聞いでけさいん町長さん で見えた町長と住民の距離の近さ

「聞いでけさいん町長さん」は、その名の通り、協働のまちづくりを実現するため、町長が地域に出向き、みなさんと建設的な意見交換を実施する機会です。今回「NPO法人びば!!南三陸」が町長を招いたとのことで、取材に伺いました。

「聞いでけさいん町長さん」とは

他の町から南三陸に来た人は、町長と住民の距離の近さに驚くかもしれません。そんな町長と住民の距離の近さを物語る場に伺いました。

「聞いでけさいん町長さん」(訳:聞いてちょうだい、町長さん)は、その名の通り、10名以上の町内団体であれば誰でも町長を招いて、建設的な意見交換ができる制度です。

以前は、「出前トーク」の名前で実施されていましたが、震災後は一時中断していました。今年度より名前もより親しみやすくなって再開し、今回が第一回目の開催となります。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

地域住民の集いの場「晴谷驛(はればれー)」

今回、町長を招いたのは、入谷で高齢者のための生きがい作り活動をしている「NPO法人びば!!南三陸」です。「あそびば」、「まなびば」、「むすびば」の3つの楽しい「びば」の機会を創出し、地域住民がいきいきと生活できる手助けをされています。その「NPO法人びば!!南三陸」が管理・運営している施設が、入谷でひときわ目立つ赤と青のスタイリッシュな建物「晴谷驛(はればれー)」です。どちらもネーミングにユーモアのセンスが光ります。

そこに足を踏み入れると、既に多くの紳士淑女の方々が、町長の登場を待っていました。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

「写真では見ていたけど、実際に来るのは初めて。こういう機会でもないと来ることもないから、今回は呼んでもらえてありがたい」と町長。

コンテナに囲まれたスペースは、色とりどりのモザイクで彩られていて、まるでスペインの広場のようです。このモザイクアートに使われているのは「エコ平板」というもので、「NPO法人びば!!南三陸」の方々が、日々鋭意製作しているものです。この床も、みなさんで一つ一つ並べて作ったそうです。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

他にも、クラフトテープを用いてカゴや小物入れを創る「エコクラフト」や日曜大工、陶芸など、様々な講座が開講されています。特技のある住民が講師となったり、地域外から先生を招いたりしながら、お互いに腕を磨いています。

町長の前で自慢の作品を披露して、住民の方からも笑顔がこぼれました。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

その他にも、地域の歴史や文化について学ぶ「地域学び塾」、みんなでバスに乗って町外に足を伸ばす「視察ツアー」など、様々な企画が開催されているそうです。

「歳とると、家にいても一人とか、夫婦二人とかだっちゃ?こうやって通ってくる場所があるっていうのはありがたいよね。ここに来ると毎日が楽しいよ」と住民の方は語ります。世間では60歳以上は「高齢者」とひとくくりにされてしまいますが、人生80年と言われる昨今、60代も70代も、80代だってまだまだ現役です。長年の経験と知恵を持ち合わせ、地域にも精通した大先輩たち。彼らが元気であれば、町全体が元気になることは間違いありません。

町長との建設的な意見交換会

司会を務める代表理事の鈴木清美さんから、今日の町長との対話における3つのテーマが発表されました。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

  • 震災前にあったシルバー人材センターが今後どうなるのか
  • みんなで作っているエコ平板のモニュメントを、復旧後の町で使ってもらいたい
  • 今後の高齢者の暮らしがどうなるのか

震災前、南三陸町にはシルバー人材センターがありました。現役を退いた元気なおじいさん、おばあさんたちが、植木の剪定や宛名書き等、様々な仕事を請け負っていました。長年の経験に裏打ちされたまじめな仕事ぶりは高く評価され、町内でも重宝されていました。総会や会員交流会ともなれば、趣味の活動を行う友の会の会員も合わせて100名以上の大宴会が催され、非常に盛り上がっていたそうです。

シルバー人材センターは諸事情で、一旦解散という形になっています。それでもせっかく培ったつながりを絶やさず、震災でコミュニティもばらばらになったからこそ、高齢者がいきいきと活動できる場を作りたいと活動を続けてきたのが、この「NPO法人びば!!南三陸」(前身は「いぶし銀倶楽部」)でした。そして、従来のシルバー人材センターの役割である、働きたい方と作業を頼みたい方をマッチングする機能に加え、住民が交流や趣味の活動に打ち込んで楽しく過ごす手助けをし、それがまた各々の良い仕事につながる…そんな進化版シルバー人材センターの形を「NPO法人びば!!南三陸」は模索しているのです。

「清美くんやさっちゃん(事務局長の西城幸江さん)にはいつも言ってるんだが、シルバー人材センターはぜひとも復活してもらいたい。今こそ、町の様々な層の人が活躍できるシステムが必要だ。どんどんやってくれ!」と町長からは力強い返答がありました。

「聞いでけさいん町長さん」で見えた町長と住民の距離の近さ

また、エコ平板モニュメントに関しては、住民のみなさんの手作りのモニュメントに感心しながら「これから復興記念公園もできるし、使える場所はたくさんある。十二分に検討します。デザイン・技術に磨きをかけていてください!」とこれもまた期待のもてる言葉がありました。

顔の見える間柄だからこその対話の場

ところでね、と町長が口を開きました。

「震災から5年経つというけれど、当然ですが私も5歳年をとるんですよね。震災直後の写真と、今の写真を見比べると、老けたなあって・・・。しかし、みなさん、震災前と変わらず、お元気そうでほっとしました」

そう、現役のころは、様々な場面で町を支え、盛り上げてきた先輩方。町民と町長という間柄になる以前から、顔見知りであり同志でもあったみなさんです。

そこからは、一気に和やかな雰囲気に。今年度で住宅地の復旧の目処が経った今だからこそ言える苦労話も飛び出しました。

「町長さんのがんばりも大きかったもんね」大先輩からの言葉に、町長の顔もほころびました。

和やかな対話のなかに、お互いの立場を尊重する思いやりの心が見えました。

今度はあなたのところに町長を呼んでみよう

その後、質疑応答は町長だけでなく、同行していた役場の職員にも及び、約60分の時間はあっという間に過ぎました。終了後に参加者の方に話を伺うと、「町長が公の場で、シルバー人材センターの再建について意欲を示したのはこれが初めて。来てもらってよかった」とおっしゃっていました。今度はあなたの所属する団体、職場、学校でも、町長を呼んでみてはいかがでしょうか?

詳細:南三陸町企画課「聞いでけさいん町長さん」の実施について

〈6月22日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年6月22日

「オープニングコール」は、さんさん館の阿部あい子さんから始まり、「まちのひと」はみなみさんりくブックスのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、高貞さんのモアイ焼きです!

オープニングコール

さんさん館の阿部あい子さんのオープニングコール。

さんさん館

まちのひと

みなみさんりくブックスのお話です。

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今週のイチオシ

さんさん館のほど近くにある「高貞(たかてい)」の「バナナ焼き」です。

高貞は、創業約65年のお菓子と仕出しのお店です。南三陸町のお祝いごとやお祭りには欠かせない存在として信頼されています。そんな高貞さんの看板商品とも言えるのが、このバナナ焼きです。先代の主人の代から、60年以上も地域の方に親しまれています。優しい甘さのカステラ生地に、バナナの香料を含んだこしあんがぎっしり。一口食べると、昔懐かしいバナナの香りがふわっと広がります。

このバナナ焼きが購入できるのは、南三陸町入谷にある「高貞」店頭または、入谷サン直売所(土日のみ)、山内鮮魚店本店、伊里前福幸商店街の中の「マルタケ大衆ストア」等です。価格は5本入りで税込み450円です。

参考サイト

〈6月15日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年6月15日

「オープニングコール」は、戸倉保育所のみなさんでお父さんへのメッセージから始まり、「まちのひと」はカフェちょこっと 成澤英子さんのオススメメニューのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、パティスリーくりこ「もちもちロール」です!

オープニングコール

戸倉保育所のみなさんでお父さんへのメッセージからはじまりました。

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まちのひと

カフェちょこっと 成澤英子さんのカフェのお話です。

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今週のイチオシ

「パティスリークリコ」の新商品「もちもちロール」です。

こちらは、その名の通り、一度食べたら病みつきになる もちもちとした食感が特徴のロールケーキです。

食感の秘密は、宮城県産みやこがねのもち粉を100%使用していることにあります。また、グルテンフリーですので、ヘルシー志向の方にもピッタリのスイーツです。
気になるお味は、もちもち食感のスポンジ生地で生クリームと小倉(おぐら)あんを包んだ「小倉(おぐら)ハーフ」と、スポンジ生地と生クリームに、濃厚な抹茶を混ぜ込んだ、「抹茶ハーフ」の2種類があります。

「もちもちロール」は、南三陸町 「民宿 泊崎(とまりざき)荘(そう)売店」、伊里前(いさとまえ)福(ふっ)幸(こう)商店街(しょうてんがい) 「マルエー」、さんさん商店街 「産直りあん」で販売中です。
さらに、「パティスリークリコ」のオンラインショップからもお求め頂けますので、是非チェックしてみてください!

ぜひ一度、食べてみてくださいね!

参考サイト

2016年6月20日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38°38’41” N 141°26’13” E

2016年6月20日/定点観測
2016年6月20日/戸倉地区

志津川地区

撮影場所 [38°41’12” N 141°26’34” E

2016年6月20日/定点観測
2016年6月20日/志津川地区

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

2016年6月20日/定点観測
2016年6月20日/歌津地区

他の定点観測を見る

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第三弾は、歌津地区で四代⽬の漁師を担う浅野健仁くんを紹介。子どもの頃から病と闘いながら、絵描きとしても活躍する彼の姿に迫ります。

浜にさわやかな風をもたらす四代⽬の若き漁師

ホヤ、牡蠣、わかめーー。三陸沿岸の代名詞とも呼べる高品質な海産物が、年間を通して次々と⽔揚げされる南三陸町歌津地区。そこにある稲淵(いなふち)漁港という小さな浜に、さわやかな風が吹いている。その⾵をもたらして いるのは、浅野健仁くん、22 才。第⼋健勝丸の四代目だ。

「船には小学校 4 年生くらいから乗っていました。ウニやアワビの開口と呼ばれる解禁日には⼦どもの⼿も借りて、家族総出でしたからね。でも酔ってしまって、寝込んでいたのを記憶しています」と笑いながら当時を振り返る。

この地域のウニやアワビ漁は、小船から箱メガネを使って⽔中を覗き込み、長い柄のついたカギで海底にいるウニやアワビを引っ掛けて獲る。当然、子どもが挑戦して一朝一⼣でできるものであるはずもなく、「初めて獲ることができたのは中学校にあがってから。そのときは、うれしかったですね」と目を細める。

それから10年。ウニ漁から帰ってきた彼は、万丈(ばんじょう)籠いっぱいにしていた。いっぱい獲れたね、と尋ねると「いや、まだまだ。親⽗の半分くらいですよ」と悔しがった。

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

絵描きとしてのもうひとつの顔

そんな浅野くんにはもうひとつの顔がある。それが「絵描き」。似顔絵や、船、養殖のようす、町の景色。 そこに描かれている絵からは、あたたかみがあり、やさしさがこみ上げてくる。

「絵を教えてくれたのも、祖父でした。船の絵を描くことが大好きだったんです」

彼もまた⾃分の船を描き、養殖業の流れをイラストに起こし、物産展のときにはPOPを描き、お客さんにPR している。このあたたかみのある絵に、似顔絵やイラストなど友人からの依頼も多い。

「海でおいしい海産物を育てれば、食べてくれる人がいる。絵を描けば、それを大切に見てくれる人がいる。 どこか似ているものがあるのかもしれません」

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

病とともにあった半⽣

漁師と絵描き。二足のわらじを履きながら、充実した⼈生を歩んでいるかのように見える浅野くん。しかし、 大きな苦悩を今も抱えている。それは、「トゥレット症候群」と「強迫性障害」という病気。⼩学校のときから症状が現れはじめ、日常生活に⽀障をきたすほどになったことも。学校にも思うように通えず、高校2年時に襲った東日本⼤大震災とその後の避難生活や仮設住宅暮らしのストレスなどで症状は悪化。

それでも高校卒業後、夢だった臨床工学技⼠になるために、町を離れ仙台の専⾨学校に通うことになった。初めての一⼈暮らし。その先にあるのは明るい未来のはずだった。

「しかし、緊張や慣れない生活のせいか、症状がこれまでで一番悪い状態になりました。結局、一週間ももたず、ボロボロ泣きながら地元に戻ってきたんです。⼼も体もめちゃめちゃの状態。本当に辛くて、なんで自分だけ、と思ったことも一度や二度ではなかった」

「久しぶり」のひと言が前を向く⼒に

地元に戻ってきたものの、しばらく仮設住宅に引きこもり状態だった。

秋になり、家族に「わかめの種はさみの手伝いをやらないか」と声をかけられた。気乗りしなかったものの、しぶしぶ浜へ降りていった。夢を追って地元を離れたにも関わらず、なにもせずに戻ってきた後ろめたさが、浜から彼を遠ざけていた。

しかし、浜に降りると「『たっけ、久しぶりだっちゃ!』『ずいぶんおがったこと(成⻑したね)』と浜の⼈たちが元気に声をかけてくれたんです。そのとき初めて、地元に戻ってきてよかったんだなって気づいたんです」

さらに、昼間の空いている時間は、仮設住宅のお年寄りの方々が集まる場に顔を出すように。たまたま描いていた絵が、スタッフやお年寄りの方々に好評で絵を飾ってもらった。

「⾃分の絵がこんなにも喜んでもらったことがはじめてで。素直にうれしかったんです」

養殖作業を⼀つ一つ覚えていき、できなかったことができるようになることがうれしく、楽しかった。合間をぬって描いていた絵もコンテストで入賞したり、みんなの目にとまるようになった。

「最初は海の仕事もリハビリのつもりでした。けれど、みんなに認められて浜の一員になれたような気がして。いつの間にかそれが⽣きがいになっていました」

病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

親⽗を超える漁師に!そして同じ病を抱える人の力になりたい!

彼を「おかえり」と迎え入れてくれた南三陸の人たち。それが⼤きな⽀えになった。

「浜の仕事が忙しいときは地域の人がみんな集まってきて、沖に船を出しに行って、みんなでわいわい言いながら作業して。そんな⽇常がすごい幸せで。ずっとこの時間が続いていけばいいのにって思うんです」

南三陸の⼈たちの温かさが心にしみた。前に進む原動⼒になった。だから今度は⾃分の番。

「家の仕事を継ごうって思えたのも病気があったからだと思います。子どもの頃は⾃分が漁師になるなんて想像もできなかったですから。⽀えてくれた周りの人への恩返しでもあるんです」

移住者であろうと、ボランティアであろうと、観光客であろうと浅野くんは気さくな笑顔で出迎える。そんな彼の姿が励みになっている方も多いことだろう。

「今は漁師として、親⽗を超えたい。そして、同じ病を抱える人への理解の促進や、苦しんでいる人の力になれればと思っています」と⼒強く話す。

まだ夜も明け切らぬ朝4時。リアスの海へと飛び出していったその背中はやさしく、たくましく。良きも悪きも、あるがままを受け入れ、そして進んでいく南三陸の姿そのものだった。病を乗り越え、漁師×絵描きの二⼑流!/浅野健仁くん

〈6月8日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年6月8日

「オープニングコール」は、戸倉保育所のらいおん組のみなさんから始まり、「まちのひと」は宮城県漁業協同組合志津川支所支所長 佐藤俊光さんの新魚市場オープンのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、オーイングRYO小山のマドレーヌです!

オープニングコール

戸倉保育所のらいおん組のみなさんの可愛らしい声からはじまりました。

〈6月8日放送〉みなさんぽ 〈6月8日放送〉みなさんぽ

まちのひと

宮城県漁業協同組合志津川支所支所長 佐藤俊光さんの新魚市場オープンのお話です。

〈6月8日放送〉みなさんぽ

今週のイチオシ

今日ご紹介するのは、「オーイング菓子工房RYO(りょう)」の人気商品「お山のマドレーヌ」です。

「オーイング菓子工房RYO(りょう)」は、昨年の8月に南三陸さんさん商店街にお店をオープンしました。それまでは、移動販売やイベントへの出店がメインでしたが、いつも足を運んでくれるお客さんや、全国各地からの応援に応えたいと、念願の店舗をオープンしました。

そんなお店の看板商品が、「お山のマドレーヌ」です。中心が山のようにツンとなるように焼き上げるため、「お山のマドレーヌ」と名付けられています。シンプルで飽きのこない素朴な味わいで、移動販売時代からの人気商品です。焼きたては、表面がカリッと、中がふわっと、バニラとマーガリンの香りがたまりません。そして、「袋入りはないの?」というお客さんの声から生まれた袋入りバージョンは、しっとり感が加わって、おみやげにも大好評です。

お値段は、どちらも1個148円です。ネットショップ「南三陸deお買い物」からも購入いただけます。

ぜひ一度、食べてみてくださいね!

〈6月8日放送〉みなさんぽ 〈6月8日放送〉みなさんぽ

参考サイト

志津川中吹奏楽部 熊本地震チャリティーコンサート

5月7日、さんさん商店街にて、志津川中学校吹奏楽部がミニコンサートをおこないました。4月に発生した熊本地震へのチャリティーコンサートとして開催され、たくさんの方が集まりました。

熊本地震へ想いを寄せて

平成28年4月14日以降、熊本県を中心に発生している一連の地震により被災された皆様に、深くお見舞い申し上げます。

南三陸町は同じく大震災の被災地として、東日本大震災の際に全国の皆様に助けられた想いを忘れず、今回の震災について支援活動に取り組んでおります。

さんさん商店街や町内公共施設等での募金活動、保健師や町職員の派遣をはじめとし、今回の志津川中学校吹奏楽部のコンサートも、チャリティー活動の一環として開催されました。

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

ゴールデンウィークを過ぎたさんさん商店街

ミニコンサートが開催された5月7日。よく晴れたさんさん商店街には、こどもの日を過ぎてなおたくさんの鯉のぼりが舞います。志津川高校美術部が制作し、町内の保育所・保育施設の園児らが手形を押したり色を塗ったりしたものだそう。

ゴールデンウィークには毎年、町へたくさんの観光客の方々が訪れ、今年も多分に漏れず、さんさん商店街は大忙し。東日本大震災の年を数えると6回目のゴールデンウィークとなりますが、依然としてこうして多くの方に訪れていただけることも、復興へ向けた大きな励みとなります。

この日も土曜日とあって、連休の名残のごとく、たくさんの方が商店街を訪れていました。

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

志津川中学校吹奏楽部チャリティーコンサート

そんなさんさん商店街で、地元志津川中学校の吹奏楽部が、熊本地震へ向けたチャリティーコンサートを開催しました。

集まったのは入学したての1年生から3年生まで、およそ30名。

「熊本へあの時の恩返しを。そのために精一杯演奏します」とあたたかいメッセージで始まり、誰もが知っている曲たちが次々と演奏されていきます。

新年度が始まりまだ1か月ほどですが、曲数も多く素晴らしい演奏です。

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

合唱曲『BELIEVE』

1年生が歌唱を担当し演奏した合唱曲『BELIEVE』は、会場にいた多くの人の心を打ったでしょう。筆者個人的にも小学校の合唱で歌った思い出深い曲で、思わず共に口ずさみました。

「たとえば君が傷ついて くじけそうになった時は かならず僕がそばにいて ささえてあげるよその肩を」
「悲しみや苦しみが いつの日か喜びに変わるだろう」
「世界中のやさしさで この地球をつつみたい」
(『BELIEVE』作詞・作曲:杉本竜一)

吹奏楽部の皆さんの想いがこもった選曲と演奏、さらに春のうららかな陽気で、とてもあたたかい気持ちになりました。

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

「南三陸から特大の愛を」

客席では、1年生の女子生徒2人が手づくりの募金箱を手に、募金活動に励みます。

商店街に集まったたくさんのお客さんから、あたたかい募金が集まっていました。募金箱に貼られたチラシには「南三陸から特大の愛を」の言葉。

吹奏楽部のみなさんの愛とともに、5年前この町が感じた感謝の恩返しとして、熊本のみなさんへ届けられたことでしょう。

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

東日本大震災から5年

東日本大震災から5年が経過し、当時小学校低中学年だった子どもたちが立派な中学生になりました。

多感な時期に被災し過ごした5年間は、彼ら彼女らにとってどんな5年間だったでしょうか。彼ら彼女らの心にも、その時多くの方に助けていただいた恩が確かに残っていて、今こうして熊本に向けて立ち上がっています。町の未来を担う、若く力強い中学生のみなさんに期待が膨らみます。

「いま未来の扉を開けるとき I believe in future 信じてる」(BELIEVE』作詞・作曲:杉本竜一)

「志津川中吹奏楽部」熊本地震チャリティーコンサート

南三陸町が日本初の認証です! ASC認証取得伝達式

環境に配慮した養殖場としての認証、ASC国際認証。日本で初めて宮城県漁業共同組合志津川支所出張所戸倉かき生産部会が取得し、認証取得伝達式が5月18日に南三陸ホテル観洋で執り行われました。

ASC認証の社会的意義

ASC認証は、国際機関であるASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)により、自然や資源保護に配慮しつつ、安全で持続可能な養殖事業を営んでいることを認める国際認証制度です。

世界人口が増大する現代に、養殖は安定食料供給のために重要な役割を担いますが、同時に自然環境の破壊、生態系のかく乱、薬物の過剰投与などの問題も浮かび上がってきています。そういった課題を人々の意識に留め、解決していくための一つの手段として、ASC認証は徐々に世界で広がりつつあります。

日本国内でASC認証を取得するのは、南三陸町が初めてです。

世界に誇れる「戸倉っこかき」

南三陸町戸倉波伝谷地区にある戸倉漁業組合の仮設テントで開催された、牡蠣の試食会では、熱を加えてもプリプリ、ふっくら、大きくて、ジューシー食べきれないくらいの牡蠣をいただき、参加者は皆、大満足の様子でした。

南三陸町が日本初の認証です! ASC認証取得伝達式
牡蠣の試食会場

南三陸町が日本初の認証です! ASC認証取得伝達式

プリプリのカキフライ。かきがよいのか?お母さんたちが上手いのか?とにかくおいしい。

南三陸町が日本初の認証です! ASC認証取得伝達式

漁協婦人部の皆さんの晴れやかな顔からは、自分たちがつくってきた牡蠣を誇りに思う気持ちが伝わってきました。

震災後の新たな挑戦として国際認証取得へ

戸倉かき生産部会は、養殖たなの数を震災前の3分の1に減らすことで、牡蠣ひとつひとつに多くの養分をいき渡らせ、従来のやり方では出荷まで2〜3年かかる生育を、1年で出荷できる大きさまで育てることに成功しました。この生産方法を実現するには、戸倉かき生産部会に参加する37の養殖業者の協力と団結がなければ実現できません。

今まで踏み入れたことのないやり方に戸惑いや不安をかかえながらも、20年後の安定生産を目指して、新体制をすすめることになったそうです。

しかし、世界的な認証を取得し、順風満帆なスタートを切っているように見えますが、生産者はいまだ不安を拭いきれていません。国際的な認知度は高いものの、国内ではまだまだ認知度が低く、収入に結びつくには時間が掛かるとのことです。困難のなか、生産部会一丸となって新たな挑戦を続ける産地にこれからも目が離せません。

環境への目線

南三陸町では、昨年の秋に取得した森林の環境を守る林業を認証するFSC認証に続き、今回、ASC認証を取得しました。

一つの自治体でFSC、ASCを取得している自治体は今まで、世界でも例がなかったとのこと。分水嶺に囲まれ、海、山、里が密接に関わる地形を持つ南三陸町だからこそなし得たものかもしれません。

佐藤町長からの祝辞の中で、「海に打撃を受けたけれど、豊穣の海が残った。”ピンチ”を”チャンス”に変えるこの取組みを支えてゆきたい」というお話がありました。

大災害を経験した三陸沿岸は、自然の脅威と恵を、繰り返し体験、享受してきた長い歴史があります。

昨今、世界人口の偏り、資源の問題、放射能汚染、公害など、グローバル化する世界情勢の中で、持続可能な社会づくりは課題としてあげられています。

東日本大震災を経て、自然と人の関係を改めて問い直す機会を与えられた三陸沿岸は、その教訓を活かして世界に発信する役割になっているのかもしれません。

つつじ咲き誇る 名峰田束山

南三陸町内最高峰、田束山(たつがねさん)。地域の人からは信仰の対象として古くから愛される山です。つつじの名所としても知られ、今年も満開を迎えたつつじを目当てに、たくさんの方が訪れていました。

田束山(たつがねさん)

南三陸町内最高峰である田束山は、標高512m。歌津地区の北方、気仙沼市との町境に位置しています。

自家用車でも容易に山頂付近までアクセスでき、町やリアスの海を一望できる眺望の美しさから、観光名所となっています。

特に春にはマウンテンバイク大会の開催や、麓を流れる伊里前川でのシロウオ漁とシロウオ祭り、そして山頂を赤く彩る5万本のつつじと、田束山や歌津地区でのイベントが多くあり、ひときわ賑わいをみせます。

つつじ咲き誇る、名峰田束山

黄金文化、平泉中尊寺との関わり

田束山は地域の人々にとって、古くから信仰の対象ともなっていました。

時は平安時代後期、奥州藤原氏が100年以上にも及ぶ黄金文化を築き、東北地方を支配していました。

長く東北地方で続いた戦乱の戦没者を慰め仏国土をつくろうと、世界遺産として知られる平泉中尊寺を建立し、平安京に次ぐ仏教大国を築きます。

中尊寺を建立した藤原清衡(きよひら)を祖父に持つ3代目当主秀衡(ひでひら)は田束山を篤く信仰し、現在も中腹に跡の残る寂光時をはじめいくつかの寺社を造営しましたが、後の鎌倉政権との争いの中で荒廃していきました。

このため山頂からは多くの経塚が出土していて、県指定史跡ともなっています。

つつじ咲き誇る、名峰田束山

修験の場としても

伝説の修験僧として名高い満開上人は、田束山の荒廃を嘆き、自ら即身仏(ミイラ仏)となるため入山したと言われています。

麓の樋の口地区からの入山道は僧たちにとっての格好の修行場となっており、後に登山道として整備され「行者の道」と呼ばれています。

道中では美しい山の草木や沢とともに「穴滝」・「蜘蛛瀧」といった行場も見ることができ、数々の伝説と歴史のロマンに思いをはせながら登ることもできる山です。

つつじ咲き誇る、名峰田束山

南三陸の海も山も感じる

山頂からは、戸倉神割崎から歌津尾崎まで、志津川湾を囲む町の海岸線が一望できます。

天気が良ければ、南には石巻市金華山、西には栗原市栗駒山、そして北には気仙沼市大島と、県北部の名所各所が見えることもあります。

海のイメージが強い南三陸町ですが、山が非常に近いことも特徴です。

海抜0mから最高峰512mまでがこれほど近くにあることで、小さな町ながらいろいろな自然環境を楽しむことができます。

町境と山の稜線(=分水嶺)がほぼ一致することも大きな特徴です。町に降った雨は町内の川を伝って、町が抱く志津川湾へと流れ込みます。

つまり、山をどう手入れ・保全し、私たち町民がどのように暮らすかが、海の環境を大きく左右し、カキやワカメなどの豊かな養殖物の生産へとつながっているのです。

山の環境認証FSCと、養殖物の環境認証ASCの双方を取得したことでも大きな話題となった南三陸町。海も、山も愛し、「自然と共に生きる」町です。

つつじ咲き誇る、名峰田束山

四季折々の田束山を楽しんで

そんな「自然と共に生きる」町の姿を垣間見ることのできる田束山。

春にはつつじの赤が、夏には新緑の緑が、秋には紅葉の紅黄が、冬には雪の純白が山を彩ります。

四季折々、異なる表情を見せる田束山で、行者の道を歩き自然と歴史を感じながら、町の豊かな自然環境を存分に味わってください。

つつじ咲き誇る、名峰田束山

スポーツで町を変革!22才新社会人の挑戦!/佐藤慶治くん

南三陸に生きる人を巡り、一巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第二弾はこの4月から南三陸で新社会人としてUターンしてきた佐藤慶治くん。「スポーツで町を変えたい!」という大きな野望に迫りました。

南三陸町に新社会人としてUターン

この春、南三陸で晴れて社会人としてのスタートをきった者がいる。南三陸町出身で東北福祉大学へ進学、卒業と同時に南三陸に戻ってきた、いわゆるUターンだ。だが、その働き方は一般の新卒社会人のそれとは大きく異なる。一般社団法人南三陸町観光協会にパート職員として勤務しながら、残りを高校生など若者支援を行うNPO法人底上げでの活動、個人の事業や学習といった時間を当てている。

都心に出て、遊びに没頭したい年頃だろう。同年代の多くは町外に出て、戻ってくることは多くない。しかし、彼は「南三陸町に戻ってくる」という以外の選択が思い浮かばなかったという。その背景には、自分が育ったこの町で叶えたい夢があった。

学生時代は、自然豊かな町全体がフィールド

学生時代は陸上にのめり込んだ。その練習場所はトラックだけではない。入谷の自然豊かな山あいをランニングし、海岸沿いの松原公園を駆け抜けた。佐藤くんにとって、この町全体がフィールドだった。

「今思えば、あれがあったから地元に愛着を湧いていたのかなあって。この町が好きという単純な言葉が意味することは、ぼくにとってはスポーツと切り離せないものなんです」

そんな町を東日本大震災が襲った。佐藤くんが高校2年生のときだ。それから町の状況は一変。大学生となり、自身が立ち上げた団体で、語り部として南三陸に戻ってくる機会があった。その際に目にしたのは復興工事の最中で、子どもたちの遊び場がなく、スポーツする機会が限られてしまっているということ。

「何より、ぼくが経験したように、町で自由に運動しながら、この豊かな自然を感じることはないということがもったいないって思ったんです。そして、それがゆくゆく町から離れてしまう原因にもつながっているのかなって」

スポーツで町を変革!22才新社会人の挑戦!/佐藤慶治くん

スポーツ先進国フィンランドへ留学

生まれ故郷がスポーツと縁遠くなってしまう…。この状況を目の当たりにした佐藤くんは「なんとかしたい」と、当時スポーツ人口が世界一と言われたフィンランドへの留学を決意。

「正直、英語なんて中学生レベルでした。でも、熱意だけは人一倍。実際にスポーツを行う人の表情や空気、その場の雰囲気は行かないとわからない。行くことにためらいはありませんでした」

意気揚々とフィンランドに降り立った佐藤くん。しかし、言語も通じず、知り合いは誰もいない状況で、大きな壁にぶち当たることに。「自分の弱い部分をたくさん知って、はじめて鬱のような状態になった」。しかし、仲間の後押しもあり、「やるっきゃない」と自分を奮い立たせた。「最終的には、インターン先から『うちで働かないか』とスカウトされるほどになりました。底辺から立ち上がった経験が宝物」と話す。

スポーツで町を変革!22才新社会人の挑戦!/佐藤慶治くん
スポーツが国籍を超えた仲間との絆を生み出した留学時代 写真提供:佐藤慶治

地域のコミュニティとしてのスポーツ

「フィンランドでいちばん変わった考えは『スポーツは競技じゃない』ということ。人と人をつなぐツールであり、地域のコミュニティのひとつなんだなって。ぼくの知らない、スポーツの顔がフィンランドにはあったんです」

それをスポーツの場が限られてしまった地元で再現したい、との思いから、南三陸で「あくてぃぶ」という活動を始めている。現在は月に一度ほど、将来的には週に何回か定期的に開催することが目標だ。

そこにいる誰もが笑顔で、笑い声が響く。男性も、女性も、年齢も関係ない。顔なじみもいれば、初めて会った人もいるーー。そんな理想は描けている。今はまだ試行錯誤の状態。それでも信念を持って突き進むから道は拓ける。

「地域のみんなで作るスポーツの”場”作り。それがこの町でできたらこの町は変わるし、日本も変わると思う」。これまでの彼の行動力を鑑みれば、その妄想が決して大げさではないことはうなずける。

最後に彼はこう続けた。

「あのとき、ああしていればよかったってもう思いたくない。だから、迷ったとき『本当はどうしたいの?』って自分自身に聞くんです。自分を軸にして出た答えに嘘はないから」

失ったもの、そして乗り越えてきたもが大きいから、言葉の重みが違った。南三陸人の強さの要因を、22才の新社会人に垣間見た気がした。

スポーツで町を変革!22才新社会人の挑戦!/佐藤慶治くん
「あくてぃぶ」活動中の一コマ。参加者の笑顔が空間のよさを物語っている 写真提供:佐藤慶治