ありがとう!そしてさようなら…みんなの児童館

2017年3月9日、震災からわずか半年たったばかりの9月に南三陸町立志津川小学校の体育館の脇に造られた仮設施設『みんなの児童館』が閉鎖されることとなり、Tポイント様や利用されていた児童や先生方、小さな子どもたちやそのママたちと『さようなら会』が行われました。

みんなの児童館とは?

震災後、「Tポイント」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社様が南三陸町に入られたとき、町長や商工会の方々と今後の町においてどういったことが必要となってくるかという話し合いが行われました。その中で、生活の基盤づくりの必要性を強く認識、その中でも子育て支援、子どもたちの遊び場が大きな課題という認識を得たそうです。

震災直後ということもあり、建築材料が震災によりなかなか手に入らない状況でした。そこで地元の建設会社の山庄建設の協力により、コンテナを手配し、基礎工事も実施。震災からわずか4カ月、7月7日には着工。夏休み明けの放課後児童クラブのスタートに合わせ、9月5日に『南三陸町 みんなの児童館』が竣工しました。

午前中から午後3時までは小さな子どもたちや保護者が利用できる子育て支援センターとして、午後は志津川小学校に通う児童が利用する児童館として町民の生活を支えてくれました。

「みんなの児童館」という名前のとおり子どもたちはもちろん、ママさんたち、地域の住民といった「みんな」の拠りどころとなる施設となりました。

当初は3年ほどの使用予定でしたが、実際は5年半もの年月、「みんなの児童館」は地域に愛されました。

この春「みんなの児童館」は役目を終えますが、子育て支援センターは総合ケアセンター南三陸に移り、放課後児童クラブは志津川小学校の校舎へ移ります。

利用児童や先生からの言葉

さようなら会ではTポイント関係者様の挨拶から始まり、子どもたちが司会進行をつとめながら感謝の言葉を伝え、お手紙、絵やメダルもプレゼントされました。その他に学年ごとに分かれ宝探しゲームを楽しみ、最後は外壁にみんなで木に手形アートでキレイな花を咲かせ、会は幕を下ろしました。

そのなかでも、この施設に関わっていた子どもや先生からの胸に響く言葉が印象的でした。

「楽しい放課後児童クラブを過ごすことができた。建物とのお別れは寂しい。5年半、ありがとう」と利用していた子どもがここで過ごしてきた時間を思い返しながら、お礼の言葉を述べていました。

「6月の立ち上がりから、着々と進みあっという間に完成。当初、記録も記憶もないほど、スタッフの数や準備もギリギリでどーにかやらなくちゃと無我夢中でスタートしました。

そんな中いろいろな方々や団体とつながることができ、ここまでこれました。放課後児童クラブ以外にも子育て支援では年齢の異なる子たちがふれあい、親子で工作や料理を楽しんだり、色々な用途で施設を利用させてもらいました。5年半この建物で過ごした日々はとてもいい時間でいい空間だったと思います。愛着がたっぷりとわきました。お別れは寂しいですが、感謝の気持ちでいっぱいです。

これから、放課後児童クラブの場所は変わりますが、新しい場所でみんなで力を合わせて頑張りたいです」と先生も感謝の気持ちにあふれていたようでした。

利用者のひとりとして

私はみんなの児童館が竣工してからすぐに生後9カ月の息子を連れて午前中の子育て支援センターを利用させていただきました。

今振り返ると、そこで生まれたたくさんの出会いを通じ、私の人生も大きく変わったなと思います。そこでの出会いが、辛い被災生活に手を差し伸べていただきました。

当時、外はがれきの山。さらに粉塵が舞っていて、外で散歩もできず、育児をする環境としてはとても良くない状態でした。家の中で子どもと遊ぶにもお互いストレスがたまってしまっていたような状況でした。

しかし、こうした施設のおかげで、仮設住宅で生活を余儀なくされているママや保護者も、子どもたちを思いっきり遊ばせることができました。さらに、親も子も色々な方と交流することができ、料理教室やアクセサリー作りなどの工作を楽しんだり、せわしなく過ぎていく毎日にあって、唯一息抜きができる憩いの場となりました。

そんな私自身、そして多くの子ども、親にとって思い出のつまった「みんなの児童館」がなくなってしまうのはとても寂しいですが、これも復興へとまた一歩進んだという事だと思います。

多くの方に愛されたみんなの児童館、本当に5年半ありがとうございました。

最後みんなで描いた手形アートでは一本の木に綺麗な花が咲きました。

<4月12日放送>みなさんぽ

今日のタイトルコールは地域密着型の町内の運送会社・山藤運輸の佐藤克哉さん!そして、インタビューは南三陸森林管理協議会事務局長の佐藤太一さんにお話を伺いました。お二人は、町内の未利用資源を活用しようと、業種の垣根を越え合同会社MMRでともに活躍する仲間でもあります。

オープニングコール

宅急便の輸送や引っ越し事業などのほか、バイオガス施設「南三陸BIO」から生まれる液肥の運搬散布も担っている、山藤運輸の佐藤克哉さん。

まちのひと

森林管理協議会会長・事務局長の佐藤太一さん。株式会社佐久の十二代目(専務取締役)でもあります。

先月3月3日にオープンした「さんさん商店街」や今月オープンを控える「南三陸ハマーレ歌津」に使用されていることによってより注目度があがっている南三陸杉。

年輪の目が詰まっていて強度が高く、一方で淡いピンク色の優しい見た目が特徴です。

そんな「木」にまつわるお話をたっぷりとしてくれていました!

今週のイチオシ

本設のさんさん商店街にある産直施設「さんさんマルシェ」にある気になる商品をピックアップ。

「タコじゃないけどタコソフトクリーム」

県内の完熟トマト丸ごと一個のコンポートとソフトクリームが絶妙にマッチした商品です!これから温かくなってくる季節に、新名物のソフトクリームを片手に散策してみてはいかがでしょうか?

 

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことのできます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!

http://radiko.jp/

〈4月5日放送〉みなさんぽ

いよいよ新年度最初の「みなさんぽ」。今年度のスタートは、デザインや映像の制作を行う株式会社はなぶさを立ち上げた佐藤孝範さん。インタビューは、今年7月20日に、待望の「志のや」本設オープンとなる高橋修さんに話を伺いました!

オープニングコール

「株式会社はなぶさ」の佐藤孝範さん

まちのひと

「季節料理 志のや」の親方・高橋修さん

「もう一度昔の志のやの場所で再建できるということで自分でも楽しみです。ぜひ遊びに来てくださいね!」と再建に向かう喜びを語っていただきました。

放送の直前、4月2日(日)には地鎮祭も実施。いよいよ、ですね!

今週のイチオシ

さまざまなメディアでも続々と紹介され、一躍話題となっている「アカモク」。新さんさん商店街の山内鮮魚店でもひときわ目立つPOPとともに置いてありました。

春の南三陸は、磯の開口など海藻が豊富にある季節ですね。南三陸にお越しの際は、旬の海藻をぜひ味わってみてください!

ここが僕たちのふるさと!/小野寺翔くん・三浦貴裕くん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りする連載企画「南三陸ひとめぐり」。第11弾は、戸倉地区の同級生、小野寺翔くんと三浦貴裕くん。震災から6年、20歳となって迎えたこの春、二人はそれぞれの道を歩み始めました。

当たり前が、当たり前でなくなったとき

小野寺翔くん、三浦貴裕くん。戸倉地区出身の二人は、保育園からいっしょの幼馴染。二人は、小学校、そして中学校と、ごく当たり前の学校生活を送っていた。それが一変したのは、2011年3月11日。当時、二人は中学2年生だった。高台にあり避難所に指定されていた戸倉中学校には生徒や近隣住民が身を寄せあっていた。しかし、想定外の津波は、避難していた校庭を覆いつくした。

必死で裏山を駆け上った三浦くんと小野寺くん。逃げ遅れた人の救出にあたった。着ていた衣類をつなぎ合わせロープでひっぱり上げ、授業で習った心肺蘇生を試みた。

助かった命と助からなかった命がある。多感な時期に目の当たりにした、これまで誰もが経験したことのないような大災害。それでも、それぞれの想いを胸に、歩みを止めることはなかった。

「高校生のときに語り部の活動をはじめました。熱心に聞き入ってくれる人がいた。語り継ぐことに意味があると実感した」と二人は話す。

語り部として町を案内していくうちに生まれ育った地域も大きな変貌を遂げていた 写真提供:Project”M”

進学で感じたギャップを感じ、南三陸ツアーを開催

ともに陸上部だった二人は、異なる高校に通いながらも、よく顔を合わせていた。高校を卒業後、小野寺くんは関東の大学へ、三浦くんは仙台の大学に進学した。そこで彼らは大きなギャップに気づくことになった。はじめての土地、見ず知らずの他人のなかで、自己紹介をしたときのことだ。

「南三陸町という名前どころか、宮城県を知らない人がいっぱいいたり。あんなに報道されていたのに…というのが正直な感想でした」

それぞれ地元を離れ大学進学を選んだ同級生が同じような体験をしていた。そんななか興味を持ってくれる大学の友人もいた。

「ぼくらが伝えられることがあるのではないか」

そんな想いで大学1年生の夏、Project”M”という団体を作り、大学の友人らを南三陸町に招いた。自分の知る南三陸を自分たちの言葉で案内した。

「案内するには、自分たちが町のことを知らなくてはならない。南三陸でがんばっている人の声を聞けたりすることは新鮮でした」

冬にも友人らを招き、昨年の夏は企業の支援もあり30人もの参加者があった。

漁業体験や林業体験など南三陸を楽しめる内容に参加者も大満足 写真提供:Project”M”

南三陸での夢の実現のために、大学を中退

小野寺くんは、この3月でこれまで通っていた大学を中退した。4月からは岐阜にある林業の専門学校に入学する。ツアーを通して戻ってきた南三陸での出会いがきっかけとなった。

「国際認証であるFSC®森林認証を取得するなどがんばっている姿を目の当たりにしたことがきっかけです」

小野寺くんには、祖父の代まで炭焼きなどをやっていた山があった。しかし「田舎くさいし、儲からない仕事だと思っていた。自分がやるなんて考えたことは一切なかった」

ツアーでの出会いがきっかけとなり、林業への興味が出てきた小野寺くん。昨夏、小野寺家が代々守り受け継いできた財産である山に足を踏み入れた。

「震災でも、なくなることのなかった財産。専門学校を卒業したら南三陸に戻ってきて林業を営みたい。この山を守っていかなければいけないという使命を感じました」

「林業をやりたいって言ったことに祖母も喜んでくれたんじゃないですかね」と笑う小野寺翔くん

本当になにがやりたいのか考える年にしたい

三浦くんは、震災時の経験から人を助けられる救命救急士を目指していた。しかし、この一年間での多くの出会いが、彼にたくさんの選択肢があることを教えてくれた。

「今しかできないことをしていきたい。震災を伝えるようなイベントを開催したり、語り部活動も積極的にやりたいし、南三陸をみんなで訪問する企画もやりたい。震災後のご縁が、自分の考えをどんどん新鮮にしていってくれている。自分が本当に何をやりたいのか、見つめる一年にしたい」

小野寺くんは岐阜へ。またいっしょに活動をしているメンバーの一人はアメリカへの留学も決まっている。「これまでよりも、仲間と離れ離れになってしまう。けれど、みんなそれぞれの地でふるさとだったり、東北に関わり続けるはず。仲間がこうしていろんな場所で活躍しているのは、とっても刺激になります」と三浦くんは話す。

「戸倉地区の自慢はやっぱり人のつながりの強さ」と話す三浦貴裕くん。同級生の結びつきの強さにも納得だ

いつかきっとこの町で

「長いような、あっという間のような」と二人が話す6年という月日。

復興への想いも、変化がある。「以前は、元の町をそのまま元に戻してほしいと思っていた」と話す小野寺くん。それでも今では、「さんさん商店街がオープンしたり、災害公営住宅が完成したり、新居も続々建ってきている。復興計画が形になっていくのは楽しみ」と話すようになった。

さらに、地元福島のことを伝えたい、と同じようなツアーを企画している仲間が生まれた。その人は、二人が初めて企画したツアーの参加者の一人だった。続けてきた語り部や、ツアーがじわじわと広がっていくことも実感している。

人生に正解がないように、復興にも正解はないのかもしれない。だけど、ひとつ確かなことがある。

「町が変わっていっても、ここがぼくたちのふるさとであること」

長く寒い冬が明け、20歳となって迎えた春。すがすがしい潮風に揺られながら、彼らは別々の道を歩み始めた。どんなに険しく、厳しい道のりでも、彼らはきっと乗り越えていける。

そして、大海からふるさとに戻ってくる鮭のように、いつの日かきっとこの地で彼らの道が重なり合う。今からそのときを、待ちわびている。

インフォメーション

Project”M”

〈3月29日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は大正大学地域創生学部星野さんから始まり、「まちのひと」は及善商店及川善祐さんで新さんさん商店街店舗についてです!

そして、今週のイチオシのコーナーは「レタープレスはがき」です!

オープニングコール

大正大学地域創生学部星野さん

 

まちのひと

及善商店及川善祐さんで新さんさん商店街店舗についてです!

 

今週のイチオシ

南三陸で障害者の生活介護を行うのぞみ福祉作業所が手掛ける心あたたまる手すきのはがき「エコ素材の手漉きレタープレスはがき」です。

一枚一枚ていねいに手作業で作られたはがきには、たくさんの人のあたたかい気持ちが詰まっています。震災をきっかけに出会えたみなさん、はがきの原料となる紙パックを送ってくれる方々、さまざまな形で支援してくださる方。みなさんの想いを、手すきの紙にぎゅっと凝縮して生まれたのがこのはがきです。だから、やさしい手触りで、ふっくらと分厚く仕上がっているのですね。
デザインは、ゆるいモアイくん5色と、わかめから選べます。かわいらしいデザインに心もほっこりしますね。

価格は1枚200円。これまで南三陸のお土産としても好評だった本品。本設の南三陸さんさん商店街の「わたや」「フレンズ」にてお買い求めできます。さらに店舗に加えて、南三陸の産品を扱っているオンラインショップ「南三陸 de お買い物」での販売も今月から始まりました。遠方の方でも気軽に注文することができるようになりましたのでぜひチェックしてみてください。
年度末、年度初めのご挨拶や、大切な方への便りに、心温まる手紙を送ってみませんか?

URL:http://www.odette-shop.com/shopdetail/000000000116/
お問い合わせ:0226-46-5129 (のぞみ福祉作業所)

新しい家に想いを馳せて / 20代 333(みなさんトリオ)

南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画『333(みなさんトリオ)』。第2回は、志津川生まれの20代3人に語り合ってもらいました。地域で活躍中の3人から見た町の姿と未来とは?

第1回『333(みなさんトリオ)』

『333(みなさんトリオ)』は、南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画。

町について想うことを、町民のみなさんにざっくばらんに語り合っていただき、町民の目線から発信していく連載企画です。

南三陸町民から10代/20代/30代・・・と年代ごとの3人組を発掘し、町の<過去><現在><未来>の3つのテーマで自由にトークしていただきます。

第2回は、地域で絶賛活躍中の20代の3人にお話を聞いてきました。

現在のくらしもさることながら、将来についても、もしかしたら最もよく考える時期なのかもしれない20代の彼女たちの目に、町の姿はどのように写っているのでしょうか?

左から、菜央さん・知里さん・佳菜さん

3人の出逢いと、現在の関係は?

――最初に、それぞれ自己紹介と、3人の出逢いや関係について教えてください

菜央(以下な)「阿部菜央です。志津川新井田の生まれで29歳です。」

知里(以下ち)「佐藤知里です。志津川十日町の生まれで28歳です。」

佳菜(以下か)「渡邊佳菜です。清水の生まれで21歳です。」

な「私とちーちゃんは地区が近いので子どもの頃からの知り合いで。」

か「私は入谷公民館で働いていたので、近くのYES工房で働いている菜央さんと知り合って。」

ち「私の家は河北新報の販売所で、かなちゃんのお母さんがそこで働いていて知り合いです。」

な「ちーちゃんと私は保育所から高校までずっと一緒だよね。」

ち「かなちゃんは?」

か「私も志津川保育所で、小学校は清水小。清水小最後の卒業生なんです。」

テーマ①「町の<過去>について」

――では最初のテーマとして、町の過去について聞きたいと思いますので、小さい頃の思い出とか、自由に話してください。

な「ちーちゃんとはアリウープで一緒に大きいオムライス食べたの覚えてる。」

ち「それ覚えてない(笑)けど、ラメールでパフェ食べたのは覚えてる。遊ぶと言ったら、ケンズかサンポートか、駄菓子屋は3つあって、森田屋かカズコ屋か、そういうとこでお金の計算覚えたなー。」

か「清水は隔離されてるので(笑)。歌津行くにも志津川行くにも車ないと行けなくて。でも清水はあんな小さい地域なのに駄菓子屋3つもあったんですよ!サガシタ・トックミ屋・タバコ屋。」

な「清水小ってジャージオレンジだったよね(笑)。」

か「ふる学で全校の6年生集まると、目立つんですよね(笑)」

ち「ふる学―!旧志津川町の学校が全部集まってね、学校混ぜて混合班つくって。」

か「清水小は人数少ないので、混合班つくると1人とかになるんですよね。私が最後のふる学の学年だったんです。」

な「キャンプ楽しかったよね。キャンプファイヤーで松明持つ役やったー。」

ち「あとオリエンテーリング!」

か「私は今は役場で生涯学習課にいて、年2回ふる学やってますよ。」

な「ちーちゃんは十日町に住んでて、志津川地区のメインストリートで、私は新井田だったから山の中を通って通学して、道に生えてる草とって食べたりしてた(笑)」

ち「花の蜜とか、木の実とかね。」

な「雪が降ると山の中は全然溶けないで凍ってて、すごい嫌だったー。」

ち「私はわりと町中通って、五日町の裏通りから城場通って長い坂登って。」

か「清水小は集団登校で、黄色いベレー帽にスカーフと、オレンジジャージで(笑)みんなで列作って通いました。清水は海・川で遊んで、山は危ないから入っちゃダメって言われてましたね。丁度真ん中に桜川っていう清水を縦断する川があって、そこは楽しかったな~。」

な「私はまっすぐ帰ってたけど、図書館があって、図書館から3冊借りてきて1週間で読んで。図書館でやってた桜餅つくろうとかクリスマスリースつくろうみたいなイベントもよく通って。児童書のコーナーからだんだん大人の本借りるようになって、大人になったなーと成長を感じてた。」

ち「私は1人で家で絵かいたり、本読んだり、自営業だったからお店に行って遊んだりしてたなー。」

な「地区対抗のフットベース大会あったよね。」

か「ミニバレー大会とか。」

ち「ミニバレーは十日町・新井田・天王前で同じチームで、TNTチームだった(笑)あと町民運動会ってあったよね。」

か「私の時はなかったです。でも小学校の運動会が学区民合同大運動会で、地区の子どもからおじいちゃんおばあちゃんまでみんな参加してました。」

な「町民運動会では私6年生までずっとリレーの選手だった!」

ち「私も~」

か「清水小はトライアスロンがあったんです(笑)水着着て、25mプール泳いで、一輪車乗って、トラック1週半走って。上級生が一輪車とか竹馬教える、というのが人数少ない清水小の文化でしたね。」

テーマ②「町の<現在>について」

――ではそんな過去を経て、現在の町についてはどう思いますか?

な「今仮設に住んでるんだけど、小さな子どもたちが遊んでるのは昔と変わらなくていいなーと思うね。遊ぶとこなくて駐車場で、っていうのがかわいそうだけど。駐車場だからトラブルも起こり得るしね。」

か「歩いて遊びに行けるところもないし、寄り道するところもないし、バスでまとめて帰りますもんね。町ができるまでは制限されることが結構ありますよね。」

ち「昔は目的もなく町をブラブラすることもあったけど、今は歩く事すらないですもんね。」

な「歩道すらないところもあるもんね。」

ち「公園もないし、子どもたちがたまる場所がないですもんね。」

か「私、荒島パークで遊ぶの好きでした。今年復旧されますからね!」

か「町民運動会も復活してほしいですよね。中学校の下に大きなグラウンドもできるので、ミニ福興市とかとくっつけて。ベイサイドマラソンていうのもありましたよね。」

ち・な「走った~辛かった~」

か「スポーツ振興係としてはこれも復活させたくて。健康づくりにもなりますし。単純にスポーツって言っても、スポーツでもいろいろとできる町おこしがあるんだなーと思います。」

な「町民運動会みたいな場があることによって、町民同士の顔が見える場になるんですよね。新しく引っ越してきた人の紹介の場になったり。顔が見える関係というのも善し悪しだけど(笑)」

か「子どもはビニールバレー大会があったり、おじいちゃんたちはグランドゴルフ大会があったりするけど、それがみんな集まる場があるといいですね。」

ち「仮設に移動して地区が移った人もいて、新しいコミュニティづくりにもなりますよね。」

な「地域のつながりがもともとがっちりしているがゆえに、そこに入って行く不安もあるし。」

か「イベントがきっかけになりますよね。」

な「私、もうすぐ家が建つの。こないだ地鎮祭が終わって、順調にいけば4月には入れるかなと思ってて。自分の部屋に書斎をつくろうと思って。本と映画を楽しめる。前の家建てた時はまだ物心ついてなかったし、今の家は好きなように意見を言えて、ハウスメーカーじゃなくて地元の大工さんにお願いして。震災からもうすぐ6年だけど、ようやく自宅に暮らせるってことがすごい楽しみ!」

ち「我が家も先月建って、ようやく片づけがひと段落して、まだアパートと2重生活だけど。お店も3月に商店街の中にオープンするので、楽しみでもあり不安でもあり・・・。商店街で、昼間は文房具と書籍と新聞と、町のお土産品のお店兼カフェとして営業して、夜は新聞の折り込み作業場にして。その他にも音楽イベントしたり映画を見るイベントをしたり、若者たちが集まれる場所をつくりたいと思ってます。」

か「私の家は清水に戻るつもりで、父が大工なんですけど、まだ先に他の人の家建ててて。早くて来年の夏かなーという感じです。仮設も集約がありそうで、震災後引越しばっかでもう引越し嫌ですね~。」

な「みんなの新しい家に遊びに行くと“階段がある!”ってなるよね」

ち「そう、新しい家に住むと、家の中でもいちいち遠いんですよね(笑)」

か「役場で働くまでは、町のことにもあんまり興味なかったんですけど、役場に入って知り合いが増えて、色々な話が聞いて世界が広がった時に、町の観光のことが気になるようになって。福興市に顔出すようになって、今はなるべく通うようにしてるんですけど。だから、商店街とか道の駅とか新しい施設ができることがとても楽しみで。今まで踏んでいた町の土が踏めなくなる寂しさもあるんですけど、新しいものができて行く楽しみもすごくあって、ずっとこの町に住んで町の未来を見て行きたいなと思います。」

ち「私も震災後は、この道はあーだったなとか、昔を思い返すことが多かったけど、今はいろいろな人と関わって町の未来が楽しみになってきました。震災前はいなかった移住してきた人たちのパワーとかセンスとか加わってすごく面白くなってきた感じがする。」

か「小さいころから住んでた町を好きになってもらって、そこに住んでくれるなんて嬉しいですよね!その人たちが町のいろんなことに活かされていってるというのも面白いですよね。」

ち「面白いことがおこりそう!って感じがするよね。震災前はそんなにイベントとかなかったからね。」

か「一気に増えましたよね。行く人もだけど、やる人も楽しいですよね。」

な「私は出不精だから休みの日は家にいることが多かったんだけど、震災後は運営側の頑張っている人たちを見る機会もあって、イベントにも顔を出すようになって、町のことを好きになった気がするし、新しい町も好きになれる気がする。」

か「高校生の頃は町の大人と知り合う機会が無くて、おもしろいことやってる大人の人も知らなくて、町のことにも全然興味なくて、今思うとバカだったなーと思いますね。高校の時トコヤッサイが復活したんですけど、同級生が事務局やってて、私ダンスが好きだったので、参加することを通じてふっこう青年会とかと関わる機会があって。最初は青年会と私たちと2チームだけだったんです(笑)」

な「高校生くらいの時は町を出るんだろうなーと思ってたね。人数も少なくなって行って、町に未来を感じなかった。」

ち「私も。」

か「でも町を知った今は、可能性しか感じないですね!」

――今の町の魅力はどんなところにあると思いますか?

か「おじいちゃんおばあちゃんが子どもより元気。子どもより元気ですよね。13:00からって言ってるのに12:00には集合する。グランドゴルフすごい上手いんですよ。20~30代の若い人たちもすごい元気で、その人たちに触発される部分も多くて。そういう人たちが町に出てくることがすごいと思います。」

な「そんなに町の事考えてる若者がいるんだーってね。」

か「あとは海産物が美味しすぎて!福興市行くとなんでこんなに食べれるんだろうっていうくらい、始まってから終わるまでずっと食べてます。それも震災前とか、子どもの頃にはわからなかったし。獲れたてのホヤの美味しさとか!」

な「外食する機会がなかったから、新鮮なものを食べてたことに気づかなかった。学生になって町を出て、町に帰って来た時に食べるお寿司とかではじめて気づいて。」

ち「くらしてたときはあたり前ですもんね。1回町を出て気付くこともたくさんあった。」

か「開口の時とか、あんなに高級なものを、食べれないってくらいおすそわけでもらうことありえないですもんね。」

な「おじいちゃんおばあちゃんだと、教えたいことがある人っていっぱいいるんだなーと思って。伝えたいことを持ってる人がいっぱいいて、話聞きたいなーと思うよね。」

か「そういう場もたくさん増えましたよね。」

テーマ③「町の<未来>について」

ち「町の高校生とか、町を出て行ってしまう子たちに、また戻ってきてほしいなと思います。」

な「でも町にいると、やりたいことができない、というのも仕方ないよね。」

か「私はダンスがやりたかったんですけど、そう考えると仙台に行きたくて。でも震災後にダンスを教えてくれる人が移住してきてダンススクールを開講してくれて。それに混ぜてもらえて、地元でダンスができるなんて!すごいいい環境だなと思います。そういう環境づくりをしてくれる人が、この町に増えてくれればいいなと思います。」

ち「進学しようと思うと町を出ざるを得なくて、一旦は出て行くものと思ってますよね。」

か「街が嫌いで出て行く、っていう人はいないと思うんです。」

な「大きな企業に勤めて、とかっていうのはこの町ではムリだけど、逆に学歴とかそういうものはこの町ではほとんど関係なくて、学歴とかで太刀打ちできない大きな災害を経験して。学歴とかじゃない価値観に気づけた人は、この町に帰って来るんじゃないかな、と思って。夢を求めて町を出て行くけど、夢を叶えられる人は一握りだったり、叶った後もそれをつづけるのってきっと大変で。私はこの町に帰って来たときちょっと元気がない時期だったんだけど、そういう時にいつでも帰って来れる町がここに会ってよかったと思うし、そういう町になっていってほしいなって思う。」

ち「私も大学と就職で仙台に出たんですけど、家業が新しい商店街に出店することが決まって、私も関わろうと思って。震災が無ければ町に帰ってくることもなかったと思うし、いったん町から出たことで、人と人とのつながりとか、仙台とは違う価値観に気づけましたね。この町でも面白いことができるんだぞ、ってことに気づいて。だから私たちも面白い事をどんどん発信していきたいと思って。出てった人が外で知ったことを町に持ち帰って来て、面白いものになるといいなと思って。音楽とか、仙台で楽しんでたようなことも、意外と町でもできたりするんですよね。」

な「私インド映画好きだから、今度上映会しようよ!(笑)」

ち「じゃあうちの新しいお店でやりましょう!インドの飲み物とかつくって!」

か「じゃあ私、エンディングのダンス担当で!(笑)」

対談を終えて

職種は違えど、町で活躍盛りの20代の3人。町にかけるその想いから、町の一員としての力強さを感じさせてくれました。

また、一度町を離れたり、震災を機に町に入ってきた人たちとの出会いを持っていたりと、若く新しい感覚で町への視点を持っているようにも感じました。

偶然にも、仮設住宅から新しいお家への入居を目前にし、新しい生活を楽しみにする3人。

一緒に楽しい町のくらしをつくっていきましょうね!

南三陸町内すべての災害公営住宅が完成!! 復興事業の一つの区切り

東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町。6年経った2017年3月、730戸以上のすべての災害公営住宅が完成。復興段階で第一優先とされてきた「住宅再建」が終了し、復興事業の「区切り」を迎えました。

志津川中央復興住宅の竣工式が開催

2017年3月20日、おだやかな春の日差しに包まれて、南三陸町志津川中央復興住宅竣工式典が開催されました。

「東日本大震災以来、住宅再建を第一にと考えてこれまでやってきました。本日、志津川中央復興住宅の竣工によって、738戸の災害公営住宅がすべて完成となりました。ついにここまで来たか、と感慨もひとしおです」と笑みを浮かべる佐藤仁町長。既に引き渡しが完了し、住居が立ち並び始めている防災集団移転宅地とあわせ、東日本大震災から6年経ち、住宅再建が一区切りを迎えた形となります。

この災害公営住宅の整備をはじめとした復興事業を担っているのは、全国各地からの派遣職員のみなさんです。「この事業の中心となってきた復興事業推進課のおおよそ8割の職員が派遣職員となっています。全国からの応援がなければ成し遂げることができませんでした」と佐藤町長は話し、改めて全国からの応援に感謝の意を述べていました。

ついに最後の公営住宅の鍵が住民に引き渡された。左から佐藤仁町長、入居者代表の佐々木守様、独立行政法人都市再生機構の佐分英治様

「6年間、待ちこがれた我が家」

佐藤仁町長から入居者代表に鍵の引き渡しが行われたのち、隣町登米市南方の仮設住宅に入居していた宮川安正さんが入居者を代表してあいさつを行いました。

入居者を代表して喜びの言葉を述べた宮川安正様

「避難先だったベイサイドアリーナから二次避難先にバスで向かうとき、佐藤町長が『私たちが責任をもってみなさんを迎え入れる準備をします。それまでがんばってください』と話していたのを今でも覚えています。今日、引き渡された鍵を見て、『ついにその日がきたんだな』と、胸が熱くなりました」と言葉に詰まらせながら話す宮川さん。「今日が新たなスタート。この日を迎えることができて本当に感謝しています」とおだやかな顔で語っていました。

敷地内には日常の憩いの場や、イベントも開催できる広場も整備されている

住宅再建が終了。復興は次のステップへ

80%近くが森林となっている南三陸町では、震災前には限られた平地に宅地が並んでいました。そこに東日本大震災による大津波が襲いました。全壊となったのが3,143戸、半壊、大規模半壊が178戸、半壊以上の計が3,321戸、じつに世帯数の60%以上もの建物で大きな被害が出てしまいました。

この教訓を生かし、南三陸町では「いつか再来する大津波から人命を守る」ことを最優先にする”住宅の高台移転”に取り組んできました。

3月3日にオープンし盛況が続いている「南三陸志津川さんさん商店街」を核にした観光交流拠点の整備、さらには震災復興祈念公園の整備、国道をはじめとした土地区画整理事業による市街地整備など復興事業はこれからもまだ続いていきます。

それでも、このハレの日を、佐藤町長は「これで復興事業の、ひと区切り。ほんとうの意味での、”まちびらき”になる」と話しました。復興の第一優先とされた「住宅再建」が完了したことで「安心して暮らせる毎日」へ、大きな第一歩を踏み出しました。

D棟からは復興のすすむ志津川中心部から志津川湾を望むことができる

志津川高校イツメントリオ / 10代333(みなさんトリオ)

南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画『333(みなさんトリオ)』。第1回は、志津川高校に在籍中の10代3人に語り合ってもらいました。高校生の想う町の姿と未来とは?

第1回『333(みなさんトリオ)』

『333(みなさんトリオ)』は、南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画。

町について想うことを、町民のみなさんにざっくばらんに語り合っていただき、町民の目線から発信していく連載企画です。

南三陸町民から10代/20代/30代・・・と年代ごとの3人組を発掘し、町の<過去><現在><未来>の3つのテーマで自由にトークしていただきます。

第1回は、中学生の頃から仲よしという10代の3人にお話を聞いてきました。

小学校5年生の時に東日本大震災を経験し、多感な10代の大部分を復興過渡期まっただ中で過ごす彼女たちの目に、町の姿はどのように写っているのでしょうか?

3人の出逢いと、現在の関係は?

――最初に、それぞれ自己紹介と、3人の出逢いや関係について教えてください

藍香(以下あ)「菅原藍香です。入谷水口沢の生まれで16歳です。」

かおり(以下か)「佐藤かおりです。志津川の清水生まれで、今は荒砥に住んでいます。16歳です。」

みすず(以下み)「遠藤みすずです。志津川の保呂毛で、17歳です。」

あ「志津川高校の同級生で、同じ吹奏楽部です。」

か「私は清水小学校だったんだけど、小3の時に志津川小と合併してみずと一緒になりました。」

あ「私は1人だけ入谷小で、中学校から3人一緒になって、その頃から”イツメン“なんです。」

※イツメンとは…いつものメンバー。仲の良いグループのこと。

左から、藍香さん・かおりさん・みすずさん

テーマ①「町の<過去>について」

――では最初のテーマとして、町の過去について聞きたいと思いますので、小さい頃の思い出とか、自由に話してください。

か「私は袖浜の公園でよく遊んでた。」

あ「夏祭りのとこでしょ?」

み「私行ってない~、花火の時しか行かなかった。遠いもん。私はいつもばーちゃんと遊んでた。」

あ「小3か4くらいのころカバの遊具できたよね。」

み「小学生の頃は、基本的にそれぞれの地域でしか遊ばないよね。でも私の地域には男子しかいなかった。」

あ「かおのとこも男子だけじゃない?男子と遊んでたの?」

か「男子とは遊ばない。」

あ「海では遊ばないの?志津川と言えば海じゃん。」

か「清水の海でカニとか捕って遊んでたよ。」

み「私は親が連れてってくれないと海には行けなかったからな~。志津川でも海近くなかったから。代わりに水尻川で遊んでた。」

あ「入谷は女子5人しかいないんだけど、みんなで山行って遊んでた。野イチゴ採ったり。家が田んぼもやってるから、毎年手伝ってた。小さい頃は手で稲刈りしてたけど、機械買ってからは手伝い無くなっちゃった。よく鎌なくして怒られたよ。」

か「うちは田んぼないや。」

み「うちはあったけど大分前に止めて、年1回草刈りするくらいだった。」

あ「おたまじゃくし捕りにいった。かわいいよね。」

み「幼稚園の頃牛乳パック持ってとりにいった~!」

か「今触れる?」

全「触れない~」

あ「小学校の帰りに田んぼ寄って、誰が一番捕れるか競争してた。一番捕れた人は、帰り道になってる野イチゴとか果物食べれるの。あんまり遅くなるとばーちゃんに怒られるんだけど。みずは川でカニ捕ったりしなかったの?」

み「家の前の川は水ないからな~。上流行くとあって、魚もいるけど。あ、ホタル捕って遊んだ!タッパーに入れて。みんなに見せて回った。」

あ「蛍いるとこ少なくない?いいなーみずの家引っ越していい?」

み「今年はみんなで取りに行こうよ!」

あ「入谷小学校の遠足は、気仙沼のシャークミュージアムと、松島行った」

み「志津川は多賀城と、県庁行ったよね。あと、学校からベイアリ(ベイサイドアリーナ)まで歩いた。あと、地区のお祭りで、保呂羽山に登ったよ。天狗と一緒に歩くの。旗持ったり太鼓持ったりして。」

か「清水の辺りはお祭りなかったな~。灯篭流しはあったけど。」

あ「入谷は打ち囃子。今でも4年に1回必ず参加してるよ。笛担当で。」

み「中学校は、1年生自然の家、2年生が仙台、3年生が東京だったね。ディズニーランド!」

あ「期待したほどじゃなかったよね。40分待ちとか。ベニーランドの方が近くだし。」

か「ベニーランド行ったことない。なにあるの?」

み「プリキュアショー。あと観覧車とかバイキング。あと小さい時行ったのは、チャチャワールドとか、ニュージーランド村かな。」

か「サンポートの屋上にも小さい遊園地があったんだよ。」

み「そういえば森田屋行きたい~。駄菓子屋。雄新堂の通り。20円ぐらいあればお菓子とか買えたよね。」

か「うんうん。」

あ「志津川いいな~。栄えてて。」

み「あ、あと夏休みに大雄寺でラジオ体操あったり、男女に分かれて肝試ししたりした~。お地蔵さんとかあるとこ1周するんだけど、中学生以上の人が水風船とかで脅かしてくるの。参加すると花火もらえて、みんなで花火して終わり。」

あ「入谷からすると、志津川は月1回くらい行ける都会だったよ。ケンズとか。黄色い看板の。」

み「いろいろ売ってたよね。本とか、夏は浮き輪とか。途中からタコ焼き屋入ったよね。でも海あんまり行かなかったから買ってもらえなかった。」

か「私は毎日海だった。泳がないけど、カニとかフグ捕ったり。海の物嫌いだから食べないけど。」

あ「こないだかおと魚釣り行ったんだけど、かおだけ魚触れなかったよね。」

か「藍香が行きたいって言うからお父さんに船出してもらってね。タナゴ釣れたね。あとこないだザリガニの赤ちゃん生まれたから藍香にあげたよね。」

あ「帰るまでに死んじゃったけど。かおりんち、昔からよく行くよね。」

み「私もハムスター見に行って、鬼ごっこしたの覚えてる~。けっこう大量の人数で行ったよね。」

か「昔から生きもの飼うの好きだったんだよね。その辺で捕まえたの飼ったり。」

テーマ②「町の<現在>について」

――ではそんな過去を経て、現在の町についてはどう思いますか?

み「道が変わりすぎてわかんないよね。気付いたら通れなくなってたり。」

あ「道迷って海に出ちゃったりするよね。寄り道するとこもないし。」

み「なんにもない。遊びに行くとしても人んちしかない。」

あ「でも土曜日とかは商店街で遊んだりするよね。クレープとかラーメンとか食べて。」

み「カラオケできたよね。でも遊ぶとこ本当に少ないよね。休みだったら佐沼か石巻行くもんね。」

あ「でもバスが有料になってからあんまり行かなくなったね。」

み「あとは休みの日はセブンイレブンでバイトしてる。」

あ「私も。土木のおじさん達とかおもしろいよね。」

み「放課後は部活して、ちょっとダベって帰る。」

あ「職員室前で、先生と話したりね。」

み「志高(志津川高校)はみんな知り合いだから、気楽でいいよね。あとは知らない人でも話しかけてくるのも町のいいとこだよね。こっち知らなくてもあっち知ってるし。でも、方言でたまに何言ってるか聞き取れないことあるよね。」

あ「なまり×早口は凶器だよね。」

か「浜の方はすごいよ。ばーちゃんとか全然わかんない。」

み「地区ごとでも方言違うよね。あと使ってる言葉が方言かどうかわからない。ケンミンショーで初めて知ったり。」

テーマ③「町の<未来>について」

か「私も特に進路は考えてないけど、町を出たいとは思ってる。」

あ「就職もこの町だと限られてるよね。」

か「いろいろ将来の夢はあるけど、この町だと難しいな。」

あ「親戚たちもみんな町出ちゃったもんね。」

み「私は保育に進んで、仙台か地元かはまだ決めてないかな。」

あ「みんな町からいなくなっちゃうから、町に戻らなきゃな、っていう想いはある。」

み「働く場所があれば帰ってきてもいいな。」

あ「そんな近代的じゃなくてもいいよね。」

み「前の感じで十分。」

あ「あんまり変わっても悲しいよね。」

か「私はまだ将来の夢とかなくて。いろんな仕事がありすぎて、どれが自分に向いてるかわからない。」

あ「あとはこの町ではたくさんの仕事を見ることができないから、1回東京行け、とも言われる。」

――この町で育った3人は、例えば将来結婚して子育てするとして、この町でしたいと思いますか?

み「自然に触れながら、あと定期的にお母さん同士集まれるとか、そういう場所で子育てしたいな。」

あ「自分の育った環境がいいなと思う。でも買い物とか学校が困るから、佐沼とか仙台に通うかな〜。」

み「中心部は都会なんだけど、少し離れたら自然いっぱいで、家はそこにあって。」

あ「自然と、都会とバランスいいといいよね。」

み「自然もあって、でもある程度不自由がない町って感じかな。」

――では一番最後に、未来に残していきたい町の好きな所・魅力はありますか?

か「山とか海とか、私が育った自然はいいところだから残していきたい。あとは人が優しくて、そういう人たちがいっぱいいたらいいな、と思う。」

み「自然とたくさん触れ合いつつ、昔から地域の結びつきが強いから、そういうところを残したい。」

あ「町の、みんな知り合いみたいな雰囲気が、やっぱりいいと思います。」

対談を終えて

小学校の頃から仲よしという、志津川高校の”イツメン”トリオ。

子どもの頃の想い出話からは、地区ごとの遊びの違いから、町の自然環境性の多様性を窺い知ることができました。

また、普段はあまりしないであろう将来の話や町の未来についても赤裸々に語ってくれました。

あまり明るいとは言えない町の仕事事情の中にも、自分が生まれ育った町で暮らしたいという想いも垣間見ることができました。

彼女たちが暮らしたいと思える町を目指して、わたしたち大人たちも、そして彼女たちも、豊かな地域づくりを頑張って行かなければいけませんね。

〈3月22日放送〉みなさんぽ

「オープニングコール」は神割崎キャンプ場から始まり、「まちのひと」はNEWS STAND SATAKE 佐藤知里さんでさんさん商店街の新店舗についてについてです!

そして、今週のイチオシのコーナーは「卵皇プリン」です!

オープニングコール

神割崎キャンプ場

 

まちのひと

NEWS STAND SATAKE 佐藤知里さん

 

今週のイチオシ

仮設のさんさん商店街のときにも大人気だったクレープ屋さんがつくった「卵皇のプリン」です。
好評を博していた店舗は、さんさん商店街の移転に伴い残念ながらクローズとなっております。「どこで食べれるのだろう」「お店は再開しないのかな」という声も聞かれるほどの人気商品でしたが、そんな想いをもった方に朗報です!店舗ではありませんが、町内でも引き続きおいしいプリンを楽しむことができますよ。

商品名にもなっている「卵皇」は、自然卵農園オリジナルブランドの卵です。安心・安全な自家配合の試料をたっぷりと食べ、平飼いでよく運動をさせた鶏の卵の味は格別です。素材の良さを最大限に生かすために、「卵皇のプリン」は完全無添加。卵にくさみがないので、バニラ香料すら使っていません。黄身の比率が高いので、濃厚な、食べごたえのあるプリンになっています。

「卵皇のプリン」は、大好評の味はそのままに、今月3日に本設でオープンした「南三陸志津川さんさん商店街」内の「さんさんマルシェ」、そして歌津の「みなさん館」で大好評発売中です!
とくに、さんさん商店街の「さんさんマルシェ」では毎日完売状態になるほど変わらぬ人気を得ています。
「南三陸志津川さんさん商店街」では、1つ480円、歌津の「みなさん館」では1つ450円となっています。オープンした「さんさん商店街」のお土産にもおすすめですね。また、予約販売・地方発送も行っておりますので、贈り物にも喜ばれること間違いありません!

お問い合わせ:090-6257-6184 (自然卵農園)  https://sizentamago.jimdo.com/

志津川ICから南三陸海岸IC開通!さんさん商店街など中心部へのアクセス向上

「志津川IC~南三陸海岸IC」間の「南三陸道路」(3.0km)が3月20日に開通しました。賑わいを見せるさんさん商店街などへのアクセス向上はもちろん、医療、防災面でも大きな効果が期待されています。

「道路のもつ力の大きさを実感した」

昨年の10月に志津川ICが完成して「道路のもつ力の大きさを改めて実感した」と話す佐藤仁町長。仮設だったさんさん商店街にも、仙台方面から非常に多くのお客さんに来ていただいたそうです。そして3月3日のさんさん商店街の本設オープン以来、連日大渋滞が発生するほどの盛況ぶりとなっています。

「南三陸海岸ICが完成したことによって、志津川ICとあわせて2方向から商店街に向かうことができるようになります。そのことによって、渋滞が緩和できるのではないかと期待しています」佐藤町長は話します。

同日午前には災害公営住宅の引き渡しが完了したこともあり「盆と正月が一度にきたような、そんなすばらしい一日」と話す佐藤仁町長

さらに、南三陸道路は観光の足として効果が期待されるだけではなく、防災・医療・産業分野において大きな役割を担うことになります。

南三陸道路への期待① 防災機能

南三陸町志津川地区では、東日本大震災の津波により道路が浸水し、交通ネットワークが寸断されました。山林を切り開いた高台に整備された南三陸道路の整備によって、津波浸水区域を回避でき、災害時にも緊急輸送路として機能することが期待されています。また、住民にとっては避難場所として活用することも想定。このように防災面でも大きな意味を持つのが三陸自動車道の特徴でもあります。

高台に作られた三陸自動車道は災害時の避難先としても想定される

南三陸道路への期待② 医療の迅速化

さらに南三陸海岸ICの特徴として、2015年12月にオープンした南三陸病院まで3分ほどで到着できる好立地にあることがあげられます。カーブが多く見通しがよくないうえ、渋滞も発生しやすい国道45号と比較して、南三陸道路はスムーズな搬送ができるようになることが考えられます。また、同じく三陸自動車道沿いにあり、第三次救急医療施設である石巻赤十字病院への緊急搬送も短縮することができます。三陸自動車道が未整備のときと比較して、南三陸海岸IC経由で約10分も搬送時間が短縮。町民の安心できるくらしへの一歩となることが期待されています。

緊急搬送の迅速化により、より安心して暮らせる町に

南三陸道路への期待③ 水産物の品質向上

また南三陸の中心的な産業である水産業においてもメリットがあります。2016年6月に再建された南三陸町地方卸売市場からほど近い南三陸海岸ICが開通したことによって、水産物等の輸送時に、混雑する市街地を回避することができ、輸送効率化・品質向上が図られることが期待されています。

便利になった三陸自動車道でぜひ南三陸へ!

「南三陸海岸IC」と名付けられた名前の通り、震災前にも賑わいをみせていた「サンオーレ袖浜」という海水浴場にわずか5分ほどで到着します。今年7月に再開予定の海水浴場を中心に「海の町・南三陸」をよりいっそう盛り上げていくという意志が、ICの名前からも垣間見えます。

今回の三陸自動車道の延伸によって仙台方面から町内中心地への移動がますます便利になりました。新しくなったさんさん商店街や、町のイベントにぜひ足を運んでください。

また南三陸海岸ICから歌津IC間の4.2キロは、平成29年度中の開通予定となっています。

式典前には大森創作太鼓のみなさんが華を添えた