特集『復興への道のり』、今回は「『総合計画』とは何か?」です。
南三陸町の未来への指針として『総合計画』がつくられています。総合計画とはなにか、南三陸町企画課の課長補佐 千葉啓さんにお話を伺いました。
『総合計画』とは何か?
特集企画、第1回目のテーマは「そもそも『総合計画』とは何か?」。
平成28年3月に町企画課から『南三陸町第2次総合計画』という冊子が発行されていますが、なかなか厚くて書いてあることも難しそう…。
冒頭、佐藤町長の「ごあいさつ」によれば、
創造的復興及び本町ならではの魅力ある持続可能な地域社会の構築を実現するために、全ての町民が向かうべき道しるべとして、また各種個別計画の指針となるものとして、この度「第2次総合計画」を策定いたしました。
参考:南三陸町第2次総合計画
とあります。
私たち全ての町民の道標として、また町が進めていく様々な計画の指針としてつくられているものというわけです。
著者自身1人の町民として知っておかなければならない、他の町民のみなさんにも知ってほしい、さらには町外の方々にも町の向かっていく方向性を理解してほしい、と思いましたので、担当課である南三陸町役場企画課の課長補佐・千葉啓さんにお話を伺ってきました。
総合計画は、長期的な町の指針
—町には、「総合計画」以外にもさまざまな計画がありますが、関係性や全体像を教えてください。
町では、平成19年に『南三陸町総合計画』を策定しました。平成28年度末まで10年間についての町の計画でしたが、5年目を目前にした平成23年3月、東日本大震災が発生し、この計画通りに進めることが困難になりました。
まずは復興事業を優先すべきとの判断から、平成23年12月には『南三陸町震災復興計画』がつくられました。同様に10年計画で、平成32年度末までの復興計画を示したものです。「復旧期」・「復興期」・「発展期」の3段階に分けて検討されており、現在は復興期から発展期へ差し掛かっているところ。
—なるほど、今が転換期ということですね。
復興も過渡期にあたり、改めて町づくりの指針を考え直そうと、平成28年に策定されたのが『南三陸町第2次総合計画』です。平成37年度末までの10年間計画で、これまでの『震災復興計画』を含みながら発展させたもの。復興を最優先しつつも、地方創生などの町を取りまく様々な課題を解決するよう作りこまれています。
—総合計画は、どんな構成をしているのですか?
『総合計画』は「基本構想」・「基本計画」・「実施計画」の3つで構成されており、基本構想と基本計画が背骨となるものです。そして、「実施計画」はこれらを動かし、支えていくための小骨の役割にあたります。
総合計画は、これからの南三陸町を描いた大切な計画ですので、作るにあたっては町内の各種団体の皆さんからなる「総合計画審議会」で協議してきました。また、町民の皆さんにアンケートを実施したり、小学生、中学生、または高校生といったこれからの南三陸を担う子ども達にも意見を聞いて出来たものです。
現在の復興事業の進捗は?
—復興計画から総合計画に移行していくタイミングということがよくわかりました。ところで、復興事業の進捗はどれくらいですか?
平成28年5月に、『東日本大震災からの復興~南三陸町の進捗状況~』が発行されています。
応急復旧については、ほぼほぼ目途が立ちつつあります。災害廃棄物の処理はすでに平成25年度に完了。残りは河川堤や漁港・交通の復旧ですが、漁港については着手率が100%、河川堤は着手率62%、道路や橋が着手率82%となっています。
災害公営住宅は、残るは志津川地区の大規模団地3つのみとなりました。大規模なため完成率は約33%と低く見えますが、区画完成次第順次引き渡しが進められており、今年度中には全て完成する予定です。
公共施設としては、学校施設や医療・福祉施設、子育て拠点施設についても昨年度までで全て完成しており、残るは役場庁舎が平成29年完成、現在計画されている生涯学習センターと学校給食センターが平成30年度中と、再来年度までには全てが完了する予定です。
これから低地部のにぎわい創出が始まる
—なかなか復興・復旧の進捗が見えづらい気がしますが・・・。
職住分離の基本原則「なりわいの場所は様々であっても、住まいは高台に」に基づいて進めていて、これまでは高台の「住」地区が優先して進められてきました。そのため、低地部のにぎわい創出はまだまだこれからです。
—高台の工事を優先してきたということですね。沿岸の低地部はどうですか?
平成30年には区画整理事業が完了し、これを前に「先行まちびらきエリア」として、新しい商店街のエリアと水産加工場のエリアの基盤整備が終わっています。新しい商店街は「さんさん商店街」に準えて、平成29年3月3日にはオープン予定。水産加工場も本格的な建設が始まっていくはずです。
—これから目に見えやすい場所の整備が進んでいくのですね。
さまざまな地域からたくさんの方が視察に来られますが、やはり「5年たってこれしか進まないものか」という意見は多いです。新たに高台造成する山林部は町有地ばかりではなく私有地も多く、特に山は権利者の相続手続きがされてなかったり、本人が町内にいなかったりと、膨大な作業で手続きに苦労することが多いのも理解してほしいです。
—進捗としては、計画通りですか?
町としては、ほぼ計画通りに進んでいます。しかし、外から見ると確かに進捗がわかりにくいかもしれません。現在も100名を超える派遣職員の方々と一緒に頑張って進めています。
『総合計画』のこれから
—復興計画から総合計画に移行していくタイミングとお聞きしました。総合計画とは、具体的にどのような内容ですか?
これまでは全世界からの支援をいただき、復旧を最優先にして、復興がようやくここまで来ました。これからは中長期的な町の将来を見据え、創造的復興を成し遂げるということで、自立的で持続可能な社会を構築していくために『第2次総合計画』というものを策定しました。
この中で「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」という将来像を掲げました。
—なるほど、森里海の連環ですね。
この地域は、一方を海に三方を山に囲まれており、町境と分水嶺がほぼ一致するというとても珍しい地形を持っています。町に降った雨は町の川を流れ海に注ぎます。つまりはこの町の自然を汚すも立派にするも、全て町民にかかっているのです。
平成26年度には「南三陸町バイオマス産業都市構想」を掲げ、県内2番目として国の承認を受けました。エコタウンへの挑戦として、森里海の循環を実現させようと取り組みを開始。なかなか事業化が難しい分野ではありますが、官民連携で事業化をしていくべく「アミタ株式会社」と共に進めています。
ゴミの焼却施設や下水処理施設がないため、昨年度からは生ゴミを分別収集して利用するバイオガス施設を運用し、発生した液肥を農業へ利用する取り組みを行っています。
今後は木質ペレットの利用も取り組むべく、新規に建設された公共施設や学校施設には、ペレットボイラーやペレットストーブが導入されています。海の町というイメージが強い南三陸町ですが、町の77%ほどを森林が占めています。漁業者や企業が植林や間伐を行うなどの森林管理の取り組みが評価され、国際認証であるFSCを取得しました。そして同様に海の養殖業の管理が評価されASCも取得しました。
—なるほど、どんどん進んでいますね!
このような海のモノも山のモノも価値を高めていく産業のブランド化や、地域文化の学習、交流・定住人口の増加、多様なコミュニティの再構築というものが、まちづくりの視点となっています。それぞれが独立しているのでなく、“紡ぐ”という形で相互に関連していくまちづくりを意識しています。
減っていく人口に取り組む、「南三陸町総合戦略」
—人口減少も大きな問題ですよね。なにか対策はありますか?
平成27年から31年度までの5か年計画で『南三陸町総合戦略』が策定されました。
少子高齢化・人口減少への対応と、活力ある持続可能な地域の実現を目的に、未来へつなぐ好循環を生んでいきたいと考えています。人口減少を抑えるというのはとても難しいですが、重要なのは人口ピラミッドの形だと考えています。働き盛りの方を移住・定住で呼び込むことや、子どもが増えるような取り組みも、この戦略に盛り込まれています。
この町の求人倍率は比較的高く、つまり仕事はあるのだが人がいない、という状態です。人を呼び込みたいのですが、現在では住む場所も不十分。こうした課題をひとつひとつ解決していきながら、『総合計画』の実現を目指していきます。
町の未来へ、町民一丸となって!
1時間にわたって千葉さんにお話を伺いました。町の様々な計画や取り組み、そしてその進捗について、概略が分かりました。
インタビューを通して強く感じたことは、「町民の私たちがもっと理解しなきゃいけない」ということ。
役場がつくった計画から、私たち町民みんなの未来像にしていかなければいけません。町民ひとりひとりが『総合計画』を指針に、一丸となって町づくりに取り組んでいけば、きっとひとつひとつ実現につながり、輝かしい町の未来へとつながっていくことでしょう。
今回のインタビューを皮切りに、今後『総合計画』を読み解いていくような特集を組んでいきます。
どうぞひきつづきお楽しみに!