南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画『333(みなさんトリオ)』。第2回は、志津川生まれの20代3人に語り合ってもらいました。地域で活躍中の3人から見た町の姿と未来とは?
第1回『333(みなさんトリオ)』
『333(みなさんトリオ)』は、南”三”陸の同世代”3”人組が”3”つのテーマで語り合う座談会企画。
町について想うことを、町民のみなさんにざっくばらんに語り合っていただき、町民の目線から発信していく連載企画です。
南三陸町民から10代/20代/30代・・・と年代ごとの3人組を発掘し、町の<過去><現在><未来>の3つのテーマで自由にトークしていただきます。
第2回は、地域で絶賛活躍中の20代の3人にお話を聞いてきました。
現在のくらしもさることながら、将来についても、もしかしたら最もよく考える時期なのかもしれない20代の彼女たちの目に、町の姿はどのように写っているのでしょうか?
左から、菜央さん・知里さん・佳菜さん
3人の出逢いと、現在の関係は?
――最初に、それぞれ自己紹介と、3人の出逢いや関係について教えてください
菜央(以下な)「阿部菜央です。志津川新井田の生まれで29歳です。」
知里(以下ち)「佐藤知里です。志津川十日町の生まれで28歳です。」
佳菜(以下か)「渡邊佳菜です。清水の生まれで21歳です。」
な「私とちーちゃんは地区が近いので子どもの頃からの知り合いで。」
か「私は入谷公民館で働いていたので、近くのYES工房で働いている菜央さんと知り合って。」
ち「私の家は河北新報の販売所で、かなちゃんのお母さんがそこで働いていて知り合いです。」
な「ちーちゃんと私は保育所から高校までずっと一緒だよね。」
ち「かなちゃんは?」
か「私も志津川保育所で、小学校は清水小。清水小最後の卒業生なんです。」
テーマ①「町の<過去>について」
――では最初のテーマとして、町の過去について聞きたいと思いますので、小さい頃の思い出とか、自由に話してください。
な「ちーちゃんとはアリウープで一緒に大きいオムライス食べたの覚えてる。」
ち「それ覚えてない(笑)けど、ラメールでパフェ食べたのは覚えてる。遊ぶと言ったら、ケンズかサンポートか、駄菓子屋は3つあって、森田屋かカズコ屋か、そういうとこでお金の計算覚えたなー。」
か「清水は隔離されてるので(笑)。歌津行くにも志津川行くにも車ないと行けなくて。でも清水はあんな小さい地域なのに駄菓子屋3つもあったんですよ!サガシタ・トックミ屋・タバコ屋。」
な「清水小ってジャージオレンジだったよね(笑)。」
か「ふる学で全校の6年生集まると、目立つんですよね(笑)」
ち「ふる学―!旧志津川町の学校が全部集まってね、学校混ぜて混合班つくって。」
か「清水小は人数少ないので、混合班つくると1人とかになるんですよね。私が最後のふる学の学年だったんです。」
な「キャンプ楽しかったよね。キャンプファイヤーで松明持つ役やったー。」
ち「あとオリエンテーリング!」
か「私は今は役場で生涯学習課にいて、年2回ふる学やってますよ。」
な「ちーちゃんは十日町に住んでて、志津川地区のメインストリートで、私は新井田だったから山の中を通って通学して、道に生えてる草とって食べたりしてた(笑)」
ち「花の蜜とか、木の実とかね。」
な「雪が降ると山の中は全然溶けないで凍ってて、すごい嫌だったー。」
ち「私はわりと町中通って、五日町の裏通りから城場通って長い坂登って。」
か「清水小は集団登校で、黄色いベレー帽にスカーフと、オレンジジャージで(笑)みんなで列作って通いました。清水は海・川で遊んで、山は危ないから入っちゃダメって言われてましたね。丁度真ん中に桜川っていう清水を縦断する川があって、そこは楽しかったな~。」
な「私はまっすぐ帰ってたけど、図書館があって、図書館から3冊借りてきて1週間で読んで。図書館でやってた桜餅つくろうとかクリスマスリースつくろうみたいなイベントもよく通って。児童書のコーナーからだんだん大人の本借りるようになって、大人になったなーと成長を感じてた。」
ち「私は1人で家で絵かいたり、本読んだり、自営業だったからお店に行って遊んだりしてたなー。」
な「地区対抗のフットベース大会あったよね。」
か「ミニバレー大会とか。」
ち「ミニバレーは十日町・新井田・天王前で同じチームで、TNTチームだった(笑)あと町民運動会ってあったよね。」
か「私の時はなかったです。でも小学校の運動会が学区民合同大運動会で、地区の子どもからおじいちゃんおばあちゃんまでみんな参加してました。」
な「町民運動会では私6年生までずっとリレーの選手だった!」
ち「私も~」
か「清水小はトライアスロンがあったんです(笑)水着着て、25mプール泳いで、一輪車乗って、トラック1週半走って。上級生が一輪車とか竹馬教える、というのが人数少ない清水小の文化でしたね。」
テーマ②「町の<現在>について」
――ではそんな過去を経て、現在の町についてはどう思いますか?
な「今仮設に住んでるんだけど、小さな子どもたちが遊んでるのは昔と変わらなくていいなーと思うね。遊ぶとこなくて駐車場で、っていうのがかわいそうだけど。駐車場だからトラブルも起こり得るしね。」
か「歩いて遊びに行けるところもないし、寄り道するところもないし、バスでまとめて帰りますもんね。町ができるまでは制限されることが結構ありますよね。」
ち「昔は目的もなく町をブラブラすることもあったけど、今は歩く事すらないですもんね。」
な「歩道すらないところもあるもんね。」
ち「公園もないし、子どもたちがたまる場所がないですもんね。」
か「私、荒島パークで遊ぶの好きでした。今年復旧されますからね!」
か「町民運動会も復活してほしいですよね。中学校の下に大きなグラウンドもできるので、ミニ福興市とかとくっつけて。ベイサイドマラソンていうのもありましたよね。」
ち・な「走った~辛かった~」
か「スポーツ振興係としてはこれも復活させたくて。健康づくりにもなりますし。単純にスポーツって言っても、スポーツでもいろいろとできる町おこしがあるんだなーと思います。」
な「町民運動会みたいな場があることによって、町民同士の顔が見える場になるんですよね。新しく引っ越してきた人の紹介の場になったり。顔が見える関係というのも善し悪しだけど(笑)」
か「子どもはビニールバレー大会があったり、おじいちゃんたちはグランドゴルフ大会があったりするけど、それがみんな集まる場があるといいですね。」
ち「仮設に移動して地区が移った人もいて、新しいコミュニティづくりにもなりますよね。」
な「地域のつながりがもともとがっちりしているがゆえに、そこに入って行く不安もあるし。」
か「イベントがきっかけになりますよね。」
な「私、もうすぐ家が建つの。こないだ地鎮祭が終わって、順調にいけば4月には入れるかなと思ってて。自分の部屋に書斎をつくろうと思って。本と映画を楽しめる。前の家建てた時はまだ物心ついてなかったし、今の家は好きなように意見を言えて、ハウスメーカーじゃなくて地元の大工さんにお願いして。震災からもうすぐ6年だけど、ようやく自宅に暮らせるってことがすごい楽しみ!」
ち「我が家も先月建って、ようやく片づけがひと段落して、まだアパートと2重生活だけど。お店も3月に商店街の中にオープンするので、楽しみでもあり不安でもあり・・・。商店街で、昼間は文房具と書籍と新聞と、町のお土産品のお店兼カフェとして営業して、夜は新聞の折り込み作業場にして。その他にも音楽イベントしたり映画を見るイベントをしたり、若者たちが集まれる場所をつくりたいと思ってます。」
か「私の家は清水に戻るつもりで、父が大工なんですけど、まだ先に他の人の家建ててて。早くて来年の夏かなーという感じです。仮設も集約がありそうで、震災後引越しばっかでもう引越し嫌ですね~。」
な「みんなの新しい家に遊びに行くと“階段がある!”ってなるよね」
ち「そう、新しい家に住むと、家の中でもいちいち遠いんですよね(笑)」
か「役場で働くまでは、町のことにもあんまり興味なかったんですけど、役場に入って知り合いが増えて、色々な話が聞いて世界が広がった時に、町の観光のことが気になるようになって。福興市に顔出すようになって、今はなるべく通うようにしてるんですけど。だから、商店街とか道の駅とか新しい施設ができることがとても楽しみで。今まで踏んでいた町の土が踏めなくなる寂しさもあるんですけど、新しいものができて行く楽しみもすごくあって、ずっとこの町に住んで町の未来を見て行きたいなと思います。」
ち「私も震災後は、この道はあーだったなとか、昔を思い返すことが多かったけど、今はいろいろな人と関わって町の未来が楽しみになってきました。震災前はいなかった移住してきた人たちのパワーとかセンスとか加わってすごく面白くなってきた感じがする。」
か「小さいころから住んでた町を好きになってもらって、そこに住んでくれるなんて嬉しいですよね!その人たちが町のいろんなことに活かされていってるというのも面白いですよね。」
ち「面白いことがおこりそう!って感じがするよね。震災前はそんなにイベントとかなかったからね。」
か「一気に増えましたよね。行く人もだけど、やる人も楽しいですよね。」
な「私は出不精だから休みの日は家にいることが多かったんだけど、震災後は運営側の頑張っている人たちを見る機会もあって、イベントにも顔を出すようになって、町のことを好きになった気がするし、新しい町も好きになれる気がする。」
か「高校生の頃は町の大人と知り合う機会が無くて、おもしろいことやってる大人の人も知らなくて、町のことにも全然興味なくて、今思うとバカだったなーと思いますね。高校の時トコヤッサイが復活したんですけど、同級生が事務局やってて、私ダンスが好きだったので、参加することを通じてふっこう青年会とかと関わる機会があって。最初は青年会と私たちと2チームだけだったんです(笑)」
な「高校生くらいの時は町を出るんだろうなーと思ってたね。人数も少なくなって行って、町に未来を感じなかった。」
ち「私も。」
か「でも町を知った今は、可能性しか感じないですね!」
――今の町の魅力はどんなところにあると思いますか?
か「おじいちゃんおばあちゃんが子どもより元気。子どもより元気ですよね。13:00からって言ってるのに12:00には集合する。グランドゴルフすごい上手いんですよ。20~30代の若い人たちもすごい元気で、その人たちに触発される部分も多くて。そういう人たちが町に出てくることがすごいと思います。」
な「そんなに町の事考えてる若者がいるんだーってね。」
か「あとは海産物が美味しすぎて!福興市行くとなんでこんなに食べれるんだろうっていうくらい、始まってから終わるまでずっと食べてます。それも震災前とか、子どもの頃にはわからなかったし。獲れたてのホヤの美味しさとか!」
な「外食する機会がなかったから、新鮮なものを食べてたことに気づかなかった。学生になって町を出て、町に帰って来た時に食べるお寿司とかではじめて気づいて。」
ち「くらしてたときはあたり前ですもんね。1回町を出て気付くこともたくさんあった。」
か「開口の時とか、あんなに高級なものを、食べれないってくらいおすそわけでもらうことありえないですもんね。」
な「おじいちゃんおばあちゃんだと、教えたいことがある人っていっぱいいるんだなーと思って。伝えたいことを持ってる人がいっぱいいて、話聞きたいなーと思うよね。」
か「そういう場もたくさん増えましたよね。」
テーマ③「町の<未来>について」
ち「町の高校生とか、町を出て行ってしまう子たちに、また戻ってきてほしいなと思います。」
な「でも町にいると、やりたいことができない、というのも仕方ないよね。」
か「私はダンスがやりたかったんですけど、そう考えると仙台に行きたくて。でも震災後にダンスを教えてくれる人が移住してきてダンススクールを開講してくれて。それに混ぜてもらえて、地元でダンスができるなんて!すごいいい環境だなと思います。そういう環境づくりをしてくれる人が、この町に増えてくれればいいなと思います。」
ち「進学しようと思うと町を出ざるを得なくて、一旦は出て行くものと思ってますよね。」
か「街が嫌いで出て行く、っていう人はいないと思うんです。」
な「大きな企業に勤めて、とかっていうのはこの町ではムリだけど、逆に学歴とかそういうものはこの町ではほとんど関係なくて、学歴とかで太刀打ちできない大きな災害を経験して。学歴とかじゃない価値観に気づけた人は、この町に帰って来るんじゃないかな、と思って。夢を求めて町を出て行くけど、夢を叶えられる人は一握りだったり、叶った後もそれをつづけるのってきっと大変で。私はこの町に帰って来たときちょっと元気がない時期だったんだけど、そういう時にいつでも帰って来れる町がここに会ってよかったと思うし、そういう町になっていってほしいなって思う。」
ち「私も大学と就職で仙台に出たんですけど、家業が新しい商店街に出店することが決まって、私も関わろうと思って。震災が無ければ町に帰ってくることもなかったと思うし、いったん町から出たことで、人と人とのつながりとか、仙台とは違う価値観に気づけましたね。この町でも面白いことができるんだぞ、ってことに気づいて。だから私たちも面白い事をどんどん発信していきたいと思って。出てった人が外で知ったことを町に持ち帰って来て、面白いものになるといいなと思って。音楽とか、仙台で楽しんでたようなことも、意外と町でもできたりするんですよね。」
な「私インド映画好きだから、今度上映会しようよ!(笑)」
ち「じゃあうちの新しいお店でやりましょう!インドの飲み物とかつくって!」
か「じゃあ私、エンディングのダンス担当で!(笑)」
対談を終えて
職種は違えど、町で活躍盛りの20代の3人。町にかけるその想いから、町の一員としての力強さを感じさせてくれました。
また、一度町を離れたり、震災を機に町に入ってきた人たちとの出会いを持っていたりと、若く新しい感覚で町への視点を持っているようにも感じました。
偶然にも、仮設住宅から新しいお家への入居を目前にし、新しい生活を楽しみにする3人。
一緒に楽しい町のくらしをつくっていきましょうね!