子ども達の未来を広げたい!/岡田要平さん

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県立志津川高等学校に2017年に設立された、学習支援センター「志翔学舎」。県立高校に町が学習塾を設置することは県内でも初めてで、全国からも注目されています。設立から2年が経過した学習支援センターの様子と、責任者である岡田要平さんのセンターへの想いに迫りました。

全国的にも珍しい運営方式!学習支援センター「志翔学舎」

今年度で開設3年目を迎えた学習支援センター「志翔学舎」。2017年6月に志津川高校の構内に設置され、運営費を町が補助し運営しています。町が県立高校に学習塾を設置することは全国的に見ても珍しく、設置にあたり全国から注目されていました。

運営は東京や仙台を中心に子ども支援や教育支援活動をしているNPO法人キッズドア。主に生徒の学力向上を目的としており、自主学習スペースとして運営しています。またセンター内にはタブレットやパソコンを活用した「ICT学習」も取り入れ、様々な教材を使った学習も可能。スタッフは3名駐在しており、勉強のフォローだけではなく、学習方法の相談などにも対応しています。

震災時アメリカにいて、“何もできなかった”

岡田さんは東日本大震災の時はアメリカで日本語講師の仕事をしていました。テレビや新聞では大きく日本の震災が取り上げられ、街頭では即座に募金活動が始まったと当時のことを振り返る岡田さん。しかしテレビで放送されていることが母国で起きていることだとは思うことが出来なかったと話します。

「当時たくさんの声援や日本のために活動している人がいるのに自分は当事者意識を持つことができず、ずっと負い目を感じていた」と話します。

帰国後、学習塾や児童福祉の仕事を経て、志津川高校学習支援センターの求人を見つけ応募。自分も被災地の役に立てるかもしれないという想いと、一番心動かされたのが「情報格差」というキーワードでした。

その理由は「自分の生い立ちと共通した部分があった」と話します。

北海道の小さな町に生まれ、家業が教会という環境だったこともあり、自分の進路の選択肢が見えてなかったと話します。「自身が感じた進路選択する上での情報の制限が、どの地方にもあるように感じる。これまで自分が歩んで来た経験を昔の自分と似た境遇にいる子ども達に少しでも還元したい」という想いで学習支援センタースタッフになりました。

アメリカで日本語講師をしていた当時の写真

海が近くにある生活への憧れ 移住して2年

もともと北海道の内陸部出身で、高校・大学と奈良県で過ごし、海が近くにある生活を送ってこなかったという岡田さん。そのため海がある生活に小さい時から憧れを持っていたとのこと。東北に訪れることもこれまでなかったそうで、南三陸町に来て「入谷の風景は出身の北海道と似ている」と思ったそうです。

南三陸町ではシェアハウスに住んでおり、他の移住者と仲良く暮らしていると話します。休日は部屋にこもって読書することもあれば、共有スペースに行けば誰かしらいるため、談笑したりして過ごしているとのこと。中でも岡田さんが一番気に入っていることは、「サンオーレそではまでコーヒー片手に読書」で、海のある町の暮らしを満喫しているようです。

学習支援センター「志翔学舎」放課後の様子

「生徒の頑張りが、自分の頑張りに」

学習支援センターの利用人数は少しずつ増加しています。自主学習の場として個人の学力向上を目指しているものの、生徒の居場所的な効果もあります。平日は夕方16時から開所していて、部活動が終わってから閉所する21時まで残って勉強していく生徒も多い。そんな生徒の頑張りを見て「自分も頑張らなきゃ!」と日々の活力にしているそうです。

岡田さんは「勉強が苦手だったり、嫌いだったりすると学生生活の大部分が辛い時間になってしまう。勉強も楽しいかも、と思ってもらえるようにサポートしていきたい」と話していました。単に勉強を教えるだけでなく、勉強の楽しさを伝えてくれるのもこの学習支援センターの魅力なのかもしれません。最後に「やっぱり志高に来てよかったと思ってもらえるように、出来ることをやっていきたい」と意気込んでいました。

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