「笑顔で感謝!南三陸 福興市in仙台」レポート~皆を笑顔に!商店主の思い~

4055

南三陸の復興を象徴するイベント、その名も“福興市”。そこには笑顔を届けている商店主がいて、人々の“輪”を繋げています。今回はその“福興市in仙台”をレポートしました!

仙台のオフィス街に南三陸がやってきた

冬の厳しい北風が肌を打つ11月24日 木曜日の正午。メインストリートに並べられた木々が晩秋の色に染まる“杜の都”仙台。師走に向け忙しさを増すオフィス街の正面に見えてくるのは、仙台市青葉区の中心部に位置する勾当台公園 市民広場です。ここでこの日、「福興市in仙台」が行われました。

「いらっしゃいませ~! カニ汁にタコの唐揚げ、海鮮焼きそばはいかがですか~?」威勢の良い声とともに、南三陸町の商店主たちはお客さんを呼び込みます。

その声に誘われたのか、ビジネスバックを持った会社員や濃紺のコートに身をまとった奥様方が足を止めました。「タコの唐揚げ。会社に持っていくから4つ頂くよ!」 「今日は寒いからカニ汁、頂こうかしら。」

そう言って商品を提供する商店主や、商品を受け取るお客さんから笑顔がこぼれました。このイベントで南三陸町の商店主たちは、自慢の商品を片手に、訪れるお客さんを笑顔にしてしまう魔法使いになったのです!

恒例のもちまきで盛り上がる会場
恒例のもちまきで盛り上がる会場

商店主が打ち明ける笑顔の理由

今でこそ賑やかさを取り戻しつつある福興市ですが、それに至るまでには商店主の様々な思いがありました。

「あんな津波が来て町が無くなってさ。おら達、本当に商売できっかなぁって、はじめは不安だったよ。」言葉を選びながら話すのは、松野 三枝子さんです。震災当時、大きな病を患い、公立志津川病院に入院していた松野さんは、その後、奇跡的に病状が回復し2014年の冬に「農漁家レストラン 松野や」をオープンさせました。オープンに踏み切った理由は、助かった命を使って町を元気にしたいという思いからだったそうです。「病気が良くなってからは皆に感謝だよね。自分の体が元気になった後は町を元気にしたいっちゃ!」そう話す松野さんの表情は空にも負けず快晴です。

忙しそうに働く松野三枝子さん
忙しそうに働く松野三枝子さん

「困ったときは助けを呼ぶの。全国の商店主にね。」笑顔がひと際目立つ話しぶりは、「株式会社 ヤマウチ」の社長 山内正文さんです。この福興市の実行委員長でもあります。「震災後、福興市を開催することを決断した。開催するにあたって全国の商店主に支えてもらったよ!」山内さんはあの日、自宅・店・工場すべてを失いました。建物も無ければ売るものもない中で、ぼうさい朝市ネットワークの支援により、震災からわずか1ヶ月で福興市を開催したエピソードは、今でも“日頃からのつながりの大切さ“を象徴するものとして語られています。

話を伺ううちに、南三陸町の商店主たちは、困難を乗り越えてきたからこそ、伝えたい思いがあってこの場所に立っているのだと実感しました。「だから“笑顔”が生まれるんだ!」と。

お客様が笑顔になるヒミツ

「なんで人はこんなにも笑顔になれるのだろう?」私の疑問は解消されました。南三陸町にはお客さんを惹きつける個性をもった人々が沢山いたのです。その人々が福興市に集結するのだから、盛り上がることは間違いありません。

「俺なんか皆と会わなきゃ泣いちゃうよ。寂しくてしょうがないから。」こう語るのは、まん丸眼鏡がトレードマークの藤島 博之さんです。伺ったところ、この日は病み上がりの復帰戦だったそうです。福興市でもひときわ大きな声で、お客さんやボランティアさんを巻き込む姿はもはや名物になっています。闘病中、馴染みのお客さんと会えなかったのがよほど寂しかったのでしょう。普段は店舗を持たない人でも、お客さんと直に触れ合える福興市は、出店者にとっても元気の源です。お休み中の分を埋め合わせるかのように、元気たっぷりに接客する藤島さん。「南三陸町は人も温かくて良い所。もちろん俺を中心にね!」私はどうやら、海鮮焼きそばよりも味わい深い人物を見つけたようです。

いつも元気いっぱいの藤島博之さん
いつも元気いっぱいの藤島博之さん

反対側のテントに目を移すと見えてきたのは透明な長方形に茶色のマントをまとった1本の串。味噌田楽です!

その田楽を1本1本丁寧に提供していたのは、高橋 長泰さんです。南三陸町で大正7年から続く老舗「高長醸造元」の3代目として伝統の味を受け継いでいます。「お客さんに喜んでもらうにはどうやったら良いのか?日々、醤油や味噌づくりをしている間に真剣に考えているよ。」こう丁寧に語り掛ける高橋さんが丹精込めて製造する自家製味噌は町内外から注文が集まります。私はその味噌がふんだんに使われている田楽がとても大好きです。

一本一本丁寧に味噌田楽を提供する高橋長泰さん
一本一本丁寧に味噌田楽を提供する高橋長泰さん

若い“ちから”大活躍!

素敵な話を伺い、美味しいグルメも満喫した後、私は身も心も満足し帰路に就こうとしました。その矢先、白地のジャンパーを着た方に1枚のチラシを渡されました。“LINEで商品販路を拡大”。私は、「南三陸町でこんなにも先進的な取り組みを?」と興味を持ちました。なんと!仙台に住む学生の取り組みだそうです。

仙台の強力な助っ人、宮城大学の学生の皆さん
仙台の強力な助っ人、宮城大学の学生の皆さん

山内鮮魚店x宮城大学 販路開拓プロジェクト

ここで出会ったのは宮城大学 事業計画学科の皆さん。奇しくも私と同級生でした。

「福興市のこと、今回参加するまで知りませんでした。でもこんなにも人の温かさに触れたのは初めてで。」穏やかに話しかけてくれたのは事業計画学科3年の今田 あずささんです。目を細めながら時折見せる笑顔がとても印象的です。彼女にとってこの“福興市”は新鮮な場所だったのでしょう。同3年の瀧澤 亮斗さんは、「私は県外出身で、地元は震災の記憶が時間と共に薄れてきている。震災であった出来事を忘れずに発信していきたい。」と語りました。力強く述べられた彼の思いに、私は吸い込まれました。「仙台にも強力な助っ人がいたのだ!」と心強く感じました。

:LINEアカウントを広めるためのチラシ
LINEアカウントを広めるためのチラシ

“笑顔”でお待ちしています!

「笑う門には福来る」という言葉がありますが、この言葉はまさに今回、仙台市で開催された“福興市”の様子を体現している言葉だと感じました。その場にいた人々が“笑顔”で満たされる時間を、南三陸町の商店主が各店自慢の商品と共に提供しているのです。まさに、そこに福が訪れているように感じました。

一時は津波ですべてを失った商店主たちでしたが、商店主同士の“繋がり”が“福興市”の開催を可能にしました。さらにそこから南三陸町の商店主とイベントを訪れたお客さんの間での“繋がり”が生まれました。その“繋がり”こそが、今の南三陸の活力となっているのだと、私は確信しました。そして、今回の福興市全体を通し、南三陸町は改めて私の大切なふるさとであると実感させられました。

今日も多くの魅力を発信し続けている南三陸町。

多くの笑顔が、南三陸町を訪れる皆さんを心待ちにしています!

観光協会の皆さんも笑顔でお待ちしています
観光協会の皆さんも笑顔でお待ちしています

いいね!して
南三陸を応援

フォローする