南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。
写真をクリックまたはタップすると大きくなります
戸倉地区
撮影場所 [38.642969, 141.442686]
志津川地区
撮影場所 [38.675820, 141.448933]
歌津地区
撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
他の定点観測を見る南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。
写真をクリックまたはタップすると大きくなります
撮影場所 [38.642969, 141.442686]
撮影場所 [38.675820, 141.448933]
撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
他の定点観測を見る2018年10月に「ラムサール条約」に登録された志津川湾。その象徴のひとつでもある「コクガン」が今年も北極圏から越冬のために南三陸町にやってきています。豊かな藻場や安定した環境が絶滅危惧種のコクガンにとっても快適な居場所となっています。
コクガンは北極圏のツンドラで繁殖した後、冬鳥として日本沿岸にやってくる渡り鳥です。ガンの仲間では唯一海に暮らす種類であり、日本を含む東アジアで越冬する個体数が非常に少なく、国の天然記念物に指定され、絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類:環境省・宮城県)でもあります。
国内では3000羽ほどが越冬するというコクガンですが、志津川湾には毎年100-200羽ほどがやってきます。
その理由には、
など、コクガンが冬を越すのに適した環境が揃っているためと言われています。
首に首輪のような白い模様があるのが特徴で、この時期の志津川湾内では養殖ブイのあいだで漂っていたり、港や浜に流れ着くアマモなどをついばんでいる姿を見ることができます。
「志津川湾にやってくるコクガンの数は年々増えています」と話すのは、南三陸ネイチャーセンター友の会会長の鈴木卓也さん。2019年12月末に、友の会メンバーが歌津から戸倉まで各地域で飛来数の調査を行ったところ、300羽を超えるコクガンが確認されました。
「昨年の調査よりも100羽ほど多く確認されました。アマモなどの藻場が復活していること、2018年のラムサール条約に登録されて以来、漁業者の方々をはじめ、コクガンが安心して過ごせるような環境を意識してくださる人が増えたことがつながっているのではないか」と話します。
そして鈴木さんは「コクガンはじつは謎が多い鳥」と続けます。
日本に渡って来るコクガンたちが、広大な北極海沿岸のどこで繁殖しているのか、どのようなルートで日本に渡って来るのか、正確なことはまだ判明していません。その謎の多さが多くの人を惹きつける要因のひとつなのかもしれません。
志津川湾は2018年10月にラムサール条約(正式名称「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」)に登録されました。200種を超える海藻と5種の海草が確認されるほど藻場の多様性が維持されていることや、希少な水鳥の重要な越冬場所であることが評価されました。
震災以降、持続可能なまちを目指して「森里海ひといのちめぐるまち」というビジョンを掲げた南三陸町。自然と共生するまちを目指す町において、「コクガン」はひとつの象徴なのかもしれません。冬になって北極圏からやってきたコクガンは、3月末ごろに南三陸町を再び飛び立ち、北へと向かっていきます。
比較的警戒心が弱く、港などでも見ることができますが、観察をする際には近づきすぎずに、スコープなどを使用して、遠くからそっと観察することをおすすめします。
高齢者の交通は南三陸のみならず全国的に大きな課題となっています。そんななか入谷地区の山の神平集落では住民らによって「コミュニティ・カーシェアリング」の活動がスタートしました。交通の課題解決とコミュニティづくりに期待がかかります。
南三陸町入谷地区の山里、少子高齢化が顕著な地域。子や孫の世代は町を離れ、高齢者たちが先祖伝来の土地に残り生活している傾向も増えています。
巨石やなまこ石がある神行堂山の中腹、日本の原風景とも称される「山の神平集落」は最寄りのバス停から約1.5kmも離れており、しかも急な坂道が続く典型的な中山間地。自然環境は抜群だと訪れる人々は気持ち良さそうに深呼吸をするが、毎日を過ごす住民は大きくため息をつきます。2019年秋、山の神平集落を含む入谷林際地域では、住民が声をあげ新たな取り組みに乗り出しました。
老いて車の運転が困難になると、バスの停留所には距離があるうえ、バスの本数も限られてしまう現状があります。そうなると当然出かける手段が少なくなってしまう。そんな地域と高齢者の課題を、同じ地域で暮らす住民たちはかなり以前から抱いていたといいます。
とあるきっかけによって石巻市でコミュニティ・カーシェアリングの活動を行う「一般社団法人日本カーシェアリング協会」を紹介された林際地区では、同団体から指導と協力を得て、実証実験を経て住民18人が登録する組織「林際カーシェア会」が発足しました。
会員登録した住民は、旧林際小学校(現・校舎の宿さんさん館)に置かれた5人乗りの乗用車1台を運転することができるし、ボランティア運転手に頼んで外出支援もできるようになりました。
正式にスタートした取り組みは、入会金や年会費等は不要だが1km走行ごとに100円程度を会に預け利用できるそうで、燃料代や経費を除いた分は返金されるという。シェアする車両は協会から無償貸与されており、自賠責保険も掛けられています。
自分で運転できない方は、事前予約により運転手を頼むことができる。比較的若い住民三人の協力会員が交互に運転(移動支援)を担うが、都合の良い時間帯が限られるため定時ダイヤを組むことはできていません。
それでも、通院や買い物に出かけたくても運転できない、バス停までも歩けないといった山間部の高齢者にとっては、とてもありがたいと好評です。
会長の山内太一さん(88)は「最近までバイクでバス停まで行くこともできたが、膝を悪くしてからは控えた。自宅と病院を往復送迎してくれるし、運転手も知り合いなので安心だよ」と笑顔で話します。
※料金を決めて、ドライバーが運送の対価を受け取ると道路運送法に違反している白タク行為とみなされます。その点を踏まえ東北運輸局と協議を行った結果『コミュニティ・カーシェアリング』では、かかった経費実費を利用頻度に応じて平等に分担する互助の仕組みで行っています。(精算時に最終的な負担額が決まります)日々の運営のために『預り金』のルールを決めて、利用の都度積み立てを行い、定期的に精算しています。また、ドライバーはボランティア(無報酬)で活動していただきます。
(一般社団法人日本カーシェアリング協会 HPより引用)
通院は、診療科や予約時間など異なるのでそれぞれが事前予約するが、大型スーパーでの買い物を何人かのグループで行けないかと会員たちが考え、毎週水曜日「買い物ツアー」を企画しています。
4人程度が乗り合うため、利用料金が按分されます。気の置けない仲間とおしゃべりしながら食材や日用品を買い、しかも自宅まで送迎。「なによりもお友達とみんなで行く買い物が楽しい。これからもずっと続けてほしい」と利用者は嬉しそうです。
地域、とくに入谷のような中山間地では「交通」の課題が重くのしかかってきます。今回の「コミュニティ・カーシェアリング」の取り組みはそんな課題解決の一助となることが期待されています。交通の課題解決とコミュニティの構築。多くの地域で向き合わなければならない課題だからこそ、ここで始まった取り組みがどのような成果をみせるのか注目していきたいと思います。
1月12日(日)、令和初めての成人式が南三陸町総合体育館で行われました。今年、南三陸町で成人を迎えたのは153名。震災からもうすぐ9年、震災当時小学5年生だった新成人が、どんな想いでこの日を迎えたのか。新成人の声をお届けします。
元号が令和になって初めてとなる成人式が1月12日、南三陸町総合体育館で行われました。人口減少や若者流失などが進む南三陸町で今年新たに大人の仲間入りを迎えたのは153名。このうち、式には134名の新成人が出席しました。久しぶりの旧友との再会に喜びの声で会場は包まれていました。
式が始まり、佐藤仁町長からは「秘められた無限の可能性を信じ、粘り強く挑戦し続けてもらいたい」と新元号で成人を迎えた皆さんにエールが送られました。その後、誓いのことば、成人の抱負が各代表者から述べられました。
阿部怜哉さんが新成人を代表して誓いの言葉を述べました。
「私たちが受けた御恩を社会にお返していこうではありませんか。後の南三陸町のためにも、私たち、新成人が更なる復興と発展に携わって行けたらと思います」
町の復興と共に小学、中学、高校時代を過ごした新成人の皆さん。思い通りに学校生活を送れなかった人も多くいるはずです。それでも、全国からの支援に支えられたご恩を、今度は返していこう。町の復興と共に歩んできたからこそ、この言葉には大きな想いが込められているように感じられます。
成人の抱負では、新成人を代表して2人から抱負が述べられました。小さい頃から夢だった保育士になるための勉強に励んでいると話した畠山史花さん。「将来は、南三陸町で保育士として働き、町の保育、子育てに貢献したい」と抱負を述べました。続けて「これからは私たちが南三陸町を支える存在となり、より良い町を築いて行きたい」と話しました。
もう一人成人の抱負を読み上げたのは、登米市に勤務している小野健太郎さん。昨年の台風19号でも大きな被害を受けた登米市。日常業務に加え、災害対応に大変な1年だったと話します。それでも「少しずつ成長し、地域の皆さまを支える存在になりたい」と抱負を述べました。また支えられ成長してきた分、支える側にならなければいけないと話し、「小さいことから行動していきましょう」と一緒に成人を迎えた仲間に言葉を送りました。
他にも、新成人の想いは様々。
「まずは育ててくれた、両親に感謝したい」
「晴れ着姿をお世話になった方々に見せたい」
「社会に何らかの形で、役立っていきたい」
「いずれは地元に戻って、漁業を継ぎたい」
「震災の町というマイナスの印象だけでなく、プラスの印象を広げ、盛り上げていきたい」
「仲間にも町に戻ってきてもらいたい」
「これからも、よりよい町づくりに携わりたい」
と希望に満ちた声が多く聞かれました。
また式の後半には、ビリギャルでおなじみ小林さやかさんが「ビリギャル流 不可能を可能に変える5つのルール」と題した記念講演を実施。講演の最後に「意志ある所に道は開ける」と新成人のこれからの挑戦を後押しするようなメッセージが送られました。
震災からもうすぐ9年が経とうとしている南三陸町。まだまだ復興半ばで、地域の課題もたくさんあります。しかし今年、成人を迎えた”意思ある若者たち”がこの町を支え、更なる発展に向けて活躍してくれることでしょう。晴れ着姿に身を包んだ新成人の表情には、これから未来に向けての決意が伺えました。新成人の皆様、おめでとうございます。
2017年から始まった「走らないミニ運動会」が3回目を迎えました。今年も参加者の元気いっぱいな声が会場を彩りました。その模様をレポートします。
2017年から始まり、今では地域住民の楽しみになっている「走らないミニ運動会」。
天候不良で開催が危ぶまれましたが、お天気祭りのおかげか当日は秋晴れの運動会日和となりました。今年の参加者は総勢155名!団地の住民の方々の他に、あさひ幼稚園の園児36名の参加と、いつもこの時期に町内で地域実習中の大正大学地域創生学部の学生がボランティアとして参加しました。
運動会実行委員長の阿部誠さんとお話ししたところ、毎年レベルアップしていく運動会の盛り上がりに「着いていけないよ〜」と頬を緩ませていました。住民の方々とパワフルな社会福祉協議会の方々と協働して続けてきた運動会、今年はどんな景色が見られるのか。
「走らない」と名付けられたこの運動会。開会式でも競技中も「走らないでー!」と言われるくらい、参加者の皆さんはついつい走ってしまうほどの盛り上がりを見せました。
毎年ユニークな種目が並ぶこの運動会。「今年は何があるのかな〜」と皆さんワクワクしていました。
今年はボール渡し、ビッグボウリング、グラウンドゴルフ、お宝探しゲーム、借り物競争、じゃんけんMVPの7種目の他に、幼稚園のおゆうぎと最後に全員でのマイムマイムという内容。
参加者は赤・青・黄色の3つのチームに分かれ各競技に参加します。ボール渡しでは園児と高齢者が協力する光景が見られました。自分の孫と遊ぶかのように楽しむおじいちゃんおばあちゃん達の笑顔が可愛いですね。
種目の合間に、参加者の方々にお話を聞きました。その中で、皆さんが今日という日をとっても楽しみにしていたことが伝わってきました。
「最高!この一言に尽きるね」第1回目から参加しているよと話してくれた皆勤賞のおじいちゃん。
毎年最高に楽しいから、もう来年が楽しみで仕方がないとのこと。
そして、最高の理由とは「なかなか会えない人に会えるからだよ」と教えてくれました。
ご近所同士だった人も震災を機に離れ離れになってしまった。
仮設住宅の時は一緒だったのに、その後はそれぞれ離れたところに住んでいる。
でも、この運動会に来れば会える。
この運動会に参加する中だけでも、たくさんの「久しぶりだっちゃ〜元気しでだの?」を耳にしました。
「いや〜やったごどなかったね。今日が初めてよ!」
ウキウキしながらスティックを持っていたのは、今日が初めてのグラウンドゴルフだというおばあちゃん。「この歳になっても初めてのことができるのって楽しいね」とベテランのお友達に教えられながら、グラウンドゴルフを満喫していました。
いくつになっても初めてのことに挑戦できること。同じことを誰かと一緒に楽しめること。スポーツの良さをうまく組み込んだ種目でした。
終始、全体的に明るく楽しい雰囲気で運動会は滞りなく行われました。
おじいちゃんたちから大学生、幼稚園児も一緒に楽しめる走らない運動会。
「生きているうちは参加すっから!」と元気よく笑っていたおばあちゃん、また来年ここでね。
三陸沿岸に広く伝えられている「きりこ」。今では神棚飾りに欠かせないものになっており、生活と共に生き続けている文化の1つです。各家庭では新年を前に、新たなきりこに取り替えられ、新年を迎えます。今回はその「きりこ」について、上山八幡宮の宮司を務める工藤庄悦さんに話を伺いました。
南三陸町の住民にとって生活の一部になっている神棚飾りの「きりこ」。
三陸沿岸を中心に、今も継承され残る文化の一つです。起源は江戸時代中頃と言われ、紙の普及に伴い、紙切文化や紙切遊びが身近なことになった頃から始まったと言われています。
昔は天災や飢饉の影響により、不漁不作の年がありました。それでも神様へのお供え物をしたいという人々の想いからお供えものを、半紙を切り抜いた「きりこ」で表現しました。しかし、時代の流れと共に物流が盛んな地域では、きりこは根付くことはありませんでした。逆に物流が盛んではなかった沿岸地域を中心に生活の一部として、きりこ文化が自然と溶け込んでいきました。
きりこには決まった型がなく、代々それぞれの神社では、代々口伝で宮司に継承されています。そのため、途中で途切れてしまった地域もあるそうです。
また神社によって、描かれている絵柄は様々で、同じものを表したきりこでも神社によって異なります。例えば海が近い地域では、鯛が描かれたきりこがあります。一方で内陸に行くと、馬が描かれたきりこがあり、その土地の歴史や風土を色濃く表現されています。
お正月の前に古いきりこは降ろされ、新たなきりこが飾られます。
そのため12月にきりこの最盛期を迎えます。御餅や御酒、知恵袋といったお供え物を描いたきりこをはじめ、神様の依り代とされる御幣や鯛飾りなど、何種類ものきりこをこしらえます。中でも鯛飾りは縁起物とされる鯛や扇が、網にかかった様子を描いており、1年間の大漁祈願の想いが込められています。
上山八幡宮の宮司を務める工藤庄悦さんは、昨年、御幣200体と鯛飾り80体ほどをこしらえました。震災後、一時はきりこを飾る家庭は減少したものの、再建が進み震災前と同じ数に戻りつつあると話します。昔は小刀、今ではカッターで1枚ずつ丁寧に切り出されていくきりこ。
「時代が進み便利な道具もあるが、1枚1枚想いを込めて切ることに意味がある」と言います。
民衆の中で、自然と生まれ発展し、中には消えていったきりこ。
「1度飾って終わりなら、今まで継承されていないだろう」と工藤さんは話します。
お正月を前に古いきりこを下し、新しいきりこを飾ります。そして新年に新たな神様を迎え入れる。1年間飾り、お役目を終えたきりこは焚き上げられる。毎年取り替え、作り続けることに意味があるように感じられます。
風によってヒラヒラと揺れ動くことで、人々は神様の存在を感じ「人と神様とのつながり」を感じていました。
それが今では、長い歳月と共に人々の生活の一部となり、神棚飾りにはなくてはならないものになっています。
取材を通して神様との繋がりだけでなく、過去と現在、人々も自然と繋いでいるようにも感じられました。昔の人々の想いや歴史が込められている「きりこ」。人々の生活と共に、今もなお生き続ける文化です。
南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。
写真をクリックまたはタップすると大きくなります
撮影場所 [38.642969, 141.442686]
撮影場所 [38.675820, 141.448933]
撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
他の定点観測を見る