2017年3月9日、震災からわずか半年たったばかりの9月に南三陸町立志津川小学校の体育館の脇に造られた仮設施設『みんなの児童館』が閉鎖されることとなり、Tポイント様や利用されていた児童や先生方、小さな子どもたちやそのママたちと『さようなら会』が行われました。
みんなの児童館とは?
震災後、「Tポイント」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社様が南三陸町に入られたとき、町長や商工会の方々と今後の町においてどういったことが必要となってくるかという話し合いが行われました。その中で、生活の基盤づくりの必要性を強く認識、その中でも子育て支援、子どもたちの遊び場が大きな課題という認識を得たそうです。
震災直後ということもあり、建築材料が震災によりなかなか手に入らない状況でした。そこで地元の建設会社の山庄建設の協力により、コンテナを手配し、基礎工事も実施。震災からわずか4カ月、7月7日には着工。夏休み明けの放課後児童クラブのスタートに合わせ、9月5日に『南三陸町 みんなの児童館』が竣工しました。
午前中から午後3時までは小さな子どもたちや保護者が利用できる子育て支援センターとして、午後は志津川小学校に通う児童が利用する児童館として町民の生活を支えてくれました。
「みんなの児童館」という名前のとおり子どもたちはもちろん、ママさんたち、地域の住民といった「みんな」の拠りどころとなる施設となりました。
当初は3年ほどの使用予定でしたが、実際は5年半もの年月、「みんなの児童館」は地域に愛されました。
この春「みんなの児童館」は役目を終えますが、子育て支援センターは総合ケアセンター南三陸に移り、放課後児童クラブは志津川小学校の校舎へ移ります。
利用児童や先生からの言葉
さようなら会ではTポイント関係者様の挨拶から始まり、子どもたちが司会進行をつとめながら感謝の言葉を伝え、お手紙、絵やメダルもプレゼントされました。その他に学年ごとに分かれ宝探しゲームを楽しみ、最後は外壁にみんなで木に手形アートでキレイな花を咲かせ、会は幕を下ろしました。
そのなかでも、この施設に関わっていた子どもや先生からの胸に響く言葉が印象的でした。
「楽しい放課後児童クラブを過ごすことができた。建物とのお別れは寂しい。5年半、ありがとう」と利用していた子どもがここで過ごしてきた時間を思い返しながら、お礼の言葉を述べていました。
「6月の立ち上がりから、着々と進みあっという間に完成。当初、記録も記憶もないほど、スタッフの数や準備もギリギリでどーにかやらなくちゃと無我夢中でスタートしました。
そんな中いろいろな方々や団体とつながることができ、ここまでこれました。放課後児童クラブ以外にも子育て支援では年齢の異なる子たちがふれあい、親子で工作や料理を楽しんだり、色々な用途で施設を利用させてもらいました。5年半この建物で過ごした日々はとてもいい時間でいい空間だったと思います。愛着がたっぷりとわきました。お別れは寂しいですが、感謝の気持ちでいっぱいです。
これから、放課後児童クラブの場所は変わりますが、新しい場所でみんなで力を合わせて頑張りたいです」と先生も感謝の気持ちにあふれていたようでした。
利用者のひとりとして
私はみんなの児童館が竣工してからすぐに生後9カ月の息子を連れて午前中の子育て支援センターを利用させていただきました。
今振り返ると、そこで生まれたたくさんの出会いを通じ、私の人生も大きく変わったなと思います。そこでの出会いが、辛い被災生活に手を差し伸べていただきました。
当時、外はがれきの山。さらに粉塵が舞っていて、外で散歩もできず、育児をする環境としてはとても良くない状態でした。家の中で子どもと遊ぶにもお互いストレスがたまってしまっていたような状況でした。
しかし、こうした施設のおかげで、仮設住宅で生活を余儀なくされているママや保護者も、子どもたちを思いっきり遊ばせることができました。さらに、親も子も色々な方と交流することができ、料理教室やアクセサリー作りなどの工作を楽しんだり、せわしなく過ぎていく毎日にあって、唯一息抜きができる憩いの場となりました。
そんな私自身、そして多くの子ども、親にとって思い出のつまった「みんなの児童館」がなくなってしまうのはとても寂しいですが、これも復興へとまた一歩進んだという事だと思います。
多くの方に愛されたみんなの児童館、本当に5年半ありがとうございました。
最後みんなで描いた手形アートでは一本の木に綺麗な花が咲きました。