歓びの唄をもう一度 〜戸倉浜甚句〜

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「戸倉浜甚句(じんく)」は、南三陸町戸倉地区(旧戸倉村)を中心に伝わる郷土芸能であり、小中学校の運動会や体育大会、敬老会等、さまざまな地区行事の際に唄い、踊り継がれてきました。震災の影響で活動の場や衣装を失ってしまいながらも、地域の方々の地道な保存活動により、今日まで伝承されてきました。

戸倉浜甚句とは?

歌詞の終わりの「ヨイヨイヨイトサ」という特徴的な囃子(はやし)言葉を、皆様もどこかで聞いたことはないでしょうか。古くから沿岸部において、お祝いの席を中心に唄われ、踊り継がれてきた郷土芸能。

その唄や踊りは総称で「浜甚句」と呼ばれています。戸倉地区において伝えられる「戸倉浜甚句」は、他の地域の甚句などからの歌詞の流用もあったと伝えられています。また即興の歌詞で唄われるることも多く、現在に伝えられているものは、正調として残された一部であるとされ、踊り方も、以前は地区により少しずつ異なっていたそうです。南三陸町において、以前は結婚式等の宴席で唄われることもあり、立席者は順番に唄を披露しました。なんと一晩中続いたこともあるそうです。

南三陸町においては近年、青少年育成活動の一環として、地域の人々により唄と踊り方を再編集し、保存会を結成して、伝承活動を行いました。昭和60年には戸倉中学校との連携の元、運動会において初めて披露されました(写真)。

以来毎年、戸倉中学校の運動会の演技種目として定着したことを契機に、地区の様々な催事においても取り入れられることとなり、伝承活動が展開されました。しかしその後、東日本大震災により、法被が流失。翌年の平成24年には法被も新調し、同年開催の「子どもたちの郷土芸能発表会」に出演しましたが、その後の学校統廃合により伝承活動の根幹だった発表の場を失ったことから、活動に陰りが生じてしまいました。

継承が危ぶまれる現状を受け、今回、新たな伝承活動を行うというお話を頂き、取材に至りました。

白熱のレコーディング

南三陸町生涯学習課から「水戸辺集会所で戸倉浜甚句のレコーディングを行う」というお話を頂き、取材に伺う際の車の中で、私はその場の風景を思い描けずにいました。

プロの歌手の方をお呼びし、プロ録音技術者の方がスタジオで行うレコーディングを想像し、集会所のドアを叩きました。しかし、そこにあった風景は、私の想像とは全く別の風景でした。いつもの日常と変わらない、地域の方々の明るい笑顔と、力強い唄声が、そこにありました。

レコーディングに参加する唄い手はすべて、地域のご婦人方。

立ち会った戸倉公民館の佐藤館長、自治会長、そして録音を担当される遊電館の菅原さん以外は全て、女性です。驚いたのは、太鼓の叩き手も女性だったこと。

取材を暖かく受け入れて頂き、レコーディングが再開。和やかな空気が一変します。「ヨイヨイヨイトサ〜♪…」真剣な眼差しと圧倒的な声量。現場に緊迫感が漂いました。

80歳を超える方もいらっしゃるとは思えない、素晴らしい唄声が、集会所の中に響き渡ります。その場にある歌詞カードを見せて頂くと、15番まである、4ページにもわたる内容でした。現在の戸倉浜甚句の歌詞は8番までしか使われず、15番までの歌詞を記憶する住民の方は少なく、高齢化が進んでいるのだとか。

「忘れちゃうからね、私たちも」と参加者の一人が話します。

「風化させてしまうよりも、何らかのかたちで残したい」

地域の会合で決まり、予算を使い、今回のレコーディングに至ったのだと佐藤館長が教えてくれました。踊りについても、地元の子どもたちが所属する舞踊組織に、正調の踊りが継承されることも決定しているのだそうです。

その後何度も何度も、妥協せずリテイクが繰り返されました。

太鼓を叩く手も、唄声も、衰えることなく、尚一層力強く、戸倉浜甚句の旋律が再現されます。唄い手もさることながら、太鼓を担当された方の気迫には、何かが宿ったように、私には映りました。集会所の廊下と一室で行われたレコーディングは、およそ3時間で終了しました。

写真提供:戸倉浜甚句保存会

その後、関係者の皆様でささやかな慰労会が行われました。晴れ晴れとした笑顔に、確かな達成感が感じられました。保存会会長の村岡さんが、関係者の労をねぎらいます。

「地域の為に何かできるなら、是非協力したい。今回力になれて良かった」と遊電館志津川店の菅原さんは言います。

ライターより

「継続は力なり」という言葉があります。

文化継承とは、根幹に「継続する(させる)」という前提が常につきまとうことになります。時代が変わり、環境が変わり、世代が変わっても、その前提は不動のものだと思います。それは、従来の方法だけではなく、新たな方法を編み出していかねばならないことに他なりません。

今回の戸倉浜甚句における継承活動は現代のテクノロジーを用いた方法でしたが、今後も新たな手法を編み出し続けなければなりません。「継続する(させる)」という行為自体が、関わる人々にとっての刺激となり、化学反応が生み出されるのではないかと思いました。

最後に一つ、会長に頂いたコメントをご紹介して、筆をおきたいと思います。

今回レコーディングをした音源について、今後の活用法をお尋ねしたところ、ご回答頂きました。

「…そうね。年明けの婦人会(新年会)で流そうかしら」

「文化継承」は大々的にお披露目すべき、という私の固定観念の、崩れる音がしたような気がしました。地域にはその地域なりの「方法論」がちゃんと存在しているのだと、気付かされる一日でした。

戸倉浜甚句・歌詞全文

ハ ヨイヨイヨイトサ

一、ハァー一つ 歌います ア はぁばかりながら うたの文句は あー知らねども

ハ ヨイヨイヨイトサ

二、ハァー浜の習いで ア 色こそ黒い 味は富山の ハァーつるしがき

ハ ヨイヨイヨイトサ

三、ハァーここは折立 ア むかいは水戸辺沖に しょんぼり あーほんとに椿島

ハ 大きなきゅうりの 棚きゅうり絞れば 水出るザンブゴンブ

とこやっさい やっさい やっさい

四、ハァー椿島おも ア 名所のうちよ タブの木もある ハァー井戸もある

ハ ヨイヨイヨイトサ

五、ハァー小石小浜の ア ザクザク石が 波にもまれて あー丸くなる

ハ ヨイヨイヨイトサ

六、ハァー水戸辺戸倉の 松枯れるとも 儂とお前は アー離れまい

とこ田んぼのはったぎが びっきに追われてなんぎなんぎ

とこやっさい やっさい やっさい

七、ハァーあの子良い子だ ア 良くまわる子だ あの子育てた アー親みたい

ハ ヨイヨイヨイトサ

八、ハァー声の良い子に ア 歌せて舞えば 狭い座敷も アー広くなる

ハ ヨイヨイヨイトサ

九、ハァーめでた座敷に ア 鶴亀降りて この家はんじょと アー舞い遊ぶ

ほだからほだからゆったべな いっどぎこでれば こでるもの いっときこでねでこどだした

とこやっさい やっさい やっさい

十、ハァー甚句おどりが ア かどまできたよ 婆さまでてみろ アー孫連れて

ハ ヨイヨイヨイトサ

十一、ハァー今宵月夜だ アー親船はしる 舵をながして アーほではしる

ハ ヨイヨイヨイトサ

十二、ハァー南ふかせて ア 船くだらせて 元の千石 アー積ませたい

いかさんたこさん なまこさん後からホヤさんホイホイ

とこやっさい やっさい やっさい

十三、ハァー歌はふしより アー文句を ほめろ ひとはみめより アーこころもち

ハ ヨイヨイヨイトサ

十四、ハァー是非に一度は来てみやしゃんせ わしが くにさの 戸倉浜

ハ ヨイヨイヨイトサ

十五、ハァーあまり長いと ア 皆様あきる まずはここいらで アーひとやすみ

ハ ヨイヨイヨイトサ

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