内閣府「世界青年の船」事業で11か国の青年たちに南三陸をPR

こんにちは! 「南三陸なう」のライター、小島まき子です。先日、内閣府が主催するリーダーシップ育成&国際交流プログラム「世界青年の船」事業に参加し、船上で南三陸町のPRをしてきました! その様子を紹介します。

内閣府「世界青年の船」事業とは?

内閣府が主催する「世界青年の船」事業は、世界11か国・約240人の青年が「にっぽん丸」という船の上で約1か月をともに過ごし、リーダーシップ育成と国際交流を行うプログラムです。平成29年度は1月中旬~3月あたまに実施され、私は日本ナショナルリーダーとして乗船しました。

参加国は、オーストラリア、インド、日本、メキシコ、モザンビーク、オマーン、ペルー、ポーランド、南アフリカ、スペイン、スリランカの11か国。船上は、まさに多様性の宝庫でした!

全参加者(約240人)の集合写真。衣装からも文化の多様性が伝わってくる

プログラム中は、テーマごとのディスカッションや各種セミナー、クラブ活動などが行われ、日中はスケジュールがびっしり詰まっています。夜は各国が主催するパーティーが開催されたり、参加者同士で語り合ったりと、楽しいひとときも…。また、インド・スリランカにそれぞれ3日間ずつ寄港し、表敬訪問を行ったり、現地の青年たちと交流したりしました。

「防災活動のための人材育成」をテーマとしたディスカッションの一場面

物産イベントで千葉のり店「たつのこのり太郎」をPR!

「世界青年の船」事業への参加が決まったときから、船上で南三陸町のことを伝えたいと思っていました。船上で日本各地について紹介する物産イベント「Japan Fes(ジャパンフェス)」を開催することになったので、宮城ブースで南三陸町の名物を出品しようと考えたのですが…。

南三陸町の名物といえばタコなどの海産物。しかし、船では生ものの持ち込み・提供はNGだったのです。そこで思い浮かんだのが、千葉のり店さんの人気商品「たつのこのり太郎」でした。大好きな「たつのこのり太郎」を世界に広めたい…! 「たつのこのり太郎」を通して南三陸のことを知ってもらいたい…! そんな想いで千葉のり店さんに協賛を依頼したところ、快くOKしていただき、「たつのこのり太郎」30パックを無償で提供してくださいました。(千葉のり店さん、ありがとうございます!!)

そして「Japan Fes」当日。会場は浴衣を着た参加者たちでにぎわい、宮城ブースにも次々と仲間が来てくれました。「たつのこのり太郎」を試食してもらい、南三陸町のパンフレットを渡したりムービーを見せたりしながらPR。「たつのこのり太郎」は大好評で、「おいしい!」「お酒のおつまみにぴったり」「ごはんと一緒に食べたい」といった声が聞かれました。なかには、おみやげに買って帰りたいという人も。多くの青年たちに「たつのこのり太郎」を楽しんでもらい、南三陸町の話をすることができました。

宮城ブースにて、オーストラリアのナショナルリーダー(左)と筆者(右)
「たつのこのり太郎」を試食するオマーンのナショナルリーダー(左)と、コメントを録画する筆者(右)

ディスカッションのクラスで「防災ツアー in 南三陸」を発表

私は「防災活動のための人材育成」をテーマとしたディスカッション・コースに参加していたので、そこでも南三陸町の話をしようと考えていました。町役場から南三陸町のパンフレットをいただいたので、ディスカッションのクラスで配布することに。ビジュアルが美しく英語が併記されたパンフレットは、参加者にも好評でした。

また、防災に向けた取り組みとして南三陸をフィールドにした12日の防災ツアーを考え、ディスカッションのクラスで発表。南三陸町の復興に向けた取り組みについて説明するとともに、町の魅力を精いっぱい伝えました。

ディスカッションのクラスで「防災ツアー in 南三陸」を発表し、南三陸町について話をする筆者

「世界青年の船」事業 参考ウェブサイト

http://swy.international/ja/

http://www8.cao.go.jp/youth/kouryu/data/swy.html

高校生が企画!自分達の未来を考える「みらいカフェ」

3月3日にポータルセンターにて、自分たちの未来を考える「みらいカフェ」が開催されました。これまで1月と2月に2回開催され、今月で3回目の開催でした。企画・運営は今月志津川高校を卒業した4人。参加した高校生たちは、自分たちの未来を考えるきっかけになったようです。

地元の高校生が立ち上げ!学生団体FINDER

みらいカフェの企画と運営は志津川高校を今月卒業した4人。去年12月頃に代表の三浦千裕さんが中心となり、友人を誘い、学生団体FINDERを立ち上げました。団体名の由来は、英語でfind、見つける。erをつけることで発見者になりたいという想いから、自分のやりたい事、夢を見つけるきっかけ作りを行っていきたいということからこの団体名にしたとのこと。

代表の三浦千裕さんは、「自分はジュニアリーダーや町のイベントに積極的に参加して、いろいろな体験をしてきて進路、将来を考えるきっかけとなった」と話し、今度は自分だけでなく他の人たちに考えてもらうきっかけを与えたいという想いから始めたといいます。そんな想いが詰まった団体の活動として、カフェのようにオープンな場で未来について語ってもらいたい、考えてもらいたいと思い、みらいカフェを企画しました。

みらいカフェについて参加者に説明する代表 三浦千裕さん

3度目の開催。「地元のために」という高校生は多い

第1回は1月31日に、第2回は2月17日に開催しました。いずれも、高校生8人ほどが参加したそうです。1回、2回は「10年後は何をしている?」「どこに住んでいる?」「それまでに何をしたい?」などそれぞれ考え、スケッチブックや模造紙に年表を作ったりして自分の将来について考えていました。

カフェと名前が付いているように、当日はお菓子や飲み物も用意され、お菓子をつまみつつ、飲み物を飲みつつカフェは行われました。

春から地元で就職する人、町外、県外に行く人など様々な人がいました。しかし参加した高校生の多くは将来的に南三陸町に住んでいると書いていました。震災がきっかけかどうかは様々でしたが、「地元のために」という考えをもっている高校生は多いようです。

「第1回みらいカフェ」アイスブレイクの様子

第3回には地域で活躍している大人も参加!

これまで1・2回と高校生だけが参加して行われてきましたが、第3回は「働くって何?」というテーマのもと、ゲストスピーカーとして町で働く大人3名を招きました。またゲストスピーカー以外にも地域おこし協力隊や役場職員など町のために働いている大人が参加。高校生と大人合わせて、30人ほどが参加していました。

グループごとにワークショップを行い、それぞれ「働く」をテーマに意見交換をしていました。「働く」ことへの想いはそれぞれあり、「お金を稼ぐこと」「生きがい」などの意見が高校生たちから出ました。一方で、ゲストスピーカーの3人は「自分のやりたいこと」「新しい価値を生み出すこと」「社会での役割をもつこと」など個性的な意見が出されました。

参加した高校生だけでなく、大人たちにとっても「働く」を考えるいい機会になったのではないでしょうか。高校生達は普段学校生活ではほとんど関わることのない、大人たちと交流することで自分の将来を考える機会になりました。

「第3回みらいカフェ」それぞれが思う“働く”意味を白紙に書いていました。

春から大学生だが、地元に戻って活動を続けていきたい!

4月からは、ぞれぞれ町外の大学へと進学するそうです。大学も住む場所もバラバラ。しかし、「時間を作って地元に戻っては、このような活動を続けていきたい!」と代表の三浦千裕さんは話します。

震災があった7年前は小学生だった彼女たち。震災を乗り越え中学、高校と上がるうちに大きく成長しました。そして彼女たちは教わる側から、教える側へとスッテプアップをしました。春からは町外に行ってしまう彼女たちですが、今後高校生を中心に若者達をもっと盛り上げてくれることでしょう。今後の活躍に注目です!

歓びの唄をもう一度 〜戸倉浜甚句〜

「戸倉浜甚句(じんく)」は、南三陸町戸倉地区(旧戸倉村)を中心に伝わる郷土芸能であり、小中学校の運動会や体育大会、敬老会等、さまざまな地区行事の際に唄い、踊り継がれてきました。震災の影響で活動の場や衣装を失ってしまいながらも、地域の方々の地道な保存活動により、今日まで伝承されてきました。

戸倉浜甚句とは?

歌詞の終わりの「ヨイヨイヨイトサ」という特徴的な囃子(はやし)言葉を、皆様もどこかで聞いたことはないでしょうか。古くから沿岸部において、お祝いの席を中心に唄われ、踊り継がれてきた郷土芸能。

その唄や踊りは総称で「浜甚句」と呼ばれています。戸倉地区において伝えられる「戸倉浜甚句」は、他の地域の甚句などからの歌詞の流用もあったと伝えられています。また即興の歌詞で唄われるることも多く、現在に伝えられているものは、正調として残された一部であるとされ、踊り方も、以前は地区により少しずつ異なっていたそうです。南三陸町において、以前は結婚式等の宴席で唄われることもあり、立席者は順番に唄を披露しました。なんと一晩中続いたこともあるそうです。

南三陸町においては近年、青少年育成活動の一環として、地域の人々により唄と踊り方を再編集し、保存会を結成して、伝承活動を行いました。昭和60年には戸倉中学校との連携の元、運動会において初めて披露されました(写真)。

以来毎年、戸倉中学校の運動会の演技種目として定着したことを契機に、地区の様々な催事においても取り入れられることとなり、伝承活動が展開されました。しかしその後、東日本大震災により、法被が流失。翌年の平成24年には法被も新調し、同年開催の「子どもたちの郷土芸能発表会」に出演しましたが、その後の学校統廃合により伝承活動の根幹だった発表の場を失ったことから、活動に陰りが生じてしまいました。

継承が危ぶまれる現状を受け、今回、新たな伝承活動を行うというお話を頂き、取材に至りました。

白熱のレコーディング

南三陸町生涯学習課から「水戸辺集会所で戸倉浜甚句のレコーディングを行う」というお話を頂き、取材に伺う際の車の中で、私はその場の風景を思い描けずにいました。

プロの歌手の方をお呼びし、プロ録音技術者の方がスタジオで行うレコーディングを想像し、集会所のドアを叩きました。しかし、そこにあった風景は、私の想像とは全く別の風景でした。いつもの日常と変わらない、地域の方々の明るい笑顔と、力強い唄声が、そこにありました。

レコーディングに参加する唄い手はすべて、地域のご婦人方。

立ち会った戸倉公民館の佐藤館長、自治会長、そして録音を担当される遊電館の菅原さん以外は全て、女性です。驚いたのは、太鼓の叩き手も女性だったこと。

取材を暖かく受け入れて頂き、レコーディングが再開。和やかな空気が一変します。「ヨイヨイヨイトサ〜♪…」真剣な眼差しと圧倒的な声量。現場に緊迫感が漂いました。

80歳を超える方もいらっしゃるとは思えない、素晴らしい唄声が、集会所の中に響き渡ります。その場にある歌詞カードを見せて頂くと、15番まである、4ページにもわたる内容でした。現在の戸倉浜甚句の歌詞は8番までしか使われず、15番までの歌詞を記憶する住民の方は少なく、高齢化が進んでいるのだとか。

「忘れちゃうからね、私たちも」と参加者の一人が話します。

「風化させてしまうよりも、何らかのかたちで残したい」

地域の会合で決まり、予算を使い、今回のレコーディングに至ったのだと佐藤館長が教えてくれました。踊りについても、地元の子どもたちが所属する舞踊組織に、正調の踊りが継承されることも決定しているのだそうです。

その後何度も何度も、妥協せずリテイクが繰り返されました。

太鼓を叩く手も、唄声も、衰えることなく、尚一層力強く、戸倉浜甚句の旋律が再現されます。唄い手もさることながら、太鼓を担当された方の気迫には、何かが宿ったように、私には映りました。集会所の廊下と一室で行われたレコーディングは、およそ3時間で終了しました。

写真提供:戸倉浜甚句保存会

その後、関係者の皆様でささやかな慰労会が行われました。晴れ晴れとした笑顔に、確かな達成感が感じられました。保存会会長の村岡さんが、関係者の労をねぎらいます。

「地域の為に何かできるなら、是非協力したい。今回力になれて良かった」と遊電館志津川店の菅原さんは言います。

ライターより

「継続は力なり」という言葉があります。

文化継承とは、根幹に「継続する(させる)」という前提が常につきまとうことになります。時代が変わり、環境が変わり、世代が変わっても、その前提は不動のものだと思います。それは、従来の方法だけではなく、新たな方法を編み出していかねばならないことに他なりません。

今回の戸倉浜甚句における継承活動は現代のテクノロジーを用いた方法でしたが、今後も新たな手法を編み出し続けなければなりません。「継続する(させる)」という行為自体が、関わる人々にとっての刺激となり、化学反応が生み出されるのではないかと思いました。

最後に一つ、会長に頂いたコメントをご紹介して、筆をおきたいと思います。

今回レコーディングをした音源について、今後の活用法をお尋ねしたところ、ご回答頂きました。

「…そうね。年明けの婦人会(新年会)で流そうかしら」

「文化継承」は大々的にお披露目すべき、という私の固定観念の、崩れる音がしたような気がしました。地域にはその地域なりの「方法論」がちゃんと存在しているのだと、気付かされる一日でした。

戸倉浜甚句・歌詞全文

ハ ヨイヨイヨイトサ

一、ハァー一つ 歌います ア はぁばかりながら うたの文句は あー知らねども

ハ ヨイヨイヨイトサ

二、ハァー浜の習いで ア 色こそ黒い 味は富山の ハァーつるしがき

ハ ヨイヨイヨイトサ

三、ハァーここは折立 ア むかいは水戸辺沖に しょんぼり あーほんとに椿島

ハ 大きなきゅうりの 棚きゅうり絞れば 水出るザンブゴンブ

とこやっさい やっさい やっさい

四、ハァー椿島おも ア 名所のうちよ タブの木もある ハァー井戸もある

ハ ヨイヨイヨイトサ

五、ハァー小石小浜の ア ザクザク石が 波にもまれて あー丸くなる

ハ ヨイヨイヨイトサ

六、ハァー水戸辺戸倉の 松枯れるとも 儂とお前は アー離れまい

とこ田んぼのはったぎが びっきに追われてなんぎなんぎ

とこやっさい やっさい やっさい

七、ハァーあの子良い子だ ア 良くまわる子だ あの子育てた アー親みたい

ハ ヨイヨイヨイトサ

八、ハァー声の良い子に ア 歌せて舞えば 狭い座敷も アー広くなる

ハ ヨイヨイヨイトサ

九、ハァーめでた座敷に ア 鶴亀降りて この家はんじょと アー舞い遊ぶ

ほだからほだからゆったべな いっどぎこでれば こでるもの いっときこでねでこどだした

とこやっさい やっさい やっさい

十、ハァー甚句おどりが ア かどまできたよ 婆さまでてみろ アー孫連れて

ハ ヨイヨイヨイトサ

十一、ハァー今宵月夜だ アー親船はしる 舵をながして アーほではしる

ハ ヨイヨイヨイトサ

十二、ハァー南ふかせて ア 船くだらせて 元の千石 アー積ませたい

いかさんたこさん なまこさん後からホヤさんホイホイ

とこやっさい やっさい やっさい

十三、ハァー歌はふしより アー文句を ほめろ ひとはみめより アーこころもち

ハ ヨイヨイヨイトサ

十四、ハァー是非に一度は来てみやしゃんせ わしが くにさの 戸倉浜

ハ ヨイヨイヨイトサ

十五、ハァーあまり長いと ア 皆様あきる まずはここいらで アーひとやすみ

ハ ヨイヨイヨイトサ

2018年3月31日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

他の定点観測を見る

<3月28日放送・最終回>みなさんぽ

2016年4月にスタートした『みなさんぽ』は、この日最終回を迎えました。オープニングでは、放送を通しお世話になった方々からタイトルコールをいただきました。インタビューでは、佐藤仁町長から、南三陸町の今と未来を語っていただきました。

オープニング

「南三陸町の『人』を主役にした番組にしよう」。2016年4月の番組スタート時、スタッフ間で決めたことです。放送を通し出会った方々にタイトルコールをいただき、みなさんぽ、今日も元気にスタートです!

「南三陸町は○○な町です」というお題のもと、それぞれが思う南三陸町の魅力を語ってもらいました。「みんなが家族みたいなまちです」「来てくださった皆さんを元気にすることができるまちです」。番組は今回で一区切りですが、魅力があふれる南三陸町に、ぜひ遊びに来てくださいね!

インタビュー

インタビューに応じてくださったのは、この番組でも折に触れてお話を伺ってきた、佐藤仁町長。まちづくりに尽力するリーダーに、南三陸町の今と未来を語っていただきました。

みなさんぽが放送された期間を「様々な事業が着手をする、あるいは完成する、そういう2年間でした」と振り返る町長。さんさん商店街のリニューアルオープン、町役場の新庁舎完成など、復興の節目ともいえる出来事も数多くありました。「町の顔っていうのはずいぶん様変わりした」「この番組の中で、色んな南三陸町の情報をお届けできたというのは本当に嬉しいことだったなと」。
町長にとって、特に印象に残っている行事は福興市だといいます。「震災の翌月から、売るものもない、そういうところからスタートして、町民の皆さん、町外の方々が一堂に会して皆さんで励まし合ったあの姿、第一回復興市は忘れられないですね」。外からの支援として、南三陸病院建設時に援助を受けて以来の、台湾とのつながりにも話が及びました。「台湾の皆さんとは非常に親しい間柄となりまして、向こうから教育旅行でおいでいただいておりますし、大学生のインターンシップもやっていますので、良好な関係ができたなと」。
そして話は、若い世代への期待や、5年後・10年後の未来へ。「自分が主人公になるという覚悟をもって前に向かって進んでもらいたい」「5年後も10年後もたくさんの皆さん方がこの南三陸町に足を向けていただいて、人が集う、そういうにぎやかなまちになっていると私は思います」。
最後に、「お聴きいただいた方々に大変ありがとうございますという言葉しかない」「南三陸町の情報を発信していただいて、2年間南三陸の復興とともに歩んでいただいたこと、心から感謝を申し上げたいと思います」とリスナーやスタッフへの感謝を述べ、インタビューを締めくくりました。

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことができます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!

http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20180328123000

<3月21日放送>みなさんぽ

春分の日の放送となった今回は、佐藤仁町長にタイトルコールをいただきました。インタビューでは、南三陸町観光協会の佐藤慶治さんに、この春スタートするサイクルツーリズムの取り組みについてお話を伺いました。

オープニング

オープニングでは、「志のや」の「南三陸キラキラ春つげ丼」をご紹介しました。佐藤仁町長にタイトルコールをいただき、みなさんぽ、スタートです!

町長も「たくさんの皆さんにお召し上がりいただきたい」と絶賛の春つげ丼。お店の個性が丼のアレンジに色濃く表れるメニューです。提供店舗をはしごして、食べ比べるのも楽しそうですね!

南三陸キラキラ春つげ丼(観光協会HP内)
https://www.m-kankou.jp/bowl/kirakira-harutsuge-bowl/

インタビュー

今回インタビューに応じてくださったのは、南三陸町観光協会の佐藤慶治さん。春から新しく始まる「サイクルツーリズム」の取り組みについてお話を伺いました。

佐藤さんは南三陸町の出身。仙台の大学を卒業後、「地元の方で働きたい、地元の方々と関われるようなものがしたい」との想いから観光協会で働き始め、もうすぐ丸2年になります。観光協会の仕事以外にも、有志でスポーツのイベントを開催するなど、地域で顔が広い佐藤さん。「自分自身が好きなものをできるので、自分が町にしたいことを掛け合わせて、好きなもので充実した生活が送れるようにしています」。

この春、観光協会は新たにサイクルツーリズムのツアーを始めます。その名も、南三陸里山×里海ツーリズム「みなチャリ!」。昨年秋ごろから準備を進め、佐藤さんも中心となって関わってきました。「町の奥の方とか、車で立ち寄りにくそうな場所が多々ありまして、どうつなげたらいいのかな、自分たちとしても新しい観光プランとして何か作れないか、となったときに、自転車があるじゃないかと」。

コンセプトは「ゆっくり交流」。地域ガイドの案内を聞きながらコースを進み、民家に立ち寄り地元の方と交流できる休憩所も設けます。ツアーは「自転車の日」である5月5日に提供開始。「春芽吹くシーズンですので、町の風景も楽しみながら美味しい食事も楽しみつつ、サイクルプランもありますので、楽しんでいただければ」。と話す佐藤さん。南三陸観光の新たな楽しみ方が、また一つ増えそうです。

 

南三陸里山×里海サイクルツーリズム「みなチャリ!」(観光協会HP内)
https://www.m-kankou.jp/program/198774.html/

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことができます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!

http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20180321123000