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    南三陸にワイナリーを! 南三陸ワインプロジェクト、進行中!

    南三陸にワイナリーを作りたい!と南三陸町に移住した地域おこし協力隊の正司勇太さん。新メンバーも加わり、南三陸ワインプロジェクトが本格化しています。1月末、プロジェクトを紹介する会が東京で開かれました。

    南三陸ワインプロジェクトの新作白ワインをお披露目。

    2019年1月26日、「ゼロから持続可能な事業を生み出す~南三陸ワインプロジェクトの挑戦~」と題したイベントが東京・原宿で開催されました。南三陸ワインプロジェクトの正司勇太さん・佐々木道彦さんに加え、南三陸ワインプロジェクトを応援する仙台・秋保ワイナリー経営者の毛利親房さん(株式会社仙台秋保醸造所 代表取締役)、ハイディワイナリー創業者の高作義明さん(株式会社トリプルウイン 代表取締役)らをゲストに迎え、南三陸ワインプロジェクトの紹介・進捗報告が行われました。

    主催は、地域や行政パートナーと連携して、地域で活躍するプレイヤーを育成・サポートする「一般社団法人Next Commons Lab」(以下NCL)。まずはNCL南三陸事務局の山内亮太さん(株式会社ESCCA代表)が、南三陸町やNCL南三陸について紹介しました。

    南三陸町の地域特性や、自然資本をベースとした循環モデルについて説明する山内さん(右)

    次に、南三陸ワインプロジェクトが手がけた新作の白ワインが披露されました。デラウェアを使用したフレッシュ&フルーティーな味わいです。現在は秋保ワイナリーで醸造していますが、2020年中には南三陸町にワイナリーを建設し、念願の自家醸造を目指しています。

    続いて、秋保ワイナリーの赤ワインとシードルも登場。シードルには南三陸町産のリンゴも使われています。どれも美味しく、飲み比べながら、ついつい杯が進んでしまいます…(笑)。

    右から、南三陸ワインプロジェクトの白ワイン、秋保ワイナリーの赤ワインとシードル

    ゲストそれぞれがワインへの熱い思いと夢を語る!

    そしてゲストトークがスタート。トップバッターは南三陸ワインプロジェクト代表の正司さんです。正司さんは、ワインづくりを夢見て、石川県や山梨県のワイナリーで働きながらブドウ栽培とワイン醸造を学び、2017年8月に地域おこし協力隊としてNCL南三陸「サスティナブルワイナリープロジェクト」に参加しました。現在は仙台秋保醸造所で技術研修を受けながら、施設を借りてワイン醸造を行っています。「南三陸町にワイナリーができたら、シャルドネを使ってシーフードに合うワインをつくりたい」と話します。

    南三陸でのワインづくりについて話す正司さん(右から2番目)

    続いて、ハイディワイナリーの高作さん、秋保ワイナリーの毛利さんが、ワインへの思い入れや、ワインツーリズムの可能性などについて熱く語りました。毛利さんは、気候風土と人の営みを意味する「テロワール」と、食とお酒のペアリングを意味する「マリアージュ」を掛け合わせた「テロワージュ」という造語を生み出し、「テロワージュ東北」と銘打って東北6県合同でワインによる地域振興を進めようとしています。「産地を訪れてそこで食とお酒を楽しんでもらい、その土地の文化や風景、そこに住む人も含めて東北のよさをアピールし、国内外から多くの人に訪れてもらいたい」と毛利さん。東北各地で「テロワージュ●●」が生まれることを期待しています。南三陸にワイナリーが誕生し、「テロワージュ南三陸」が始動する日が待ち遠しくなりました。

    ワクワクするような話をたくさん聞いた後は、しばし休憩。ワインを片手に参加者同士で歓談したり、ゲストのみなさんと名刺交換をしたりと、思い思いに過ごしました。

    ワインを堪能する参加者のみなさん。南三陸ワインプロジェクトの白ワインには「ほんとうに美味しい! これからが楽しみです」との声が
    休憩中も各ゲストへの挨拶や質問が絶えなかった

    最後は質疑応答。参加者からの「ワインの魅力とは何でしょう?」という根本的な質問に、正司さんは「ワインには外から人を呼び込む力がある」、佐々木さんは「正解がないところ」と回答。また毛利さんは「人、文化、地域、産業をつなぐのがワインの魅力」と答えました。

    また、「南三陸でどんなワイナリーをつくりたいですか?」という質問に対しては、「研修を受け入れるなど人を育てられる場所にしたい。また、農家さんの収入アップにつながるよう、新しい農業の可能性を見出すことができるワイナリーをつくりたい」と、正司さんが意気込みを語りました。

    「正司さんには“変態”になって突き抜けたワインをつくってほしいですね(笑)」と、パートナーの佐々木さん。これから南三陸でどんなワインがつくられるのか、どんなテロワージュが生まれるのか、楽しみです!

    志津川湾ってすごい!vol.11 メカブは、すごい!

    春…花粉で車も黄色く、鼻もムズムズで目も痒い海研一である。この時期、南三陸の旬といえば!ネバネバヌルヌルのメカブ!今回のテーマは「メカブは、すごい!」だ。

    メカブの効能知っていましたか?

    メカブのヌルヌルネバネバな独特のぬめりは、フコイダンやアルギン酸などの食物繊維である。

    フコイダンは、免疫細胞を活性化させる働きがあり免疫力の向上が期待できるほか、毛母細胞を活性化させ髪を生やす新陳代謝が正常に行われるため育毛効果や、ピロリ菌退治などもしてくれる。

    アルギン酸はコレステロールを下げ、アンモニアを排出して体臭改善し、腸の不要なものを吸着して排出してくれるため腸内環境の改善もしてくれる。また肌の保湿、血流改善などなど…

    さらには、血圧の調整をしてくれる神経の情報を伝達し生命を維持するナトリウム、塩分を排出し血圧を下げる働きのカリウム、骨粗鬆症予防をしてくれるカルシウムや、甲状腺ホルモンのバランスを整えて代謝を促すヨウ素などのたくさんのミネラル成分(日本の食生活では不足しやすいミネラル)が含まれている素晴らしい食材だ!

    最近では癌細胞を自壊死へ誘導する特殊な作用を持つ働きがあることがわかってきたらしい…

    写真提供:金比羅丸

    産地でのめかぶのおいしい食べ方

    その素晴らしいメカブだが「生のメカブをもらったけど食べ方がわからない」と相談されることが多いため食べ方の紹介をしたいと思う。各家庭で食べ方はいろいろあるが、

    ●一般的な食べ方

    1.鍋にお湯を沸かす
    2.茶色の生のメカブを線切りにする(切る前にシナっとなるまで天日干しすると千切りや小さく切ることが簡単になる)
    3.お湯が沸いたらさっと湯にくぐらせる(お湯に重曹を入れると茹で上がりの緑色が綺麗で緑色が長持ち)
    4.メカブが緑色になったらさっと冷水に入れザルで水気を切る
    (水気を切りすぎると栄養成分のヌルヌルネバネバが流れてしまうので、ある程度水を切ったらザルからあげ容器に入れる)
    ※2と4が反対で茹でた後に千切りや、細かく叩いてから食す人もいるのだ

    ●超簡単な食べ方

    1.生のメカブをキッチンバサミで食べやすい大きさに切る
    2.汁椀などに入れ90度以上の熱い湯を注ぐ
    3.メカブ汁として食べる

    ●天ぷらにして食べる

    1.生のメカブをキッチンバサミなどで程よい大きさに切る
    2.天ぷら粉または小麦粉などをまぶす
    3.水で溶いた天ぷら粉液にくぐらす
    4.油で揚げる

    ちなみにメカブは冷凍保存もできるぞ!

    嬉しい効果がたくさんあるメカブ!なんでもそうだが「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉もあるように食べ過ぎは良くないようだ…よっぽどのことがない限り過剰摂取にはならないがバランス良く食べてほしいものだ。

    以上、一年間海研一がお送りした南三陸なう「志津川湾はすごい!」シリーズ、いかがだっただろうか。

    海研一は海の自然史研究所(略称:海研)に所属している。海研は南三陸では海のビジターセンターにある。海や海研や海研一に興味があれば、ぜひ南三陸・海のビジターセンターを訪れてほしい。お待ちしている。

    そして、改めて一年間のおつきあいに感謝したい。

    ありがとうございました。これからも引き続きよろしくお願いいたします。

    2019年3月31日/定点観測

    南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

    写真をクリックまたはタップすると大きくなります

    戸倉地区

    撮影場所 [38.642969, 141.442686

    パノラマ

    志津川地区

    撮影場所 [38.675820, 141.448933

    パノラマ

    パノラマ

    パノラマ

    パノラマ

    歌津地区

    撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

    パノラマ

    他の定点観測を見る

    大正大学と全學寺のコラボイベント!「すきだっちゃ南三陸」

    南三陸町と関係が深い大正大学では、学生が見た南三陸を伝える写真展を企画・実施してきました。4度目となる今回はお寺で開催することに。演劇や語り部、無料食堂などもあり、盛りだくさんなイベントになりました。

    無料食堂、演劇、語り部… 南三陸を知る・楽しむ企画が満載!

    2019年2月16・17日に、東京都足立区の全學寺で、「すきだっちゃ南三陸」というイベントが開催されました。ベースとなるのは大正大学の学生が企画する南三陸の写真展ですが、今回は、地域貢献を続けている「みんなの全學寺プロジェクト」との協働で、さまざまなプログラムを盛り込んだ特別な企画になりました。どんなイベントなのか、1日目の様子を紹介します!

    東京都足立区にある全學寺の入り口。南三陸町と大正大学ののぼりがイベントの目印に

    お昼どきに到着すると、ちょうど無料食堂がオープンしていました。「あだち子ども食堂たべるば」の協力により、南三陸の食材を使ったワカメおにぎりとはっと汁が食べられます。近所の人たちも多く訪れ、にぎわっていました。

    「おにぎりもはっと汁も、とってもおいしい!」と食事を楽しむ来場者
    つやつやの南三陸産米に名産のワカメは最高の組み合わせ
    食材のほとんどが南三陸から届いたもの。海の幸・山の幸をおいしくいただいた
    キッチンで食事を用意する「あだち子ども食堂たべるば」のみなさん

    午後の目玉企画は、演劇集団「ごきげん一家」による公演。ごきげん一家は2018年1月に発足し、「演劇で復興支援を!」と、南三陸の民話を元にした演劇を創作して南三陸や関東で公演を行っています。この日は、お寺の本堂というユニークな場所で、「婚礼に行った繁造の話」を披露。観客たちはコミカルでテンポのよい演劇を楽しみました。

    冒頭、ごきげん一家や活動について説明するメンバーの浅川芳恵さん(右)
    テンポのよい掛け合いに観客席からは笑いが。ほっこりする内容の劇だった
    ごきげん一家のメンバー(前列中央)とスタッフ、観客・来場者で記念撮影

    次に、同じく本堂で「語り部の南三陸」が行われました。南三陸出身の大正大学生、渡邊万希さんが、言葉をかみしめながら、震災当時のことを話してくれました。来場者たちは熱心に耳を傾け、南三陸町や被災された方々に想いを馳せました。その後、大正大学講師の齋藤知明さんによる追善法要がありました。

    初めてにもかかわらず、立派に語り部を務めた渡邊万希さん(左)

    学生たちが伝える、南三陸の”今“と「すきだっちゃ」。

    演劇や語り部のかたわら、「なむなむ堂」というスペースでは、大正大学の学生たちが撮影した南三陸の写真が展示され、キリコ風切り絵やコースターを作るワークショップが開催されていました。

    学生たちの写真からは、それぞれの目で見た南三陸が伝わってくる
    南三陸町で神棚に飾られる切り紙細工、キリコを模した切り絵を作るワークショップも

    このように、多彩な企画で、南三陸町のことを知っている人も知らない人も楽しめるイベントでした。地域に開かれたお寺で開催したことにより、より多様な人々が訪れた模様。企画・運営チームのリーダーを務めた小川清花さん(大正大学2年生:イベント時)は、「参加されたみなさんに、震災当時だけでなく、南三陸町の”今“を知っていただき、何かを感じ取ってもらえたら幸いです」と話しました。

    大正大学生たちの南三陸への想い、「すきだっちゃ」が伝わる1日でした!

    受付で来場者を迎える大正大学生たち。企画・運営チームメンバー5人に加え、多数のボランティアスタッフがイベントを支えた

    余命宣告、震災…何度も何度も危機を乗り越えた元気女将!/松野三枝子さん

    シリーズ「きらめき人」第9弾。いつも笑顔と元気な声で迎えてくれる『農漁家れすとらん・松野や』の女将、松野三枝子さん。実は何度も生死を境にした経験をお持ちです。だからこそのパワーを炸裂させた接客と生きざまを紹介します。

    病気と闘っていたが、もっとすごい敵が現れた!

    南三陸町志津川汐見にあった公立志津川病院に入院しながら治療を続けていた松野三枝子さん。2011年3月11日午後2時46分、巨大地震が発生した時は入浴中だったそうだ。あまりにも揺れが大きすぎたので、すぐには逃げられず恐怖におののいているばかりだった。

    約5分後、揺れがおさまったころ浴場のドアを開けたところ誰もいない・・・しばらくして看護師さんが見回りに来てくれた。「松野さん、ここにいたのね。すぐ上の階に逃げましょう!歩ける?」

    最上階に続く階段まで連れてきていただき少し安心したが、想像以上の津波が見えたときには愕然として足が動かなくなっていた。病院には、ベッドに寝たきりの患者さんも多数いたので残念ながらそのまま波に呑まれてしまったケースも少なくない。まるで地獄絵図を見ているようだったと振り返る。

    「あ~、あの若い子の代わりに私が死んでもいい~~」三枝子さんが絶叫した。

    「バカなこと言わないで、あなたは生かされたのよ!」そばにいた看護師長から一喝されたという。

    余命宣告

    末期のスキルス性胃がんという診断を受け、余命わずかと言われた。

    「53歳で私の人生終わるのか…」と気落ちしながらも治療が始まり、食道・胃・胆管・胆のう・脾臓・片腎を摘出した。

    手術を行った仙台市内の病院から公立志津川病院へ転院して治療を続けていた最中の東日本大震災。九死に一生を得た瞬間から病気のことは頭から離れたかのように被災者のために動き出した。入谷の実家に戻ると「人は食べないと絶対ダメ」という想いが強まり、炊き出しに奔走した。

    夢中で活動している中、奇跡が起こる。再検査をしたところ、がんが消失したと説明されたのだ。

    余命宣告されたはずの体は、震災後の環境変化で健康を取り戻したのかも知れない。

    ならば、もっと働きたい!かつての夢を実現させたい!! どんどん前向きになっていった。

    あの時、看護師長から一喝された言葉が励みになったと笑顔で語る。

    夢…それは「いつか『農家レストラン』を出したい」ということ。

    還暦を迎え、同級会で仲間に打ち明けたところ、心強い応援の声を頂いてものすごくうれしかった。そんな後押しや全国各地からの支援もあり、念願のレストランをオープンすることができた。2014年1月『農漁家れすとらん松野や』開店。余命わずかと宣告されて12年後のことだった。

    大願成就

    これまでも、イベント等で販売していたのが『海鮮はっと』『ウニ飯』『ホタテ飯』など。どこの会場でも大評判だった味を常に提供できる場ができたのは、志津川中学校時代の同級生はじめ多くの方々の応援があったからと目を細めた。板倉工法で建てられたお店は、木のぬくもりがとても良く感じられる空間となっており誰もが癒される。

    オープン直前のある日、松野さんを知るたくさんの町民がお祝いに駆けつけた。震災後から定期的に支援活動を行っている『JAZZ FOR TOHOKU』のメンバーによるミニライブも同時に開催、みんな大喜びだった。

    一陽来復

    「生まれ育った家庭は志津川の街の中、仕出しやコロッケ販売等で忙しい家業でさ、小学生のころから店を手伝っていたよ。忙しくて学校を休むと、仲の良い友達が勉強を教えてくれた。『その代わり、コロッケ3つな!』って笑いながら言われたよ。同級生って良いよね~」と言いながら、日替わりランチを出してくれた。

    『はっと』がメインのメニューは、ボランティア活動や復興事業等で町を訪れる方々にも大好評で、時間があると震災の出来事=生き延びた体験を涙ながらに語ってくれる。その鬼気迫る話にはもらい泣きする方も多く、「今度私の町に来てもっとたくさんの方に聞かせてください」と講演依頼も殺到している。

    定休日やイベント出店の合間を縫って全国各地で語り部活動もこなし、講話では「まずは自分の命を守ることを考えてほしい。普段から家族で避難先を決めておくことも重要」と付け加えているそうだ。

    何度も奇跡的に命を救われた松野三枝子さんの言葉は実に重い。

    入谷にあるログハウス『くつろぐはうす』の誕生ストーリー

    入谷鏡石、国道398号線沿いからログハウスが建っているのが見えます。「喫茶店かな?」と感じられる方も少なくないのですが、この建物について、紹介いたします。

    立教女学院が支援、南三陸町の子どもたちにも

    立教女学院(東京都杉並区)は、東日本大震災後、被災地の子どもたちに対する様々な支援活動を模索してきました。宮城県南三陸町にいち早く訪問し、志津川小学校の新一年生に体操着を寄贈する活動に取り組み、音楽を通じた交流活動も行っています。

    同時期、日本おもちゃの図書館全国連絡会等を通じ、南三陸町で長年活動していた「おもちゃの図書館・いそひよ」の拠点施設やおもちゃ・本などが流失してしまった事を知り、現地で詳しく状況を聞きました。それが「くつろぐハウス」誕生のきっかけとなったのです。

    *おもちゃの図書館とは、「障害のある子ども達におもちゃの素晴らしさと遊びの楽しさを」との願いから始まったボランティア活動。たくさんのおもちゃを用意して、気に入ったおもちゃを選んで遊ぶ場・機会を提供し、家でも楽しく遊べるよう貸出しもできるので、「おもちゃの図書館」と名付けられました。 (おもちゃの図書館全国連絡会HPから引用)

    おもちゃの図書館いそひよ 誕生

    平成7年、町内に暮らす障がい児の家族らが集まりました。既に全国に400か所ある「おもちゃの図書館」活動が、この小さな町でもできるのか不安もありましたが、当時の全国連絡会代表(日本で最初に始められた方)小林るつ子さんの強烈な後押しがあり、任意団体で発足したのです。

    言い出しっぺの鈴木清美代表が目論んだのは、家族の方々の情報共有でした。月2回の活動を地元の地区公民館「天王前行政区・ふれあいセンター」で行い、子どもたちと好きなおもちゃで遊びながら、現状やこれからを話し合う機会を作りました。もちろん、おやつの時間にはお茶っこしながら。

    団体名の「いそひよ」とは、旧志津川町の町鳥=イソヒヨドリから拝借。海岸や河川など水辺に棲み、近くの住宅地でもよく見られる、綺麗な色合いの愛らしい鳥です。

    家族だけではなく、多くの町民にも障害のある人を知ってもらおうと小中学生や高校生にも声をかけ、ボランティアとして活動のお手伝いに参加して頂きました。

    発足から15年が経ち、いそひよ活動の理解も深まりましたが、成年になった障がいのある人や親亡き後の暮らしなど、今後の課題は山積でした。そこで、平成23年2月11日、「おもちゃの図書館全国連絡会ミニ学習会」を開催し、多くの方と意見交換を行いました。

    東日本大震災で一変

    天王前地区も巨大津波に巻き込まれ、保管してあったたくさんのおもちゃや本、記録(写真アルバムやVTR等)までもが建物と共に流失してしまいました。多くのメンバーが被災し、各自の生活再建が優先ですので活動はしばらくできないと呆然自失の毎日でしたが、全国の仲間やボランティアの方々の支援・協力があり、震災から3か月後には活動再開。

    それからは、入谷公民館を借りながら、少しずつおもちゃや本を増やし活動し続けていました。

    そんななか、立教女学院の中村院長(当時)はじめ教職員やPTAの皆さんから「本格的な活動拠点の設置」を実現させたいとの有難い提案が出されました。いそひよとしては、プレハブの簡素な建物で構わないつもりでしたが、「せっかく建てるんだから・・・」と。思いがけない動きです。

    新拠点「マーガレットハウス」完成

    親の会はじめ関係者による寄付が主な資金となる施設は、立教女学院の生徒や保護者らが今後南三陸町を訪れる際に立ち寄れるよう工夫もなされています。この部屋の中で礼拝できるよう十字架を配置しましたし、「マーガレットハウス」という名称が付されています。

    「おもちゃの図書館・いそひよ」の活動が優先されますが、日常の管理運営は南三陸研修センターが担っていますので、地元の皆様も視察研修の皆様も活用することが可能です。

    この建物の呼称については、だれもが寛げる場所でありたいな!という強い想いがありましたので、いそひよの鈴木代表が呟いた「くつろげるログハウス=くつろぐはうす」が採用されました。

    ちなみにデッキに掲げられた看板のデザインは、応援してくださる「八幡神社禰宜工藤真弓さん」からのプレゼントです。丸みを帯びたひらがなの文字はほっこり感じます。ぐの濁点は子どもの靴を表しているとのことです。

    未来へ紡ぐ、若い世代の声。/阿部悠斗さん

    南三陸に生きる人を巡り、一巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第29弾は、一般社団法人南三陸町観光協会に勤める阿部悠斗さん。震災時の記憶を未来へ伝承する語り部として、南三陸の豊かな自然を生かすスタッフとして、活躍する阿部さんの想いに迫りました。

    震災。そして通っていた学校が避難所に

    2017年12月から南三陸町観光協会のスタッフとして活躍する阿部悠斗さん。22歳という若さながら「まち歩き語り部」などを通して、震災体験を語り継いでいる。阿部さんの生まれ育ちは南三陸町歌津の港地区。南三陸町の北端の気仙沼市との町境にある。

    8年前の震災のとき、阿部さんは中学2年生だった。卒業式の前日、体育館で掃除をしていたときに大きな揺れが襲った。高台にある学校で友人らと身を寄せ合いながら、海からわずか200メートルほどしか離れていない家にいるであろう祖母と2歳の妹のことを思い出していたという。

    「でも、自分たちが通っていた学校がそのまま地域の避難所となっていたのでバタバタと、連絡も取れなかったし、どうすることもできずにいました。地震があって、津波が来て、2時間くらい外で身を寄せ合っていましたが、そのあとは中学生が体育館の掃除をして、地域の人に入ってもらいました。中学校は高いところにあったので、下にある小学生も、幼稚園児も避難してきていたので。中学生が主体的に、自分たちが率先して動いていました」と震災直後のことを振り返る。

    そして震災から3日目。「父が中学校まで迎えに来ました。そして『家族は無事だから』と話してくれた。『ダメかもしれない』と思っていた状態だったので、家族に会えたことが本当にうれしかった」と振り返る。

    ボランティアや地域住民との出会いに触発

    「小さいときは人見知りであまり積極的な子どもではなかったと思います」と話す阿部さん。その後の人生を大きく変えたのは震災と、その後の避難生活だったという。

    通っていた中学校がそのまま避難所となり、生徒も自主的に避難所運営に入ることになった。「避難所にいて、今まで接することのなかった地域の人やボランティアの人たちと触れ合っていくなかで、地域のために何かできるってすてきな人だなって思ったんです」

    その後、地元の高校を卒業した後、一般企業の営業職、自治体臨時職員として働いていたが、「地域のために働きたい」という震災後に抱いた想いを実現するために現在の職場である南三陸町観光協会に移った。

    観光協会に入るまで、震災の経験を話すことにためらいがあった。

    そして、観光協会の人気プログラム「まち歩き語り部」の依頼があったときも、はじめは気乗りしなかったという。

    「それでも自分の話しに共感してくれたり、応援してくれるお客さんの姿に背中を押してもらいました。手紙や年賀状をくださる方もいて、数時間のガイドでも長くお付き合いできる関係になることがうれしく思っています。今では、自分の体験を話すことで、今後の災害に備えるひとつのきっかけとしてほしい!という想いでお話しをしています。悲しい想い、悔しい想いをする人を少しでも減らすことができればと思っています」

    「自分にできることはなにか?」を考え続けた一年

    海と森が近い南三陸。阿部さんは小さいときから自然に触れながら育ってきた。小学校の授業で、生き物観察をしたり、遡上する鮭をつかまえて観察したり。そして、自然とともにある生活は今でも変わりない。

    観光協会では2017年に再開した「サンオーレそではま海水浴場」の担当として、そして南三陸町でSUPやカヤックなどのアクティビティを主催する「おきなくらEELs」の活動にも参加をしている。仕事後には、ゆったりと流れる夜の空気を感じながら散歩したり、ランニングしたりして過ごしているという。

    「防潮堤ができたり、土がたくさん詰まれていたり、コンクリートで固められて、大きく町は変わっているけれど、一歩自然に近づけば、山も海も、震災前から変わらない自然の風景があるんです。被災地の南三陸としてだけではなく、観光地として誇れる場所もたくさんある。また行きたくなる町になるようがんばっていきたい」と決意を述べる。

    「この8年は本当にあっという間でした。どんどん変わっていく町だからこそ、自分も成長していかなければならないと強く思っています」と話す阿部さん。この一年は「自分にできることはなにか?」を考え続けた一年だったという。

    自然体験、震災の記憶。自分にできることを着実に実施する。

    「とくに震災当時中学生だった自分たちが語り継ぐ最後の世代なのではないか?と思っています。震災のとき2歳だった妹も小学4年生。この町でなにがあったのか。町の小学生や子どもたちにも伝えていかなきゃなと感じている」

    一歩一歩、ゆっくりと、でも着実に歩みを続ける22歳。きっと、この町の希望の灯りとなっていくことだろう。

    ご存知『ご長寿クイズ』予選会が南三陸町で開催されました

    人気テレビ番組『さんまのからくりTV・ご長寿クイズ年末SP』への出場者を選考するための南三陸町予選会が、昨年秋に行われました。70歳代から95歳の最高齢まで18人が【難問?】に早押しで答えます。が、珍答、迷答続出にギャラリーは大爆笑。

    何が始まるんだ?!

    南三陸町内に在住する高齢者の方々が続々と会場入りしてきました。昔、一緒に働いた大先輩もおられましたのでご挨拶しながら声をかけると・・・・

    「お~、元気だったか?! ところで、これから何が始まるんだ?」

    「ご長寿クイズってテレビ番組を観た事ある?その予選会ですよ。」

    ちょっと不安そうな問いかけに、趣旨を説明しましたが、まさかご本人がステージに上がる事になるとは思っていないのでしょう。

    「あ~、そうか、楽しみだね。」小さく笑っていました。

    クイズの問題を耳元で説明するアナウンサー。珍答を引き出す力量がさすがです

    南三陸町の予選会は、当初は緊張されていた解答者が地元の言葉で答えるなど自由闊達な時間となり、アナウンサーが困った挙句、社協職員に通訳を依頼する場面もありました。

    アナウンサー 「白雪姫は魔女からあるモノを渡されて眠ってしまいました。それは何でしょう?」

    ご長寿A(♬ピンポーン)「レン△#ミン!」  《会場大爆笑》  注:睡眠導入剤の名前です

    アナウンサー 「ヒントは、赤い色をしています。」(笑いをこらえきれない様子)

    ご長寿B   「リンゴ!」

    アナウンサー 「あっ、これ押して下さい。」(ボタンを押すよう促します)

    ご長寿B   「イチゴだ!」

    すべてを紹介することはできませんが・・・(予選会の模様の掲載はディレクターより了解を得ています。)

    アナウンサー 「ことわざの問題です。馬の耳に何と言うでしょう?」

    ご長寿C   「三味線!」 《自信たっぷりに答えるも、会場爆笑》

    アナウンサー 「残念、他の方・・・」何度か答えが飛び交って

    ご長寿D   「念仏かな?!」

    アナウンサー 「正解で~す。」(拍手)

    この時、最初に答えた95歳の長老が、「オラだづは三味線って教えられていたぞ。」と言うと、会場内の一部からも同意見が出てきたので、ディレクターが何やら調べてアナウンサーに耳打ちしました。

    「すみません、地域によってはそう言われている可能性がありますね。三味線でも正解にします。」そう言うと、会場内から「お~~」と、ご長寿の博識ぶりに感嘆の声が上がりました。

    これは、ウケ狙いだな?!

    ご長寿クイズは年配の方々の記憶違いや頓珍漢な解答が笑いを誘います。それが本当にそうなのかわざとなのか、受け取る側も戸惑うことがあります。93歳のご長寿古澤さんは完全にウケ狙いだなと思われる場面がありました。

    アナウンサー 「お菓子の家でおなじみの童話は、ヘンゼルと何でしょうか?」

    ご長寿古澤さん(すかさず♬ピンポーン) 「カテーテル!」 《とぼけた表情に会場大爆笑》

    あまりの迷解答にアナウンサーも言葉を失い、この問題を続けることはできなくなりました。

    この予選会は18人を3人ずつのグループに分けて答えて頂く方式ですが、次の解答席には昔からよく知る大先輩が登場、真面目過ぎてボケられない性格がよく出ています。

    アナウンサー  「このパネルを見てください。このような行為を何というでしょうか?」

    ご長寿さん達  「ん~~~、何だべな?」

    皆さんなかなか発言しないのでアナウンサーが「小松さん、よ~く見てくださいね。」と促すと

    ご長寿小松さん 「オレが見た限りでは、チューさせろ!だな。」 《会場大爆笑》

    ここで、アナウンサーが「西條さん、解っていそうな感じですが・・・」と目線を合わすと

    ご長寿西條さん 「壁ドン!」  《会場から「お~~」と歓声》

    アナウンサー  「見事正解です。西條さん、昔はどんなお仕事やられていたのですか?」

    ご長寿西條さん 「中学校の教師でした。」

    アナウンサー  「そうですか~、どうりで。では、先生これを学校でやってらっしゃったんですか?」

    ご長寿西條さん 「はい、やっていました。そこに教え子がおります。」と言って筆者を差しました。

    アナウンサー  「あら~、生徒さん?!先生がそう言っていますけど。」とマイクを向けられたので

    「は、はい。毎日・・・私もやられました」と思わず答えてしまいました。《会場大爆笑》

    午前10時から始まった予選会は、予定をはるかにオーバーし正午過ぎまで続きました。

    後日、東北大会(宮城県大和町)に南三陸町を代表して3名の方が出場しましたが、世の中にはさらに上手のご長寿がたくさんおり、残念ながらその方々は本番には進めませんでした。とはいえ、この日の予選会こそ中継してほしいと思えるほどの内容だったことは間違いありません。

    四か月経った今でも思い出し笑いをしてしまうのでした。

    志津川湾ってすごい!vol.10 渡り鳥たちがたくさんやってくる!

    みなさん、こんにちは。おなじみの海研一です。今回は冬に志津川湾へやってくる渡り鳥たちの話をさせていただこうと思う。

    渡り鳥って?

    渡り鳥とは、日本以外の地域から渡ってくる鳥たちのことを渡り鳥と呼ぶ。そして渡り鳥は大きく分けて、次の3つに分けられるんだ。

    「夏鳥」春に南方から日本へ渡って来て、秋に南方へ渡る鳥

    「冬鳥」秋に北方から日本へ渡って来て、春に北方へ渡る鳥

    「旅鳥」渡りの途中で日本に立ち寄る鳥

    夏鳥は日本で繁殖期を過ごし、求愛行動のための綺麗な声を聞かせてくれる。青い鳥のオオルリや、カッコウなどが夏鳥にあたる。冬鳥たちは越冬しに来ているから、エサを探したり、羽繕いをしたり、比較的のんびりしている姿を見ることができる。おとなりの登米市の伊豆沼にやってくるハクチョウ類やガン・カモ類がそうだね。旅鳥は日本より北に繁殖地があり、日本よりも南に越冬地がある鳥で、日本にはほんのお立ち寄りだが、そのぶん見られるとラッキーな気持ちになる。

    また、なんらかの理由で本来の生息域や渡りのルートから外れた鳥のことを「迷鳥」と呼ぶ。近隣の登米市、大崎市ではマガンに混ざってインドガンがやってきたり、ソデグロヅルが来たりすることもあるんだ。

    渡り鳥以外の鳥たちはなんて呼ぶかって?一年を通して日本にいるスズメやキジバトなどは「留鳥」、日本国内を季節によって移動するモズやヒヨドリ、キクイタダキなどの鳥を「漂鳥」と呼ぶんだ。

    尾羽をふりふり、モズ
    マツの葉かぶり、キクイタダキ

    冬の志津川湾にはどんな鳥たちがいるの?

    さてここからは志津川湾にやってくる冬の渡り鳥たちを紹介しよう。波の穏やかな日に海面を双眼鏡や望遠鏡で観察して見ると、きっと思っている以上の種類の鳥たちに出会えるだろう。

    コクガン

    ガン類の中でも海水域にやって来る変り者。海藻・海草が大好物で、浅瀬の海草、漁港内に溜まった流れ藻、スロープや沖のブイに生えている海藻を食べている姿が観察できる。黒と白のシンプルな色合いで、首の白いリング模様が特徴的だ。

    海藻をついばむコクガン


    オオワシ

    日本にやって来る渡り鳥の中で最も大きいのがこのオオワシ。志津川湾にも毎年やって来ている。魚や弱った海鳥、海獣を食べる。観察できたらラッキーだ。

    オオワシ
    空を飛ぶオオワシ

    ヒドリガモ

    漁港近くで、よくカップルで海藻を食べに来ている。ピューイ!と高い声で鳴くので、近くにいると良くわかる。オスは頭がレンガ色で額がクリーム色だ。

    ヒドリガモ

    ホオジロガモ

    少し岸から離れたところで潜ってエサを取っている。海藻も魚介類もなんでも食べるが、主食はエビ・カニの仲間や、貝類のようだ。おにぎり型の頭と顔の前面、ほおの白い模様がチャーミングである。

    ホオジロガモ

    ウミアイサ

    ツンツン頭に赤い目とくちばしが少しやんちゃな印象の鳥。潜って魚をとる。潜る前に、水面に浮いたまま顔だけ水中に入れて魚を探す行動をとるそうだが、まだ見た事がない。まるでウニやアワビを取る漁師のようだ。

    ウミアイサ

    渡り鳥に選ばれる志津川湾

    渡り鳥たちはなぜ志津川湾に来るのだろうか。以前、海研一からも紹介もしたし、ニュースや新聞でも大々的に取り上げられているからご存知だと思うが、志津川湾は昨年の秋にラムサール条約登録湿地となった。この条約は、正式名称を「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」と言い、国際的に重要な湿地およびそこに生息・生育する動植物の保全を促進することを目的としている。志津川湾は海藻・海草が豊かで、様々な海洋生物のエサ場となっていることなどが認められて登録に至ったんだ。

    志津川湾の海辺で海藻を食べる鳥、魚介類を食べる鳥たちがたくさん観察できるのは、国際的にも認められるくらいの豊かな海藻・海草群落があって、それらに鳥たちも含めた生き物たちがしっかりと支えられているからなんだ。

    やっぱりすごいな!志津川湾!

    …確かに今の志津川湾はすごい。でもこの先はわからない。海研一は、海藻や海草、鳥たち、魚たち、ほか生き物たち、海の保全をもう少しがんばらないといけないとも思っている。なんといっても海のゴミだ。海岸にたくさん打ち上げられているが、プラスチックのものが多く、細かく砕かれてしまって最近大きな問題となっているマイクロプラスチックそのものが見られる。これは生き物たちのエサにまぎれてしまい、彼らに悪い影響があることは間違いない。それ以外にも、土砂によって濁った水が流れ込んだり、地球規模の問題で言えば水温の上昇で藻場がなくなる磯焼けがおこったり…。

    私たちは志津川湾をラムサール条約登録湿地の名に恥じない海にすることを、社会から求められていることも肝に命じないといけないと思う。海研一は、こういった自然にダメージを与えていることを直視して、自然を大切にする取り組みを積極的に行い、その成果が見えるようになって、ほんとうに胸を張って志津川湾はすごい!と言えるようになりたいんだ。小さな活動でも良い、ひとつひとつ課題を見つけて、解決して、私たちも志津川湾から恵みをもらいながら暮らす一員として、努力していこう。