2022年10月15日・16日に、南三陸自然環境活用センター(通称:ネイチャーセンター)にて、第1回南三陸いのちめぐるまち学会大会 いのちめぐるまちの現在(いま)とこれから -ネイチャーポジィティブで目指す豊かさ- が初開催されました。今回の記事では第1部の様子をレポートしていきます。
前編はこちら
これまでの南三陸でなにが起こったのかを紐解きます
対談③ 住民の学びで守った渚・松原海岸
2018年にラムサール条約湿地に登録された志津川湾。その登録にあたりクリアした国際基準の数は9つ中5つという国内最多タイを誇ります。特徴としては、暖流と寒流がバランスよく混ざり合っていること。冷たい海を象徴する海藻のマコンブ(志津川湾が南限)と暖かい海を象徴する海藻のアラメの藻場(海藻の森)が同じ海域に共存している点が世界的に評価されました。
そんな南三陸町で、有志で始まったのが「かもめの虹色会議」。その背景には、震災後の松原海岸が昔のような自然に還っていることを発見したものの、その場所では防潮堤が作られる県の計画が進んでいたということがありました。住んでいない人が自分たちの町の将来の絵を描くことに危機感を抱いていたという思いが根底にあり、かもめの虹色会議の発足に至ったいいます。
なぜ松原海岸が必要なのか。どういう意味でどうしていくために必要なのかと自分たちに問うたときに、それに答える知識や言葉を持っていなかったため、南三陸ネイチャーセンター 阿部拓三さんはじめ様々な方にお声がけをして、知恵や知識をかもめの虹色会議の中で集結させていき、松原海岸を守ったと工藤さんは語りました。
「松原海岸は湾の一番奥にある穏やかな環境で、真水と海水の境目は生物多様性が高い場所。志津川高校自然科学部のみなさんと調査したことが活用のきっかけになった」と語る阿部さん。
住民が行政をうごかして合意形成ができた希有な事例である松原海岸を、かもめの虹色会議は今後も研究と学びの場としても活用していくとのこと。
ディスカッション 駆け抜けた10年・なにとなにがつながったのか?
これまでの登壇車が一同に集い座談会が行われました。最初に、参加者の方から「震災以降、町に残る人と転出される人」について質問があり、それに対し、
工藤真弓さんは、「土地との繋がりがポイント」と話します。土地と自分が繋がっているという意識がある人、その土地に引力を感じると便利・不便関係なく住み続ける、または戻ってくる。そのため、今後、まちで育つ子ども達が海や山などとも繋がっているという意識を育んでから外に出るということが大事だと実感していると語ります。
そして、「雇用の面で、この町には仕事がないんだって言われるのが嫌」と話したのは佐藤克哉さん。賃金も都会に劣らないくらい出せるような、地域で根差す事業をどうつくって行けばいいのかという点を強調されていました。
そのほかにも議論は尽きず!当日のYoutubeLIVEがアーカイブで残されているのでご視聴ください。
濃密な学びをたっぷりと!
1日目だけで、4部ある南三陸いのちめぐるまち学会第一回大会。今回は、1部についてお伝えしました。
南三陸のめぐるまち構想のきっかけや背景が詳細に知ることのできる学会。参加者のみなさんからは、「実際にどういう取り組みをしてこられたのかが大変興味深かった」
「地元の方々による街づくりへの具体的な取り組みがリアルに感じられてよかった」
「町内の活動が一気に可視化された印象を受けました。可視化されたことで、町の力を再発見する機会となりました」
「発表者の熱量を直に感じることができた」
という声が寄せられています。