第5話 出産前後に夫にしてもらった4つのこと【後編】

移住者夫婦である筆者が、南三陸町で妊娠、出産を経験し、子育てに奮闘する中で「え、これって〇〇だったの?!」と感じたことを綴っていく連載企画。今回のテーマは、いよいよ「出産」です!

出産前後の夫がやるべきこととは・・・?

さて、前回に続き、出産前後に夫にしてもらったサポートについて書いていきたいと思います。おさらいになりますが、出産前後、夫にしてもらったことは次の4つでした。

1、陣痛に備えて、いつでも車を出せる準備をしておく

2、いつ生まれてもいいようにあらかじめ仕事の調整をしておく

3、逐一、親族等へ連絡をする

4、とにかく、妻の側にいる

今回は、後半の3と4について書いていきたいと思います。

3、逐一、親族等へ連絡をする

出産間近になると、夫の家族、私の家族とそれぞれラインのグループを作って、出産の兆候があったらこれで知らせるからね、ということにしていました。

夫は逐一、「陣痛が来たっぽいので病院連れて行きます」「入院になりました」「陣痛強くなってきて、早ければ昼過ぎには生まれるそうです」といったことをラインで報告してくれていました。

正直、病院についてからはスマホを触る余裕なんて一切なかったので、夫が連絡関係の全てを担ってくれたのは助かりました。

さらに、生まれてから、夫の家族がお見舞いにくる時の対応や、出産後手伝いにくる母の送迎に関する連絡もそのままの流れで夫に一任。ついでに、SNSでの「無事赤ちゃん産まれました」の報告も。私をタグ付けして投稿してもらったので、私の友人たちにも一斉に報告できました。

ちなみにこのとき作ったライングループは、そのまま娘の写真をシェアするものへと用途を変え、いまも続いています。

4、とにかく、妻の側にいる

はい、これです。

むしろこれまでの3つは蛇足で、夫の役割なんて、これしかないと言えるくらい、これが大事でした。

病院に着くと、まず簡単な診察があって、これは本陣痛だね、となると入院になります。そこでLDRという、陣痛から産後数時間までを過ごす部屋に通されます。これが結構居心地よく作られていて、部屋のなかにトイレもついてるし、音楽が流せるようにコンポが置いてあったりします

陣痛に耐えてるときは普通のリクライニング機能付きのベッドのようなものが、いざ出産です、となると分娩台になるんですね。立会い出産でないとはいえ、夫もこのLDRに一緒に入れます。助産師さんやお医者さんが来て、診察します、とかいよいよ生まれるので準備しますね、というときだけ、旦那さまは外でお待ちください、と言われる感じでした。

その部屋でパジャマに着替えて、陣痛の強さや間隔を測るセンサーをお腹に巻かれて、はい、じゃあ1時間に1回くらい様子見にくるので、何かあったらナースコールしてくださいね。となるわけです。

え、1時間に1回??

そうなんです。入院したら安心と思いきや、「何か」ない限りはLDRという部屋に隔離されたまま基本放置。(もちろん、お腹のセンサーは助産師さんがいる部屋でも見れるようになっていて、常に確認されているので、放置ではないですが)襲い来る陣痛の波に耐えること、約6時間。とても一人じゃ耐えられません・・・。

とはいえ、この時私は陣痛の波に呼吸を合わせ、恥骨のあたりを押し広げて降りてこようとする赤ちゃんの気配に神経を集中させてるので、いま私に指一本触れないで!という状況。夫もそれを察していたので、余計なことはせず、私の指示で飲み物を渡したり、ベッドのリクライニングを微調整したり、BGMのCDを替えたり、ということをいそいそとやってくれていました。

出産って一度始まってしまうと待ったもかけられないし、この苦しみがいつまで続くのかわからないまま、ひたすら自分が戦うしかないんです。でも、それを見守ってくれている人がいるというだけで、気力を保ってられるんですよね。なので、これから奥さんが出産に臨むという世の旦那さんたちは、どうせ男なんて何もできることないんだから、いても無駄じゃない?なんて思っちゃダメです!声に出さなくてもいいので、できるだけそばにいて応援してあげてください。

苦しがる人間を目の前にして6時間なすすべもなくただ居るというのも、ある意味苦行だなと思いますが、寄り添い続けてくれた夫には感謝です。

陣痛中はそんな感じでしたが、もう一つ夫がいてくれてよかったなと思うのが、出産直後のひと時です。赤ちゃんが生まれると、赤ちゃんの体を綺麗にしたり、異常がないか診察したり、身長体重を測定したり、といった一連の作業が終わったあと、父親(そう、この瞬間から父親と呼ばれるんです)がLDRに呼ばれます。このとき私は、それまでの痛みがすうっと消えて、全身にみなぎっていた緊張もふわっと抜けて、やっと出会えた赤ちゃんを胸の上に乗せられていました。(カンガルーケアというそうです)

この、夫と赤ちゃんが初めて対面して、助産師さんも出て行って親子3人きりになったときの気持ちっていうのが、本当に人生で最も穏やかな心持ちというか、幸福なひと時だったんです。ただただゆったりとした静かな静かな時間で、いまこの時を過ごせていることが人生のギフトだなあと思えるような時間でした。いまだにこのときの貯金で今もがんばれているような気さえします。

さて、そんな感じで夫のサポートもあり、無事赤ちゃんを迎えることができました。

次回からはいよいよ、育児編。新米母ちゃんが南三陸で子育てをして感じたことを綴っていきたいと思います。

クリーミーな牡蠣を満喫するイベント開催中

南三陸の冬を代表する食材、牡蠣。たっぷりと牡蠣を楽しめる「南三陸さんさん商店街 牡蠣フェスティバル~第二弾 熱々大作戦~」が開催されています。フェスティバルは今月末まで。たっぷりと牡蠣を楽しんでください。

南三陸の牡蠣はなぜおいしい?

南三陸の冬の代名詞のひとつでもある「牡蠣」。プリップリの大きな身で、ひと口ほおばれば、濃厚でクリーミーな甘さに思わず笑顔になってしまう――。生はもちろん、焼いても、揚げても、蒸しても、煮ても、牡蠣のおいしさをしっかりと楽しむことができるのが特徴です。
「今まで牡蠣は苦手だったけれど、南三陸の牡蠣を食べて大好きになった」と好評の声が届くことも少なくありません。

なぜ南三陸の牡蠣はおいしいのか?

その秘訣は、南三陸町全体の自然環境にあります。分水嶺に囲まれた南三陸町は、森から豊富なミネラルを含む水が志津川湾に注ぎこみます。さらに、外洋からの栄養素も交じりあい、志津川湾は牡蠣にとって最適な生育環境となっているのです。こうした環境で育った牡蠣だからこそ、濃厚でクリーミーな味わいとなります。

牡蠣を楽しめるフェアがさんさん商店街で開催中

そんな牡蠣をたっぷりと楽しめるイベントが、来月本設がオープンして2周年を迎える「南三陸さんさん商店街」で開催されています。

その名も「南三陸さんさん商店街 牡蠣フェスティバル~第二弾 熱々大作戦~」。

さんさん商店街に出店する11店舗が工夫を凝らしたオリジナル牡蠣メニューをそろえています。
寒さ厳しい南三陸町の冬。どうしても冬場は客足がにぶくなってしまいます。そんななか「南三陸の冬の魅力をたくさんの人に伝え、冬の南三陸を盛り上げたい!」「冬の南三陸にもたくさんの人に来てほしい!」との想いで商店主たちが手を組んで企画しました。

焼き牡蠣、カキフライ、カキすき鍋、牡蠣入りつみれ汁、カキ天、カキそば、カキの焼きカレーなど各店のアイディアと工夫を感じられるラインナップです。

「実際に、各店食べ比べをしたり、何度も商店街を訪れてくれている方も多い」と話します。

開催期間:1月10日(木)~2月末日まで
※終了時期は牡蠣の水揚げ状況により変動いたします

参加店舗:海鮮 マルセン・山内鮮魚店・及善蒲鉾店・創菜旬魚 はしもと・フレッシュミート佐利・かいせんどころ 梁・弁慶鮨・食楽 しお彩・coffee&curry 月と昴・阿部茶舗・NEWS STAND SATAKE(計11店舗)

冬も南三陸にお越しください

四季折々の魅力がある南三陸町。とくに牡蠣に代表される「食の豊かさ」を味わうには「冬が一番!」と話す人もいるほど、おいしい食材にあふれています。

南三陸を象徴する食べもののひとつ「南三陸キラキラ丼」に次ぐ新名物として昨年誕生した「さんこめし」も今年の提供は2月末まで。

「まだまだ、南三陸には全国に誇れるおいしい食材がたくさんあるので、今後も南三陸に足を運びたくなるチャレンジを商店街として続けていきたい」とさんさん商店街飲食部会部長及川満さんは意気込みます。

ぜひ南三陸の冬を楽しみに訪れてみてください。

パノラマ

志津川湾って、すごい!シリーズvol.9「アワビは、すごい!」

今回のテーマは「アワビは、すごい!」だ。南三陸の冬の風物詩でもあるアワビ。でも意外にその生態は知らないことだらけ。今回の記事ではそんなアワビの謎に少しだけ迫ってみたいと思う。

アワビは何貝?

南三陸の冬のご馳走の1つといえば?!

そう、アワビだ!

正式にはエゾアワビと言い、みなさんも知る通り高級な食材としてとても有名だ。
日本には10種類のアワビがいるのだが、三陸の海に生息し採られているのが、この蝦夷アワビなのだ。

さて、ここで問題。アワビは何貝?!
二枚貝?巻貝?それとも貝じゃない?!(笑)

答えは”巻貝”。

その殻を よーく観察してみると、渦を巻いているところがあるはずだ。これが巻貝である証拠なのだ。

アワビも限りある資源

さて、そもそもアワビはどこにいて、どのように採取するのだろうか。大人になったアワビの主食は海藻。つまり海藻があるところに生息していて、海藻が生息しているということは、それは太陽の光の届く深さということになる。だから海女さんたちが素潜りで採ることができるのだ。

志津川湾では、養殖しているものもあるのだが、基本的には漁師さんたちが船で海へ出て鈎(カギ)という道具でアワビを採ってくる。

突然ですが、“開口”という言葉をご存知だろうか?!

「かいこう」と読むが、通称「くちあけ」とも言う。これは漁業に関する言葉で、ある一定の期間の中で、決められた海産物を採取しても良い、と事前に漁協から日にちや時間が設定されることを言う。

夜明けとともに始まる開口

開口がある海産物には、「うに」「ひじきやふのりなどの海藻」「アワビ」「あさり」「つぶ」などがあり、これらは漁師さんでもいつでも好きなときに海にいって取っていいわけではないのだ。

海産物で採取する日が決まっているものがあるなんて驚いたのではないだろうか。海はいつでもそこにあり、魚も貝も海藻もいつでもそこにあって尽きることはない錯覚をおこしそうになるが、実はこれらは限りある資源で、根こそぎとってしまうとなくなってしまう。私たちが食べたいから、売りたいからと好き放題に採ってしまえば、底を尽いてしまうのだ。だから採るルールを決めて、なくなってしまわないように採取する、それが開口だ。

箱メガネで海を覗いた様子

アワビが少なくなっている!?

海藻藻場の優れた環境としてラムサール条約登録湿地にもなった志津川湾の、その豊かな海藻の中で育ったアワビ、美味しくないはずがない。しかし漁師さんの言葉によると、近年アワビの漁獲数はどんどん減って来ていて、またサイズも小さくなっているようだ。

この背景には、震災の津波でアワビの稚貝たちが流され、ちょうど今頃、ほんとうだったら成貝になって採取できるくらいになっていたはずのものがいないということがあるらしい。しかしそれだけではなく、成貝でもちょっと小さめのものでもどんどん採ってしまうことで、アワビの子どもがつくられないということもあるようだ。”取りすぎ”ということになる。

志津川湾では、開口というルールが決められ、さらには潜って採取することを禁止したり、船の上から鈎でとるという伝統的な手法でのみ採取を許可して取りすぎを防ぎ、また稚貝の放流などもおこなってきているが、まだまだ改善には至っていない。もう一段階進んだ取り組みも検討しないといけないのだろう。

食文化に欠かせないアワビ

日本人が大好きなアワビ。

南三陸では、お正月に欠かせない食材の1つでもあり、お雑煮の出汁をアワビでとる文化がある。具材としてももちろん活用されている。そのほかにも、アワビごはんにしたり、茶碗蒸しの具材にしたりなど、南三陸の食文化の豊かさおそるべしと言える。しかし、この文化の継承もアワビが採れてこその話だ。

美味しく、そして文化にまでもつながる海の資源のアワビを、町民の立場からも守るためには…

そうだ、アワビについてもっと勉強しないといけない。目や歯の位置や形、小さい頃はどこにいるのか、何年くらい生きるのかなど。南三陸・海のビジターセンターに行けばそれらを学ぶことができる。アワビについてしっかりと学ぶことがアワビを、自然を大切にする一歩目のような気がするぞ。

海研一でした。

2019年1月31日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

 

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

 

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

他の定点観測を見る

『めぐるステーション』実証実験を終えて(後編)

昨年10月から11月いっぱいまで、2ヶ月にわたる『めぐるステーション=ごみ分別と住民交流』の実証実験が終了しました。日常の暮らしで必ず出される生活ごみについて、新たな気づきや取り組みなど、利用者目線で追ってみました。前編後編の2本立てです。

感謝ポイントと住民交流

前編はこちら 「『めぐるステーション』実証実験を終えて(前編)」

めぐるステーション実証実験のもう一つの取り組みが『感謝ポイント』の付与です。登録した方がステーションにやって来てカードを端末にかざすと50ポイントが付く。隣接する薪ストーブの薪割りを手伝ったら30ポイント、血圧計で計ってみると10ポイント、リユース品の提供で20ポイントなどの特典も。また、貯まったポイントは『えんがわカフェ』でコーヒーやお茶に50ポイントで交換できたり、200ポイントで『あさひ幼稚園にクリスマスツリーを贈る』活動に換えたり、300ポイントを液肥で作ったお米(めぐりん米=入谷産)に換えたりもできます。

「今日は90歳になる婆ちゃんを連れてきたの。たまに外に出ないと・・・コーヒー券二枚お願い」 ごみを持参した主婦とそんな会話が何度となく交わされていました。

新しい街の暮らしで課題となっているのが「高齢男性の方々の孤立化」。これが特効薬になるのかどうかも半信半疑だったが、実に功を奏していました。それが薪ストーブの設置と薪割り体験です。

昔から、主婦ら女性が集まってくるのが井戸端で、男どもの居場所は囲炉裏端と言われています。薪ストーブの炎を見ながら世間話に花を咲かせるじい様たちの笑い声が響いていました。ここに、薪割りしたい!と興味津々の子どもたちや焼き芋食べたいという主婦たちも加わり、ここが老若男女関係なく大好評になっていました。

10月後半になると、日替わりで移動販売の車が横付けされるようになりました。月曜日はタコ焼き、火曜日はクレープ、水曜日は焼き鳥、金曜日はポップコーンやパンetc 買い物にちょっと不便な高齢者に人気なのは予想されたが、ごみ出しに来たついでに買い求めるほかの地域の方々も多くなっていたように感じました。

さらにさらに、入谷の農家さんが新鮮な野菜を並べ、100円程度で販売する【産直】まで登場し毎日の食事を支える場所ともなっていたようです。

子どもたちがそばにいる日常

結の里の向かいには「あさひ幼稚園」があり、いつも子どもたちの声が響いています。幼稚園児も毎日のようにペットボトルやプラスチック(おやつで出たお菓子の袋が多い)を持ってきますが、その姿が実に愛らしいとスタッフや居合わせた住民、結の里の職員らが大はしゃぎでした。

感謝ポイントの項目に「200ポイントであさひ幼稚園に感謝のモミの木を贈ろう!」というのがあり、賛同される方が一気に増えたので、期間中に植樹することができました。

「なぜここにこの木があるのか…成長した子どもたちが次の世代にいきさつを話しながら、みんなで取り組んだごみ問題と住民交流の輪が広がると嬉しいな」高年齢の出席者がつぶやいた姿が印象的でした。

11月27日、関係者が集まり素晴らしいモミの木が園庭に植えられた

実証実験が終わって

全国的な問題である人口減少、少子高齢化に加え、被災後の新たなコミュニティ作りも課題となっている南三陸町。『森里海ひと いのちめぐるまち 南三陸』について、いろいろな事業を試行錯誤しながら取り組んでいくことが必要であると思います。

この『めぐるステーション・実証実験』が、今後のまちづくりに反映されるのかあるいはされないのかは少し時間もかかりそうですが、利用された住民にアンケートをお願いしたところ、ほぼ全ての方から「継続してほしい」との回答があったと言います。

当初志津川地区100世帯を対象に始められたのだが、口コミで広がった参加世帯は401にも増えました。

「ステーションを作っても、そこまで行けない高齢者はどうするの?」という問いかけには、「西ヶ丘や旭ヶ丘の高齢者宅に伺って引き取りを行っています。皆さん、しっかり分別されていますよ」と、前出の担当者が答えてくれました。

新たな施設や事業運営にハードルはあるが、ごみ出しの意識や住民交流の面からも、町民全体で考えるに値する実証実験ではなかったかと、更地に戻った駐車場にて2ヵ月前の記者会見を振り返ります。

「『めぐるステーション』が目指すのは、ごみを出すという日常的な作業を通じて、資源の有効活用や感謝の気持ちを贈り合いから生まれる住民交流」と語られていました。まさにそうした場が住民主導で日々進化しながら育まれていた2ヶ月間でした。

「森里海ひと いのちめぐるまち」というビジョンを掲げた南三陸町。それをどのように具現化していくのか、詰まっている実証実験だったのではないでしょうか。これからどのような展開があるのか、楽しみです。

『めぐるステーション』実証実験を終えて(前編)

昨年10月から11月いっぱいまで、2ヶ月にわたる『めぐるステーション=ごみ分別と住民交流』の実証実験が終了しました。日常の暮らしで必ず出される生活ごみについて、新たな気づきや取り組みなど、利用者目線で追ってみました。前編後編の2本立てです。

ごみ集積所が毎日開放されている

南三陸町では各行政区に燃やせるごみと資源ごみの集積所を設けていますが、それぞれ朝6時から8時半までに出すというルールの他にも決まりごとがあります。

燃やせるごみは、①町指定のごみ袋に入れて出す。②生ごみは水を切って出す。③ごみを分別し、資源に出せるものは資源に。④大きなものは40㎝以下・厚さ10㎝以下にするなど。

一方、資源ごみは、決められた集積場に前日の夕方に持ち込まれたたコンテナ(かご)に分別するという重要な作業が求められており、きちんと分けられないと収集されず、そこに置かれたままになってしまいます。

会社帰りの主婦Aさんは、「資源ごみの日は平日なので、時間がなく出せないことが多い。ここなら毎日開いていて、会社帰りでも持ち込めるので助かるわ!」と手際よく分別しながら話していました。

また、近くの住民からは「資源ごみの日に雨が降ると、段ボールや新聞紙が濡れてしまうので出せないから二週間分たまってしまう。テントで覆われたこういう場所はうれしい」という感想が聞かれました。

燃やせるごみの分別は面倒だと思っていた

資源ごみとして分別するのは、だいぶ慣れているようなので、分類されたコンテナ(かご)の位置さえ覚えればさほど難しくないようでした。今回の実証実験の一番の目的であった、燃やせるごみとして指定袋に詰めていた「プラスチック製品」をわざわざ分けてみるという作業をどう感じるか?!も気になるところ。

毎日立ち寄るという住民は「最初は面倒だったわよ。だけど、【プラ】と書かれたモノがこんなに多いとは知らなかった。生ごみも分別できるので、燃やせるごみはこれまでの三分の一くらいに減りました」と驚きを隠せない表情で語ってくれました。

確かに、燃やせるごみの分別では、お菓子の袋や弁当のトレー、商品のラベルなど圧倒的に【プラスチック】が多くなっている。現状、町のルールでは燃やせるごみとして一緒に出せるのだが……。

めぐるステーションを運営するアミタ(株)の担当者は、「プラスチックだけを処理する業者も視察に来ました。今後、丁寧に分別されれば可燃ごみが資源になる可能性があります」と期待を寄せています。

「鯨や魚の胃袋から異物が見つかりました」とか、「ある海岸の波打ち際には大量のプラスチックごみが漂着しています」といったニュースが飛び交う昨今、身の回りにどれだけのプラ製品があるのか確認できただけでも良かったという声もあり、参加された住民の多くは日常生活の中で少しでも社会貢献ができるのではと賛同し取り組んでいた姿が印象的でした。

分別した資源ごみの行方は

せっかく分別したのだから、何かに活用してもらうと嬉しいというのは多くの利用者の声です。

缶や瓶、ペットボトル・新聞紙などがリサイクルされることはよく知られているが、『めぐるステーション』では持ち込まれたすべてのごみの行方をお知らせしています。

牛乳やお酒の紙パックは『障がい者通所施設・のぞみ福祉作業所』に運ばれ、活動(紙すき)に活用されるほか、庭木・竹・草などは堆肥になり、これまで燃えるごみの指定袋に当たり前のように入れていたプラスチック類も固形燃料又はセメントに生まれ変わると表示されていました。

もったいない!の発想=リユース

ある日、大量の衣類を抱えた主婦が「これね。まだ新品なんだけど、サイズが合わないから捨てる。このかごに入れて良いの?」とやって来ました。スタッフは「え~っ、もったいないですよね」そう言って建物の壁にある陳列棚に置いてみました。自分には不要だと思うモノが、誰かにとっては『良いモノ=逸品』になる可能性があるのでは?と考えて設けたリユースコーナーが、人気急上昇となっていったのです。

「避難所や仮設住宅暮らしの時、たくさんの支援物資を頂いて助けられた。でも7年半経って、整理してみたらもう着られない衣類や使わない食器がいっぱいある。もったいないから誰かに差し上げたい」と話します。

毎日『フリーマーケット』が開催されているかのような盛況ぶり。ウインドウショッピングの感覚で眺めバーゲンセールのように手に取る。誰かの不用品が別の誰かの貴重品に生まれ変わる場所になりうることを実感しました。

記事後半はこちら

一年の農のはじまりの手仕事。「農はだて」

今日は、農家の一年の仕事始めの日。
この地域では「農はだて」と呼ぶ。
「はだて」とはこの地域の言葉で「はじめ」という意味。

「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくね」
囲炉裏に灯った赤い火に導かれるように、そこには自然と輪ができる。

一年のはじまり。
まず行われるのは、その年の米の作付けの占いだ。

昨年末について、うら返した臼の下で2週間ほど眠っていた3つの餅。
その一つひとつを裏返していく。
1つ目のもちは「早稲(わせ)」。2つ目は「中稲(なかて)」。3つ目は「晩稲(おくて)」。そこに米粒がついていればいるほど豊作とのこと。

今年の稲作の占いの結果、最も豊作とされるのは「晩稲」。ここから、一年の農作業は始まっていく。

そして行われるのが、「わらない」だ。

昨年手塩にかけて育てた、稲。それを支えていたわらを活用する。

乾燥したわらを槌で叩く、「わら打ち」。

打つことによって加工しやすいように、やわらかくなる。

わら縄を使用する機会は今ではぐっと減ってしまった。

しかし、この土地では、かつて、草履もむしろも、米俵も。わら縄は生活の必需品だった。
冬仕事といえば、わらない。この一年間で使用するわら縄を冬の間にすべてこしらえていたという。

「子どものときは朝早くから夜までお手伝いしたっちゃな」
「今は年に1回でも、身体が覚えてるんだね」

そう話しながら手際よく、縄をなっていく。

2つのわら束を両手でねじりながら、かみ合わせていく。
ねじりが戻ろうとする力で、2つのわらが絡み合い、しっかりとした縄になる。

モノが十分になかった時代から、手仕事で暮らしを支えてきた。

発展の昭和、激動の平成を生き抜いてきたその手。

ただひたすらに縄をなうその手は、彼女たちの人生の深さを表している。

昨年、農家さんが手塩にかけて育てたお米。
そのお米は今、わたしたちの食を支えてくれている。
そして、稲わらは生活の道具となって暮らしを支える。

無駄なものはなに一つない。
そんなことを、この正月行事は今に伝えているのかもしれない。

今年も豊作となりますように――。

寒風がしみる帰り道、この一年の豊饒を祈っていた。

志津川湾って、すごい!シリーズvol.8「なんでこんなにタコが美味しいの?」

「志津川湾って、すごい!」シリーズ、相変わらずではあるが海研一がお届けする。今回は志津川湾の顔になりつつある「タコの美味しさの謎」に迫る。

マダコとミズダコ、二種類のタコがとれる地域

まずタコの基礎知識として、タコにもいろいろ種類はあるのだがタコという名前のタコはいないことを知っておこう。暖かい南の海には人を死に至らしめる毒を持ったヒョウモンダコなんていうのもいるが、安心してくれ、志津川湾にはいない(はずだ。今後、温暖化でどうなるかはわからないが。) 志津川湾ではマダコとミズダコが有名であり、ミズダコは通年(盛期は夏場)、マダコは10月~12月に水揚げがある。実はこれもすごいことなのだが、この両方のタコがとれる場所というのは日本でもこの東北地方だけだ。

このマダコとミズダコ、どちらも味が良いことで広く知られ、そのためタコがキャラクターにまでなっている。志津川湾の近くでは、いろいろなところでタコのキャラクター「オクトパス君」に遭遇する。旧志津川町時代から宮城県内で広く認知され、合格祈願グッズや復興シンボルグッズのモデル、震災復興・地域振興のマスコット的存在となっている。

志津川湾の環境がタコを美味しくする

なぜタコが美味しいのだろう。

志津川湾は海藻類が量も種類も豊富であり、その海藻を餌とするアワビやウニ、カニなど生き物たちがタコの餌となるのだが、タコが美味しい理由は、海藻を土台とする多様性豊かな海でタコも美味しい餌を食べているからということだ。

大きく育った志津川湾産のマダコは、身が締まっている上に味に深みがあり、兵庫県明石市と肩を並べ「西の明石、東の志津川」とも言われ、「志津川タコ」のブランド名で高い評価を得ている。すごい。

それから志津川湾にはタコの天敵であるウツボがほとんど存在しないため、タコにとって住みやすい環境なのだ。

海藻類が豊富な理由は太平洋を流れる海流にある。これまでのシリーズでも紹介しているが、三陸沖合は冷たい海流(親潮)と暖かい海流(黒潮)が混ざるところであるため、冷たい海流を好む海藻も、暖かい海流を好む海藻もいる。だから種類が豊富になり、その豊富な餌にタコの餌である生き物たちが集まってくる。美味しくなるわけだ。

低カロリー、高タンパク質で体にも優しい

タコは食べられない骨や皮がないので、料理しやすいというすぐれた食材だ。なので、日本では昔から好んで食べられてきたのだが、外国では多くの民族が“デビルフイッシュ(悪魔の魚)”と呼び食用にしていない。主に食用としているのは、日本を中心に東アジア諸国・地中海沿岸諸国・南太平洋の島々だ。

低カロリー・高タンパク質・低脂質で、コレステロール含有量はイカ類が300mg前後であるのに対し、タコ類は150mgと約半分である。しかもコレステロールの低下作用を持つタウリンまでも豊富に含まれている。

特有の筋線維は弾力性と歯応えがあり好まれ、独特の旨味はベタインというアミノ酸の一種で、エビ・カニ・イカなどの水産物に多く含まれている。美味しく、体にも良さそうではないか。

しかし、ビタミン類が脂溶性・水溶性ともに少ないため、野菜等と合わせて栄養バランスを良くすると良いようだ。また消化吸収率は高いのだが、消化に時間がかかるため食べ過ぎには注意しなければいけない。

美味しく食べるためには、タコ類は「タコ」とひとくくりにせずに、種類にあった調理が望まれる。日本で食用に主として出回っている種類が、この志津川湾でとれるマダコとミズダコなのだが、それぞれに味わいが異なる。

マダコは、味が濃く歯ごたえのよいのでタコ焼きに適し、ミズダコは、味は薄めだが身が柔らかいのでしゃぶしゃぶや刺身をおすすめする。

年間200~300トンのタコを水揚げする志津川湾

タコ類は日本国内で年間約5万~6万t漁獲されているとされ、最も多いのは北海道で、日本全国の約5割を占めている。宮城県のタコ類の漁獲量は、昭和30年代~50年代のピーク時で約3,000tあったが、近年は約1,000~1,800tとなっている。そのうち南三陸町では、年間で約200~300t水揚げ量がある。

実は最近、どうも日本の各地でタコ漁獲が少なくなってきているらしく、またアフリカなどからの輸入タコが日本に入ってこなくなっているらしい。その中でも志津川湾ではタコがまずまず漁獲され続けており、貴重なので高い値段で取引されるようになっている。すごいことだと思う。

タコの漁法にはトロール漁・カゴ漁・釣漁などがあり、素潜り・ダイバー漁などで獲られることもある。この他、暗くて狭い所を好むタコの性質を利用したタコ壺漁も良く知られているが、南三陸ではタコを傷つけずにとることができるカゴ漁が主流である。サバやサンマなどの餌を入れたカゴを夕方設置し、翌朝引き揚げるというやり方だ。

しかし、タコは人間からみて美味しいものをたくさん食べていると感じる。サバやサンマも三陸のものは脂ものっていて美味しいし、アワビやウニやカニなども聞くだけでよだれが出そうだ。餌の方も資源が減っていて貴重なものとなってきているし、ほんとうに味わって食べないといけないと思う。

このように南三陸町とタコの関係は、“タコの吸盤がくっついているような、なかなか離れられない関係”とでもいっておこう。タコに好かれる南三陸町。志津川湾って、すごい!