故郷への想いを胸に踏み出す新たな一歩。/三浦千裕さん

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南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第22弾はこの春志津川高校を卒業し、大学進学のために町を離れる三浦千裕さん。震災から7年。当時小学5年生だった女の子がさまざまな出会いや経験を通じて得た南三陸への想いに迫ります。

小学5年生のときに経験した東日本大震災

震災から流れた7年という月日。町は大きく変化を遂げ、人もまた大きく成長する。震災当時小学5年生だった子どもたちは、この春、高校を卒業し、大学や社会へ巣立っていく。

この3月に、慣れ親しんだ古里を離れ、夢を追い大学へと進学する志津川高校3年の三浦千裕さんもその一人だ。戸倉地区波伝谷出身の三浦さん。小さい頃から、2人の兄とともに外で遊ぶことが大好きだったという。「地域の人みんなが集まった盆踊りや、一軒一軒お家をまわる獅子舞ではそれぞれでお菓子をもらえたり、みんなで廃品回収をしたり。行事がたくさんあるこの地区で過ごすことが好きだった」と話す。

そんな地区を大震災が襲ったのは、三浦さんが小学5年生のとき。海岸の目の前にあった戸倉小学校にいた。大きく長い地震のあと、みんなで高台へ避難した。しばらくそこにいた後、先生の指示でもう一段高いところにある神社にまで逃げていった。振り返ると、今までいたところまで水が押し寄せていた。

「ただひたすらに怖かった。めっちゃ怖かった」と当時を振り返る。

兄に会えたのは翌日、親に会えたのは4日ほどたったあとだったという。変わり果てた町。数ヶ月間、親戚の家にお世話になったこと。隣町の廃校になった校舎を借りて勉強をしたこと。そんな絶望的な状況のなかでも「本当に、たくさんの人にお世話になって、感謝の気持ちしかありませんでした。ああやって友達とまた学校に行けたことはとても楽しかった」と三浦さんは話す。

ジュニアリーダーの活動を通して町の魅力に出会う

中学生になると、地域活動をサポートするジュニアリーダーの兄に憧れ、自身も参加するようになった。中学、高校の6年間、活動に参加をしていく中で、町の観光スポットでもある田束山に子どもたちと一緒に登ったり、海で釣りをしたり、南三陸の自然と触れ合う機会も増えていった。中学3年生のときには、北海道本別町のジュニアリーダーと交流会にも参加して、他県の同世代と距離を超えた絆で結ばれ、仲間になった。

高校2年生のときには、ジュニアリーダーの会長を務め、教育委員会など町の大人とも関わりが深くなっていった。

「南三陸は本当に何もない町だったから、将来は絶対に都会に行きたいと思っていた」というが、こうした活動をしていく中で、徐々に南三陸の魅力に気づいていったという。

視野と可能性を広げてくれた志翔学舎での出会い

さらに大きな影響を与えたのが、昨年6月、志津川高校に誕生した学習支援センターの志翔学舎だ。特に大きな影響を与えたのが、運営するNPO法人キッズドアの佐藤陽さん。

「勉強だけではなくて、いろいろなお話をする中で、人生の選択肢というか、自分の視野をたくさん広げてくれました」と話す。2017年8月には、志翔学舎に通っていたメンバーを中心に「U-18東北次世代リーダーカンファレンス2017」に参加した。

大きなきっかけとなった志翔学舎の佐藤陽さんとの出会い

「そのときは、あまり私自身やりたいことが定まっていなかったんです。そんな中各地から同世代が集まっていて、みんなが将来の夢があって、それに向けて進んでいるということが非常に刺激になった」

イベントをやりたいなーと漠然と思っていたという三浦さん。町の若者が主催する音楽イベントの実行委員会に参加してみたり、志翔学舎の佐藤さんたちと話をしたりする中で「イベントを企画するだけではなく、地域の人たちがより主体的に関わって、よりよい地域になっていったらいいな」と考えるようになった。

進路決定にあたってはたくさん悩んだというが、高校卒業後は、山形にある東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科に進学する。

コミュニティデザイン――。それは、人がつながる仕組みをデザインすることだという。もしかしたら、今の南三陸にとって一番必要な要素かもしれない。

「今は大学で勉強できることが本当に楽しみ。早く大学に行きたい!」と声を弾ませる。

南三陸町を日本で一番チャレンジに寛容な町に!

出ていきたいと思っていた南三陸町。しかし、今は戻ってきたい町へと変化した。

大災害から復旧、そして復興へと歩を続ける激動の時代を、10代の最も多感な時期に過ごした。ボランティア、全国の同年代との交流、南三陸に移住をしてきた人、そして辛い時期も悲しい時期もともに過ごした仲間の存在。そんな人々が輝ける町にしたい、そう三浦さんは語る。

「進学にあたって一度町を離れてしまうけれど、いつか南三陸に戻ってきて、中学生や高校生などの子どもたちから、大人まで関係なく『これやりたい!』『あれやってみたい!』などチャレンジであふれる町にしたい。そして、その一つひとつのチャレンジをみんなが応援できる、日本一チャレンジに寛容な町にしたい」と大きな夢を語った。

これまで18年間過ごしてきた南三陸町。よいところを尋ねると「やっぱり人がやさしくて、みんな家族みたいなところ。そして、食べ物がおいしいし、自然がきれいなところも好き。だけど、もっとたくさんのまだ気づいていない魅力があるんじゃないかなと思う」という。

一度、町を離れて気づく魅力がきっとある。大学生活、慣れ親しんた故郷を離れ新しい環境で、酸いも甘いも経験し、それでもたくましく、大きく成長して南三陸に戻ってきてほしい。

三浦さんだけではない。きっと多くの若者がこの春、古里への想いを胸に、大きな一歩を踏み出す。その希望に満ちた背中を、しっかりと支え、後押しすることが私たちの役割なのかもしれない。

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