地域の雇用とコミュニティの受け皿に!小野花匠園

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2月のある日、南三陸町歌津で菊を中心とした農業ビジネスを展開しておられる
株式会社小野花匠園(おのかしょうえん) 代表取締役、小野政道さんの元を訪ねました。


高校卒業後、あてもなく「東京に行ってみたい」と、ほとんど身ひとつで東京へ行った政道さん。
様々な社会勉強をしながら4~5年東京にいたそうですが、
体調を崩されたおばあちゃんと、また一緒に過ごしたい、という思いから帰ってきたといいます。

当時、農業を継ぐという意識はあまりなかったとのことですが、
長男ということで、やはり家業である農業が待っていたのだそうです。
それが12年前、政道さんが23~24歳の頃。

自分で作ったものを自分の好きなように売れない。―なぜ?という思い。
家族経営だから、職場で失敗など嫌なことがあった時、自宅に帰っても空気がどんよりしている。
当時は農業が楽しくなかったのだといいます。

それから7~8年が経ち、ようやく農業で家族を養っていけるかな、と思っていた時に起きた震災。

自分に何が出来るか?
「仕事が残った」
「働く場所を作りたい」
「会社にして社員として雇用し、雇用を守りたい」

政道さんは考えました。
これまで市場9割、直接販売1割という出荷割合を逆転させ、
市場1割、直接販売9割にすれば、雇用が守れるのではないかと思ったといいます。

計算すると、人ひとり雇用するためには4~5店舗と契約できればよい。
気仙沼、登米、仙台と販路を拡大し、震災後11ヶ月の時点で30店舗と取引が出来るようになり、
6名の雇用を作ることが出来ました。

政道さんのところでは、最高齢で78歳の方が働いておられるといいます。

体が動くうちは、カキの殻むきなどの仕事を、仲間とワイワイ話しながらするのが
当たり前の生活だった、浜のお母さんたち。
浜の仕事には定年はないのだそう。

震災後、職場をなくし、仮設暮らしをしていると、心身共に弱ってくる方もいる。
政道さんは、菊の出荷作業などの仕事を提供することで、
お母さんたちに生き甲斐となるコミュニティの場を提供しました。


震災前は、ふるさとへの思いは正直あまりなかったという政道さん。
震災後、改めて「ここで生まれたんだ」ということを実感。
町を離れる選択肢もあったが、もう少しここでチャレンジしてみたい、と思ったそうです。

生き残った命。

自分より小さな命が亡くなったことを目の当たりにし、
「何かしないといけない」と突き動かされるものがあったといいます。
そのエネルギーで、経験はないけれど、飛び込みであちこち営業することができたのだそうです。

一昨年からは、仲間と一緒に交流イベントを始めたとのこと。
この町を好きになってくれた人とつながりたいし、そういう場を提供することで、
関係性が増幅すれば交流人口も増えるのでは、という想いからだそうです。

震災前は、仕事は仕事、プライベートはプライベートと思っていましたが、
今では、地域のことも考えるようになった政道さん。

今後の目標は「毎年毎年雇用を作れたら良いと思っています」とのこと。
また、現状に満足せず今の5倍くらいの成長をしたい、といいます。


金儲けというと嫌な顔をする人がともすると多い昨今、
本質的には儲けたお金をどのように使うかが問われるのであり、金儲けがいけないことではない。
むしろ、利益がなければ雇用を守れないし、再投資も出来ない、リスクに対応する力もなくなる。

地域の雇用を増やし、地域コミュニティの受け皿になっておられる、小野花匠園さん!

政道さんの益々のご発展を期待しています!

■株式会社小野花匠園(おのかしょうえん)
営業時間 9:00~19:00(季節により変動)
定休日 日曜・祝日
住所 〒988-0473 南三陸町歌津字中在66
電話・FAX 0226-36-3711
メールアドレス harutyan@onokashouen.com
サイト http://onokashouen.com/

(櫛田)

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