いぶし銀の技、日々進化中!/佐藤功さん

今回取材のお相手は、南三陸町志津川平磯にお住まいの佐藤功さんです。昭和9年10月生まれ 満83歳。ご自宅の裏に倉庫兼作業部屋つまりは工房を建て、いわゆる晴耕雨読の暮らしの中でモノづくりを楽しんでいらっしゃいます。

竹細工でコミュニティが生まれるきっかけに

写真のようなクラフトバッグをどこかで目にしたことはありませんか?

近年、このようにクラフトテープを使った、バッグ・小物入れ作りを趣味にしている方が増えていますが、実は佐藤さんは独自の編み方を生み出し、たくさんの方に教えている先生でもあります。

「最近ね、こんなのを作ってみたんだ」と最新作を出してきてくれました。

「いつも作っている籠に蓋をつけてみたらどうだろうかと思ってさ。」

確かに、ティッシュボックスや弁当箱として蓋つきの小物入れ等はいくつも見ていますが、このような構造の籠は初めてです。他にも模様や色使いに工夫がなされているオリジナル作品が工房に置かれています。

「でも、結構失敗したりするんだよね。」

笑顔に日々挑戦する姿勢が垣間見られました。

(社)志津川町シルバー人材センターが設立されてすぐ、地区の仲間から勧められて会員になった功さんは、得意の土木関連や除草作業などの仕事を積極的に請けてくれる頼もしい存在でした。そして、会員による友の会活動でもスゴ技を発揮し、仲間から慕われるようになります。

ただ、この竹細工サークル活動では、材料の確保や手間(竹を採って乾かして細く削って…)という課題が多く、さらには「私も手軽にやってみたい!」という女性会員からのリクエストもあり、「竹はひとまず休んで、(荷造り用の)PPバンドでこさえてみるか?!」と方針転換します。

それが功を奏して、多くの会員がサークルに参加するようになりました。

シルバー人材センター・竹細工サークル活動
産業まつり会場特設ブースにて作品販売

シルバー人材センターが解散した後も、入谷のさんさん館や晴谷驛で講座を設け、多くの住民に独自の技を惜しげもなく伝授しています。

竹籠製作のきっかけは子ども時代にあり。

部屋の一角に、見事な竹製の背負子(しょいこ)が吊るされていました。じっくり手に取ってみると、軽くて丈夫で、素人目でもこれは使いやすいだろうなと感じられる作品です。

「魚籠(びく)・瓢(ふくべ)などの出来も素晴らしいですが、そもそも竹細工を始めたきっかけは何ですか?」と伺ってみました。

「オレの母親の実家が、荒砥小学校の近くにあったんだけど、養蚕やっててね。忙しいときは子どもたちも駆り出されて、桑の葉採りや世話を泊まり込んで手伝っていたんだ。蚕を育てる竹製の【かごわらだ】に興味があって、かご屋さんから編み方教えられた。んでも、本格的に魚籠や籠を作り始めたのは社会人になってからだな。」と海を眺めながら話して下さいました。

若いころは都会に出稼ぎしていたそうで、「厚木(神奈川県)で東海道新幹線の工事にも関わったり、とにかく働けばなんぼでも稼げる時代だった。江戸川(東京都)では他の人が断るようなキツイ仕事を請けたら給料3倍もらってさ、宿舎で最初にテレビを買ったのがオレたちなんだ。」と、昭和の高度経済成長期を駆け抜けた当時を懐かしむように語る功さん。

定年後、こちら(平磯)に戻ってからは、山菜や磯モノを採ったり畑作業したり…その合間に竹細工も楽しむようになったそうです。

「浜じい」というブランド名で展開中!

日々創意工夫を重ね、竹、PPバンド、クラフトテープとそれぞれの材料を駆使した、まさに年季の入った《いぶし銀の技》を持つ功さんのオリジナル作品には、『浜じい』というブランド・タグが付けられています。

その独特の逸品を手にしてみたいと思う方は、さんさん商店街内「おしゃれ空間Lips(リップス)」にお出かけください。所狭しと展示&販売しています。

一方、このような籠や小物入れを作ってみたい・教えられたいという方は、入谷晴谷驛で定期的に開催中の講座を一度のぞいてみてはいかがでしょうか?

2018年6月30日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

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銀鮭の新しい食べ方。「南三陸産 銀鮭のコンフィ」が誕生!

宮城県被災沿岸部を訪れ、消費地向けに新しい魚メニューを開発する「Fish & Dish Project」で、「南三陸産 銀鮭のコンフィ」が誕生しました! 帝国ホテル田中総料理長が監修し、「わたす日本橋」の梁島料理長が手がける逸品です。

南三陸町で銀鮭と出合った帝国ホテル田中総料理長が発案。

「おいしい魚料理で被災地を応援しよう」と、一流の料理人が宮城県沿岸部の魚の町を訪れ、地元関係者と交流を図りながら、そこの魚介類を使って新しいメニューを開発する――。それが、2017年4月に始まった「Fish & Dish Project」です。料理による災害支援を行う「料理ボランティアの会」と、紹介者のみ参加できるセミナーや交流会を手がける「ギリークラブ」が共同で実施しています。

基本的に年4回、産地ツアーを企画・実行。宮城県水産業振興課の協力も得て、現地で学びながら、魚のプロ、料理人、食べ手が一緒になって、“新時代のおいしい魚メニュー”を開発してきました。誕生したメニューは東京の各料理店で提供されています。

「南三陸産 銀鮭のコンフィ」は、2017年6月の南三陸町訪問がきっかけで生まれました。「料理ボランティアの会」の代表を務める帝国ホテルの総料理長、田中健一郎さんが、銀鮭の養殖場を見学した際にコンフィの構想を得たそうです。それから約1年、たび重なる試作を経て、2018年6月11日、ついにお披露目となりました。

2017年6月に南三陸町を訪れた「Fish & Dish Project」のメンバー 写真提供:料理ボランティアの会
南三陸町の漁業関係者の案内で銀鮭の養殖場を見学した 写真提供:料理ボランティアの会

「わたす日本橋」料理長による研究・試作を経てついに完成!

「コンフィ」とは、食材をオイルに漬け込み低温でじっくり火入れする調理法で、食材の旨みがぎゅっと閉じ込められます。「南三陸産 銀鮭のコンフィ」を提供するのは、東北と東京・日本橋をつなぐ情報発信・交流の拠点「わたす日本橋」。わたす日本橋も「Fish & Dish Project」に参加しており、産地ツアーに毎回同行して、東北の魚を使ったメニューを充実させるために研究を続けてきました。

田中総料理長が考案・監修する銀鮭のコンフィを提供することになり、わたす日本橋の料理長である梁島真吾さんは何度も試作を繰り返しました。特に苦労したのは火入れの温度調整だったそうです。田中総料理長の厳しい指導・チェックを経て、ようやく完成にこぎつけました。

6月11日に行われたお披露目会には、報道関係者を含む16名が参加。南三陸町からも、宮城県漁業協同組合の阿部富士夫さん(志津川支所 所長)と佐藤俊光さん(志津川支所戸倉出張所 所長)が駆けつけました。参加者は、田中総料理長による料理の説明を聞きながら、南三陸産銀鮭の旨みとコンフィならではのとろける食感を堪能。阿部所長も「今まで食べたことのない味で、ほんとうにおいしい」と感激していました。

6月11日のお披露目にて。右から、帝国ホテル田中総料理長、阿部富士夫さん、わたす日本橋の梁島真吾料理長、佐藤俊光さん
「南三陸産 銀鮭のコンフィ」を含む「わたすの贅沢ランチコース」1人前1780円(税込)。銀鮭のコンフィは、銀鮭が生で食べられる7月20日頃まで提供予定 写真提供:わたす日本橋

「Fish & Dish Project」を進めるギリークラブ主宰の渡辺幸裕さんは、「おいしい魚料理で被災地を応援するとともに、魚食の機会を増やして家庭に笑顔を届けたいですね」と話します。7月にも再び南三陸町を訪問予定。次はどんな新メニューが生まれるのか、楽しみですね!

「料理ボランティアの会」では「チャリティ食事会」も実施。東北や熊本など被災地の食材を使用し、収益は被災地支援活動に充てる 写真提供:料理ボランティアの会

思いを語り、聴く場所に。復興支援講演会を歌津公民館にて開催

5月24日(木)、歌津公民館にて復興支援講演会「悲しみから生まれるもの」が開催されました。講演と演奏会、お茶会を通し、参加者一人ひとりが思いを語り合う時間となりました。

5回目を迎えた講演会

歌津公民館にて、復興支援講演会「悲しみから生まれるもの」が開かれました。講師は龍谷大学の鍋島直樹教授。先生のもとで研究に励む大学院生の方々も参加し、講演後の演奏会やお茶会で参加者と交流を深めました。

講演会は、歌津婦人会が主催し、歌津公民館が共催となり開かれました。鍋島先生は阪神淡路大震災で被災した経験から、大きな災害が起こるたび現地に赴き、物心両面の支援を継続的に行っています。先生と南三陸町の関わりは震災直後から続き、講演会は今年で5回目。このイベントは、住民にとってコミュニティづくりの場になると同時に、訪れる大学院生の方々にとってもコミュニケーションの研修をする場となっています。

聴く、歌う、語る

最初のプログラムは、鍋島先生の講演。大学院生の方々を紹介し、「今日ここに来たのはひとえに、皆様に勉強させていただくため。学生たちに色々な経験を聞かせてほしい」と会の目的を述べました。

講演は、これまでの支援活動を通して得られた言葉を紹介しながら、丁寧かつ温かな語り口で進められました。講演の最後には、先生直筆のメッセージが歌津婦人会会長の佐藤ふく子さんに手渡されました。

講演の後には、大学院生の方々による演奏会が行われました。木管楽器を軸とした柔らかい音色で、「ふるさと」「川の流れのように」「365日の紙飛行機」など、いくつかのなじみ深い曲を演奏。最後には、この講演会で毎年歌っている「しあわせ運べるように」を、参加者全員で手をとりあい合唱しました。

演奏会後は、机を組み替えお茶会を開催。鍋島先生や大学院生の方々も席を交え、イベントの感想や最近の暮らしなどについて、参加者の話を丁寧に聴いていました。

思いを語る場、聴く人の必要性

お茶会での話題は、他愛もないことから、次第に深い話へ。講演や音楽、お茶会を通し、感極まる方も多く見られました。

龍谷大学大学院助手の金澤豊さんは「つらい出来事があったとき、悲しみや怒りの感情がわくのは自然なこと。家に帰った時に、『今日は若い人に話せてよかったな』と気持ちが和らぐような場をつくっていけたら」と話します。

イベントの意義について、歌津公民館職員の小野寺大樹さんは「住民の方々にとって、心のよりどころになれたら、との想いで支援を続けていただいている。大変ありがたいこと」と語ります。歌津婦人会会長の佐藤ふく子さんは「先生のお話を聞くだけでも心が和む。参加することに意義があるので、より多くの人に呼びかけていきたい」と意気込みます。

思いを語る場所、語りを聴く人の存在は、これからも必要とされることでしょう。

歌で暮らしに笑顔を!「童謡・唱歌を歌う会」開催

5月25日(金)、入谷小学校体育館にて、「童謡・唱歌を歌う会」が開かれました。町内各地から集った参加者が歌やアクティビティを楽しみ、音楽を通したコミュニィを育む時間となりました。

NPOの支援を受け、合唱イベントを開催

NPO法人「音楽で日本の笑顔を」の支援による、「童謡・唱歌を歌う会」が開催された入谷小学校体育館に約90名の町民が集いました。

「音楽で日本の笑顔を」は、音楽を通して地域コミュニティをつくり、人々に笑顔や心豊かな暮らしをもたらすことを目的に活動するNPO法人です。音楽家を地域に派遣し、歌うことの楽しさを伝え、自主合唱サークル「スマイル合唱団」の輪を各地で広げています。

入谷公民館長兼志津川公民館長の佐々木仁一さんはあいさつで「みんなを笑顔にするのが公民館の仕事。笑顔を広げて、地域を元気にしていきたい」と述べ、歌を通したコミュニティづくりに期待を寄せました。

入谷公民館長兼志津川公民館長の佐々木仁一さん(中央)

歌い、動き、笑顔あふれる時間

会の進行は「音楽で日本の笑顔を」スタッフが務め、歌唱のサポートをしました。配布された歌集を見ながら、「お正月」「蛍の光」など、なじみ深い童謡や唱歌を会場全体で合唱。休み時間には入谷小学校の子どもたちも体育館に集い、校歌を披露しました。

プログラムの後半では、歌集を見て歌うだけでなく、手や頭の体操になるようなアクティビティも。「むすんでひらいて」「うさぎとかめ」に、歌詞の内容やメロディーのリズムに応じて手指の動きを取り入れます。歌いながら手を動かすことは案外難しく、「手がお留守になってるよー!」「歌も歌ってー!」と、司会者が何度も呼びかけていました。東京のスマイル合唱団による「夏は来ぬ」歌唱ののち、参加者からのリクエストにより「誰か故郷を思わざる」を全員で合唱し閉会。最後の曲を迎えるころには、体育館は大きな歌声と笑い声、そしてたくさんの笑顔に包まれていました。

暮らしのなかに、楽しみの場を

開会時には少し緊張の色も見られた会場。閉会ののちには、参加者同士で感想を語り合いながら帰路につく姿が見られました。参加者からは「初めて参加したが、懐かしい歌を歌えて楽しかった」「家に一人でいると喋ることも少ないが、みんなで集まって声を出すと元気が出る」といった声が聞かれました。

入谷公民館長兼志津川公民館長の佐々木仁一さんは「今日来てくれた方々の中には、普段家であまり会話しない方もいる。帰る頃には笑顔で元気になってくれるので、とても良いイベント」と話します。「春・秋と定期的に歌のイベントを続けてくれているので、それを楽しみに暮らしている人も多い」。

「音楽で日本の笑顔を」副理事長の佐藤史治さんは「一方的に歌を届けるのではなく、参加者と共に歌う合唱団を目指して活動している。今回南三陸町でもそれを実現できたことは、大きな前進」と語ります。「定期的に合唱のコンサートを開いていきたい。スマイル合唱団が、南三陸町にもできあがってほしい」

今年秋には、ベイサイドアリーナを会場とした合唱イベントの開催も予定されています。歌を通した笑顔と元気のコミュニティが、南三陸にこれからも広がっていくことでしょう。

NPO法人「音楽で日本の笑顔を」副理事長の佐藤史治さん

一度来ると、また足を運びたくなる店。カフェレストラン「ちょこっと」

旧国道398号線、戸倉神社の近くにあるカフェレストラン「ちょこっと」。2015年8月8日にオープンし、今年で3年目を迎えます。お客さんの多くがリピーターという一度行ったらとりこになるお店です。そのオープン当初、この「南三陸なう」でも紹介しましたが今回改めて取材をしてきました。

裁縫が得意な店主。ボランティアの「美味しい」の言葉に後押しされ3年

旧国道398号線沿い農地の中にポツリと佇む木造2階建ての建物。カフェレストラン「ちょこっと」です。2015年8月8日にオープンし、今年で3年目を迎えます。

主は震災後、JR陸前戸倉駅近くで「ほったて小屋」を経営していた成澤英子さん。娘の渡辺公子さんと2人でお店を切り盛りしています。

店主である成澤英子さんはもともと裁縫が得意で、震災前は町内にあった仕立て屋さんから仕事を受けていました。しかし震災によりお店がなくなってしまったという。震災後、訪れていたボランティアに振る舞った料理をきっかけに飲食業を営むことに。「ボランティアの人たちの美味しいという言葉に乗せられた」と嬉しそうに振り返ります。

「ばっぱの浜料理」が食べられることから「ほったて小屋」はテレビでも紹介される程有名に。しかし防潮堤工事の関係で2014年9月30日に「ほったて小屋」を閉店。場所を移して、心機一転お店の名前を孫の名前“ちよ”と“こと“から「ちょこっと」として再開したそうです。

「ほったて小屋」と同じく「ばっぱの料理」を提供していくことからばっぱの日(8.8の日)と語呂も良いということで2015年8月にオープンしたそうです。

JR陸前戸倉駅すぐ目の前にあった「ほったて小屋」(写真提供:ちょこっと)

南三陸材をフル活用!伝統的な木造工法で建設

店舗は木造2階建て。板倉構法と呼ばれる、木材だけを使用する伝統的な工法で建てられました周りの景観を壊さないようにとの想いから木造建てにしただけではなく、町の資源を生かし生産から活用まで町の中で完結し、町の中でお金が回るようにということで町内の大工さんにお願いして、木材もほとんどが南三陸産を活用したそうです。

木造ということもあり、店内に入ると木の香りと木材特有の温かみのある雰囲気になっています。またテーブル席側は吹き向けとなっており、立派な梁が印象的です。

店内は壁塗りなどしていないため、壁一面木目模様

新鮮なウニ丼を食べることができるかも?

これまで4000人近くの客さんが足を運んでいるカフェレストラン「ちょこっと」。ほとんどがリピーターであり、多い人で週に2回以上来る人もいるとか。そしてなんとタヌキやキツネなどの野生動物も現れるそうで、人だけでなく野生動物にも大人気なお店なようです。

ランチでは主に季節のものを提供しています。ABのランチがあり、Aが週替わりで主に肉メインの地域の人向けメニュー。Bが日替わりで海産物や地元ならではのメニューだそうで主に観光客向けに作られているそうです。これから夏にかけて当日にならないと分からないですが、採れたてのウニを使ったウニ丼も提供しているとのこと。運次第ですが、並ばずに朝採れた新鮮なウニ丼が味わうことができる穴場かもしれません。

取材に伺った際のBランチ 「カキ天丼」

カフェではないカフェレストラン

何が大変か伺ってみると「ランチメニューを考えるのがやはり大変」と話します。お客さんにも何を食べたいかを聞いたりして提供しているそうです。娘の渡辺公子さんは「オシャレなランチプレートとかじゃなくて、ランチの小鉢何にするとか言っている時点でカフェではないよね」と笑いながら話していました。また弁当やオードブルの注文も受けているそうで、最近は特に多いらしく「弁当屋さんになりつつある」とも話していました。

木の温もりを感じつつ、カウンター越しに会話をしながら食事やお茶を楽しむことができるカフェレストラン「ちょこっと」。ついつい長居してしまうような空間です。営業時間の変更、ランチメニューやウニ丼の入荷などはFacebookで更新しているそうなので、要チェックです!ぜひ一度足を運んでみて下さい!

インフォメーション

営業日:11時30分〜17時(L.O 16時30分)

夜は要予約(L.O 20時30分)

定休日:水曜日・木曜日

お問い合わせ:0226-28-9702

Facebook:https://www.facebook.com/Chiyokoto/

旬の魚と野菜で舌も身体も大満足!「銀鮭と旬野菜のカルパッチョ」

「野菜大好き!」「食べるの大好き!」「料理大好き!」でも魚料理はちょっと苦手。南三陸町在勤3年目の野菜ソムリエプロ千葉が魚料理苦手のために敬遠しがちだった海産物を南三陸町の人々に教わりながら楽しんでみよう!というレポートです。南三陸町が誇る海産物などの食材をご家庭で簡単に作れるレシピを紹介するとともに、野菜ソムリエ目線の情報を織り交ぜながらお伝えしていきます。第一弾は旬の銀鮭レシピをご紹介します。

今が旬の南三陸産銀鮭、脂ののりも上々です!

魚料理苦手の私が、初回にレポート挑戦するのは南三陸産銀鮭です。スーパーではチリ産の「銀鮭」を目にする機会が多いですが、実はここ南三陸町志津川が銀鮭養殖発祥の地。そして現在では国産の銀鮭の9割以上を宮城県産が占めているのです。

そんな銀鮭の旬は、まさに今!4月中旬から海水温の上がる7月中旬までの3ヶ月間に水揚げされる銀鮭。水揚げ当日に加工・出荷されるため鮮度がよいのはもちろん、脂がのって刺身など生で食べるのが最高の時期でもあります。ということで、今回は旬の銀鮭と旬の野菜を組み合わせたカルパッチョを作ってみたいと思います。

さっそく南三陸さんさん商店街へ南三陸産銀鮭と野菜のお買い物です。

おおっ!さすが海のまちの魚屋さん、売っているサイズも大きい!スーパーでよく見かける切り身や刺身でなく「柵」売りです。

家庭用の包丁で切ると、身が崩れてしまいがち…柵でしか売っていない状況に、一瞬たじろぎましたが、美しくきれいに切りたいので店員さんに思い切って切り方を教わりました。

「簡単ですよ!お客様の買ったものは腹身を下にして左から筋に交差するように切るといいよ。あとは回数を重ねるうちに力の入れ具合など覚えていくから」

さらに、店員さんから、県内の銀鮭を養殖する南三陸町・石巻市・女川町一丸となってエサや鮮度管理にこだわり「伊達のぎん」「銀乃すけ」などブランド化して全国へ出荷していることなどいろいろと教えていただきました。

「南三陸産銀鮭は今、脂がのっておいしいし、生エサをつかっていなので臭みがないよ!」

この一言で銀鮭の生食への期待の心をわしづかみされました!

このようにお魚のプロから直接教わることができるのもさんさん商店街での買い物の楽しみのひとつですね。

続いてさんさん商店街直売所「さんさんマルシェ」で野菜を購入。

どれもがぴん!とした新鮮野菜で見るだけでも嬉しく元気になります。さらに地元南三陸町産野菜は生産者さんのお名前入りで親しみがわいてきます。

南三陸産銀鮭と旬野菜のカルパッチョ

さて、いよいよ銀鮭に向き合う時がきました。私がなぜ魚料理が苦手かというと、きれいに切れず見るも無残な形になるからなのです。そこでさらに職場スタッフの協力をもらい直接指導をしてもらいました。

柵を切るときのポイントは、包丁の刃元から入れてスーッと手元に引くように一回で切ること。家庭用包丁でも美しく切れると知り、私にもできそう!と思えてきました。

厚さはまちまちですが、身が崩れずきれいに切ることができました。包丁の入れ方、角度、力加減のコツをつかむことができ達成感です!

この銀鮭の刺身と旬の野菜でカルパッチョを作ります。

【銀鮭と旬野菜のカルパッチョ】

<材料(1~2名分)>
銀鮭・・・刺身5切
カブ・・・1個
キュウリ・・・1/2本
レタス・・・1枚
ミニトマト・・・3個
スプラウト・・・適宜
〇オリーブオイル・・・大さじ1
〇レモン汁・・・1/4分(小さじ1/2)
〇塩コショウ・・・少々

<作り方>

  • カブは皮をむき薄くスライスして塩をふりかけ数分おきキッチンペーパーで水分をとる。キュウリ1/4は薄くスライスする。
  • お皿にレタス、キュウリ、カブ、銀鮭の順にのせて並べる。
  • ミニトマトとキュウリ1/4を細かく切り、盛りつけ、スプラウトを飾る。
  • レモン汁、塩コショウ少々し、オリーブオイルをまわしかけたら出来上がり。

ポイント

野菜は手に入る旬のものでよいです。ミニトマトの代用にパプリカなども彩りがきれいです。

野菜の緑に銀鮭のピンク、彩りの良さが食欲をそそる一品。コクのある鮭に、野菜やレモンの風味が効いたさっぱりとしたソースが合います。これからの蒸し暑い梅雨、ぱくぱく食べられそうです。

季節の変わり目に食べたい、体にやさしい料理

そして、旬のものを食べることは、おいしさを楽しむうえではもちろん、身体にとってもよいことなんです。

魚に含まれる「EPA(エイコサペンタエン酸)」「DHA(ドコサヘキサエン酸)」。

これらは脳細胞を活性化したり、生活習慣病の予防・改善が期待される体にいい良質な油「オメガ3」の代表格。さらに、脂ののった旬の魚はEPA・DHAどちらも多く含まれているのです。

焼く、煮るなど過熱調理をするとEPA・DHAは10~20%流出してしまうため、せっかくたくさん含まれているEPA・DHAを余すことなく召し上がるためには、刺身など生食がおすすめ。

さらに、抗酸化作用のある野菜、オレイン酸を含むオリーブオイルを、DHA・EPAが豊富に含まれている銀鮭に組み合わせることによって、免疫力アップや認知症予防など多くの健康効果が期待できます。

旬のおいしさを味わいながら、良質な油を余すことなく楽しむことができ、野菜によって彩られた見た目も美しいカルパッチョ。実は、健康的にも理にかなった料理となっています。季節の変わり目、体調を崩しやすい季節にはもってこいの一品ですね。

第2話 決断の時は意外と早い!どこで産むか問題(後編)

この連載では、移住者夫婦である筆者が、南三陸町で妊娠、出産を経験し、子育て(現在生後3ヶ月の女の子)に奮闘する中で「え、これって〇〇だったの?!」と感じたことを綴っていきます。そう、既に子どもを育てている方々には当たり前でも、自分が当事者にならなければ、知る由も無い!ということって意外と多かったんです。もちろん、現在も手探り状態で知らないことだらけですが…。田舎での子育てってどうなの?って思っている方や、これから子育てをしていこうという方へ、少しでも参考になればと願っています。

私が里帰り出産しなかった理由

【前回のお話はこちら】
「第1話 決断の時は意外と早い!どこで産むか問題(前編)」
https://m-now.net/2018/05/baby-1.html ‎

結論から言うと、私は里帰り出産はせず、石巻赤十字病院(後述より日赤)で産むことにしました。私たち夫婦は共に移住者で、私は愛媛県、夫は岩手県一関市に実家があります。そのため、妊娠中は会う人会う人二言目には「里帰り出産するの?」と聞かれました。三世代同居が多い南三陸町においては、夫婦二人だけで暮らしている私が里帰り出産にしないのは意外に思われていたようです。

しかし、私があえて里帰り出産にせず、南三陸で産もうと(実際産んだのは石巻の病院ですが)決めたのは、2つ理由があります。

1、産んでから新生児を抱えて帰ってくるのが大変

私の実家がある愛媛県と宮城県のアクセスは極めて悪く、新幹線を使っても8時間(そもそも四国に新幹線は通っていない)、飛行機を使おうとするなら、仙台空港まで車で1時間半の後、直通便がないので、関空で乗り換え、松山空港から実家までさらに車で1時間ということになります。

自分の身ひとつで帰省している道中にも、新幹線や飛行機の機内で小さい子を抱えたお母さんが、ぐずる我が子を一生懸命あやしている様子などを見るといたたまれない気持ちになり、自分が生後1ヶ月の新生児を抱えてこの道のりを帰ってくる自信はありませんでした。

2、夫のおいてけぼり感がかわいそう

なんで里帰りしなかったの?と人から聞かれた時には、主に1の理由を言っていたのですが、私の本音としてはこちらのほうが大きかったです。

もともと私も夫も子ども好きなほうではなく、小さい子を前にするとかわいいとは思うけど、いざ接しようとすると戸惑ってしまうようなタイプ。とはいえ、いざ我が子が生まれたら、母親である私はそれなりに慣れるはず。さらに実家にいれば私の母がよろこんで私や赤ちゃんのお世話をしてくれるでしょう。そうすれば夫の置いてけぼり感はどんどん強まって、だんだん育児から遠ざかって行くのが(自分も同じタイプだからこそ)安易に想像できたからです。

何より、初めて子どもが生まれるというその日々を、誰よりも夫と共有したかったし、できるだけ私と赤ちゃんのそばにいて欲しかったのです。

しかし、実母は私に里帰りをして欲しかったらしく、9ヶ月ごろまで、本当にそっちで産むの?と何度も言われました。遠くに嫁いだ分、一人目の子くらい側で産んであげるのが親孝行かなと思ったりもしましたが、いや、側にいるべきは子の父親だろうと、そこはわがままを言わせてもらいました。

そのかいあってか、退院してからずっと赤ちゃんのお風呂入れは夫の仕事。人前で抱っこ紐を使うのも全く嫌がらないイクメンになりました。

イラスト:高橋美花

頼るべきはおばあちゃん

ということで、里帰りはせずにこっちで産もう!というのを決めました。しかし、産後自分がどれだけ動けるか、赤ちゃんのお世話がスムーズにできるかは自信がなかったので、退院後は実母と義母に1週間ずつ手伝いにきてもらうことにしました。

結果としては、どちらの親も張り切って産後の私や赤ちゃんのお世話をしてくれました。家で家事+仕事+夫の世話をするより、うちで家事+孫のお世話をしていたほうが楽しかったようで、本当にイキイキしていました。また、この期間は夫の母親に初めてちゃんと頼った瞬間でした。

義理の両親は現役で会社を営んでいることもあり、頼ることに関しては遠慮がありました。しかし南三陸は、まだまだ三世代同居も多く、何かあればまずおばあちゃんに頼るのが当たり前。都会のようにベビーシッターや一時預かり、病児保育のできる施設などもありません。これから何かと頼らざるをえない場面も出てくると思うので、ここで「頼りグセ」をつけることができたのは、自分にとっても良かったと思います。

イラスト:高橋美花

さて、病院はどこにする?

里帰りするかしないかが決まったら、次は病院をどこにするか、です。

これは、他の産院はろくに調べもせずに石巻赤十字病院(日赤)に決めました。理由としては、検診の半分を南三陸病院で受けられるという点と、医療面では最も安心だろうと思った点です。

日赤はエリア内の中枢を担う救急病院でもあるので、例えば個人経営の産院などで手に負えないとなった救急の患者さんなども受け入れています。NICU(新生児集中治療室)も設置されているので、赤ちゃんに何かあった場合でもすぐに処置してもらえます。

しかし、大病院であるがゆえに検診のたびの待ち時間が長く、「順調ですね」と言われるだけの検診でも半日仕事・・・というのが難点でした。また、日赤は立ち合い出産は行っていません。(月に何組かだけ試験的に立ち会いを許可されているそうです)そういった点も、日赤に通い始めてからわかったことなので、もっと事前に下調べしておけばよかったなあという思いもあります。

とはいえ、先生も助産師さんもプロフェッショナルで感じのいい方ばかりだったので、日赤にしてよかったと今は思っています。

実際の出産のときの様子や、何気に辛かった入院生活について等もこの連載のなかで語っていけたらと思いますので、ぜひお付き合いください。