持続可能なまちを目指す南三陸町で、新たなごみの資源化実験開始。

東日本大震災で壊滅的被害を被った南三陸町は「持続可能な地域社会」に取り組んでいます。住民が提案した「森里海ひと いのちめぐるまち 南三陸」の実現化に向けた一手!環境(ごみ課題)とコミュニティ(住民交流)の実証実験が始まりました。

背景1 かさむ南三陸町のごみ処分費用

2015年に運用が開始した南三陸BIOでは、可燃ごみとして出していた生ごみを分別して収集を実施。集まった生ごみやし尿汚泥などをメタン発酵させることによって、エネルギーと液体肥料にする取り組みが続けられている南三陸町。ごみの資源化の動きはさらに強まり、10月より新たなごみの分別に関わる実証実験が志津川地区でスタートしました。

それが「MEGURU STATION」(めぐるステーション)。志津川東復興公営住宅一角の敷地を利用して二ヶ月間、実験が行われています。

今回の実証実験は、燃えるごみを5種類分別していただき、資源として循環利用できるものを町民の皆様自らお持ち込みいただくシステムです。同時に、利用された方には『感謝ポイント』を付与して一服したり、趣味のコーナーを併設して楽しんでいただけるよう様々な機会を作ります。

燃えるごみの新たな細分化は下記のとおりです。

◎プラスチック類(お菓子の袋、飲料のラベル等プラと表示があるモノ)
◎紙くず(鼻をかんだティッシュ・丸めた紙)、木くず、布くずなど細かいモノ
◎草木(庭で剪定した枝も)
◎廃食用油(使い終わった天ぷら油など=固めないで)
◎資源ごみ(新聞紙、チラシ、雑誌、段ボール、ビン、缶、ペットボトル、白いトレーなど16品目)

そんなに細かく分別するのは面倒くさいと思われがちですが、一度やってみるとこれがちょっと病みつきになるほど楽しいものです。

背景にあるのは、かさむごみ処分費用

こうした事業開始の背景には次のような理由があります。

1つ目は、ごみ処分費用がかさんでいること。南三陸には稼働している焼却場がありません。可燃ごみは隣町まで持っていき、処分を委託している現状があります。

しかし、運送費を含めたごみ処分費用がどのくらい財政を圧迫しているのかはあまり知られていないのではないでしょうか。平成30年度における南三陸町の一般会計予算をみると、ごみ処理関連費用は約3億3千万円となっており、医療・介護・福祉関連費用と比較しても決して少ない額ではありません。

2030年(今から12年後)になると、南三陸町の人口は約8,000人程度、高齢化率は44%を超えるとの予測も公表されています。となると、税収が減るうえに社会保障費への予算増額が必要になり、財政全体がひっ迫するのは誰の目にも明らかです。

ごみを資源に変える!

一口で資源ごみと言っても、使い道はさまざまです。例えば、缶やビン、ペットボトル・新聞紙などはリサイクルとして活用されるのはご存知でしょうが、これまで燃えるごみの袋に当たり前のように入れていたお菓子の袋や弁当トレー、ラベルなどのプラスチック類も固形燃料又はセメントに、雑誌や雑布等はセメントに、庭木・竹・草などは堆肥などに生まれ変わります。もはや紙くずや鼻をかんだティッシュペーパーくらいしか燃やせるごみの袋に入るのはないくらいです。

先進的な自治体はリサイクル率80%を達成していますが、南三陸町では16.1%(平成27年度)なのだそうです。全国平均をも下回っていますので、まだまだリサイクル率を伸ばすことができるはずです。

住民間のコミュニティの場としても機能

こうして10月より始まった実証実験は予想以上の盛り上がりを見せています。

ごみを出しに来た住民が出会い、お茶っこしたり、焼き芋を食べたり、とコミュニティの場として大きな役割を果たしている光景が頻繁に見られます。

また、めぐるステーションでは協力していただいた住民の方に「感謝ポイント」を付与しています。登録した方がステーションにやって来てカードを端末にかざすと50ポイントを付与。隣接する薪ストーブの薪割りを手伝ったら30ポイントなどもあります。

また、たまったポイントは50pで結の里の「えんがわカフェ」でコーヒーやお茶に使えます。その他、200pをあさひ幼稚園にクリスマスツリーを贈る活動に換えたり、300pで液肥で作ったお米(めぐりん米=入谷産)に換えたりもできます。

住民が主体的に分別に協力して、たまったポイントを使用することによって地域貢献につながります。ごみ分別から始まる「森里海ひといのちめぐるまち」の新たな挑戦。今後の動向が楽しみですね。

実習地への想いが重なり合う場に。大正大生が東京で物産展を開催!

2018年10月12日~13日、大正大学地域創生学部2年生主催の「ボクラの第2のふるさと展in丸の内」が開催されました。場所は、JR東京駅前にあるKITTE地下1階。南三陸町の商品も販売され、訪れたたくさんの方々の手に渡りました。

6月からの準備の末、並んだ商品に感動

「海のイメージが強い南三陸ですが、山もあるというメッセージがこの商品には込められているんですよ!」
「へ~そうなんですね!そんな想いも込められていたんですね」

商品のストーリーや込められた想いを丹念に説明する学生。その商品の背景を知り、関心を寄せるお客さん。単なるモノのやり取りではない光景が繰り広げられていた物産展。

KITTE地下1階で開催された大正大学地域創生学部2年生主催の「ボクラの第2のふるさと展in丸の内」です。開催のきっかけは、学生たちが1年時に行った、全国12地域での40日間の地域実習。そこでお世話になった地域の魅力と想いを発信するために、各地域の特産品を学生自らが厳選し、販売を行いました。

企画、商品の仕入れ、会場のレイアウト、当日の運営など、全てを学生が行いました。このイベントの中心となっているフェア班は、約30人のメンバーで6月から準備を行っていたそうです。フェア班に所属する学生からは、「このようなイベントに関する知識が何もなく、悩むときも不安になるときもありましたが、当日きちんと商品が並んでいることに感動です!」という声がありました。

南三陸町ブースに並ぶ商品

物販のブースを彩るものの一つに、学生手作りの町紹介ポップがあります。商品を魅力的に伝えるために、言葉や配色が気遣われていました。

ポスターやハッピも町から届き、会場を盛り上げました!

地元の人の想いとともに、商品を届けたい!

「今回はリベンジです!」と語ったのは、高原美優(たかはらみゆう)さん。

大学内で同様のイベントを開催したときは、商品の説明があまりできなかったといいます。南三陸町のことを知っている、商品のことも知っている、しかしいざ言葉にして誰かに伝えようと思うと、言葉に詰まり、伝えることの難しさを痛感したそうです。

この経験から、今回のイベントでは「自分の大好きなまちと、そこで作られる商品を、きちんと説明できるようにすること」を意識しました。

意気込み通り、堂々と商品の説明をしており、ただ商品の説明をするだけではなく、その商品を作った背景や作った方の想いも伝えるなどの工夫もしていました。

実習中は同じチームとして活動を共にした那須彩乃さん(左)と高原美優さん(右)

高原さんは今まで、南三陸町には何かを学ぶために訪れていました。しかし、たまには遊びで南三陸町を訪れ、自由な時間を過ごしたいと思っているそうです。そこで、今年度中に南三陸町に遊びに行き、来年再び迎える40日間の地域実習に備えたいと言います。

「おかえりと言ってくれて、相談に乗ってくれて、背中を押してくれる、第2の家族のような存在の方々がいる。第2のふるさとで、来年の実習でやりたいことを探す!」と笑顔で語ってくれました。

南三陸町と人を繋ぎたい!

「南三陸町には、どの地域にも負けないくらいの魅力がたくさんあります。私は南三陸町が大好きだからこそ、この魅力を少しでも多くの人に伝えたいです!」と、南三陸町への愛情が溢れる相根未来(さがねみく)さん。

この物産展を通して、南三陸町を知る、南三陸町に足を運びたいと思うきっかけになってほしい、と言います。相根さんの言葉を借りれば、この物産展は、人と南三陸町をつなぐパイプラインのようなものです。

「南三陸町には、森、里、海、ひとなどの資源がたくさんあり、足を運べば、できることはたくさんあります。だからこそ、人と町、人と人を繋ぐようなことができたらいいなと思っています」。

自身のこの言葉を実行すべく、相根さんは地域実習後に東北を訪れた際には、おばあちゃんとお母さんを南三陸町へ連れていき、南三陸町と家族を繋ぎました。来年の地域実習では、「南三陸町に足を運ぶまでの手助け」について考えていきたいそうです。

たくさんの思いや学びが詰まった物産展

南三陸が好き――。という共通の想いが、この場所にはありました。

そこに、「地域の魅力を伝えたい」「つながりを作るチャンスになる」「地域実習でお世話になった方々へ恩返しができる」「東京でも地方創生ができることを実感した」など、さらなる想いが重なり合った物産展。それぞれの想いを胸に自分の実習地の良さをアピールし、それを受け止めるお客さんの姿が印象的でした。

フェア班の学生は、「来年後輩たちがこの物産展を開催するときに、スムーズに進めることができるように、報告書をしっかり書いて引き継ぎたいです」と、今後の意気込みもばっちりです。

来年、この学生たちが3年生になって南三陸町に戻ってくるころは、どんな思いを持っているか、楽しみです!

 

2018年10月31日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

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自由に表現しよう! 東京の学生がアートワークショップを実施。

2018年8月30日~9月10日に、南三陸町の幼稚園や学童保育、社会福祉施設などで、東京の学生たちがアートワークショップを実施しました。どんな活動が行われたのでしょうか? リーダーの松尾美沙さんに話を聞きました。

惑星、宇宙船、UFO…。あさひ幼稚園に宇宙空間が誕生!

暗くなったホールで、糸で吊るした作品を懐中電灯で照らして楽しむ子どもたち

「このワークショップでは、『宇宙には何があるか知ってる?』という問いかけから始め、子どもたちに自由な発想で自分が作りたいものを作ってもらえるように心がけました」と松尾さん。宇宙をテーマにしたのは、「企画・サポートする側の私たちも見たことがないものだったから」とのこと。「子どもたちに自由に発想してもらうには、私たちも固定観念・既成概念にとらわれてはいけないと思ったのです」と話します。

「最初は見本通りに作ろうとする子どもたちが多かったのですが、工夫を促すちょっとした声かけや、自由にやっていいよ、ゆっくりマイペースでいいよという雰囲気づくりによって、次第に子どもたちものびのびと作品作りに取り組むようになり、うれしく思いました」。子どもたちの変化を目の当たりにし、松尾さんの心に残るワークショップになりました。

「何を作ろうかなぁ」。用意されたさまざまな材料を吟味する子どもたち
松尾さんらの声かけによって、子どもたちの発想は次第に豊かになっていった
思い思いに作品を作る子どもたちと、それを見守りサポートする大学生
鑑賞タイムにはユニークな宇宙空間を楽しんだ

多くの人にアートの楽しさを伝えたい! その想いが原動力。

松尾さんはもともと、東北沿岸部にはよく足を運んでいました。南三陸との関係を深めるきっかけになったのは、大学の卒業制作で使う被災木を南三陸から取り寄せたこと。そのときお世話になった南三陸研修センターの阿部忠義さんに声をかけてもらい、2018年3月に「アーティストインレジデンスプログラム」で南三陸に滞在し、仲間の学生8人と一緒に町内10か所でアートワークショップを行いました。2回目となる今回は8か所で実施。2回続けて行ったところもあります。

伊里前保育所で行った「とうめいお絵かき」では、透明のシートにクレヨンで絵を描いた
透明シートの下に色画用紙を入れると、また違った見え方に。子どもたちはカラーセロファンにも興味津々

ワークショップはすべて内容が異なります。まず訪問先でヒアリングを行い、どんなワークショップがよいかを検討。ひとりの学生が中心になって企画を考え、当日の運営は全員で協力して行います。終わった後は振り返りをして、また次のワークショップの準備に取りかかる…。滞在中は大忙しです。

歌津学童では「夢のドリームハウス」と題して段ボールの家を制作。写真は、友達が作った段ボールハウスをみんなで鑑賞している様子
志津川保育所では「ストロービーズでなにしてあそぶ?」というワークショップを実施。たくさんのストローにテンションが上がる子どもたち

最後の2日間には、南三陸さんさん商店街の「NEWS STAND SATAKE」で、「こ~んなこどもたちとであえたよ。展」と題した展覧会を行いました。「町の人たちに伝えたい」と、ワークショップ中の写真や完成した作品を店内に展示し、活動の様子を紹介。ワークショップに参加した子どもたちやその家族の人たちが見に来てくれました。

「NEWS STAND SATAKE」の壁にはカラフルな写真や作品が飾られた
展示会では「ゆらゆらモビールづくり」のワークショップも同時開催。色とりどりの作品が生まれた

「アートワークショップを2回行って、幼稚園の先生方が日々の活動にアートを取り入れるようになられたりと、手ごたえを感じています。町全体で展開する活動だったので、おもしろかったし達成感も大きいですね。来年春から教員になるので、今後の活動は私が関わっている『NPO法人こどもアート企画motto』に引き継ぐつもりです。そしていつか、自分の生徒を南三陸に連れてきて活動したいです…!」と話す松尾さん。

南三陸が少しずつアートな町になっていくかも…? そう考えると、何だかわくわくしますね。

「反省することも多々ありますが、南三陸のみなさんに支えられて、最高の活動になりました」と振り返る松尾さん

 

志津川湾って、すごい!シリーズvol.6「サケがこんなにやってくるのか」

シリーズも6回目に突入し、季節も夏から秋に…。秋と言えば芸術?読書?スポーツ?いや食欲の秋!?今回は食欲の秋ということで志津川湾にやってくる美味しいサケについて説明したいと思う。

サケの種類について

日本では一般的にサケと言えばシロザケのことを指す。

日本で最も多く流通していて、日本人には一番馴染みのあるサケだ。スーパーなどで、販売されている商品で新巻、塩鮭、缶詰、スジコなど、おなじみの製品に使われている。南三陸町の人々にとってもとても身近な魚だ。

学術的にサケと言えばサケ属の魚を指す。

シロザケ・ベニザケ・ギンザケ・カラフトマス・サクラマス・マスノスケ・ニジマスの7種(サケ属)が代表的な種類だが、近年輸入されているサルモ属のタイセイヨウサケもサケとしている。

そもそもサケと言ったりマスと言ったり同じ仲間じゃないのか?と疑問に思わる方もいるのではないだろうか?呼び方の違いについては、サケは一生を淡水で生活するものと、一生のある時期に海で生活をおくるものとに分けられるのだが。英語では、淡水生活をおくるものをトラウトtrout(日本語訳はマス)、海に降りるものをサーモンsalmon(日本語訳はサケ)と呼び区別する。日本語でも、サケ属の中で降海する種にはサケを、サケ科の中で淡水生活をおくる種にはマスと付けた名称が使われている。
サケ、マスの名称はきわめてあいまいに用いられており、現在でも、厳密に区別されているとは言い難い状況にある。英語でも、サケ、マスの区別のあいまいさは存在している。サケ、マスは厳密に区別されていないのが実情であるが、結局のところ呼び方が違っていても同じサケの仲間という点では変わりないということだ。

南三陸で親しまれているギンザケとシロザケ

そのサケの種類のなかでも、南三陸町で親しまれているのはギンザケとシロザケである。

まずはギンザケについて簡単に説明すると、分類:サケ科サケ亜科サケ属、学名:Oncorhynchus Kisutch(Walbaum)、英名:Coho salmonと言う。体は一様に銀白色で、尾びれのつけ根がほかのサケより太いのが特徴だ。天然のギンザケは北アメリカの太平洋側に広く分布していて日本の河川ではあまり見られず、アメリカ人には釣りの対象魚として知られている。

南三陸町ではリアス式の良湾を活かして養殖が盛んに行われており、焼いて塩焼きやバター焼き、生で刺し身、揚げてフライにするなど、とても応用範囲が広い食材として人気がある。ギンザケの養殖ついてはvol.4でもふれていて、くどくなるが改めて。志津川湾はギンザケ養殖の発祥の地で、水揚げが日本一の場所なのだ!

非常に厳しいサケの一生

そしてこの時期にサケをテーマにするのは、シロザケが志津川湾に帰ってくる時期だからだ。

シロザケのことを詳しく説明しよう。

シロザケはサケ科サケ亜科サケ属の魚で、学名を:Oncorhynchus keta(Walbaum)、英名:chum salmon 、dog salmonと言う。体長約1mで、体側や尾びれに黒色点がほとんどなく、腹は銀白色をしている。

産卵期の雄は、上顎の突端が極端に下方に曲がるという大きな特徴があり、いわゆる「鼻曲がりザケ」になる。川に戻る直前の銀色に輝いているものをギンケというのだが、川を遡上していくうちに変わるのをブナケするという。

この産卵だが、彼らは母川回帰といって、生まれてから4〜5年間北太平洋で回遊して豊富なエサを食べ大きくなってから、産卵をしに生まれた川に戻ってくる。自然に生まれて自然に帰ってくる天然サケの回帰率は0.1〜0.5%と非常に低く、厳しい人生いやサケ生を送っている。

この回遊し回帰してくるという彼らの生態を活かして、南三陸町ではシロサケの孵化(ふか)放流事業をおこなっている。川に遡上してきたサケを捕まえて卵をとり、施設にて孵化させて放流し、帰ってくるサケを漁獲するという事業だ。孵化放流をおこなうと湾まで戻ってくる回帰率が4%にもなって漁獲が上がる。南三陸町は宮城県内でも有数のシロザケの生産地で、震災以前は県内1位の水揚げ量だった。

統計を見ると、ギンザケを除くサケ類は、震災前の平成20年度は3394.1tで12億9百万の水揚げ、平成21年度は3722.6tで9億77百万の水揚げがあり宮城県内1位の水揚げ量だった。この頃は放流数も1243万6千尾、1114万9千尾と非常に多かった。

この放流だが、震災の影響で平成24年度の放流数が273万6千尾に減ってしまったので、回帰してくる4 年後の平成28年度の水揚げは668tで4億24百万円となってしまっている。しかし、この放流数も平成28年度には957万1千尾と増えてきているので、今後の回帰数・水揚げ量回復を期待したいものだ。

ともあれ、こんなにもシロザケが帰ってくる湾が自分たちの目の前にある。すごいことだと思わないか。志津川湾ってすごい!

南三陸・海のビジターセンターには鮭の一生を体感できるゲームもある

払川地区で藍染体験。藍の可能性、藍染のおもしろさに感動!

町内の休耕地で藍を栽培し、南三陸ならではの素材や手仕事をつなげる活動している「藍監査室」。南三陸で育てた藍と地元の素材を使って藍染製品を作るほか、藍染体験も実施しています。体験の様子をレポートします!

手ぬぐいの藍染に挑戦。色の変化、模様の出方にビックリ!

みなさん、こんにちは!「南三陸なう」ライターの小島まき子です。町内で栽培された藍で藍染体験ができると聞いて、山間の払川地区にやって来ました。藍染を体験するのは初めてなので、うまく染められるのかちょっと心配…。

払川地区の古民家に到着すると、「藍監査室」の代表である中村未來さんが出迎えてくれました。藍染体験では手ぬぐいを絞り染めにします。まずは見本を見せてもらい、色々な模様の作り方を教えてもらいました。「液体が入らなかったところが白く残ります。手ぬぐいの一部をつまんで輪ゴムで縛るほか、中にビー玉を入れたり、洗濯バサミで挟んだり…」。さまざま方法があってビックリしました。「予想外の模様ができるのが、絞り染めのおもしろいところですね」と中村さん。私はビー玉と洗濯バサミを多用してみました!

中村未來さん(左)に模様の作り方を教わる筆者(右)
こんな感じになりました! どんな模様ができるのか楽しみ…。

次は手ぬぐいを染料に浸す工程です。エプロンとビニール手袋を装着して外に移動。藍の葉を煮出して作った染料液が用意されていました。

染料液はまさに藍色! 手ぬぐいは先に水に浸しておく
染料液の温度をチェック。40~45度が適温だとのこと
これが藍の葉。水に入れて沸騰させるのを4回繰り返して染料液を作る

いよいよ手ぬぐいを染料液に投入! 手ぬぐいの水を軽く絞って、静かに染料液の中へ…。5分間浸します。

染料液が全体に行き渡るよう、手ぬぐいをできるだけ広げながら入れていく
5分経ったら引き上げ、軽く絞り、なるべく広げて空気にさらす。藍の成分が空気に触れると化学変化を起こし青色になる

染料液に5分間浸し、引き上げて空気にさらすという作業を、3回繰り返します。次第に青色が濃くなっていくのを実感…。そして、手ぬぐいから輪ゴムや洗濯バサミを外し、竿に広げます。

どんな風に染まったのかドキドキしながら洗濯バサミを外していく筆者

仕上げに水洗いをします。長靴を履いて、近くを流れる小川へ。水がひんやり気持ちいい♪

ごしごし洗って染料を落としていく
きれいな藍色に大満足! 模様もまずます?

水洗いが終わったら、水気を絞って乾かします。世界で1枚、自分だけのオリジナル藍染手ぬぐいが完成しました!

右側が筆者の手ぬぐい。創作意欲が刺激され、色々な模様や藍色を試したくなった

さまざまな可能性を秘めた藍で、地域をつなげたい…!

中村さんが南三陸町で藍の栽培を始めたのは2015年春のこと。でも、なぜ藍だったのでしょう…? 「藍はいろいろな素材を染めることができます。たとえば、震災後に牧場ができて羊毛が取れるので、そういった南三陸らしい素材を南三陸産の藍で染めれば、手作り品の差別化にもなります。そして町内には手仕事が得意な作り手さんもたくさんいるので、藍によって、素材や手仕事、そして人をつなげたいと思ったのです」と中村さんは話します。

2012年に南三陸町に移住し、藍の栽培と商品開発に取り組む中村さん

おもに本やインターネットで一から藍について研究し、試行錯誤を繰り返しながら藍染製品を作っていきました。「2017年秋に、ようやく町内のショップで藍染の手ぬぐいを販売することができました」と中村さん。2018年に入り、藍染体験も始めました。

藍で染めた毛糸はやさしい色合いが魅力
町内にある牧場「さとうみファーム」の羊毛を藍で染めて作ったブローチやヘアピン

「今後は、藍染を継続しつつ、食にも展開していきたいと思っています。藍には解毒作用があり、漢方にも使われます。まずは藍のお茶を商品化できたら…。ゆくゆくは藍料理を提供したいですね。藍は天ぷらやサラダにするとおいしいんですよ!」と中村さんは笑顔に。藍が食べられるとは驚きです…! 試しに藍のお茶を飲ませてもらいましたが、すっきりした味わいで飲みやすく、おいしかったです。

「これまで南三陸になかった藍を育てることで、地域のみなさんが興味を持ってくれるなど、少しずつ手ごたえも感じています。『藍を通して地域をつなぐ』という目標を実現させるため、藍と地域の可能性をさらに探っていきます!」と中村さんは意気込みを語りました。

おもしろいだけでなく、さまざまな要素が詰まった南三陸での藍染体験。みなさんもやってみませんか?

藍の栽培~収穫は、ボランティア(おでって)さんにもサポートしてもらっている

志津川湾って、すごい!シリーズvol.5「ラムサール条約登録湿地になるんだって?」

いよいよラムサール条約登録を目前に控えた、志津川湾。そもそもラムサールってなんなのさ?と思ったそこのあなた。今回はラムサール条約についてお話ししよう。

ラムサール条約って、何?

小学校の社会の時間や、テレビのニュースで聞いたことがある人が多いと思う。ラムサール条約は1971年2月2日にイランの都市ラムサールで開催された国際会議において採択された条約で、正式名称は…

「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」

採択された地名にちなんで「ラムサール条約」と呼ばれ、その目的は破壊されやすい湿地の保全だ。

なるほど、水鳥のために湿地を守る条約なのかと思ったそこのあなた。水鳥だけのためのものではないのだよ。湿地という言葉が含む環境は実は幅が広く、湿原・干潟・田んぼをはじめとして、川・湖・湧き水・ため池・水路、さらには海辺のマングローブ林、海中の浅瀬の海藻が生い茂る藻場、サンゴ礁までも「湿地」に含まれている。私たちは田んぼからお米を、藻場や干潟からは海産物を、川や湧き水などからは生活に欠かせない水を得ているし、海水浴や散策など遊びや憩いの場としても利用している。湿地が健全な状態であることは私たちの生活の支えになっているんだ。つまり、私たちのための条約でもあるということだ。

ラムサール条約は、「保全・再生」、「賢明な利用」、これらを促進するための「交流・学習」、この3つの行動や考えを柱に、湿地の保全に取り組んでいくことになる。

どうして志津川湾が登録されるの?

みなさんご存知の通り、志津川湾は寒い海に生育するマコンブと、暖かい海に生育するアラメが共存する代表的な藻場として、日本の中で貴重な場所となっている。また、冬に多くの海鳥たちが越冬のために志津川湾へやってくるのだが、この中には絶滅危惧種で国の天然記念物にも指定されているコクガンという貴重な鳥も含まれる。これらのことから条約に関わる9つの国際基準のうち、志津川湾は5つの基準を満たしている。これに加え、2015年に三陸復興国立公園に指定されて自然公園法で守られることとなった。

豊かな自然環境と、自然公園法による保護・保全があって登録へと向かっているのだ。

登録されるとどうなるの?

国際的に重要な湿地として発信され、注目されるんだ。特に志津川湾は日本国内では初めての海の藻場での登録になる。注目されるということはそこでの「賢明な利用」による生産物のアピールにも繋がる。

例えば、大崎市では国内有数のマガンの越冬地、蕪栗沼とその周辺の水田が条約湿地となっている。ここでは冬にも水田に水をはっておく冬水田んぼがある。冬の間も水をはっておくことにより、雑草が減る効果があると同時にマガンたちが休憩場所として利用する。そこで作られた無農薬・無化学肥料で作られた「冬水田んぼ米」を、マガンをはじめとする渡り鳥と人間との共生をアピールする特産品として売り出している。これにならった利用をみんなで考えていこう。

一方で注目されるということは、その湿地を保全・再生していかなくてはならないんだ。保全しながら、賢明に利用していく。その結果、私たちは自然からの恵みを受け取ることができるんだ。いま流行りの言葉で言えば「持続可能な利用」にもつながる。

志津川湾がラムサール条約登録湿地になるということは…

志津川湾がラムサール条約登録湿地になる。ということは、私たちは志津川湾をより一層、大切にしていかなければいけないね。大切にするということは全く触れない、利用しないことではない。上手に利用していくことだ。多くの生き物が生息・生育できて健全な生態系があって、初めて私たちが水産物や農産物を得ることができる。

海は人間が管理・コントロールしているものではなく、海を利用する全ての生き物が互いに影響しあい、その結果が反映されるものなのだ。いま一度、私たちと海との関わりを考える機会なのだ。

第二回南三陸ビーチアルティメット大会、盛況のうちに終了!

2018年9月9日(日)、サンオーレそではまで「南三陸ビーチアルティメット大会」が行われました。昨年に続き2回目の開催。県外からの参加も多く、15チーム・総勢約190名が集まりました。大会の様子をレポートします!

走って、跳んで、ダイブして…。雨にも負けず、気合のプレー!

朝9時30分。あいにくの雨模様の中、「南三陸ビーチアルティメット大会」の第1試合が始まりました! 今回参加するのは、地元・南三陸町の「HOYaaaaaaaZ」を含め東北から11チーム、関東から4チームの全15チーム。トーナメント戦で1位から15位までを決定します。砂浜に設けられた縦50メートル・横18メートルのコート3面で、気合の入ったプレーがくり広げられました。

 

(写真提供:南三陸ビーチアルティメット実行委員会)
(写真提供:南三陸ビーチアルティメット実行委員会)
ビーチならではのダイナミックなプレーが飛び出した(写真提供:南三陸ビーチアルティメット実行委員会)

 

「ビーチアルティメット」って? なぜ南三陸で大会が?

ところで、そもそも「ビーチアルティメット」ってどんなスポーツか知っていますか…? 「アルティメット」とは、フライングディスク(いわゆるフリスビー)を投げてパスでつなぎ、相手チームのディフェンスをかわしながら相手陣内のエンドゾーンまで運ぶ競技。1960年代後半にアメリカで誕生し、世界大会も行われています。それを砂浜で行うのが「ビーチアルティメット」です。

南三陸ビーチアルティメット大会記念にオリジナルのミニディスクを作成した

試合形式は大会ごとに決め、ポイント制や時間制などで行われます。競技では選手同士の接触が禁止されており、審判を置かずに選手たちがセルフジャッジを行うなど、フェアプレーを重視したルールになっているのが特徴。南三陸ビーチアルティメット大会は、男女混合の1チーム5人で、1試合30分の時間制で行われました。

エンドゾーン内で味方からパスされたディスクをキャッチすると得点になる

ビーチアルティメットを南三陸にもたらしたのは、大会の実行委員長を務める宮岡茜さん(神奈川県出身)。高校生のときにアルティメットと出会い、大学時代には大会運営も担っていました。2017年春に、ボランティアで訪れていた南三陸町に移住。町内でアルティメットを始めると参加者が増えていき、2017年夏に「第一回南三陸ビーチアルティメット大会」の開催が実現しました。

「このビーチアルティメット大会は東北で唯一です。今年は昨年よりさらに参加者が増え、町も後援してくれました。ビーチアルティメットというスポーツを地元の人に知ってもらうとともに、ビーチアルティメットをきっかけに多くの人に南三陸のことを知ってもらいたいと思っています」と宮岡さん。ゆくゆくは「南三陸をビーチアルティメットのメッカにしたいです!」と意気込みます。

宮岡さんは実行委員長として大会運営をしつつ、自身も選手として参加した(写真提供:南三陸ビーチアルティメット実行委員会)

来年も南三陸でビーチアルティメット大会を…!

さて、決勝戦が終了し、結果が出ました。優勝は、東京と秋田から参加した「スカラッパラガース」! 大会実行委員も入っている南三陸の「HOYaaaaaaaZ」は、残念ながら最下位でしたが、互いに健闘をたたえ合いました。

去年に引き続き出場した「東北大学ALBATROSS」のみなさんに話を聞いたところ、「アルティメットは基本的に芝生で行うので、1年生にとってビーチでの大会は初めてでした。天気が悪くてちょっと寒かったけど、楽しかったです!」とのこと。「来年の大会も楽しみにしています」と、南三陸町を後にしました。

第8位だった「東北大学ALBATROSS」のメンバー

来年はきっとさらに盛り上がるはず…!「HOYaaaaaaaZ」の活躍も期待したいですね♪

「第二回南三陸ビーチアルティメット大会」実行委員のみなさん。右から二人目が実行委員長の宮岡茜さん