今年もイベント盛りだくさん! サンオーレそではま海開き
南三陸町の「サンオーレそではま海水浴場」が今年もいよいよ海開き!毎週イベントが目白押しです。今回は担当の南三陸町観光協会の阿部悠斗さんに話を伺いました。想いがこもったイベント情報をお届けします。
サンオーレそではまってどんなところ?
白い砂浜、青い海。子どもたちの楽しそうな声に包まれているこの場所は、南三陸町にある海水浴場「サンオーレそではま」。砂浜の全長が300mであることから、「3(サン)0(オー)0(レ)」と名付けられました。1999年7月にオープンしました。2011年の東日本大震災により敷地内の施設および砂浜がすべて流出してしまいました。しかし2017年7月、6年の歳月を経て再オープン。再開してから今年で3年目を迎えます。
「海水浴場の魅力は景色が良いこと。そして海水の透明度が高く、澄んでいて綺麗なことですかね」。サンオーレそではまの管理・企画運営に携わる南三陸町観光協会の阿部悠斗さんは話します。今回は阿部さんに、今年のイベントへの意気込みや海に寄せる思いをじっくりとお伺いしてみました。
「地域の人たちと一緒に」作り上げる海水浴場を目指して
「昨年は、海開きの期間中、地域住民主催のイベントに加え、観光協会が主催のイベントが多くありました」そのかいもあってか、昨年(2018年)は震災前と合わせても過去最多の6万6000人がサンオーレを訪れました。阿部さん自身も、観光協会の一員として、海水浴場の管理もイベント運営も担い、大慌ての夏を過ごしました。
今年は、「誰もが楽しめる海水浴場」をコンセプトに、昨年以上に「地域の方々と一緒に作り上げていくイベント」が盛り込まれています。
2019年のサンオーレそではまイベント情報はこちら
中でもイチオシは「水風戦大会2019 in南三陸」と「ビーチバレーボール大会」。
7月21日(日)に開催される「水風戦大会2019 in南三陸」は、地元の南三陸ふっこう青年会が主催のイベント。優勝すると全国大会出場の切符がゲットできる、本格的なイベントになっています。
8月18日(日)に開催されるビーチバレーボール大会は震災以前から行っていたイベントで、昨年復活を遂げました。昨年は大盛況で、今年も参加したいと既に問い合わせがあるほどだそう。
今年は水風戦もビーチバレーボール大会も、Facebookを通じて参加チームを募集していますが、白熱する試合を間近で見学しているだけでも南三陸の夏を感じられることでしょう。
また、飛び込み参加も大歓迎で地元住民と一体になって楽しむことができるのが、南三陸ふっこう青年会主催の8月14日(水)に開催される「大盆踊り大会」です。この盆踊り、皆さんが想像する盆踊りとは一味も二味も違います。もちろん盆踊りの定番曲もありますが、流行りのJ-POPに合わせて、地元の方たちが中心にやぐらを囲んで踊りまくります。海で泳ぎ終わった後、夜でもわいわいと賑やかな音楽や声に囲まれた、素敵な雰囲気が味わえます。もちろん、飛び入り参加もOK!さらに、この日は海の家も夜まで営業しているので、おいしいご飯やお酒を楽しみながら、夜まで過ごすことができます。
このように地元の人たちだけでなく、観光客も楽しめるイベントが多くあります。ここには、「地元の方だけでなく、観光に来てくれた人にも参加してもらって、交流をしてくれたらうれしい。地元の人が主催のイベントで地域の方々と一緒に、このサンオーレを活用して一緒に盛り上げていきたい」という阿部さんの想いが込められています。
サンオーレそではま 新たな挑戦
「地元の人はもちろん、地元以外の人はこの海を使って何かやってみたいと思っているのか。やりたいことがあるのならば知りたい」と阿部さんは考え、今年は、海水浴場でやってみたいイベントの公募を実施。結果、阿部さんも「予想以上」と驚くほどの10数件のイベント企画案が、県内のみならず関東地方からも集まりました。
実際に採用されたのは、「フラダンスイベント」と「スイカ割り・スイカの種飛ばし大会」の2つ。いずれも登米市在住の方からのアイデアでした。「町外の方でも自分のできること、やりたいことを企画して、積極的に携わってくれることがとてもうれしい」と阿部さんは目を細めます。
「サンオーレそではまを“挑戦する場”として活用していきたい」と阿部さん。その小さな一歩として、今年はアイデアを募り、実際に2つ実施することになりました。
被災地の「悲しい」イメージの海を「楽しい」観光地に
「僕にとって海は“慣れ親しんだ場所”。海が好きだから、今も海に携わる仕事ができていることがうれしい」と阿部さんは言います。
「被災地の海は、“悲しい”イメージを持たれることが多い。それを“楽しい”観光地に変えていきたい」。その想いを胸に、阿部さんは大好きな海の、そして「サンオーレそではま」の魅力を届けるために、日々奔走しています。
そんな阿部さんの熱い想いがつまったイベントが目白押しのサンオーレそではま。今年は7月13日(土)オープン!8月25日(日)まで遊泳を楽しめます。土日はイベントがたくさんあるので、ぜひ気になるイベントを見つけたら足を運んでみてください。
皆さんも一緒に「サンオーレそではま」を盛り上げてみませんか?
2019年のサンオーレそではまイベント情報はこちら
「夢」から始まった筆一本の道〜小山康博さん〜
南三陸町の手仕事を紹介するこのテーマ。初回は町民から“ヤスさん”の愛称で呼ばれている「Design Studio一筆」の小山康博さんです!突き詰めてきた筆一本の道、そのルーツと今に迫りました。
使うのは「筆」と「墨」のみ。“夢”から始まった物語
インタビュー場所として教えられた古民家風の建物を訪ねると、いつもの明るい声で名前を呼ばれた。「分かりづらいでしょ?ようこそ、うちのアトリエへ!」作業机には作成途中の墨絵が並ぶ。
ヤスさんは主に墨絵を用いたデザインや絵を描いている。Tシャツやポストカード以外にも、町内外の店舗の看板や商品のロゴなど幅広く対応。特徴は墨絵独特の「かすれ」だと言う。
「墨絵の濃淡って水を使って出す人もいるけど、おれは筆先につける濃さとかすれで表現してるんだよね。墨汁でパサパサになった筆先も、かすれを出すときによく使えるんだよ」
ヤスさんが今の仕事を始めたのは17年前。絵を描く前は地元のホテルにあった写真屋さんに2年間務めていた。転機が訪れたのは知り合いから頼まれた一つの作品だったと言う。
「ある日、服屋の店長の誕生日に“夢”って書いた色紙をプレゼントしたんだよね。そしたらすごく喜んでくれて、その字をTシャツにしよう!って言ってくれて。あぁやっぱりおれは描きたいんだなって気付いたんだ」
そこから仕事を辞め筆を握ったものの、それだけでは食べていけない日々が続いた。
踏み込んだ先で、葛藤と焦燥と譲れない想い。
独立当初、絵だけでは十分に稼げなかったため、日中は南三陸町に隣接する登米市で移動販売で三陸の乾物を販売し、夜にデザインの仕事をする日々が11年続いた。そうして過ごしているうちに同級生たちは結婚し、社内で昇進し、子育てをしていた。
「どうしても周りとの差を感じてしまったよね。自分なにやってるんだろうって。でも、おれには絵しかなかった」
身の回りの小さな評価だけで自分のデザインが判断され、同世代と比較される環境。それでも、決して折れなかった絵の道。その道に光明をもたらしたのはSNSだった。
Facebookに作品を掲載し始めたのが8年前。そこからヤスさんの世界が変わった。
「友達じゃなくても“いいね!”を押してくれたり、コメントでオリジナル作品のオーダーも来るようになった。今までと違って見知らぬ人たちから評価されることが自分の自信になったし励みにもなったよ」
今では4年前から始めたInstagram経由で作品の注文やオーダーがあると言う。そうして描き続けてるうちに、ヤスさんの絵はどんどん進化していった。
「絵の世界」へ。切り開き続ける道。
作品を描き続けているうちに、自分の道の先にはまだ誰もいないことに気が付いた。
「先輩って人がいれば良かったのかもしれないけどさ」
「墨絵の絵師さんはたくさんいるけど、おれみたいな人はいない。手本も見本も先輩もいない世界だね」ニンマリと笑みを浮かべるヤスさんから、本当に楽しくって仕事をしていることが伺える。
ここまでたどり着くのにどれほどの壁を超えてきたのだろう。
ヤスさんの絵のルーツについてお聞きすると「自分自身の環境だったろうな」とポツリと呟いた。
表現することから始まった絵の道
「幼稚園とかその頃から絵を描くのが好きだったよ。」
幼少期の時点でヤスさんはすでに絵を描いていた。中学、高校と文化祭などの行事ではもっぱらポスターなどを自ら手を挙げ描いていたと言う。
「その中でも一番は、小学6年生の時の愛鳥週間だなぁ。イヌワシの絵で全国2位になったんだよ!」
今ではどんなイヌワシを書いたかは正確には思い出せないが、蔵王に行って表彰されたことは印象的だったそうで、そこから様々な賞を取り続ける学生時代を過ごした。
当時習字を習っていたヤスさんは「習字で字を書きながら絵が描けたら面白いのになぁ」と考え、そこから今のスタイルが始まった。
「習字ってさ、かすれが魅力だと思うの。このかすれを意図的に出せないかなと思ってさ、線を一本一本描くようになるわけ。志津川の海の波をイメージして最初かすれ線を描いてね。それはいまだにそうで、かすれ線=波なんだよね」
独立し2年目の頃、人生で初めて看板を描くことになった。依頼主は「弁慶鮨」さん。
震災後に仮設店舗で再開する際にも同じデザインで依頼され、そしてさんさん商店街の時も同じ物を。
「諸先輩方とか同級生におれはすんごく助けられていて。本当に助けられて。仕事少ないなってときに同級生から仕事の依頼が来る。不思議なんだよなぁ」
「今までお世話になった人たちに恩返しというか、できることは作品の価値をどう上げていくか、かな。」
羽ばたき続ける道
「特殊な仕事だよ。でも、なるべくしてなってる。なるべくして今こうなってる。ここポイントだね。」
わかる人にはこの言葉でわかるから。ふふふと笑う表情には、たくさんの感謝と喜びが見えた。
小さな世界から東北、日本、そして世界に。繊細かつ大胆な墨絵が南三陸から羽ばたき始めた。
幾多の試練を乗り越え、高台の新しい町に開店!居酒屋「鷲巣」
東日本大震災では多くの住民の人生が変わってしまった。彼もまた以前の仕事・暮らしができなくなってしまったのだが、胸に秘めた熱い想いを持ち続け、満を持して東団地に「居酒屋・鷲巣」を開店。激動の人生を歩む店主・三浦達也さん(51)にお話を伺いました。
地元重視のクリーニング店で
震災前の南三陸。志津川の中心部を走る国道45号線から一本南に入った路地に「みなとクリーニング店」がありました。いつも元気な親父さんを中心に家族が協力して盛り立てていました。二人の息子は、高校卒業後、家業を継ぐべく神奈川県内の同じ会社で三年間修業。
時代は昭和から平成へと変わり、各家庭に全自動洗濯機や乾燥機までも普及した頃、修行を終えた息子たちもそれぞれの役割をこなし活躍していましたが、町には大型機械を備えた「セルフ式コインランドリー」が進出し始めていました。
それでも、常連のお宅を周り、洗濯物を引き取ってはきれいに仕上げて届ける、昔ながらの顔の見える仕事を大切にする「町のクリーニング屋さん」でした。
平成17年(2005年)住宅密集地だった十日町裏で火災が発生。その際に店舗も自宅も消失。翌年再建したものの、平成22年(2010年)店主である父親が病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。
業務や家事を分担しながらの家族経営では、父親は二男・達也さんの「料理好き」を認めていたようで、クリーニング事業にこだわらずとも料理屋をやってみるのも良いかもな!と言っていたそうです。幼い頃から釣りが好きで、忙しい両親に代わり釣ってきた魚を捌き、食卓に載せたりすることも茶飯事だったといいます。
街ができてきた、気持ちが高ぶった
東日本大震災は、自宅はもちろん志津川の町をすべて破壊し、さらに母親をも失った達也さん。避難所や仮設住宅での暮らしの中で、かつてのようなクリーニング店はできないと割り切っていたと話します。
そうした中、かつて父親に言われていた「料理屋」への熱が湧いてきた達也さん。水産関連や施設管理のアルバイトで生活費を工面しながら、静かにその時を待っていました。
多くの住民が仮設住宅から高台の住宅に移ってきたし、地元の事業所も再建し賑わいが戻ってきたように感じていました。東団地の造成完了を待って、本格始動に向け準備を開始。震災から6年経ってしまったのは、「慎重すぎる性格もあるのかな?!焦ってもしょうがないしね」と笑います。
平成30年10月(2018年)、ようやく住宅兼店舗が完成したが、当時の勤め先では契約満了の年度末まできっちり働いていました。
「立つ鳥跡を濁さず」
きわめて慎重で真面目な男なのです。
そして、2019年4月。満を持して「居酒屋 鷲巣」が開店しました。
イーグルス応援団の巣
看板には「鷲巣」と書かれていますが、何と読むのですか?という質問がずいぶんあったという。
「当て字なんだけど、イーグルスって呼んでください」
ちょっと照れたように教えてくれた。
プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスが仙台市宮城球場(当時)に誕生して以来のファンであり、南三陸町に応援協議会が発足されたときからのメンバー(発起人の一人)の達也さん。
「球団からクレームは来なかったですか?」
「大丈夫じゃないですか?!開店祝いのお花も届いたし」
全くの愚問だったが、しっかり笑顔で答えてくれた。
待望の「居酒屋」開店で
オープンしてから、楽天の試合が中継されている時間は、ファンが集まってPV応援で大騒ぎだが、「夕方ふらっとサンダル履きで歩いてお出でになる方もいますよ」
新しい町に住むオジサンたちも、待ち焦がれていたようにちょい呑みに来てくれるそうです。
店内にはイーグルスグッズがこれでもかというくらい飾られており、楽天野球団の雰囲気が出ているが、「意外と女性客が多いですよ、楽天ファンでもないのに…」と豪快に笑います。野球に興味がなくても仲間同士が気軽に集まりやすい雰囲気が気に入り、女子会を開催するグループも少なくないそうだ。
カウンター6席、小上り座敷に8席。手頃な価格の料理と、こじんまりとした店内は、どこか友人の家にいるような落ち着いた空間となっています。
なお、メニューの多くは地元の新鮮な魚介類が中心だが、お客さんの意見も取り入れアレンジしながら出しているそうです。
「自分で釣ったものを捌いて食べてもらえば嬉しい。アナゴやタコなど地元の魚をどんどん提供したいですね」と目を輝かせます。
店主としてこれからの抱負を伺うと
「自分の船を持ちたい。沖でもっといろんな魚を釣って食べて戴くことができたら良いですね」
「秋、イーグルスが優勝争いを繰り広げて、ここでも盛り上がってくれたら最高!」
チームカラー・クリムゾンレッドの作務衣を着こなす店主の脇で、同色の暖簾も春の風に揺らいでいました。
インフォメーション
*居酒屋・鷲巣(イーグルス)
営業時間:18:00~22:00くらいまで(試合の状況により延長もあり)
定休日:毎週月曜日
住所:南三陸町志津川東団地内 結の里向かい
みんなで育むスポーツの場/あくてぃぶ!
南三陸町内で活動するスポーツ団体を紹介する本テーマの初稿は、ライター本人が部長を務めるサークルから。町内外から様々な人が集まり、夜な夜なスポーツをしている「生涯スポーツサークルあくてぃぶ!」について。
「生涯スポーツサークルあくてぃぶ!」とは?
皆さん初めまして!「生涯スポーツサークルあくてぃぶ!」(以下、あくてぃぶ!)の部長をしている佐藤慶治です。まず初めに「生涯スポーツ」とは“誰もが、いつでも、どこでも、気軽に参加できるスポーツ”のことを言います。
「あくてぃぶ!」は2015年の11月に設立し、大学卒業後に町にUターンした2016年から本格的に活動を始めました。当初は参加者が集まらない日が何度もありましたが、苦戦しつつも1年続けていると徐々に仲間が増え参加者が増え、活動の回数も月に数回から週に1回になり、時には週に2回することもありました。スポーツの種類もバスケ、バドミントンにアルティメットなど幅広くみんなで楽しめる種目、やったことないけどみんなと一緒ならできるかも!と思えるものをやってきました。
その「自由」さと「いつ来ても楽しめる」空気感が特徴で、純粋にスポーツがしたい人や「バスケの時は行くわ!」という参加者もいて、その回ごとに顔ぶれがガラッと変わるのもみていて楽しいです。地元の方だけではなく、僕のようなUターンやIターン、町外からも参加者が集まっているサークルです。
きっかけは「スポーツは苦手、でも楽しい!なんで?」
「あくてぃぶ!」をやろうと思ったきっかけですが、そもそもぼくはスポーツが苦手です。
幼い頃から少年野球、水泳、陸上などさまざまなスポーツに触れてきましたがなかなか結果は出ず。中学の体育の授業ではマット運動の後転の際に右膝が右目を直撃するなど数々の珍プレーを量産してきました。お世辞にも「運動神経抜群です!いえい!」とは言えないレベルですね。
それでも今こうしてスポーツをしている大きな理由は、スポーツを通じてたくさんの大切なものを得てきたことに気付いたからです。大人になっても仲のよい友達や先輩方、練習を応援してくれていた近所のおじちゃんおばちゃん、みんなと笑って泣いた体育館やグラウンドのスポット。その一つひとつがメダルや賞状以上に価値があり、「南三陸が好き」という感情を形成していました。ぼくにとってスポーツはただの競技ではなく、違う側面の意味を持ったものになっていました。
スポーツは一つのツール、という認識
ぼくにとってスポーツは「自分の生活を豊かにする」一つのツール(道具)でした。
友達になるきっかけ、同じ遊びの中で思い出を共有する、毎日が楽しくなる、それが僕にとってのスポーツ。気負いせずに、純粋にスポーツを楽しむ中で育まれる人との関係性や時間の過ごし方が、その人の日々を豊かにしていくものだと考えています。
スポーツの場が持つチカラ
レベルや種目がバラバラなおかげで、活動中は自然と上手い人が教えてくれたり、みんなが楽しめるような工夫を凝らしたゲームなどを一緒に考えてくれます。
ぼく一人では見られなかった風景を、ここに集まるみんなで作ってきたと思っています。
これからも、みんなにとっての「より良い」を実現できるように楽しみながら続けていきたいです!
あくてぃぶ!の今後
今後は「多種目・多地域・多世代」に向けた活動をできればと考えています。
周辺市町村でのあくてぃぶ!や他サークルとの連携など、より総合的なスポーツの場になれればなぁと。
原動力は参加してくれるみんなからの「あくてぃぶ!があるからここでの生活が楽しいです」といった言葉の数々です。それがぼくにとっての、この町で生活する幸せですね。
2019年6月30日/定点観測
南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。
写真をクリックまたはタップすると大きくなります
戸倉地区
撮影場所 [38.642969, 141.442686]
志津川地区
撮影場所 [38.675820, 141.448933]
歌津地区
撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E]
他の定点観測を見る三陸のワカメ漁師が大集合!「第1回ワカメサミット in 東京」
2019年6月1日に、東京・中野にある「宮城漁師酒場 魚谷屋」で1回目となる「ワカメサミット in 東京」が開催されました。参加者は、7人のワカメ漁師と交流しながら、ワカメをはじめとする三陸の海の幸を堪能しました。
三陸のワカメや魚介を楽しみながら漁師さんたちと交流。
ワカメサミット会場の「宮城漁師酒場 魚谷屋」。開始前から続々とお客さんがやって来ます。イベントを主催するのは、東北の美味しい食材付きの情報誌を毎月届ける「東北食べる通信」と、東北の食や生産者の魅力を世界に発信するための事業を手がける「東の食の会」。それだけに、参加者は「東北食べる通信」の読者をはじめ、“食”や“東北”に興味・関心をもつ人が多いようです。
そしてゲストの漁師さんたちも順次到着。各テーブルに入って、一杯飲みながら参加者のみなさんと交流します。会場は和やかな雰囲気に。
いよいよイベントスタート! 「東北食べる通信」の新編集長、成影沙紀さんに続き、ゲスト漁師を代表して岩手県大船渡市の千葉豪さんが挨拶。威勢のいい「乾杯!」が店内に響き渡りました。
ワカメサミットの料理は、各漁師さんたちが採ったワカメや魚介を使った全6品の特別コース。一品目は「宮城県塩竈市の赤間俊介さんが採ったアカモクと石巻市の阿部勝太さんが採った昆布、気仙沼市の藤田純一さんが獲ったミズダコのカクテルサラダ」です。さっぱりした味わいは初夏にピッタリ!
美味しい魚介とお酒を楽しみながら話に花が咲くなか、ゲスト漁師の自己紹介タイムが始まりました。トップバッターは塩竈市の赤間俊介さん。続いて高橋直哉さんの登場です。「ワカメのことなら何でも聞いてくださいね!」とコメントしました。
浜や漁師によって異なる味わい。ワカメの奥深さを堪能!
さて、料理も進んで3品目。なかなかマニアックなワカメ4種の食べ比べです。高橋直哉さんはじめ、塩竈の赤間俊介さん、石巻の阿部勝太さん、大船渡の千葉豪さん、4人が育てた極上ワカメを、出し汁にサッとくぐらせていただきます。浜や漁師さんによって、ワカメの味はそんなに違うのでしょうか…?
半信半疑で食べてみると…。確かに違う!!
歯ごたえの加減や塩分の度合い、磯の風味などが少しずつ異なり、それぞれのワカメに各漁師さんならではの個性が表れています。ワカメの奥深さを実感しました。
おなかも満たされてきたところで、浜対抗・アームレスリング大会が始まりました! 7人のゲスト漁師がトーナメント方式で対戦し、参加者は優勝者を予想。当たった人には千葉豪さんの海産物セットがプレゼントされるとあって、みなさん気合が入ります。優勝者予想では、交流を深めた“推し漁師”を挙げる人が多数。さぁ、どの漁師が勝つのでしょうか…?
トーナメントが進み、決勝戦。店内が熱気に包まれるなか、勝ち上がった藤田さんと宗さんが熱い戦いを繰り広げました。優勝したのは… 藤田さん! 藤田さんの勝利を予想していた人たちは大喜びです。敗れた漁師さんたちにも労いの声が飛び交い、大いに盛り上がりました。漁師さんたちの真剣勝負、見ごたえたっぷりでした!
〆となるワカメおにぎりをいただき、ワカメサミットも終了の時が近づいてきました。最後に、本日のゲスト漁師7人が、ワカメへの想いや参加者のみなさんへの感謝を20秒メッセージで伝えました。高橋直哉さんは、「今日、どうやったら美味しいワカメができるのかわかりました。食べてくださるみなさんのことを考えながらつくることです!」とコメントし、会場を大いに沸かせました。
集合写真を撮り、お開き。漁師全員が並んで参加者のみなさんを見送ります。「漁師のみなさんとお話しできて楽しかったです!ありがとうございました」「あんなに美味しいワカメを食べたのは初めて。ごちそうさまでした!」と、参加者のみなさんは満足そうな様子で帰っていきました。
大盛況に終わった「第1回ワカメサミット in 東京」。これからも続けていく!という決意を込めて、「第1回」を冠したそうです。ワカメサミットに参加してどうだったか、高橋直哉さんに聞いてみました。
「ワカメ漁師が一堂に集まる機会は少ないので、美味しいワカメをつくるための情報交換ができて、とてもよい刺激になりました。ワカメサミット参加前は、美味しいワカメをつくるには養殖技術の向上が一番大事だと思っていましたが、何よりも大切なのは、消費者のみなさんが『美味しい!』と思うことだと気づきました。みなさんにとって美味しいワカメをつくるために、これからもがんばります!」
日本のワカメはますます美味しくなる…! そう確信した夜でした。国産ワカメを食べて、ワカメ漁師さんたちを応援しましょう!
「演劇」がつくる「ごきげん空間」。町の民話を基にした創作劇で公演
都内の劇団員などを中心に結成される演劇団体「ごきげん一家」。7月12日(金)には志津川東復興住宅第2集会所にて、13日(土)は南三陸町生涯学習センターで、町に伝わる民話をアレンジした演劇を上演予定です。活動開始から1年余り、本人たちの予想を超えるほどに広がる「ごきげんの輪」について、くまちえりこさん、浅川芳恵さん、目谷哲朗さんの3人に話を伺いました。
「演劇で復興支援を!」と劇団員に呼びかけ結成
「観る人も演じる人もごきげんに」をモットーに結成された演劇集団「ごきげん一家」。
団体発足は、代表の子安麻希さんが2017年に南三陸町内で実施された演劇のボランティア公演に参加したことがきっかけでした。施設や道路などの復旧復興がすすむ中で、心の復興やコミュニティの構築といったソフト面がこれからの課題であることに直面。娯楽施設がなく、文化的な体験も難しいといった状況を垣間見て、「団体を立ち上げ、南三陸町民に演劇を見てもらうような機会を作りたい」と演劇仲間に呼びかけ、メンバーを集いました。
「8年前、公演を控える芝居の台本を読んでいるときに、大きな揺れが襲ってきた」と話す、くまちえりこさん。「『芝居で一流になりたい!』と上京してから、劇場に来たお客さんの心に響き、生きる活力が生まれるような演技を目指して、これまで芝居を続けてきました。ただ、『演劇を丸々届ける』というこのお話しを聞いたとき、それ自体が人のためであって、今まで『演劇を手段に人の役に立ちたい』と思っていた私にとって、こういう方法もあるのか、と新鮮な驚きでした」と振り返ります。
震災直後、福島にボランティアに行ったこともあるという目谷さんは、「南三陸は特別縁のある場所ではなかったが、人を笑顔にしたい!という想いで演劇をやっていたので、お誘いいただいたので乗っかったというのが正直なところ」と話します。
「自分たちでゼロから企画して作れるということにワクワクしていた」と話すのは浅川芳恵さん。公演前にボランティア作業で南三陸を訪れ、そこで活動を共にした南三陸町の方の震災から今までの話などを聞いて、人々の力強さに驚いたといいます。「私にとっては最初の南三陸公演は“恩返し”の気持ちが強かった」と振り返ります。
「南三陸」を中心に広がる縁
2018年1月の団体設立から、3月末にはメンバーが確定。8月の南三陸公演に先だって、5月~7月にかけて、東京で南三陸の民話をもとにした投げ銭公演を実施。5月からは月に一度、荒川区のマルシェに出店し、町の特産品を販売するなど、南三陸町や団体のPRを行ってきました。
そして迎えたメインイベントとなる南三陸公演。震災直後から南三陸町へのボランティアバスを企画していた「一般社団法人ボランティア東北ファミリア」が運行するバスで南三陸へと向かい、震災遺構の見学ののち、公演を行いました。
南三陸公演のあとも、同じように都内で南三陸を応援する企業や大学生との出会いがあり、活動の輪は徐々に拡大。大学生の主催する南三陸イベントでは、お寺の本堂で演劇を披露したり、3月には復興応援演劇イベントを主催するなど多様な活動を行ってきました。
「復興支援で演劇をやりましょう!ということで始まった団体ですが、実際に活動してみると“南三陸”というキーワードで、まったく想像もしていなかったほどに、世界がどんどん広がっていくんです。『演劇を手段で何か…』という夢をこの活動を通じて、叶えさせてもらっていて、人生が何倍も充実しています」と目を細める浅川さん。
「劇場での公演は、公演後お客さんはパッと帰ってしまうことも多いですが、ごきげん一家の演劇では残ってお話しをしたり、にこやかになっていたり、その様子を見ながら、団体名のように“ごきげんな空間”が作れているんだなという手ごたえももっていました」とこれまでの演劇からの違いを感じていたと、くまちさんは話します。
子どもから大人まで楽しめる民話をアレンジ
新たなメンバーも加え、今年の公演に向けた準備が進んでいます。演劇の内容は「町民には親しみをもってもらい、町外の人には南三陸を知るひとつのきっかけになる」との想いから、昨年に引き続き、南三陸の民話を元にしたオリジナルの脚本を作成。
今年は、繁造というぼんやり者が主人公の「婚礼に行った繁造の話」という歌津の民話、南三陸町入谷桜沢地区にいた大食らいの宗吉が主人公の「風取らす」(ふうとらす)という民話をアレンジした2本の創作演劇を実施。現在、南三陸公演に向けた最終稽古に勤しんでいます。
昨年の経験を踏まえ、「より多くの地元の方々に演劇を楽しんでもらいたい!という気持ちが強くなりました。なじみのある地名などが登場する民話に親しみをもって聞いてもらえる方もいれば、子どもたちであれば地域に伝わる民話に触れる機会になれればと思っています」と3人は声をそろえます。
こうした思いから、今年の公演場所は、地域の方がより集まりやすい復興住宅の集会所と新しくできた生涯学習センターで公演を開催。「さらに、隣接した登米市や仙台からもお客さんを呼んでいて、南三陸のファンを増やすような場にもできれば」と意気込みます。公演終了後には交流会も実施。来場者と懇親を深めながら、「ごきげん空間」をつくっていきます。
観客も、演者も、地域も、ごきげんに
「初めて南三陸に訪れたときから、復興支援で来たはずなのに、温かく受け入れてもらい、逆に力をもらっていました。今も、南三陸の方々は『NO』と言わずに、とにかくまずは『YES』と答えてくれて、なにか相談すると、それができる道をいっしょに探してくれます。そうした姿勢にいつも教わってばかり」と話す浅川さん。
団体の結成から活動を進めるごとに、魅力にハマっていったという目谷さん。「劇場から出て演劇をやってみたい、という夢を持っていました。飲食店でやった投げ銭公演では、本当にお客さんと目と鼻の先の距離感で芝居をやることができたり、この団体の活動に個人の夢が重なってきている。ゆくゆくは南三陸で演劇のワークショップなども行いたい」と意気込みます。
「南三陸のため」に始まった小さな演劇の輪。演劇を通じ地域の人々の笑顔に出会った団員たち。そして、活動を続けていくうちに、演者自身の夢や目標も重なり合い、ボランティアや復興支援の演劇という枠を超え、役者としての成長や、新たな演劇のあり方の模索といったところまでつながっています。さらに、演劇文化に触れるだけではなく、民話の伝承として地域振興にも貢献。
観客はもちろん、演者も、地域も「ごきげん」になる、「三方よし」の演劇。
その「ごきげんの輪」はこれからも広がっていきます。
インフォメーション
ごきげん一家 南三陸公演 飛びだす演劇!ごきげんの輪
7月12日(金) 場所:志津川東復興住宅 第2集会所(結の里おむかい)
12:30 開場
13:00 演劇公演&交流会
(15:00 終了予定)
7月13日(土) 場所:南三陸町生涯学習センター
10:00 開場
10:30 演劇公演&交流会
(12:30 終了予定)
クラウドファンディング実施中です。詳細は下記より
https://kanatta-lady.jp/projects/view/gokigenikka#project_content_area
高齢者も子どもも、障がいのある人も、みんなでお花を育てよう!
初夏の日差しが眩しい6月のある日。東日本大震災で被災した住民たちが暮らし始めた、歌津伊里前地区 中学校上団地で、ちびっ子から高齢者の方まで多くの住民が集まり、プランターにたくさんのきれいな花を植えました。「人権擁護委員」のみなさんによる試みに、たくさんの笑顔も咲きました!
心の花も咲かせます
気仙沼人権擁護委員会(南三陸地区)が南三陸町保健福祉課と共に企画した「令和元年度南三陸町人権の花運動」が、4月に新築再建された「社会福祉法人洗心会生活介護通所施設・のぞみ福祉作業所」を会場に開催されました。
南三陸町歌津伊里前地区は、8年前の大津波により壊滅。多くの住民が高台移転を余儀なくされました。ここ、歌津中学校上団地は、自宅再建や災害公営住宅、保育所、そして障害者施設などが整備された比較的規模の大きな高台地域となりました。旧伊里前地区だけではなく、いろいろな地域から移転された方々も少なくなく、住民同士の交流やコミュニティの構築はこれからの大きな課題でもあります。
「新しくなった町で、子どもから高齢者が相互に協力し合いながら、花を育てる体験を通じて、協力することの大切さ、思いやりの心を育み基本的人権を尊重する精神を身につけてもらいたいとの思いで、開所されたばかりの『のぞみ福祉作業所』で開催することになりました」(主催者)
開会の挨拶に立った、人権擁護委員三浦房江さんは「みなさんがお花を育てるときに、『大きく育ってね』『きれいに咲いてね』と言ってお水をあげたり、雑草をとったりします。そんな時はとっても優しい気持ちになると思います。お花を育てるようにどんな人にも優しくできると良いですね。優しいことをされると人はうれしくて笑顔になれます。みんなで一緒に育てましょう」と、保育園長(前職)らしく、子どもたちにわかりやすく語りかけていました。
人権擁護委員会とは
法務大臣が委嘱した民間の方々で「人権擁護委員法」に基づいて職務を行う人権擁護委員。南三陸町では現在6名が活躍中です。
「地域の中で町民一人ひとりの幸福のため、人権尊重の考えを広く周知することも大事な役目です。人は生まれながらに幸せになる権利がありますので、何か困ったことや悩みがあるときは私たちに相談してさい。総合ケアセンター(志津川)で毎月第一・第三木曜日、歌津総合支所では第二火曜日に人権相談所を開設しています。今回の『心の花も咲かせます』も啓発活動ですが、このように子どもたちや高齢者、障がいのある方も一緒に参加していただいてうれしいですね」と人権擁護委員の佐藤富俊さんは話します。
キレイだった~。楽しかった~。毎日水やりする!
伊里前保育所からの年長クラス13名、年中クラス20名を含む総勢70名の参加者が4つほどのグループになり、日日草やベゴニアなど色とりどりの花を植える作業が始まりました。高年齢の住民は、孫のような園児たちに植え方を教えるのが楽しくて仕方がない様子です。子どもたちも次第にコツをつかみ、笑顔が増えてきました。初めはぎこちなかった障がいのある方々との共同作業も、一緒に楽しむことで打ち解けてきます。用意した50個のプランターは、あっという間に綺麗な花のお部屋になりました。
「綺麗になったプランターは、のぞみ福祉作業所や災害公営住宅のほか、集会所や伊里前保育所にも置かれます。これからみんなで大事に育てましょう。」と行政区長の熊谷健一さんの心強い宣言もありました。
保育所の園児たちからは、「きれいだった~。楽しかった~」という感想も聞かれ、「毎日水やりする!」元気で大きな心意気は頼もしく感じました。
新しい町の住民交流への期待
会場となった「のぞみ福祉作業所」は、志津川廻館にあった施設が震災で壊滅的被害を受け、8年の歳月を経てこの地に建てられました。震災直後からプレハブや仮設の建物で継続してきましたが、この春、念願の本設施設が完成し、4月1日から本格的に活用されています。
新しい町=団地に暮らしている住民の方々には「のぞみ福祉作業所」の活動内容を知ってもらう必要があり、今回のイベントがきっかけとなって、今後利用者さんと住民との交流が深められればありがたいと法人では期待しています。
のぞみ福祉作業所森伸也施設長からは「私たちの法人の経営理念の一つに『私たちは地域福祉に貢献する』という文言があります。これからどのように地域のみなさまに関わっていこうかという中で、今回の『花を植える運動』を通じて交流できたという事は、大変よい機会になったと思います。この花のように笑顔咲き乱れる地域に私たちもしていきたいし、笑顔の絶えないのぞみ福祉作業所にもしてまいります。これからもご協力お願いいたします。」と、感謝の言葉が述べられました。