頼られて、慕われて半世紀、まちの床屋のおかあさん

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南三陸町で元気にたくましく生きる人たち「南三陸きらめき人」。旧志津川市街地に理容店を構えたのが1970年という事なので、間もなく50年=半世紀。地域の困りごとなどを気軽に相談できる「まちの床屋のお母さん」宮川弘子さんを紹介します。

さんさん商店街で営業再開

新しくなったさんさん商店街の一角に、おしゃれな理髪店があります。二男と一緒に営業を続けている「BarBerミヤカワ」店主宮川弘子さんに、「被災した住民が高台に住む事になりましたが、なぜさんさん商店街に出店したのですか?」と聞いてみました。

「中央団地内に新しい店舗建てる事も考えたんだけど、時間がかかりそうだったからね」

仮設のさんさん商店街(御前下)でも、なじみの方々が訪れてくれて有難かったし、本設の商店街でも同じように続けられると思っていたと答えてくれました。

子どもたちのために…障がい者への関心を高める活動を実施

弘子さんの夫は、クリーニング店を営んでおり、どちらの職業も地域の方々とのお付き合いが重要です。夫婦揃って明るく面倒見の良い性格なので、たくさんの方々とすぐ仲良くなっていました。知的障がいのある長男が中学に入るころ、町内の仲間とともに『ひなどりホーム』というグループを立ち上げ、これからの障がい者の暮らし方などについて考え始めました。

当時は障がい者への関心は決して高くなく、宮川さんたちはその想いを何度も町に訴えていたそうです。時には「もう50回も来ている」と町職員から呆れられたと笑いながら話します。その想いとは、「障がい者だからって家の中に隠れるように暮すのはおかしい。好きな事・興味のある事などを楽しんだり、仲間と過ごす場所が必要だ」という事です。

ひなどりホーム発足の翌年(昭和60年)、「新装された志津川歌津組合病院に歯科が移ったので、かつての診療所が空いている。そこを使ったらどうか」と町から施設利用の提案があったそうです。当時の勝倉三九郎町長に直談判したのもあったけど、しつこいくらいに足を運んだおかげかも知れないと懐かしむように振り返ります。

「まだ中も綺麗だし、トイレや水道も完備していたのが嬉しかったのよ」

町内にいる障がい者の家族に声をかけ、6人が参加し、『のぞみ福祉作業所』としてオープンしました。発起人の宮川弘子さんが初代所長に就任し、事業運営に奮闘していきます。

作業所とは言え、当初は収入を得る作業はなく、絵を描いたり本を読んだりおしゃべりしたりの毎日だったそうです。しばらくして、社会福祉協議会が運営主体になり、平成4年廻館に整備された福祉の里(旧志津川中学校)に移ります。

「子どもたちが作業所に来て活動しているのをみると、本当に良かったなあと思うよ。ただ、今後私たち親が亡くなったらどうなるんだろう?という不安はある」と、将来の課題を言っていました。

なじみの商店主さん達とつながった!

「宮川さん、のぞみって毎日何やってるの?」

ある日、顔なじみの商店主さんらから聞かれて、率直に現状をお伝えしたところ、「じゃあ、ウチの製品の箱折り作業をやってくれない?」「わが社でもお願いしたいことがある!」など、多くの申し出がありました。

「障がいがあっても何かできるはず!」との思いがようやく実現したと感慨無量だったそうです。

ただ、それは単に地元商店からの内職請負だけではなく、それを通して地域の方々に少しずつでも理解してもらおうという強い信念によるものだと思います。

作業所に勤務する若い社協職員には利用者一人一人の症状や性格を伝え、一緒に支援する毎日の宮川さんの行動に、多くの方が信頼を寄せるようになっていきました。

震災前ののぞみ福祉作業所

東日本大震災から再スタート

のぞみ福祉作業所が、それまでの南三陸町社会福祉協議会から社会福祉法人洗心会に運営移行されたのが平成22年4月のことです。

それから一年も経たないうちにあの東日本大震災に見舞われてしまいます。

天王前にあった自宅・店舗は流失してしまいましたが、避難所や仮設住宅での暮らしにおいても以前と変わらず、いやそれ以上に周りの方々を気遣い、先頭切って活動していました。

一方、理容店については二男とともに奔走し、知人の土地にプレハブを設置して不自由な設備ながら早めに再開。宮川さんのなかでは、「散髪しながら震災の出来事やこれからの事を話し合える場にできたらいいな」という気持ちがありました。

それは、その後の仮設商店街移設、そして現在のさんさん商店街での営業につながっています。

冒頭の質問、「被災した住民が高台に住む事になりましたが、なぜさんさん商店街に出店したのですか?」の本当の答えは、単なるさんさん商店街の散髪屋ではなく、誰もが気軽に寄って、気軽に話せるサロン的な場にしたかったという想いがあることでしょう。

店頭の看板には、観光客でも予約がなくてもwelcomeと書かれています。常連さんだけでなく、仮設住宅で知り合った町民やボランティアさんも来ていると伺い、宮川さんの人柄や日ごろの活動=生き方に惚れた方がたくさん増えているんだなあと感じています。

のぞみ福祉作業所再建に向けて

被災した「のぞみ福祉作業所」は、三回の移転を重ねながら未だ仮設(プレハブ)です。

ようやく本設再建が視野に入りましたが、宮川さんのお話を伺うとなおさら南三陸地域の障がい者のために奮闘された事が礎になっているんだなあと思わずにはいられません。

民生委員の他、南三陸町保健福祉総合審議会委員にも就いていますが、本業は・・・「ハサミ握られなくなるまで続けるよ!」まだまだ明るく元気な宮川弘子さんです。

震災から7年半経つ『のぞみ福祉作業所』不自由なプレハブですが、来年春には再建される予定です

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