復興の象徴的存在へ。さんさん商店街1周年

3月3日(土)、4日(日)に「南三陸志津川さんさん商店街」でオープン1周年記念のイベントが開催されました。餅まきやガラポン抽選会など行われ、行列ができるほど多くの買い物客で賑わった2日間になりました。

復興と希望のシンボル「さんさん商店街」

2017年3月3日に、約5年間の仮設商店街を経て、オープンした本設の「さんさん商店街」。2018年3月3日、オープンから一周年を迎えました。地元の新鮮な海産物を扱う飲食店や鮮魚店、土産物店に日用品を扱う店など軒を並べる28店舗は、震災の大津波で壊滅状態に陥った志津川地区の5つの商店街にかつて店舗を構えていた店主たちが中心となって立ち上げた商店街です。年間の来場者数は仮設時の1.6倍に上り、65万人を超えました。町のにぎわいの中心を担い、南三陸の復興と希望のシンボルとして、国内外の多くのお客さんを魅了しています。

本設のさんさん商店街に移設されたモアイ像

訪れる人たちに感謝。みんなが笑顔になる交流の場づくりを

開業1年となったこの日、商店主が感謝の思いを込めてステージ上から餅まきを行いました。式典でさんさん商店街の阿部忠彦会長は「1周年を無事に迎えられたのはひとえにお客様のおかげ。これからも賑わいづくりの一翼を担っていく。地元の皆さんと南三陸のよいところを紡ぐ文化があってこそ、町内外からも魅力を感じてもらえる。町内外の人々の交流の場になるよう対話を重視した店づくりを大切にしたい」と語っていました。

商店街では『おかげさまで1周年大感謝セール』として祝酒や甘酒の振る舞いがあったり、豪華景品が当たるガラポン抽選会を目当てに行列ができたりと午前中から大賑わいでした。来場者は地元の人たちだけではなく、近隣の市町村や県外からも南三陸の復興の状況を気にして訪れる人たちがいました。

今回の1周年記念に山形県から訪れた佐藤さん。仮設だった商店街時代も知っており、「店が広くなって買い物しやすくなりましたね。町はまだ造成中だけど、景色は美しいです。もっとたくさんの人たちに、南三陸の良さを知ってほしい」と話してくれました。

オープニングでは迫力ある演奏。南三陸町志津川の「大森創作太鼓」が演奏を披露した

2年目が勝負。新メニューで南三陸の魅力を伝えていく

常設商店街として新たなスタートを切った「さんさん商店街」。仮設商店街の時と比べると来場者数は増えているが、秋以降は減少傾向にあり、関係者は「2年目が勝負」と気を引き締めます。このため、店主たちは「キラキラ丼」に続く新名物メニューを開発、提供するなど新たな取り組みを続けているところです。「弁慶鮨」の菅原賢さんは地元の幸を豊富に取り入れた新メニュー「さんこめし」を開発。季節限定で昨年の11月に発売したところ、閑散期の2月にも行列ができるほど大好評だったといいます。

弁慶鮨さんは津波で被災し、親子で避難先の埼玉県のすし店で働いていたそうです。そこで店舗の経営を打診されたが「やっぱり南三陸の人を喜ばせたい」と2012年12月、仮設のさんさん商店街で再スタート。17年3月、常設の商店街でも軒を構えました。菅原さんは「1年前は商売として成り立つのか、不安が大きかった」と無我夢中だった1年間を振り返ります。震災前と違うのは、住宅地と商店街が離れ、地元の人が飲み歩く文化が薄らいだことかもしれません。「住宅が再建したばかりでみんな生活が大変です。商売を続け、皆さんの来店を待ちたい」と話してくれました。

復興にかける商人たちの熱き想い

「全国にいる商店街の仲間たちのおかげで生きている」

及善蒲鉾店の及川善祐さんは仮設商店街の初代組合長であり、まちづくり協議会の会長をしながら、商売を通して南三陸町の復興のために尽力されている人です。

震災の津波ですべてが流され、全財産を失くした後、避難所の志津川小学校で59日間を過ごし、仮設住宅での生活を続けながらも、隣町の登米市に蒲鉾工場を開業。そして昨年めでたく本社・新工場を故郷の南三陸町に移転オープンしました。

「仮設だったさんさん商店街オープンの日は、大雪でしたね。真っ白に積もる雪を見て、あぁこれは『好きな色に染めなさい』ってことなのかと思いました。」と懐かしそうに当時の想いを振り返ります。

仮設住宅に集まった商人たちの団結力できた仮設商店街や福興市。現在は場所を変え「さんさん商店街」「ハマーレ歌津」など、ふるさとへの想いが込められた復興の象徴的な憩いの場ができました。

「さんさん商店街」の今後は、敷地内には交流施設、向かいには震災復興祈念公園が建設される予定となっており、同商店街を中心とした一帯は、これからますます町のハブ的存在となることでしょう。

<3月14日放送>みなさんぽ

3月14日の放送では、戸倉地区にある「ペンション オーイング」オーナーの西條りき子さんに、メカのカマ煮をご紹介いただきました。インタビューでは、「南三陸ねぎ応援プロジェクト」の原田安穏さんに、南三陸ねぎ応援プロジェクトについてお話を伺いました。

オープニング

オープニングでは、戸倉地区の「ペンション オーイング」にて、メカのカマ煮をご紹介しました。オーナーの西條りき子さんにタイトルコールをいただき、みなさんぽ、スタートです。

「オーイング」は約30年の歴史をもちます。震災で休業しましたが、2016年秋に再開。「震災後ここまで元気に少しずつなってきたんだよーというのを一緒に見てほしい」と話す西條さん。暖かくなるこれからの季節、多くの方に来ていただきたいですね!

インタビュー

今回インタビューに応じてくださったのは、「南三陸ねぎ応援プロジェクト」広報担当の原田安穏さん。2年目を迎えたプロジェクトについて、これまでの活動や今後の展望などを伺いました。

「南三陸ねぎ」は、南三陸町と気仙沼市で栽培されている長ネギの総称。「南三陸ねぎ応援プロジェクト」は、クリエイターが集まり、南三陸ネギの全国ブランド化を応援する活動です。

大学生の頃からヒッチハイクをしていた原田さん。元々はブロガーとしてこのプロジェクトに関わっていました。昨年、「グリーンファーマーズ宮城」での農業体験ボランティアを通し、農業に携わる方々の想いにふれ、広報担当として活動により強く関わるようになりました。

プロジェクトを立ち上げた2017年は、ブロガーをサポーターとして募ることによる魅力発信、他地域のラーメン店とのコラボ、を行ってきました。東京都八王子市のラーメン店とコラボした時には、1,500杯もの注文があったのだとか。

2年目となった今年の目標は、「南三陸に住んでいる人たちに南三陸ネギを知ってほしい」と話す原田さん。今後の展望については、「南三陸ねぎを通して不屈の精神を全国に発信したい」「ブランド価値の向上、収益性の向上、交流人口の増加や、就農人口の増加にも寄与していきたい」と意気込みを語ってくれました。

南三陸ねぎ応援プロジェクト
http://37336negi.com/

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことができます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!
http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20180314123000

故郷への想いを胸に踏み出す新たな一歩。/三浦千裕さん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第22弾はこの春志津川高校を卒業し、大学進学のために町を離れる三浦千裕さん。震災から7年。当時小学5年生だった女の子がさまざまな出会いや経験を通じて得た南三陸への想いに迫ります。

小学5年生のときに経験した東日本大震災

震災から流れた7年という月日。町は大きく変化を遂げ、人もまた大きく成長する。震災当時小学5年生だった子どもたちは、この春、高校を卒業し、大学や社会へ巣立っていく。

この3月に、慣れ親しんだ古里を離れ、夢を追い大学へと進学する志津川高校3年の三浦千裕さんもその一人だ。戸倉地区波伝谷出身の三浦さん。小さい頃から、2人の兄とともに外で遊ぶことが大好きだったという。「地域の人みんなが集まった盆踊りや、一軒一軒お家をまわる獅子舞ではそれぞれでお菓子をもらえたり、みんなで廃品回収をしたり。行事がたくさんあるこの地区で過ごすことが好きだった」と話す。

そんな地区を大震災が襲ったのは、三浦さんが小学5年生のとき。海岸の目の前にあった戸倉小学校にいた。大きく長い地震のあと、みんなで高台へ避難した。しばらくそこにいた後、先生の指示でもう一段高いところにある神社にまで逃げていった。振り返ると、今までいたところまで水が押し寄せていた。

「ただひたすらに怖かった。めっちゃ怖かった」と当時を振り返る。

兄に会えたのは翌日、親に会えたのは4日ほどたったあとだったという。変わり果てた町。数ヶ月間、親戚の家にお世話になったこと。隣町の廃校になった校舎を借りて勉強をしたこと。そんな絶望的な状況のなかでも「本当に、たくさんの人にお世話になって、感謝の気持ちしかありませんでした。ああやって友達とまた学校に行けたことはとても楽しかった」と三浦さんは話す。

ジュニアリーダーの活動を通して町の魅力に出会う

中学生になると、地域活動をサポートするジュニアリーダーの兄に憧れ、自身も参加するようになった。中学、高校の6年間、活動に参加をしていく中で、町の観光スポットでもある田束山に子どもたちと一緒に登ったり、海で釣りをしたり、南三陸の自然と触れ合う機会も増えていった。中学3年生のときには、北海道本別町のジュニアリーダーと交流会にも参加して、他県の同世代と距離を超えた絆で結ばれ、仲間になった。

高校2年生のときには、ジュニアリーダーの会長を務め、教育委員会など町の大人とも関わりが深くなっていった。

「南三陸は本当に何もない町だったから、将来は絶対に都会に行きたいと思っていた」というが、こうした活動をしていく中で、徐々に南三陸の魅力に気づいていったという。

視野と可能性を広げてくれた志翔学舎での出会い

さらに大きな影響を与えたのが、昨年6月、志津川高校に誕生した学習支援センターの志翔学舎だ。特に大きな影響を与えたのが、運営するNPO法人キッズドアの佐藤陽さん。

「勉強だけではなくて、いろいろなお話をする中で、人生の選択肢というか、自分の視野をたくさん広げてくれました」と話す。2017年8月には、志翔学舎に通っていたメンバーを中心に「U-18東北次世代リーダーカンファレンス2017」に参加した。

大きなきっかけとなった志翔学舎の佐藤陽さんとの出会い

「そのときは、あまり私自身やりたいことが定まっていなかったんです。そんな中各地から同世代が集まっていて、みんなが将来の夢があって、それに向けて進んでいるということが非常に刺激になった」

イベントをやりたいなーと漠然と思っていたという三浦さん。町の若者が主催する音楽イベントの実行委員会に参加してみたり、志翔学舎の佐藤さんたちと話をしたりする中で「イベントを企画するだけではなく、地域の人たちがより主体的に関わって、よりよい地域になっていったらいいな」と考えるようになった。

進路決定にあたってはたくさん悩んだというが、高校卒業後は、山形にある東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科に進学する。

コミュニティデザイン――。それは、人がつながる仕組みをデザインすることだという。もしかしたら、今の南三陸にとって一番必要な要素かもしれない。

「今は大学で勉強できることが本当に楽しみ。早く大学に行きたい!」と声を弾ませる。

南三陸町を日本で一番チャレンジに寛容な町に!

出ていきたいと思っていた南三陸町。しかし、今は戻ってきたい町へと変化した。

大災害から復旧、そして復興へと歩を続ける激動の時代を、10代の最も多感な時期に過ごした。ボランティア、全国の同年代との交流、南三陸に移住をしてきた人、そして辛い時期も悲しい時期もともに過ごした仲間の存在。そんな人々が輝ける町にしたい、そう三浦さんは語る。

「進学にあたって一度町を離れてしまうけれど、いつか南三陸に戻ってきて、中学生や高校生などの子どもたちから、大人まで関係なく『これやりたい!』『あれやってみたい!』などチャレンジであふれる町にしたい。そして、その一つひとつのチャレンジをみんなが応援できる、日本一チャレンジに寛容な町にしたい」と大きな夢を語った。

これまで18年間過ごしてきた南三陸町。よいところを尋ねると「やっぱり人がやさしくて、みんな家族みたいなところ。そして、食べ物がおいしいし、自然がきれいなところも好き。だけど、もっとたくさんのまだ気づいていない魅力があるんじゃないかなと思う」という。

一度、町を離れて気づく魅力がきっとある。大学生活、慣れ親しんた故郷を離れ新しい環境で、酸いも甘いも経験し、それでもたくましく、大きく成長して南三陸に戻ってきてほしい。

三浦さんだけではない。きっと多くの若者がこの春、古里への想いを胸に、大きな一歩を踏み出す。その希望に満ちた背中を、しっかりと支え、後押しすることが私たちの役割なのかもしれない。

<3月7日放送>みなさんぽ

3月最初の放送では、オープンを間近に控えた「OCT-VIN369」オーナーの井原健児さんにタイトルコールをいただきました。インタビューでは、「一般社団法人南三陸研修センター」理事の阿部忠義さんにお話を伺いました。

オープニング

オープニングでは、さんさん商店街の向かいにもうすぐ開く飲食店、「OCT-VIN369」にて、タコとアボカドのサラダをご紹介しました。オーナーの井原健児さんにタイトルコールをいただき、みなさんぽ、スタートです!

「これだけ素敵な海産物があるので、僕なりのフィルターを通して、若い人達にたくさん来てもらって、皆さんで楽しんでもらえる空間をつくれたら」と話す井原さん。OCT-VIN369がどんなお店になっていくのか、楽しみですね!

インタビュー

インタビューでは、「一般社団法人南三陸研修センター」理事の阿部忠義さんにお話を伺いました。震災後に行ってきた事業や、これからの夢などについて語ってくれました。

長きにわたり町の職員として産業振興に尽力してきた阿部さん。震災後は公民館長を務め、2015年に町役場を退職。その後も、南三陸研修センターの理事として、まちのために活躍し続けています。町職員時代の上司から教わった、「仕事は厳しく、職場は明るく」がモットーです。
今手がける事業を「震災後の人との出会い、つながりで積み上げてきたもの」と表現する阿部さん。宿泊施設「いりやど」を運営するなかで、学生、社会人、個人のお客様など、数多くの方との出会いがありました。「私たちも歓迎する思いは持っているんですけれども、それ以上においでになる方が南三陸を好きになっていただいて、本当にありがたい」「住む人、訪れる人も、満足できる、楽しめる。そんな地域になっていけば」。

近年増えている移住者からも、日々刺激を受けていると言います。「彼らがいないと、私らが進めている事業がうまくいかない」「彼らがのびのびとパフォーマンスできる環境をつくるのが自分の仕事」。
「オクトパス君を世界へ」「南三陸を日本一の研修フィールドへ」とこれからの夢も語ってくれた阿部さん。

南三陸ラーニングセンター
http://ms-lc.org/

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<2月28日放送>みなさんぽ

2月最後の放送では、金比羅丸の高橋直哉さんにタイトルコールをいただきました。インタビューでは、さんさん商店街インフォメーションの佐藤潤也さんに、今週末開かれるさんさん商店街1周年イベントについてお話を伺いました。

オープニング

南三陸名物「わかめしゃぶしゃぶ」の季節到来! オープニングでは、今が旬の生わかめを紹介しました。「金比羅丸」代表の高橋直哉さんにタイトルコールをいただき、みなさんぽ、今日もスタートです!

歌津でブルーツーリズムに取り組む高橋さん。3月・4月の日曜日には、漁船に乗る体験もできるワカメ採り大会プログラムが開かれます。芯抜きしたワカメを持ち帰れるお土産つきのプログラム、ぜひ足をお運びください!

金比羅丸HP
http://konpiramaru.main.jp/

インタビュー

今回インタビューに応じてくださったのは、さんさん商店街インフォメーションセンターの佐藤潤也さん。今週末に迫ったさんさん商店街1周年記念イベントについて、1周年を迎える想い、イベントの見どころなどについてお話を伺いました。

2012年2月25日に仮設商店街としてスタートした「さんさん商店街」。仮設の施設が一旦閉鎖したのち、2017年3月3日「さんさんの日」に本設オープン。お土産や料理、魚などのお店が立ち並び、1年間で来場者は約65万人に上りました。

「もう1年経つと思うと感慨深いです」と話す佐藤さん。本設オープンにあたっては、不安を抱える店主の方々も多かったそうです。「最初は不安もあったと思うんですけれども、自信に代わっていったというのを目の当たりにしたことが印象深かった」と振り返ります。特に、モアイ像が今のさんさん商店街に移転してからは、来訪する方々が一層いろんなお店を見てくださるようになったのだとか。
3月3日・4日に開かれる、さんさん商店街の1周年イベント。3日はガラポン抽選会、大森創作太鼓や加藤マチャアキさんのステージ、そして恒例の餅まき。4日はティーナ・カリーナさんの歌謡祭、陸仙海によるよさこい演舞など、豪華なステージイベントが予定されています。
「店舗の皆さんは個性あふれる方が多いので、話しかけていただくと色んな話が聞ける」「ものも魅力的だけれど、人があってこその店舗」とさんさん商店街の魅力を語ってくれた佐藤さん。今週末のイベント、どんな盛り上がりを見せるのか、楽しみですね!

さんさん商店街1周年記念イベントについて(さんさん商店街HP内)
https://www.sansan-minamisanriku.com/archives/31322.html/

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

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http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20180228123000

2018年2月28日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

他の定点観測を見る

<2月21日放送>みなさんぽ

2月21の放送では、さんさん商店街「弁慶鮨」の菅原賢さんにタイトルコールをいただきました。インタビューでは、山内鮮魚店の後藤さんに、ホヤ鍋についてお話を伺いました。

オープニング

オープニングでは、キラキラ丼に続く南三陸町の新名物、「さんこめし」をご紹介しました。さんこめし取扱店の一つである「弁慶鮨」店主の菅原賢さんにタイトルコールをいただき、みなさんぽ、スタートです!

先月末から提供が始まった「さんこめし」。たこ、はらこ、あなごを掛け合わせた南三陸町の新たな目玉料理、ぜひ味わってみてください!

「さんこめし」について、詳しくはこちら(観光協会HP内)
https://www.m-kankou.jp/sankomeshi/

インタビュー

三陸沿岸の名産、ホヤ。インタビューでは、山内鮮魚店の後藤さんに、宮城大学・及善蒲鉾店と共同開発した「ホヤ鍋」についてお話を伺いました。

ホヤ鍋は、山内鮮魚店と宮城大学の学生、及善蒲鉾店が、昨年夏ごろから共同開発に取り組んできました。「大量廃棄されているホヤを何とかしたい」との想いから、ホヤをより多く食べてもらうための商品開発が始まりました。学生たちは商品のPR動画を作成し、SNSで発信。そして及善蒲鉾店ともコラボしたことで、ホヤ揚げ団子、ホヤ串団子、冷凍生ホヤ、蒸しホヤの「ホヤ鍋具材四点セット」が生まれました。

ホヤ鍋具材四点セットを注文すると、美味しく味わうためのレシピがついてきます。「生産者の方が大切に育てたホヤを、一人でも多くの方に味わっていただきたい」「初めて食べる人にも、ホヤが大好きな人にも楽しんでもらえる商品なので、喜んでもらえれば」。想いも味もたっぷりつまったホヤ鍋。より多くの人がホヤに親しむきっかけになってほしいですね。

山内鮮魚店HP
https://www.yamauchi-f.com/

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことができます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!

http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20180221123000

「暮らし」の復興、新たな一歩。志津川保育所落成式

文教地区として整備が進む志津川中央団地において、2018年1月31日、町立志津川保育所の落成式が行われました。震災から7年近く、「暮らし」の復興は新たなステージを迎えています。

安全・安心な子育て環境づくり

震災後の南三陸町では、復興事業における主要政策の一つとして、町立保育所の再整備を進めてきました。子どもたちの健やかな成長を促し、子育て世代の仕事と家庭の両立を支援することが、町の将来を担う人材を育てることにつながるからです。元の町立志津川保育所は、津波で浸水被害を受けた後も子育て支援拠点の一角を担ってきました。しかし、施設の老朽化が著しく、宮城県の土砂災害警戒区域に指定されたこともあり、保育所の移設工事が行われることとなりました。

建設場所に選ばれたのは、志津川中央団地。志津川小学校やスーパーなどが近くにあることから、子育て世代が多く入居しており、文教地区として整備が進んでいます。災害が起きた場合でも、津波が迫る危険は平地に比べ小さく、小学校が隣にあるため避難も速やかに行えます。保育所の中村美佐所長は、「小学校の校長先生とも話し合っているが、児童同士の交流会など、様々な連携をしていきたい」と話していました。

さんさん、のびのび

「とにかく明るい保育所になりました。お日様がさんさんと差して、本当に子どもたちがのびのび遊べる、施設・環境になりました」。新しい保育所には、中村所長もこう話すように、安全・安心への配慮だけでなく、子どもたちが健やかに育つことを促す工夫も随所に見られます。

保育所は住宅街が一望できる高台に建てられたため、とても陽当たりが良い立地となっています。落成式当日は晴天に恵まれ、広い園庭の上には透き通るような青空が広がっていました。

遊戯室や園庭など、子どもたちがのびのびと遊び回れるスペースが用意されています。加えて、建物の内装は、廊下、保育室、遊戯室など、随所に木の温もりを活かしたつくりとなっています。床や壁、柱だけでなく、遊び道具や棚にも、木材をふんだんに使っています。

町内外から寄付と祝福の声

落成式では、志津川保育所の新たなスタートに向けて、数々の寄付やお祝いの声が寄せられました。

佐藤仁町長は、保育所移設の背景、復興計画における位置づけなどを振り返ったのち、「将来にわたり、多くの子どもたちの笑顔・元気があふれる町となるよう、持続可能なまちづくりを行い、第二次総合計画に掲げております、『森・里・海・人 いのちめぐるまち 南三陸』の実現に向け、邁進してまいります」と今後の展望を語りました。

町議会の三浦清人議長は、移設前の保育所について「浸水はしたものの、生活再建の後押しとなるよう、施設の修繕を行い、いち早く受け入れを再開し、これまで地域の大切な子どもをお預かりしていただいた施設」と意義づけをしたうえで、「町の未来を担う子どもたちの健全育成のため、議会としては、保護者の皆様や地域の声を大切にしながら、町と連携し、その推進に努めてまいります」と述べました。

宮城県気仙沼保健福祉事務所の渡辺龍明所長は、県行政との連携について「地域における児童福祉の復旧・復興を推進していくためには、本日ご参加の皆様のお力添えが必要となります」と述べ、「志津川保育所が地域の皆様に末永く親しまれますよう心からご祈念申し上げます」と結ばれました。

式の後半には、保育所建設にあたりご寄付をいただいた、DFSグループリミテッド トラベルインダストリーマーケティング 小川光永様、津山木工芸品事業協同組合 佐々木喜市様、米沢市語り部ボランティア 笈掛昇様と、保育所児童の記念撮影が行われました。式典には、町内の学校関係者、民生委員児童委員、行政区長など、多くの方々が参列し、志津川保育所の新たな始まりを祝福しました。

未来広がる文教地区へ

式典では、祝辞ののち、志津川保育所に入所している児童27名から、保育所建設への感謝を伝える言葉と歌のアトラクションが披露されました。
「ぼくたち わたしたちに すてきな ほいくしょを ありがとうございます」
「はやく ひろい おにわで おにごっこがしたいです」
「これからも ほいくしょで みんなとげんきにあそんだり ちからをあわせて がんばります」
子どもたちが言葉と歌でまっすぐに感謝を伝えたのち、会場は温かい拍手に包まれていました。

「官民、地域が連携し、安心して子育てができる環境づくりを推進しながら、更なる子育て支援の充実を図って参りたい」と今後の意気込みを語る佐藤町長。「元気な子ども、明るい子ども、何でも自分の力でやり抜く子ども、そして自分の命は自分で守る子どもになってほしい」と願う中村保育所長。まちの大人たちの期待を受け、新しい保育所では子どもたちのどんな未来が広がっていくのでしょうか。南三陸町の「暮らし」の復興は、志津川保育所の落成とともに、次の一歩を踏み出しました。