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    「スポーツを心から楽しめるように」/阿部純子さん

    南三陸町のスポーツ団体を紹介するこのテーマ。2回目は子どもたちの「初めてのスポーツ」の場を作っている阿部純子さんの「Hop Kids Club南三陸」を取材しました。震災後に感じた違和感から子どもたちへの想いをお聞きしました。

    噂の人物だった純子さん

    以前、町内でスポーツに関する活動をしている人を探していると色んな人に相談していた時、必ず名前が挙がったのが阿部純子さんでした。今回取材のためお邪魔したのは歌津にある「平成の森」。時間になると子どもたちの元気な挨拶がアリーナに響きます。

    とそれ以上に大きな声で挨拶をしているのが純子さんでした。「さ、今日もいっぱい身体動かすよー!」

    到着早々、走り回ったりボールで遊ぶパワフルな子ども達

    出来た!を感じるプログラム

    この日はマットを使った運動が中心。アップで全身運動を丁寧に行います。

    小ダッシュ、ハードリング、学校の体育などではあまり見かけないですが、様々なスポーツに応用できる動きを取り入れています。

    「○○くん!いいねー!もっと細かくステップ踏んでみよっか!」

    「こないだよりできるようになったねー!すごい!」

    純子さんはアドバイスもそうですが、子どもたちの良い動きを見つけ、教えていました。

    どういう動きが正しいのか、体を正しく動かせているのか、これを自分で“わかる”かどうか。認知させることで「出来ている」という達成感を得るのに必要な声がけです。

    いよいよメインのマット運動。倒立前転と側転、そしてバク転の練習などをしました。

    出来る子にはチャレンジを、もう少しの子は支えつつも自分で出来るようなコツを教えています。

    全て純子さんがサポートするわけではなく、あくまでも子ども自身が出来るようになるために。一歩引いた距離感で教えているのが印象的でした。

    「せーの・・・それっ!踏ん張れー!」

    体を支えつつ、倒立時のコツを教える

    インストラクターから始まったお仕事

    純子さんがこの活動を始めたのは2013年の5月あたり。
    最初は娘さんとその友達に楽しい運動を教えようと始めたと言います。

    「大学を卒業してから、スポーツクラブのインストラクターとして働いていました。その後、営業課長にもなり29歳まではそのクラブで働きました」

    それからシステムエンジニアに転職、結婚し歌津に暮らすようになり、10年ほど前から現在のようなフリーのインストラクターになったそうです。

    「町外にも仕事で行きます。幼児から高齢者まで幅広く接しています」

    町外どころか県外まで行っている本当にパワフルな純子さん。そのスポーツへの熱い想いについて聞いてみました。

    マットを片付けた後はドッヂボール!これもまた運動の一種。

    体を動かす楽しさを知るために。

    「始めた頃は町内の広場は全て仮設住宅だし、復興というよりは復旧作業で遊び場がないので、少しでも思い切り動ける場所を!と思って始めたけど、今は道路もよくなり、習い事に通える範囲が広がり、スポ少の選択肢も増え、私が提供しなくとも動けるようになったんだな、とは思います」

    「それでも、遠方に通えない、スポーツ少年団に入るほどではない、どちらかと言えば運動が苦手な子はいるので、そんな子どもたちにも運動の楽しさを教えたいと思います。“スポーツ”の楽しさではなく“運動”の楽しさです」

    純子さんの中で、スポーツと運動の違いについて聞くとこのように教えてくれました。

    「日本だとスポーツ=競技性を持つ運動、と捉われがち。そうではなく『体を動かす楽しさ』を身に着けさせたいです。それから、スポーツ少年団という『単一のスポーツ』でなく、小学生のうちに身に着けたほうが良い様々な動きをモットーにしています。スポ少の選択肢が増えたとはいえ、この町で世の中の様々なスポーツに触れる機会は少なく、それ以外のスポーツをやりたくなった時に役立つような、そんな指導を目指しています」

    成長を感じられる空間に。

    固定の種目の競技力向上ではないため、なかなか成果が見えにくいこともあります。

    「今日、明日の成果は見えにくく、続ける意欲へとつなげるための工夫は必要ですが、その子が5年後に『やっててよかった』と思えるような運動を教えていきたいですね」

    純子さんはそう言うと「前にこんな子がいてね」とある男の子の話をしてくれました。

    「運動音痴の子だったんだけど、ここで逆立ちの練習をしたら出来るようになって。その後学校の授業で逆立ちをみんなでやる時にみんなの前で披露したんですって。そしたらその瞬間からみんなのヒーローですよ、その子!他にも、出来ないからやりたくないと体育館の隅っこにいたような子も、どんどん足が速くなってからは他のことも積極的にやるようになりましたね」

    子どもたちのそうした成長を間近で見られるのが心から嬉しい。
    先生であり、お母さんである純子さんだから気付ける子どもの成長。

    小さな「できた!」をコツコツ積み重ねて行くことで、自信へと繋げていく。
    スポーツや運動の本質を形にした「初めてのスポーツの場」は今日もまた笑顔に包まれていました。

    草木に彩りと輝きを与える、小さな「ボタニスト」。

    「Botanist」--。英語で「植物学者」の意。その文字をとって「ボタンちゃん」と親しまれているのが大渕香菜子さんだ。ひとたび山にいっしょに入れば、目につく草木たちの物語を教えてくれ、「雑草」として一括りにしていたような植物が、それぞれに輝きを帯びていくような感覚にしてくれる。

    東京世田谷出身の大渕さん。アウトドア好きの親の影響もあって小さいときから、金時山や高尾山といった山に登っていたという。

    南三陸との出会いは、植物に興味を持ち続け進学した東京農業大学の4年生のとき。日本自然保護協会の調査員として、震災後の気仙沼・南三陸に残る自然の記録を行った。わずか1週間の滞在だったが、これまで教科書でしか見ていなかった植物がたくさんあり、この土地に魅了されていた。その後も継続して調査をしていき、修士課程終了後、南三陸へ移住を決断した。そこには研究者として大渕さんが大切にするある想いがあった。

    「研究者として調査して学会で発表して終わり。ではなく、調べたことを、現場、地域に還元をしていきたい」

    研究者として、輝きを放つ南三陸の土地。その輝きを地域や、訪れた人に伝え、広まっていったとき、南三陸の山々は宝の山となることだろう。

    2019年7月31日/定点観測

    南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

    写真をクリックまたはタップすると大きくなります

    戸倉地区

    撮影場所 [38.642969, 141.442686

    志津川地区

    撮影場所 [38.675820, 141.448933

    歌津地区

    撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

    他の定点観測を見る

    震災で感じた食の大切さを伝えたい/内海明美さん

    国道398号線沿いにある「コミュニティ・カフェ こもんず」。店長を務めるのは内海明美さん。震災前は設計事務所に勤務していたが、大震災で食の大切さに気付き震災後は飲食業を営んでいます。震災から8年たった今もその想いは、変わらず町内での食育活動に力を入れています。

    震災を通して感じた、食の大切さ

    国道398号線沿いにある、こげ茶色をした木造2階建てが「コミュニティ・カフェ こもんず」です。低価格でボリュームある食事が提供されていることから、お昼時は賑わいを見せます。店長を務めるのは、内海明美さん。震災前は設計事務所に勤めていました。

    東日本大震災で夫を亡くし、自宅も流されすべてを失いました。内海さんは志津川高校に避難。約200~300人の避難者が詰め寄り、「何かしなきゃいけない」との想いで避難所運営に尽力しました。もちろん一人で出来る訳もなく、各分野に詳しい人に協力をお願いすることで、支え合い運営してきました。すべてを失いながらも、避難所運営に奔走するなかで食の大切さを実感したと話します。

    大震災から月日が経ち、それぞれ次の避難所へ移ることに。気づけば協力して運営してきた避難所が、居心地の良い環境になっていたと話します。なかには離れることが寂しいと言ってくれる人もいました。「離ればなれになっても、みんなが集える場所が欲しい」その想いで内海さんは居場所を作ろうと動き始めます。

    女性1人でも気軽に入れるお洒落な店内。

    “こもんず“ みんなが気軽に集える場所!

    震災から程なくして住民の人達が気軽に集える場所として、カフェ営業を仮設店舗でスタートさせました。ボランティアの受け入れもすることで、地域住民のみならず住民とボランティアの出会いの場所を目指して活動してきました。そして2014年にリニューアルしてオープンしたのが「コミュニティ・カフェこもんず」でした。コモンズ(Commons)とは、「共有の場所、集える場所」という意味があります。支援をきっかけに仲良くしている人が、内海さんの活動を見てcommonsと名付けました。

    仮設店舗から現在営業している店舗で営業をスタートさせたのは2016年7月でした。店舗は前職の繋がりを活かし、伝統的な木造建築工法である板倉工法で建設しました。外装は塗装し、店内の照明や小窓には琉球ガラスを使用、瓦も赤い瓦を使うなど隅々まで工夫が施されています。

    木の香りと温もりが出迎えてくれ、照明に使われている琉球ガラスがお洒落な雰囲気を出しています
    店主オススメは最近リニューアルしたタコライス。開店当初からある看板メニュー

    食の大切さ伝えたい!町内で食育プログラム開催

    震災を機に感じた食の大切さを忘れず、活動している内海さん。一昨年からはカフェの営業時間外を活用して、町内での食育プログラムに力を入れています。料理せずとも食事を取ることが出来る社会になったことから、食への関心が薄いと感じている内海さん。なんとなく食事を取ることができれば良いではなく、原材料や食事バランスに少しは関心を持ってほしいと話します。また食への関心の低さからか、料理ができない人が増えているように感じています。「人間にとって大切である食への関心が疎かになってはいけない」と食への想いを語ってくれました。

    そのため、町内で小中学生を中心とした、食育プログラムを開催することに。プログラムを通して、食べることや料理に興味関心を少しでも持ってくれると嬉しいと話していました。おととしから本格始動し、料理教室を何度か開催。去年からは食材を育てる所からや、作る所から始めるプログラムを実施。町内の体験活動施設協力の下、シイタケ作りや豆腐作りを実施しました。食育プログラムを通して、子ども達に食の大切さを伝えていきたいと意気込んでいます。今年も何度かプログラムの開催を予定しています。

    食の大切さと生産者の想い

    震災から8年、震災時に感じた食の大切さを胸に今もなお、活動している内海さん。

    「料理ができるまでには、いろんな人の想いが込められています。生産者や料理してくれる人への感謝の心は忘れないでほしい」と話していました。

    復興と共にコミュニティの再構築が、今課題とされているこの町で“コモンズ”が今後どのようなコミュニティを築くのか。食育プログラムに限らず、どのように食の大切さを伝えていくのか。食への愛情がたっぷりな内海明美さんの今後の活躍に期待が高まります。

    インフォメーション

    営業時間:11:30~17:00 夜は要予約

    定休日:日曜日

    お問い合わせ:0226-25-8913

    住所:本吉郡南三陸町志津川字廻館100番地9

    第7話 ズバリ、出産後にもらえるお金って?賢く使おう「子育て世帯応援券」

    前回の記事「実際いくらかかるの?気になる出産費用を公開!」では、主に医療機関に支払うお金について、リアルな数字を紹介しました。今回は、ズバリ「もらえるお金」についてです。

    出産後、もらえたお金は4種類

    私の場合は、出産後もらえたのは次の4つ。

    1、出産手当金
    2、育児休業給付金
    3、児童手当
    4、子育て世帯応援券

    1〜3については、国の制度なので、他のサイトや雑誌にもさんざん情報は溢れているので、ここでは簡単に紹介します。

    1、出産手当金・・・産前産後休暇(産前6週、産後8週)の期間、仕事を休んでいる分、健康保険から給付されるもの。それまでもらってた平均給料の約3分の2の額。

    2、育児休業給付金・・・育児休業期間中(産後3ヶ月〜子どもが満1歳になるまで。ただし、保育園に入れないなどの事情で育休を延長する場合は、最長2歳まで延長可)に雇用保険から給付されるもの。それまでもらってた平均給与の67%(6ヶ月経過後は50%)の額。

    3、児童手当・・・0〜3歳未満の子どもを養育している場合、15000円/月。3歳〜中学校卒業まで10000円/月が支給されます。

    出産して身にしみてわかる社会保障のありがたさ

    感想を述べると、「まじで日本の社会保障制度すごいよ!」

    前回も書いたけど、もう一度声を大きくして言いたい。毎月の給料からいちいち健康保険とか雇用保険とか引かれてるのもったいなく感じてたけど、「ほんと、社会と会社、ありがとう!!」いくら夫が働いてくれているとはいえ、これまで自分が働いてきた分の収入がなくなるってやはり不安です。私も、産休に入って夫の稼ぎだけで生活するんだ、という意識になった途端、自分の服1枚買うのも気が引ける瞬間がありました。それまでの収入の5割でも6割でも定時収入があって、子どもにだけ向き合っていられる期間が保証されているって、本当に幸せなことだと思います。

    一方で、私も妊娠出産を機に身にしみて感じたけど、これらの恩恵を受けられるのって、私がサラリーマンとして働いているからなんですよね。例えば、うちは夫が会社を経営していますが、仮に私が今の会社を辞めて夫の会社を手伝っていたとしたら、経営者の妻は雇用保険の対象から外れるので、育児休業給付金はもらえません。また、仮に私がフリーランスとして働いていて、国民健康保険に加入していたとしたら、出産手当金ももらえません。雇用されていようがいまいが、出産の前後、どうやったって動きが制限されるのは同じなのに・・・。女性のプチ起業で自分らしいライフスタイルを!とか、子育ても仕事も両立させたいから、勤務体系にしばられないフリーランスという選択肢を!とか、聞こえはいいけど、それを体現している人たち、どれだけ大変なことやっているか、って感じですよ。子育てに関する制度は確かに昔に比べれば整ってきたけど、多様化する女性の働き方には、まだまだ制度が追いついていないなぁ、と感じます。

    こういう新しい働き方も、移住も、同じことだと思うんですけど、スポットライトが当たっているところでは、みんなイキイキして、幸せそうに見えるんですよ。でも、そういう人に限って、その裏では人の倍努力したり、いろんなリスクをとったりしているんですよね。それでも叶えたい生活や自分の姿があるから、それを苦とも思わないって、その人は言うのかもしれないし、それってすごーくかっこよく、輝いて見えるけど、自分に果たしてそれができるのか?というのは、よーく考えなくちゃいけないことだよなあと思います。

    ある意味、一番わかりやすくて平等にありがたいのが、児童手当ですね。中学校卒業まで総額で約200万円もらえます。雑誌などを見ていると、教育費で本格的にお金がかかってくるのは高校以降だと書いてあります。高校から私立に行かせるなら、3年間で〇〇万円、大学が私立文系なら〇〇万、一人暮らしをさせるならさらに〇〇万・・・とか、読めば読むほど自信を無くしていきますが、児童手当全部貯金すれば200万にはなるから!というのは、一つの希望です、本当に。

    独自の子育て支援策「子育て世帯応援券」

    で、今回の記事のメインはこちらです。

    「4、子育て世帯応援券」

    これは、南三陸町の新たな子育て支援施策として、平成28年度から始まったものです。

    ※過去の記事でも紹介しています「【経済】南三陸町の子育て支援。子育て世帯応援券スタート!」https://m-now.net/2016/08/childcaresupport-soft.html

    子供の誕生時と小学校入学時に、それぞれ商品券が支給されます。その額は下記のとおり。

    誕生時・・・第1子3万円、第2子5万円、第3子以降10万円
    入学時・・・一律1万円

    なんと太っ腹!

    何かと物入りなこの時期には非常にありがたい政策なのですが、注意が必要という声もあります。

    ・「現金」じゃなくて「商品券」しかも、南三陸町商工会加盟店舗でしか使えない。
    ・子育て世帯応援券だからミルクとかオムツを買おうと思っても、それらを日常的に購入するスーパー、ドラッグストアは商工会加盟店舗ではない。
    ・有効期限が半年と決められているので、10万ももらっても使いきれない。

    うーん、わかる、わかりますその気持ち!

    私も正直、「町内店舗」じゃなくて、「商工会加盟店舗」なんだ!?って思いました。私は商店街もその他のお店もいくつか馴染みがあったので、使うのに困るってことはなかったですが、移住してきて日が浅ければ、確かに困ったと思います。

    でもせっかくの応援券、有効に活用しないともったいない!

    ということで、私の周りのママたちに、どんな風に応援券を使ったかヒアリングしてみました。

    子育て世帯応援券を有効に使う5つの方法

    1、子どものイベント時の外食費として使う

    まさに私はこのパターンでした。子どもが生まれて100日の頃に行う「お食い初め」。これを町内の料理屋さんで、義理の両親と姉を招いて、盛大に行いました。大人5人分の料理と、娘のための鯛の尾頭付きとお赤飯(もちろん、結局大人が食べる)で、3万円パーっと使いきりました。ヒアリングした中でも、家でお食い初めをするために、お寿司とお刺身盛り合わせのテイクアウトを頼んだ、という声もありました。応援券があれば、気兼ねなくごちそう食べられるし、思い出にもなるし、オススメの使い方です。

    2、家電を買う

    第3子などで、大きめの額の応援券があり、使いきれなさそう・・・という方にはオススメの使い方。町内に電気屋さんは何件かあるので、いつもはネットか量販店でしか買わないという方も、これを機に馴染みになっておくと、アフターフォローも気軽に頼めて安心ですよ。実際、赤ちゃんが生まれるのを機にエアコンを購入するっていう人、結構多いそうです。確かに、ストーブやファンヒーターは子どもがいたずらすると危ないですからね。

    3、内祝いに使う

    「出産祝い」をいただいたら、そのお返しとして贈るのが「内祝い」。特に第一子のときは、親類、友人、職場関係など各方面からたくさんいただくので、内祝い貧乏になりがちです。遠方の方には、南三陸の海産物やお菓子など、地域色のあるものを贈ると喜ばれそうですよね。

    4、子育てを助けてくれている人へのお礼として使う

    ヒアリングした中で実際にあった声です。

    「里帰り出産から戻ってくるとき、実母と妹が一緒に南三陸にきてくれたので、町内のホテルの宿泊費として使ってもらいました!半年くらい里帰りしてたから、感謝の気持ちを込めて、ゆっくり温泉に入って、おいしいものたくさん食べてもらいました!」

    「いつもサポートしてもらっている義母に、感謝のお手紙とともに商品券を渡したら、とても喜んでくれました!」

    とても素敵な使い方!子育てを応援する気持ちが巡ってますね。

    5、自分へのごほうびとして使う

    これも、ヒアリングしたなかで実際にあった声。

    「カフェでお茶飲んだり、おやつ買ったり、普段躊躇するプチご褒美を、子育てと仕事頑張ってるからと自分に言いながら使っては、その都度幸せな気持ちになってました」

    わかります!もらったお金でするプチ贅沢って本当の贅沢ですよね!子どもが生まれると、純粋に自分のためにお金や時間を使うことって後回しになりがちですが、応援券なら、気兼ねなく自分のために使えますね。なんてったって「子育て」応援券ですから!カフェやお菓子の他にも、美容院や、エステやマッサージが受けられるお店もあるので、プチご褒美にはいいかもしれませんね。

    「子育て世帯応援券」だけど、子育てのこと以外に使ったってOK

    いかがでしょうか?結構、有意義に使えそうな気がしてきませんか?

    もう一つポイントをあげるとするならば、子育て世帯応援券という名前はついてますが、子育てに全く関係のないことに使ってもいいんです。だって、中身は普通の商品券で、どこにも「子育て」なんて書いてないんですから。日々のお買い物や飲食に商品券を充てて、浮いたお金でオムツ買ったりランドセル買ったりしたらいいんです。町をあげて子育てを応援してくれているんですから、ありがたく有効に使わせていただきましょう!応援券で、お金がめぐり、子育てを応援する気持ちもめぐる、いいサイクルがたくさん生まれていくといいですね!

    南三陸で活躍する地域おこし協力隊の今(後編)

    5月13日(月)、役場第二庁舎で2018年度地域おこし協力隊活動報告会が開催されました。会場には地域おこし事業に関わる関係者30名ほどが参加。隊員は少ない持ち時間の中で、南三陸町にかける想いと自身の活動を報告していました。報告会の後半の様子をお送りします。記事前半はこちら

    農業の魅力を子ども達に伝えたい

    2018年12月に新規農業振興推進員として着任したばかりの、松田ゆきさん。「コレクトフード」と題した、オーガニック農業による体験型民泊プログラムを掲げています。

    松田さんが目指すのは、南三陸町にあるものを活用した、オーガニック農業。例えば牡蠣殻を活用した暗渠(あんきょう)や海藻を活用した肥料、杉の葉や杉皮を利用したマルチシートなどを考えています。自然にあるものを活用した自然にも人にもやさしい農業に挑戦。

    収穫はまだ先なものの、既に地域住民の協力により、国が定めるオーガニックに則った形で始動しています。「環境的な国際認証を3つも取得している町で、環境に配慮した農業をすることで新たなブランドにしていきたい」と意気込みます。ゆくゆくは南三陸町の魅力や農業の魅力を子ども達に伝えていきたいと話す松田さん。新たな農業ブランドの確立に挑戦です。

    ※写真はイメージです

     

    南三陸独自のモジュールハウスの開発!

    2018年1月に着任した森林資源活用推進員の羽根田将宏さん。

    町産木材を活用したモジュールハウスの開発をして地域資源、雇用の創出を目指しています。着任してからは、さんさん商店街のデザインを手がけた隈研吾建築都市設計事務所にインターン。当初はトレーラーハウスを活用した事業プランを構想していました。

    現在は多様な目的で使用することができるモジュールハウスの開発を事業として考えています。

    「非日常を提供することが出来るのがモジュールハウス」と話す羽根田さん。開発しているモジュールハウスの広さは4畳半ほどで必要に応じて拡張も可能。タイヤを付けることで町内を簡単に移動できる機能も盛り込んでいます。今年9月には、そのモジュールハウスのプロトタイプのお披露目を予定しています。まずは住民に触れてもらう機会を増やそうと、町内を移動させ、人が集まっている場所に設置。期間限定で貸し出すことでチャレンジスペースとしての運用を考えています。また託児機能も持たせたいと話しており、年齢問わず使ってもらえる場所を目指しています。

     

    自然にやさしい!海が見える絶景ハウス

    羽根田さんと同じく、森林資源活用推進員として2018年4月に着任した平山太一さん。広告業界に4年間勤め、環境問題の深刻さを知ることになりました。この経験をもとに、世界的にエネルギー問題が深刻化する中、エネルギーの自給自足を目指すオフグリットハウスのプロデュースに挑戦。さらに、環境に配慮しつつも、しっかりとプライベート性を保ち、快適な町産木材のハウス建築を目指しています。

    立地も南三陸町ならではの、海が見える絶景に建設したいと平山さんは話します。世界的にムーブメントのひとつになっているオフグリッドハウス。国内に限らず、海外観光客もターゲットに事業を進めていきます。

    持続可能なまちを目指す南三陸町で、地球にやさしい家を広めていきたいと意気込む平山さん。エネルギー問題が深刻化する中で、この事業が解決の糸口になるか期待が高まります。

     

    未利用材の活用!目指すはエネルギー自給自足モデル

    2018年12月に着任したエコタウン推進員の佐野薫さん。合同会社MMRと共に、町の面積の8割を占める森林資源をペレットとして活用する、エネルギー循環型社会の構築を目指しています。町内でもまだまだ認知度、利用者が少ない中で、新たなユーザーの創出とペレット工場の建設をミッションに掲げ、ペレットの利用の拡大に挑みます。

    大学進学後に林業と出会い、魅力に取りつかれていった佐野さん。大学院まで進学し、測量から生態系管理など林業に関する様々な勉強をしてきました。林業という職種は認知度が低く、木材の価値を上げることは簡単ではないと学生時代に痛感。それでも林業で活躍する大人の出会いによって、林業の仕事に強い憧れを持つようになりました。

    着任からの半年間は、ペレット事業のこれからの道のりを数値化する作業や合同会社MMRの原点整理から取り組みました。膨大な森林資源がありながら、活用するシステムがないことが課題だと言います。幾多の災害を乗り越え、長い年月経っても残り続ける資源が山(木材)です。

    今後は事業の本格始動に向けた調査を実施していきます。財政面はもちろんのこと、材料となる木材がどれだけ集まるか、町内にどれだけのニーズがあるかなど課題は山積みです。それでも、めげずに全力で時間を使っていきたいと強く意気込んでいました。

    想いを持った隊員達の今後の活躍に期待

    事務局の㈱ESCCA山内亮太さんは、「都会に疲れてここに来たという人はいない。それぞれ、隊員は新しい挑戦をしたいという想いで来ている」と話しました。各隊員の活動報告からは、自分が目指すビジョンと町への熱い思いが伝わってきました。

    隊員たちは起業のプロではないため、躓くことや壁にぶち当たることなど幾多の困難に直面します。それでも諦めることなく、地域とつながり協力することで自分のビジョンの実現と町の未来を創っていくことを目指しています。6月には1名、新規隊員が着任。これからどのような発展を遂げるのか、今後も隊員たちの活躍に注目です。

    南三陸で活躍する地域おこし協力隊の今(前編)

    5月13日(月)、役場第二庁舎で2018年度地域おこし協力隊活動報告会が開催されました。会場には地域おこし事業に関わる関係者30名ほどが参加。隊員は少ない持ち時間の中で、南三陸町にかける想いと自身の活動を報告していました。報告会の様子を前後半でお届けします。

    そもそも地域おこし協力隊とは

    総務省が2009年に地方の発展と定住・定着を目的とし、創設した制度です。自治体により隊員の業務は異なりますが、最大任期3年と限られた時間の中で、活動を行います。現在では約5300人の隊員が全国各地で活動。南三陸町では震災後の2016年に地域おこし協力隊の事業がスタートしました。

    スタート時は3名だった隊員も、徐々に増え、現在は10名の隊員がそれぞれの分野で活躍。

    今回の活動報告会には、今年の3月で任期が終了した2名の隊員も参加。研修のため欠席した隊員もおり、9名から報告がありました。会場には、受け入れ企業や関係者など約30名が参加し、報告が終わると関係者から質問やコメントが寄せられました。

    新規就農!3年間の経験を胸に南三陸らしい暮らしを目指す

    昨年度で協力隊を卒業した、農業振興支援員の藤田岳さん。3年の任期を終え、晴れてこの春から新規就農しました。ネギを中心に、20品種ほどの栽培に挑戦しています。

    農業初心者として協力隊に着任。3年間のうちに、南三陸ワインプロジェクトを立ち上げ、試験栽培の100本のブドウ苗木の栽培に加え、700本の苗木を購入し入谷童子山にブドウ畑を整備しました。任期終了に伴い、ワインプロジェクトからは離れたものの、ブドウの栽培は引き続き行っています。

    今後は、農業を通した教育活動などにも力を入れていきたいと話し、積極的に農業ボランティアの受け入れもしています。今年になり新規就農した若手や新規の隊員もいるので、連携して活動していきたいと話していました。「無理なく南三陸らしい暮らし」を目指す新たな生活のスタートとなりました。

    この町が大好き。町が元気になることを続けていきたい

    同じく昨年度で協力隊を卒業した地域資源活用事業化推進員の中村悦子さん。

    震災後に地元のお母さん達で立ち上げた「南三陸おふくろの味研究会(魚市場キッチン)」では、町の新鮮な海産物を活用した缶詰めの製造・販売をしています。中村さんはその事務局として製造から発送、経理、広報など幅広い業務を担当し3年間活動してきました。

    南三陸おふくろの味研究会が目指すのは「お母さん達が真心こめて作った缶詰を全国に広める・魚介類を食べて幸せな気持ちになってもらう・メンバーが楽しく、続けていける場所」。着任当初は3種類しかなかった缶詰も、商品開発により12種類まで増え、名物のひとつに。

    3年間を振り返って、「目標にしていた法人化できなかったのが一番の心残り」と話します。

    それでも地元に戻るという選択肢はなかったと言います。4月からは、さんさん商店街にある「さんさんマルシェ」の店長として働き始めました。南三陸おふくろの味研究会の事務、経理や発送など一部の業務も引き続き行っています。南三陸町が大好きで、幸せな暮らしをしていると話す中村さん。「これからも町が元気になるお手伝いを続けていきたい」と南三陸町への想いを話していました。

    目指すは日本トップクラスのワイン

    2017年8月に着任した正司勇太さんと、今年1月に着任した佐々木道彦さん。2人は南三陸ワイン事業化推進員として南三陸ワインプロジェクトを進めています。試験的にワイン用のブドウ栽培をしたことから始まった南三陸ワインプロジェクト。

    プロジェクトを開始して3年目を迎えた今年4月、山形県産のブドウを使った南三陸ワインが発売開始になりました。町内の店舗、飲食店やイベントなどで販売しており、発売から1ヶ月あまりで約600本が売れ、スパークリングワインは完売しました。

    「栽培、醸造した土地によって様々な味わいを出すワイン。同じ品種のブドウを使ったとしても、出来上がるワインは千差万別。そんなワインの特徴をテロワールといい、ワイン作りの魅力です」と佐々木さんは話します。また、人を繋ぐことが出来る、コミュニケーションツールとしての役割もワインの魅力だと言います。ワインプロジェクトでは、ワインをハブに新たな繋がりやコミュニケーションの輪を広げることも目指しています。

    今年の秋には、南三陸町で栽培しているブドウの初収穫を迎えます。来年には町内にワイナリーも建設予定で、町内でとれたブドウを使い、町内で醸造したワインを味わうことができるのもそう遠くはなさそうです。

    ワインプロジェクトについて活動報告をする佐々木道彦さん
    今年収穫を迎えるブドウの手入れをする正司勇太さん(写真提供:㈱ESCCA)

    食とスポーツの交流拠点

    2018年1月に着任した井原健児さん。市街地コミュニティ活性支援員として、新たな賑わいを作ることを目指しています。

    初めて南三陸町を訪れた時、子ども達の遊び場が少ないと感じたと話します。飲食業に長年勤めていた経験と趣味である運動を生かして、食とスポーツの拠点をつくり、新たな賑わいを生むことを目指しています。着任当初は町内外限らず交流できる拠点を構想。さんさん商店街向かいの土地に、トレーラーハウスを活用した事業を考えていましたが、事情により断念せざるを得なくなりました。

    一度は諦めかけたものの、違うアプローチを模索することとなりました。現在でも食とスポーツのコンセプトは変えず、まずは町の人達が気軽に訪れて、楽しむことが出来る場所を目指しています。

    今年9月に生涯学習センターの斜め向かいの土地に飲食店を出店予定。得意の洋食を提供予定で、店内ではスポーツ観戦ができる設備も備える予定です。もちろん出店するまでにも課題は山積み。それでも途中で諦めることなく活動していきたいと話します。食とスポーツの拠点、いったいどのような場所が出来上がるのか注目です。

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