「浜のお母さんたち」とこれからも。

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南三陸町に移住し起業活動をおこなう「地域おこし協力隊」隊員を紹介していく連載企画。第4回は、浜のお母さんたちの手づくり缶詰で、水産資源の活用をねらう中村悦子さん。大好きな漁師さんたちに貢献したいと、この町で新たなお土産品の開発に挑戦しています。

水産物を生まれ変わらせる、“地域資源事業化支援員”

町に降った雨は豊かな森や里をめぐり、志津川湾へと流れ込みます。たっぷりと蓄えられた栄養が、世界三大漁場と言われる豊富な海産物の産地を支えています。一部国際認証を取得したカキをはじめとしたホヤ・ホタテ・ワカメなどの養殖物や、“志津川タコ”とも称されるタコや遡上するサケ。

季節に応じて様々な海の幸が水揚げされ、町内の飲食店や宿泊施設で楽しまれ、また家庭やお土産でも重宝されています。

一方で、やはり素材が良いため生食に向いており、提供方法がどうしても海鮮丼や寿司等に偏りがちであったり、常温保存できる状態でお土産として持ち帰れる加工品のバリエーションが少なかったこと、また同様の生産物をもつ近隣市町村との差別化が、町の課題のひとつとも言えます。

そんな中、東日本大震災後に大手飲料メーカーの支援を受け、漁協の女性部、いわゆる“浜のお母さんたち”によって立ち上げられたのが「おふくろの味研究会」。

市場の目の前に加工場がある

「魚市場キッチン」の屋号のもと、町の海産物を手作りで加工した缶詰の製造販売をおこなうこの団体で、事務局を務めているのが中村悦子さんです。

取り扱う海産物は様々で、町の特産品のタコや、カキ・ホヤ・ムール貝など。それぞれを、ニンニクとオリーブオイルで調味したアヒージョや、しょうゆ麹煮・水煮・トマトソース煮など、これまで無かった新しいバリエーションで展開しています。

「そのままおつまみとしても食べられるし、ちょっとしたアレンジで料理にも使えるのが特徴です」と中村さんは話します。

食材は、海産物はもちろん、ニンニクや青トウガラシなどの調味食材まで、なるべく地元産・県内産のものを使うよう強くこだわっています。しょうゆ麹も、メンバーのお母さんの手づくりだそう。

中村さんは主に、事務局としての営業・事務・経理・広報・納品・発送・取材対応・イベント対応などなど、ほとんど全ての仕事を担当。

「お母さんたちが試食を重ね考案した美味しい缶詰を、なるべく多くの方に手に取ってもらうよう頑張るのが私の仕事です」と、製造を主に担当する5人のお母さんたちと、力を合わせ邁進しています。

特に得意なのが営業だそう。

「色々な場所で取り扱ってもらえていて、町内外問わずたくさんの人が手に取ってくれることはとてもうれしいです。取り扱ってくれるというのには、南三陸や東北を応援しようという気持ちも大きいと思うので、ありがたく思います」と、自分たちのやっていることが多くの人に認められていることに、喜びを感じると語ってくれました。

町内でもさんさん商店街やみなみな屋など、いくつかの場所で目にすることができます。県外では東京のアンテナショップや、大手百貨店でも取り扱い実績があります。

また、イベント出店でも引っ張りだこ。ゴールデンウィークにはさんさん商店街で店頭販売をおこなったり、JAの朝市・登米のマラソン大会など、全国各地を飛び回り、作り手のお母さんたちと共に販売をおこなっています。

週2~3回の製造に、営業・納品・発送と、日々缶詰を作っては売って、のめまぐるしい毎日。

これまでの経験上、食品や販売の仕事は未経験だったため、試行錯誤の2年半でした。

漁師さんたちとの出会いをきっかけに

中村さんは神奈川県藤沢市の出身。以前旅行で来たことがある程度で、東北には全くゆかりのない暮らしでした。

元々海産物を食べるのは好きだったそうですが、水産系や飲食系の職歴は全くなし。そんな中村さんを移住に駆り立てたのは、漁師さんたちとの出会いでした。

震災当時は入院中で、テレビで震災の映像を1日中見るという病室での生活でした。「元気になったら東北で何かお手伝いをしたい」という想いから、知人の誘いで初めて東北へ。ガレキ撤去などのボランティアを経験しました。

南三陸へ訪れたのは数回目のボランティアでのこと。漁業のお手伝いで出会った漁師さんに強く心を打たれました。

「ボランティア中の漁師さんたちのおもてなしや、人に対するまっすぐさ、仕事にかける熱い気持ちに心を打たれ、あまりにも良い人たちだったので大好きになってしまったのです。」

それからは仕事をつづけながらも、月1回程度の頻度で南三陸に来はじめました。日々の仕事に疲れる中、週末に町を訪れるたび癒しを感じ、3回目の来町の時にはすでに「移住をしたい」という想いが膨らんできます。

偶然にも、利用していたボランティア団体の紹介で住宅を見つけ、「とりあえず来ちゃおうかな」という軽い気持ちで移住を決意。

すぐに仕事をやめ、翌日からは教習所に通い始め、免許を取った翌日には引越しを済ませました。現在の仕事でも発揮されている行動力が、中村さんの最大の長所です。

「移住に対する迷いは全くなくて、唯一不安だったのは車の運転だけでしたね」と、本当に気軽に、生活をがらっと変えてしまったようです。

大好きな漁師さんたちに貢献したい、という強い想いから、浜の仕事のお手伝いに通う日々の中、ある日「南三陸おふくろの味研究会」会長の小山れえ子さんと知り合い、事務局の仕事を紹介されました。

かくして、2016年5月、地域おこし協力隊に着任。町の海産物を販売することで、お世話になった漁師さんたちに貢献する仕事に就きました。

町にすっかり溶け込み、大好きな町でこれからも

移住をしてわずか3年。すっかり町のくらしにも慣れ、友人もたくさんできたと言い、協力隊員たちの中でも、最も町に溶け込んでいる人の1人でしょう。

「最近、ミヤマクワガタが家の前に飛んできてビックリしたんです。」

町の自然の雄大さに感動することもしばしば。化石を掘りに行ったり、釣りに行ったり、アクティブな日常を過ごしています。

「子どもの頃から自然が好きだったけど、あらためてこの町の自然は素晴らしくて、満喫しています。」

実は南三陸に来る前はフランスに行ってワインの仕事をしたいと思っていたほどのワイン好き。休日には定期的に友人たちと集まって、ワインを飲む会も開催。また日々の中でも、町のおいしい食材を使ったいろいろなおつまみを手作りしては、ワインと合わせて楽しむことを謳歌しているそう。

秋ごろからは英会話をはじめ、ワインを飲みに海外に行くのはもちろん、町を訪れる海外の方々に町の魅力を伝えることでも活躍したいと言います。

「同じ協力隊員の取り組む“南三陸ワインプロジェクト”のワインやワイナリーができるのがとても楽しみ。町のワインと魚市場キッチンの缶詰のコラボレーションを、いつか実現させたいですね。」

昔から変わらぬワイン好きと、ボランティア時代の恩義を経た海の人たちへの感謝。これらが、海産物を新たな加工品へと生まれ変わらせ販売する、中村さんの取り組みの大きな原動力でした。

「今年度で協力隊の任期は修了ですが、来年以降もこの町に住み続け、美味しい海産物を食べて、ワインを飲んで、大好きな町の人たちと笑って楽しく過ごしたいです」と輝く海を眺め語ってくれました。

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