新しいボランティアセンターのカタチ / 南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー

東日本大震災以降、15万人以上のボランティアが、「南三陸町災害ボランティアセンター(以下ボラセン)」を通じて南三陸町を訪れました。ボラセンが果たした役割は何だったのか。南三陸町社会福祉協議会 事務局長の猪又隆弘さんにお話を伺いました。

「南三陸町災害ボランティアセンター」は、どのようにして立ち上がったのか

―まずは、南三陸町災害ボランティアセンター(以下「ボラセン」)の東日本大震災発災直後からこれまでを段階的に教えていただきたいと思います。

震災以前から、発災時には地元の行政と社協(社会福祉協議会)がボラセンを立ち上げるという協定を結んでいました。私も何冊ものマニュアルを作ったし、何度も訓練を行ってきました。しかし、3.11の地震による津波は社協の事務所があった「福祉の里」にまで到達し、マニュアルも資材も何もかも流されてしまったのです。

―猪又事務局長も被災されたのですか?

はい、私自身も一週間は志津川高校で避難生活をしていました。そして、山形県社協と大阪府堺市社協の支援を受けて、何とかボラセンを立ち上げたのが3月26日のことです。当時の役場職員は避難所に張り付き、避難所の運営から罹災証明の発行事務まで、とにかく忙しくて手がまわらない状態でした。なんとかして、役場職員を次の業務にひっぱりたいから、とにかく早くボラセンを立ち上げてくれと、当時の総務課長から要請があり、ベイサイドアリーナの敷地内に学校用テントを3つたてて窓口を作ったのが始まりでした。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
発足当時のボラセン(写真提供:南三陸町社会福祉協議会)

ボランティアの力を生かす

—3つのテントからボラセンが始まったんですね。初期の活動はどのようなことを行ったのですか?

初期は安否確認や避難所の衣食住に関わることなど、医療以外は全てやりました。4月以降は、徐々にボランティアが入ってきたので、避難所のニーズを把握し、物資の整理やがれき撤去にボランティアをマッチングさせるということを行いました。物資なんか、1日に10トントラックが2台も3台も入ってくるし、ダンボールの中身もバラバラだし、地元の人間だけでさばけるわけないんですね。本当は早いところHP立ち上げて、今必要な物資はこれこれです、ということをやりたかったけど、とてもそんな状況ではありませんでした。そんな時に、初期に入ってきたボランティア3人を、雇用という形で本部付けにしたんです。

―ボラセンがボランティアを雇うというのは、もちろん当初は想定していなかったことですよね?

おそらく、日本初の事例でしょうね。要は、地元の人間が持っていないスキルを、彼らは持っているんです。さらに、被災者が支援者になるということは、その人に大きな負担を強いることになります。そこをこの3人は軽減してくれました。

本部は一日中、マスコミ対応やボラセンの仕組み作りでほんろうされるので、現場はその時入ってきたボランティアに任せて、報告だけ受けるようにしました。普通は、本部、マッチング班、資材班…と分かれて30人くらいの組織構成になるのですが、安否確認だけで2ヶ月はかかっているし、電気も水もないところに、人を集められるわけがない。結局、人で回せる仕組みにしました。

彼ら3人は1年間ずっといてくれましたね。その間は私より高い給料を払っていました。専門的なスキルを持っているのだし、こっちにいる間、彼らの地元の生活も担保しなければならないので、当然のことだと思います。さらに、長期のボランティアが20名ほどいました。彼らに現場までの道案内や道具の整備、作業の指示等を一任できたので、事故率は随分減りました。長期とはいえ、彼らはみんな車中泊で、食料も自前だったんです。

—車で寝泊まりして、ボランティアをしてくれたんですね。

南三陸のためにここまでしてくれているのに、これでは上手くないということで、最低限、寝る場所を準備したり、シャワーを整えたり、長期ボランティア向けの炊き出しをセッティングしたりはしましたね。シャワーは、長期のボランティアの人が漁協の水槽なんかを使って手作りしました。見落とされがちですが、ボランティアのためのボランティアというのも必要なのです。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
長期ボランティアの方々(写真提供:南三陸町社会福祉協議会)

産業支援に踏み切る

—体育館などの避難場所から徐々に仮設住宅に移行していった時期では、どのような活動を行いましたか?

今までやっていなかった「産業支援」に踏み切りました。震災の翌年の3月頃のこと、現場にいて支援を待っているだけじゃ限界があると感じて、東京に出向いていったんですね。「復興支援説明会」という形で場を設けさせてもらって、全国の企業約60社にお集まりいただきました。そして、商店街の方や漁協さんと一緒に町の現状を訴え、こういうわけなので、ご協力を願いますという話をさせていただきました。

ボラセンが旗振りをしてこのような場を設けたのは日本で初めての試みでしょう。踏み切るまでには少し悩みました。役場や商工会がやることで、ボラセンが手を出すべきではないのではと思ったからです。しかし、どこも職員は疲弊している。今注目を集めているうちに少しでも外部とのつながりをつくらなければということで、行きました。

同時に、漁業で言えばわかめの最盛期の手伝いだったり、農業で言えば農地の復旧のための石拾いだったりといった産業分野にもボランティアをマッチングさせていきました。この先の町の復興を考えたときに、産業の復旧は喫緊の課題だと考えたからです。産業のないところに雇用は生まれない。雇用のないところに人は戻ってきませんから。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
産業支援ボランティアの様子

「企業ボランティア元年」企業の支援の仕方が変わった

—企業単位での支援も多かったと聞きましたがいかがでしょうか?

今回の震災では、大企業から中小企業まで、様々な企業が応援に駆けつけてくれました。メディア等でも「企業ボランティア元年」と言われていましたね。

ー私もよく耳にしました。

企業の支援は、最初は「人、モノ、カネ」が中心でした。企業のCSR部門ではそれらの支援先を求めていたので、地元はただ来てもらって、感謝の気持ちを伝えて、満足して帰ってもらえばよかった。それがwin-winの形だったのです。すると次のフェーズとして、企業が地元の行政や事業者と結びついて、ビジネス上の取引としてのwin-winの関係が出てきます。さらに次には、時間はかかるけれども、企業の持つ様々なノウハウを町づくりに活かしていく。被災地でも、被災していない地域でも生かせるシステム作りをしていって、それが、企業のネームバリューの向上にもなるし、社員の成長にもつながる。これが今目指しているwin-winです。

ーなるほど。

その間、企業さんも何度も被災地に足を運ぶことによって、今まで交流のない部署で交流が生まれたりとか、企業内で良い影響が出てくることがわかりました。支援されてばかりでない、企業にも成果をもたらすことができるのです。両者にとってメリットがあるからこそ、緊急時だけではない、継続して何度も訪れてもらえる関係性ができると考えています。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
企業ボランティアの方々が活動をしている様子

「支援」から「協働」、そして「交流」へ

—南三陸のボラセンは、常に開いている印象がありましたがいかがでしょうか?

うちのボラセンは、いつ来てもニーズはある。個人はいつ来てもウェルカム、団体は事前に言ってから来てね、という形にしました。ボランティア保険なんかも、赤い羽根共同募金からの支援でまかなうことができました。そうやって窓口を広くして体制を整えていると、リピーターが増えてきたり、あそこのボラセンはいつ行っても対応がいいというのがボランティア同士の横のつながりで拡散されて、それでボランティアが増えていきました。

—どれくらいの方が利用されたのですか?

うちの窓口を通った人だけでも、2016年3月までで、延べ15万1千人ものボランティアが、この町を訪れています。NGOさんやNPOさんを通じて直接入ってきた人たちを含めると、20万人以上と言っても過言ではないでしょう。町内飲食店や物販関係にはかなり多くの経済効果を生み出したと言えると思います。そして、いよいよボラセンのテントを閉じなければいけないという時に、町長が「感謝のつどいをやりましょう」とおっしゃったんですね。

—ボランティアの方を改めて感謝をするイベントですか?

2015年の3月に開催したこのイベントには、1100名のボランティアが集結しました。さらに、せっかくこれだけの応援もらったんだから、これを未来に繋げなきゃないだろうと町長が発案して始まったのが、「南三陸応縁団」です。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
感謝のつどいの様子(写真提供:南三陸町社会福祉協議会)

一個のおにぎりを分かちあった頃の思い

―これまで、衣食住の支援、産業支援そしてより交流に近い支援と、復興のフェーズによって様々な役割を担ってきたボラセンですが、その役割を「南三陸応縁団」に託し、ボランティアの受入に関しては、災害公営住宅や仮設住宅のコミュニティ支援に絞りました。これからはどのような展開を考えていますか?

これからは、外部との交流を保ちながら、より生活課題に密着した福祉のサービスの枠組み作りをしていきます。福祉というのは、介護保険を受けている人だけのものと考えられがちですが、子ども支援だってコミュニティ支援だって、みんな福祉なんです。それを住民の方々にも理解してもらって、住民参加型の枠組みをつくっていきたい。

―地域住民と地域外の共同ということですね

あの時は、みんなが同じように流されたし、同じ状況だった。しかし、これからは違う。町の復興とともに、個人の経済格差が出てくるでしょう。その時に、一個のおにぎりを分かちあったあの時の気持ちを思い出せるかどうかだと思っています。苦しんでいる人は、自ら声はあげられない。そんなときに、回りに気付いてもらう「助けられ上手」になるためには、日頃から相手を信頼して、家族のことや経済状況など、情報を出さないといけない。そうすれば、中にはいい意味でおせっかいな人が出てくるかもしれない、それが大切。

―具体的にはどのような活動ですか?

住民ボランティアの仕組み作りをしていきます。地域の元気な高齢者が、移動支援や買い物支援を担って、地域のお年寄りを支える。自らも生きがい持って活動して、健康寿命を上げてもらう。「頼り上手」「助け上手」にならなきゃいけないと。震災によって外とのつながりは出来た。今度は、町内のつながりを強くしなきゃならない。今こそ、「オール南三陸」になることが必要なんです。

―「オール南三陸」の一枚岩で地域の未来を作っていきたいですね。本日は貴重なお話ありがとうございました。

新しいボランティアセンターのカタチ/南三陸町社会福祉協議会事務局長 猪又隆弘さんインタビュー
猪又事務局長

ボラセンの南三陸モデル

この5年間で、南三陸の災害ボランティアセンターは他に類を見ないボラセンに成長しました。東日本大震災以降も、毎年のように災害が起き、その度ごとに日本中からボランティアが集結するようになりました。いかにしてボランティアや支援の力を生かすか、というのも、復旧復興の一つの鍵となるのは間違いないと思います。このボラセンの「南三陸モデル」が残した事例の意味というのは大きいのではないでしょうか。

〈7月13日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年7月13日

「オープニングコール」は、漁家民宿やすらぎの三浦さんから始まり、「まちのひと」はさとうみファーム 金藤克也さん「7月23日カヤック・ひつじ祭り」のお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、自然卵のクレープです!

オープニングコール

「オープニングコール」は、漁家民宿やすらぎ荘の三浦さん

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まちのひと

さとうみファーム 金藤克也さん「7月23日カヤック・ひつじ祭り」のお話です!

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はしゃぐ庄子さん
はしゃぐ庄子さん

今週のイチオシ

さんさん商店街で大人気のスイーツ「雄新堂」の「モアイ最中(もなか)」です。

その名の通り、モアイの顔面を模した形がインパクト大の最中です。一度見たら忘れられないルックスですが、特徴はその形だけではありません。

こうばしさとさくさくの食感にこだわって作られた最中の皮に、あんこは、国産のあずきのみを用いて作られています。そして、最中の食感を最大限に生かすために、あんこは別添えで、食べる直前に詰めてもらう方式です。一口食べると、唇にあたってさくっと崩れる最中の食感に驚きます。見た目でびっくり!一手間かけて、食べて美味しさにまたびっくり!のお菓子です。

価格は1つ150円。最中5個とモアイみくじがセットになった箱入りで1080円です。南三陸町内のさんさん商店街の雄新堂他、わたや、フレンズでも販売中。地方発送も承っています!おみやげにすると話題になること間違いなしの一品、ぜひお買い求めください!

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㈲雄新堂
定休日:火曜日
営業時間:9:00~18:30
TEL/FAX:0226-46-2240

 

参考サイト

住民サポートのエキスパート! / LSA・阿部福美さんインタビュー

東日本大震災から5年が経った南三陸町。災害公営住宅ではLSA(ライフ・サポート・アドバイザー)とよばれる生活相談員が住民をサポートしています。実際にLSAとして活躍する阿部福美さんにLSAの担う役割を伺いました。

戸倉住宅の「あべちゃんの部屋」

災害公営戸倉住宅は、一戸建て8棟と3棟の集合住宅を合わせて80戸の住宅です。その集会所脇にLSAが常駐する「高齢者相談室」という部屋があります。

「こんにちは」と声をかけると、「はーい」と明るい声。ドアを開けると阿部福美さんと阿部若子さん、お二人の相談員さんのにこやかな笑顔が待っていました。お部屋には大きな窓があり、外の様子を伺えます。コーヒーとお菓子をいただきながらしばしお話を伺いました。この部屋には「高齢者相談室」という名前がついていますが、訪れるのはお年寄りだけではありません。誰でも気軽に訪れてもらいたいという願いも込めて、通称を「あべちゃんの部屋」にしよう、とお二人で考えたそうです。

滞在していた1時間程の間にも、3人の方が訪れました。ある人は町役場からかかってきた電話の内容を確認する目的で、ある人はチラシの詳細を尋ねるために、あるひとはなんとなくおしゃべりをしようと。そんな場になっているのも、お二人の笑顔があるからなのでしょう。以前は仮設住宅の生活支援員だったお二人は、住民の方への目配りも自然と身に付いている様子でした。

住民サポートのエキスパート! / LSA・阿部福美さんインタビュー

便利なものも使いこなすまでは不便なもの

新築の災害公営住宅は電化製品も最新式の設備が整い便利なものが揃っているけれど、使い方がわからなければ、不便なものです。

「電灯がつかない」、「洗濯機から水が出ない」、「お湯が出ない」、「網戸が開かない」など日常のちょっとしたトラブルや不満もLSAのもとに届きます。確認に行ってみれば、元の電気のスイッチは切れているのにリモコンで操作しようとしたり、元の蛇口や栓を閉めていたり、鍵がついているのを知らなかったりということもあったそうです。

以前の生活ではなかった便利なものになかなか慣れない人も多く、何度も何度も繰り返し伝えて、住民の皆さんもやっと便利なものに慣れてきたそうです。何もかもが新しいスタートになるのは、特に高齢の方々には、大変なことでしょう。そんな日常生活の細々したことも相談できるのがLSAなのです。

住民サポートのエキスパート! / LSA・阿部福美さんインタビュー

人がつながるお手伝い

今でこそ、戸倉住宅に住む誰もが知っていて頼りになるLSA。それはこれまで丁寧に信頼を築いてきたからこそできている関係なのでしょう。

「戸倉住宅がオープンした今年の3月から、今まで別々の地域にお住まいだった住民の方々の移転が徐々にはじまりました。住民の引っ越しの期日はバラバラで、私たちも日時がわからなかったので、窓の外をながめつつ、引っ越しの車が来る度に、一軒一軒、ご挨拶に伺いました」と阿部福美さん。

住民の中には、震災前から戸倉にお住まいだった方々も多いので顔見知りの方々も多いけれど、知らない方々も多い状況。さらに、自治会もできていない中、LSAは住民の皆さんをつなぐイベントや“おちゃっこ”を企画し、どの部屋に誰が住んでいるのかも把握しているそうです。毎日9:30からの体操とその後のお茶会、午前、午後、一日二回の散歩は日課になっています。

住民サポートのエキスパート! / LSA・阿部福美さんインタビュー

「楽しい」「おいしい」が育む見守りの目

「LSAの仕事は何ですか?」と尋ねると、「住民のみなさんの元気な姿を確認することです」という答えが返ってきました。どの部屋に誰がお住まいか、把握しているというお二人は、一日一回は必ず全棟巡回して様子をうかがい、あまり見かけない人には声をかけ、声かけをしても出て来てもらえない時には駐車している車で安否を確認することもあるそうです。

毎日の日課の体操では、声を出して歌いながら体を動かすと自然に体が暖かくなり、笑顔があふれてきます。その後は、また楽しい”おちゃっこ”の始まり。冷やしたきゅうりをいただきながら、おしゃべりがはずみます。特に食べ物のことになると止まりません。「ちょと待ってて、持ってくっから」と一人が出て行ったと思ったら、ご自慢の”南蛮三升漬け”を片手にご帰還。これがまたおいしい。

「和子さん、歩いてるね」、「美代子さんも出て来たね」と窓から見える人をよもやま話の間にも見守りの目線が動きます。「楽しい」「おいしい」ところには人が集まり、人が集まると、いない人も気になってくるものなのかもしれません。

もともと地域での見守りができていた土地柄でもあり、「将来的には、住民同士で声かけ、見守りができる方向にできたら」というLSAの願いは、追い風に帆をあげるようなものなのかもしれません。

住民サポートのエキスパート! / LSA・阿部福美さんインタビュー

〈7月6日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年7月6日

「オープニングコール」は、神割崎キャンプ場 及川渉さんから始まり、「まちのひと」はフィールドミュージアム運営協議会 平井和也さんのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、入谷YES工房 あじさいブローチです!

オープニングコール

神割崎キャンプ場 及川渉さんのオープニングコール。

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まちのひと

フィールドミュージアム運営協議会 平井和也さんのお話です。

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今週のイチオシ

オクトパス君でおなじみのYES工房のcocoon(コクーン)プロジェクト「あじさいブローチ」です。

南三陸町入谷地区は、伊達藩で最初に養蚕が伝えられた地と言われています。昔は多くの農家で養蚕が営まれていました。cocoon(コクーン)プロジェクトでは、そんな入谷の歴史を現代に伝えるため、蚕のまゆを使った様々なグッズを生み出しています。まゆの染色からグッズの製造まで、全て手作りで、心をこめてつくられています。温かみのある風合いとかわいらしい世界観でおみやげや贈り物としても人気です。

そんなYES工房のまゆグッズの中でも、今の季節にぴったりなのが、この「あじさいブローチ」です。一枚一枚丁寧に作られた花びらは、おもわず笑顔がこぼれてしまうほどのかわいらしさです。まゆの素材感が和の雰囲気をかもしだし、浴衣や和装のアクセサリーにもぴったり!

南三陸町のYES工房や、みなみな屋他、ネットでも販売中です。また、YES工房では体験教室もあります。2名様以上から申し込み可能です。ぜひ、オリジナルの「あじさいブローチ」を作りにきてください。

YES工房cocoon(コクーン)プロジェクト
体験教室のお申し込み:0226-46-5153

町民の挑戦の場にも!?役場新庁舎のカフェ運営事業者を募集

着々と建設が進行中の南三陸町役場新庁舎。住民の憩いの場である「マチドマ」と、カフェスペースの設置が予定されています。カフェの運営を行う事業者の募集について、地方創生・官民連携推進室に話を伺いました。

役場の敷居を低くする新庁舎は来年9月完成予定

東日本大震災で被災した南三陸町役場。震災から5年半たつ現在でも、職員は仮庁舎での勤務が続いています。本設の新しい役場庁舎は、平成29年9月の完成予定に向けて、現在、南三陸病院の隣の敷地にて着々と建設が進行中です。建材の多くに県内で初めて森林管理の国際認証「FSC」を取得した南三陸杉を活用するなど、地域資源の有効活用も推進。町の看板として他市町村にも誇れる建物となることでしょう。

住民票や戸籍謄本の取得などの用事がないと、なかなか気軽に足を踏み入れることの多くない役場庁舎。新しくできる庁舎は、住民と行政の間にある壁を少しでも低くすることを目指しています。

「住民の方が気軽に、ふらっと訪れてもらいたいなと思っています。役場に用事のある方、近隣住民の方など多くの方にとっての憩いのスペースにしていきたいですね」と役場の地方創生・官民連携推進室の担当者は話します。

町民の挑戦の場にも!?役場新庁舎のカフェ運営事業者を募集
新庁舎外装イメージ(写真提供:南三陸町役場)

町民の憩いの場「マチドマ」に併設されるカフェの運営者を募集

その象徴的なスペースが、役場の玄関を入ったロビーに設置が予定されている「マチドマ」。町民が展示や談話、休憩などに活用できる集いの空間です。この空間作りにあたって「マチドマづくりワークショップ」が開催されるなど、高校生を含む若い町民と設計者で行われた意見交換が生かされています。

さらにマチドマに併設される形でカフェスペースを用意。現在南三陸町では、このカフェスペースの運営を行っていただく事業者を募集しています。

カフェスペースの目的を尋ねると、

「やはり多くの住民に、気軽に役場庁舎に来ていただけるようにすることですね。近隣行政を例にとると、カフェテリアの入っている宮城県庁のイメージ。打ち合わせ場所にもなるし、近隣住民のお茶っこの場にもなる。ふらっと空いた時間に勉強や読書、仕事などができるスペースになることが理想です」と話します。

集いの空間「マチドマ」との連携も大事な要素。

「例えばマチドマで、夜にイベントやっているときには営業時間外でも協力していただけるのかなど、カフェとマチドマがどう連携していくのかも検討していただきたいと思います」

町民の挑戦の場にも!?役場新庁舎のカフェ運営事業者を募集
「マチドマ」ではさまざまなイベントなどの企画も検討されています(写真提供:南三陸町役場)

フランチャイズ出店で町民の夢の実現も!?

役場庁舎での出店のため、安定的な経営が欠かせません。そのためカフェ経営実績のある事業者の募集となっています。しかし、

「フランチャイズでの出店は認められています。そのため、『カフェをやりたいけど一から作ってやるには…』という町民の方が、チェーン店とフランチャイズ契約を結んで出店することも可能です。フランチャイズでブランドやノウハウを生かしながら役場庁舎で実績を積み、独立を目指すというのもよいかもしれませんね」

もちろん町民以外でも、これを機に南三陸でチャレンジしたい事業者も歓迎とのこと。いずれにしろ、役場新庁舎のカフェがどんなスペースとなるか期待が膨らみますね。

※下記のカフェスペース概要のほか、募集の詳しい条件等は、町公式ホームページ(以下リンク)をご覧ください。

南三陸町役場新庁舎(平成29年9月完成予定)カフェスペースの運営事業者公募

カフェスペース概要

◇事業場所
宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田地内
南三陸町役場新庁舎カフェスペース 貸付面積:44.5㎡
◇公募型プロポーザル方式参加資格
法人又は個人事業主で募集要項の参加資格要件をすべて満たす者。
フランチャインズチェーンの加盟店やチェーン本部を含む。
◇契約方法 行政財産の貸付け
◇参加表明書の提出期限  平成28年7月11日(月)午後5時まで
◇プロポーザル提出期限  平成28年7月27日(水)午後5時まで
◇営業開始  平成29年9月頃(新庁舎完成)

南三陸町総合計画ってなんだろう?

特集『復興への道のり』、今回は「『総合計画』とは何か?」です。

南三陸町の未来への指針として『総合計画』がつくられています。総合計画とはなにか、南三陸町企画課の課長補佐 千葉啓さんにお話を伺いました。

『総合計画』とは何か?

特集企画、第1回目のテーマは「そもそも『総合計画』とは何か?」。

平成28年3月に町企画課から『南三陸町第2次総合計画』という冊子が発行されていますが、なかなか厚くて書いてあることも難しそう…。

冒頭、佐藤町長の「ごあいさつ」によれば、

創造的復興及び本町ならではの魅力ある持続可能な地域社会の構築を実現するために、全ての町民が向かうべき道しるべとして、また各種個別計画の指針となるものとして、この度「第2次総合計画」を策定いたしました。

参考:南三陸町第2次総合計画

とあります。

私たち全ての町民の道標として、また町が進めていく様々な計画の指針としてつくられているものというわけです。

著者自身1人の町民として知っておかなければならない、他の町民のみなさんにも知ってほしい、さらには町外の方々にも町の向かっていく方向性を理解してほしい、と思いましたので、担当課である南三陸町役場企画課の課長補佐・千葉啓さんにお話を伺ってきました。

総合計画は、長期的な町の指針

—町には、「総合計画」以外にもさまざまな計画がありますが、関係性や全体像を教えてください。

町では、平成19年に『南三陸町総合計画』を策定しました。平成28年度末まで10年間についての町の計画でしたが、5年目を目前にした平成23年3月、東日本大震災が発生し、この計画通りに進めることが困難になりました。

まずは復興事業を優先すべきとの判断から、平成23年12月には『南三陸町震災復興計画』がつくられました。同様に10年計画で、平成32年度末までの復興計画を示したものです。「復旧期」・「復興期」・「発展期」の3段階に分けて検討されており、現在は復興期から発展期へ差し掛かっているところ。

—なるほど、今が転換期ということですね。

復興も過渡期にあたり、改めて町づくりの指針を考え直そうと、平成28年に策定されたのが『南三陸町第2次総合計画』です。平成37年度末までの10年間計画で、これまでの『震災復興計画』を含みながら発展させたもの。復興を最優先しつつも、地方創生などの町を取りまく様々な課題を解決するよう作りこまれています。

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引用:南三陸町第2次総合計画

—総合計画は、どんな構成をしているのですか?

『総合計画』は「基本構想」・「基本計画」・「実施計画」の3つで構成されており、基本構想と基本計画が背骨となるものです。そして、「実施計画」はこれらを動かし、支えていくための小骨の役割にあたります。

総合計画は、これからの南三陸町を描いた大切な計画ですので、作るにあたっては町内の各種団体の皆さんからなる「総合計画審議会」で協議してきました。また、町民の皆さんにアンケートを実施したり、小学生、中学生、または高校生といったこれからの南三陸を担う子ども達にも意見を聞いて出来たものです。

《月次特集》『南三陸町総合計画』ってなんだろう?
引用:南三陸町第2次総合計画

現在の復興事業の進捗は?

—復興計画から総合計画に移行していくタイミングということがよくわかりました。ところで、復興事業の進捗はどれくらいですか?

平成28年5月に、『東日本大震災からの復興~南三陸町の進捗状況~』が発行されています。

参考:東日本大震災からの復興状況

応急復旧については、ほぼほぼ目途が立ちつつあります。災害廃棄物の処理はすでに平成25年度に完了。残りは河川堤や漁港・交通の復旧ですが、漁港については着手率が100%、河川堤は着手率62%、道路や橋が着手率82%となっています。

災害公営住宅は、残るは志津川地区の大規模団地3つのみとなりました。大規模なため完成率は約33%と低く見えますが、区画完成次第順次引き渡しが進められており、今年度中には全て完成する予定です。

公共施設としては、学校施設や医療・福祉施設、子育て拠点施設についても昨年度までで全て完成しており、残るは役場庁舎が平成29年完成、現在計画されている生涯学習センターと学校給食センターが平成30年度中と、再来年度までには全てが完了する予定です。

《月次特集》『南三陸町総合計画』ってなんだろう?

これから低地部のにぎわい創出が始まる

—なかなか復興・復旧の進捗が見えづらい気がしますが・・・。

職住分離の基本原則「なりわいの場所は様々であっても、住まいは高台に」に基づいて進めていて、これまでは高台の「住」地区が優先して進められてきました。そのため、低地部のにぎわい創出はまだまだこれからです。

—高台の工事を優先してきたということですね。沿岸の低地部はどうですか?

平成30年には区画整理事業が完了し、これを前に「先行まちびらきエリア」として、新しい商店街のエリアと水産加工場のエリアの基盤整備が終わっています。新しい商店街は「さんさん商店街」に準えて、平成29年3月3日にはオープン予定。水産加工場も本格的な建設が始まっていくはずです。

—これから目に見えやすい場所の整備が進んでいくのですね。

さまざまな地域からたくさんの方が視察に来られますが、やはり「5年たってこれしか進まないものか」という意見は多いです。新たに高台造成する山林部は町有地ばかりではなく私有地も多く、特に山は権利者の相続手続きがされてなかったり、本人が町内にいなかったりと、膨大な作業で手続きに苦労することが多いのも理解してほしいです。

—進捗としては、計画通りですか?

町としては、ほぼ計画通りに進んでいます。しかし、外から見ると確かに進捗がわかりにくいかもしれません。現在も100名を超える派遣職員の方々と一緒に頑張って進めています。

『総合計画』のこれから

—復興計画から総合計画に移行していくタイミングとお聞きしました。総合計画とは、具体的にどのような内容ですか?

これまでは全世界からの支援をいただき、復旧を最優先にして、復興がようやくここまで来ました。これからは中長期的な町の将来を見据え、創造的復興を成し遂げるということで、自立的で持続可能な社会を構築していくために『第2次総合計画』というものを策定しました。

この中で「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」という将来像を掲げました。

—なるほど、森里海の連環ですね。

この地域は、一方を海に三方を山に囲まれており、町境と分水嶺がほぼ一致するというとても珍しい地形を持っています。町に降った雨は町の川を流れ海に注ぎます。つまりはこの町の自然を汚すも立派にするも、全て町民にかかっているのです。

平成26年度には「南三陸町バイオマス産業都市構想」を掲げ、県内2番目として国の承認を受けました。エコタウンへの挑戦として、森里海の循環を実現させようと取り組みを開始。なかなか事業化が難しい分野ではありますが、官民連携で事業化をしていくべく「アミタ株式会社」と共に進めています。

ゴミの焼却施設や下水処理施設がないため、昨年度からは生ゴミを分別収集して利用するバイオガス施設を運用し、発生した液肥を農業へ利用する取り組みを行っています。

今後は木質ペレットの利用も取り組むべく、新規に建設された公共施設や学校施設には、ペレットボイラーやペレットストーブが導入されています。海の町というイメージが強い南三陸町ですが、町の77%ほどを森林が占めています。漁業者や企業が植林や間伐を行うなどの森林管理の取り組みが評価され、国際認証であるFSCを取得しました。そして同様に海の養殖業の管理が評価されASCも取得しました。

—なるほど、どんどん進んでいますね!

このような海のモノも山のモノも価値を高めていく産業のブランド化や、地域文化の学習、交流・定住人口の増加、多様なコミュニティの再構築というものが、まちづくりの視点となっています。それぞれが独立しているのでなく、“紡ぐ”という形で相互に関連していくまちづくりを意識しています。

《月次特集》『南三陸町総合計画』ってなんだろう?
南三陸町第2次総合計画

減っていく人口に取り組む、「南三陸町総合戦略」

—人口減少も大きな問題ですよね。なにか対策はありますか?

平成27年から31年度までの5か年計画で『南三陸町総合戦略』が策定されました。

少子高齢化・人口減少への対応と、活力ある持続可能な地域の実現を目的に、未来へつなぐ好循環を生んでいきたいと考えています。人口減少を抑えるというのはとても難しいですが、重要なのは人口ピラミッドの形だと考えています。働き盛りの方を移住・定住で呼び込むことや、子どもが増えるような取り組みも、この戦略に盛り込まれています。

この町の求人倍率は比較的高く、つまり仕事はあるのだが人がいない、という状態です。人を呼び込みたいのですが、現在では住む場所も不十分。こうした課題をひとつひとつ解決していきながら、『総合計画』の実現を目指していきます。

《月次特集》『南三陸町総合計画』ってなんだろう?

町の未来へ、町民一丸となって!

1時間にわたって千葉さんにお話を伺いました。町の様々な計画や取り組み、そしてその進捗について、概略が分かりました。

インタビューを通して強く感じたことは、「町民の私たちがもっと理解しなきゃいけない」ということ。

役場がつくった計画から、私たち町民みんなの未来像にしていかなければいけません。町民ひとりひとりが『総合計画』を指針に、一丸となって町づくりに取り組んでいけば、きっとひとつひとつ実現につながり、輝かしい町の未来へとつながっていくことでしょう。

今回のインタビューを皮切りに、今後『総合計画』を読み解いていくような特集を組んでいきます。

どうぞひきつづきお楽しみに!

祝!悲願の本設魚市場落成!

東日本大震災から5年、町の誰もが待ち望んだ本設魚市場が落成式を迎えました。町の基幹産業である水産業を支える最も重要な施設の完成に、「めでたい!」の一言しか出ません!

南三陸と水産業

北からの冷たい親潮に含まれる豊富な栄養分を求め、南からの温かい黒潮に乗ってたくさんの魚類が集まってきます。寒流と暖流、この大きな2つの潮流が交わり合う潮目であるがゆえに、“世界三大漁場”とも称される大漁場が形成されるのが、三陸沿岸です。

加えてここ志津川湾は、リアス式海岸特有の奥まった海岸線により波が穏やかなことが多く、カキ・ワカメ・ギンザケ・ホタテ・ホヤなど、養殖による生産も盛んにおこなわれています。

また、漁獲された魚介類を加工する水産加工業やそれを販売する小売業・新鮮でおいしい海の幸を提供する飲食業や宿泊業・漁業体験やブルーツーリズムを提供する観光業など、町内の多くの産業が、水産業と志津川湾の豊かな海によって成り立っています。

町人口に対する漁業者の割合は、実に15歳以上の5人に1人以上。後継者となる若手漁師も比較的多く、これからの町の未来を担う重要な産業です。

新たな取り組みにも盛んにチャレンジし、近年では戸倉地区でのカキ養殖が、国内初となる養殖生産物の国際環境認証ASCを取得したことも記憶に新しいです。

祝!悲願の本設魚市場落成!

水産業を支える魚市場

そんな町の水産業を支えるのが、志津川魚市場。正式名称を「南三陸町地方卸売市場」といいます。

生産者によって水揚げされた魚が持ち込まれ、これに値段をつけ、仲買人に販売するのが主なお仕事です。簡単に言えば“お店のお店”。漁師さんが獲った魚の多くは直接スーパーなどに並ぶのではなく、この卸売市場に一度集められ、ここで買い取られたものが小売店や飲食店に並び、私たちのもとへと届くのです。

ちなみに築地市場のように大規模で農林水産大臣の認可を受けたものが「中央卸売市場」、志津川魚市場のように地方に点在する小規模のものを「地方卸売市場」といいます。

志津川魚市場の水揚げ状況は、平成26年度で約8,500t・2,080百万円(『南三陸町統計書 平成27年度版』より)。

秋サケやギンザケをはじめ、春先に大量に漁獲されるイサダ(オキアミ)、ヒラメやカレイ類、志津川ダコとも称されるマダコやミズダコを中心に、幅広く多種多様な沿岸魚が市場に並べられます。

祝!悲願の本設魚市場落成!

被災と復興

先述のとおり、多くの産業を通じて町を支える水産業。

私たちのくらしにたくさんの恵みを与えてくれる海によって、町はとてつもない被害を受けることとなりました。海を生業にする漁業者や水産業の受けた影響は特に甚大でしたが、5年が経過し徐々に復旧が進められています。

被災した23の漁港は、すでに全ての復旧工事が着手されました。震災前2,200隻ほどあった漁船は現在約1,000隻となりましたが、養殖の売上高や魚市場の水揚量・取扱高は、すでに震災前を超える水準となっています。なかでも、震災以前に魚市場水揚金額の5割以上を占めていた秋サケ漁の復旧に力が注がれ、その水揚げシーズンに間に合うよう、仮設魚市場は震災同年の10月には完成・開場し、4年半以上にわたって活躍してきました。

仮設魚市場は、先月からは新たに福興市の会場として使用され、新たな賑わいを見せています。震災は私たちに深刻なダメージをもたらしましたが、深い悲しみの中で、町の水産業が新たな取り組みや未来へと向かうための種も生まれました。長年の養殖などで蓄積された海底のヘドロがかき混ぜられ、「海が50年若返った」という人もいます。

養殖施設の多くが破壊されましたが、一方で過密養殖が解消され、これまで3年ほどかかっていたカキやホヤが、1年でも大きく育つようになりました。

新しい産直施設や飲食店ができたり、国際認証の取得があったり、そして町を訪れてくださるたくさんの方々との新たな出会いを得ることもできました。

祝!悲願の本設魚市場落成!

本設魚市場の完成

壊れた魚市場のスペースで瓦礫に囲まれながら漁業を再開したあの日から5年。ついに、誰もが待ちわびた本設の魚市場が完成しました。

6月1日、よく晴れた青空に真新しい市場の姿が生え、少し強い風にたくさんの大漁旗がたなびきます。

記念すべき完成式典には多くの人が集まり、いつもはカッパに長靴姿の漁業者や魚屋さんも、バッチリとスーツを着て足を運んでいました。

「海にやられたが、豊饒(ほうじょう)の海は残った。水産の再生なくして南三陸の再生はないと、口癖のように言ってきた。この喜びをここに集まったみんなで分かち合いたい。」と、喜びの伝わる町長の挨拶で式典が始まりました。

  • 水産の町南三陸の再生・復興のシンボルに
  • 全国に三陸のおいしい魚を発信する拠点となれ
  • 全国を代表する産地市場として

と、来賓の方々からも、本設魚市場にかけられる期待のこもったメッセージが届けられます。

華々しくテープカットとくす玉の開花もおこなわれ、町の新しい未来を担う魚市場が、晴れて開所しました。

祝!悲願の本設魚市場落成!

高度衛生管理型市場

震災からの復旧といっても、元通りの魚市場から進化を遂げています。新しい魚市場は“高度衛生管理型市場”。

敷地内の衛生管理や水産物の鮮度管理が、高度にできる施設となっています。3つのエリアに分けられた衛生管理で、鳥の侵入や車両の乗り入れ、関係者も手や長靴を洗浄してから入場するなど、厳しい基準で出入りするモノを制限します。

水揚から搬出までの時間を短縮するよう導線が設けられており、卸売業務を効率化するための最新情報管理システムを導入することで、水産物が鮮度を落とすことなくスムーズに取引されます。そのほか排気ガスが出ない電動フォークリフトや、魚に傷をつけないシャーベット氷を製造するスラリー製氷機など、HACCP対応の高度な機能・技術が多数導入されています。

祝!悲願の本設魚市場落成!

記念すべき初競り

さあいよいよ、新魚市場での初競りがおこなわれます。

クロソイやヒラマサ、赤カレイの並ぶ競り場に、スーツにハッピ姿の仲買人たちが集まります。

祝!悲願の本設魚市場落成!

ベテラン競り人の威勢のよい掛け声で競りがはじまると、普段の3倍ほどのご祝儀価格がつけられていきます。

初競りの喜びか、驚きの高値の苦笑いか、仲買人のみなさんの笑顔が輝いています。

南三陸の仲買人さんたちはみんな仲がよく、いつも賑やかな競りの時間が楽しいです。

祝!悲願の本設魚市場落成!

町の未来へ

南三陸町は大きな震災の被害から、海と共に生きる町として立ち上がり、新たな歩みを始めています。

海を愛する漁業者、笑顔があたたかい仲買人、威勢のよい競り人、立派な新魚市場。

たくさんのステキな人たちの手を経て、新鮮でおいしい水産物が、これからも生産されていきます。

豊富な水産物と南三陸町の未来を、ひきつづきお楽しみに!

祝!悲願の本設魚市場落成!

市場見学情報

予約は不要。見学希望の方は持ち物を持参のうえ、下記の時間帯にお越しください。なお、セリの時間帯は2階からの見学となります。

◇日時
7月20日(水)午前12時30分から午後3時まで
セリの時間帯(予定) 午後1時から2時まで

㈪7月23日(土)  午前6時30分から正午まで
セリの時間帯(予定) 午前7時から8時30分まで

◇持ち物 帽子、長靴(1階荷さばきエリアのみ着用)
※本施設は高度衛生管理型市場となりますので、帽子を着用していない方は入場をお断りしています。また、1階の荷さばきエリアは、長ぐつ着用となりますので、ご持参いただきますよう、ご協力をお願いします。

◇見学会の問い合わせ 産業振興課水産業振興係 0226-46-1378

〈6月29日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年6月29日

「オープニングコール」は、mon pays natalの三浦崇友さんから始まり、「まちのひと」は南三陸モアイファミリー 柳井謙一のモアイのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、南三陸モアイファミリーのミニモアイ像です!

オープニングコール

mon pays natalの三浦崇友さんのオープニングコール。

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まちのひと

南三陸モアイファミリー 柳井謙一のモアイのお話です。

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今週のイチオシ

全国でも珍しいモアイ専門店「南三陸モアイファミリー」の「ミニモアイ像」です。

南三陸モアイファミリーは、2013年に南三陸町にイースター島より贈呈されたモアイ像を観光資源として活用するため設立。全国でも珍しいモアイ専門店として、様々なモアイグッズを開発・販売しております。そんなモアイファミリーの看板商品が、このミニモアイ像です。南三陸町サンオーレ袖浜の砂と日本屈指のパワースポット鳥取砂丘の砂(国立公園外の砂を利用)をブレンドし、一体一体丁寧に手作りで固めております。全7色のモアイ像は、色各に異なる運気上昇のご利益があり、持つ人の運気をググッと上昇させます。 シュールでキモ可愛い表情から大ウケ?し、毎年たくさんのお客様にお買い求めいただき、全国各地のご家庭にちょこっと設置されております。

公式Webサイト:http://www.moaifamily.com/
ネット販売:http://goo.gl/pvO1RO
販売場所:みなみな屋、南三陸さんさん商店街 各店舗にて

参考サイト

ふるさと納税で始縁!南三陸町内で使えるクーポンが返礼品に!

ふるさと納税制度は、ふるさとを寄附金という形で応援する制度です。税金の控除対象であり、地域の特産品が返礼品としてもらえることで注目されている「ふるさと納税」。南三陸町でもこれまでの「特産品セット」に加え、新たに町内で使える「みなさとクーポン」が返礼品に加わりました。

ふるさと納税ってなに?

年々注目度が高まっている「ふるさと納税」。好きな自治体に寄附をすると、税金の控除対象になるだけでなく、自治体からユニークな返礼品が届くなどで、テレビや書籍でも注目されていますね。私たち南三陸町もふるさと納税の寄附先自治体として選べることは知っていましたか?

このふるさと納税制度は、「生まれ育ったふるさとに貢献したい」という想いや「あの町を応援したい」という気持ちを、寄附金という形で実現することができる制度です。

出身地や応援したい地方公共団体(いわゆる「ふるさと」)へ2千円を超える寄附を行った場合に、一定額を限度として、2千円を超える部分が所得税と個人住民税から控除されます。寄附先は、出身地(ふるさと)に限らず、全国の都道府県や市町村から自由に選ぶことができます。

南三陸と継続的に関わる手段としてのふるさと納税

「東日本大震災以降の南三陸町は、純粋に町の復興を応援したいという理由で、寄附先に選んでいただくことも多いようです」と話すのは南三陸町役場企画課の小野寺麻衣さん。

震災から時間が経過しているにもかかわらず、寄附件数は右肩上がりに推移。ボランティアや企業研修、観光などで南三陸を訪れたことのある方が、継続して関わる手段として、ふるさと納税を利用しているケースも多いそうです。

「ボランティアしていただくだけでなく、こうして継続して関わり続けられることに感謝しかありません」と小野寺さん。

昨年は、南三陸病院や公立戸倉小学校の再建など、復興状況の進捗がメディアで伝わる機会も多かったこともあり、600件ほどの寄附が集りました。

南三陸の旬を楽しめる大好評の返礼品

ふるさと納税といえば、各自治体が用意するユニークな返礼品。これまで南三陸町の返礼品としては、旬のもの詰め合わせの「特産品セット」がありました。

海産物を中心にしたこの返礼品が「南三陸の食を堪能できる」と大好評。これが食べたくて、継続的に寄附していただける方も多いと言います。さらに小野寺さんには印象的な出来事がありました。

「『返礼品で届いた海産物が本当においしかったんです。それを作っている方に会いに行きたくて、思わず東京から来ちゃいました!』という方が役場に来られ、その返礼品を提供した町の事業者さんと交流を図ったりということもありました。本当にびっくりしたし、うれしかったのを覚えています。その事業者さんもとても喜んでいました」

ふるさと納税で始縁!南三陸町内で使えるクーポンが返礼品に!

返礼品に、町内を満喫できるクーポンが追加!

この好評の「特産品セット」に加え、今年5月末より「みなさとクーポン」という町内で使用できるクーポン券が返礼品として追加されました。

「これまでは物のやりとりで終わってしまうことに、寂しさを感じていました。ぜひ実際に町を訪れて、旬のものを楽しんだり、人に会ったり、現状を感じてほしいという思いから町で使用できるクーポンを企画しました」

5000円の寄附でクーポン1枚がお返し。クーポン1枚で「旬の食材を使った『キラキラ丼』」や「オクトパス君の色塗り体験」など、食事からワークショップまで楽しい体験が可能です。さらに、クーポン4枚で町内の民宿などの宿泊(1泊2食)が可能となります。

例えば、5万円寄附をするとクーポン10枚が返礼品に。この10枚を使って、

  • 町内の民宿で宿泊(1泊2食付き)・・・・・クーポン4枚/1人×2人分=クーポン8枚
  • お昼ご飯に旬のキラキラ丼・・・・・・・・クーポン1枚/1食×2人分=クーポン2枚

と、友人や恋人と二人で南三陸1泊2日の観光をたっぷり満喫できるお得なクーポンとなります。

ふるさと納税で始縁!南三陸町内で使えるクーポンが返礼品に!

寄附金で町を盛り上げる!

こうして集まった多くの寄附金を、南三陸町では、まちづくりの7つの柱に係る事業に活用しています。なかでも特徴的なのは「おらほのまちづくり支援事業補助金」という補助金制度。これは、まちづくり、地域づくり、コミュニティづくりといった事業を地域団体が自主的に行う活動に対して充てられる補助金です。

南三陸町歌津地区で、旬の海の幸、山の幸をふんだんに取り入れ開催されている「芋煮会」も本補助金の支援を受けている団体のひとつです。

「補助金を受けた昨年は広報やコンテンツも充実し、500人ものお客さんに来ていただきました。南三陸の秋の風物詩として認知されてきたことがうれしい限りです」と話すのは、主催の「海しょくにん」の高橋直哉さん。

ボランティアで多くの人が訪れた南三陸。その縁を大切に、新たな交流を生みだすだけでなく、Iターン・Uターン者と地元住民がつながる大切な機会ともなっています。

ふるさと納税で始縁!南三陸町内で使えるクーポンが返礼品に!
南三陸de芋煮会」の昨年開催時のようす。芋煮会は今年度も支援金の交付を受け実施が決定

南三陸町への「ふるさと納税」をお待ちしております

支援から始縁へーー。

ともすれば熾烈な返礼品競争となってしまうふるさと納税。南三陸町のふるさと納税は、物品のやりとりで終わらずに、新たな縁の始まりです。まさに、あなたの第二の故郷として、共にまちづくりに参加しませんか?

南三陸町へのふるさと納税は、紙の申込書のほかインターネットでのお申し込みも受け付けています。詳しくは下記「南三陸町ふるさと納税制度について」をご覧ください。

南三陸町公式HP「南三陸町ふるさと納税制度について」

美しい松林をみんなの力で取り戻そう「耐性松植樹会」(歌津地区泊浜尾崎)

南三陸町歌津地区泊崎の尾崎神社は美しい黒松の林に囲まれていましたが、松枯れが進み、今ではかつての姿が失われつつあります。しかし、6月4日、美しい松林を取り戻したいという思いが一つになった植樹会が開催されました。

耐性松植樹会(歌津地区泊浜尾崎)開催

海の神、航海の神を祀る尾崎神社の周辺には、多くの松が植えられています。それらの松は、江戸時代に浜松(静岡県)の松が植樹されたもので、樹齢200年〜300年くらい経っていると推定されています。その間、防風林としての役割を担いつつ、美林として人々の心を癒していた松林でしたが、近年、松枯れの被害が広がっていました。それでも、東日本大震災以前は防除に手をかけて、ある程度、進行を阻む努力はできていたそうですが、震災後の混乱で松の手入れまで手が行き届かず、被害が進んでしまったようです。

その松林を見て、「なんとかしたい」と動きだしたのは、東京都世田谷区の「NPO法人世田谷のみどりと防災を考える会」の皆さんでした。庭づくりや植木を専門職とする方々の集りです。

平成25年、復興支援のために初めて南三陸町を訪れたのをきっかけに、継続的に南三陸町の環境づくりに関わっていただいています。26年にはひころの里の松の大木が、松枯れで倒れようとしている場面に遭遇し、27年は尾崎の枯れ松の伐採の支援のために来ていただきました。そうやって、一連の南三陸町の松の様子を見てきた皆さんが思い至ったのは、「伐採しただけでは何も始まらない。松食い虫に強い耐性黒松を植樹して、松の美林を取り戻そう」というところでした。

美しい松林を、みんなの力で取り戻そう「耐性松植樹会」(歌津地区泊浜尾崎)

全国に広がる松枯れ

まずは、全国に広がる「松枯れ」について、「世田谷のみどりと防災を考える会」の方からお話がありました。

松がバタバタと倒れている原因は、”マツノザイセンチュウ(通称「マツクイムシ」)”です。松の中に入り、樹脂の生産や水を吸収できなくし、松を枯らせてしまいます。センチュウは、松の皮を食べに来たカミキリムシの体内を媒介し、元気な松に移り、その松を枯らせてしまいます。各地であの手、この手と対策が行われているにもかかわらず、そうやって松枯れ被害は南より北上。今では北海道を除く全国に被害が広がっています。そんな”松枯れ”は全国的な問題になっていますが、日常で、子どもたちが、松林を間近に見る機会も少なく、初めて”松枯れ”のことを知ったという子どもも少なくありませんでした。

美しい松林を、みんなの力で取り戻そう「耐性松植樹会」(歌津地区泊浜尾崎)
「世田谷のみどりと防災を考える会」の方に植樹の手順を教わる子どもたち。

子どもたちの手でつくる未来の松林

子ども5名程と保護者のグループに「世田谷のみどりと防災を考える会」の方が入って、植樹の手順を教えてくださいました。幅1m弱程の間隔に植木が置いてあり、赤く塗られた棒が目印に立ててあります。そこにスコップで、根がすっぽり埋まるくらい、30cm程の穴を掘り、4粒の固形肥料を入れ、耐性松を植えてきます。根をおおってある布はやがて土に返る素材でできているので、使い易く、環境にも配慮されています。

子どもたちは一つ一つ丁寧に、しかし、一時間程で、あっという間に樹を植えました。

美しい松林を、みんなの力で取り戻そう「耐性松植樹会」(歌津地区泊浜尾崎)
「20本は植えた!」と伊里前小学校の小野ちなつさん。

天気に恵まれ、事故も無く、順調に作業がすすみました。一人10本以上は植えているでしょう。子どもたちに、「どこに植えたか覚えてる?」と尋ねたら、「だいたい覚えてる」と返事が帰ってきました。保護者からは、頑張って植樹する子どもの成長を喜ぶ声も。「また見に来たい」という子どもたちの心のなかには、故郷への思いも育っているのかもしれません。

今回用意してもらった黒松は、マツクイムシの被害を受けた林で生き残った松に更にマツクイムシを植え付けてそれでも生き残った強い遺伝子を持つ松からうまれた耐性松です。未来をつくっていく子どもたちが植えた黒松には希望が託されています。南三陸町にいらっしゃる機会があれば、ぜひ、その成長を見てください。

美しい松林を、みんなの力で取り戻そう「耐性松植樹会」(歌津地区泊浜尾崎)