南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りする連載企画「南三陸ひとめぐり」。第11弾は、戸倉地区の同級生、小野寺翔くんと三浦貴裕くん。震災から6年、20歳となって迎えたこの春、二人はそれぞれの道を歩み始めました。
当たり前が、当たり前でなくなったとき
小野寺翔くん、三浦貴裕くん。戸倉地区出身の二人は、保育園からいっしょの幼馴染。二人は、小学校、そして中学校と、ごく当たり前の学校生活を送っていた。それが一変したのは、2011年3月11日。当時、二人は中学2年生だった。高台にあり避難所に指定されていた戸倉中学校には生徒や近隣住民が身を寄せあっていた。しかし、想定外の津波は、避難していた校庭を覆いつくした。
必死で裏山を駆け上った三浦くんと小野寺くん。逃げ遅れた人の救出にあたった。着ていた衣類をつなぎ合わせロープでひっぱり上げ、授業で習った心肺蘇生を試みた。
助かった命と助からなかった命がある。多感な時期に目の当たりにした、これまで誰もが経験したことのないような大災害。それでも、それぞれの想いを胸に、歩みを止めることはなかった。
「高校生のときに語り部の活動をはじめました。熱心に聞き入ってくれる人がいた。語り継ぐことに意味があると実感した」と二人は話す。
進学で感じたギャップを感じ、南三陸ツアーを開催
ともに陸上部だった二人は、異なる高校に通いながらも、よく顔を合わせていた。高校を卒業後、小野寺くんは関東の大学へ、三浦くんは仙台の大学に進学した。そこで彼らは大きなギャップに気づくことになった。はじめての土地、見ず知らずの他人のなかで、自己紹介をしたときのことだ。
「南三陸町という名前どころか、宮城県を知らない人がいっぱいいたり。あんなに報道されていたのに…というのが正直な感想でした」
それぞれ地元を離れ大学進学を選んだ同級生が同じような体験をしていた。そんななか興味を持ってくれる大学の友人もいた。
「ぼくらが伝えられることがあるのではないか」
そんな想いで大学1年生の夏、Project”M”という団体を作り、大学の友人らを南三陸町に招いた。自分の知る南三陸を自分たちの言葉で案内した。
「案内するには、自分たちが町のことを知らなくてはならない。南三陸でがんばっている人の声を聞けたりすることは新鮮でした」
冬にも友人らを招き、昨年の夏は企業の支援もあり30人もの参加者があった。
南三陸での夢の実現のために、大学を中退
小野寺くんは、この3月でこれまで通っていた大学を中退した。4月からは岐阜にある林業の専門学校に入学する。ツアーを通して戻ってきた南三陸での出会いがきっかけとなった。
「国際認証であるFSC®森林認証を取得するなどがんばっている姿を目の当たりにしたことがきっかけです」
小野寺くんには、祖父の代まで炭焼きなどをやっていた山があった。しかし「田舎くさいし、儲からない仕事だと思っていた。自分がやるなんて考えたことは一切なかった」
ツアーでの出会いがきっかけとなり、林業への興味が出てきた小野寺くん。昨夏、小野寺家が代々守り受け継いできた財産である山に足を踏み入れた。
「震災でも、なくなることのなかった財産。専門学校を卒業したら南三陸に戻ってきて林業を営みたい。この山を守っていかなければいけないという使命を感じました」
本当になにがやりたいのか考える年にしたい
三浦くんは、震災時の経験から人を助けられる救命救急士を目指していた。しかし、この一年間での多くの出会いが、彼にたくさんの選択肢があることを教えてくれた。
「今しかできないことをしていきたい。震災を伝えるようなイベントを開催したり、語り部活動も積極的にやりたいし、南三陸をみんなで訪問する企画もやりたい。震災後のご縁が、自分の考えをどんどん新鮮にしていってくれている。自分が本当に何をやりたいのか、見つめる一年にしたい」
小野寺くんは岐阜へ。またいっしょに活動をしているメンバーの一人はアメリカへの留学も決まっている。「これまでよりも、仲間と離れ離れになってしまう。けれど、みんなそれぞれの地でふるさとだったり、東北に関わり続けるはず。仲間がこうしていろんな場所で活躍しているのは、とっても刺激になります」と三浦くんは話す。
いつかきっとこの町で
「長いような、あっという間のような」と二人が話す6年という月日。
復興への想いも、変化がある。「以前は、元の町をそのまま元に戻してほしいと思っていた」と話す小野寺くん。それでも今では、「さんさん商店街がオープンしたり、災害公営住宅が完成したり、新居も続々建ってきている。復興計画が形になっていくのは楽しみ」と話すようになった。
さらに、地元福島のことを伝えたい、と同じようなツアーを企画している仲間が生まれた。その人は、二人が初めて企画したツアーの参加者の一人だった。続けてきた語り部や、ツアーがじわじわと広がっていくことも実感している。
人生に正解がないように、復興にも正解はないのかもしれない。だけど、ひとつ確かなことがある。
「町が変わっていっても、ここがぼくたちのふるさとであること」
長く寒い冬が明け、20歳となって迎えた春。すがすがしい潮風に揺られながら、彼らは別々の道を歩み始めた。どんなに険しく、厳しい道のりでも、彼らはきっと乗り越えていける。
そして、大海からふるさとに戻ってくる鮭のように、いつの日かきっとこの地で彼らの道が重なり合う。今からそのときを、待ちわびている。