南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りする連載企画「南三陸ひとめぐり」。第12弾は、この春、都内の大学を卒業後、南三陸に移住して社会人生活をはじめた沖澤鈴夏さん。何気ない学生生活を送っていた彼女が、新卒Iターンを決断するに至った想いに迫ります。
都内の大学を卒業後、新卒Iターン就職
東北の長い冬が明け、南三陸にもようやく春がやってきた。
潮風を全身で受け止めたくなるような心地よい、おだやかな空気に思わず気分も安らぐ。これから迎えるゴールデンウィーク、そして夏に向かって南三陸は多くの観光客で賑わう。そんな、活気溢れる南三陸のホテルにあって、ひときわフレッシュな笑顔が目立つ女性がいる。
この春、この地で新生活を始めた沖澤鈴夏さん。彼女は北海道生まれの千葉県育ち。法政大学文学部地理学科をこの春卒業後、学生時代にボランティアやツアーを通して何度も訪れていた南三陸への移住を決断した。
「毎日、この大好きな海を見ながら仕事ができるということだけでも幸せ」と語る彼女は充実感に溢れていた。
高校生のときの記憶が脳裏をよぎった、大学の授業
東日本大震災があったのは、沖澤さんが高校1年生のとき。千葉県の自宅にいたときに揺れが襲った。
「関東にいた私ですら、この先どうなってしまうのだろうと不安になったのを覚えています。それでも、正直そのときはテレビの奥の世界を想像することができなかった」
受験のために勉強していた地理に興味がわき、大学は地理学科へ進んだ。
変わりない大学生活を送っていたとき何気なく受けていた授業でのこと。地質学の観点から、地震・津波を学んだ。そのとき、高校1年生の春にテレビ越しに見たあの映像が、ふと脳裏をよぎった。
「波が町を丸ごと飲み込んでいく映像をただ茫然と見ていた。あのときは、なにかしたいと思っていながら、なにもできなかった。今ならバイトで貯めたお金もある。学生だから時間もとれる。あのテレビ越しに見ていた町は今どうなっているのだろうと思い、一度、現地を訪れたいという気持ちが強くなりました」
南三陸で過ごした2週間で大学生活は一変
2014年の春。沖澤さんが大学2年生のとき。国際ボランティアNGO・NICEのワークキャンプで南三陸を訪れた。日本人3名に、タイ人、中国人がそれぞれ1名ずつ。国際色豊かなメンバーで歌津の寄木地区に2週間滞在した。初めての土地で、見ず知らずのメンバーと過ごす2週間。寝食をともにしながら、せわしないわかめの作業に励んだ。最初はぎこちなかったメンバーや地元漁師さんと、打ち解けていくのに時間はかからなかった。何気ない会話の一つひとつが心に残った。
「2週間の滞在で、本当の家族のようになっていた。帰るときは号泣して…『また戻ってくるね』って何度も何度も伝えたのを思い出します」
以来、何気ない大学生活を送っていた沖澤さんの生活は一変した。東京で開催される南三陸のイベントがあれば「おでって」に参加し、大学の卒業論文のテーマも、南三陸を選んだ。東京に戻って、きらびやかな都市のなかにいても、南三陸で過ごした日々が忘れられなかった。
「内定」をもらいながら、南三陸への移住を決断
初めて南三陸を訪れてから1年後。同級生がリクルートスーツを着て就職活動に精を出す頃、彼女は再び南三陸の地を訪れ、カッパに袖を通していた。来るたびに魅了されていく不思議な力がこの場所にあった。南三陸で過ごす時間が増えていくにつれ、「移住」ということも考えるようになっていった。地元の人からも「こっちに住んじゃえばいいっちゃ」と言われた。けれども彼女の心は揺れていた。
「ボランティアとして一時的に南三陸で活動するのと、移住してここで生活するのはまったく違うのではないか」
次第に大手企業に内定を得ていく大学の友人たち。沖澤さん自身も、関東を中心に就職活動を行った。実際に、とある企業から「内定」をもらっていた。
そんななか、大学4年生の夏に再び南三陸を訪れた。林業体験や、森里海のつながり、循環型のまちづくりなど南三陸の核心に触れた。すでに南三陸に移住をして活躍していた先輩たちとの出会いもあった。町に対して抱いていた想いが、変化していった。
「やっぱりこの町に暮らして、この町で働きたい。今、ここで起きていることを自分事として、南三陸のまちづくりの動きのなかに身を置きたいと感じたんです」
震災を教訓にした南三陸のまちづくり、そして一人一人が主体的に町に関わっている様子を見て、揺らいでいた彼女の心は一つに定まった。
内定をもらっていた企業に断りの連絡を入れたのは、このツアーの直後のことだった。
よそ者ならではの視点を仕事でも生かしたい!
2017年4月。ついに彼女は南三陸での生活をスタートさせた。
不安がないといったらそうでもない。それでも、この地を選んだ彼女に「おかえり」と声をかけてくれる、これまで南三陸で知り合った仲間・家族がいる。それが彼女の支えであり、励みだった。
働き場所は、観光客が多く訪れるホテル。
「はじめて南三陸を訪れてくれる人も多いと思います。ただ接客するだけでなく、南三陸がどういうところか、自分なりにかみ砕いて、わかりやすく説明できるようになりたい」と意気込む。
自分がよそ者だからこそ、旅行者がどういった情報を求めているのか、どういった伝え方をすればより伝わるのかも、わかるのかもしれない。よそ者として南三陸を訪れ、受け入れてくれたこの地に惹かれ、移住を決断した。そんな彼女だからこそ、活躍の場が無限に広がっている。
また、彼女には特技を生かした夢がある。その特技とは書道。準七段の腕前だという。
「師範までなって、書道の教室などをいつか開いてみたい」
この先、きっとたくさんの困難が待っている。でも、ここなら、あの大震災を乗り越えてきた、しなやかで、たくましく、心強い仲間がたくさんいる。そんな大好きな「南三陸の家族」が迎え入れた彼女の未来は、眼下にひろがる海のように前途洋々、大きく広がっている。
春のほがらかな日差しと、すべて包み込み受け入れるようなおだやかなリアスの海も、大きな一歩を踏み出した彼女を応援しているようだった。