南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

みなさま初めまして。2016 ミス日本酒 宮城代表 池田かほりです。

連載「おすばでジャーニー」ではさまざまな体験を通して、南三陸町の自然豊かな食材に合わせた宮城の地酒を、ご紹介していきたいと思います。

南三陸町は、どこか懐かしく温かい雰囲気のある場所です。遊食泊と多種多様な体験が出来て、お子様から大人まで東北の素晴らしさを満喫できる場所です。

美味しい地酒と共に、宮城、そして東北の温かい心を世界中の方々にお伝えできればと思います。

南三陸町地方卸売市場の見学!

今回の第一弾は、2016年6月にオープンした「南三陸町地方卸売市場(南三陸魚市場)」を取材させて頂きました!案内して頂いたのは南三陸町産業振興課の西條さま。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

こちらは昭和24年に設立され長い歴史のある市場でしたが2011年 東北大震災での甚大な被害を受けられました。そこから5年の時を経て…ようやく今年本格稼働されたそうです。

この貴重な体験にドキドキしながら中へ入ると…驚くことが沢山!

中でも衛生面での配慮がとても細かくされていました。

出入りする際は2つのゲート(防鳥ネット・シャッター)があり、電動フォークリフト以外の車両の乗り入れは出来ません。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

通行する車両はタイヤを洗わなければならず、ちょうどタイヤの位置に洗浄用の海水が当たっていました。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

もちろん、人が入る際は手や長靴の洗浄・消毒が必要なので私も一緒に…

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

さらには!魚の運搬は全て電動フォークリストなので排気ガスが出ず室内の空気がとてもクリアだったり

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

魚を入れているケースはすべて直置き禁止と言う徹底ぶり!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

私の中での市場のイメージはそのまま水で滑らせているイメージでしたが『雑菌から守る為』という事です。

そして気配りはこんな所まで…!

女性専用ロッカールームまでありました。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

こんなにもきれいな卸売市場だったら、安心して食卓で海鮮物が楽しめますね。

そして…見つけてしまいました!大好きなお魚さん逹~!!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

この大きさ!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

この新鮮さ!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

そしてこのぷりぷり感!あ~食べたい~!!!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

こんなに大きな蛸は初めて見ました。

南三陸町と言ったらやっぱり蛸は食べなくてはですよね☆

「西の明石、東の志津川」南三陸のタコを頂きます!

ということで、私は有名なさんさん商店街にある季節料理 志のやさんへタコのお刺身を頂きに行きました!

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

この大きさ、大迫力です!そして身が引き締まっているだけではなく、お醤油につけなくても塩味が絶妙に効いているのです。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1 南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

素材のみで楽しめるなんて、身体にも優しいですよね☆

温かい皆さまのお蔭で、とても素敵な時間となりました。ありがとうございました。

南三陸の美味しいタコ&市場見学 おすばでジャーニー#1

これからは月に一度、現地へ取材に向わせて頂きます!どこかでお会いした際は、是非オススメの『おすばで』をご紹介頂きたいです☆

これから宜しくお願い致します!

本日のおすばでとオススメ日本酒

南三陸町のタコの刺し身

実は南三陸町志津川湾は「西の明石、東の志津川」といわれるほどのタコの産地です。リアス式の入り組んだ海岸線と三方が山々に囲まれた地形により、ミネラル豊富な水は全て湾内に流れ込み豊かな海が作られています。そんな豊かな海で育ったアワビ、ウニ、カニ等を食べて育ったタコは旨みが凝縮され、噛めば噛むほど味が広がる肉厚な、高級タコとなります。

純米夏酒 浦霞

株式会社佐浦の「純米夏酒 浦霞」。夏にぴったりの爽やかな味わいです。自然本来の塩水の味わいのみでタコを味わう際にも、その繊細な味を邪魔せず引き立ててくれる、まさに食中酒の浦霞マジック!

蔵元:浦霞醸造元 株式会社佐浦 「純米夏酒 浦霞」

地域子育て支援センターってどんなとこ?

子ども・子育て支援の充実を掲げている南三陸町。その拠点が「地域子育て支援センター」です。2015年12月に総合ケアセンター2階に新設されたセンターを訪ね、上席技術主幹 保育士の佐々木千夏先生に話を聞きました。

子育て仲間との交流も、育児相談もここで

志津川の沼田地区に建つ「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」。病院のほかに、地域の保険や福祉といった行政サービスの拠点が入った施設で、その2階に「南三陸町地域子育て支援センター」があります。中に入ると、明るく広々とした空間が広がっており、カラフルで楽しそうな遊具が設置されています。

センターは毎週月曜日から金曜日の午前10時から午後3時まで開放されていて、子育てをしている人やこれから子育てをする人が自由に利用できるようになっています。子どもを遊ばせながら、子育て仲間との交流を楽しんだり、スタッフに育児相談をしたりすることが可能。2016年4~6月の3か月間に、のべ約1000人が利用しました。

明るく広々としたスペースと充実した遊具が好評
明るく広々としたスペースと充実した遊具が好評

親子を温かく見守るスタッフたち

センターには常時4名のスタッフがおり、子どもと遊んだり、お母さんの話を聞いたりします。スタッフのひとり、上席技術主幹 保育士の佐々木千夏先生は、「いくら施設が立派でも、中身が伴わなければ意味がありません。『行ってみたい』『また来たい』と思ってもらえるように、スタッフ一同、気配りをしています」と話します。

たとえば「声かけ」。親子の様子を見ながら、タイミングを見計らって声をかけ、コミュニケーションを取っています。「来ていただいたら、必ず話しかけるようにしています。帰られる際に『また来てくださいね』『次は来週ね』と声をかけることも大事。また、一人ひとり、対応を変えています。大勢の前だと話がしにくいお母さんには、人が少ない時間帯に来てもらうこともありますね」と佐々木さん。

親子を温かく見守ってくれるスタッフの心づかいが、センターを心地のよい場にしています。

外のウッドデッキを佐々木先生に案内してもらう筆者(右)
外のウッドデッキを佐々木先生に案内してもらう筆者(右)

初めてでも安心! 親子それぞれに楽しめる場所

利用者のお母さんたちにも話を聞いてみました。「2、3か月前から毎日来ています。私は県外出身なので、ここに来るとママ友と話せるのが楽しいですね。私自身の息抜きになっているだけでなく、子どもたちもすっかり気に入っています。また、同年代の友だちと触れ合うことは、子どもの成長にもつながっていると思います」とAさん。

Bさんは、「家で遊ぶよりも、ここに来たほうが色々な遊びができるので、重宝しています。特に約束しなくても、ここに来るとだれかしらいるのがいいですね。また、子育てでどうしていいかわからないことを、ここの先生たちによく聞いています。おかげでおむつも取れました」と話します。

ただ、AさんもBさんも、利用する前は少し不安もあったそうです。「すでにグループができていて、入りづらいのではないかという先入観がありました。でも実際はグループがあるわけではなく、先生方もいらっしゃるので、すぐに溶け込めました。利用をためらっている方には、心配いらないよと伝えたいですね」とAさん。

親子だけでなく、おばあさんが孫を連れて来ることもあるとか。「ここに来ると、いろいろな人と出会ったり、さまざまな育児が見られたりして、刺激になります」とBさん。センターは、親子双方にとって、出会いと交流、そして学びの場になっているようです。

「地域子育て支援センター」ってどんなとこ?
スタッフに見守られながら、親子がのびのびと遊べる

お母さんたちの”やりたいこと“を応援

通常の施設開放のほか、親子クッキングをはじめ、豆まきやひな祭り、クリスマス会などの季節のイベントも行っています。7月26日には夏祭りを開催しました。7月から9月上旬にはプール遊びも実施。そういった催しをきっかけに、頻繁に利用するようになる人も多いようです。

センターでは、お母さんたちが行う自主活動のサポートもしています。過去には、リサイクル活動やエコ活動、畑づくりなどが行われました。「ここで出会ったママ友たちが、自分たちの”やりたいこと“を形にするお手伝いをしたいと思っていますので、何でも相談に乗ってください」と佐々木先生。サークル活動でセンターの施設を利用することもできるそうです。

センターは、子どもが楽しく遊べたり、親が息抜きしたりするだけでなく、お母さんたちの自己実現を応援してくれる場でもあるのです。

7月26日に行われた夏祭りでは、親子が盆踊りを楽しんだ(提供:南三陸町企画課)
7月26日に行われた夏祭りでは、親子が盆踊りを楽しんだ(提供:南三陸町企画課)

切れ目のない子育て支援のハブとして

南三陸町の子育て支援の特徴は、子どもの見守りを切れ目なく行っていること。子育て支援センターはそのつなぎ役のような存在です。「子育て支援センターでは、保健センターで実施している乳幼児健診に出向き、お母さんたちに親子遊びを教えるとともに、センターの紹介もしています。その際、気になる子どもがいれば、センターに遊びに来てくれたときに様子を見て、必要に応じて連絡を入れます。そしてその子が小学校に上がるときには、保育所から小学校につなぎます」と佐々木先生は説明してくれました。

「子どもを見守るためにも、とにかく多くの人にここを利用してもらいたいですね。初めての方は緊張されるので、特に気を配ります。付かず離れず、様子を見ながら声かけをして。また、毎日来ていたのにしばらく来られなくなったりする方がいらっしゃると、心配になって連絡をすることもあります」と佐々木さん。

といっても、上から目線で“教える”のではなく、“一緒に考える”姿勢を大事にしています。「お母さんたちがホッとできる場、気持ちを発散できる場になればと……」。一人ひとりに気を配り、寄り添い、親身になって相談に乗ってくれる佐々木先生は、お母さんたちから絶大な信頼を得ています。

佐々木先生のような頼れるスタッフがいる「地域子育て支援センター」は、とても居心地がよく安心感のある場所です。戸倉と歌津にも新しい保育所に併設されています。ぜひ足を運んでみてください。

「初めての方も気軽に遊びに来てくださいね!」と佐々木さん
「初めての方も気軽に遊びに来てくださいね!みんなで待っています。」と佐々木先生

〈8月24日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年8月24日

「オープニングコール」は、志津川バスケットボールクラブの菅原 由季(ゆき)さん・佐々木 琉磨(りゅうま)さんから始まり、「まちのひと」は郷土芸能祭実行委員長の村岡賢一さんで海のお盆(郷土芸能祭)のお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、YES工房「くまコロリン」です!

オープニングコール

志津川バスケットボールクラブの菅原 由季(ゆき)さん・佐々木 琉磨(りゅうま)さん

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まちのひと

郷土芸能祭実行委員長の村岡賢一さんで海のお盆(郷土芸能祭)のお話!

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今週のイチオシ

全国的に大人気のゆるキャラ「くまモン」のマスコットです。

東日本大震災の際には、遠く九州から、本当に多くの方々が支援の手を差し伸べてくださいました。

また、くまモンは2012年、2013年と2年連続で南三陸町に来て、町民に元気と笑顔を届けてくれました。その時のご縁から、YES工房ではまゆ細工のくまモンマスコットを作り続けていました。この度、熊本の震災の被害にあわれた方々へ、応援と恩返しをしたいと考え、特別バージョンで作られたのが、この「くまコロリン」です。

底におもりが入っていて、転んでも起き上がる起き上がりこぼしです。まゆ玉をつかって、一つ一つ手作りされています。表情はびっくりバージョンと笑顔バージョンの2種類です。価格は税込み800円です。くまころりんの売上ひとつにつき300円が、熊本地震の義援金として寄付されます。

お買い求めは、南三陸町入谷のYES工房他町内各所にて。ネットショップもあります。共に熊本に元気を届けましょう!

YES工房 0226-46-5153

ネットショップ

南三陸町放課後児童クラブ 子どもたちの大事な居場所

子どもが放課後を安心して過ごせる場、学童保育施設。南三陸町では、志津川地区と歌津地区に「放課後児童クラブ」があります。どんなところなのでしょうか? 南三陸町保育福祉課の髙橋しのさんにも話を聞きました。

子どもたちがのびのびと過ごす場所

7月のある土曜日、志津川地区放課後児童クラブを訪ねました。拠点は、志津川小学校の敷地内に建つ「みんなの児童館」。定員いっぱいの24名の児童が通っていますが、土曜日は希望者のみということで、来ていたのは7名。本を読んだり、絵を描いたり、おしゃべりしたりと、みんな思い思いに楽しんでいます。

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
夢中になって本を読む子どもたち

その日は、七夕の飾り付けをみんなで行いました。願い事を書いた短冊や飾りを笹に結び付け、カラフルな七夕飾りのでき上がり。子どもたちは仕上がりに満足そうな顔つきでした。

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
真剣な顔つきで笹の飾り付けをする子どもたち

「みんな放課後児童クラブが好きで、楽しく通ってくれています。学年が上の子が、下の子の面倒を見てくれて助かりますね。室内は決して広くはありませんが、外のスペースも活用するなどして、子どもたちがのびのび過ごせるように工夫しています」とスタッフの髙橋しのさんは話します。

夏休みはさらに楽しいことがたくさん!

土曜日と小学校が休みの間、放課後児童クラブは午前8時に開館します。夏休みの場合、午前中は学校のプールへ。昼食後は、昼寝をしたり外で遊んだりします。志津川地区放課後児童クラブでは、小学校の花壇で育てた野菜を収穫して食べたり、町の保健福祉課(健康増進係)と協力して「学童クッキング」を行ったりもしています。

また今年は、志津川・歌津それぞれの放課後児童クラブで夏祭りを開催。8月8日に志津川地区放課後児童クラブで行われた夏祭りでは、子どもたちが自ら出店する「○○屋さん」を考えました。グループを作って、お面屋さん、的当て屋さん、アクセサリー屋さん、カード屋さん、ヨーヨー屋さんを出店。何を並べるか、看板やディスプレイはどうするか、グループごとにアイデアを出し合って準備を進めました。

そして当日。朝から出店準備をして、11時前に夏祭りがスタート。「いらっしゃいませー」「どうぞ来てください!」と、呼び込みの声が飛び交います。それぞれのお店には、夢中になって遊んだり真剣な顔で品定めをしたりする子どもたちの姿が。子どもたちは交代で店番をしながら、順番にお店を回りました。後半には先生たちが用意したポップコーンやジュース、アイスなども登場。子どもたちは、楽しむだけでなく、自分たちで企画して準備をしたことで達成感を味わったようでした。

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
的当て屋さんで真剣に的を狙う子どもたち
子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
すべてのお店を回って、おやつを食べながら休憩。子どもたちは大満喫した様子

保護者・学校と協力して子どもを見守る

「学童は学校とは違って、いろいろな学年の子どもが一緒に過ごします。それによってさまざまなトラブルが起こることも…。何かあったときには、結果だけでなく過程を含めて、保護者の方にきちんと伝えるようにしています」と髙橋さんは話します。

そのために重要なのが、話しやすい環境づくりだといいます。「保護者の方と直接コミュニケーションが取れるのは、お迎えにいらっしゃる際の数分間だけですが、その日やったことを伝えたり、学校でのお子さんの様子を尋ねたりと、できるだけ色々な話をします。たとえ短い時間でも、毎日積み重ねることによって、きめ細かなやり取りにつながっていると思います」と髙橋さん。

また、小学校の担任の先生ともコミュニケーションを深めていきたいと考えています。「子どもたちの学校での様子も知っておきたいので、毎月おたよりと行事予定を学校に渡しに行く際に、できるだけ話をするようにしています」。放課後児童クラブでは、学校や保護者と密なやり取りをし、協力しながら子どもを見守っているのです。

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
志津川・歌津の放課後児童クラブだけでなく、子育て支援センターでも勤務している髙橋さん

保育の充実化と“つながり”の支援を目指して

東日本大震災後、仮設で再開した放課後児童クラブ。徐々に利用希望者が増え、2015年度からは小学1年生から6年生までが通えるようになりました。今年度、志津川地区は定員の24名、歌津地区は17名が在籍しています。どちらの放課後児童クラブも、新しい場所への移設を検討中。「なるべく震災前の放課後児童クラブに近い環境、子どもたちにとってよい環境を整えたいと思っています」と髙橋さんは話します。

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
志津川地区放課後児童クラブは、Tポイントの寄付で建てられた「みんなの児童館」内にある

「指導員を増やすことで、学童保育の内容を充実させていきたい」と語る髙橋さん。「私自身、子育て支援センターや放課後児童クラブなど、いくつかの施設を掛け持ちしているので、実施したい保育内容が実現できていない状態です。それを解消するために、人員を確保してもらいたいですね。そのためにも、この仕事のやりがいや楽しさを多くの人に伝えていくことが大事だと考えています」。

一方で、複数の施設を行き来することで、さまざまな面から子育て支援に関わることができるメリットも感じているそうです。「子育ては切れ目があるわけではないので、つながりをもって色々な支援ができるのはよい点だと思っています。私のような“つなぎ役”を増やし、子育て支援センターと放課後児童クラブ、また保育所等の保育関係機関がうまく連携して、情報共有できるような仕組みを整えていきたいですね」」と髙橋さんは話します。

放課後児童クラブに来てけさいん!

保育に情熱を注ぎ、誇りを持って仕事をする髙橋さん。切れ目のない子育て支援とよりよい保育を実現するため、「さまざまな現場を見ている人間として、親御さんの声をしっかり聞いて、それを行政に届けていきます」と抱負を語ってくれました。

「指導員でなくても、子どもと一緒に遊びたい人は大歓迎」とのこと。子どもや保育に興味のある人、放課後児童クラブがどんなところか知りたい人は、気軽に覗いてみてはどうでしょう?

子どもたちの大事な居場所「南三陸町放課後児童クラブ」
元気いっぱいの子どもたちに会いに行ってみませんか?

歌津地区の長須賀海岸 ふるさとの海に親しむ会 開催レポート

7月12日(火)歌津地区の長須賀海岸で、地元小学校の体験学習「ふるさとの海に親しむ会」が開催されました。天候にも恵まれ、保護者や近くの住民らも参加し、楽しく交流しました。

「ふるさとの海に親しむ会」とは?

「ふるさとの海に親しむ会」は、名足小学校の体験学習です。地域の良さを再発見し、地元への愛着心や誇りを養う、豊かな自然を守ることを目的としています。

子どもたちにとって海岸清掃活動や海遊びから地域の魅力や自然の恵みを学ぶ良い機会となっています。

歴史をたどると、昔は潮干狩りなどを行っていたそうですが、今では地引き網や海岸清掃を通して、海に親しむ形になったそう。震災で網が流されてしまいましたが、地元の漁師さんの協力でまた新しい網が新調され、開催出来るようになりました。

海遊びや地引網を一生懸命引く子どもたちは、キラキラと輝くほど素敵な笑顔で楽しんでいました。そんな光景に、歌津地区の小学校卒業生からは「今でもこの行事が行われて嬉しい」と喜びの声が上がりました。

震災後は海が近くても、年々海離れを感じます。しかし、海岸清掃後、「毎年泳ぎたくなる海にしていきましょう」という児童の声がとても印象的でした。地域にとっても思い入れが強い、海に親しむ会。この伝統を守り、このかけがえのない海をいつまでも大切にしていきたいと思います。

歌津地区の長須賀海岸「ふるさとの海に親しむ会」開催レポート

泊浜契約会長から小学生へ魚の説明!!

地引網で採れた魚など生き物の説明を、泊浜契約会長の高橋才二郎さんより説明いただきました。博識で、話が面白い会長さんの説明に、子どもたちも興味津々で目をまんまるにして聞き入っていました。

震災前は、2キロも天然の砂浜があった長須賀海水浴場。震災での地盤沈下や防潮堤建設でだいぶ狭くなりました。高橋会長は子どもたちの姿を見て「少しでもいいから子どもたちが遊べるきれいな海を、みんなのために残していきたい」と話していました。

歌津地区の長須賀海岸「ふるさとの海に親しむ会」開催レポート

海に親しむ会を通じて小学生の感想

海に親しむ会を終えた児童・保護者や教職員に感想を訪ねました。

―子どもたちの感想

  • 地引網がとても楽しかった!
  • 地引網を引くとき重くて大変だったけど、たくさん魚が採れて良かった!
  • 動いてる魚を見ることができて、とても新鮮だった!
  • もっと海で遊びたいし、このきれいな海を守っていきたい!
  • このきれいな海を残したい!!

―先生・保護者の感想

  • 初めての体験でとても新鮮でした。そして地域の方々の協力でできていると感じます。今後もこの活動を継続していってほしいです。
  • 楽しそうな子どもたちの姿を見ることができ親として良かった。
  • 近くにきれいな海がある環境はやっぱり素敵だと思う!!

歌津地区の長須賀海岸「ふるさとの海に親しむ会」開催レポート

未来に残したい大切な行事

海に親しむ会は、歌津地域という海が身近にある環境だからこそできる貴重な体験学習だと思います。そして、地域住民、子どもたち、教職員などのあらゆる世代交流の場となり、みんながとても楽しみに大切にしている行事だと感じました。これからも未来ある子どもたちのためにこの活動に参加していきたいと思います。

2016年8月4日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38°38’41” N 141°26’13” E

2016年7月15日/定点観測
2016年8月4日/戸倉地区

志津川地区

撮影場所 [38°41’12” N 141°26’34” E

2016年7月15日/定点観測
2016年8月4日/志津川地区

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

2016年7月15日/定点観測
2016年8月4日/歌津地区

他の定点観測を見る

〈8月17日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年8月17日

「オープニングコール」は、三浦洋昭さんでかがり火まつりのお話から始まり、「まちのひと」はウタッコブルメ実行委員会の浅野拓也UTAKKOBURUMEのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、マルセンの「マルセン「タコ天」」です!

オープニングコール

三浦洋昭さんでかがり火まつりのお話

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まちのひと

ウタッコブルメ実行委員会の浅野拓也UTAKKOBURUMEのお話!

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今週のイチオシ

今回オープニングコールにもご出演いただいた三浦さんが代表を務めるマルセンの「タコ天」です。「タコ天」とは、タコの形をした揚げかまぼこです。

もちろん、南三陸産のタコをたっぷり練りこんでいます。真空パックになっているのでお持ち帰りしやすく、おつまみやおみやげとして、幅広い世代に人気です!

お問い合わせ先

マルセン 0226-46-5355

参考サイト

南三陸町の復興計画ができるまで / 前副町長 遠藤健治さん 長編インタビュー

町の復興の方針となる「復興計画」(現在は総合計画に含まれます)。その策定に至るまでにはどのような経緯があったのでしょうか。震災後の復旧の最前線を担ってこられた前副町長 遠藤健治さんにお話を伺いました。

「災害に負けないまちづくり」を進めていた矢先の東日本大震災

―今日はよろしくお願いします。遠藤さんは、平成19年から震災発生までの4年間と震災後の4年間の計8年間、南三陸町の副町長をつとめてこられました。震災前は、どのような町の計画があったのですか?

南三陸町は平成17年10月、志津川と歌津の二町が合併してできた新しい町でした。私が副町長に就任したのは合併後の平成19年4月です。「新町建設計画」という10ヵ年の計画に基づき、ハード面や制度面の整備が良いスピードで具現化されていき、2期目の次の5年間で、南三陸としての一体感をどのように醸成していこうかという時期でした。また、2000年(平成12年)に宮城県沖地震の想定が発表され、今後20年間で99%の確率で、宮城県沖地震が起こると言われていました。そこで、災害に負けない安心安全なまちづくりのための、ハード・ソフト両面での対策が最重点事項となっていました。

―その矢先の東日本大震災だったんですね。

この町は、歴史的に見ても何度も津波の被害にあっているし、1960年のチリ地震津波を経験した人もたくさんいます。町民の危機意識は高いという自負はありました。しかし、実際に襲ってきた津波は、全く想定を超えるものでした。被害に「想定外」はないとは言われるが、我々は、いわゆる科学的な知見に基づいた宮城県沖地震の被害想定というものを基準にして、防災計画の策定と防災活動を進めてきました。結果として、それまでの計画が役に立たないほどの大きな津波に襲われて、800名からの犠牲を出してしまったというのは、悔やんでも悔やみきれない。町長とは、この辛さ、悔しさは墓場までもっていかなきゃいけないと話していました。

みんなが財産、家族、思い出までも全てを失ったなかで、どうこの町を再建していけばいいのか、直後は考えも及びませんでした。しかし、町政を担う我々が立ち止まっていてはいられないとの思いで、とにかく目の前の課題に対し、無我夢中になってやってきたという感じです。

「正しく自然を畏れる」という前提の上にある、安心安全なまちづくり

―そんな中で、どのように復興計画を作っていったんですか?

まず考えたのは、これだけの大きな犠牲を出してしまったという教訓をどう生かすか。この町で生きていく以上は、津波との戦いになる。これまで、我々は自然と対峙しながら生きてきました。今回、多くを奪った海ですが、我々はこの豊穣の海に育まれ、生活を送ってきたのです。海に対する畏敬の念は私たちの生活のベースになっていく。正しく自然を畏れるという前提の上にある、安心安全なまちづくりを考えていかなければならない。今後、どんな災害があっても、命だけは守るということ。これを基本としてきました。

―どのようなプロセスがあったのですか?

2011年の7月頃、町長と二人で二次避難所をまわり、「今回の復興計画では、命を守るということを優先します。そのために、今までみなさんがお住まいになっていた地域は使いません。高台に生活の場を移し、万が一、夜寝ている時に災害が起こっても、命だけは守る町づくりを進めたい」ということを説明し、町民のみなさんの声を聞いて回りました。結果として、スピードよりも命を優先した復興計画になっています。

―住民の方々の反応はいかがでしたか?

高台に生活の場を移すということに関しては、住民からほとんど異論は出ませんでした。というのは、この100年の間に4回も大きな被害を受けており、今回は家だけでなく多くの命まで奪われた。もう二度と、次の世代にこんな思いはさせたくないというのが根本にあると思います。ただ、今になってみると、沿岸部が10メートルも土が盛られて、「こんなに高くするんなら、そこに家建てさせてよ」っていう思いはみんなあるでしょうけどね。

―そうして町の基本方針が決まったわけですね。

その他、産業の復興だったり、全体的なことに関しては、大学の先生方や学識経験者の意見も聞きながら、もちろん住民懇談会も開きながら、素案を固めていきました。9月の時点で素案ができていたのですが、11月の国の補正予算で復興予算が承認されるのを待って、12月に正式決定しました。

町の復興の鍵は漁業

―策定後はどのような流れでしたか?

2012年に入ってから、本格的に復興事業に着手しました。まずは住まいの再建、そして次は産業の再建です。しかし、産業の再建というのは基盤整備が進まなければ始まらないという問題もあり、なかなか難しかった。

―中でも、「漁業の再生なくして町の復興なし」と、水産業の復興は町にとっても重要なファクターでしたね。

津波の被害の大きい沿岸部には、当然漁民(漁師)が多く住んでいました。多くの漁民は船舶や養殖施設だけでなく、財産も家族も失いました。南三陸のたくましい漁民でも、今回ばかりは立ち上がれないんじゃないかと、そう思ったこともありました。しかし、彼らは強かった。漁民というのは、ちょっと低気圧災害がくれば、1年手塩にかけて養殖したものが一晩で流されたり、毎年、大なり小なり自然に翻弄されて生きています。それでも、自然なんだからしょうがない、とすぐに切り替えられる強さがあるのです。

―津波も自然のひとつだと。

それに、自分たちが生きる術は漁業しか無いという気持ちが強いのです。自分たちの生活の再建のためには、今すぐにでも漁をはじめなきゃいけない、こんな時だから助け合わなきゃいけない、とすぐに立ち上がった。これには、町の復興を進めていくうえでも我々も大いに力づけられました。漁民の皆さんががんばってるんだったら、自分たちもがんばろうとね。彼らのがんばりが、他に波及した影響というのは本当に大きかった。

本当の「復興」はこれから

―こうして復興計画のもと、急ピッチで復旧事業が進められてきましたね。

ようやくここに来て、生活基盤、産業基盤も整って、住民のみなさんにそれぞれの生活に打ち込んでもらう用意ができました。しかし、そうは言っても5年・・・。被災者の方々にとっては、辛くて長い5年だったと思います。みんなで作り上げた復興計画ではあるけれども、時間がかかりすぎた。その中で、南三陸が嫌いになったわけではなくても、町を出て行かざるを得ない方もいました。それが人口減少という新たな不安要因となってしまっているのも事実だと思います。

―復興ができても、また次の課題が、というわけですね。

今はまだインフラができただけであって、まだまだ自分の生活を立てなおしていかなきゃいけない人たちもいます。土地の引き渡しを受けて自宅を再建したって、復興が完了したわけではありません。ここで安心して暮らせるのは、新しい町にコミュニティができて、生活の糧を得られる仕事があって、買い物施設や賑わいもできて、それで初めて復興したと言えるんだと思います。

今だから話せる町への思い

―激動の中、復興に邁進されてきたと思いますが、今あの頃を思い出して苦労された思い出はありますか?

この5年間は、行政を担う我々も、また住民の方々も「この町をどうにかしなきゃいけない」という同じ思いでやってきました。なので、苦労は無いといえば嘘になりますが、それは苦労とは言いません。

―副町長を退任されたときはどのような思いでしたか?

在職中、ある程度復興計画に沿って進んできているのを見て、後は時間が解決するだろうなというのを感じました。もう一期副町長をやれば自分も70をすぎる。ちょうど地方創生も始まった時期で、新しくできた基盤に色を付けていく作業は、次の世代にバトンを渡そうと思い、2015年の3月、任期満了で職を辞させてもらいました。

―退任されてからは町をどのように見られていますか?

実は、楽しみなんですよ。震災後、これまで縁もゆかりもなかった若い人たちや、様々な感性や才能をもった人たちが町に入ってきました。それによって、確実に今まちの中枢を担っている世代の方々の考え方も柔軟になってきている。外からの新しい風を受けながら町づくりを進めていければ、これまでにないすばらしい町ができると思います。

―期待している部分はなんですか?

一番期待しているのは、今の中学生や高校生です。彼らは、震災を経験して、全世界の人に支えられてここまでこれたという思いをもっている。機会あるごとに、彼らの口から「今度は自分たちがこの町を作っていくんだ」という言葉を聞いてきました。これがやっぱり、南三陸にとって宝だと思いますね。失ったものは大きいけど、それに代わるものとして、若い力が生まれてきている。今がんばらないと、自分からやらないと、と思って若い人たちががんばってきた結果が、5年たって、今随所にあらわれてきている。産業でもそうだし、まちづくりのソフトの部分でもそう。

―これからどんな町になってほしいと思いますか?

どんな町にというのは、私は特に考えてないんですよ。それはこれからの世代の人たちが考えることだと思うから。とにかく彼らが、こうすれば住みやすい町になるんじゃないかとか、みんなが元気になるんじゃないかと考えることを、思いっきりやってほしいですね。私はそういう人たちの応援団として、残りの人生を使っていきたいと思っています。

―本日はありがとうございました。

「スピードよりも命を守るまちづくり」南三陸町の復興計画ができるまで / 前副町長 遠藤健治さん 長編インタビュー

温かい口調で町を語る遠藤さん

驚くほど詳細に震災後の出来事を語る遠藤さん。一方で、震災前のことに関しては、あまり覚えていないのだとか。それだけ、町のことで頭をいっぱいにしながら激動の5年間を走ってこられたのだろうと思います。「この町をどうにかしなきゃいけないという同じ思いでやってきたので、苦労は無い」と語る遠藤さん。その言葉の奥に、自分を奮い立たせながら様々な課題を乗り越えてきた力強さを感じました。

インタビューをしていて感じたのは、町や行政という硬い内容を話しているのにもかかわらず、その口調が、町民一人一人の顔を思い出しながら話しているようで、とても暖かかったこと。役場の仲間たちや町民たち、それぞれのがんばる姿をつぶさに見てきたからこそ、このような温かい口調で町を語れるのだろうと感じました。南三陸が乗り越えてきた5年間の重みを垣間見たインタビューでした。

〈8月10日放送〉みなさんぽ

放送日:2016年8月10日

「オープニングコール」は、南三陸町観光協会 台湾からのインターン生から始まり、「まちのひと」は楽天応援協会で小坂克己で、楽天イースタン・リーグのお話です!

そして、今週のイチオシのコーナーは、NPO法人海の自然史研究所のユニークな教材手ぬぐい「サケ生すごろくてぬぐい」です!

オープニングコール

南三陸町観光協会 台湾からのインターン生!

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まちのひと

楽天応援協会で小坂克己で、楽天イースタン・リーグのお話です!

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今週のイチオシ

南三陸町名産のサケについて楽しく学べるグッズ「サケ生(せい)すごろくてぬぐい」です。

サケは川で生まれ、おおよそ4年の月日を経て、産卵のために生まれた川に戻ってきます。そのサケの人生ならぬサケ生を、すごろくにして、てぬぐいにプリントしてしまったのが、この商品。

実は、川で生まれた鮭のうち、長い航海を経て生まれた川に戻って産卵までたどり着けるのは、200匹~1000匹に1匹なんです。このすごろくでは、そのサケの厳し~い一生を再現しています。さてさて、何匹のサケがゴールできるでしょうか?これで遊べば、普段食卓に並ぶサケやいくらに、一層の感謝の念がわくこと間違いなし!

もちろん、てぬぐいとしても使えるので、夏のお祭りやアウトドアのお供にもぴったりですよ!

価格は税別1100円です。神割観光プラザ他、ネットショップでもお買い求めいただけます。ぜひ一度手にとってみてくださいね!

南三陸いであるミュージアムショップ

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参考サイト

兵庫県の高校生 6回目のボランティア研修 / 兵庫県立西脇高校(寄稿)

この記事は「兵庫県立西脇高校」より寄稿頂きました。寄稿の依頼は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

兵庫県立西脇高等学校の生徒による東日本復興支援ボランティア研修を南三陸町で実施。今年で6回目となるこの研修では入谷復興住宅にて交流イベント「夕涼み会」を開催し、地域住民の方々と交流を深めました。

6回目となる東日本復興支援ボランティア研修

今回のボランティア活動には1年生13名、2年生12名、3年生16名が参加。西脇高校は普通科と生活情報科があり、特に生活情報科は福祉・食物・被服デザイン等を学ぶ生徒たちで、震災直後に入谷小学校へ手作りの給食エプロンなどを支援し、それがきっかけとなり南三陸町で毎年研修を実施しています。

被災地の見学に加え、復興住宅で南三陸町住民のみなさんとの交流イベント「夕涼み会」等を計画し、生徒たちがグループごとに趣向を凝らし、地域のみなさんを喜ばせようと準備をすすめてきました。

兵庫県立西脇高校のボランティア

南三陸の今を知るフィールドワーク

研修の一番最初は、南三陸町の語り部 工藤さんをお迎えし、南三陸研修センターにて研修プログラム「今を生きる」を受講。南三陸研修センターのスタッフから、東日本大震災の被害状況や現在の様子などについて説明を受け、工藤さんと一緒に実際の町内をまわりました。

工藤さんから「過去に学ぶ、歴史に学ぶ。過去の人たちも大きな困難に遭いながら、なんとかしてきて今がある。だから私たちもいい意味で開き直り、行動する。行動は2歩前進することで、一歩では片足がもとの位置にあるので2歩進み、両足で前進することが大事。同じような災害がもし起こった場合は自分の力で生きることが大事で、家族のためにも自分の命は自分で守る。そして、人と人とのつながりを大切にし、人と関わることで生きる勇気と活力がでて、みんなとなら乗り越えられる」と力強くお話をしてくださいました。

生徒からは「テレビでしか見たことがない被災地を実際に見て、語り部の話を聞き、改めて惨劇だったこと、地震の脅威、そして人と人とのつながりが生きていくうえで大きな活力になると思った」と感想がありました。

兵庫県立西脇高校のボランティア

町内研修の後は、災害公営住宅へ移動し、「夕涼み会」を開催。会場いっぱいになるくらい多くの住民のみなさんに参加していただき、ダンス、ギター演奏、歌、よさこい、ビンゴ大会と生徒たちが一生懸命用意した出し物を一緒に楽しみました。

兵庫県西脇市は地場産業として「播州織」が有名です。この播州織の布を使用した小物やリース作りも一緒に行い、また播州織で制作した衣装を着てのダンスは大変盛り上がりました。生徒は「この衣装は卒業した先輩たちが制作した衣装で、私たち後輩が代々引き継ぎ大切に使用している」と目を輝かせながら話しました。

そして、最後に復興住宅の広場での盆踊り!!住民のみなさん、生徒や先生たちがひとつの輪になり踊る姿がライトに照らされ、とっても幻想的で、みんなの笑顔や笑い声が響く中、今回のボランティア研修は終了となりました。

兵庫県立西脇高校のボランティア 兵庫県立西脇高校のボランティア 兵庫県立西脇高校のボランティア 兵庫県立西脇高校のボランティア 兵庫県立西脇高校のボランティア

ボランティア研修を終えて

ボランティア研修に参加した生徒たちに率直な感想を聞いてみました。ひとりの生徒は「南三陸町の人たちを笑顔にしたい、楽しませたいと思ってきたが私たちのほうが逆にみなさんから笑顔をいただいた」と。

もうひとりの生徒は「テレビ等で復興したと聞いていたが防災対策庁舎などを見て、まだまだ復興には時間がかかると思った」と話してくれました。この他にも多くの生徒たちから、地元の人たちとの交流がとにかく楽しい、来年も参加したいという声が上がりました。

3年連続で参加した生徒は「最初は大変だと思っても最後には来てよかった、と思える充実した研修で、毎年参加しています。来年はもう参加できないことがとても残念です。これからも震災前のように活気溢れる町に戻るようにがんばってください」と涙ながらに話してくれました。

兵庫県立西脇高校のボランティア 兵庫県立西脇高校のボランティア

研修に参加した生徒は9月の始業式に全校生徒の前で報告会を行い、参加できなかった生徒たちに今回経験したことを伝え、来年にそして将来へと繋げていきます。

今回のボランティア活動を通して、改めて震災の実際を知り、その教訓を今後に活かすとともに、みんなの笑顔がみんなの笑顔をつくる、とても心に残るボランティア研修になりました。