長い東北の冬が明け、南三陸には春の息吹が訪れています。4月半ばには桜前線が南三陸にも到達。震災前から変わらず、そして震災後の激動の町を横目に佇んでいた淡いピンクの花が、今年も見事に町を彩りました。
変わりゆく町を垣間見る志津川高校の桜並木
志津川高校へと続く坂道には桜のアーチがかかっています。
これまでも桜の名所として、町内の人に知られていたこの坂ですが、昨年、校内の公募により「旭桜坂(ぎょくおうざか)」と名付けられました。
一面に咲き誇る桜の花と、かつて志津川城のあった旭館の歴史に敬意を表して「旭」の文字から考えられたものだそう。数百年前、この旭館を本拠にして本吉地区は栄えていました。
今この場所からは、日々変貌を遂げる町の様子を垣間見ることができます。
1年後、5年後、10年後、この「旭桜坂」の桜並木から見る町の景色はどう変貌しているのか。
かつての旭館のような賑わいと活気あふれる町となることを期待せざるを得ません。
町民の憩いの場所・東山公園
南三陸町を代表する花見スポット、東山公園。約200本もの桜が集中して見れるスポットとあって、「南三陸の桜といえば、ここ」と町民の多くが答えるような名所です。ここの特徴はなんといっても無数の提灯に照らされた夜桜が楽しめること。
美しい桜を堪能しながら階段を登った先にある東山公園。そこでは、お花見を楽しむ家族の姿を見かけることもあります。復興途上の町において、町民にとって貴重な憩いの場所となっています。
新しいチャレンジのはじまり
「さあ、種まきの季節になりましたよ」
いつもより早く満開に咲き誇った山桜が町民に語りかけています。
「山桜が咲いたら、種まき時」と昔の人たちは語っていたそう。
田んぼの脇の杉林に紛れ込んでいる山桜。これはテレビもインターネットもなかった時代、その年の気候に合わせて花を咲かす山桜を指針としていたことから生まれた言葉です。
いつなんどき畑仕事を開始したらよいかわからない農家の知恵。
山桜が咲く頃、田んぼに種籾をまき、いよいよ一年にわたる田仕事が開始となっていました。
それは情報がどこでも手に入る現代でも変わらず、町で行き交う軽トラックやトラクターは桜の開花と同時にぐっと増えたように感じます。
関東出身の筆者にとって、3月下旬に満開を迎えることの多い桜は卒業式など「別れ」の象徴とも呼べるものでした。しかし、それから遅れること半月で満開を迎えるこの地では、まさに「始まり」の象徴。
何かとせわしない南三陸の春。新しいチャレンジを満開の桜が背中を押していました。