日本初となる、二枚貝養殖でASC国際認証を取得した南三陸町戸倉地区。震災を機に取り組んだ漁場改変が評価され、今年度の農林水産祭 水産部門で天皇杯を受賞しました。そんな戸倉地区で震災がありながらも再び漁師の道を歩んでいる、若き2人の漁師に話を伺いました。それぞれ前編後編に分けてお届けします。
逆境を乗り越え、天皇杯受賞
震災前、戸倉地区ではカキの生産量を増やそうと養殖筏を増加しました。しかし筏が増えたことにより、カキの生育は遅れ、品質は低下。何より深刻な漁場汚染が問題とされていました。そんな時、この町を襲った東日本大震災。自宅はもちろん、船や養殖筏は被災し、壊滅的な状況になりました。何もかも失い、ゼロからのスタートに漁師達は話し合いを重ねました。
話し合いの末決断したのが、養殖筏を3分の1にすることでした。
その結果、環境への負荷も軽減し、1年で育つ品質の高い牡蠣を養殖できるように。2016年3月には、海のエコラベルであるASC国際認証を二枚貝養殖で日本で初めて取得。また昨年行われた農林水産祭で天皇杯を受賞。震災後、大きく漁場改変をしたことで、カキ品質の向上。それに伴い生産量、収入が向上したこと、経費の削減や労働時間の短縮、後継者の確保に繋がっていることなどが評価され、天皇杯受賞に至りました。
小さい時から見てきた仕事
震災後の漁場改変による、ASC国際認証の取得や天皇杯受賞と盛り上がりを見せる戸倉かき生産部会で活躍している2人の若い漁師を2回に分けてご紹介していきます。
まず初めにご紹介するのは、漁師歴15年の後藤新太郎さんです。
小学生の時には漁師を目指していたという新太郎さん。小さい時から、海に遊びに行ったこと、両親の手伝いをしていたことが漁師を目指すきっかけにもなったと話します。
「小さい時から見てきた仕事で、どんなことをしていたのか分かったから漁師を目指したのかもしれない」と幼少期を振り返ります。
戸倉に戻りたい一心で再び、漁師の道へ
高校卒業と共に、漁師の道へ入った後藤新太郎さん。仕事にも慣れ始めた頃、この町を襲った東日本大震災。
自宅はもちろん、船や養殖筏にも大きな被害がありました。そのため、すぐには漁業を復活できる状況ではありませんでした。新太郎さんは、家族と共に内陸へ避難。
1年ほど、内陸での暮らしと仕事をしていました。先の見えない将来への不安、葛藤もあったことでしょう。それでも、生まれ育った海から離れ続けることは考えられなかったと言います。
「戸倉に戻りたい」、「漁師の道しかない」との想いから再び漁師をすることを後藤新太郎さんは決断します。
自分の子どもの代にも綺麗な海を残したい
1つ1つ丁寧に手間暇かけた分だけ、美味しいものが出来ることにやりがいを感じている後藤新太郎さん。
3人のお子さんをもつ新太郎さんは「子どもに漁師を強制するつもりはないが、魅力に思って、漁師を継いでくれたら歓迎する」と笑顔で話します。
変わりゆく環境への不安がないとは言えません。自然が相手の仕事のため、難しさもあります。それでも「子ども達が大きくなっても食べていける仕事でありたい」と次の世代を見据えて意気込みます。
後編は後藤伸弥さんについてお届けします。