ちはあるけれど、資金や自分の体調を考えると会津の爺さんのようにはなかなか。小森地区の知り合いから、こっちに来て店出したらいいさ!と言われたけど、やはり大森の『おおもり食堂』だからな」

地元に根差し地元を愛し続けるマスターは、お世話になった方々や常連さんと会えなくなるのが辛いと寂しそうに呟きつつも、閉店するまでは一生懸命に営業を続けると力強く宣言しました。

いろんな持病を抱える自称闘病家のマスターですが、毎日たくさんの方と話したり笑ったりと大好きな事をし続けるのが一番の薬なんだろうなと感じた一日でした。

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