桃梨ライブ100幕

皆さん、冬の準備はお済みですか?スノータイヤの交換はお早めに。

町内で度々掲示されている「桃梨被災地ミニライブ」のポスター、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

「桃梨(ももなし)」というユニット名で音楽活動を行なっているのは歌の上村美保子さん、ベースのJIGENさんのお二人。全国を飛び回る日々の中、2011年5月から続けてきた東日本大震災被災地でのライブが先日10月30日、100回目を迎えました。

100回目会場の志津川高校第二体育館は第1回目の被災地ライブが行なわれた場所でもあります。

「今日は若さを吸い取っていきますからね!」当時避難所として使われていた体育館は今、制服姿の志高生でいっぱいです。

以前のライブを聴いてファンになりました、という子も多く1曲目から手拍子が響きます。
この日の演奏曲は5曲。定番曲「両手に願いを」が流れると美保子さんの合図で場内一斉に両手が挙がりました。

避難所からスタートしたミニライブ。この2年半、幼稚園、10世帯ほどの仮設住宅など規模や場所を問わず開かれてきました。開催回数が100回にも上った理由は「誰にでも聴いてもらいたいから」だそうです。

「自分たちの役割は交流の場作りだと思っています。普段閉じこもりがちな人でも、音楽を聴きに家を出てきてくれるように。そのために私たちにできることは、いいエネルギーといい演奏を届けることだなと。」

「ライブはこれからも継続します。エネルギーは皆さんから貰うばかりで、尽きないですね。演奏を聴いて「スッキリしたー!」と言ってくださるお年寄りもいるんですよ(笑)。」

毎回東京から機材満載の軽自動車で乗り込んでくるという桃梨のお二人。これからも東北中のファンが到着を待っています。

 

町立戸倉中学校 文化祭

紅葉が鮮やかになってきました。季節の移ろいを感じます。

11月2日(土)。ベイサイドアリーナのロビーに行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)の装束を纏った子どもたちが集まっていました。

この日は南三陸町立戸倉中学校の文化祭「戸中祭 STAR~守りたいものがある」開催の日。伝統舞踊や研究発表、弁論等、生徒43名がこれまでの学習の成果を披露しました。

村立だった頃から数えて67年の歴史を持つ戸倉中学校。伝承と自然学習を重視し、長きに渡って地区の人材を育てあげた同校は戸倉の強い絆の源でもあります。

校舎が津波による被害を受けてからは登米市や町内の他校舎内で授業を続けてきた同校。2014年度からは志津川中学校との併合が決まっており、「戸中祭」の開催も今回で最後となります。

全ての発表を終えた在校生たち、43名。「名前が変わっても戸倉中学校の伝統を守り、戸中の良さをしっかり残していけるよう頑張りたいと思います。」その誓いに、観客席の父兄や卒業生から大きな拍手が贈られました。

 

地域情報発信サイト 東北物語

ツール・ド・東北開催、日本シリーズパブリックビューイングなど人の集まる機会の多かったこの3日間。
そんな連休も明け、今日は穏やかな小春日和の南三陸町です。

皆さんは「東北物語」というサイトをご覧になったことはありますか?観光地・お店・イベント情報等、太平洋沿岸エリアの最新情報を発信しているポータルサイトです。

東日本大震災発生から2年7ヶ月が経った現在、太平洋沿岸エリアで再開できている宿泊施設は約半数。東北の観光業はいまだ立ち直りの途中にあります。

「地域主体で観光業を強化し、全国から東北への交流人口を拡大しよう」、「現地の情報を発信することで震災を伝え続けよう」。これらを目的に観光庁の復興支援事業の一つとして立ち上げられたのが「東北物語」です。

観光情報やMyルート作成サービスなど豊富なコンテンツの中、特に注目したいのは『地域発信「とれたて情報」』。お店・団体・個人から個々に投稿された情報を一覧できるページです。

商品紹介やイベント告知、ボランティア募集などそのジャンルは多彩です。

先日南三陸ポータルセンターにて行なわれた登録説明会には約20名が参加。魚屋さん、お菓子屋さんなど町内ではおなじみの顔が集まりました。

「投稿者登録は誰でもできるんですか」、「ユーザーのコメントも読めるんでしょうか」。いずれも南三陸の産業を担う方々。関心は高いようです。

南三陸町観光協会さんからも「町の方はそれぞれ大手旅行代理店も知りえない町の魅力を知っています。その小さな情報を集めて大きな魅力に換え、南三陸をPRしていきましょう!」との呼びかけが。
「東北物語」の南三陸情報はますます充実していきそうです。

「太平洋沿岸エリア情報サイト 東北物語」
公式サイト http://tohoku-monogatari.org/
facebookページ https://www.facebook.com/tohokumonogatari

 

ササニシキの復活

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新米の季節ですね。こちら米どころ宮城、数々のブランド米が手に入ります。中でも今年はあの希少品種の姿がちらほら見られるようです。

昭和38年、宮城県内で開発された「ササニシキ」。和食に合うあっさりとした食感、すいすいと食べ進められる滑らかさが特徴で全国で扱われる人気銘柄でした。が、病害や天候不順に弱く栽培が難しいとされ近年は生産量が激減していました。

「宮城の誇り」「幻の米」と呼ばれながらごく少数の稲作農家でのみ続けられてきたササニシキ栽培。それが震災後、「かつての銘品種を蘇らせることで地域再生を」とササニシキ再生に取り組む生産者が増えているのです。

南三陸町入谷の農家 阿部博之さんの田んぼでは2012年からササニシキの栽培を開始しました。

農家の方々はササニシキのことを、愛情を込め「ササ」と呼びます。「ササは育てにくいんじゃない、巷の近代農法が向いていないんだ」博之さんがこだわったのはササ本来の力を活かすこと。田植え前の徹底的な除草、苗から大きく育てること、水位の管理など手植え時代の技術を取り入れながら新しい有機農法を手がけました。

2012年の収穫は田んぼ2反分。ネット販売で好評を博し、評判となったそうです。

地元の近しい方へもふるまったところ、「やっぱりササはうまいねえ。食べたら作りたくなるよ。」2年目となる今年は生産者2名も増え、栽培面積は倍以上に。

今年収穫されたお米は仙台の米専門店などへ出荷されているそうです。来年はさらに生産者が増えそうな見込みです。

田んぼは米を作るだけの場所ではない、と博之さんは言います。化学肥料や農薬を使わない田んぼには希少種のカエルや水草、大学生や地元の子どもたちなどが日々訪れます。命や知識、交流など、様々なものがこの田んぼで育っているようです。

 

坂の貝峠 ブナの森づくり

緑濃い山々の連なる南三陸町。その多くが杉などの針葉樹ですが、神行堂山(しんぎょうどうざん)、卓任山(さだりやま)、惣内山(そうないさん)に囲まれた位置に広葉樹の森が広がっているのをご存知でしょうか。

坂の貝峠(さかのかいとうげ)のブナの森は今から17年前、この町の漁業・農業に携わる人々の手で植樹されました。「山を豊かにすることが海を守ることに繋がる」と知る町の人々は、その後も定期的に森の手入れを続けてきたのだそうです。

そして先日10月27日。志津川漁協青年部や入谷地区の有志など40名あまりが森に入り、枝払いや下草狩りなどを行ないました。

今回は中央大学のゼミ生(学生団体さんさんびと)も参加し、若い方ばかり。昼下がりには森に久しぶりの明るい光が差し込むようになりました。

見ると17年前の植樹に携わった方から若い漁師さんへ森の話が受け継がれています。

積もった落ち葉は時間をかけ腐葉土に変わり、雨を溜め込み、植物性プランクトンを育て、やがて志津川湾へミネラル豊富な湧き水を還すのだそうです。「平成八年開始だってさあ」、「俺いくつだったかなあ」

落ち葉から厚さ1センチの腐葉土ができるまで約10年かかるといいます。ブナの若木も人も、森と共に成長していくのでしょう。

 

町のモアイ

チリ国から南三陸町へ贈られたモアイ像が、さんさん商店街に設置されてから早5ヶ月。
観光で町を訪れる方々の写真撮影スポットになっています。(当時の記事はコチラ)

実はさんさん商店街以外にも様々なモアイが町内に存在しているのはご存知でしたか?

入谷には、舘下橋のモアイ。

戸倉には、さわやか公園のモアイ(震災にて一部破損していましたが元通りに修復されました)。

そして、震災前は志津川の松原公園に立っていたモアイ像。頭部は志津川高校の敷地に移設され、胴体は町有地にて保管されています。

いかがでしたか。それぞれ少しずつ顔が違うんですよ^^

モアイ(Moai)とは、現地語で「未来に生きる」という意味。お互いに津波で苦しんだ歴史を持つチリ国と南三陸町の絆の証でもあります。

 

 

仮設店舗で営業中のガソリンスタンド、三興石油

志津川の三興石油さんは、旧南三陸警察署前にて営業中。2011年の5月、震災前にも営業していた場所で仮設店舗にて営業を再開しました。

再開後は、ボランティアや観光の方が増えたことでお客様はそれほど減っていないそうですが、屋根がなく周りに建物もないため、晴れの日のホコリや真夏の直射日光がきつく、さらに台風等での強風時にはプレハブ小屋が大きく揺れるそうです。

さらに、冠水も課題です。道路は嵩上げされましたが、敷地が低地になっていることと側溝の水はけが良くないため、大雨・台風時には敷地が冠水してしまい、営業に支障が出てしまいます。

所長の佐藤さんは「ここまで営業を続けて来ましたが、志津川市街地の復興計画との兼ね合いで、この場所は移らなくてはいけませんし、現状では環境もあまりよくありません。具体的なことは未定ですが、1年くらいを目処に新天地に移りたいと考えています。」とおっしゃっていました。

厳しい環境下でも燃料の提供を続けてきた三興石油さん。復旧復興には欠かせない、大事な役割を担っています。

■三興石油
住所:志津川字汐見町21
電話:0226-46-5112

 

震災復興計画推進会議

先日10月21日、志津川保健センターにて開かれた第2回南三陸町震災復興計画推進会議の模様をご報告します。

南三陸町震災復興計画推進会議(以下「推進会議」)は今年9月、町主催・町民主体の協議の場として発足しました。

町長により任命された委員は21名。自治体や福祉、産業など町の現場の代表者と学識者で構成されています。この日のテーマは「人口減少」。2つのグループに分かれ、その原因と対策について話し合いました。

「雇用、医療、教育など町外に移住する人には皆止むを得ない理由がある」
「働き手が減り、税収が減り、町が衰退するという負のスパイラルを避けたい」
「町に留まりたい、戻りたいと願っている住民への早期対応が必要」
「減ったら困るものをはっきりさせ、人口減を恐れない発想の転換を」

町再建の指針である「南三陸町震災復興計画」策定から2年。当時は予測できなかった環境の変化、心境の変化、数々の新たな課題が生まれています。

例えば震災後、世界中からたくさんの方が町を訪れています。復興が進んだ後にも町へ来てもらうためには何をするべきでしょうか。「長いスパンで『住んでよかった』と思えるまちづくりができればそれが町の特色、将来の観光資源にもなる」会議ではそういった発言も聞かれました。

意見交換は止まず、予定終了時間を20分オーバーした第2回推進会議。
これからも月1回のペースで開催され、
まとめられた意見は今後の復興計画に取り入れられます。

 

鮭の捕獲施設

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今週はずっと雨模様の天気。週末の台風には皆様くれぐれもお気をつけください。

10月下旬。志津川の八幡川に鮭の捕獲施設が設置されました。

これは志津川湾から遡上してくる鮭を捕獲して採卵するための施設で、鮭が帰ってくる12月下旬までの間、設置されています。

採卵した卵を稚魚として育てた後に放流すると、放流された稚魚の1%が、南三陸の川に4年後に戻ってくるのだそうです。(詳しい説明は、観光協会発行の会報誌「南三陸vol.6」に掲載されています。)

水尻川にも同じ施設が設置されました。

他にも今月中に、戸倉地区の水戸辺川に捕獲施設が設置され、戸倉の折立川には、鮭が遡上しないように止める施設を設置する予定だそうです。

南三陸生まれの鮭たちが、何千キロもの距離を旅して帰ってきます。

 

第4回 復興グルメF-1大会

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「復興グルメF-1大会」とは岩手、宮城、福島から仮設商店街などが出場し、オリジナル料理を競う場です。
今年1月の初開催ののち気仙沼、石巻での開催を経て第4回となる先日、ついに南三陸へやってきました!

10月20日、さんさん商店街横特設会場。ずらりと並んだ飲食ブース。来場のお客様たちは1品300円のメニューを食べ比べ気に入った1つに投票するのですが・・・

「全部食べ比べるなんて無理~」との声が上がります。それもそのはず、今回の出場チームは14。過去最多です。

われらが南三陸町からはさんさん商店街が出場。4大会連続、さんさんタコカレーで勝負をかけます。

■南三陸さんさんタコカレー データ■
ライス:南三陸産ひとめぼれ
カレー:中辛、デミグラスソース風、具なし
タコ:志津川タコの特に柔らかい頭の部分を30g使用、1枚カツにしてトッピング
メニュー開発:創菜旬魚はしもと

「おいしい!辛いけど食べちゃう」、「タコカツがさくさくしてますね」お客様の評判も上々。

投票総数約2000票となった第4回大会、その結果は・・・?

栄えある1位を獲得したのは、かしま福幸商店街 TEAM南相馬出品の「りゅうぐう蛸焼」でした。
「皆さまに温かい目で見守っていただいたおかげです。この優勝は自分たちにとっても希望と自信につながります。」おめでとうございます!

そしてさんさんタコカレーは14チーム中2位を受賞。惜しいけれども大健闘です。

志津川福興名店街運営組合 三浦さんからコメントをいただきました。
「第1回から出場させていただき、回を重ねるごとに友人が増えてきたことが嬉しいですね。今回は地の利を使った様々な裏工作も叶わず優勝を逃してしまいました。新メニューを開発し、次こそ優勝を目指します!」

被災地間の交流が生まれ、互いが切磋琢磨する「復興グルメF-1大会」。今後の開催も楽しみです。