南三陸町で進められている様々な研究の数々の発表が行われる「南三陸いのちめぐるまち学会」の第2回が11月23日(木)に開催されました。この記事では学会当日に発表された、南三陸町を舞台に進められている各種研究発表の後半の様子をレポートします。
再生エネルギーの課題と南三陸の資源
カオスな学会も後半に入りました。すでに筆者の頭の中は情報過多ですが、それ以上に南三陸という地方がこれほどまでに研究者を唸らせる土地だということに感動しています。
前夜祭、学会前半の記事はこちらから。
第1部3つ目の研究プロジェクトは宮城大学の西川真純先生による「地域と育むカーボン・サーキュラー・エコノミー拠点」について。
脱炭素社会に向けた日本国内の動きとして、温室効果ガスの削減とそのために従来の化石燃料から再生可能エネルギーの転換などが政策として進んでいます。しかし、再生エネルギーが抱える課題として天候の影響を受けやすいことやその土地の景観と生態系への影響が懸念されており、地方には自然環境と経済が共存する地域社会、社会価値の創造が求められているという現状があります。
そこで、南三陸が持つ志津川湾の藻場資源を磯焼けから回復させ、ブルーカーボン資源にしよう!というのが今回の本題になります。
緻密な現地訪問と調査、ワークショップの実施
まずはウニの現状を調査。磯焼けの解決には増えすぎたウニの間引きが必要なことが分かりましたが、漁師さんたちは磯焼けによって身入りが悪くなったウニを獲らないこも判明しました。そこで、磯焼けウニを養殖することで身入りを改善し商品化、ウニの加工も手作業にはある程度のスキルが必要なことやその従事者の減少への対策として作業のロボット化を進めることでコスト削減と生産性の向上に繋がります。結果として藻場は再生し、ブルーカーボン資源に近づくことができるという筋書きが出来ました。
研究チームは南三陸町で3回のワークショップを開催。環境課題をテーマにのべ79名の町民が参加し、様々な意見を集めました。
その結果、環境ポジティブをキーワードに南三陸町のカーボン・サーキュラー・エコノミーのビジョンが見えてきました。ワークショップの際に挙がった「地域の二酸化炭素の見える化」や「関わり方の仕組み作り」という意見に対してのアンサーにもなっており、地域住民がそれぞれの立場から関わることで、持続可能な地域としてカーボンニュートラルを達成できる未来を描くことが出来ました。
第2部:文系の視点を深掘りする
続く第2部では、静岡文化芸術大学の内尾太一准教授らによる文化人類学についての講演。震災直後の4月から南三陸に入り、今日に至るまで様々なフィールドワークを行ってきました。活動を続ける中でその研究が「深さ」と「遠さ」がキーワードであることに気付いたと言います。
「南三陸町で震災の歴史を調べるうちに、遠く南米のチリとの繋がりが見えてきました。イースター島から寄贈されたモアイ像のルーツを辿るべく、実際にイースター島に足を運びました。現地で見たのは、東日本大震災の翌日に、チリに津波が押し寄せ被害が出ていたことです。」
1960年に起きたチリ地震津波の時とは逆で、東日本大震災の津波がチリのプエルト・ビエホに襲来し、100軒近い民家が流失、幸いにも犠牲者は出ませんでした。イースター島では南三陸町に寄贈されたモアイ像を造った方にもお話しを伺い、モアイツーリズムを通じてチリと南三陸町という町外の繋がりを見出しました。
▷内尾先生がチリを訪問した際の寄稿記事はこちら
南三陸から遠く離れたチリでの研究の後、最近では震災当時に三陸沖から諸外国の海に流れてしまった震災起因漂流物を調査し、それらによる生態系への影響を調査中。南三陸から始まった研究は北米までつながりました。
「南三陸を深く掘り下げるうちに、思わぬところで遠くに繋がりました。これが経験と探索の時間が跳ねる瞬間だと捉えています。この瞬間はいつも町の人との対話から生まれ、私たち(文系研究者)のやっていることは本質的には誰かとの協働作業であり、そうすることで一緒にこの町の新しい物語を紡いでいくことでもあると考えています。」
南三陸の文化人類学―今ここから、深くー
先ほどの内尾先生に続き山崎真帆さん(東北文化学園現代社会学部助教)と、菅原裕輝さん(大阪大学大学院人文学研究科特任教授)のお二人による発表。山崎さんは学生時代に震災後のボランティアとして南三陸に通い、現在は仙台で教鞭をとりつつ休日は南三陸で暮らしています。
発表では南三陸が現在の形にまとまっていく過程に着目し、町がハマ・マチ・ヤマという3つの集落に区分していることからこれまでの暮らしや災害の現れ方を深掘っていった過程を紹介。
その中で、入谷地区(ヤマ)は志津川地区(ハマ)が災害に見舞われた際にすぐさま救助活動や炊き出しが始まったことから、古くからそうした助け合いがなされていたこと、それぞれの暮らす集落で果たす役割が歴史的にも存在していたことが語られました。
「文化人類学とは“今ここで起きていること”を理解するために深く深く掘っていく作業です。掘っていく先で私が辿り着いたのが『めぐり』で、私自身住民であり研究者としてこの町に根ざした『めぐり』に参加していきたいです。」
菅原さんは「移住者の未来像」をテーマに南三陸町のビジョンと、移住者の未来像についてインタビュー調査を実施。南三陸のビジョンに共感し移住後の生活を楽しむ一面と、都会と異なる収入や生活の違いからくる「未来のなさ」を理解し、広く共有することが今後必要になると話します。
「移住者が持つまちづくりの未来像、価値観を共有することが大事です。自然との共生以外にも経済など社会的視点を重視させるような形でローカルなビジョンをアップデートする必要があるかもしれません。」
まちと研究者の両者による未来の開拓
会の最後は31団体のポスターセッション。2つの会場を使って企業の取り組みや研究内容を掲示します。町内からも14団体が参加しました。
理系文系問わず、南三陸町の自然環境を題材にした様々な研究活動が行われていることが伝わってくる2日間となりました。「被災地だから」ではなく、研究対象として価値のあるフィールドだから選ばれていることが随所から感じられます。
会の振り返りでは「次年度は町の中高生も参加できる時期に実施してほしい。」「町内の方にもっと知ってもらえる機会にしたい。」など、学会の波及効果を高める案や、巻き込む人の層を広げていきたいという声が挙がりました。
総評を述べた中静透さん(森林研究・整備機構理事長)は「会を通した共通テーマだったものは“対話する”、生の声を聞くことでした。発表にもあった通り、研究はひとりではなく地域や住民との共同作業ということを忘れずに、これからも南三陸町での研究活動が深まっていくことを楽しみにしています。」
地域の未来を広げ価値を高めていく中で、地域住民と研究者の方々がより手を取り合うことが何よりも重要だということ、南三陸というフィールドの希少性や町民がまだ知らない魅力について深掘りされた学会は熱狂の渦を残したまま閉会となりました。次回はよりカオスな会になることでしょう。