<8月23日放送>みなさんぽ
今週の「みなさんぽ」は、好評のランチ企画「ランチさんぽ」!本格タイ料理が楽しめるお店「和sian-cafe aimaki」に伺いました。そして、インタビューは『ひころの里で夕涼み』について、入谷ふるさと振興会の山内恵美子さん、NPO法人ウィメンズアイの中島綾子さんにお話を伺いました。
オープニング
南三陸町民のランチについて行ってみる好評の企画。今回は、学生時代にバックパッカーだった浅野拓也さんのランチに同行させてもらいました!そんな元バックパッカーおすすめの料理は、南三陸町歌津にある「和sian-cafe aimaki」。店内に入るや否や、香辛料の香りがふわっと漂い、異国を感じられる、もちろん料理もタイ料理など人気のエスニック料理の本格的な味わいを楽しめる人気店です。
本格タイ料理のほか、自然派ワイン、スペシャルティコーヒーも楽しめるお店、ぜひ一度足を運んでみてください!
インタビュー
『ひころの里で夕涼み』について入谷ふるさと振興会の山内恵美子さん、NPO法人ウィメンズアイの中島綾子さんにお話を伺いました。
情緒ある日本家屋にて、夏の終わりの夕刻の時間をゆったりと満喫できるイベント「ひころの里で夕涼み」。「ホテルのチェックイン後、夕食前に豊かな里山もみてほしい、南三陸町の空気を味わってほしい」との思いで考え出された企画です。
開催日:8/19(土)、8/26(土)、9/2(土)、9/9(土)
聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます
パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことのできます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!
これからも応援を! 南三陸町のためにがんばるオクトパス君
南三陸町の人気キャラクター、オクトパス君。町内外のイベントに引っ張りだこで、地元はもちろん全国にファンがいます。南三陸町にとってオクトパス君の存在とは…?オクトパス君の活躍を振り返ります。
町内外で大活躍! 老若男女に大人気のオクトパス君。
真っ赤でまるっこいボディに、パッチリした目。頭にハチマキを巻いた愛くるしいタコ。南三陸町で生まれたキャラクター、オクトパス君です。オクトパス君が町内外のイベントに登場すると、子どもからお年寄りまで、老若男女に大人気! まさに引っ張りだこです。
オクトパス君の活躍の場は、イベントだけではありません。南三陸町では、警察署や消防署などの公式キャラクターになっています。また、病院や商店など、町のあちこちでオクトパス君のポスターやグッズを見かけます。地元に浸透し町民に親しまれているオクトパス君は、南三陸町のシンボル的存在です。
合格祈願グッズから、南三陸をPRする“ゆるキャラ”に。
オクトパス君が誕生したのは、東日本大震災前の2009年。当時、産業振興課の職員として町の観光振興に携わっていた阿部忠義さんが、観光協会とともに志津川の名産であるタコをモチーフに、合格祈願グッズとして「置くと」「パス(合格)」する=「オクトパス君」の文鎮を考案しました。徐々に人気が出てきたので、阿部さんはアトリエを設けて量産を開始。しかしそんな矢先、大震災の津波ですべて流されてしまいました…。
それでもめげずに、阿部さんはオクトパス君文鎮の製作に再挑戦。支援を受け、富山県高岡市で作ってもらうことに。2011年5月の福興市に出品したところ、500個ほどが完売しました。阿部さんが中心となり、同年6月に「南三陸復興ダコの会」を設立、翌7月には被災した住民の雇用の場として「入谷YES工房」をオープン。主力商品としてオクトパス君グッズの企画・製作に乗り出しました。
復興支援の風もあり、オクトパス君文鎮の売り上げは累計9万個を突破。オクトパス君人気を町の活性化につなげようと考えた阿部さんは、合格祈願・復興グッズとしての展開にとどまらず、オクトパス君を“ゆるキャラ”化。オクトパス君は、町内外のイベントに出動するようになりました。
オクトパス君の出動を支えるのは町の補助金。
2016年度の出動は、主なものだけで70回近く。ほぼ毎週末、オクトパス君は町内外のイベントに登場しています。出動の費用には、2015年度から「おらほのまちづくり支援事業補助金」を活用。2017年度も、南三陸町の魅力を全国に発信するため、オクトパス君キャラバン隊を結成して各種イベントに参加する「南三陸キャラバン隊プロジェクト ~オクトパス君!PR作戦~」の事業で補助金を申請し、採択されました。
「オクトパス君の出動は南三陸町のPRになっており、公共性が高いと考え、補助金を申請してきました。オクトパス君グッズの売り上げでは、スタッフの人件費や交通費といった出動の費用までは賄いきれません。身銭を切るのにも限界があるため、どうしてもがんばりきれない部分だけ、みなさんに応援してもらいたいと思っています」と阿部さん。
「外向けの発信も大事ですが、まずは地元の方々に喜んでもらえるよう、地域のイベントにオクトパス君が積極的に出動できるようにしています」と話すのは、オクトパス君グッズのデザインを手がける入谷YES工房の大森丈広さん。地元に根ざした活動を重視しながら、町外にも出かけていけるよう、バランスのよい展開を目指しています。
“公共財産”であるオクトパス君をみんなで守っていこう!
2017年10月8日にオクトパス君は8歳を迎えます。「今のオクトパス君があるのはみなさんの応援のおかげです。みなさんに育ててもらって、ここまできました。オクトパス君は、南三陸町を支援してくださっている人々と町の、絆の証です。みなさんに生かされているオクトパス君を、南三陸復興ダコの会が中心となりつつ、応援をいただきながら、これからも育てていきたいと思っています」と阿部さんは話します。
今やオクトパス君は、個人が生み出したキャラクターの枠を超えて、みんなのものに。つまり“公共財産”だと言えます。そんなオクトパス君を、これからもみんなで守って応援していきたいですね!
中高校生が活躍!地域に欠かせぬジュニアリーダーとは!?
「ジュニアリーダー(JL)」という言葉をご存知でしょうか?大きな声での挨拶、ゲームをしてくれたり、子どもたちのお世話をしてくれる元気一杯のお兄さんお姉さん。地域の大人と子どものパイプとなる大事な役割を担っています。そんなジュニアリーダーについて、担当の南三陸町教育委員会生涯学習課・大塚茂之さんに話を聞いてきました。
宮城県が発祥の地?!ジュニアリーダーとは?
ジュニアリーダーという言葉をご存知でしょうか?
ジュニアリーダーとは、子ども会活動を中心に地域活動を行う青少年ボランティアのこと。宮城県が発祥の地とされていて、青少年教育の一環として、現在では全国に広まっています。しかし、設置していない自治体も多く、まだ知らない人も多いとのこと。
とくに東北地方はジュニアリーダー活動が盛んで、なかには震災によって、活動拠点がなくなったり、子どもの減少を理由に活動を休止している団体もありますが、宮城県内には66団体ものジュニアリーダーサークルがあります。
南三陸町には「南三陸町ボランティアサークル(MVC)ぶらんこ」というジュニアリーダーサークルがあります。町の合併前、旧志津川町には「ありんこ」、旧歌津町には「どろんこ」という2つのジュニアリーダーサークルがありました。平成17年の両町の合併に合わせて、2つのサークルも1つになることになりました。サークル名は、どちらも似たような名前だったことから、「ぶらんこ」という名前をつけたそうです。
中高校生が活躍!子どもと大人のパイプ役に
ジュニアリーダーは、主に中学1年生から高校3年生が活動中。自治体によっては、小学5・6年生から活動に参加している団体もあるとか。南三陸町では、ジュニアリーダーになるためには、夏に行われるジュニアリーダー初級研修を受けなければなりません。2泊3日の研修の中でジュニアリーダーの基礎を学び、研修終了後、はれてジュニアリーダーとして活動することができます。
現在MVCぶらんこでは、29名の中高校生が活躍しています。中高校生は部活や勉強と両立させながら日々活動しています。
地域の大人と子どもを繋ぐパイプのような役割が、ジュニアリーダーに求められる役割です。ジュニアリーダーが子どもたちと遊んだり、お世話をすることを通して、地域の大人たちとの架け橋となることを目指しています。
子どもたちと交流するためのツールとして大切なのが、レクリエーションやハンドゲームなどのさまざまな遊び。ジュニアリーダーは研修会へ参加することで、さまざまなレクリエーションの知識や技術の習得をしているのです。
震災の影響を受けて子ども会活動が減少・・・
「震災前後で子どもたちの遊びや活動に変化がある」と生涯学習課の大塚さんは話します。
震災前は、季節ごとに各子ども会で芋煮会やクリスマス会など活動されていました。震災の影響により、それまでの地区がバラバラになったり、子どもが少なくなったりと要因が重なり子ども会はほとんど機能していません。
しかし、子ども会活動は減ったものの、志津川自然の家オープンデーや南三陸わらすこ探検隊など多くの団体によるイベントや活動がされるようになりました。町内のみならず、毎年秋に気仙沼本吉で行われる、わくわくキッズランドへの参加や町外ジュニアリーダーとの交流も盛んに行われています。
新たなコミュニティ形成の架け橋に
大塚さんは「活動の中で同世代との交流だけでなく、町の職員やOB・OGなど多くの人に関わることができる。その中で人との接し方などを学び、自然と身につけている。とても貴重な経験で将来につながる」と話していました。
大塚さん自身、初めてジュニアリーダーに会った時、拒むことなく“輪”の中に迎え入れている、どんな人でも受け入れていると感じたそうです。「大人になってもそう簡単にできることではないのに、自然にできるのはすごい」と話されていました。子どもたちにとっては、ジュニアリーダーが学校や家庭でもない、居場所やよりどころの役割を持っているようです。
今後、ジュニアリーダーは復興していく中での地域活動、コミュニティ形成に重要な役割になってくるかもしれません。どんな人でも同様に接することができる子どもたちだからこそ、“人と人”を繋ぐことができ、新たなコミュニティ形成の橋渡しとなることでしょう。
これから、季節イベントも増えていくと思います。どなたでも要請できますので、ぜひジュニアリーダーを活用してみて下さい!
ジュニアリーダー要請・お問い合わせ
南三陸町志津川公民館 0226-46-5103
<8月16日放送>みなさんぽ
今週の「みなさんぽ」は、TOMODACHI米日ユース交流プログラムで南三陸に来ていた学生のランチに突撃。そして、インタビューは今月の月間プレゼントにもなっている及善かまぼこ店の工場見学についてお話を伺いました。
オープニング
『心結ぶカフェ むすびや』でランチしていた高校生たちのタイトルコールでスタート。TOMODACHI米日ユース交流プログラムに参加しているアメリカの高校生が食べていた南三陸の味とは?
南三陸の食を満喫するアメリカ人の学生のコメントが印象的でした。
インタビュー
南三陸町の老舗蒲鉾店『及善商店』の専務取締役・及川善弥さんにお話を伺いました。
6月には南三陸町入谷の地に新しい工場が完成して、6年ぶりに地元に戻っての蒲鉾作りが始まりました。”ここに戻ってきてやれることに感謝。ようやくこれからだなという思いです”とおっしゃる善弥さん。
新工場には、見学通路が設けられ、予約をすればガラス越しに蒲鉾作りの様子を見学することができます。
見学が進むと、工場側からパタッと小窓が開いて中からできたてほやほやの蒲鉾が。あつあつをその場で試食させていただけるんですよ。
【工場見学について】
時間:午前9時〜11時
お電話で予約が必要です。
電話番号 0226-46-2048
育児も仕事もすべてを一生懸命頑張るママ!
今回紹介する方は南三陸町に嫁いで8年、現在7歳の娘ちゃんがいる工藤望さんです。望さんは秋田県秋田市出身で、現在は旦那様のご両親、旦那様、愛娘の光奈乃(ひなの)ちゃんと南三陸町の入谷地区に暮らしています。
旦那様との出会いは?
南三陸ふっこう青年会の会長も務める旦那様の工藤大樹(ひろき)さんと、同じ大学の短大生だった望さん。
2歳年下の旦那様とは友人の紹介で知り合い、約4年間もの遠距離恋愛の末、結婚しました。
その後娘の光奈乃ちゃんが生まれ、娘の成長を楽しみながら、幸せな日々を過ごしていたそんな矢先、2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。
光奈乃ちゃんはその3月にちょうど1歳を迎えるはずでした。
すべてが変わった大震災
震災前住んでいた家から海は見えなかったのですが、嫁いだ時に旦那様から『地震が来たら津波がくるからすぐに高台へ避難をするように』と伝えられていたという望さん。2011年3月11日の大地震後、光奈乃ちゃんを連れ、何も持たずに車で近所の避難場所へ避難しました。
しかし避難した避難所にも津波が襲ってきました。小さな娘を抱えながら必死でより高台へ避難し、かろうじて助かったと話します。
震災前、光奈乃ちゃんの初節句に購入したおひな様は、1カ月も経たずに、住んでいた家ごと津波に流されてしまいました。
2011年5月に仮設住宅に入ることができ、約3年間仮設住宅で生活。その後ようやく南三陸町の入谷地区に家を再建することができました。
震災後は、ボランティアさんの受け入れや町案内などの仕事に就き、震災を語り継ぐ活動に自身の震災体験を語る「語り部」として参加されていました。
震災で住む場所や生活環境も変わってしまいましたが、現在も仕事や育児など、望さんはすべて一生懸命頑張っていらっしゃいます。
嫁いで大変だった事、良かったこと
親戚付き合いが濃く、助け合い、支え合いがすごい!ただ親戚の範囲が広くて覚えるのが大変でした。
言葉は秋田と似ていて何となく理解ができましたが、早口、浜言葉はなかなか難しい。
南三陸町では、車がないと生活するのが大変。
また子どもが急に体調を崩してしまったとき、近くに対応してくれる病院がないので、遠くの病院に行かないといけないので大変です。入谷小学校には学童保育がないのと、休日などの預け先がないのでこれらがあるとさらにいいですね。
しかし、食べ物がとても美味しく、町の方はウエルカムに迎え入れてくれ、親しみやすく、アットホームで、温かい人が多く、馴染みやすい環境だと思います。
愛娘の光奈乃ちゃんの名前の由来は?
名前は親から初めて送る大事なプレゼント。親の名前を一文字ずつとって愛娘へのプレゼントとしたそうです。
旦那様からは、「ひろき」の「ひ」を、旦那様のお父様から「なおき」の「な」を、ママから「のぞみ」の「の」で「ひなの」とつけました。
そして明るい子になってほしいので「光」の字を使いました。
光奈乃ちゃんへメッセージ
ひなっちのおかげで家族みんなが優しい気持ちになれています。
これからも明るく、優しい子になってね。
<8月9日放送>みなさんぽ
今週の「みなさんぽ」は、入谷地区の農家阿部勝善さんの自宅からスタート。旬のトウモロコシをいただきました!そして、インタビューは14日(月)に開催!南三陸のお盆の風物詩「盆踊り大会」について南三陸ふっこう青年会会長の工藤大樹さんにお話しを伺いました。
オープニング
夏といえば、トウモロコシ!
以前、長ネギの放送でも登場していただいた阿部勝善さんの畑では旬を迎えたトウモロコシがならなんでいます。「トウモロコシは鮮度が命」と話す阿部さん。朝採れたてのトウモロコシを、すぐに茹でたトウモロコシはとっても甘い!スイーツのような味わいでした。
入谷のサン直売所、さんさん商店街の「さんさんマルシェ」にも並んでいるとのこと。見つけたら、ぜひ食べてみてください!
インタビュー
さんさん商店街で14日(月)に行われる『Re盆踊り大会』について、主催する南三陸ふっこう青年会の会長・工藤大樹さんにお話を伺いました。
当日は北海盆唄や相馬盆唄で踊りの輪が広がるほか、南三陸町ならではのトコヤッサイ、その他に、にんじゃりばんばんや恋ダンスなど子どもから大人まで楽しめるプログラムになります。
また夜市も開かれ、おまつりならではの美味しい物もあります!
南三陸のお盆の風物詩。盆踊り大会で楽しいひと時を過ごしてみませんか?
【Re盆踊り大会】
日時:8月14日(月)17:00〜20:00
(同日16時より踊りの練習会が行われます)
場所:さんさん商店街センターコート
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試合も、交流も本気!入谷地区対抗バレーボール大会
40年以上にわたって入谷地区で続く地区対抗バレーボール大会。今年も入谷小学校体育館には200名を超える方々が集い、笑い声と威勢のいい掛け声が響き渡っていました。健康をつくり、コミュニティをつくり、笑顔をつくる入谷のバレーボール大会を取材してきました。
41年続く入谷の恒例行事
7月2日、第41回入谷地区対抗バレーボール大会が開催されました。
入谷地区は11行政区からなっており、その各地区から約10名の代表者がチームを作りエントリーしています。震災後に男女混合になり、ビニールバレーになったそうですが、その前は男女別で行われていたそうです。
入谷地区はスポーツ振興に熱心で、年間を通じて3回の大きな体育行事があり、6月はソフトボール大会、7月はバレーボール大会、10月には運動会を行ってきました。
今回のバレーボール大会には運営、応援、参加者合わせるとざっと200名くらいの方が集まっており、選手のほとんどが20代から40代前半の方だそうです。これだけ若い世代がいちどうに会すことも珍しく、また、終わった後の慰労会でさらに親睦が深まり、それを楽しみにして参加する若者も少なくないとか。
震災にも負けず、若い人が集まる場所に
入谷の体育行事の中には、震災の年から中断したままの行事もありますが、バレーボール大会だけは1年も休まなかったそうです。
町内では一番被害が少なかった入谷地区。他地区へのさまざまな支援をしながらも、「こんな時だからこそ入谷くらいは元気に!ここから町を活気づけていこう!と、延期はしても、1年も休まなかった」とお話ししてくれたのは、佐藤伸(さとう しん)さん。各地区にいる体育振興員の代表で12年間8区の体育振興員をされています。
年々ライフスタイルの変化などもあり、参加者も減ってきましたが、新たに加わる人もいるそうです。震災で入谷に住居を構えた人や災害公営住宅に入居した方々です。地区のコミュニティにも入っておらず、普段なかなか交流することがない人々にも、バレーボール大会のおかげで声がかけやすくなったという声もあります。大会開催の趣旨には公営住宅や仮設住宅との親交も入っています。実際、震災後に入谷地区に引っ越してきた方が多数参加されていました。
「こんな機会はなかなかない。いい親睦の場だ」と話す佐藤さん。こうして、付き合いのなかった住民間につながりが生まれ、親交が深まっていきます。
地域の会合には若い人がなかなか集まらず、地域離れが深刻。そんななか、これだけ若者が集まるこのバレーボール大会は大きな役割を担っているのかもしれません。
健康と笑顔あふれる体育館
体育館を出ようと入口に向かうと「血圧測ってみませんか~?」「どーぞ、どーぞ!」と声を掛けられました。メディカルチェックを受けることが出来るそう。
南三陸町役場保健福祉課健康増進係のみなさんと入谷地区健康づくり隊の菅原文雄(すがわらふみお)さんにお話しを伺いました。
2年前、町民の健康増進のための計画を町で策定しました。その策定メンバーだった各地区の方々がそのまま「健康づくり隊」となり、地域の中でさまざまな活動をしているそう。
入谷地区は出張血圧測定が活動の一つ。看護師さんや保健師さんが出張し、血圧を測り、結果に基づいて健康や生活の専門的なアドバイスをしてくれます。
町で行っている住民健康診断は受診率が3割程度だそうで、勤め先で受診する機会がある人もいるでしょうが、それ以外の方も多いはず。そんな方にもっと積極的に受診してもらいたいと、きっかけづくりのためにこの出張血圧測定をしているそうです。
これは希望者に行っているのですか?と聞くと、「はい、強制ではありませんが、強力におすすめしています!みなさんの健康のためですから」と満面の笑みで話します。
大会はどの試合も大盛り上がり。チームによってさまざまな掛け声があったり、応援があったり、どこもチームワーク抜群です。
得点が決まるたびに歓声がおこり、ポイントゲッターにみんなハイタッチを求めて駆け寄ります。
この大会は年々白熱していっているそうで、体育館は終始歓声がひびき渡っていました。
まるで学生時代の部活動のよう。大人になってこんなにスポーツで盛り上がる機会はなかなかないものです。
入谷で続くバレーボール大会は、健康をつくり、コミュニティをつくり、笑顔をつくる、素晴らしい大会でした。
県立志津川高校に自主学習の場「学習支援センター」を町が提供
県立志津川高校に「志津川高校学習支援センター」ができました。設立にあたり、町が運営費を負担。県立の高校に学習支援センターを設置するのは宮城県では初めてで、全国的にも珍しいです。生徒達の自習学習の場として今後活用されていきます。
宮城県では初、県立高校に学習支援センター設立
震災後、人口流失にともない、志津川高校でも年々生徒数が減少。震災前は420名ほどでしたが、今では半分の230名程に。生徒数の減少を町としてもなんとか食い止めようと、町の企画課が「志津川高校魅力化懇談会」を立ち上げました。その後、町職員、教職員、NPO法人キッズドアの代表ら約20人で話し合いを実施。町の中学生、保護者にアンケートで「志津川高校に何を求めるのか」など尋ねたところ、「学力の向上、進学対策」などが多く挙げられました。
懇談会でその結果を踏まえ、「志津川高校魅力化プロジェクト」の一貫として、学習支援センターを設立することになりました。生徒数の減少に歯止めをかけるとともに、学力の向上が目的です。
学習支援センター運営費は町が負担
設置したのは志津川高校同窓会ですが、運営にかかる費用はすべて「ふるさと納税」の寄附から町が出しています。震災後、生徒達の活躍や町唯一の高校ということもあってか、地域住民からの思い入れも強く、「おらほの学校・地域で育てる」との思いもあり町が運営費を負担しています。
「モアイバスの寄贈、福興市への出店、部活動の活躍など多くの元気を町にくれました。この学習支援センターはそんな皆さんへの町からの贈り物です」と話す、同窓会会長の小畑政敏さん。
佐藤仁町長は式典あいさつで「全国の思いが詰まった学習支援センター、感謝の気持ちを忘れず、自分のスキルを上げて頑張って下さい」とあいさつされました。
県立高校に学習支援センターを設置し、運営費を町が負担するのは、宮城県では例がなく、全国的にも珍しいです。そのため一つのモデルケースとして確立すれば、志津川高校の新たな取り組みとして、全国に発信することができます。
タブレットを活用し、個人にあわせた学習
学習支援センターを運営するのは、NPO法人キッズドア。震災後、南三陸町内の小中学校で放課後学習や小学低学年を対象にした放課後見守り活動などを行っています。
学習支援センターには、スタッフ3人が常駐。塾などとは違い、自分のやりたい勉強を自分のペースで行うことができる。スタッフは問題の解き方を教えるだけではなく、学習の進め方などの学習相談にも対応します。
学習支援センター内にはタブレットやパソコンが設置されており、これらを活用した「ICT学習」を取り入れています。これはweb上に公開されている予備校講師の授業を受けることができる仕組み。資料はダウンロードして設置されているコピー機から印刷することができます。また公開されている授業は高校受験の内容からセンター対策、公務員対策など幅広く対応しているため、生徒一人一人にあった学習ができます。
夢を掴み取る自主学習スペース
学習支援センターの名前は「志翔学舎」。“志を待って羽ばたく学び舎”というという思いが込められています。
志津川高校校長の山内松吾さんは「勉強するのに環境は選ばない。あの高校だから諦めるとかではなく、ここで努力して、自分の努力で未来を切り開く。復興の手助け、社会に役立つ人間になってください」と話していました。
NPO法人キッズドア 志津川高校学習支援センターセンター長の佐藤陽さんは、「自分で決めた夢を叶えるために、学力が足りないということにはなってほしくない。学習環境を提供することしかできないが、生徒達には有効に活用して頑張ってほしい」とのこと
生徒にとってもこういった学習スペースができるのは嬉しいと話していました。
「進学となると肩身が狭い思いをしていたが、ここでは気にせず集中して勉強に取り組むことができる」と話す生徒もいました。
さまざまな人の思いが込められた、この学習支援センター。今後、復興の担い手となる若手がこの場所から育っていくことが期待されています。
南三陸町志津川の田んぼに大ダコあらわる?!
赤土の盛り土に囲まれる、中瀬町地区。茶色一色の風景の中に緑色が広がる。コントラストが美しい田んぼの中に突如大タコが現れた!これは一体?!謎に迫ります。
大ダコ!その正体は・・・
国道398号から志津川高校方面に曲がると、まぶしいほどの稲の緑が目に飛び込んできます。
ここは廻館、中瀬町地区、震災で大きな被害が出た地区です。その田んぼをゆっくりゆっくり見回りする男性がいました。
廻館復興組合の西城善昭(さいじょうよしあき)さん。震災前からこの町でいちごや米を栽培してきた農家さんです。
廻館復興組合とは津波の被害を受けた廻館と中瀬町地区の約60軒の農地を5軒の農家で請け負い、作った組合だそう。
その組合で田んぼの復活を目指し、管理してきました。この地区は災害後のしばらくはがれきがあり、もちろん稲作はできませんでした。がれき撤去、整地、山から土を運び、ようやく昨年田んぼの復旧が完了。そして今年5月、7年ぶりに田植えが行われました。面積は5ヘクタールほど。
西城さんに案内されて田んぼの奥の奥、中瀬町へ進むと、志津川高校の入り口と旧志津川駅の間あたりに様子の違う田んぼが一枚。緑の中に急に何かの模様が見えます。丸が折り重なるような・・・
実はこれ、田んぼアートだそう。でも何の柄かわかりません。幾何学模様のような・・・
「田んぼの向かいの小高い場所に上ってみてごらん」と言われ、上がってみると、現れたのは大きな“タコ”。下から見るより、想像していたより、大きい!「西の明石、東の志津川」と言われるくらい有名な当町の名物、タコ!そのイラストが茶色の稲で描かれていました。
7年越し、田んぼにかける思い
西城さんたちはなぜこの地で田んぼアートを行っているのか。
全国的に米出荷額の値下がりが問題になり、やめていく稲作農家も多いという昨今、米に新しい価値を見出せないかと考えていた西城さんは、青森県田舎館村で田んぼアートに出会いました。そこで見た田んぼアートは圧巻で、2年で4回も訪れたそうです。
これを南三陸でも・・・自分たちの田んぼでもやったら、人がたくさん来て町のためにもなるのでは?田んぼアートで見に来たお客さんに喜んでもらえたらと考えたそうです。
それがこのタコが生まれた理由でした。
しかし、田舎館村のようなアートを理想にいざ取り組み始めてみると大変なことばかり。田んぼは整備してもらったものの、トラクターをかけるたびにたくさんの石が出てきたそうです。
田んぼから見えるところに砂利や石の山ができていました。ブルドーザーかなにかで盛った工事の石かと思っていましたが、それはすべて西城さんたちとボランティアが手作業で拾い集めた石だそうです。それもたった約20名で数回にわたり行ってきた結果。「大量の石を拾ったが、まだまだ耕すたびに出てくる」と西城さん。
もっと困ったのがアート。本当は田舎館村のような絵を描きたい、でもそれにはプロの測量が必要。ポケットマネーで行っている西城さんたちにはまさに桁違いの金額だそう。でも諦めず自分たちでできるところまでやってみよう!と、方々に協力を頼みました。
協力してくれたのが志津川高校の生徒たちと全国から集まってくれたボランティアです。
少ない人数で作り上げた大きなタコ。「素人の測量だから難しい絵はできねぇんだ。だから全部丸で描いたタコだ!ほんとはタコって8本足だけんどよ、このタコ4本しか足ねーんだよ」と西城さんは笑っていました。
「今年は初めてだったからこの位だけんどよ、来年はもっと人集めて、大きさも広げて、見る場所も駐車場もたくさん用意してやりてーんだ」と今後のビジョンを語ってくださった西城さん。今後の田んぼアートの進化が楽しみです。
震災の爪痕残る高台から田んぼアートを一望
田んぼの前の小高い丘、ここに上ると田んぼアートの全容が見られます。この場所は震災の時、西城さんを含む近隣の住民が避難した場所だそう。
上がってみると、柵が倒れまだその時のままになっています。ここまでも津波が上ったのです。震災の爪痕が残るこの丘から復興途上の町が一望できます。
7年の時を経て再開した稲作、建設中の水尻橋、かさ上げ工事真っただ中の志津川の市街地、そして今年3月に本設オープンしたさんさん商店街。
あの日絶望を見たこの丘から希望を見られる日がやってきました。訪れる人の目にどんな風に映るのか、それぞれの想いを胸にたくさんの方にご覧いただければと思います。
インフォメーション
【アクセス】
国道398号線から志津川高校入口の方へ向かって曲がり、高校入口を過ぎて田んぼ沿いに少し進むと一番奥の田んぼがタコアートの田んぼです。
その前の丘には左から上ることができます。民家に向かう私道の中腹に右に入れる小道があり、ここを進むと田んぼアートを観ることができます。
お車でお越しの場合、丘の下の道路に通行の邪魔にならないよう駐車の上、ご覧ください。
【期間】
9月中頃まで