志津川湾って、すごい!シリーズvol.2「磯には生きものがいっぱい!!」

2018年10月のラムサール条約登録を目指す、志津川湾。そんな豊かな志津川湾の魅力に迫る連載企画第2弾。今回は南三陸町の磯にいるたくさんの生きものについてみなさんにお伝えしたいと思います!

志津川湾には生きものがたくさん!

さて、志津川湾の「磯」の生きものって何がいるかご存知ですか。

志津川湾って、すごいんですよ!たくさんの生きものたちがいるんだから。今回の記事では志津川湾にいったいどんな生きものがいるのか紹介していきたいと思います!いくつ知っているかな?

「イワフジツボ」「チシマフジツボ」「イソガニ」「ヒライソガニ」「ホンヤドカリ」「ヨモギホンヤドカリ」「ケアシホンヤドカリ」「ホシゾラホンヤドカリ」「テナガホンヤドカリ」「フナムシ」は、みんな仲間だ!固い殻があるから甲殻類と呼ばれている。

それからヒトデは「イトマキヒトデ」「マヒトデ」がいるし、このヒトデと合わせて「キタムラサキウニ」「マナマコ」は棘皮(きょくひ)動物だ。

イトマキヒトデ

「マボヤ」「イタボヤ」「マンジュウボヤ」は脊索(せきさく)動物。普段人々が食べているのはマボヤだ。

「アゴハゼ」「アカオビシマハゼ」「ミミズハゼ」は形を見てわかる通り、魚類。

 

「ムラサキインコ」「ムラサキイガイ」「アメフラシ」「ウミウシ」「イシダタミ」「クボガイ」「アラレタマキビ」「タマキビ」「ベッコウガサ」「ヒザラガイ」は軟体動物。なんと貝類、それからイカやタコも軟体動物だ。体に骨格がなくて伸縮自在なんだ。

アメフラシの卵

「カミクラゲ」「ミドリイソギンチャク」「カギノテクラゲ」「ヨロイイソギンチャク」は刺胞動物。毒液が出る針を持っている。毒のないクラゲもいるが、ほぼ毒を持っている。

ミドリイソギンチャク

「ダイダイイソカイメン」「ナミイソカイメン」は海綿動物。筋肉や心臓はない。なんとこの海綿動物、英語で「sponge(スポンジ)」と言うが、台所で使うスポンジは、この海綿動物を参考につくられたんだ、すごい!

海藻は、「ボウアオノリ」「ミル」「アナアオサ」「ワカメ」「マツモ」「マコンブ」「アラメ」「ヒジキ」「ウルシグサ」「ウミトラノオ」「アカモク」「イボツノマタ」「マクサ」「ピリヒバ」「ユナ」「フクロフノリ」「スサビノリ」「スガモ」とたくさんある。

鳥や木々を含めたらもっともっと磯には生きものがたくさんいる。

こんなにもたくさん生きものがいるから興味深くて惹きつけられてしまう。もちろん私もいってしまう。すごいところだ。

生きものの生き方がおもしろい!

前回のvol1でも触れたけど、志津川湾は暖流と寒流が混ざるところで、暖流にいたい生きものも寒流にいたい生きものも混ざるところ。だから生物多様性が高い磯になっているということで、たくさんの生きものがいてすごいんだ!!

生物多様性が高くなるのは、磯には複雑な環境があるからでもある。

ひと口に磯と言ってもさまざまな場所があって、生きものの暮らし方も人間と比べたらだいぶ変わっている。

常に波に浸かっているような岩場にいる生きもの、波で見え隠れするような岩場にいる生きもの、海藻の中や石の下にいる生きもの、石の窪みにできた小さなプールにいる生きもの、石や岩に穴を掘る生きもの、岩にじっとくっついている生きもの。みんな違って、みんなよい。

ひとつ見てみる。

磯に転がる石の中に、丸く穴が空いている石がある。なんだこれ。

人が穴を空けたにしてはとても自然な形をしている。これは「カモメガイ」という貝が住むために穴を空けているのだ。貝には貝殻がついているのに石の中に入ってしまうとは。。なんたることだ!すごい。石の中に入ったら一生、石の中で暮らすことになるのだが、いろんな人生。。ならぬ貝生があるなあ。

それから人々は磯の生きものをみて楽しんだり調べたりするだけではなくて、ありがたく食べることもする。

「磯の開口」というものがあり、春は「ヒジキ」「マツモ」「フノリ」、夏は「ウニ」、冬は「アワビ」などを漁業権を持った人が決まった日に採ることができるという仕組みだ。採り方は浜ごとに違う場合もある。

いつでも採れるのではなく、制限することによって生態系サービスを受け続けられるようにという仕組みになっている。

磯焼けなどの問題も…磯を観察することで発見がたくさん!

しかし、そういった制限だけでは収まらなくなっている問題もある。

海水温の上昇や生きものの生息バランスが崩れることなどでおこる「磯焼け」である。

海藻が磯からいなくなってしまって岩が白くなってしまう現象。諸説あるが、海水の温度上昇などで海藻がなくなって岩だけになると、海藻を餌にしているアワビなどが減少してしまい水産業に影響を及ぼしてしまう。

志津川湾は、豊かな海の幸が溢れていることは確かだが、そういった問題もあることを意識しておこう。

南三陸にとっては身近な磯だが、磯にどんな生きものがいてそれがどんな暮らしをしているかなんて、なかなか知ることができない。だけど磯にいってよく見てみれば、石や岩とかに何か生きものの痕跡が残されている。

まだ解明できていないこともたくさんあるというところが、なんだかわくわくするなあ。

次回は、そんなわくわくな志津川湾でできるたのしいマリンアクティビティの紹介だ!!

南三陸ワイン×ホヤづくし。東京で東北を味わう!

Next Commons Lab南三陸「サスティナブルワイナリープロジェクト」担当の正司勇太さんが手がけたワインと、東北の初夏の味・ホヤのマリアージュを楽しむ会が東京・原宿で開かれました。イベントの様子をレポートします!

ホヤ、ワイン、南三陸、地域おこし…。要素多彩なイベント。

2018年6月29日、東京・原宿で「東北の初夏を直送!ホヤとワインの意外なマリアージュ」というイベントが開催されました。主催は、地域や行政パートナーと連携して、地域で活躍するプレイヤーを育成・サポートする「一般社団法人Next Commons Lab」(以下NCL)。NCL南三陸「サスティナブルワイナリープロジェクト」担当の正司勇太さんと、ヤフー株式会社に務めるかたわら「一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン」で漁業活性化の活動を行う長谷川琢也さんをゲストに迎え、まずは南三陸町でのワインづくりの取り組みや、ホヤについてのトークが繰り広げられました。

ゲストのお二人、フィッシャーマン・ジャパン事務局長の長谷川琢也さん(左)とNCL南三陸「サスティナブルワイナリープロジェクト」の正司勇太さん(右)
ホヤのユニークさや味わいについて説明する長谷川さん

正司さんは、ワインづくりを夢見て、石川県や山梨県のワイナリーで働きながらブドウ栽培とワイン醸造を学び、2017年8月からNCL南三陸「サスティナブルワイナリープロジェクト」に参加しました。現在は「仙台秋保醸造所」で技術研修を受けながら、施設を借りてワイン醸造を行っています。この日に用意してくれたのは、正司さんがつくった試作のスパークリングワイン。ホヤとのマリアージュはどうなのでしょうか…?!

山形県産デラウェアを使用したスパークリングワイン。ラベルには「南三陸ワインプロジェクト」の文字が

ホヤ料理の数々にワインが進む! 絶妙なマリアージュ。

左は、燻製ホヤの旨みとクルミの食感が楽しめる前菜。ホヤの刺身(右)は大葉と合わせてさっぱりと

メイン料理はホヤの赤ワイン煮。フレンチレストランのシェフが手がけた逸品は、濃厚な味わいがたまりません!ホヤがゴロゴロ入っていて、ボリュームもたっぷりです。そして〆はホヤのペペロンチーノ。ホヤの塩気がパスタによく合います。

多くの参加者が大絶賛したホヤの赤ワイン煮。「ホヤと赤ワインが合うとは意外!」という驚きの声も
ホヤのペペロンチーノは、ホヤが苦手な人でも食べやすい味

さまざまなホヤ料理に舌鼓を打ちながら、正司さんのフレッシュなワインを味わうみなさん。美味しい料理とワインに、参加者同士の会話も弾みます。「ワインが大好きで参加しました」という女性は、正司さんのスパークリングワインに「とっても美味しいです!ホヤとも合いますね」とコメント。ホヤとワインのマリアージュを堪能していました。

参加者の中には宮城県出身の人、さらに南三陸町出身の人も。「東京ではなかなか美味しいホヤが食べられないので、今日はホヤ尽くしでうれしいです」と満足そうでした。

「ホヤを食べるのは初めて」という女性(右)は、ホヤのユニークな姿に興味津々

「今回はデラウェアでつくったワインでしたが、次はワイン用ブドウを使って、さらに南三陸の海産物に合うワインをつくりたいです」と正司さん。これから、南三陸でどんなワインがつくられるのか、どんなマリアージュが生まれるのか、楽しみです!

日本と台湾を明るく照らす「太陽」に/陳忠慶さん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第25弾は、今年6月から観光協会のスタッフとなった台湾出身の陳忠慶さん。東日本大震災後に深まった台湾とのよりいっそうの交流強化を目的に、採用された陳さんに迫ります。

日本語に興味をもったきっかけは祖父の演歌

東日本大震災以降、強い絆による交流が続く南三陸町と台湾。その台湾の桃園市出身の陳忠慶(ちんちゅうけい)さんが6月から南三陸町観光協会の国際交流推進員として加わった。

小さいときに祖父の歌っていた演歌を聞いて日本に興味をもつようになったという陳さん。「なんの言葉か、なんて言っているのか分からなかったんですけど、なんとなく興味をもったのを覚えている。日本の演歌だと知って、子どものときからなんとなく行ってみたい国だった」という。高校生のときには日本語コースに進学。「でも日本語は難しくてテストは不合格ばかりだった。難しくて、正直あまりやる気があったとはいえないです」と笑う。そんな陳さんの転機となったのは高校2年生の夏休みだった。山形大学の学生たちが訪れ交流を行ったときのこと。

「日本の文化のことを教えてもらいました。東日本大震災についても話をしていたことを覚えています。そのプログラムで言いたいことをうまく伝えられなかったことが悔しかったんです」。

日本の大学生などとの交流を通じて日本への興味は強くなり、勉強に身が入るようになった。すると語学力はめきめき上達。「本当は日本の大学に進学したいくらい、日本のことが好きになっていた。だけどお金もかかることだったので、日本語学科のある台湾の大学に進学しました」と話す。

歌うことが好きで、バンドのボーカルをしていたという

大学時代に留学、そして南三陸でインターンを経験

大学時代には、念願だった日本への留学を経験した。「熊本大学に行っていましたが、気候も台湾と似ているし、食べ物が何でもおいしかったですね。嫌いなものはないので、なんでも食べました。馬刺しとかも好きでしたね」と笑う。

留学期間中には日本各地を旅行した。九州はもちろん、関西や関東、北海道など各地を訪れたという。持ち前の明るさと異国の地でも臆せずコミュニケーションを図ることができる柔軟さで日本を満喫する日々を過ごしていった。

こうした充実した留学時代を通して「日本で働きたいという意識が芽生えていきました」と話す。大学院進学か、就職かそんな岐路で悩んでいたころ、偶然目にしたのが大学で募集していた、南三陸町でのインターンシップの案内だった。留学していたころも東北にはあまり関わりがなく、知らなかった土地だという。しかし先生からのアドバイスもあり、「やってみよう!」と南三陸町でのインターンシップを決断した。

人の優しさに触れ、感動した南三陸滞在

震災で大きな被害を受けた南三陸町には、台湾から多額の寄付が寄せられた。2015年に再建した南三陸病院の建設費の22億円が台湾からの寄付金によるもの。こうした縁から町では相互交流が続き教育旅行の受け入れや、インターンシップの受け入れを行ってきた。

はじめてのインターンシップの実施となった2016年夏に事業に参加した陳さんは、南三陸町観光協会で2ヶ月間のインターンシップを経験した。

「翻訳作業や情報発信事業など、観光関連の仕事を担当しました。なによりも心に残っているのが、ホームステイ先との現地の人とのふれあいです。町民のみなさんの温かさに惹かれました。その優しさはインターンシップが終わったあとも忘れることはなかった」と振り返る。インターンシップ終了後も、個人的に南三陸町を訪れるなど、その想いが冷めることはなかった。

「2016年末で移転のため営業を終了した仮設のさんさん商店街。その最後の営業日に、インターンシップ時代からお世話になっていた志のやさんでご飯を食べられたことは今でもいい思い出です」

台湾と南三陸の架け橋へ

大学卒業後、兵役のため1年間軍隊に入っていた陳さん。その兵役を終えるころ、南三陸町からオファーがあった。

「言語の不安などもあり1週間は悩みましたが、日本に行って働きたい、という想いが強かった。両親は台湾で仕事をしてもらえれば……と話していましたが、大好きな町で働けるチャンスはなかなかないと思うので、観光協会で働くという決断をしました」。

6月から勤務が始まった南三陸町観光協会では国際交流推進員として、よりいっそう台湾との架け橋となっていくことが期待されている。「もっと教育旅行をこの町に誘致したいし、今はまだ実現できていない取り組みとして、南三陸町の学校も台湾に行かせたい。一方通行ではない相互交流を促していきたい」と意気込む。

今年もまた台湾の学生が南三陸町で2ヶ月間のインターンシップを実施。台湾の学生が町内の各事業所にて業務体験を行う。さらに、7月15日(日)と8月11日(土)には「台湾DAY」が企画されている。台湾色に染まる南三陸の夏が始まろうとしている。

陳さんの日本語ネームは、高校時代に抽選で決まったという「太陽」。台湾と、南三陸の架け橋となり、それぞれの未来を明るく照らし出す「太陽」へ――。太陽くんの活躍が台湾と南三陸の絆をより強固に、より深めていく。

国際免許を取得し、車も手に入れた陳さん。「東北はまだ訪れたことがないところも多いのでいろいろなところに行ってみたい」

新しい街で繰り広げられる世代間交流「七夕コンサート」

春にオープンした「結の里」で、併設のデイサービス利用者さんと近隣の住民、そして向かいのあさひ幼稚園の子どもたちとの楽しい交流会「七夕コンサート」が開催されました。90歳代の方々とそのひ孫の世代の園児たちが、同じ曲を歌ったり踊ったり……感動の時間が流れました。

幼稚園児の歌声が梅雨空を晴らす

7月4日(水) 『七夕コンサート』と銘打ったこの日のイベント。

会場となった『結の里・ふれあい広場』には、様々な年代の方々が集まり大盛況でした。

オープニングを飾るのは、あさひ幼稚園のちびっ子たちです。元気いっぱいの歌声と愛らしい動作に集まった誰もが自然と笑顔になっていきます。心配された雨もやみ、梅雨空の隙間から明るい日差しが降り注ぎ始めました。

総合司会を務めるのは、このコンサート主催者「宮城県北部自立相談支援センター・ひありんく」の髙橋雅道さん。電子ピアノで伴奏しながらお得意の話術で会場を盛り上げます。

新たなご近所づきあいが進む

南三陸町では防災集団移転事業が進み、新たな街でのご近所さん付き合いが始まっています。

この地域でも、住民の暮らしやコミュニティを支援するLSA(ライフサポートアドバイザー)が中心となり普段から集会所などでお茶っこ飲みやミニイベントの時間を作っていますが、このような世代を超えた交流の機会は頻繁に行われるわけではないので、とても楽しみに待っていたようです。

同地区内の災害公営住宅で暮らし始めた山内章さん(82歳)は、「普段はお茶っこ飲みには寄らなくて朝晩女房と散歩してんのっさ。さっき病院から帰ったばかりだったけど、なんか賑やかそうなので来てみた。子どもたちの声が近くで聞こえるのはとっても良いね!」と笑顔でイベントを見つめていました。

子どもたちの歌や踊りに喜ぶ山内章さん

一方、大森地区の須藤豊さん(85歳)は、今日のイベント開催を近所の方から聞いたので自転車でやって来たそうです。本人は、自動車を運転できないのでどこに行くにも自転車なんだと言い、顔なじみの知人に会えるこのような機会には積極的に参加するよう心がけていると話して下さいました。

先日ご主人を亡くされたばかりの阿部しげ子さん(84歳)は、「娘が一緒に住んでくれているので安心、なるべく外に出て、仲良くなった皆さんとおしゃべりするのが楽しい」と語ります。

旭ヶ丘団地・東地区復興団地・デイサービスおよび社協職員それぞれによる出し物(仮装ダンス)が続き、会場は爆笑の渦に包まれました。

サプライズ!に、もらい泣き

デイサービスの職員から「今日誕生日の方がいらっしゃるんですけど」と突然の申し出があり、閉会のあいさつを始めようとした社協の高橋史佳さんが、粋な計らいを見せてくれました。

舞台中央に椅子を並べ誕生日を迎えたお2人を紹介して、集まった方々に「皆さん、ハッピーバースディを歌ってお祝いしましょう!!」と呼びかけたのです。

最初は照れまくっていたお2人でしたが、サプライズな出来事に思わず号泣してしまい、LSAや社協職員が感動のもらい泣き。

三歳児から90歳代の超高齢者の方々まで一堂に会して笑顔で過ごせた『七夕イベント』でした。このような取り組みがこれからも定期的に開かれると、住民同士の仲間意識がさらに深まりそうですね。

住民交流のお手伝いとよろず相談

今回の「七夕コンサート」を企画した「ひありんく」とは、NPO法人ワーカーズコープ大崎地域福祉事業所の自立相談支援センターの愛称です。就労支援員である髙橋雅道さんは、「皆さんも暮らしていくうえで様々な困りごとや悩みごと等が生じると思います。自分一人で抱えず気軽に相談できる組織ですので、利用してください。」と紹介していました。

待望の新しい街の暮らし・志津川東復興団地編

通称東の西、防災集団移転事業・東地区団地西工区を訪れてみました。災害公営住宅マンションタイプ8棟(C~I)が建ち並ぶエリアは、それを囲むようにを自宅再建された真新しい住宅が並んでいます。ここに暮らす人々のとある一日のようすをお伝えします。

一日の始まりのラジオ体操とお茶っこ

マンションの中庭は芝生が敷き詰められ、素晴らしい環境に見えますが、まだ養生期間が続いているようで住民が日常的に活用できていないようです。

朝9時過ぎ、住民たちが集まってきました。

仮設住宅で過ごしていた頃と同じように、ご近所さんたちの顔合わせと軽い運動、その後の世間話&お茶っこのみにつなげようとLSA(ライフサポートアドバイザー)さんたちが平日に呼びかけている「一日の始まり」です。

いつものように、NHKラジオ体操・100歳体操・長生き坂などの曲に合わせ、背を伸ばしたり、ひねったり、時折「痛ててて~」という叫び声と笑い声が響き渡る時間。

この日は、主に主婦の方々20名ほどが参加しました。車椅子が離せない生活となった佐藤さんは「家にばかりいられない。毎朝来て、みんなと体操するのが楽しいの!」と笑顔で語ってくれました。

終了後、「集会所でお茶っこするから一緒にどうぞ!」とお誘いを受けたので遠慮なくお邪魔してみました。

いつもテーマは決まってないけど、健康・病院の事や除草・虫駆除など環境衛生の事とかが多いようです。

「8月に盆踊り大会をするそうですが、踊りって何か覚えていますか?」と話題を振ってみたところ、はじめは「全部忘れてしまった」と言っていたのに、誰かが「トコヤッサイなら曲掛かれば踊れるんじゃないの!」と口火を切ると、炭坑節や相馬盆唄・北海盆唄など懐かしい曲目がどんどん出てきます。

「あと、あれ良いよね。きよしのソーラン節!」

みなさん体が少し揺れてきたように感じます。

「ここで一曲流すと、踊り出すよねきっと!!」

笑顔に包まれたお茶っこの時間がしばらく続きました。

住民の暮らしを支える移動販売

掲示板に、毎週金曜日午前11時半にパン屋さんがデッキ「ふれあい広場」にやってくるというチラシが貼られています。

あいにくの小雨模様でしたが、いつも楽しみに待っているという住民が、軽自動車の陳列棚から気に入ったパンを選び、袋いっぱいに購入していました。

こちらのパン屋さんは仙台市泉区で製造販売しており、震災直後から南三陸町に来て、当時の復興工事作業員や仮設住宅の方々に販売し喜ばれていたそうです。

「新しい街になるのは良いけど、お店が近くないので買い物がちょっとね~。」

仮設暮らしの時からそんな懸念が渦巻いてはいましたが、定期的にやってくる移動販売(ほかに魚や野菜も)は、とても助かると好評のようです。

快適で、愉快な、よい日々のために

夕方、団地南端にある公園には散歩中の方がちらほらと・・・

震災前、この高台の下・天王前に住んでいた入江勇一さん(白い服の男性)は、

「ここから病院の裏手までゆっくり探鳥会がてら歩くのが日課。昔は鳥の名前を随分知っていたんだけど、もう忘れちゃった。」と笑顔で話してくれました。

入江さんは、かつて志津川・十日町で活動していた「志津川愛鳥会(田中医院院長田中完一氏主宰)」の主力メンバーのお一人でもあります。

鳴き声やシルエットで野鳥を言い当てる時代を懐かしみながら、自然豊かな山々と様変わりした街の散策を愉しんでいるようです。

佐藤正樹さん(赤い服の男性)さんも散歩中でしたが、南方仮設住宅にいた頃に覚えたグラウンドゴルフが現在最大の趣味となったと語ってくれました。

「住む環境は整ったけど、思いっきりゴルフしたいと皆で言っているんだ。早くどこかにちゃんとしたコースができると良いんだけどな。」と呟きます。

昔からグラウンドゴルフ愛好者の多かった南三陸町。

協会の方からは、会員や住民が楽しめる場所(グラウンド)が早期に整備される事を待ち望んでいると言われます。

県内多くの自治体が高年齢者の就労および生きがい対策に力を入れていますが、スポーツ振興としてグラウンドゴルフ場やパークゴルフ場等の新設整備に取り組む姿勢も少なくありません。

他の被災自治体を取材すると、岩沼市では既に今年4月千年希望の丘に完成、気仙沼市では階上(向洋高校)に、東松島市では矢本海浜緑地内に、亘理町では荒浜地区に今後パークゴルフ場の整備を目指していることがわかりました。

南三陸町志津川では松原公園の復旧事業が進んでおり、もうしばらくするとそこが待望の聖地になるかも知れませんね。

まだまだ復興途上の町ですが、終の棲家を得て新たな友人知人と共に暮らし続ける姿に、明日はもっともっと快適で愉快なよい一日でありますようにと願わずにいられません。

町民の利便性向上!BRT 志津川中央団地駅開業!

JR 気仙沼線では、志津川中央団地内に BRT(バス高速輸送システム)の新駅を設置し、7月1日から営業開始しました。記念のセレモニーとたくさんの住民も参加した試乗会の様子を紹介します。

快晴の朝、オープニングセレモニー

「今日も暑いね!」まだ梅雨は明けていない南三陸町ですが、こんなあいさつが交わされる暑い日が続いています。7月1日、すでに猛暑の気配漂う快晴の朝、オープニングセレモニーが始まりました。

「様々なイベントに出席しているが、こんな素晴らしい快晴は珍しい。住民のみなさんの思いが通じ、雨男と呼ばれる者として万感の想いである。」と佐藤仁町長が笑いを誘いながらマイクの前に立ちました。

「JR 気仙沼線の運行にあたり、地域の方々がより利活用できるよう検討して頂きたいと訴えながら協議を重ねてきた。約300世帯が暮らす中央団地には、小中学校や保育所そしてショッピングセンターがある。来年度には生涯学習センターも建ち、まさに町の中央、拠点となる。この中央部にぜひとも駅が必要だとお願いしてきた。JR の速達性を考えると大変難しいことではあるが、住民の利便性を考慮して頂いたものと感謝申し上げる。」と新駅設置の思いと JR 側への御礼を述べられました。

続けて「このJR 路線が被災地交通網の背骨であるのは間違いない。肋骨にあたる地域間の交通網の整備は、住民の方々の要望を踏まえながら町として責任をもって行うので、BRT 並びにこの新駅を活用して頂きたい。」と住民へ利用を呼びかけました。

JR 東日本仙台支社島児伸次企画部長からは、「地域の方々からこのように歓迎して頂いて大変嬉しい。この新駅開業と同時に、気仙沼市の松岩駅も開業した。さらに柳津駅から陸前戸倉駅も今日から専用道が開通となる。今後も利便性の高い、愛される BRT を目指したい。」と力強いあいさつが述べられました。その後、志津川中央行政区長はじめ関係者がテープカットをして、新駅開業を祝いました。

地元住民も興奮、BRT 試乗

体験試乗を希望した住民約30名が、真新しい乗り場(待合スペースも完備)で10時38分発の柳津行きのバスを待ちます。

バス停の行列と言うと、整然とした静かな雰囲気があるのですが、顔なじみの方々が揃うこの時間は、皆さん大はしゃぎです。今後、住民交流の場になるかもしれませんね。

宮川はぎ子さん(84歳)と小野ツヤ子(89歳)さんの仲良しコンビからお話を伺いました。
「いっつも二人で鳴子に温泉を楽しみに行くんだよ。BRT で前谷地まで行って、乗り換えて小牛田から
鳴子へと乗り換えの時間も列車もちゃんと頭さ入れてあっから。」と小野さんは元気に笑い飛ばします。

「この駅ができると家から近くなるから楽だよネ。」と宮川さんもうなずきました。

行列の中に、地元の住民ではない旅行者らしき方を発見、インタビューを試みました。

「今日開業する駅があると聞いたので、やってきました。日本全国どこかで記念のイベントがあったりすると出かけますネ。」にこやかに話してくれる東京都在住の宮下智浩さんです。

普段は鉄道車両の撮影や乗車を楽しみにされているのですが、今回は BRT 志津川中央団地駅開業に合わせ昨晩石巻に泊まってこちらにこられたそうです。被災地の気仙沼線、鉄道復活ではありませんが彼の目にどのように映ったのでしょうか。このまま仙台に出て、東京へ帰られるそうです。

BRT 志津川中央団地駅に期待すること

職住分離の新しい志津川の街に作られた三つの駅(志津川駅~南三陸町役場・病院前駅~志津川中央団地駅)を結ぶルートは、BRT ならではの経路で鉄道では絶対あり得ないケースです。

では、志津川中央団地駅の開業による、住民の期待とはどのようなモノなのでしょうか?阿部とき子さん(75歳)は、「私たち夫婦は旅行好きでさ、いろんな所へ行くんだけど、お父さんが運転しなくても楽しめるのも良いよね。例えば仙台なら、るーぷるバスで市内回れるでしょう。これからは、家から歩いてきてここから乗っていけるよね。」と、ご主人の負担軽減も考えながらの旅に心躍る様子。

一方、渡辺きよ子さんは、「高齢者にとっては病院へ通うのも一苦労。これなら車を運転できなくても良いし、知り合いと一緒なら楽しいじゃない。」と話してくれました。

時刻表を見てみると、志津川中央団地駅と病院・役場とを結ぶ便は上下各一日19本、ほぼ一時間に一本運行されているので、診療時間や薬処方、役場手続きなどで焦ることが少なくなる感じがします。さらに気仙沼や仙台へのアクセスもかなり充実しているので、出張や旅行も便利になりそうです。

今回試乗された住民からは、快適だったとの感想が多く聞かれました。どこに行くにも自家用車という方も多いですが、たまには BRT に乗って町を巡ってみてはいかがでしょうか?地域間を結ぶ背骨と肋骨の交通網整備が図られ、住民の利活用向上が進むとより快適な町になるんだと期待される新駅開業です。

BRT とは

鉄道の軌道を舗装してバス専用道を作り、定時で早い運行を可能とするバス高速輸送システム(バス・ラピット・トランジット=Bus Rapid Transit の略)

2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災で壊滅的被害を受けた JR 気仙沼線では、不通になった気仙沼~柳津間で BRT を採用している。平成30年7月1日、柳津駅と陸前戸倉駅間の元軌道約12km が BRT 専用道として開通した。BRT運用区間での専用道率が全体の62%となった。

志津川の新名物へ!知る人ぞ知る”ヴァージンオイスター”「あまころ牡蠣」

まさに今、旬を迎えている牡蠣があります。「牡蠣といえば、冬の味覚の代名詞」と思っている方も多いかもしれないが、ここ南三陸町志津川から、新たな名物が生まれようとしています。その名も「あまころ牡蠣」。小さく、ぷくっと膨らんだ身がかわいらしい牡蠣です。

産卵をする前に収穫したからこそのおいしさ

東日本大震災による大津波によって壊滅的な被害を受けた牡蠣養殖業。震災前も、そして復旧した震災後も宮城県では、海中で2年以上育てて、大きくなった牡蠣を出荷しています。しかし、この新名物「あまころ牡蠣」は、同じ真牡蠣であっても「未産卵」で「一粒牡蠣」であることが、ほかの牡蠣とは一線を画しているのです。真牡蠣は夏場に産卵するので、通常の牡蠣はもちろん産卵を経験した牡蠣。しかし、あまころ牡蠣は産卵をする前に収穫して出荷してしまうという大きな違いがあるという。

現在11人いる生産者の代表を務める佐々木昇記さんは、「産卵をしていない分、えぐみが少なくて、甘みが強い。牡蠣が苦手という人でも、食べやすい牡蠣に仕上がっている」と自信をもって話します。

写真提供:宮城県

震災後に確立された養殖方法

養殖期間は約10ヶ月ほど。出荷まで2年かかる通常の牡蠣に比べて、台風や低気圧などのリスクが少なく生産者の不安も和らぎますが、養殖期間が短ければ短いだけの苦労も多いという。

「8月の半ばに海中で牡蠣種をとる採苗器を投入します。1ヶ月くらいすると、付着した牡蠣は親指大の大きさに成長しています。その牡蠣を剥がして、ネットに移し替えて、海に再び戻します。ホタテなどに種牡蠣を付着させて、ロープにつるして成長させるのが通常の牡蠣の養殖方法だが、ネットで一粒ずつバラバラにして養殖するのがこの『あまころ牡蠣』の特徴。そして、11月末頃と3月上旬に選別作業をして5~7月に出荷を迎えます」。1年に満たない養殖期間では、悪天候などのたった一つの作業の遅れが牡蠣の成長にダイレクトに影響を及ぼしてしまうと話します。

ネットの中でコロコロと転がって、身入りも形もよくなるというシングルシード方式という養殖方法 写真提供:宮城県

「震災後の平成25年に初めて試験的に養殖に挑戦。1年目はまったくできなかったんです。2年目で少しモノになってきて、3年目でようやくサイズも安定。養殖方法も確立してきたんです。生産が安定してきたことで、自分一人から始まった養殖も生産者が徐々に増え11人で養殖を行っています。昨年は約10万枚を採ることができました」

「あまころ牡蠣」の生産者のみなさん 写真提供:宮城県

東京のオイスターバーで大ヒット

そうして生まれた牡蠣は、東京のオイスターバーで人気を博しているとのことです。

「正直、牡蠣は大きいのがよいと思っていたから、一年ものの小さな牡蠣が売り物になるということも最初は驚きだった」と佐々木さんは振り返ります。

「産卵を経験していない牡蠣だからこその甘み。えぐみや雑味が少なく、初めての産卵に向けて栄養を蓄えた牡蠣のおいしさを存分に楽しめます」。小さな身に、ギュッと詰まったうまみと甘み。ワインを片手に、ちゅるっと殻ごと楽しむオイスターバーにぴったりの牡蠣が誕生。「ヴァージンオイスター」として、知る人ぞ知る、食通をうならせる新名物が、ここ南三陸町志津川から誕生しました。

「今年も順調に生長しました!旬の味を楽しんでください」と佐々木さんも目を細めます。南三陸町内で食べられるのは、さんさん商店街内の「ロイヤルフィッシュ」と、「弁慶鮨」のみ。「知る人ぞ知る」南三陸の新名物。志津川の牡蠣養殖の「復興のシンボル」とも呼べるような逸品をぜひお楽しみください。

写真提供:宮城県

人も地球も健やかな暮らしを目指して/平山太一さん

南三陸町に移住し起業活動をおこなう「地域おこし協力隊」隊員を紹介していく連載企画。第2回は、2018年4月に着任したばかりの森林資源活用推進員、平山太一さん。町産のスギ材を使用したモジュールハウスの開発と、それを活用した新しいくらしのスタイルの実現を目指します。

森林資源を有効活用し、新しい暮らしのスタイルを実現

―――森を活かし生かす、“森林資源活用推進員”

日本は小さな島国でありながら、国土の7割近くを森林が占める森林大国の1つ。南三陸町も海辺の町のイメージが強いですが、その平均をしのぐ8割近くを森林が覆っています。リアス特有の森と海が非常に近い、町の地形の最大の特徴です。

おおよそ50~60年と適材となるまでの生長スピードが早く、さらにまっすぐと伸び育ち柔らかいため加工が容易であることなど、建材ほか様々な場面で古くから用いられてきたスギは日本固有の樹木で、「日本の隠された財産(Cryptomeria japonica)」という学名が与えられています。戦後の拡大造林政策で日本中に植林が進められ、現在では日本の森林の約4割が人工林となっています。“南三陸杉”のオリジナルブランドで普及を図るこの町のスギは、古くは伊達藩の時代から重宝されてきた歴史を持ち、美しい赤身と目の詰まった強度が特徴で、FSC(Forest Stewardship Council森林管理協議会:国際的第三者機関)の国際認証を一部取得しています。

しかし近代では、鉄筋コンクリートや比較的安い輸入外材の出現により、国産森林資源の使用場面がとても少なくなっています。あなたの家は木造でしょうか?身の回りに木の家具はありますか?その木は国産材でしょうか?使われないスギは切られることもなく、森林は過密化し、1本1本のスギは窮屈そうに細く育ち、細く使えないスギはより切られる機会を失い、この繰り返しが森林の荒廃を進めています。植林から伐採まで数十年を要する森は、世代交代のタイミングでどこまでが我が家の森かわからなくなり、さらにそれは震災後の人口流出の混乱で加速しました。

そんなスギを中心とした森林資源をもっと有効活用し、豊かな地域環境と新しい暮らしのスタイルを実現させようと取り組むのが、2018年4月に地域おこし協力隊員に着任し、移住したばかりの平山太一さん。

木材を使って開発に挑戦するのが“モジュールハウス”。 “モジュール”とは“基本単位”というような意味で、最小単位の箱状の建築を、必要に応じて組み合わせることでいろいろなパターンをつくれるのがモジュールハウスの特徴です。「モジュールハウスは、安価で作れたり、簡単に移動ができるような手軽さを持っているが、プレハブほど仮設的なものではなく、不便じゃないもの」と平山さんからの説明。小さい、狭い、不便というような印象を受けるが、「快適さには妥協したくない」と強く語ります。

「住宅に限らず、飲食店や販売店などの店舗、事務所や集会所など、活用方法はいろいろあると思います。増改築がしやすいので、最初は小さい単位でスタートして、必要に合わせて大きくしていくことができます」と、新しい事業や暮らしへのチャレンジにも最適だそう。例えば、結婚を機に2人で暮らせる小さなモジュールハウスを購入し、子どもが生まれたら増築をする。転勤があれば移動が可能だし、子どもがひとり立ちすれば部屋を減らして小さくしたり、不要な部分だけを別の場所に移して、倉庫にしたり別荘にしたりも可能です。

「人も気軽に移動するし、合わせて家も移動しちゃうみたいな、住み慣れたプライベート空間をずっと使い続けられて、でも1カ所にずっと住み続けなくてもいい、そういう気軽で多様なライフスタイルがあってもいいと思う」と平山さんは考えます。数十年のローンを組んで“不動の財産”をもつこれまでの価値観に違和感を持っているそう。

さらに平山さんが狙うのは、せっかくの移動性を活かしたエネルギー自給生活の提唱。つまりは、水道管や電線に頼らない暮らしです。「社会的な環境問題を考えると、現代の暮らしはエネルギーの消費が多すぎると思います。なるべく自然エネルギーに頼ることで環境的なメリットと、電気代や水道代がかからなくなる経済的なメリットもあります」とその魅力を語ってくれました。「森林資源を活用したモジュールハウスで、自然エネルギーを活用した暮らしをする、そういう試みや考え方が、環境への配慮や意識につながると思っています」と、社会に大きなインパクトが起こることに期待が膨らみます。

まだ4月に着任し移住したばかり。パートナーである協力隊員の羽根田さんと、モジュールハウスの企画や開発に、販売やレンタル、さらにはこれを活用したグランピングなどの事業での起業を狙っていますが、まだまだ課題は山積み。「ソーラーエネルギーや井戸・湧き水に雨水、薪ストーブやペレットストーブなど、これらを使って快適な暮らしができるのか、まずは自分が挑戦してみたい。空き家とか空いている建物があれば紹介してほしい」。モジュールハウスの試作品製作にも取り組んでいるそうです。

ゼロから挑戦する町に魅力を感じ、移住を決断

―――場所も職種も、がらっと変わった

そんな平山さんは、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の29歳。祖父母の家が仙台にあり馴染みはあったものの、東北での暮らしは初めて。「身寄りも知り合いもいないし、若い人もいないイメージで、人口も少ないお店も少ない、そんな場所でビジネスが成り立つのか不安はありました」と不安を抱えつつも移住に踏み切ったのはなぜでしょうか。

茨城県つくば市の大学に在学中、東日本大震災を経験。つくば市も被災地の1つであるため震災のことには関心があり、閖上や陸前高田には数回ボランティアで足を運んだそうです。大学では国際関係学を専攻し、問題解決型ビジネスや社会性の強いビジネスを学んでいたそうです。「地域や地方のような小さい単位のコミュニティや、そういう場所でのビジネスや起業をすることに元々興味がありました」。

卒業後は、海外で働ける可能性やデザインの仕事、またベンチャーに惹かれ、広告関係の仕事に4年間勤務。しかしこの頃から転職の準備は始めており、特に立体や空間などのデザインをもっとやってみたいと感じていたそうです。そんな中、知り合いを通じNextCommonsLab南三陸の起業家募集を知り、未経験ながらも建築に関わるプロジェクトに興味を持ちました。「採用までに3~4回ほど南三陸を訪れましたが、意外と若い人たちがたくさんいることを知りましたし、ゼロからいろいろなことに挑戦したり立ち上げをできることに魅力を感じました。他のラボメンバーなど、なにかをやろうとしている人たちがたくさんいることも心強かったです」と、応募を決意した理由を聞かせてくれました。

今までの経験と地続きではない転職、住む地域も職種もがらっと変わった、平山さんの新しい挑戦が始まりました。

町の魅力にどっぷりとハマりたい

―――まだまだ町のことを何も知らない

現在は一時的に戸建て住宅を借り、志津川に住んでいる平山さん。「庭の小さな畑から野菜を収穫したり、スーパーで買う食材も都会よりも安いので、自炊をするのが楽しいです。野菜もたくさん食べられて健康的です」と、移住ライフを楽しんでいる様子。出店の経験も持っているほどカレーづくりが得意で、人に振る舞うのも好きとのことです。ぜひ味わってみたいですね。健康にとても気を使っていて、元々の運動好きも相まって、ジムに通ったり職場まで徒歩で通勤したりと、体づくりにも余念がありません。

景色がいいところが好きで、お気に入りはホテル観洋の露天風呂だそうですが、まだ来たばかりであまり町を巡ったりもできていないそう。「景色のいい場所や町の楽しい遊びなど、いろいろ町のことを知りたいし教えてほしいので、どんどん町の人たちから声かけてほしいです。養殖のお手伝いとか、やってみたいことはたくさんあります。」と、まだ見ぬ町の魅力にも期待満点です。

―――人も地球も健やかな暮らしを目指して

「まずはモジュールハウスの試作品をつくって、オフグリッドのシステムを実現させてみたい。自分がその暮らしに挑戦できるといいですね」と、当面の目標を語る平山さん。そんな地球にやさしい暮らしのスタイルと共に実現したいのが、自身も健やかな暮らし。

「せっかく海のそばに住み始めたので、夏までに腹筋を割って、だらしなくない恰好で海に遊びに行きたいですね。通勤の行き帰りを徒歩で、仕事が終わったらジムに通って、食事制限をしっかりする!」と、この記事が掲載される頃には結果が目に見えているであろう、わかりやすい目標を掲げてくれました。

ジムで見かけたら、腹筋のチェックをしつつ町の情報をいろいろと教えてあげてください。豊かで健やかな地域と社会をつくっていく、期待溢れる若者です。