未来へ紡ぐ、若い世代の声。/阿部悠斗さん

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南三陸に生きる人を巡り、一巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第29弾は、一般社団法人南三陸町観光協会に勤める阿部悠斗さん。震災時の記憶を未来へ伝承する語り部として、南三陸の豊かな自然を生かすスタッフとして、活躍する阿部さんの想いに迫りました。

震災。そして通っていた学校が避難所に

2017年12月から南三陸町観光協会のスタッフとして活躍する阿部悠斗さん。22歳という若さながら「まち歩き語り部」などを通して、震災体験を語り継いでいる。阿部さんの生まれ育ちは南三陸町歌津の港地区。南三陸町の北端の気仙沼市との町境にある。

8年前の震災のとき、阿部さんは中学2年生だった。卒業式の前日、体育館で掃除をしていたときに大きな揺れが襲った。高台にある学校で友人らと身を寄せ合いながら、海からわずか200メートルほどしか離れていない家にいるであろう祖母と2歳の妹のことを思い出していたという。

「でも、自分たちが通っていた学校がそのまま地域の避難所となっていたのでバタバタと、連絡も取れなかったし、どうすることもできずにいました。地震があって、津波が来て、2時間くらい外で身を寄せ合っていましたが、そのあとは中学生が体育館の掃除をして、地域の人に入ってもらいました。中学校は高いところにあったので、下にある小学生も、幼稚園児も避難してきていたので。中学生が主体的に、自分たちが率先して動いていました」と震災直後のことを振り返る。

そして震災から3日目。「父が中学校まで迎えに来ました。そして『家族は無事だから』と話してくれた。『ダメかもしれない』と思っていた状態だったので、家族に会えたことが本当にうれしかった」と振り返る。

ボランティアや地域住民との出会いに触発

「小さいときは人見知りであまり積極的な子どもではなかったと思います」と話す阿部さん。その後の人生を大きく変えたのは震災と、その後の避難生活だったという。

通っていた中学校がそのまま避難所となり、生徒も自主的に避難所運営に入ることになった。「避難所にいて、今まで接することのなかった地域の人やボランティアの人たちと触れ合っていくなかで、地域のために何かできるってすてきな人だなって思ったんです」

その後、地元の高校を卒業した後、一般企業の営業職、自治体臨時職員として働いていたが、「地域のために働きたい」という震災後に抱いた想いを実現するために現在の職場である南三陸町観光協会に移った。

観光協会に入るまで、震災の経験を話すことにためらいがあった。

そして、観光協会の人気プログラム「まち歩き語り部」の依頼があったときも、はじめは気乗りしなかったという。

「それでも自分の話しに共感してくれたり、応援してくれるお客さんの姿に背中を押してもらいました。手紙や年賀状をくださる方もいて、数時間のガイドでも長くお付き合いできる関係になることがうれしく思っています。今では、自分の体験を話すことで、今後の災害に備えるひとつのきっかけとしてほしい!という想いでお話しをしています。悲しい想い、悔しい想いをする人を少しでも減らすことができればと思っています」

「自分にできることはなにか?」を考え続けた一年

海と森が近い南三陸。阿部さんは小さいときから自然に触れながら育ってきた。小学校の授業で、生き物観察をしたり、遡上する鮭をつかまえて観察したり。そして、自然とともにある生活は今でも変わりない。

観光協会では2017年に再開した「サンオーレそではま海水浴場」の担当として、そして南三陸町でSUPやカヤックなどのアクティビティを主催する「おきなくらEELs」の活動にも参加をしている。仕事後には、ゆったりと流れる夜の空気を感じながら散歩したり、ランニングしたりして過ごしているという。

「防潮堤ができたり、土がたくさん詰まれていたり、コンクリートで固められて、大きく町は変わっているけれど、一歩自然に近づけば、山も海も、震災前から変わらない自然の風景があるんです。被災地の南三陸としてだけではなく、観光地として誇れる場所もたくさんある。また行きたくなる町になるようがんばっていきたい」と決意を述べる。

「この8年は本当にあっという間でした。どんどん変わっていく町だからこそ、自分も成長していかなければならないと強く思っています」と話す阿部さん。この一年は「自分にできることはなにか?」を考え続けた一年だったという。

自然体験、震災の記憶。自分にできることを着実に実施する。

「とくに震災当時中学生だった自分たちが語り継ぐ最後の世代なのではないか?と思っています。震災のとき2歳だった妹も小学4年生。この町でなにがあったのか。町の小学生や子どもたちにも伝えていかなきゃなと感じている」

一歩一歩、ゆっくりと、でも着実に歩みを続ける22歳。きっと、この町の希望の灯りとなっていくことだろう。

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