通称東の西、防災集団移転事業・東地区団地西工区を訪れてみました。災害公営住宅マンションタイプ8棟(C~I)が建ち並ぶエリアは、それを囲むようにを自宅再建された真新しい住宅が並んでいます。ここに暮らす人々のとある一日のようすをお伝えします。
一日の始まりのラジオ体操とお茶っこ
マンションの中庭は芝生が敷き詰められ、素晴らしい環境に見えますが、まだ養生期間が続いているようで住民が日常的に活用できていないようです。
朝9時過ぎ、住民たちが集まってきました。
仮設住宅で過ごしていた頃と同じように、ご近所さんたちの顔合わせと軽い運動、その後の世間話&お茶っこのみにつなげようとLSA(ライフサポートアドバイザー)さんたちが平日に呼びかけている「一日の始まり」です。
いつものように、NHKラジオ体操・100歳体操・長生き坂などの曲に合わせ、背を伸ばしたり、ひねったり、時折「痛ててて~」という叫び声と笑い声が響き渡る時間。
この日は、主に主婦の方々20名ほどが参加しました。車椅子が離せない生活となった佐藤さんは「家にばかりいられない。毎朝来て、みんなと体操するのが楽しいの!」と笑顔で語ってくれました。
終了後、「集会所でお茶っこするから一緒にどうぞ!」とお誘いを受けたので遠慮なくお邪魔してみました。
いつもテーマは決まってないけど、健康・病院の事や除草・虫駆除など環境衛生の事とかが多いようです。
「8月に盆踊り大会をするそうですが、踊りって何か覚えていますか?」と話題を振ってみたところ、はじめは「全部忘れてしまった」と言っていたのに、誰かが「トコヤッサイなら曲掛かれば踊れるんじゃないの!」と口火を切ると、炭坑節や相馬盆唄・北海盆唄など懐かしい曲目がどんどん出てきます。
「あと、あれ良いよね。きよしのソーラン節!」
みなさん体が少し揺れてきたように感じます。
「ここで一曲流すと、踊り出すよねきっと!!」
笑顔に包まれたお茶っこの時間がしばらく続きました。
住民の暮らしを支える移動販売
掲示板に、毎週金曜日午前11時半にパン屋さんがデッキ「ふれあい広場」にやってくるというチラシが貼られています。
あいにくの小雨模様でしたが、いつも楽しみに待っているという住民が、軽自動車の陳列棚から気に入ったパンを選び、袋いっぱいに購入していました。
「新しい街になるのは良いけど、お店が近くないので買い物がちょっとね~。」
仮設暮らしの時からそんな懸念が渦巻いてはいましたが、定期的にやってくる移動販売(ほかに魚や野菜も)は、とても助かると好評のようです。
快適で、愉快な、よい日々のために
夕方、団地南端にある公園には散歩中の方がちらほらと・・・
震災前、この高台の下・天王前に住んでいた入江勇一さん(白い服の男性)は、
「ここから病院の裏手までゆっくり探鳥会がてら歩くのが日課。昔は鳥の名前を随分知っていたんだけど、もう忘れちゃった。」と笑顔で話してくれました。
入江さんは、かつて志津川・十日町で活動していた「志津川愛鳥会(田中医院院長田中完一氏主宰)」の主力メンバーのお一人でもあります。
鳴き声やシルエットで野鳥を言い当てる時代を懐かしみながら、自然豊かな山々と様変わりした街の散策を愉しんでいるようです。
佐藤正樹さん(赤い服の男性)さんも散歩中でしたが、南方仮設住宅にいた頃に覚えたグラウンドゴルフが現在最大の趣味となったと語ってくれました。
「住む環境は整ったけど、思いっきりゴルフしたいと皆で言っているんだ。早くどこかにちゃんとしたコースができると良いんだけどな。」と呟きます。
昔からグラウンドゴルフ愛好者の多かった南三陸町。
協会の方からは、会員や住民が楽しめる場所(グラウンド)が早期に整備される事を待ち望んでいると言われます。
県内多くの自治体が高年齢者の就労および生きがい対策に力を入れていますが、スポーツ振興としてグラウンドゴルフ場やパークゴルフ場等の新設整備に取り組む姿勢も少なくありません。
他の被災自治体を取材すると、岩沼市では既に今年4月千年希望の丘に完成、気仙沼市では階上(向洋高校)に、東松島市では矢本海浜緑地内に、亘理町では荒浜地区に今後パークゴルフ場の整備を目指していることがわかりました。
南三陸町志津川では松原公園の復旧事業が進んでおり、もうしばらくするとそこが待望の聖地になるかも知れませんね。
まだまだ復興途上の町ですが、終の棲家を得て新たな友人知人と共に暮らし続ける姿に、明日はもっともっと快適で愉快なよい一日でありますようにと願わずにいられません。